3-1
「おかあさーん!」
いつしか大人び始めた見習い神官たちの、久方の子供らしい声が神殿の庭先にあがっていた。
それを受け止めるのは、その母親たち。甘えきった幼い顔に戻った将来の神官たちを、そうなるための修行の為とはいえ離れていた分の愛を込めて、余すところ無く抱きしめた。
「神官様、ありがとうございました。では、また精霊祭明けにお伺いいたしますので、よろしくお願いいたします」
「ご帰省、道中お気をつけて」
またひとり、またひとりと去っていく親子たちを、神官たちは見送って頭を下げる。
神官修行のため住み込んでいた子供たちが、盛夏の暑さを避けるためと、新年のお祝いのために本祭が終わった今日、幾日か実家に帰るのだ。見習いの年代ならではの光景だ。
イーシュはそれを神殿の二階の窓から、光のない瞳で眺めていた。
いつもの花がほころぶような可憐な笑みがない。
そうして、しまいまで眺めずに、神殿の奥へと入っていってしまった。
だが、そこにも、子供たちの嬉しそうな声は届くのだ。
夏にも関わらず、神殿の中はひんやりと冷たい。
精霊祭の時期は、先祖の霊やら得体の知れないなにやらが森に帰ってくると言われている。
常時神聖な結界が張られる神殿には、禍々しいものは入り込む余地は無い。神殿内が涼しいのは高い天井と小さな窓、それに石造りの為、それに清浄な空気に満たされているからだ。
けれどイーシュの足は速まる。何かに怯えるように。
神や精霊を可視し、それと対応する修行を積むイーシュには、見えないものへの不可思議な恐怖は通常の人間よりも少ないはずなのだが。
奥へ奥へと足を進めて、イーシュはようやく自分の部屋にたどり着く。ここまではさすがに子供の声も届かない。するりと中に滑り込むと、なにかを威嚇するように激しく音を立て、扉を閉めた。
中はベッドが五つ並んだだけで、もういっぱいで狭い。
イーシュと四人の神官見習いたちの暮らす部屋だ。
普段から余計な物は一切無いが、同室の友人が皆、親元へ帰った今では、いっそうがらんとした印象を強めていた。
扉を閉めても、イーシュの手は取ってから離れなかった。
息が、浅く速い。
輝きを失っていた目元に光が宿っていたが、それは瞳にではなく、涙の粒の方にだった。
「私のおかあさん、おとうさん……どこにいるんだろう……」
いつかはライオルに平気な顔を見せていたイーシュだったが、気にならないはずがなかった。
この時期のように一緒に暮らす仲間が実家へ帰っていくのを目の当たりにすれば余計だ。
喉を詰まらせた幼い声が、すっからかんの部屋に虚しく漏れて、響く。
「ううっ……」
口を押さえる。
でも、こんなときでもイーシュは泣き喚かない。
扉の前にうずくまったままで、ひっそりと、しずかに、小さな肩を震わせて嗚咽を殺した。
神殿の中はいつにもまして静かだ。
昨日本祭を終えたが精霊祭はまだ数日残っている。神事のため、神官たちは忙しく出払っているのだ。見習い神官たちの部屋がある宿舎に立ち寄る者はいない。
この広い建物に、きっと今はイーシュ一人きりだろう。
イーシュが住むのは、西津森の主の館のお山のふもとにある銀砂の神殿。西津森にいくつかある神殿の中枢だ。
隣森の中津森とは違い、神殿の建物は館と繋がってはいなかったが、同じようにたくさんの神官が寝食をともにしていた。
ただでさえ大所帯なうえにあわただしい精霊祭のこの季節、食事も忘れて、いつしか寂しい部屋で一人泣き疲れて眠ってしまった見習いの神官がいることなど、誰も気が付きなどしなかった。
◇
夜半のことだった。
なにか不思議な気配が漂っていた。
満ちている、というほどあからさまではなく、探そうとしても同調にない者には見つけられない。そのものではなくて、その発する一端。そんなたどたどしいものだった。
ふと目を覚ましたイーシュはそれに気が付いてしまった。
広い宿舎は耳が痛いほどに静かで、物音などはするはずも無い。
鼓膜を通さない何かの気配に惹かれて、イーシュの小さな足はベッドを抜け出る。
消灯が過ぎれば部屋から出ることは許されない。普段ならそんな禁を犯すことはない。
