84 貴女には貰ってばかりだった
彼女の胸に突き刺さった魔剣を食い入るように見つめながら、エスティアは今にも泣きそうな声で「ユーティナ」と呟く。そして、どうにかして魔剣を引き抜こうとするが、まるで岩にでも固定されているかのようにエスティアの右手とそれを包むように掴んでいる彼女の手は、ピクリとも動かない。
「ユーティナ! な、なにをして……ッ!」
「エスティア、自分の魔力を流して、私を殺しなさい」
エスティアの問には答えず、ユーティナは先ほどと同じような言葉を紡ぎ、グッとより深く魔剣を自分へと突き刺す。だが、魔剣が突き刺さる彼女の体から血が流れだすことは無かった。
まるで、星々の涙のようにキラキラとした光が、血の替わりだというように流れ出ていた。魔力なのだろうか。それは、輝きながら魔剣を伝いエスティアの体へと巻き付くようにうねる。
どうしてこうなった。エスティアは、彼女を貫く魔剣と痛みをも感じていないかのような表情で微笑むユーティナを交互に見つめ、「な、んで、どう、して……」と、声を漏らす。
「エスティア、私の力を受け取りなさい」
「なんで、なんで……」
「そうしないと、この世界は本当に壊れてしまう」
驚愕の表情でエスティアは彼女を見つめる。その間にも、彼女の体から流れ出た光がエスティアの周りを包む。
「私は力を持ちすぎたの」
「力を持ちすぎた……?」
悲痛な表情でそう聞き返すエスティアの後頭部を優しく撫でた彼女は薄く笑う。
「私はね、昔はただの神族だったの。普通の家で生まれて普通に暮らして……だけど、いつの間にか、私は“神”と呼ばれていた」
エスティアは訝しむように表情を歪める。確かに、目の前の彼女は神々しい雰囲気があるものの普通だ。大好きな大切な人だ。そんな、考えを彼女は読み取ったのだろう。優しく微笑み言葉を続ける。
「もう、自分がいつ生まれたのかも忘れてしまうくらい、永い、永い、時間を過ごしてきた。その間にもどんどん、自分の力が増していく。それをどうにかして減らそうと思っていろんな物を創ったけど、ダメだった」
チラリとユーティナは、魔剣、宝剣、アリスの腰に収まる聖剣を順番に見回す。
「でもやっと、私の力が失われ始めているの。まぁ、ちょっと希望してた方法と違うけれど」
「ユーティナ……それ……っ!」
そう言って微笑んだユーティナの首筋を囲むように現れた術式。まるで首輪のように描かれたそれが輝くと、ユーティナは苦し気に口元を歪めた。すると、彼女から流れ出てエスティアへと流れようとしていた光が彼女の中へと戻ろうとする。
それが、彼女にとってよくないものだと即座に理解したエスティアは左手を彼女の首へと手を伸ばす。が、ユーティナは小さく首を振るので、伸ばしかけた手を下ろす。
「私の力はもう殆ど奪われてしまった。だけど、最後の一滴まで奪われたら最後、もうこの世界は終わりを迎えるしかない。だから、エスティア。私を殺して、最後の力を貰って」
「ユーティナ……」
最後の方はもう殆ど懇願するようだった。声を震わせ、唇も震わせる彼女の姿は見たことも感じたともないほど弱々しい姿だった。だが、何故か、その姿にエスティアは“この人は世界を救うなんて考えてない”、と直感していた。
そう感じてしまったエスティアは、フッと息を吐き出す。その表情は覚悟を決めたかのようだ。ユーティナの表情が緩む。
「ユーティナ。私、ずっと貴女に会えたら言いたかったことがあるんだ」
握る右手に自分の魔力を呼び出しながら、エスティアは、左手で彼女の閉じられた瞼をそっと優しく撫でる。触れたら壊れてしまう氷像にでも触るかのような、触れるか触れないかの微妙な触り方にくすぐったいのだろう、ユーティナの眉がぴくぴくと動いている。
その反応にエスティアは若干、申し訳ないやらちょっと面白いやらと思いつつも、小さく息を吸い込み――
「私に、光をくれてありがとう」
太陽のような笑顔でエスティアはそう言って、二カっと歯を見せた。子どものように無邪気でいて、どこか大人びた笑顔に、目の前の彼女はハッとしたように口を僅かに開き、その口に微笑みを浮かべた。
エスティアの手を伝い、魔剣へと流れた彼女の魔力がユーティナの体へと流れ始める。すると、彼女の首に刻まれていた術式が剥がれるように崩れ、消えていく。
「こちらこそ、私に光をくれてありがとう」
二人で笑い合う。それは、ずっとエスティアが望んでいたことだった。いつか、彼女の顔を見ながらお礼を言いたかった、と。
