管理のお話。
一人の背の高い男と、青い短毛が美しいカーバンクルが歩いていました。
男は大きな日除けのついたハットを被り、厚手のシャツに厚手のズボン、茶色のロングコートを着ています。
ハイカットのブーツは程よく使い込まれていて、赤茶色の乾いた大地をしっかりと掴んでいます。
大きなカバンを背負っていますが、動きは軽快です。
カーバンクルは長い獣耳だけが出せるようになった真っ黒なフード付きローブを頭から羽織り、紐で括るタイプのジャケットに、ハーフパンツを履いています。
足裏を保護する目的だけの軽い靴を履き、太ももには旅道具を吊るためのバンドが巻かれいくつかの道具がカチャカチャと揺れています。
時折、獣耳がピコピコと愛くるしい動きで、周辺を索敵しています。
一人とカーバンクルが歩いている大地には、とても大きなモノが落とされた後のような窪みや穴が至る所に開いていて、それらはすべて右回りの螺旋跡がついていました。
草木がほとんど生えていないため、それらの跡をかなり遠くまで良く見渡すことができました。
「ヴァルゴ。本当にここがワームの巣なの?こんな乾燥地帯にワームが住んでいるなんて、聞いていないのだけれど」
ヴァルゴと呼ばれた背の高い男は、目線は前方に向けたまま考える表情をしました。
「そうですね、本来ワーム類は魔素の濃い森の奥深くの土に生息しているので……。簡単に推測すると、広大な森が一瞬にして枯れてしまったか、消えてしまったか……」
本当に大雑把なことしか言わずに、黙り込んでしまいました。
ヴァルゴはどちらかというとおしゃべり好きなうるさい男なので、黙り込んでしまったということはそれだけ事態が深刻なのかもしれません。
そうして、しばらく歩き、しばらく止まりを繰り返していると不意にヴァルゴが言いました。
「それで、エリスさんはどう思われますか?」
エリスと呼ばれはカーバンクルは、自分がだいぶ前にした質問の返しだと気づくのに少し時間がかかりました。
「んー、ワームの生態を知ったのだって、ここに来るまでのヴァルゴの話だけだし、私にはわからないはね」
そして、思ったままの率直な意見を返します。
ヴァルゴはそうですよねと言って、また黙ってしまいました。
夜が来ました。
早めに火を起こし本日の行程を終わりにしていたので、光が消えるころには乾燥肉と乾燥野菜のスープが完成。熱々と言いながらヴァルゴとエリスはあっという間に食べました。
荒れ果てた土地には生息しないはずの夜の虫が、心もとなくミーミー鳴いています。
枯風が砂埃を舞い上げると虫たちの声は消え、しばらくして戻ってきます。
「ワームは巨大な体で大地をほぐし、魔素の溜まりを解消する役目があります。
彼らはその身に蓄えた魔素を様々な場所へ運んだり、捕食されることで分配するのです。しかし、心無いものがその魔素を奪い取ろうと森ごと焼き払ったか、何か特殊な魔法を使ったのでしょう。
このままではこの大地に住んでいたすべての生命が死に絶えます。
明日はその心無いものの痕跡がないか、調べていきましょう」
ヴァルゴは旅荷物のほとんどを占めている防寒寝具にぐるぐるにくるまりながら、満天の星空を眺めています。
「わかったわ。まぁ、私ができることと言えば敵を脅すか、殺すことだけだけれど」
物騒な物言いはいつものことですが、その声音はどこか不安の色が見え隠れしています。
元来魔素の濃い森を好むカーバンクルからすれば、ワームが住むほど豊かな森は天国です。
それを消し飛ばしてしまうような存在は憎むべき相手ですが、それだけの強力な魔法を行使できる存在に相対して自分がどこまで役立てるのか――。
エリスはため息とともに眠りにつきました。
朝です。
あたり一面なにもないので、日の光があっという間に入ってきました。
地平線がゆらゆら歪みながら、影一つ落ちない大地を照らします。
ヴァルゴとエリスはすでに身支度を整え、薄明りの中行動を開始していました。
そして、大地を抉る右回りの螺旋跡を、下に下に降りています。その巨大な窪みは下に降りるほど緩やかになり、土の踏み心地も柔らかくなっていきました。