夜に一度か二度回ってくる見回りに出会ったら、厳しい注意を受けるのも分かっていた。
けれどイーシュは部屋の扉を開き、素足のまま闇の中に滑り込んでいった。まるで白い影が彷徨うように、頼りなく神殿を離れていく。
靴も履かずに誘われるように出てきた素足が泥と擦り傷まみれになった頃、イーシュは寂しい枯れ野原にたどり着いていた。
昼着ていたままの法衣の、押さえた胸元はぐしゃぐしゃに握りつぶされている。眉根は頼りなく寄せられている。
ぼうぼうに伸びきった草の先端が腰のあたりまで届いていた。今宵は薄雲に遮られて微かな星明り。見渡す一面に細長い草が揺れる。
遠く、振り返り見上げれば、精霊祭の祭壇が組まれたお山のあたりの夜通しの明かりが、見たことが無いほど小さくなっていた。そのふもとに神殿はある。かなり遠くまで来てしまったらしい。
それを見た途端、まだ夢見ていたようなイーシュの表情が急に醒めた。
「どうしてこんなところにまで来ちゃったんだろう……帰らなきゃ……」
イーシュの足は、さっと、元来た方を向く。
しかし、それを冷たい何かがいきなり掴んだ。
「きゃっ!?」
足を引かれて膝をつく。白い法衣が泥にまみれる。
とっさにイーシュは自分の足首を見た。
白い。
骨だった。
それも子供の骨だ。
愕然とそれを眺めていると、イーシュの周り、何も無い地面から次々と同じものが土の中から現れる。そうして その手首から肘が、肩が頭が、瞬く間に足の先までもが現れ起き上がり、骨たちがわらわらと周囲に集い始めた。
「……!」
この骨たちは見えないものを見るイーシュの目だから見えていた。実体ではない。
イーシュもそれを理解してる。
しかしその冷たい物は、心理的な拘束力と確かな感触をもってイーシュを足止めする。
その白い骨の表面に、一粒の霧が浮かんだ。それが徐々に増える。絵の具を一粒一粒落とすように。
そこには生前の姿が浮かんだ。
イーシュと同じくらいの年頃の子供たちだった。
(おかあさん……どこ……?)
(会いたいよ……)
服は擦り切れぼろぼろだ。怪我をしている子供もいる。やせ細っているのもいる。
けれど全員が同じ表情をしていた。
揃って泣いていた。
親に会いたいと。親が恋しいと。淋しいと。
さきほどまでのイーシュと同じように。
彼らは戦さにより亡くなったのか、貧困や飢饉で亡くなったのか。
死んだ理由は様々のようだが、皆、同じ思いを持っていた。
イーシュも気づいた。
「私と……同じ?」
親恋しさに、悲しみに沈んでいた心が、同じものたちを引き寄せたのだ、と。
神殿で感じていた言い知れない不安は、外から強引にやって来たものではなく、イーシュ自身の寂しさや悲しみが招いていたものだったのだ。
そこに同じものが誘われ集まってきただけ、イーシュも同じものに引き寄せられていっただけ。
普通の人間なら逆に、何も見えず、感じず、通り過ぎられたかもしれない。
しかしイーシュには見えないものが、はっきりと見えてしまう。
自分を取囲む者たちの顔が。涙が。感情が。想いが。
淋しさ、そしてそれに付随した悲しみと不安、恐怖があたりを満たす。
「い、いや……!」
ここに留まれば取り込まれてしまう。そんなことは見習いで、幼いイーシュにもわかった。
元々同じものを持ったイーシュと亡霊たちだ。余計に共鳴する。
青ざめ、走り出そうとしたイーシュだったが、できなかった。
多くの亡霊がその細い足を、親しみを込めて掴んで離さない。
「い、痛っ……」
実体無い手とはいえ、伝わる感触は紛れもない痛みを伴った。
そこから動けないのは、見えないものを敏感に感じてしまう力があるから。それよりなにより、同じ想いを持っているから。
「やめて……!!」
それでもイーシュは足元を振り切った。絶対に取り込まれまいとする意志の力で。
走った。
腰まで埋もれる草の海を掻き分け、暗闇に目を凝らし行くべき帰るべき道を探す。
しかし、どうしても道を見つけられなかった。
精霊祭の明かりの灯る館のお山がそこにあるということは、普段駆け回っている野原はきっと近いというのに。方角もわかるというのに。
