第百六十六話 演技と交渉
シュヴァルトは猛烈にイライラしていた。
表向きは無表情であるが、心の中は普通の少女と変わらない感情の豊かさである。
ゆえに、今のこの状況にも腹立たしさを覚えていた。
「大丈夫よ。私の考えに、間違いはないわ」
マスターが苦笑しながら本当にこれでいいのかと聞くと、ルーフィギアが自信満々に胸を張る。
「(私より小さいくせに、何を誇っているんですか)」
そんな暴言を吐きたくなるシュヴァルトであったが、流石に品がないと自嘲する。
これが、ララディやヴァンピールとの違いである。
「あなたの考えは理解できないでもないです。強欲な奴隷商人ならば、私たち希少なエルフ種を囮にすれば、飢えた魚のように食らいついてくることでしょう」
「そうでしょう?」
「ええ。……でも、このような三文芝居をする必要なんてないですよね?」
底冷えする声を出すシュヴァルト。
その声音に、ルーフィギアではなくマスターがびくりと背を伸ばす。微笑んだままだが。
何を怯えているというのだろうか。
シュヴァルトは、別に彼に向けて負の感情を向けているわけではないというのに。いや、本当に。
「いえ、これは絶対に必要な演技よ」
ルーフィギアはそう言って、マスターの胸にもたれかかる。
「――――――そう、私とマスターが夫婦の演技をするということは!」
「何故ですか!!」
普段から冷静沈着を心掛けているシュヴァルトが、珍しく声を荒げる。
彼女の目の前に広がる光景とは、仲睦まじそうに一頭の馬にまたがるマスターとルーフィギアというものだった。
「いきなり奴隷商人たちを襲撃するのは下策よ。あいつは、グレーギルドに依頼を出して護衛をつけているんだから。となれば、奴らをおびき寄せる必要があるわ」
「その考えが、どう間違って今のトチ狂った状況になっているんですか」
「私たち三人組が道に立ちはだかっていたら、どうかしら?おびき寄せるどころか、警戒されて避けられるのが落ちよ。なら、演技をするしかないでしょ」
「…………」
なるほど、納得はしないが、理解しないわけではない。
そもそも、シュヴァルトも言っていることは分かるのだ。
ルーフィギアの言うことを想像すれば、確かに怪しい。
「だからといって……」
「だって、これが一番自然なんだもの。マスターは品のある容姿だから、地位のある者……貴族にぴったり。私はエルフだけど、貴族の嫁だとすると珍しくはあっても不審ではないわ。そこに、使用人の恰好をしているシュヴァルトがいれば完璧よ」
マスターが品のある男だということには、存分に賛成しよう。
貴族として一領地を治めるどころか、世界を治めるだけの器がある。
しかし、どうにも納得できなかった。
「……では、どうしてそこまで身体を密着させる必要があるんでしょうか?」
マスターの首に腕をからませるルーフィギアに、シュヴァルトの目から光が失われていく。
彼女の瞳に宿るのは闇。
『救世の軍勢』メンバーがマスターのじゃれついている時と、同じ反応である。
「だって、私、馬に乗るのは得意じゃないし。落ちたら危ないでしょ?」
「落ちろ」
やれやれと首を振るルーフィギアに、無表情のシュヴァルト。
マスターの胃がキリキリと痛み始めたころ……。
「あら、来たようね」
ルーフィギアが唐突にそう言った。
マスターが目を辺りにやるが、視界に奴隷商人たちの姿はない。
もちろん、彼の広範な気配察知には引っ掛かっているのだが、どうしてルーフィギアは知ることができたのかと聞く。
「ああ……私たちエルフは、木々の声を聴くことができるの。ここは少し開けた場所だけど、林道だからね。色々と教えてくれるわ」
「…………」
マスターはほーっと感心したように微笑み、それを見たシュヴァルトがルーフィギアに対する嫉妬心を高めていく。
現状、マスターの役に立っているのはあのいけ好かない女だということになる。
『救世の軍勢』メンバーとして、それでいいのだろうか。
