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ニ 神様よろしく少女


 今朝はどうも気持ちのよくない天気だった。

 なにせ朝だというのに日の光りがあまり差さず、どす黒い入道雲が空を覆いつくそうとしていたからだ。

「おーっす、降真!」

 そんな中、走って学校に向かう途中で上空から聞きなれた声が降真の名を呼んだ。古親つとむだ。

「お、ツトムか! ちょうどいい所にいやがった。今日は久々に頼むわ!」

「へいへい。お前とこの時間帯に会ったらそう言われると思ったよ。ほれ、さっさとつかまれ!」

 宙を闊歩する古親つとむは高度を落とし、降真に向かって手を差し伸べた。

 それを「サンキュウ」と言って降真はその手を掴んだ。

 降真や古親つとむの向かう学校への道のりは、近隣に住む二人にとってすごく短く、そしてすごく遠い。

 浮遊で行けばたったの五分程度。しかし徒歩で向かえば軽く三十分はかかる。

 それと言うのも、妙に入り組んだこの住宅街の造りが全ての原因だった。

 降真達の住む町、雨季輪町(うきわちょう)は近年に、浮遊者のみを対象として造られた近未来に対応した町造りだった。主要な大通り以外の小さな路地は全て無くした区画整理を行い、基本的に住民達には浮遊での移動を主にしてもらうようになっている。その為、降真の様に地面を走って学校へ向かうと、大きく遠回りをしなければならない為、時間が掛かってしまうのだった。

 運良く今日は古親つとむに出会えたおかげでほっとした降真は、振り落とされないようにしっかりと手を握りながら言った。

「にしても、相変わらずムカつく町だぜ」

「はは。お前にとってはな。俺らにとっちゃ、この町以外で住む気にはなれないがな」

 浮遊者を対象として造られた雨季輪町は古親つとむの言う通り、まさに浮遊者にはとても暮らしやすい場所であった。というのは、色々な商店やアミューズメントストア等が高くに作られており、わざわざ地表に降り立たなくとも浮遊者は娯楽や買い物を満喫できるからだ。

 この近未来型の町造りはこの雨季輪町を初めとして、各都市でも現在区画整理を行い実施する予定ではあるが、どの町もその実行や実現はまだまだ程遠い。

「そういや、どうしたんだよ今日は? お前が遅刻するなんて珍しいだろ?」

 街並みを忌むように睨む降真に、古親つとむが当然の疑問をぶつけてきた。

「あ、ああ。ちょっと昨日、寝付けなくてな」

「ふーん?」

 当然、嘘である。

 別に本当の事を言ってもよかったのだが、それはすごく面倒で、そしてまず間違いなく信じてもらえないと思ったからだ。

(昨日の夜、か……)





 ――昨晩、突然に訪れた非日常的出来事は、降真を夢だと勘違いさせるには充分すぎるくらいの要素をいくつも持っていた。

 数百メートル上空の高度から落下した降真を、地面激突すんでのところで救ったのは言うまでもなくあの少女、フロートだった。叫びながら神に祈る降真に無情にも刻一刻と迫る大地を見て「もうダメだ」と、降真が覚悟を決めた瞬間、あの少女が上空より滑空し彼を拾い上げたのだ。

 彼が助かったと思ったのもつかの間、すぐに先ほど襲って来た珍妙な変態男が再び二人を目指して上空より飛来してきた。再び降真を連れて上昇するのは得策ではないと判断したのか、大地に足をつけたフロートは降真を引き連れ、今度は地表を走って逃げる事にする。

 その後、幾度かの変態男による攻撃をしのぎ、なんとか振り切り、とある公園の片隅で身を隠した降真と少女はようやくそこで一息つく。

「ふぅ、もう追ってこないね」

「そうみたいだな。それで、」

「ヘンタイもしつこいからねー」

「アイツもそうだが、そもそもお前はなんなんだ? そして、なぜ俺は追われている? なぜ俺は今、こんな事をやっている!? 全部納得のいく説明をしてもらおうか!」

「しー。こーま君声大きい。見つかっちゃう」

「わかった。静かにする。静かにするから、頼むからいい加減説明お願いします」

「あ、いりますか? 説明」

「いらないでか」

 あはは、冗談冗談と言いながら、やたらと気楽そうな態度で少女はようやく説明を始め出した。

「まずは私の自己紹介からだね。名はフロート。正式名をフロー・シャムネ・トゥルーパと言います。年齢は多分十五? 勇者様を探して旅をしてます。そしてこーま君は私が探し求めていた伝説の勇者様だったのです。ですが、その勇者様を消そうと躍起になっている悪者達がいます。それがあのヘンタイ達です」

「えーと……?」

「まだ勇者様とその案内人である私はレベル一の状態なので、今は逃げるしかないのですが、次第に力をつけていった私達はいつの日か、ヘンタイ達一味を倒して世界は平和を取り戻すのでした。めでたいめでたい」

「おいおい、ふざけてんのか?」

「ごめん、最後のってめでたしめでたしだね」

「わかってるのかよ。いや、それもそうだがその前からです」

「その前?」

「なんなんだその王道中の王道ストーリーは。そんなの信じる馬鹿がいると思うか? 茶化すにしてももっと高度なネタにしろ」

「あれー? おかしいな。この世界の若者にはこの説明が一番だって聞いたけど間違いだったのかな?」

「そういうのはゲームの世界だけの話だ。ゲームの世界設定はそれで済むかも知れないが現実世界にそういう設定はなかなか通用しないのが、悲しいリアルというものです」

「そうなんだ……。じゃあどうしよう……私、これ以上うまく説明出来ない……」

「おいおいおいおい、冗談はよしこさんだぜ。今の説明が本気の説明だとしたら俺はこの台本を一から丸投げなんだが」

「? 台本? 話がよくわからないけど……」

「あー! もう! だから、もっと他に説明のしようがあるでしょーが!」

「あはは! 今のダジャレ? しようがしょーが! って、結構うまい事言うねキミ」

「違うわ! いいからちゃんとした説明をしろ!」

「うーん……。でも私、説明とか苦手。この日本の文化もまだよくわかんないし。きっとプロデューサーには向かない性格なんだね」

「はぁ? プロデューサぁ? これはなにかのドッキリ番組ですか?」

「そんな事ないよ。落下地点が落とし穴で、おまけに泥だらけで、最後に『大成功』って書かれた看板が出てきたりとか、そういうオチはないもん。あのまま落っこちてたらこーま君、ほんとに死んでたからね」