「これはワームが土の中から出てきた跡でしょう。おそらく、炎の魔法か土の魔法で大地に干渉し、ワームが飛び出てきたところを刈り取ったと思います」
「そんな広範囲で大規模な魔法を行使できる生命が、ヴァルゴ以外で存在するの?」
並外れた才覚と不和と争いの女神の加護を受けるエリスだからこそ、魔法でできることの限界を知っています。
そのものの持つ魔力でできることを理解したうえで、ヴァルゴが魔法の行使を示唆したということは、これから探し出すべき敵はとても強大な存在である可能性が一段と高くなったということです。
「魔法は全能ではありませんが、想像力と工夫で如何様にもできます……」
そう、とエリスは返すとまた窪みを降りていくことに集中します。
かなり降りてきたので土に湿り気が戻ってきたことと、より柔らかく足がどんどん沈み込む大地が続きます。
意識して踏み上げないとあっという間に沈んでいく足場は、会話を途切れさせるほどの歩きにくさです。
ふと、ヴァルゴが降りてきた窪みを見返します。
太陽が当たって乾ききった大地から、潤いのある柔らかい土まできれいにグラデーションしているように見えて、実は一定のラインから急に柔らかさに差が出ていることが見て取れます。
「そういうことですか……。分かりましたので、一旦地上へ戻りましょう」
少し慌てた様子でそういうと、膝まで沈んだ足をゆっくりと上下させて移動し始めます。
「どうしたのよ、折角こんなドロドロの場所降りてきたのに」
そう言ったところでエリスも何かを感じ取りました。
無言のままに元来た道を引き返していきます。
しばらくの奮闘のうち、沈み込みの弱い乾いた大地まで戻りました。
日の光がだいぶ高い位置から照らしてくるので、窪みの中はかなりの温度です。
「ワームは魔素を取り込む過程で、大地も柔らかく掘り返します。その作用でより豊かな森がはぐくまれていくのです。だから私は、ワームが通った後が柔らかい土になっているのは当然だと思っていました」
と、ヴァルゴが話し始めます。
エリスはかなり汗をかいていますが、涼し気な顔をして歩くヴァルゴを見てうんざりしています。
「しかし、あの沈む土はおかしいです。そこで考えがまとまりました。敵は大地の深い位置で細かな振動を起こしたのでしょう。その層はそれほど厚くはなさそうですが、驚いたワームが大地から飛び出してきた。微弱な振動を特定の範囲で少しの間起こすなら、負担も少ないはずです」
ローブの下の汗を乾かしながら、エリスは考えます。
ヴァルゴの着込んだ大量の衣服には風の魔法でも仕込まれているのではないかと。
体毛が汗で張り付くのを振り払い、少しだけ身なりを意識します。
「とりあえず、エリスさん。水の魔法でブーツの泥を落としてもらえますか?」
「確かにね、もう靴の中まで泥水が染みて気持ち悪もの」
どこまでもヴァルゴには余裕があります。
エリスはそれが羨ましく、そして憂鬱でした。
窪みの外、地上と呼べる位置まで戻ってくると相変わらずの乾いた大地が出迎えます。
「それで、これからどうするのかしら」
青く美しい短髪が、ローブを外したことで風になびきます。
少しだけ風に水の気配があるので、どこか遠くで雨が降っているかもしれませんが、ここからでは雲一つ見えません。太陽がサンサンと照り付けています。
「実は、一つだけ考えがありましてね。それで敵をおびき寄せることができると思います」
ヴァルゴが笑いながら勿体付けています。
「それで?」
冷たいエリスの反応が、切れ味のいい疑問符とともに飛んできました。
「はい……。敵はワームのいる場所をかなり正確にわかっている様子です。それはつまり……」
「ワームの持つ、魔素を感知する能力にも秀でているというわけね」
「ですので……」
「ヴァルゴが魔素を一時的に解き放って、感知させる。敵が現れたら、私が戦うってことね」
はい。と短くもどかし気にヴァルゴは答えます。もはや業務的ともいえる言葉のやり取りで完結しました。