否、こんなことでは終われない。
シュヴァルトの目に、小さく火が灯る。
「おや、そこの御三方。こんな所で、何をしているんですか?」
シュヴァルトが決意したと同時、林道から男たちが歩いてくる。
粗暴で獰猛な笑みを浮かべているのは、皆奴隷商人の護衛をしているグレーギルドの人間だった。
そして、彼らの先頭に立って、ニコニコと太った顔を笑顔にしているのは、彼らを雇う奴隷商人であった。
「私たちは遠乗りに来たのよ。この人、いつもお仕事が忙しいから、こういった時間を私たちはとても大事にしているの」
ルーフィギアはそう言って、マスターの胸に身体を寄せる。
シュヴァルトの立つ大地がピシリとひび割れたが、幸いにも誰にも気づかれることはなかった。
……いや、マスターが気づいて顔を青くしていた。
「ほほう!それはそれは、仲がよろしいようでなによりです」
「それで?あなたたちはどういった用件なの?私たちのように、仲睦まじく遊びに来た……というわけでもなさそうね」
「ええ。我々は、ちょっとしたビジネスで来ておりましてね……。しかし、どうにもうまくいきませんで、意気消沈しながら帰ろうとしておったときなのです」
ふうっと大きくため息を吐く奴隷商人。
太り過ぎだから息切れでもしたのかとシュヴァルトは思ったが、これは違ったようだ。
「それで、そこのお方……貴族の方とお見受けしますが、お間違いないですかな?」
マスターは一瞬違うと否定しかけるが、ルーフィギアが笑顔のまま彼の脇腹をつねったことでコクリと頷く。
それを目ざとく見逃さなかったシュヴァルトは、あとでルーフィギアの皮膚がねじ切れるくらいの強さでつねり返してやろうと決意するのであった。
「おお!では、貴族のお方。……私と取引いたしませんかな?」
その言葉に、マスターは首を傾げる。
奴隷商人が欲望で満ちた目を向けるのは、怒りを押し殺して無表情を決めていたシュヴァルトであった。
「そこの使用人、おいくらほどでお売りになられますか?」
「どういうことかしら?」
奴隷商人の言葉に答えたのは、シュヴァルトでもなければマスターでもない、ルーフィギアであった。
「私、恥ずかしながら人の斡旋を生業にしておりまして……。そちらの使用人、とても魅力的です。ですから、是非私に売っていただけないかと思いまして……」
シュヴァルトは自分の売り買いの話をされているが、恐怖を覚える前に少々面喰らっていた。
まさか、こんなに堂々と人間――――正確にはエルフだが――――の売買について持ちかけてくるとは思っていなかったのだ。
「(まあ、こんなに多数でやってきていれば、回りくどいことをする必要もありませんか……)」
シュヴァルトは奴隷商人の後ろに立っているグレーギルドのメンバーたちを見て思う。
「そこな使用人は、ダークエルフと見受けられます。これほど珍しい『もの』は、なかなかお目にかかれません」
「(私はもう『もの』の扱いですか)」
マスターにもの扱いされるのは、想像すると少し胸が高鳴るが、デブの奴隷商人に言われると不快でしかなかった。
「……ちょっと」
奴隷商人の言葉に、マスターは微笑んでいる。
いつもと変わらないように見える笑みに、ルーフィギアが咎める視線を送る。
「そこのダークエルフなら、私が持ちうる財産の多くを払うこともできます!いかがですかな?」
奴隷商人もマスターの表情に脈があると思ったのか、ここぞとばかりに言いつのる。
彼が提示した額は、それこそかなりのものであり、たとえ貴族でも目を見開いてしまうほどのものであった。
ルーフィギアは不安を覚え、マスターを見上げる。
シュヴァルトは無表情で、ただ彼の言葉を待つ。
もし、マスターが彼女を売り飛ばすと言えば、彼女は黙って受け入れるだろう。
シュヴァルトがマスターに不平不満を言うことはありえない。
多くの人の視線が集まる中、マスターが下した答えは……。
――――――断る。
笑顔のまま、そう短く答えたのであった。