「お前、ほんとはなんもかんも知ってて俺を馬鹿にしてるだろ? ……まぁいい。それで、あんたは一体なんなんだと」

「私はなんなんだろ? 宇宙人?」

「は?」

「違う?」

「いや、知りませんが……」

「多分、そういう部類なんじゃないかな? この星で生まれてない人って宇宙人だよね?」

「そうですね。地球で生まれたら地球人ですからね。じゃあ俺はそろそろ帰りますね。お疲れ様でした」

「あ、待ってよ。今のは茶化しなしだよ。ほんとにほんと。この星で生まれてないって言うのはほんとなんだってば」

「王道話の次は宇宙人……。どこをどうすればこの世界にそんな事を信用できるヤツがいるか」

「信用するもしないも自由だけど。だいたいこの世界の人達は『マテル』の存在をろくに知りもしないで空飛んでるくせに、ほんとワガママだよね。まぁ、君は違うけど」

「なんだと? 今なんて言った?」

「ワガママだよね?」

「その前っ!」

「『マテル』の存在をろくに知りもしないで?」

「そう、それ。なんだその『マテル』ってのは?」

「この世界の人達が空を飛ぶ時に使ってる力だよ。やっぱ知らない?」

「はぁ? 何言ってんだお前? 皆が空を飛べるのは『グラビティレジスト』のおかげだぞ。『マテル』なんて言葉、聞いた事もねーよ」

「あっはっは!」

「笑う所か!?」

「いやいや。えっと、『マテル』っていうのは、この世界……この地球という星のありとあらゆる場所に存在し、満たされた大元素粒子(だいげんそりゅうし)だよ。こーま君がさっき言った『グラビティレジスト』を人が摂取するとその『マテル』をコントロールできるようになる。『マテル』を利用すれば空を飛ぶのなんて当たり前。っていうかむしろそれしか出来ないの? って感じだけど」

 得意顔で饒舌に話すフロートと相反して、降真は頭を抱えながら表情を困惑させた。

「待て待て、違うだろ。『グラビティレジスト』を摂取する事で特殊な重力場を体内で生成して、人は引力に対する斥力(反発力)を持ち浮遊する。だから人は空を飛ぶんだろうが?」

 その言葉に、今度はフロートが困惑した表情をして返した。

「え、何そのわけわかんない理論。気持ち悪いんだけど?」

「それはこっちのセリフです」

「うーん? まぁ私もあんまり『マテル』に詳しい訳じゃないからよくわかんないけど、少なくとも引力だけを反発するような重力場を生成なんてしていないと思うよ? この世界の人が空を飛ぶのは『マテル』を消費しているだけ。まぁ『グラビティレジスト』って薬を摂取しないと『マテル』をコントロール出来ないなんて、まだまだだなぁとは思うけど」

「……にわかには信じがたい話だな。まぁお前の存在自体からすでに怪しさがぷんぷん匂うんだが」

「匂う? 私、そんなに臭い? ちゃんと毎日おフロは入ってるんだけどな。怪しいと匂いがするんだね?」

「……。それより、あの変態野郎はなんで俺を狙っている?」

「んー……まぁそれは話すと長くなるからまた後で。とりあえず私はこーま君をボスのもとへ連れて来いって言われてるの」

「連れて来いだぁ? 俺をどこへ連れて行く気だよ?」

「私達のホーム。そこに連れて来いって言われてるの」

「ホーム? なんだかよくわかんないけど……だったら、さっさとそこに行った方がよくないか?」

「駄目だよ。夜中の間は絶対ヘンタイに追跡され続けるから」

「どうしてだ?」

「夜中って言うのはね、太陽光が大地を照らさないでしょ? ヘンタイはこの世界で言うヴァンパイアみたいなものでね、太陽光を浴びると途端に……」

「死ぬのか? だったら尚更ここで隠れてないで逃げながらそのホームとやらに向かった方がいいんじゃないか?」

「ううん、活動しなくなるだけ。ああやって『マテル』を自在に操れるのは夜中だけなの。それにホームに向かうのって安易に出来る事じゃないし、ボスにも連絡を取らないとだし」

「さっきから言ってるボスってなんなんだ?」

「私の上司だよ。上司の事、ボスって言うよね?」

「う、うーん。それはどうかな……」

「そうなの? まぁいいけど。私達はね、この世界にいる『マテル』を生成している人間を守るのが役目。だからこーま君をボスの下へ連れて行って保護しなくちゃなの」

「っと、ちと待て。『マテル』を生成している人間ってのは、俺の事なのか?」

「うん。そうだって聞いたよ。こーま君、空飛べないんでしょ?」

「あ、ああ」

「じゃあ間違いないよ。こーま君は生成者だ」

「どういう事だよ?」

「この世界で『マテル』を生成している人間はね、『グラビティレジスト』って薬を摂取しても空を飛ぶ事が出来ない。それはその人間があくまで『マテル』を生成するのが役目で生まれてきたわけだから、それを消費する行為なんて出来ないって事だと思う。多分」

「……」

 もし、この少女フロートの言っている事が真実ならば、全ての科学者が目玉を引ん剥くに間違いないだろう。フロートが言っているのは、つまりそういう事だ。

 それは、今現在解明されている科学に大きく横槍を指すような内容だ。そもそも『マテル』などという未知のエネルギーを観測、発見した事などないはずである。もしかしたら降真が勉強不足で実際にはそういう名のエネルギーが存在していても、まさか実際に人がそれを消費して空を飛行しているなどとは考えないはずだ。もしそうなら、『マテル』という単語ではないにしろ、もう少しこの少女と似通った内容になるはずだからだ。