「あなたはお城が落ちてこないように、必死に受け止めて、私はどこぞの誰かに襲われるというわけね」
いつも通りね。とエリスが言って、しばらく沈黙が続きました。
「さて、それではやってみますか。すべては過程のお話なので、上手くいくかわかりませんが」
フォローのつもりでかける言葉で、さらに厳しい立場に追いやられていくヴァルゴを、エリスは内心楽しんでいました。
一瞬だけ、エリスの意識が消えます。
そして戻った時には頭上に巨大な城が現れています。
ヴァルゴが魔素を開放し、その濃度に充てられて気絶したことに気付いたあたりで、城は音もなく落下し始めました。
その直径は、時間をかけて下った窪みがいくつでも入ってしまいそうなほど大きく、先ほどまでの明るさとの落差で真っ暗闇にいるような気さえします。
「何度見ても、こんな呪いを押し返せる、あなたの規格外さに驚くばかりだわ」
ヴァルゴは喋りません。むしろ、城を跳ね返すのに集中しているといった感じですが。
「そして、予定通りになったわけね」
そう言うエリスの視線の先には、恐ろしほどの速度で接近してくる何かがいます。
頭上の城以外比較対象がないため、どれくらいの距離があるのか分かりませんが、それは砂埃を舞い上げながら向かってきています。
「さてさて、私も頑張りますか」
旅荷物を吊ったバンドを外し、ローブを畳んでヴァルゴのそばへ置きます。
ピンと張りつめた獣耳が、逆立った体毛が、軋む筋肉が連動していくと、エリスの気配が変わります。
腕に刻まれた不和と争いの女神の加護が赤く光り、多くの魔素が素早く練り上げられると、炎と水の魔法を混ぜ合わせた鋭い一閃が対象へ向けて打ち出されました。
少し遅れて空気を割く破裂音が乾いた大地を揺らします。
敵は回避するためか、高度を上昇させていき、エリスの初撃は外れました。
「やっぱり、反応速度がすごくいいわね」
と言いながら、二撃目、三撃目と放ち、すべて回避されました。
敵も黙って突っ込んでは来ません。
回避の過程でどんどんと高度を上げ、エリスの視界から城の影へと消えていきます。
ヴァルゴがいる以上、この場所を大きく変えられないエリスにとってかなり不利な状況です。
「大地に眠れる実りよ、その力を解き放ち我に安息を与えたまえ」
エリスにとって土の魔法は詠唱でしか発動させられないため、実践ではほとんど使えません。
ですが、大きな城が立ちふさがっている時間でヴァルゴのいる位置だけ守りを強化します。
そして、再度炎と水の魔法を練り直し、迎撃態勢を整えました。
敵の姿は城の影なのでしょう。城の際を警戒していますが、姿を現しません。
「エリスさん。もう少しで魔素の引き合いが終わるので、そのタイミングで――」
「わかった! 早めにしてよね」
土の魔法によってできた障壁の中から、聞こえる声に返事をし、エリスは全身のあらゆる感覚をより研ぎ澄ませます。
城が消えました。
まるでそこにあったことが嘘であったかのように、霧が強風で散るように、あっという間の出来事です。
そして、敵の姿をエリスはハッキリと捉えます。
大きな大きな猛禽類の翼を広げ、盛り上がった全身の筋肉が翼に連動して躍動しています。四脚ともに太く鋭そうな鉤爪が生え、くちばしをカチカチと鳴らしながら上空を旋回しているそれは、まさにグリフォンでした。
練りに練ったエリスの魔法が放たれます。
それは空気を切り裂くよりも早く放たれたため、遅れて衝撃波が発生していきます。
グリフォンは突然の遮蔽物消失に隙を見せることはなかったものの、気が逸れている瞬間で左翼を貫かれてしまいました。
クルクルと旋回しながら、あっという間に地面に落ちました。
「うまくいったわよ。ヴァルゴ」
「それはよかったです。敵はなんでしたか?」
「グリフォンね。生きたグリフォンは初めて見たけど、すごく特徴があるから」
エリスは土の障壁を解き、ヴァルゴを引きずり出します。
土の魔法をうまく制御できるなら、崩れさせずにうまく穴だけ開けて出せるのですが、エリスにはできません。