死者の力だろう。
走っても走っても、見える景色は変わらず、いつの間にか同じところに戻ってしまう。親恋しさに寂し何度も回る心と同じように。
ただ、荒れ野をあてもなく駈けずりまわる。
まだらの薄雲がいくつもいくつも流れていく。
その度に漏れる月の光を妖しくした。
逃れようと駆けていたはずのイーシュの足は、いつしかゆっくりとしたものに変わっていた。
「淋しいよ、おかあさん、おとうさん。どこにいるの? 会いたいよ」
イーシュが泣いていた。
そして、その言葉はイーシュの周りを取り巻く亡くなった子供たちと同じになっていた。
足が次第に止まっていく。
そうしてついには子供たちと並んでいた。
イーシュと青白く透ける子供たちが、蝋燭の炎のように荒れ野に頼りなく揺れる。
子供たちは集まり、互いに背を撫でて慰め合う。その輪の中にイーシュを取り込んで。
涙であごまでぐしょぐしょに濡れた頃、中の一人がイーシュに手を差し出した。虚ろな瞳となったイーシュは、誘われるまま、実体無いはずの手に誘われて立ち上がる。
青白いろうそくの炎のように透ける子供たちの群れは、イーシュを囲んで静かに移動を始めた。
隣を行く子供が指を指す。
そこには森に囲まれた綺麗な花園が広がっていた。木漏れ日美しい。夜だというのにそこだけが光り輝きかぐわしい花の香りまで漂う。
驚いてイーシュが振り返ると、そこには今まで通りの草原が、前を向き直せば花園が。
そして、そこには優しげな光の人型が現れ、イーシュを優しく誘う。
イーシュにだってわかっていた。亡霊の誘う場所などろくな場所ではないと。証拠に、その優しさも光も、どことなく作り物のように味気ない。
しかし足は言うことを聞かなかった。いや、足ではない。心だ。
本当は、毎年、一緒に暮らす仲間が親元へ帰るのを見送るのが辛かった。
ライオルには平気なふりをして見せたが、両親に会いたくてたまらなかった。
人の心は弱い。幼いから余計に。
そこには求めるものが無いのだとわかってはいても、呼び声が、偽りだとしても、イーシュには優しすぎた。
迷いながらも、イーシュが花園に一歩を踏み出す。
そこに、聞き慣れた強い声が張りあがった。
「駄目だ!!」
振り返れば、そこにはライオルがいた。
「ばっかやろおー!! そっちに行くんじゃねえよ!!」
手に持った木の枝をぶんぶんと振り回し、あたりの延びきった草を蹴散らしながら、険しい顔のライオルが血相を変えて走って来る。
実体無い子供らには素通りするだけだったが、その剣幕は相手をひるませたらしい。ざざっと波が引くように、相容れないものを振りまく生気溢れるライオルから遠ざかった。
イーシュは目を見開き突然の来訪者をただ見つめる。
その腕を、ライオルは勢いよくぐいと掴み、イーシュが行きたがっていた方向とは反対に力任せに引っ張った。
「きゃあ!」
勢い余ってイーシュはそこらに放り出される。伸び放題の細長い草の鋭利な側面が、柔らかな頬を赤く傷付けた。
イーシュの目が見開かれる。
それは頬の痛みのせいではなかった。
背後でからからと音がしたからだった。さきほどの花園、イーシュが一歩を踏み出そうとしてた方向だからだ。
半分わかりながら、おそるおそる覗けばそこには、切り立った細く深い穴が大口を開けていた。草に囲まれた穴。垂直に切り立った形では、落ちれば登ることは難しそうだ。下には小動物の死骸が転がっている。
イーシュはやっと顔を上げてあたりを見回した。気づけばあの亡霊たちはどこにもいない。
目をしばたたかせていると、その眼前に凄まじい形相をしたライオルが躍り出てきた。
「お前馬鹿じゃねえのか!?」
ライオルが怒るのも当然だ。
向かおうとしていた所はろくな場所ではないとわかっていたイーシュだったが、さすがに青ざめる。
「ライオル……ここに今……」
「なんだよ。やっぱりなんかいたのかよ」
「ライオルにも見えたの?」
見えないものを可視する能力がある。そんな話は聞いたことがなかった。
より一層、ライオルはしかめっ面を強くした。