 肝心なのは、この少女の言葉に偽りがあるかないか、だ。

 今現在ではまだ、かなりの確率で現在の世界観が正しいと降真は思っている。つまり少女の言う事は全て嘘っぱちという事だ。

 しかしそれで片付けてしまうには、納得不十分な事が起き過ぎている。

 通常ではありえない高さの浮遊。

 突如現れた謎の少女と謎の変態。

 そして冷静になり始めた今、更に気になる事を思い出す。

「そういえば、なんで俺の家族はあの時誰も起きてこなかった?」

「んとんと、当然夜中に私みたいな人が突然訪ねてもこーま君、会ってくれないよね。怪しいもんね。だから仕方なくこーま君の家中を包んでる『マテル』をコントロールして深い睡眠状態にしたの。扱い方次第でそういう風にも出来るから。それで、こーま君を連れ出しに来たってわけ」

「なら、どうして俺は起きてた?」

「うん、ぶっちゃけ予想外」

「予想外?」

「うん。私にもどうしてこーま君が眠ってなかったのかはよくわかんない。けどもしかしたら生成者には効きづらいだけかもしれない」

「なるほど、つまりは俺も眠ってから連れ去ってしまおうと考えていたわけだな?」

「うん、そう。でも起きてたおかげでとんだ迷惑だったの」

 降真は腕を組んでうーん、と唸り込んだ。

 少女の説明は、悔しいが説得力はある。……ような気がする。

「なんであんたは『マテル』生成者を守るんだよ?」

「返してもらう為、だったかな?」

「返してもらう、だと?」

「うん。そもそも『マテル』は、私達のご先祖様達が無の宇宙空間に与えて、その『マテル』を基にこの地球が構成されていった。でも私達には『マテル』を操れる事は出来ても、無から生成する事は出来ない。『マテル』を生成するのには、『マテル』から生まれた存在じゃないと駄目なんだって。で、地球から生まれた『マテル』を少しずつ私達の世界へと返してもらっているの」

「……つまり、俺達は培養って事か?」

「うん、まぁ、そういう事なのかな?」

「じゃあ何か。お前さんは本当に宇宙人で、宇宙からやって来ましたって言いたいわけか?」

「なんで?」

「いや、なんでってそう言ってただろ?」

「ああ、そうだったっけ……。うん、まぁその辺はおいとこう」

「いやいや、そこは重要だろ」

「まぁそれはおいおいね。それよりこーま君。今日はもう帰っていいよ」

「へあ?」

「もうそろそろ夜明けが近いからヘンタイはもう今日は追ってこない。それにもう今日はいろいろな都合で君をボスの所へ連れて行く時間がないから」

 そう言うと、フロートは急に立ち上がり降真に背を向けて歩み出した。

「お、おい! ちょっと待てよ! まだ俺には何がなんだか……」

 フロートは振り返らずに答えた。

「明日……と言っても今日か。今度は夜になる前にまた君を向かえに来る。言い忘れたけど、君のご家族やご友人達とは永遠の別れになると思うから、今日はめいっぱいお話しておくといいよ。それじゃね」

 それだけを言うと、フロートは上空を見上げ、物凄いスピードで垂直に空へと舞い上がり、あっという間に降真の視界から消え去っていた。

「永遠の別れ……だと?」

 辺りを見回すと、たしかにフロートが言った通り、すでにスズメの鳴き声が聞こえ、薄っすらと空も青み掛かり出していた。

 途方にくれながらも、降真は渋々と自宅へと帰るのだった。





 ――と、そんな事があり、降真が自宅に着いた頃にはすでに明け方四時半。

 帰宅した降真は、あまり驚かなかったがやはりというべきか、家族達は全員まだ寝静まったままだった。それに加え、部屋の天井にぽっかりと空いていた穴も、ヘンタイに壊された窓も、見る影もなく綺麗に元通りになっていた。

 当然、その事について考えても理解出来るはずもなく、ただただ部屋の中で呆けていた。

 そしていつの間にかすっかりと朝になり始めた頃、ようやく忘れかけていた睡魔に襲われウトウトとし始め、ハッと気づくとすでにいつもの登校時刻をいくらか過ぎてしまい、今の運びとなる。

「おら、もう着くからそろそろ降ろすぜ」

 気づけばすでに降真達の通う学校は目と鼻の先であった。

 古親つとむはそう言いながら、ゆっくりと降下する。

「お、おう。さんきゅツトム」

「次の休みの日、飯でもおごれよ。俺、ちょっと寄る所があるから先行くぜ。また教室でな降真」

 降真に背を向けながら手を振り、再び浅く浮遊して古親つとむは校内へと向かって飛んでいった。

「……次の休み、か」

 降真は深夜の出来事を思い返していた。

 謎の少女が言った言葉。

 ――永遠の別れになると思うから――

 あの少女の言う言葉が事実であるならば、降真にとって『次』はない。

「……俺、今日でこの普通の生活が終わりなの、か?」

 その問いに答える者などなく。





「……って事なんだけど、聞いてる? 神薙君」

「え、ああ。わりぃ、なんだっけ富山(とやま)?」

 二時限目の英語を終えた休み時間。

 もう! と少し顔を膨らましながらも、もう一回言うからよく聞いてよねと言う女子の名は、富山散華(とやま ちりか)。このクラスになってからの知り合いだが、席が隣同士というだけの関係で特に仲良くも悪くもない、普通の友達付き合い程度である相手だ。――が、先ほどから何かを必死に降真へと訴えていたのだが、昨晩の事ばかりを考えていたのと睡眠不足が重なり、降真はろくすっぽ話を聞いておらず、怒らせてしまったというわけだ。

「だからね、来週の金曜の事だよ。まさか忘れたなんて言わせないからねぇ?」

 来週の金曜? と、一瞬眉間にしわを寄せる降真だったが、すぐに思い出した。

「あーあー、覚えてるよ。ようは、ツトムに会わせたいやつがいるって言っときゃいいんだろ?」

「ちっがぁぁぁああう! ぜんっぜん違うよ! やっぱり話全然聞いてないじゃない! 私が言いたいのは、もっとドラマティックに偶然を装い、かつ運命的な出会いをしたいって言ってるの!」

 はぁ、面倒くせぇ。と降真は胸中で強く思った。

 この富山散華は、どういうわけか降真の友人である古親つとむをえらく気に入っているらしく、降真が古親つとむと仲が良い事を知ると、間を取り持ってほしいなどと突如言い出してきた。

 他人の恋愛事になど関わりたくはなかったのだが、あまりにも強い押しに圧倒され、つい適当に「じゃあ来週の金曜にでもツトムに会わせてやるよ」などと言ってしまったのが運のツキだった。

