冒険致しましょう 一の一
戦闘の描写がありますので、苦手な方は気を付けて下さい。
一
まとわりつく様な湿った空気に、馬車を降りたクリスティアは眉を潜めた。光さえ遮る木々のせいか風もほとんど吹かない。
魔の森へ入って早々、クリスティア達は馬車を止める事になった。理由は簡単だ。この、息が詰まりそうな圧迫感。仄暗い木々の隙間から、こちらを伺う気配を隠そうともしない。確認するまでもなく、魔物が辺りを囲んでいた。
「やれやれ。早速おでましとは、魔物さんも暇なのかね」
エルの言葉に、クリスティアは口角を上げた。
「では、少し撫でて差し上げましょう」
「いや、君達は馬車の中にいてくれ。あいつらの相手は俺達がする」
クリスティアは半眼になって、ロイを睨み付けた。
「あら、ロイはわたくし達が足手まといになると思っているのかしら。アンゲルから何も聞いておりませんの?」
「聞いてはいる。だがやはり、女性に戦わせるのは抵抗があると言うか……」
「ふふふ。その優しさは嬉しいですが、わたくし達には不要ですわ」
クリスティアが踵を踏むと、馬車の真下に魔法陣が浮かぶ。微かな光が馬車を包んで消えると、落ち着きを失っていた馬が地に座り込んで眠り始めた。その光景にロイが目を瞠った。
「結界かっ」
クリスティアは頷くと、腰に佩いていた剣を鞘から引き抜く。水晶の様に透き通った刀身が現れた。刃こぼれ一つ無く、曇りすらも無い刀身は、どこか清浄さを感じさせる美しさがある。
「片刃の魔剣、ね。その刀身は魔石か。随分と珍しい物を持ってるな」
「エルにはわかりますの」
「まあね」
エルは肩を竦めてみせた。その姿をみやって、クリスティアは腰を落とす。そうして、自分の魔力を剣へ流し込んだ。透明だった刀身がクリスティアの魔力を受けて、淡く青い色に輝いた。
「ハンナ」
「はい、お嬢様」
「あ、おい!」
ロイの静止の言葉を無視して、クリスティアとハンナは地を蹴った。同時に、高まっていた圧迫感が破裂する。影に身を潜めていた魔物が木々を薙ぎ倒しながら、何体も現れたのだ。
巨木を彷彿とさせる腕。人の何倍もある巨体。肌は浅黒く、理性を感じさせない瞳は血走り獲物達を見据えている。
オーガだ。
一瞬のうちに距離を詰めたハンナは、横に薙いできたオーガの腕をかがんで避ける。反動をつけて、いまだ頭上にある腕を蹴り上げた。ミシリ、と嫌な音がする。着地すると、流れるようにオークの横腹に拳を叩きこむ。オーガの体が横に吹き飛んだ。華奢に見えるハンナからは想像も出来ない威力だった。
そのハンナの背後から、別のオーガが腕を振り落とそうとしていた。
クリスティアの一閃が走る。血の一滴も垂らすことなく、オーガの腕が巨体から離れて大地に落ちた。クリスティアの斬った場所が、凍りついていた。そのまま態勢を崩すことなく、クリスティアは剣でオーガの胴を撫でる。青い軌跡が消えた後、腕と同じように切断面を凍らせてオーガの体が二つに分かれた。倒れていくオーガを一瞥して、クリスティアは別のオーガへ剣を滑らせた。
圧倒的な物量に囲まれながら、クリスティアとハンナは互いの隙を補い合うように敵を屠っていく。ハンナが敵を散らし、その中をクリスティアが舞うように駆ける。息の合った動きだった。
「ありえない……」
ぽつりと、ロイが言葉を零した。ロイが今まで見てきた、普通の人間の女性からは考えられない動きなのだ。そもそも普通の女性が、オーガを見て平静でいられるはずがない。そんな中、平静どころか、まさか戦って倒すとは思いもしなかった。
「さすが『銀冠の魔女』って所じゃないかねー?随分と戦い慣れている」
「ああ。これなら二人で冒険者になろうとするのも頷ける」
「クリスティア嬢は魔法と魔剣、ね。ハンナ嬢は身体強化魔法。それも、普通の補助魔法とは比べ物にならないくらいの上がり幅だな」
「だが、あの補助魔法はいつかけたんだ?」
「常時発動みたいだなー。と、おい見ろよロイ。ハンナ嬢は暗器も使うみたいだぞ」
言われてロイはハンナへ視線を向ける。ちょうど、ハンナが袖から小振りのナイフを出した所だった。そのナイフをオーガの顔めがけて投げる。目に突き立ち、痛みに怯んだ所を蹴り飛ばしていた。ちゃんとナイフを回収するのも忘れない。