ユーティナがそっとエスティアの体を抱きしめる。温かくて優しい香り。母と言うよりも、姉という存在に近い彼女の香りが、柔らかさが、優しさが、大好きだった。エスティアは左腕を彼女の背中へと回し抱き寄せながら、魔剣を押し込む。
雲でも貫いたかのように、感触は感じなくとも魔剣の切っ先がユーティナの心臓部を貫き、背中を突き抜ける。突き出したそこからは、キラキラとした光がポタリ、ポタリ、と音もたてずに床へと落ちていく。
「――ッ」
エスティアは光となって崩れていくユーティナを強く抱きしめながら何度も、何度も「ありがとう」と呟き、その黄金の瞳からとめどなく大粒の涙を流していた。
「ユーティナッ、ありがとう、ありがとう……っ! 私、楽しかった、ユーティナとの生活、凄く楽しかった……っ!」
「エスティア、私も、とっても楽しかったわ。自分がまだ人だったころを思い出してしまうほど、楽しい時間だったわ」
エスティアはもう殆ど抱きしめている感触の無い彼女をしっかりと抱きしめる。
「ユーティナ。大好きだよ」
「ええ、私も大好きよ」
もう体のほとんどが光となりエスティアへと吸い込まれながらも、ユーティナは呆気に取られた様に立っているシュティレへと顔を向ける。シュティレが気付くと、彼女は優しく微笑み、口を動かす。声など彼女は出していないにもかかわらず、まるで聞こえるかのように、すんなりと理解できたシュティレはハッとしたように瞳を見開く。
彼女は確かに「この子をよろしくね」と、言った。シュティレはコクリと頷くと、彼女は嬉しそうに微笑み、そして――
「幸せになりなさい」
その言葉を最後に、彼女の体はまるで花に群がっていた蝶が飛び立つがごとく、光の蝶や鳥となって、エスティアの体の中へと吸い込まれていった。
温かい水が体の中を流れるような感覚を感じながら、エスティアはその光を受け止めるようにその瞳をそっと閉じる。
光が全てエスティアの体内へと吸い込まれると、エスティアは軽く目元を袖で擦り、立ち上がる。体の内側から力が溢れ出している。何倍にも体が軽くなったようなそれは、シュティレの強化魔術を受けた時に似ている。
「エスト」
「シュティレ……」
不安げな表情で名前を呼んだシュティレに、エスティアは安心させるように笑みを浮かべた。だが、まだ納得と言うよりも、複雑なのだろう。彼女にユーティナのことをちゃんと話したことはあまりなかったなと思い出したエスティア。
全て終わったら、ゆっくり彼女の話でもしよう。今の自分の大半を作るきっかけとなった恩人の話をうんざりするほど聞かせよう。そう考えながらエスティアは、みんなが待っている所へと一歩踏み出したその時――
「全く、こんなところにいたのか」
「え――っあ」
そんな声が響いたその時、カクン、とエスティアの体が膝から崩れ落ちる。まるでスローモーションのように周りの景色を眺めながら、エスティアは背後から聞こえたその正体を確かめようと振り向く。
だが、まるで鉛の様に重くなっていく体はうまく動かず、同じように重くなった瞼が視界を急速に奪っていく。エスティアは途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止める。そしてその視界に淡い水色を映しながら暗闇へと引きずり込まれていった。
「エスト!」
バタン、と倒れたエスティアへと駆け寄ろうとしたシュティレ。だが、彼女へとその手が届く直前でヒョイっと現れた少年が行く手を阻む。ニコリと、勝気な笑みを浮かべた彼に――シュティレは思わず立ち止まり言葉を失った。
淡い水色の髪に、強気な性格を現すような淡い水色の瞳。そして、その頭部から生えた天竜族特有の少し濃いめの水色の角。その姿は、最後に見た家族と全く同じ姿であった。
どうして、どうして。迷宮で彼女を見た時からもしかしたら他の子もとは思っていた。そして、フェルターの姿をした偽物によってそれなりの覚悟はしていた。だが、それでも……シュティレは自分の心臓を握りつぶされてしまったかのような不快感に包まれる。
少年は、苦しそうにしているシュティレを見つめていたが、フッと鼻で笑うと、踵を返し背後に倒れているエスティアを両手で掬い上げるように抱きかかえた。そして、そのまま肩越しに振り向き、口を開く。
「んじゃ、エストは貰っていくぜ。じゃーな、シュティレ」
まるで霧のように消えていく少年。シュティレは声をかける間もなく消えてしまった場所を睨んだまま、微動だにしない。その青い瞳は驚愕に見開かれ、キュッと袖を握り締めた手はふるふると震えている。