「いい? つまりこうよ! 神薙君はうまく理由をつけて古親君を金曜日の放課後、人気のない校舎の屋上で話がしたいと呼び出す。そこで私はさも偶然を装い屋上へと出向く。そしていつまで経っても現れない神薙君の代わりに私が古親君と何気なく会話して親密になっていくの! で、そこに神薙君扮したチンピラ風の男が屋上に現れる。もちろんバレないように変装してね。で、私を無理やりナンパするの。そこを古親君が助けて、悪役の神薙君はわざと負けて退散する。これよ、これこそドラマティックで完璧なヒーローとヒロインだと思わない!?」

 こいつ、馬鹿だろ? と言いたいのを力の限りで降真は喉の奥へと押さえ込んだ。

 なんていうか、この富山散華という女子は変わっている。

 クラス内でも変わり者として有名だ。

 というのも、妄想癖があるのか、やたらと恥ずかしいセリフを真顔で言ったり、全然面識のない他人に正義がどうのこうのと強く諭してみたりとクラス内で話のタネは尽きない。――のだが、かわいらしい容姿とその天然さのギャップによるものか、男子からも女子からも大変人気であり好かれている。また、その多大な人気力もありクラス委員長として推薦され、また自分もその任を快く引き受けている。

 入学式を終え数日後くらいの時には降真も、隣に結構可愛い女子がきたなぁラッキー、くらいにしか思わなかったが、その大変な天然さと強い妄想癖に最近は少々辟易していた。

 おまけに古親つとむの件が絡み、もう勘弁してくれと言いたい状況である。

「あのなぁ、そこまでする必要性があるか? いや、ないね。ってか俺は絶対そんな面倒くせぇ役はやらん。だいたいいくら変装したってツトムとは付き合いが長いんだ。すぐに俺だってバレるっつーの」

「じゃあ神薙君の友達の友達を使えばいいじゃない! 古親君とはつながりのない人ね。何か問題ある?」

「いや、問題っていうか……。なんでそんなに必死なんだ。普通に告ればいいじゃねーかよ……同じクラスなんだし……」

「ばかね。神薙君、あんたまるでわかってない。女と男がお互いを強く思い合うにはそれ相応の出来事、イベント、トラブルが必要なのよ。そういうのを共に乗り越える事で愛を深くし合うんじゃないの! っげほっげほ!」

 富山散華は瞳をまるで無垢な子供のようにキラキラとさせそう言ったと思いきや、突如咳き込んだ。

「おいおい、あんまり興奮すんなよ。お前喘息持ちなんだろう……」

安請け合いした自分を呪う降真だった。

 というか、そもそも来週の金曜に自分はここで今と同じように生活しているのだろうか。と思う念の方が強かった。

 自分は神様から、運から見放されているとは常々思っていたが、今や見放されているどころではない。完全に世界の蚊帳の外に放り出されているような気分だった。

 なんだかそう考えると、真面目にこの会話に付き合うのも馬鹿らしくなり、適当に話を合わせて終わりにしようと思い投げやりに答える。

「ああ、わかったわかった。ツトムに屋上で待つように言っておく。んで変装して俺が悪役をやりゃーいいんだろ。ただしバレても知らねぇからな」

「ダメよ! 絶対バレちゃダメ! って事でなんとかお願いね!」

「……努力します」

 ようやくそれで満足したのか、富山散華は満面の笑顔で頷いた。

「ありがとう! なんだかんだ言って神薙君って優しいよね。頭もいいし、私が古親君にお熱じゃなかったら、神薙君になびいてたかもね!」

「はは、ありがとう……」

「うっふふふふふ。来週の金曜日が待ち遠しいなぁ」

 嬉しそうに呟く富山散華を横目に、降真は呆れながらまた小さく溜め息をひとつついた。





 その日は、それ以外特別変わった事など起きなかった。

 いつもと同じ放課後、降真は物思いにふけりながら校舎を背に帰路へとつく。

 朝方からぐずついていた天気は、かろうじて雨を降らしてはいないものの、余す事なく空に敷き詰められたどす黒い雲のおかげで、すでに辺りはかなり薄暗い。

 部活動を行っていない生徒達も皆、各々帰路へとついているが当然皆、当たり前のように宙を舞っている。その為、やたらと上の方から楽しそうに話す生徒達の耳障りな声が余計に今の自分を孤立させると感じさせられた。

「あーあ……結局今日で最後かもしれないっていう日を意味もなく学校で過ごしちまったなぁ……」

 今更ながら、若干後悔の念を抱く。

 とは言え、いまだ昨晩の出来事を信じきれていないのもたしかだった。

 時刻はすでに午後の五時を過ぎた。

 フロートは夜になる前に向かえに来ると言っていたが、この下校中にそれらしい人物に遭遇しない。

 やっぱり昨日の出来事は自分のくだらない夢だったのではないだろうか。宙を舞う事の出来ない自分が生み出したコンプレックスが招いた妄想だったのではないだろうか。いつもと同じ、商店街からはややも離れたコンクリート塀に囲まれている住宅街を、一人で俯きつつ歩きながら思う。

「いって!」

 どんっ! と、思いがけなく何かにぶつかる衝撃を不意に身体全体で受けた。結構な衝撃だった為、受身をうまく取れず思い切りしりもちを着きつつも、ああ久しいな、と思いながら顔を上げようとした。

 よくある、という程ではないがたまに起こる事故だった。

 大抵の人々は宙を舞って移動をしている。その為、降真がいつも俯いて歩いていようとまず誰かとぶつかる事はない。が、たまになんの気まぐれか、このご時世に地表を歩く変わり者もおり、そういった人物とT字路等ではち会わすとこういった事故が起こる。