「見えねえよ。ただなんか、このあたりの空気がもやもやっとしてたし、お前の目つきが変だったからよ。……っていうか、だいたいこんな草ぼうぼうの穴の崖っぷちに朝っぱらから立ってるのなんかおかしすぎるだろ」
「……朝なの?」
「そうだよ。まだ日は昇ってないけどな。」
イーシュは呆然とあたりを見回した。
たしかに、森の向こうの闇が薄い。
「朝の訓練、と思って走ってたらお前が訳のわかんねえとこにいるんだから……びっくりさせんな……」
怒鳴りつけようとしたライオルの声が急にしぼんでいった。
イーシュがライオルにしがみついたからだった。
「な、な、な、なんだよっ!」
慌てたライオルが振り払おうとするが、なかなかイーシュは離れない。
あまり乱暴にもできなかったのだろう。ライオルはおとなしくイーシュのしがみつく手を受け入れた。
「……な、なにかあったのかよ」
うつむいたイーシュが、涙を堪えるように、一瞬小さく縮こまる。
その沈黙の合間に、ライオルがふと、館のある小山を見上げた。精霊際のための明かりがまだ残っている。
それでライオルも気が付いた。
「……ああ。精霊祭だからみんな親元に帰ったのか」
イーシュが言葉無く頷く。
詳しいことはわからないはずのライオルでも、それで十分だったらしい。
しがみ付いてくるイーシュの背に一瞬手を回しかけたがそれはさっと取り払われ、叱咤の言葉に代わる。
「ばっかやろー! 寂しかったら……辛くなったら言えって言ったじゃねえかよ!」
眉根を寄せた悲壮な表情で見上げるイーシュを叩きつぶしたいかのように、ライオルは容赦なく続ける。
「いくら淋しいからってそんな変なもんについて行くな! いいか? 親なんてなあ……」
ライオルが顔を歪ませ、言いかけで止まった。イーシュが繰り返す。
「……親なんて?」
躊躇していたライオルだったが、ふっきれたように舌打ちをひとつした。
「……まあ、いいや。イーシュには話してやるよ。お前は特別だ」
ライオルは、琥珀の瞳を澄ませ、深呼吸をする。
「……親のとこに帰れないのは俺も同じなんだよ」
「え? ライオルの両親は亡くなったって……」
「皆にはそう言ってる。でも、本当はいるんだ。生きてるんだ。住んでるとこだって知ってる」
「え?」
この話を聞いたら、通りで、と頷く者もいただろう。
だがイーシュはライオルが昔、父親は戦争で、母親は病気で亡くなったという話を、この時まで疑いなく信じていた。
ライオルは一人深く頷くと、草を乱暴に尻でどかしてそこらに座り込み、いつも以上にぶっきらぼうに語り始めた。
「……親父は飲んだくれで、こんなご時世だってのに兵士の招集にも応じないクズ野郎。母親はそんな親父でもなんとも思わず、それに他の男と平気で寝るような売女。俺は生まれてこのかた可愛がってもらったことはおろか、抱き締めてもらったことすらないんだ。
見かねた近所のよその婆ちゃんが、赤ちゃんの時から俺の面倒を見ててくれてさ……、一応、親の家には住んでいたはずだけど、婆ちゃんと一緒にいた記憶しかない。その婆ちゃんが死んだ後、葬式に来てた神官のおばちゃんが孤児院に連れて来てくれたんだ。
……およそ森の民らしくないけど、そんなサイテーの奴も中にはいるんだよな。それが俺の両親だったってわけ」
イーシュが初めて出会った時のライオルは、顔も拭かず、歯も磨かず、髪はぼさぼさで、身だしなみのひとつも無かった。それで子供たちにけなされもしていた。親に愛されて育てられたとは思えない、小汚いみすぼらしい少年だった。
しかし、それはライオルひとりのせいではなく、教育されてこなかったからだったようだ。今でさえ子供なのに、あの時のライオルはそれよりももっと子供だったのだから。
けれどライオルはそんな不憫な生い立ちを消し飛ばすような強い眼差しで語る。
「でも……そんなこと言ったみじめだろ? からかわれるし。だから、みんなにはああ言ってる。俺を孤児院に連れて来てくれた神官のおばちゃんも、俺がそうしたいならそれでいいって言ってくれたしさ」
「ライオル……」