ハンナの戦いぶりを見ていたエルが、唇を一舐めする。その姿を見止めて、ロイは嘆息した。だが、エルの気持ちも分かる。こんな戦いぶりを見たら、さすがにロイも血が騒ぐ。その時だった。まるで示し合わせたかのように背後から強烈な殺気を感じて、ロイとエルは飛びのいた。
「やれやれ、俺達も動きますかねー」
言うが早いか、エルの姿がぶれる。次の瞬間には、オーガが地面に顔を埋めていた。
「初めから飛ばしすぎだろ」
エルを非難しながらも、ロイの口の端も上がっている。眼前には、オーガの拳が迫っていた。それに慌てる事も無く、片手でオーガの拳を受ける。足元にはヒビが入ったが、ロイ自身は無傷だ。まさか受け止められるとは思っていなかったのだろう。驚愕に目を開いたオーガの顔を掴んで、力の限りに叩き伏せる。動かなくなったオーガから手を放して血を払うと、深い緑の瞳を獰猛に輝かせた。
バランスを崩しながら身を屈めたクリスティアの頭上を、重い音と一緒に風が通り過ぎる。それを視界の端に留めながら、目前にあるオーガの足を斬り払った。同時に、強烈な殺気が横から襲ってくる。避けなければ、と思うが態勢を持ち直す事が出来なかった。
当たる。そう思って、クリスティアは防壁を張りながら衝撃に備えた。だが、来るはずの衝撃は無く、代わりに地面が揺れた気がした。
「よう。お手伝いしましょうか、お嬢さん」
オーガの巨体を地面に沈めて、ロイが不敵に笑っていた。膝立ちになっていたクリスティアは、呆れたように嘆息した。
「あなたの助力は必要ありませんでしたわ」
ロイは肩を竦めると、クリスティアの背後に回った。
最初に比べれば、だいぶオーガの数は減ってきている。だがそれでも、一体一体が頑丈で知恵も働く。正直、戦いずらいのが本音だった。だが、ロイの助けを素直に喜ぶのは、なんだか気に入らない。
クリスティアは正面から迫ってきたオーガを、一刀の元に斬り伏せた。背後から迫ってきた敵はロイが叩き伏せ、予備動作も無く横から襲ってくる敵の腹へ拳を叩きこむ。怯んだ敵は、クリスティアが止めを刺した。
そうしてしばらく戦えば、辺りを覆うようだった気配が無くなった。注意深く周辺の気配を探って敵がいない事を確認すると、クリスティアはようやく体の力を抜いた。
あがった息を整えつつ、剣を振る。たった一振りで血が払われて、美しい刀身には一滴も残らない。それを鞘にしまった。
「大丈夫か?」
声のした方へ視線を向けて、クリスティアは憮然とした。ロイもエルも、素手で敵を屠っていたというのに、息一つ乱していなかったからだ。それが何故か悔しい。だが、それを顔に出すのもまた悔しいので、表情には出さなかった。
「もちろんですわ。ロイこそ大丈夫でして?」
「ああ。ただ、オーガを倒しながら移動したせいで、馬車から随分離れてしまったな。戻るのが大変そうだ」
周辺を見渡して、ロイが苦笑を零した。
「それでしたら問題ありませんわ」
「そういえば転移魔法があったな。これだけ戦った後なのに大丈夫なのか?」
「御心配には及びませんわ」
確かに息はあがったが、魔力はまだまだ満ちている。このくらいでクリスティアが魔法を使えなくなる事は無い。
「そうか。それなら二人を呼んだ方がいいな」
「その必要もありませんわ」
「どういう事だ?」
「お嬢様は、遠い地にある人や物をご自分の元へ転移させる事が出来るのです」
ロイの疑問に答えたのは、いつの間にか側に来ていたハンナだった。その手には大きな麻袋がある。中身が気になるが、今はそれよりもハンナが言っていた事の方が気になった。
「クリスティアは遠隔転移まで出来るのか?」
「ええ。条件がありますが、それさえ揃えば簡単ですわ」
言いながら、クリスティアはハンナから麻袋を受け取った。それに浄化の魔法をかけて、ウエストポーチへとしまう。
「浄化の魔法に、空間魔法のかかった魔道具……。俺はもう、君がこれ以上なにをしても驚かない自信がついたな」
ロイは頭をガシガシとかいた。
「で?その麻袋の中身は何なんだ?」
「これは、オーガから手に入れた魔石ですわ。せっかく魔の森に来たのですから、換金アイテムは手に入れておくべきでしょう?それに、依頼もありますし」
「なるほど……。換金は分かったが、依頼なんて受けてどうするんだ?転移でギルドまで戻るとか言わないよな」
「もちろんですわ。依頼の物が揃いましたら、アイテムだけギルドへ転移させるのです」
