第百六十七話 そもそもの理由
シュヴァルトは歓喜していた。
確かに、マスターの決断に彼女が拒否をすることなんてありえない。
しかし、嫌だった。
マスターの側にいられることができず、マスターの所有物でなくなることが。
「……ふっ、……っ」
褐色の肌を紅潮させ、じーっとマスターを見つめる。
その瞳は、マスターを盲目的に慕う『救世の軍勢』メンバー特有のものであった。
くねくねと身体をやけに動かすというなかなか気持ち悪いこともしているが、これはシュヴァルト以外誰も気づいていなかった。
「……おや、どうしてですかな?対価は十分だと思っているのですが……もしかして、まだ足りませんかな?」
奴隷商人の言葉に、首を横に振るマスター。
そして、たとえいくらお金を積まれようとも、シュヴァルトを売り飛ばすつもりは毛頭ないことを付け加えた。
「……何故?そこにいるのは、ただの使用人。どれほど優秀かは知りませんが、いくらでも代えの利く者でしょう」
――――――とても大切だからだよ。
奴隷商人の言葉に、マスターは微笑んで返した。
シュヴァルトは一つ身体を大きく震えさせると、落ち着いた。クールダウンである。
「一瞬、あなたの反応を見てひやひやしていたけど、私の杞憂だったようね。謝罪するわ」
クスリと微笑んで言うルーフィギアに、マスターは首を横に振る。
「……ふむ、残念です」
奴隷商人はあっさりと引き下がる。
そのことに、ルーフィギアは眉をひそめる。
こんなにあっさりと引き下がるような男が、奴隷商人なんてしているだろうか。
彼女の懸念は、正しかったとすぐに証明された。
「なら、仕方ありませんな」
その奴隷商人の言葉が合図だったように、後ろに控えていたグレーギルドの男たちが武器を持って一歩前に出る。
「……どういうつもりかしら?」
「どうもこうもありません。譲っていただけないというのであれば、無理にでもいただくだけです」
「酷い商人もいたものね」
「それほど、エルフ種というものは私のような者には魅力的なのですよ。あなたたち一人を売り飛ばすだけで、一体どれほどの金が懐に入ることやら……。想像するだけで、幸せになれそうなほどですよ」
奴隷商人の下種な笑みに、ルーフィギアは思わず舌打ちをする。
ちなみに、シュヴァルトは熱くなった頭と身体を落ち着かせることで手一杯だった。
暴走して、マスターの上にのっかかるわけにもいかないため、一生懸命クールダウン中である。
「貴族様。そこのダークエルフの使用人を譲っていただけていれば、私どももこのような強硬な手段には訴えかけなかったんですよ?しかし、もう遅いです。使用人だけならず、そこのエルフの奥様もいただいていきましょうか」
ニヤニヤと、マスターを絶望させるような言葉を選んで言う奴隷商人。
当のマスターは、ルーフィギアはよく分からないが、シュヴァルトはグレーギルドメンバーに負けるような女ではないことを知っているし、そもそもルーフィギアは妻ではないしということでまったく絶望していなかったが。
「まあ。怖いわ、あなた」
「おい」
いや、絶望していた。
ルーフィギアがおちゃらけてマスターの身体に抱き着き、トリップ状態から復活したシュヴァルトがタイミング悪くその光景を目撃。
ドスの効いた声を出す。
おふざけで、マスターの精神は昇天しかかっていた。
「最後の会話は、それでよろしいですかな?……お前たち、やれ」
『おう!!』
奴隷商人はそう言って、グレーギルドメンバーをけしかける。
言葉にしなくても、すでにやることは決まっている。
エルフ種の女二人は生け捕り。もう一人の男は殺害、できれば生け捕りだ。
女二人は言うまでもなく、貴族の男も見た目はかなりいい。
地方領主の常に楽しみを求める妻や、他国の美男を囲っている貴族の女に言い値で売れるだろう。
そんな考えの凶刃が、彼らに襲い掛かろうとして……。
「――――――そもそも」
冷たい声と共に、最もマスターたちに接近していた二人の男の首が飛んだ。
頭部を失った身体は、少し時間が経ってからようやく自分が死んだことに気づいたように、ゆっくりと倒れた。