「すみませ……、っ!?」

 謝りつつ、ぶつかってしまった相手を見た瞬間言葉はそこで途切れた。

「イーェイエ、ユーこそ大丈夫であるか?」

 そう言いながら満面の笑みで手を差し伸べるその男はよく知る顔、ではない。

しかし見た事のある気持ち悪い程発達した筋肉と聞き覚えのある妙な口調。それはまさしく昨晩突如来襲してきたヘン・タインシュケルに間違えなかった。

「お前は……ガチムチヘンタイやろう!」

「オゥ! ちょっと名前が違いますなぁ」

 しりもちを着いた体勢のまま、降真はゆっくりと後ずさる。

「なんの用だ!? 昨日もそうだが俺に何かあるのかよ!」

「イェス。ユーに引導を渡しにきたのだ」

 降真は、そう言うヘンタイに警戒しながら立ち上がろうとする。しかし、

「ぅあ!?」

 突然、身体が急激に重くなり、足を絡ませてうつ伏せに倒れこんでしまった。

「ぐ……うぅ!」

 重い。異常に重い。

 まるで自分の上に得体の知れない物体が覆いかぶさっているかのように、身体を自由に動かす事が出来ない。

 おまけに肺も強く圧迫されているせいで、まともに声を発する事もままならなかった。

「ぁ……な……んだ……よ、こ……れ」

 アスファルトの地面に向けて、か細く出せた言葉はそれで精一杯だった。

「これ以上逃げ回られるのは非常に厄介であるからな。ユーの周辺のみ重圧を上げたのだ」

「ふ……ざ……」

 けるな、と続けたいが満足に声も出せない。おまけに顔も上げる事が出来ない。身体同様、なぜか異様に重くて上がらないからだ。

 降真には理解できなかった。

 ただわかる事は、昨日から引き続きこのヘンタイが自分の命を狙っているという事だけ。

「覚醒されては厄介である。早々に片を付けるとしよう。さらばだボーイ!」

 やられる! そう思い、降真は思わず瞳を閉じた。

 自分の最後がこんなわけもわからずに迎えてしまうなんて、人生なんて儚いな……などと考えていると、不意に何者かの声が辺りに響いた。

「やめなさい! ヘンタイ!」

 体が動かせない為、その姿を確認する事は不可能だったが、声と状況から察するに昨日訪れたフロートという少女であると推測された。

「今すぐその戒めを解いて!」

 先ほどヘンタイの言った覚醒、というよくわからない単語が気にはなったが自体はそんな事を降真に説明する間もなく進展していく。

 だんっ! と、力強く大地を蹴るような音を振動と共に降真へと伝えた。

「さすがにフロートちゃんの攻撃をさばきつつボーイを殺すのは骨が折れそうだ。まずはユーから片付けるとしよう!」

 そう叫ぶヘンタイの声は上空高くから聞こえる。

 どうやらフロートとの臨戦態勢に入ったのだと降真は察した。

 続いて今度はたんっ! と、やや軽めに大地を蹴る音が響く。どうやらフロートがヘンタイに応戦しようと飛び上がった音だろう。と、降真は察する。

 しかしそんな二人を他所に、一向に身体は動かせそうにない。どうにか力を振り絞って、ようやく顔だけは前方を向けるぐらいに起き上がりはしたが、それ以上はとても無理があった。

「ぐ……くっ」

 必死にもがく降真の眼前、というよりやや遠方の上空に一つの人影が見えた。

「あれ……とや……ま?」

 十数メートルと言った辺りくらいの距離に上空をのんびりと歩く人物は、見間違う事なく降真のクラスメイト、富山散華だった。

 偶然なのか、なんらかの意図でなのか、先ほどまで上空にも地表にも降真とフロートとヘンタイを除く人物は周辺に見受けなかった。が、今はなぜか降真の目視する先に富山散華がいる。

 富山散華はウォークマンでも聞いているのか、耳にイヤホンをつけ、何か漫画のようなものを読みふけっていた為、降真の上空で争い合っているだろうフロート達や、地表にいる自分には気づく様子もなかった。

 この非現実的な状況を目の当たりにした富山散華はどうするのだろう。というより富山散華の安全がまるで保障されていない。むしろ、目撃者として生かしておけないとかなった場合、最悪フロートやヘンタイ達に殺されるか、拉致されるのではないだろうか。

「ぐ……にげ……ろ、とや……ま」

 そしてついに富山散華は自分の眼前で起こっている不可思議な状況に気がついた。

 驚愕の表情で、しかし異常な事態だという事を察したのか、富山散華はすぐに高度を落とし地表へと降り立った。と、そこで地面にへばりついている降真にも気がつき走り寄ってきた。

「か、神薙君!? 何してるの? っていうか上のあれは喧嘩……だよね? 神薙君も何か関係してるの?」

「と……やま……すぐにここから……はなれ、ろ……」

「何言ってんの! クラスメイトが困ってるっていうのに委員長としてほっとけるわけないじゃない!」

 そう言いながら富山散華が降真の近くまで走り寄った途端、

「っきゃ!?」

 ベタン、とやはり降真と同じく身体を地面にへばりつかせた。

「な、なにコレ……動け……ない」

 巻き込んだ、と後悔の念が降真を襲ったが、それ以上に次に聞こえた言葉が降真を凍りつかせた。

「バカな!? なぜ一般人がボーイと……。どうやら片付ける対象が増えてしまったようだ!」

「それには賛成しないけど、このまま普通に帰す事は出来ないね」

 上空から聞こえる声はヘンタイとフロートのものだった。しかし、やはり降真の直感は当たっていたようだ。あの口ぶりからしてなんらかの能力で周囲に一般人が入り込まないようにしていたのだろうが、富山散華というイレギュラーが入り込んでしまった事を芳しく思っていないらしい。

 このままでは無関係の富山散華まで被害が及ぶかもしれないと降真は思った。そしてそれは自分の信念である弱きを守り強きを挫くという事を守れない。激しい憤りを全身に感じる。