ふふふ、と笑うクリスティアに、ロイは呆れた表情を浮かべた。
リュスティカを出る前に、クリスティアは何個かアイテム収集の依頼を受けていた。こういった依頼は、受けたギルドへ提出して完了になる。自分が転移でギルドに戻ってもいいが、それでは時間の無駄だろう。その為、クリスティアはフィリアに転移用の魔石を渡していた。そこにクリスティアがアイテムを送れば、フィリアが受けとって依頼が完了する事になっている。時間も無駄にならないし、人を転移させるより魔力の消費も少なくて済むという、クリスティアにとってはとても効率的な方法だった。
「普通の人間は、こんな簡単に転移魔法を乱用出来ないはずだけどな」
「俺も可愛い子ちゃんの元へ転移したい」
「だまれ変態」
そんな二人に、クリスティアは笑う事で答えた。
転移魔法を使っても枯れない魔力。
それだけでも、クリスティアが『普通の人間』から外れる事になるのは確実だ。だからたまに思う、本当に自分は人間なのだろうか、と。
「さて。それじゃあ、さっさとこんな血生臭い所から離れて馬車に乗ろう」
明るいロイの声にクリスティアも頷いた。オーガの死体が転がるこの場所はかなり凄惨な事になっている。いつまでもいたいとは思わない。それに、血の匂いは別の魔獣を呼ぶ可能性もあるのだ。
「わたくしも賛成ですわ。陽が落ちる前に、出来るだけここから離れましょう」
そうして四人はその場を後にした。
しんしんと積もっていくような闇の中、薪の爆ぜる音がしていた。
赤い炎が、ロイの顔をゆらゆらと照らしている。エルから受け取った白湯を口に含みながら、ロイは馬車へ視線を滑らせた。あの中では、クリスティアとハンナが眠っているはずだ。
「いやあ、可愛い子ちゃん達の力にはビックリしたな」
ロイは頷きながら、先程までの事を思い出した。
この場所で夜を越すことに決めると、クリスティアは四隅に魔石を置いて結界を張った。それだけでなく、ウェストポーチからは出来たてのサンドイッチやらテーブルセットが人数分出てきたのだ。もう、何をどこから突っ込めばいいのか分からない。そうして、旅の途中とは思えないほど豪華な夕食を済ませて、クリスティア達は馬車へと入っていった。二人が馬車で眠る事にロイ達も不満は無い。さすがにクリスティアが野宿を嫌がるとは思えないが、外で眠らせるつもりも無かったからだ。
「それにロイ、気付いたか?」
「ああ。二人が馬車に入った瞬間、魔力を感じた」
「可愛い子ちゃんは、あそこでも何かやってるみたいだな」
馬車へクリスティアが入る瞬間。微かだが魔力の流れを二人は感じていた。それは、普通の人間では気づけないほど巧妙に隠されていた物だ。気づける人間はほとんどいないだろう。だが確かに魔法を使っていた。
「どんな魔法を使ったのか知りたいが。聞いて教えてくれるとも思えないな」
一日、クリスティアを見ていれば分かる。アンゲルにも言われていたが、最低限の力しか見せないつもりなのだろう。
「まあ、俺達にも色々と話せない事があるからなー」
「そうだな。詮索されるのは困る」
そう、クリスティア達に隠す物があるように、ロイ達にも隠している事が多々ある。こちらがクリスティア達を詮索した結果、こちらの事まで話さなくてはいけなくなるのは避けたかった。
「俺としては、邪魔にならなければそれでいいさ。それで?ロイはあのお嬢ちゃん達をガラハムに連れて行くのか?」
「……連れて行くつもりだ。無事、国に入れるかは分からないがな」
今、ガラハム国は荒れているらしい。
いったい何があったのか、ハルレイシアにいた自分達には分からない。だから元々、ロイ達はガラハム国へ行くつもりだった。そこにアンゲルの依頼があったのだ。だが、獣人は人族を嫌っている。アンゲルの紹介とはいえ、荒れていると言うガラハム国へ下手な人間を案内するわけにはいかなかった。
とは言え、あの二人は獣人を差別するような人間には見えない。それならば、連れて行くぐらいなら良いだろうと思ったのだ。
「俺はロイが良いならそれでいいさ。それにしても、見張りをしなくていいのは楽だなー」
ごろんと寝転がったエルに、ロイは苦笑した。そうして、重く木々の垂れこめる空を見上げる。ここからは、鬱蒼とした葉に遮られて星を見る事は出来ない。微かな月の明かりが、葉の隙間から零れていた。