砂埃を払い落としながら、ヴァルゴは一息つきます。
「グリフォンですか。彼らの言葉は独特なので、まだ通じ合えるかわかりませんが――」
粗方の砂を払うだけ払い、エリスの準備は待たずにすたすたとグリフォンへ近づきます。
どのみち、言葉もわからず、魔法で意思疎通を取るのも苦手なエリスにしてみれば、一切会話に混ざれない場に率先して向かう必要はありません。
ましてや、先ほど翼を打ち抜いた敵に快く挨拶してくれるとも思えません。
『初めてだな。私はヴァルゴ・アントロポイデスでごんす。失礼なんだが、誇り高きグリフォン殿。少しお話をさせろ』
「私は共通語を話す。××××語は不要だ」
しばし重たい空気が流れた。
「それはそれは。では、単刀直入に伺いますが、この大地を破壊したのはあなたですか?」
左翼をかばう様に地面に横たわる、大きな体のグリフォン。
傷を負っているとはいっても、その存在感を前にして堂々とした態度で臨める生き物はそうそういません。
「そなたは随分と歪な存在だ。先ほどまでの異常な濃度の魔素をどこへ消したのか私でさえも分からない。だが、まあいい。その通りだ。この森を破壊したのは私だ」
撃ち落された屈辱もさることながら、これほど堂々と自身の目の前に立ちふさがられるのもグリフォンにとっては初めてのことでした。
しかし、誇り高きグリフォンは滅多なことでは気を立てないことでも有名です。
「私は、私の目的のためにこの森を破壊した。そのことについて私は何の罪も感じない」
「その頭で何を考えているのか知らないけれど、ワームの住む森がいかに貴重かわかってるわけ?」
追いついたエリスが開口一番、横やりをグサッと差し込んだ。
「種族のためならば、必要を選ぶのみだ」
視線が交錯すると、一切引かない両者。もう一戦始まってしまいそうな勢いです。
「グリフォンは数百年前に会って以来ですが、その時でもかなり数が減っていたと思ったのですが、それが今回の行動の原因ですか?」
「そうだ。私らグリフォンは山間の平野を住処とし、森の賢者とも争わず生きてきた。しかし、住みよい平野は人によって壊され、戦場として荒らされ、焼きだされた。もはや、私らに残された道はただ一つ。新たな新天地を見つけるか、敵を殲滅せしめるための力を得るか。森の賢者がため込んだ魔素を使えば、強大な力を得られる。そして、私らの住処を取り戻すのだ」
メキメキと筋肉が軋み、羽をまき散らしながら広げられた大きな翼。
鉤爪が乾燥した大地を抉り、ヒビを走らせる。
立ち上がったその姿は、大きなヴァルゴでさえも小さく見えるほどで、足の太さがエリスと同じくらいある。
「待ってください。最後にもう一つだけ質問です。ワーム、森の賢者がため込んでいた魔素をあなたはそれほど宿していない。どこにやったのですか?」
グリフォンは表情を変えない。それが当然のことであるという認識があるから。
「森の賢者は砂に還り、やがてそこは草原となる。草木は茂り、やがて枯れ、幾度となく繰り返すうちに太古の森へと育っていくのだ。命長き私らだからこそ、いつまでもそこへ寄り添い、共に生きるのだ。繰り返しの始まりを私らでやり直すのだ」
ヴァルゴは満面の笑みを浮かべました。それを見てエリスは少し引きました。
「なるほど、流石は誇り高きグリフォンですね。古代の血を持つ貴方たちなら森の賢者の魔素を吸収し、世界を作り変える魔法を使えるでしょうに。あくまでも自然とともにですか」
グリフォンは返事をしませんでした。
沈黙をもって肯定としたのでしょう。
そして「あなたの名前を教えてもらえますか?」とヴァルゴは問いかけました。
「私の名はスルシュ。森の賢者と話すものなり」
突風と合わせてスルシュは飛び立ちました。
風に合わせてまばたきをしていたら、あっという間に豆粒のような大きさまで小さくなってしまいました。
青空の中で、スルシュの作る黒い点だけがポツンと移動していきます。
大地に残されたヴァルゴとエリスは、その姿が見えなくなるまでその場にいました。