「ぐ……くっそぉ……」

 しかし、動けない。動かない。

 自分の望む事はいつもそうだ。何ひとつ、神様は叶えちゃくれなかった。だから降真は今も思った。どんなに神様に願っても自分には何ひとつ出来ないのであろうと。

 そんな中、上空ではフロートとヘンタイが争っているであろうと思われる声や何かがぶつかり合う金属音のようなものを鳴り響かせていた。

「……い、息が……っは……! っは……!」

 そして目の前で自分と同じく倒れている少女、富山散華は非常に苦しそうな表情をしている。それを見て降真は思い出した。

 富山散華は持病の喘息持ちである為、過度な運動は出来ないという事を。

 苦しそうに顔を歪める少女を見て、降真のフラストレーションは一気に高まった。

「ふざ……けんな……っ!」

 拳を強く強く握りしめ、降真は怒りをあらわにし始め、

「勝手に巻き込んで……対象が増えたとか……」

 身体が、動き出す。

足がゆっくりと上がり出す。

「てめぇらの勝手な都合で……」

 重かったはずの身体が、ゆっくりと腰を上げだす。

「なんもかんも」

 ついには二つの足で大地に立ち上がる。

 降真は神様になど頼らなかった。だから、願わなかった。何も叶えやしない神様などに。

「決めつけてんじゃねぇええええええええええええええええええええええ!」

 そして、ようやく怒りはその怒号を通じて大気を震えさせた。

「なんっ!?」

「だとっ!?」

 上空に居たフロートとヘンタイは大気の震えとその怒号を感じ取り、驚くと同時に二人とも同じように落下し始めた。

 フロートもヘンタイも浮遊していた高度はさほど高くなかった為か、両者ともに綺麗に着地を決め、そして両者共に驚きのあまり声を失っていた。

 降真は不思議な感覚を味わっていた。先ほどまで異常に重かった身体が今はむしろいつも以上に軽く感じている。が、それよりも怒りが先行して止まなかった。

「てめぇらさっきから勝手な事ばっかり言ってんじゃねぇ! 何が殺すだ! 何が普通に帰せないだ! 勝手に巻き込んで、勝手にてめぇらで何でも決めつけてんじゃねぇ!」

 しかしその怒りは誰一人として、その通りには届いていなかった。

 それよりも唖然とする二人はこの異常な状況に困惑していた。

「シット! なんてことだ……。我輩の『マテル』は愚か、周囲の『マテル』濃度がまるで感じられん」

 ヘンタイは忌々しげに、降真を見てそう呟く。

「まさかバックファイア(マテル逆流)……? 私達の『マテル』がまるで感じられない……」

 対してフロートは冷静に、降真を見てそう呟く。

「……この場はリタイアする。次の機会にまた会おうフロートちゃん!」

 ヘンタイは言いながら、すばやくその場から立ち去っていった。

 しかしフロートにはそれよりも気がかりな事があった為、去り行くヘンタイになどおかまいなしに立ち尽くしている降真のもとへと駆け寄る。

「こーま君! 大変だよ!」

 慌てるフロートを見て、今度は逆に降真が冷静さを取り戻す。

「な、なんだってんだよ?」

「大変だよ……キミは多分、今ものすごい量の『マテル』を吸引してしまった。だからこそキミはヘンタイの戒めを解けたんだけど……。問題はそうじゃない。キミを中心に、ヘタをすれば半径数十キロ内にある『マテル』がほとんど失われているかもしれないの!」

 降真にはフロートが何を言いたいのか、すぐにはわからなかった。

 それがどうしたんだよ、と問い掛けるその寸前まで。

「『マテル』が失われる。それってつまりこの世界の人達が満足に空を浮遊できなくなる事」

 フロートは降真が尋ねるよりも先に答えた。

 降真はようやくわかり始めていた。つまり、フロートはこう言いたいのだ。

 雨季輪町に住む人々は降真のせいで空を舞っていられなくなった。皆、突然に落下してしまったのだと。

「そ、それって……」

「……周辺は大惨事になっているかもしれない」

 降真は何も自分の意思でそうしようとしたわけではない。

 なりゆきで、よくわからずにそうしてしまっただけだ。

 だがしかし、自身の引き起こしてしまった罪の大きさに堪えられず突然目の前が真っ白になっていった。

「こ、こーま君!?」

 朦朧としていく意識の中で降真が最後に思ったのは、富山散華の安否と、自分の仕出かした罪の大きさを悔いる事だけであった。





 神様は夢にだって出てきてくれた事などなかった。

 夢の中でさえ、降真に宙を舞わせなかった。

 夢は大抵悪夢だ。家族、友達、見知らぬおじさん、おばさん。果ては老人や子供まで。皆まるで息を吸うように、当たり前のように空を舞う。そんな中で降真はポツンと一人地表に佇んでいるのだ。

「俺だって皆と同じように空を飛びたい! 神様! どうして俺だけ飛べないんだ!」

 その叫びに呼応したのは、せせら笑う声。

 あの人飛べないの? あいつ飛べないのか? 降真君飛べないの? 神薙飛べないのか? ――色々な人々の小馬鹿にするような声。

 やがてそれらは降真の周りをぐるぐると回り始め、降真を囲むようにし、そしてせせら笑いを繰り返し始めた。

「こーま君は生成者だから飛べなくて当たり前なんだよ?」

 そこへ現れたのは、神と言うにはとても似つかわしくない、可愛らしい少女。

 少女は今までの世界観を簡単にぶち壊し、降真にそう告げた。

 降真にとって、その少女はこのコンプレックスを打開するヒントをくれたような気がした。

 気がつけば、周囲で先ほどまでせせら笑っていた声は、いつの間にか消え去っていた。

「フロート、あんたが俺にとっての……」

 そこまで言いかけた時。

 強烈で突き刺すような光りを受け、それを鬱陶しく思いながら降真はゆっくりと瞳を開いた。

「う、ん……?」

 意識がまだ朦朧としてはっきりしない中、次に感じたのは声だった。

「おはよう、随分と眠ってたね」

 その声がする方向へと頭を向ける。

 聞き覚えのある声と見覚えのある顔立ち。そしてその背景は、見慣れた自分の部屋。

「ゆめ……か?」

 と、錯覚させられたのもつかの間、すぐに見覚えのある顔立ちが言葉を続けた。

「違うよ。私、わかる? フロート」

 まだ覚醒しきれない意識のまま、ゆっくりと上半身だけを起こし、頭をぼりぼりとかきながら降真は大きく欠伸をした。

「んぁあ……。あれ……昼間……?」

 最初に気がついた、突き刺すような光りについてようやく疑問を持ち、それをそのまま言葉にした。

「うん、そう。こーま君が意識を失ってからもう丸一日近く経ってる」

 と、降真はそこでようやく記憶が戻り始め、次々と沸き立つ疑問が頭の中を廻りだした。

「丸一日……。何が、どうなって……俺は何をして……」

「大変な事に、なっちゃった」

 大変な事。今までの流れで何が大変な事が? ああ、そうだ。ひとつしかない。そこまで思い出し、降真は表情を青ざめさせフロートを見た。

「ま、さか……み、皆……周辺の人達皆、死んじまったのか!?」

 しかしフロートはそうではないというジェスチャーを、首を大きく横に振るように表わし、そして答えた。

「違うよ。私が帰れない状況になっちゃった、ってコト」

「どういう……事だ?」

「前にも言ったけど、こーま君は『マテル』生成者。本来なら、生成者は無意識のうちに『マテル』を生成してそれを放出しているの。わかりやすく言うと、植物の光合成に近いかもね。ほら、植物は水を分解して酸素を発生させるでしょ? それと同じ。こーま君はただ生きているだけで『マテル』を生成し、放出する。それがこの前の時、その放出を止めて、逆に思い切り吸い込んでしまったの。それがバックファイア」