「どう、して」
「シュティレ、平気?」
エリザがシュティレの肩へと手を置く。てっきり、前回エスティアが連れ去られた時のように取り乱すと思っていたが、まったく動かず「どうして」と繰り返す彼女にエリザは心配そうに顔を覗き込み、言葉を失った。
「貴女、泣いて、るの……?」
怒りに満たされた青い瞳からポタリ、ポタリ、と絞り出すかのような滴が流れていた。表情とは違い、悲しみからくるものだとわかったからこそ、エリザはフッと息を吐き出す。そして、シュティレから離れると、少年の魔力を探しているアリスへと声をかけた。
「へへっ、ちょろいもんだな。まぁ、見つけるのに苦労したけど。全く、どうしてこう、予定通りに動いてくんないんだよ」
ブツブツと文句を言いながら、廊下を走る少年。その彼の腕の中には苦し気に気を失っているエスティア。少年が彼女へと打ち込んだ麻酔ではこうは苦しまないだろう。おそらく、ユーティナの魔力がまだ体に馴染んでいないからだろう。
そんなエスティアの顔を一瞥した少年は、一瞬気まずそうに表情を歪めたが、すぐに視線を進行方向へと戻し、走る速度を上げた。
「クッソ、この城、魔法が使いにくいな……転移もほんの少ししかできねーし、連続で使えねーし」
もう一段階、速度を上げるか、と少年が足を踏み込んだその時――
「よぉ。そんな荷物持ってると走りにくいだろ」
「え――ぐぁっ!」
突然、少年の正面へと降り立つように現れた黒髪の少女。天井から降り注ぐライトに照らされた、美しい青緑色の瞳を輝かせ、驚く少年の頭に生えている角を引き抜く勢いで掴んだ。
象徴であるそれを気安く掴まれた彼は、走り抜ける痛みよりも怒りで声を上げた。そして、掴む手を振り払おうとしたところで、少年はその動きを止める。
なぜなら、先ほどまで腕の中に居た筈の――エスティアの姿が無かったからだ。どこに行ったんだと軽く視線を動かすと、いつの間にか少女の近くの床に横たわっていた。
「いつの間に……って、お前! まさか……っ!」
少年の瞳が大きく見開かれる。たとえ、部品から与えられた記憶だとしても見間違うはずがない。ぱっと見少年のような短い黒髪は人間にしては珍しい色だから。
だが、少年は気付く。目の前の少女の瞳が黄金ではないことに。そして、思い出す。最高傑作のフェークは黒髪の少女だと聞かされていたこと、出会ったら戦わずに逃げろということを。
「やっべ」
少年が角を引っ込め、少女の手から逃げ出す。そして、床へと着地すると同時に再びその頭部に象徴であり、身体能力を高める角を出現させ――
「おい、待てよ。お前のことは逃がさねーぞ」
少女の手が少年の顔面を掴み、廊下の壁へと押し付ける。気遣いなど全く感じさせないソレは壁をへこませ、まるで無理やり形のあっていない鍵穴にでも押し込まれたように壁にヒビが走り、少年の体のいたるところから砕けるような音が響く。
痛みに顔を歪めながらも生存本能が逃げろと叫ぶのに従い、少年は必死に逃げ出そうともがく。が、少女とは思えないほどの握力の前では無駄に体力を消費するだけに終わってしまう。
「クッソ! なんのつもりだよ! お前は俺たちを裏切るのか! アンド!」
「……そんなものに興味なんてない。ただ、アイツはヤツと会うために必要なんだよ。出来損ない君」
そう言ったアードシアの瞳が青緑色から燃えるような赤紫色へと変わっていく。そして、その冷たく感情が篭っていないかのような声には、ゾッとするような憎悪を孕んでいることを肌で、脳で感じ取ってしまった少年から戦意が消えていく。
赤紫色の瞳がギラりと輝く。それに見られた瞬間、生きることを諦めていしまうほどの絶望と憎悪にまみれていた。ニコリと微笑むアードシアの声が少年の耳へと叩きつける。
「なぁ、お前もどうせ死ぬなら、痛くない方がいいよな」
「っあ、や、やめろ、やめ……」
命乞いしたところで意味なんてない。少年は自分の胸へと翳されたアードシアの手を見ながら、その短すぎる生を――終えるのだった。
「……安心しろ。お前にこんな結末を与える原因となったやつはアイツ諸共殺してやる」
心臓にぽっかりと大きな穴の開いた少年を見下ろしながら、そう呟いたアードシアの瞳が赤紫色から暗い青色へと変化していく。そして、床に横たわっていたエスティアを抱き上げる。
「復讐に囚われたお前なら、きっとわかってくれるだろ」
そう呟き、廊下の奥へと消えていった。
次回更新日は2019年4月16日(火)を予定しております。




