肆 水銀
廃材の海の底は、文字通りゴミの海となっている。幾時代も前に尽きた、ガソリンと呼ばれる石油製品を使って走っていたという鉄の塊に、修繕すればまだまだ使えそうな箪笥、その他先祖達が捨てていたゴミなど、とにかく色々なものが沈んでいるらしい……。
そんな与太話を舟を漕ぐ傍らそれに聞かせてみると、それは興味深げに舟から身を乗り出し、水面を覗き込んだ。大した重さはないだろうが僅かに舟が揺れ、幾重もの丸が水の上に広がってゆく。
「そんなに身を乗り出すと危ないぞ」
「……んんー。そこったがずっとずっとしたにあるけど、ごみはない……」
「よーく目を凝らしてみると良い。何か見えないか?」
「? あれ、えーっと……そこったがひかってる……?」
この湖の底は鈍く銀色に光っている。水よりも重く、またそれに溶けない水銀という銀色の液体が原因らしい。大量の水銀が、ゴミの上を覆ってしまっているそうなのだ。
「へぇー、すいぎんって、すっごくきれいなんだね」
律儀に体をこちらに向け、ふんふんと頷きながらも大人しく話を聞いていたそれは関心したように呟くと、今度は先程よりも更に大きく身を乗り出した。鼻先が触れてしまいそうなくらいに、水面との距離が近づいている。
「待て、そんなに近づくと危ない。水銀は毒だぞ」遠くの方から魚の跳ねる音が聞こえてきて、思わずそちらを見やった。
「……えっ」一瞬間を置いて、足元から驚いたようなそれの声が聞こえてくる。
「落ちたらまず助からないだろうな」
もし仮に助かったとしても先は長くないだろうし、後遺症にも苦しむことになるだろう。そう付け加え湖からそれに視線を戻すと、いつの間にか、それは既に舟の真ん中まで戻っていた。
「……ここのおさかな、たべてもいいの?」
「ちゃんとした調理法がある。それでも、村の人たちは嫌がるな……」
「……んんー」訝しげな声色と不安そうにきょろきょろ動く瞳から、痛いほど心情が伝わってくる。
「そ、そんなに心配しなくていい。今日は舟の上で釣りはしないよ」
慌てて付け加えるようにそういうと、途端に表情が明るくなった。
「じゃあ、どこでつるの? そこもおやまよりいっぱいつれるっ?」
「今、ずっと北の方にある岸辺に向かっている。僕はそこで釣ったことはないが、そこの住民はよく釣れると言っているから、まあ大丈夫だろう」
「じゅうみんって、おともだち?」
「まあ……そうなる、かな」
「そっかぁー。たのしみだなっ」
先程の、訝しげな声色に不安そうな瞳。それらのことは全て忘れてしまったかのように、それは満面の笑みを浮かべた。……彼らをお友達といっても良いのかは疑問だが、まあ今は良しということにしておこう。おそるおそるといった具合に、控えめに水底を覗き込むそれを横目で見ながら、僕はまた櫂を動かした。