第百四十九話 癒しの温泉
「(はふー……。マスターの身体に包まれながら移動するというのも、なかなかに素晴らしいものですわね!!)」
ヴァンピールは今の状況を存分に楽しんでいた。
というのも、彼女はマスターのお姫様抱っこをしてもらっていたのである。
彼の服をギュっと握り、スリスリとほおずりする。
「(スンスン……。あぁ……良い匂いですわぁ……。あ、あまり嗅がないようにしませんと……自重できなくなってしまいますわ……)」
ついいつもの癖でマスターの匂いを堪能しようとしてしまい、慌てて顔を背ける。
ララディなどはマスターの匂いを嗅いで身体をビクビクとさせているが、ヴァンピールはマスターを嗅ぐとどうしても血の匂いを嗅ぎ分けてしまうのだ。
「(我慢……我慢ですわ……!)」
ヴァンピールにとって最高級ワイン以上の価値のあるマスターの血だが、今はそれを求めることはできない。
血を求めないことを前提に、今彼女はマスターと外に出かけることができているのだから。
今、ヴァンピールはマスターと共に街のはずれにある露天風呂に向かっていた。
それは、太陽魔法を使うような激しい戦闘で疲弊した彼女を慰労するためのものであった。
ヴァンピールはマスターの血を吸えさえすれば完全復活するのだが、マスターはそれだけではどうかと言い、風呂に入って慰労することを提案したのである。
「(マスターとデート……ですわね!!)」
頭がピンク色のヴァンピールが、その提案を拒否するはずもなかった。
さらに、マスターの血を吸うのが少々申し訳なかったということもある。
以前のリトリシアとの戦闘後もかなりの量の血をもらい、今のソルイド戦の血である。
しかも、太陽魔法まで使ったので、その量はリトリシア戦よりも多くなるだろう。
あまりマスターに迷惑をかけるわけにもいかない。
ということで、風呂で慰労することにしたのであった。
「うふふ。マスターは、わたくしを軽々と抱き上げてくださるんですね」
さらに、役得なのはマスターに抱き上げて運んでもらっていることである。
ヴァンピールが甘えれば、今のマスターは何でも言うことを聞いてくれそうな感じさえしていた。
「……歩けると思うんですが。マスター様に甘えすぎでしょう」
マスターの斜め後ろ、つまり、自分の斜め後ろからちっと舌打ちをするのはメルである。
ヴァンピールの眷属である彼女も、この慰安に付いてきていた。
彼女としてはご遠慮願いたいところだったのだが、眷属だからと普段では絶対に言わないようなことを口にして、強引についてきやがった。
こんなことをされると、ゲヒルネッドのように眷属を完全支配しておけばよかったと思うのであった。
しかし、マスターが大丈夫だと言ったことで、ヴァンピールは機嫌を良くする。
「ほぅら!マスターもこうおっしゃっていますわ!使用人風情がとやかく言う権利などありませんわ!」
「……マスター様は、ヴァンピール様に甘すぎです」
僕も今使用人なんだけれど……というようなマスターの呟きは、ヴァンピールには届かなかった。
そんな感じで、ヴァンピールたちは目的地に向かうのであった。
◆
その露天風呂は、街よりも高い位置に存在していた。
自然が作り出したもので、誰かが生み出したり管理していたりするわけではない場所のようだった。
しかし、ここを風呂として使う者がいるのだろう。
石でしっかりと整備されており、今からでも入れそうだ。
「メル。温度を確かめなさいな」
「ちゅうちょなく私で試そうとしますね。まあ、しますけど」
ヴァンピールに指名されたメルはヴァンピールに命令されたことを嫌そうにしながらも、同じく使用人の立場であるマスターに試すようなことをさせるわけにもいかないので、仕方なく自分が実験台になることにする。
メルは逡巡することなく、腕をお湯の中に突っ込んだ。
そして、その体勢のまましばらく待機……。
「……大丈夫みたいです。温度も、ちょうどいいくらいかと」
「そうですか!まあ、秘湯というくらいなのだから、入れないことはないだろうと思いましたけれど」
メルの報告を聞いて、未だにマスターに抱かれたままのヴァンピールは嬉しそうに笑う。
彼女もかなり歳をとっていると言っても女。良い湯につかることができるのは、嬉しいのである。
それに、理由はまだあった。
「さ、マスター!衣服を脱いで、共に入りましょう!」
そう、貸切である以上、ここは混浴である。
マスターの裸を見て脳に焼き付ける気満々のヴァンピールは、鼻息荒くマスターに顔を寄せる。
これには、流石のマスターも激しくうろたえる。
助けを求めて、何かとヴァンピールに厳しいメルを見ると……。
「いえ、主人と使用人が一緒の風呂に入ることは、不敬だと考えます。使用人は使用人だけで入りましょう」
…………!?