歓声と共にマスターたちに襲い掛かっていた男たちが、嘘のように静まり返る。
全員の視線が、シュヴァルトに注がれる。
彼女の手にいつの間にか持たれていた剣には、べっとりと血が付いていた。
しゃがんだ状態だったシュヴァルトは、悠々と立ち上がる。
「あなたたちがエルフの子供たちを攫い、私たちにまで害を加えようとしなければ、私はこれほどまで苛立たしい思いをしなくても済んだんですよね」
「ひ……っ!!」
誰の声だっただろうか。
もしかしたら、シュヴァルトの感情を見せない目に映されていた奴隷商人とグレーギルドのメンバー全員の声だったのかもしれない。
「皆殺しです」
シュヴァルトはその言葉と同時に、駆け出した。
メイド服という動きづらそうな衣服を着用しているにもかかわらず、この場にいる誰よりも早く駆け巡る。
まず、シュヴァルトの一番近くにいた男が犠牲になった。
最初の二人と同様、首を裂かれて絶命する。
次の男は、自分目がけて走り寄ってくるシュヴァルトに恐怖の悲鳴を上げながら、剣を顔の前に立てて首元をガードする。
しかし、そうすると胴体ががら空きになるのは当然だった。
腹部に剣を突き立てられ、腹を切り裂かれる。
そして、崩れ落ちる彼の頭を蹴りぬいた。
力の抜けている状態で鋭い蹴りを叩き込まれた男の首は、おかしな方向へとねじ曲がってしまった。
ただ、シュヴァルトが来るのを待っているだけの者たちもいなかった。
剣を振りかざし、彼女に襲い掛かる者たちもいた。
このまま待っていても、殺されるだけである。
彼らの判断は賢明であった。
ただし、無意味であった。
「ふ……っ」
振り下ろされた剣を、シュヴァルトは片手で持った剣で容易く受け止める。
男が全力で振り下ろした剣を、華奢な女が片手で、である。
唖然としているところを、剣を切り払われ、男も首を飛ばされる。
この一瞬で、シュヴァルトに三人も殺されてしまった。
「……あの子、本当にダークエルフなの?私の知っているダークエルフと違う……」
ルーフィギアは困惑した表情を見せる。
エルフもダークエルフも、魔法の使い手である。
前者がサポート系の魔法、後者が攻撃系の魔法といった得意な魔法を持っているが、近接戦闘をバリバリにこなすエルフ種なんて聞いたこともなかった。
「そう……あの子にも、何かあるのね」
マスターが苦笑しながら、シュヴァルトにもいろいろあるからと言う。
彼女がマスターの元にいるようになったのにも、紆余曲折とした過去があったのだから。
「……まあ、今はそんなことを考えている時ではないわね」
ルーフィギアは木でつくられた弓を手に持つ。
三本の矢をつがえると、それを放った。
それぞれの矢はまるで生きているかのように動き、グレーギルドの男たちを撃ちぬいて行った。
目を丸めて驚いているマスターに、ルーフィギアは微笑みかける。
「どう?これで、同点よ」
敵を倒した数を点数化して競っているのはあまりいいこととは思えなかったマスターであるが、嬉しそうにしているルーフィギアに何も言うことができずに苦笑する。
そして、それが聞こえていたシュヴァルトはピクリとこめかみを反応させる。
「……何の勝負ですか?というか、戦えるなら早く矢面に立って戦ってください。もともと、あなたの依頼でしょう」
「依頼を受けたのなら、頑張ってちょうだいよ。あなた、冒険者ギルドのメンバーなんでしょ?……それとも、私よりも弱いのかしら?」
ルーフィギアの言葉に、ピタリと身体を止めるシュヴァルト。
ルーフィギアからすれば、彼女に発破をかけるための簡単な挑発のつもりであった。
しかし、先ほどから必要以上にマスターに密着していたのを、最早恨みに近い感情で傍観していたシュヴァルトには我慢することができなかった。
その怒りの吐け口となったグレーギルドの男の首が、また一つ飛ぶ。
「いいでしょう。そちらがそのつもりならば、是非もなし。私もお相手いたしましょう」
ブンッと剣を振って血を払う。
その冷たい目に見つめられるのは、仲間を半数にまで減らしたグレーギルドの男たち。
全滅するのに、そう時間はかからなかった。