「ああ……そのくらいはなんとなくわかる。俺が聞きたいのはそうじゃない」

 フロートは小さくコクリと頷き、更に続けた。

「……うん、さっき私が言った事だよね。こーま君が『マテル』を吸い込んだ時、私は咄嗟に過去にもあった同類の、似たような事件を思い出して大規模な『マテル』が失われたと思い込んだんだけど、そうじゃなかったの。あの時はほんの半径数メートル程度の『マテル』を吸い込んだだけだった。ただし、それでもかなりの量の『マテル』をだけどね」

「それがなんだってんだよ?」

「私のホームはこの日本じゃない。それで私のホームに帰るにはいつも自分の『マテル』を大量にコントロールして、位相空間を捻じ曲げゲートを作る。そのゲートを開くのに必要な『マテル』量がまるで無くなってしまったの」

「なんだ……? 『マテル』ってのはこう、貯めておけるわけか?」

「うん、そう。『マテル』っていうのは、操り方次第で自分の内に留めて保管できるの。数値で表したりするのは難しいけど、なんとなくわかるって感じかな? 今どのくらい『マテル』があるなぁ、って。でも、こーま君のバックファイアのおかげで『マテル』を操る私とヘンタイは、自分の内に留めておいた『マテル』がほとんど空っぽになっちゃったわけ。それで私がコントロールする『マテル』が失われたからこーま君はヘンタイの重力場を抜け出し、私とヘンタイは空を舞う事が出来なくなっちゃったの」

「なるほどな。その『マテル』ってのをまた貯蓄しないとお前は自分の家に帰れないって事か」

「そういうコトだね。私達みたいな普通の(・・・・)は『マテル』を一度に沢山溜め込む事は出来ないから時間が掛かるの」

 普通の人、という言葉が異常に引っ掛かる。

 どうみてもこの少女は普通の人ではない。

「お前は一体なんなんだ? 人間じゃないのか? そろそろ本当の事を教えてくれてもいいんじゃないか?」

 フロートは一瞬、躊躇するようなそぶりを見せつつも、小さくコクリと頷きゆっくりと語り始めた。

「私は人間。身体の造りもほとんどこーま君達と同じ人間だよ。違うのは『マテル』の扱いに長けているってだけ。ただ、今ここにあるこの世界とは酷似しているけど違う場所の住人。別次元の人間。IFの世界の人間っていうのが、いいのかな」

 降真は眉をひそめて返した。

「IFの世界?」

「前に私達がこーま君達生成者を守るのは、私達の世界では生成できない『マテル』を返してもらう為って言ったよね。私達のご先祖様が無の宇宙空間に『マテル』を与えて創造したって。あれは全部ウソ。こーま君達の世界と私達の世界は同じように生まれて、同じように今も時を刻んでるの。ただし違う時空系列で」

「なんだと? すまん、もう少しわかりやすく頼む」

「ちょっと長くなるけど、いい?」

「かまわない」

 フロートはわかった、と頷き、これまでの経緯を話し始めた。

地球と呼ばれる降真達が住むこの惑星が生まれた時、全く同じ場所に異なる位相、四次元にも同じようにフロート達の惑星、『ガイア』が生まれたのだという。そして『ガイア』と『地球』はほぼ同じ様に生命が育み、発展した。

しかし人類の歴史がまるきり同じようになるわけもなく、フロート達『ガイア』の方だけが著しく発達していった。そしてその過程でついに究極の元素『マテル』を発見する。『マテル』はフロート達の生活をこの上なく向上させ、『マテル』を利用する事でフロート達『ガイア』の民は更に進化を続けた。

『マテル』を発見した当初は、『ガイア』の民も今の地球と同じくすぐには利用する事が出来ず、特別な薬品を摂取する事で『マテル』のコントロールを可能にしてきた。

しかしそれから更に何世代も経過していくうち、特別な薬品なくして『マテル』を利用出来るように人は進化していった。

そしてついにはその『マテル』を利用し、別次元、別の位相にフロート達の世界とは似て非なるものがある事まで発見した。それがこの地球であった。

 その頃、『ガイア』の民は混沌の渦中にあった。

 それというのも、酷使しすぎた『マテル』が近い未来に枯渇してしまうという事が原因であった。当然『ガイア』にも地球同様、およそ一万分の一程度の確率で生まれ来る生成者はいた。が、その程度ではとても足りないくらいに世界中では『マテル』を酷使し過ぎていた。

 しかし昨今に発見された地球という異なる位相にある星は、いまだ『マテル』にほとんど手付かずだという。ならばこれを利用しない手はないと『ガイア』の民達は考えた。

「『マテル』は無くなっても命を失うまではない。でも、私達『ガイア』の民はもはや『マテル』無くして生活は出来ない程に頼り切ってしまっているの。それなら、いまだ『マテル』の存在を知らない星からそれを頂こうと『ガイア』の民は動き出した」

「それで、お前は俺達『マテル』生成者を保護しようと?」

「それはちょっと違う」

 フロートは急に真剣な面持ちになり、少し強い口調で言った。

「どういう……事だ?」

「『ガイア』の中で意見が大きく二つに別れたの。一つはさっき言った通りこの地球から『マテル』を完全に奪い去ってしまおうという考え。今はそう考える人が大多数。もう一つは、生成者を拉致して私達の星で生きてもらい子孫を反映してもらうという思想」

