007 街の市場へ①
「━━バスケット、ヨシ! お金、ヨシ! ケープ、ヨシ! 私……ヨシ!」
大聖堂一階の奥……バジリカで生活をしている者達が使用する、こぢんまりとした食堂。
木目が目立つ質素なテーブルの前に立ち、室内にてその快活な声を響かせているのは一人の若いシスターだ。
「うんうん、準備はばっちり! 後は……」
テーブルの上に並べられた幾つかの物へと指を差し、一つ一つ確認をしながら満足そうに若いシスターが頷いていると……
すぐ横の廊下から、こちらに近付いてくる小さな足音が。
そして聞こえる、若いシスターにとっては耳馴染みであろう者の声。
「……用事ってなあに?」
後方から届いたその言葉を受け、待ってましたと言わんばかりに若いシスターはくるり振り向く。
「リリー……ヨシ!」
お気に入りのクマのぬいぐるみを胸に抱き、顔を上げる少女へと向けられたピシリと伸びる人差し指。
「……?」
「ごめんね、リリー。ちょっと市場まで……お買い物に行ってきて欲しいの。
本当は私が行きたかったんだけど、午前中のうちに終わらせなくちゃいけない仕事が急に入ってきちゃって」
若いシスターはそう言葉を続けつつも、小さな少女の目線に合わせる様にその場でしゃがみ……
「お願い…………できるかな?」
左右の手のひらを自身の顔の前で一つに合わせると、片目をぎゅっと瞑り、少しだけ顔を傾かせた。
「……ロッコと一緒に行ってもいい?」
抱きしめているクマのぬいぐるみへと目を落とし、黒くふわふわな頭を一撫でしてから言葉を返す少女。
それを聞いた若いシスターが、両手を上げ嬉しそうに笑う。
「やった! もちろんもちろん、ロッコもね! あぁ、助かった~。他の子に頼もうと思っても、私の顔を見た瞬間に逃げ出すんだから。
いつもなら何も無くても寄ってくるくせに、こんな時だけ何で分かるんだろ……」
喜色に溢れる顔から、眉をひそめた困り顔……短い時間の中でコロコロと表情を変えながらも、若いシスターはよいしょと立ち上がる。
「さって、それじゃあ……」
そう言ってテーブルの上へと手を伸ばした先には、所謂お洒落着というものに属するであろう子供用のケープが。
薄手の生地に、淡い色合いでふわりとした質感。手に取った時に揺れる、胸元を留める為の紐にあしらわれた小さなポンポンが何とも愛らしい。
「みてみて、リリー。せっかくのお出掛けだもの……ちゃあんとオシャレ、しないとね!」
何故か自分の事の様に嬉しそうな笑顔でケープを見せると、若いシスターは慣れた手つきでクマのぬいぐるみを抱える少女の肩へとそれを羽織らせた。
「……ほらっ、可愛い!」
そしてそのまま用意していたバスケットを手渡し、お金が入ったがま口の財布を少女の前で開いてみせる。
「え〜っと……買ってきて欲しいのはパンとチーズ、後は牛乳ね。お財布の中にメモを入れておくから、これをお店の人に見せてあげてね」
「わかった」
「お財布……どうする? バスケットの中に入れておく?」
「うん」
「……あっ、お店の場所は大丈夫? この時間帯は人が多いから……。…………。や、やっぱり私も一緒に━━」
「ううん。付いて来なくて大丈夫」
「で、でも何かあったら……」
「来ちゃ、だめ」
「むむぅ…………は~い……」
心配そう……というよりかは、どこか残念そうな顔をしながら若いシスターは持っていた財布をバスケットの中へ。
しかし、そんな顔をするのも束の間。すぐさまそれは笑顔に変わると、おつかいの準備が整った少女へと向けられた。
「コホン……」
若いシスターの軽い咳払い。追うようにして、言葉が続く。
「それでは元気よく……しゅっ、ぱ〜つ!」
握った右手を高々と上げ、楽しそうにそう告げる若いシスターとは裏腹に……
右手にクマのぬいぐるみ、左手にバスケット。難しそうにその二つを抱えながら、少女は大きく手を振る若いシスターを背に食堂を後にするのだった。
……バジリカの正面入口から真っ直ぐ南に伸びる、街路樹やベンチ等が整備された広く大きな通り。
街が昼時を迎えようとしているなか、人や荷馬車の流れが途切れることなく寄せては返す道の先。
その突き当たりにある広場を中心にして、無数の賑やかさを醸す店や食材を求める人達の活気で溢れているこの場所こそが、これから少女が向かう件の市場だ。
周囲を高い壁で囲われているこの街は、中心に位置するバジリカを基に東西南北……それぞれで産業区、居住区、商業区、行政区と分けられている。
街……とは言うが、実際は大きな都市のそれに近い。
大まかな区画整備はされているものの現在はその限りではなく、街全体を囲う大きく分厚い壁や巡回を行う衛兵、人の往来を記録する門番……元は何百年も前の人々が己の街を護る為に創り上げたそれらも、街同士の衝突が無くなった現在となっては形だけ。
街から離れた場所に点在する、かつて人々を護るために駐屯していた者達の……今は打ち捨てられ、朽ち果てた屋敷が当時の面影を残すだけである。
「━━ぷはぁっ……」
市場へと続く通りを歩いている少女の胸元で、右手で抱えられていたクマのぬいぐるみが近くに人がいないのを確かめてからその口を開く。
「なあ、リリー。何で他の人の前じゃあ、喋っちゃいけないんだ? 俺と同じように喋ってるヤツなんて……山ほどいるじゃないか」
「…………。だって……」
……少女の足が止まる。
「一緒にお話し出来るのが知られちゃったら……たぶんね、みんなから色々聞かれるの……」
「うん? 申請をしてる、してない、ってやつか? ……俺にはよく分からないけどさ、さっきのシスターはちょっとアレだけど……いつもの婆ちゃんになら、話してもいいんじゃないか?」
「うーん……」
「それにさ、あの婆ちゃん……エライんだろ? 周りが何か言ってきても、きっといい感じに味方してくれるって!」
「そう……かも。でも……そうじゃないかも……」
左手に持っていたバスケットを足元へと下ろし、少女は両手でクマのぬいぐるみを抱きしめる。
「ロッコと離れ離れになっちゃう……そんなの…………やだ……」
徐々にくぐもっていく少女の声。強く強く抱かれ……やや弓なりとなってしまう、クマのぬいぐるみの柔らかな体。
「…………わかったよ、リリー。ずっと一緒って約束しちゃったもんな。
でもな、ぬいぐるみの´ふり´って結構つらいんだぞっ? 簡単そうに見えるかもしれないけど、本当は……」
「うんうん。今はもう少しだけ、ぬいぐるみの´ふり´……頑張ってね、ロッコ!」
やがて……少女の耳に入り始める、周囲からの声や音。顔を上げれば、こちらに向かい歩いてくる幾つもの人影。
市場へと続く通りの中程で立ち止まっていた少女はそれに気が付くと、未だ愚痴をこぼしているクマのぬいぐるみをそっとバスケットの中に入れ、若いシスターから頼まれているおつかいに戻るべく再び歩き始めた。
……一歩、また一歩。
少女の足が前へと進むにつれ、通りの先にある市場からは昼特有の雰囲気が賑やかさとなって風と共に流れてくる。
それは騒がしくはあっても、決して耳を塞ぎたくなるようなものではない。どちらかと言えば……どこか居心地の良さすら覚えるような、少し不思議な感覚。
自身もそんな賑やかさの一つとなるべく、少女は立ち並ぶ人の林を縫うようにして市場の中へと入っていった。