震えながら話を聞いていたイーシュは、ついに泣き出してしまった。
「イーシュが泣くなよ。泣くのは俺だろ?」
「そうだね……ごめんね……でも……私も一緒に泣いてもいい? そんなの悲しすぎるよ……」
顔を覆おうとする手を引っ張って、ライオルは強引にイーシュの顔を上げさせる。
「駄目だ。泣くな。泣かせる為に言ったんじゃないからな。それに、俺は泣きたくても泣かない。将軍になる男だからな」
イーシュが涙を堪えて唇を噛んでいる。ライオルは叱るように強く言った。
「いいか、ようは俺が言いたいのは、本当の親なんていなくても子供は育つって事。それに俺を見ろ。親がいりゃあもう手放しでいいってもんでもないだろ? ろくでもないのならいない方がましってこともある……っ、あー。お前の親がそうだって言うわけじゃねえぞ?」
難しいところだ。どんな親でもいないよりはいいという子もいるだろうから。
だがライオルはよほど親のことで嫌な思いをしたのだろう。語ろうとしないが、憎しみすらあったのかもしれない。
イーシュの瞳にまた涙がたまる。
それでライオルは急かされたように早口でまた話し始める。
「血のつながりを求めるのはわかるよ。だけど、お前の周りには面倒見てくれる神官がいるし、友達だってたっくさんいる。親に今すぐは会えないだろうけど、いつかは会えるかもしれない。って、前にお前も言ってたじゃねえかよ。どうしても親に会いたきゃ今は立派な神官になることが近道なんだろ?」
そうは言ってもイーシュの涙が簡単に止まるものではない。
腹から割り切れているのなら、こんなことにはならなかったのだから。
ライオルは苦悶の表情を浮かべて首を捻った。頭まで筋肉でできていそうなライオルが、普段こんなに考え込むことなどないに違いない。
「うーん……じゃあ、優越感に浸ったらいいんじゃねえか? 『ライオルって自分より悲惨なんだな』って。お前も寂しい身の上かもしれないけど、俺の話を聞いたらまだましだって、希望が持てんじゃねえか?」
イーシュは必至になって首を横に振る。そんな悲しいことを言わないでくれと言わんばかりに。
ライオルは考え込みすぎて頭を乱雑に掻きむしる。情緒的なことに頭を使うのは、そう得意ではないらしい。
「でも、自分よりまだ悲惨な奴がいるから、って思えば、涙は止まるだろ? 俺はお前に泣き止んでもらう為にこんな恥ずかしいこと言ったんだぞ?」
イーシュはまた首を振る。ライオルの話はイーシュを余計に悲しませてしまった。
ますます深くうつむくイーシュのそばで、ライオルは眉根をこれでもかと寄せて、深いため息をついた。
「……まいったな……作戦は失敗だ……。……よし、じゃあ、仕方ない。泣けよ。一緒にいてやるから」
そう聞くと、ようやくイーシュはこくりと素直に頷いた。
「……うん。ありがとう。ごめんね。明日からはもう泣かないからね……」
「ああ、そうしてくれよ。もうこんなのごめんだぜ。あーあ、お前のせいで今朝の訓練はできそうにねえや」
吐き捨ててそっぽを向くライオルだが、どこかに無愛想な優しさが滲んでいる。
恋愛感情には鈍いが、そういう部分にはイーシュは敏感だ。それを感じ取って、少しだけ嬉しそうに口元を緩める。
「うん……ごめん。それに……ライオルが泣かないから、その分も泣くから、それで許してね」
イーシュの涙をすする声が、いつの間にか昇った乱れ生い茂る朝焼けの草原に広がる。それは、とてもか弱く悲しいのに、なぜか逆に癒されるような暖かさがあった。
恥ずかしそうにライオルが小さく呟いた。
「……ああ……。しょうがねえな……。…………」
「え? なに?」
イーシュは涙のついたまつげを何度も上下させる。
最後にライオルが何か言ったのだが、微かすぎる声は耳にまでは届かなかった。
「お前ちゃんと聞いとけよ!!」
二人だけの野原にライオルの大声が上がる。
その少年の顔が真っ赤になっているのは、怒っているからというだけではなかったのだが、それが一緒にいる少女に伝わることはなかった。
やけに赤い朝日が、あたりを染めてしまっていたから。