マスターは悟った。どっちにしてもダメじゃないか、と。
ヴァンピールは間違いなく成熟した女性であり、メルも子供のようだとはいえ実年齢はなかなかのものである。
自分の娘のような存在と、その眷属を相手に風呂なんて一緒に入っていいようなものだろうか。
子供ならまだしも、相手は二人ともいい年をした大人である。
「まあ、今回はヴァンピール様の慰安です。ヴァンピール様が求めることをしてあげることが、何よりも慰労になるとは思うのですが……」
メルの言葉に、マスターは返す言葉を思いつけないのであった。
◆
結果、マスターはヴァンピールの背中を流すことになった。
ヴァンピールからすれば、それだけかと少々不満ではあるのだが、メルに『これ以上求めれば確実に拒絶される』と諭されたことによって、これで手打ちすることになったのであった。
まあ、普段であればそのようなことも絶対にできないのだ。
「(本当、吸血鬼ハンター様様ですわね!)」
太陽魔法まで使わせるほど手こずらせてくれたのは腹立たしいことだが、結果としてマスターとこのように素晴らしい機会を与えてくれたことには感謝しよう。
さて、マスターとこんな美味しい機会があるということは、マスターの情報を様々な手段で収集している『救世の軍勢』メンバーにも伝わっているだろう。
彼女たちが仕事場所から集まってくる前に、さっさと終わらせてしまうとしよう。
「お待たせしましたわ、マスター」
ヴァンピールは胸元に手を当てて、マスターの前に姿を現した。全裸で。
今、マスターの目には彼女の女らしい肢体が映っていることだろう。
豊満な胸、括れた腰、肉付きの良い臀部。そのすべてが。
「さあ、マスター!いいんですのよ!?」
ヴァンピールは羞恥心を一切感じさせずに、そう言うのであった。
自分の身体に自信を持っている彼女は、マスターが少しは反応してくれることを期待していた。
しかし……。
「わぷっ」
マスターは顔いっぱいに苦笑を浮かべながら、大きなタオルを彼女の頭からかけるのであった。
「むぅ……。マスターには、お見通しなんですのね……」
何となくそんな感じでくることは分かっていたと言われて、ヴァンピールは頬を膨らませる。
どうやら、マスターをその気にさせることはとんでもなく難しいことのようだ。
まあ、ララディやソルグロスたちが迫ってもすげなく断られているらしいし、今は安心していてもいいだろう。
「といっても、あんな貧相ズのことなどあてになりませんか」
前をタオルで隠しながら、ヴァンピールは嘲笑う。
ララディが聞いていたら癇癪を起こし、ソルグロスは身体をグラマラスなものへと変えそうな発言である。
しかし、確かにヴァンピールのスタイルは良く、彼女が自信を持つことも分かる。
「いえ、なんでもありませんわ」
どうかしたかと首を傾げて聞いてくるマスターに、ヴァンピールは首を横に振る。
「それでは、身体を拭いていただけますか?マスターが仰るのであれば、わたくしは後ろだけでなく前を洗っていただいてもよろしくてよ!!」
「では、それは私がやりましょう」
ヴァンピールがバッと振り返ると、まるでリッターのように無表情のメルがちょこんと座っていた。
手には、とても柔肌を洗うには痛そうなボディタオルが……。
「何でメルですの!?マスターを返してくださいまし!!」
「ヴァンピール様も嫁入り前です。女の柔肌を傷つけるような洗い方をされるかもしれませんし、私で我慢してください」
「いずれマスターにもらっていただくので、余計なお世話ですわ。……というより、そのタオルなんですの?やけにゴリゴリしていそうな……」
「我慢してください」
「いや、そっちの方がわたくしの肌に傷がつきそうですわ!マスター!戻ってきてくださいましっ!!あ、ちょ……痛いっ!?」