「じゃあフロート、お前は後者の方ってわけか……?」

「うん、そうなる。でも私達の思想はあくまで思想。共感して動いてる人間はわずかなの。だからとても組織なんて呼べるものじゃない。でも私達の同士には政府の上層部に強い権力を持つ人がいて、今のところはなんとか地球から『マテル』を奪い去ってしまおうという意見を食い止めてる。それでその間に私達みたいな工作員がこーま君達生成者を拉致して『ガイア』の『マテル』を回復しようと努力してるってわけ……ごめんなさい」

 フロートはそう語りながら、段々と辛そうな表情で、最後に謝罪の言葉を付け加えた。

「どうして、謝る?」

「だって、どっちにしたって私達の勝手な都合でこーま君達に迷惑を掛けてるから……」

「お前が最初にあんな嘘をついたのは、後ろめたさがあったからだろ?」

「うん。でもそれだけじゃない。拉致しやすいように、『保護』なんて嘯いて、納得してもらいやすいように作り話までするのが……私達のやり方、だから……汚いよね、ほんと」

「そうだな、汚いな」

「……うん」

「勘違いしてるようだが、汚いってのはフロートの事じゃないぜ。『ガイア』って星の連中がだ」

「え?」

「フロート、お前さん方の思想はつまり、この全然見知らぬ地球って星の将来を思っての行動なわけだろう? 俺達地球の人間も『マテル』を利用してよりよい生活を得られる可能性を奪わないようにしてくれているわけだろ? だが、大多数だっていう『ガイア』のやつらはどうだ? 全部てめぇらの事しか考えていやしねぇ。そいつらが汚いって言ってんだよ、俺は」

「こ、こーま、君……」

「俺はな、筋の通らない事は大嫌いだ。まぁこの場合どっちも筋は通っちゃいないんだろうが……。だから、お前に少しは協力してやる」

「え、協力って……」

「お前のボスってやつと会って話ぐらいはしてやるって言ってんだ。ただし、そっちの世界で永住するってのだけはごめんだぞ」

「う、うん! 私、ちゃんと言うからボスに! こーま君の気持ちも考えてあげてって話すから!」

 まるで腫れ物が取れたかのように、フロートは満面の笑みでそう答えた。

「それにしても、なんで急にほんとの事を言い出したんだ? 今の話ってこの星の人間に聞かせたらあんまりうまくないんじゃないか?」

「さ、さぁ。なんで、かな。よくわかんない」

 妙に言葉を濁していると降真には感じられた。

 何か言いづらいことでもあるのだろうか? と降真は思う。

「んで、これからお前はどうするんだ?」

「うん、お世話になります」

「は?」

「ふつつか者ですが、どうぞよろしく」

 フロートは手を床につき、妙な笑顔のまま可愛らしく土下座した。

「よーし、オーケー。ちょっと待て。どういう事だ?」

 その仕草は可愛らしかったが、意味不明の内容に怪訝な表情で降真はフロートを見つめた。

「さっきも言ったけど、私はホームに帰る『マテル』が貯まるまで、住むとこがない。それにいつまたヘンタイがこーま君を襲いにくるかわからない。この二つが意味する所はひとつ!」

「俺の家に住むって事か!?」

「ぴんぽーん! ってわけで、今日からしばらくよろしくね!」

 なるほど、これが本当の事を言い出した真の理由か。と降真は勘付く。

「ば、ばかやろう! ぴんぽーんじゃねぇ! そんな事できるか! だいたいオフクロもオヤジも涼風だって、なんていうかわかんねーし、ってか、ダメだダメだ!」

 と、降真が必死に抵抗していると、不意に部屋の扉が開いた。

「オ、オフクロ! こいつはその!」

 急な母親の登場に狼狽する降真だったが、それに相反し、降真の母、神薙舞子(かんなぎまいこ)は落ち着きはらった態度で笑っていた。

「あら、降真やっと起きたのね。それより駄目よ? せっかく海外からガールフレンドがホームステイしに来たばっかりの日にお寝坊してちゃ。フロートちゃん、降真と仲良くしてやってね。あ、これお茶菓子。遠慮しないで食べてね。自分の家だと思って思い切りハネを伸ばしちゃっていいからね」

「はい、ありがとうございます。舞子さん」

 言いたい事を一通り言い尽くすと、舞子は何故か上機嫌に鼻歌を歌いながら階段を降りていった。

 部屋の中央ほどにある小さな円形のテーブル上に置かれた紅茶とクッキーを呆けたまま見つめ、降真は唖然としていた。

「ってわけで、こーま君以外は皆問題ないって感じだよ?」

「はぁ……悪夢だ……」

 とんでもない話であった。

 とりあえず先ほどの母親の言葉でだいたい想像はついたが、一応フロートに確認してみたところ、フロートは降真のガールフレンドで、長くから付き合いがあったが、この度日本の文化を学びたいという理由で降真の家にホームステイしに来る事になった。最初、舞子は当然そんな事など知らないと言ったが、意識を失った降真を担いで運んできたフロートをそのまま帰すわけにもいかず、降真の部屋に案内したという。

 意識を失っている降真に関し、「私と再会した祝杯パーティーをやっていて、夜遅くまで遊んでいた為、疲れて寝込んでしまった」と、言ったらしい。どうも降真が意識を失っているその間に、母親の舞子のみならず、父親と妹にも会い、経緯を説明したところ、快くホームステイを受けてくれたのだそうだ。

 たしかに外見は可愛らしい少女だし、なにより気を失っている降真を担いで家に運んできてくれた人間を怪しいとは思わなかったのだろう。(というより、降真の家族が基本的に楽観的すぎるのだろうが)それが今朝方の話だというのだから、全く言って恐れ入ると降真は思った。

 それに加え、今日という日が偶然、国民の休日だったのもうまく話を合わすのに好都合だったと言えよう。

「まぁ、本当の所を言ったって信じるわけもないしな……」

「んまぁ、そういうコトだね。ってわけで私、ガールフレンドだからよろしくね!」

 と、言いながらフロートはベッドの上で頭を抱え込む降真の顔を覗きこむようにし、ニッコリと笑った。

 正直、可愛い。

「ん、く。わ、わかったよ……」

 降真は若干照れながらも顔を背け、そう答えざるを得なかった。

「あ、それとこーま君が寝てる間に、もう転入手続き申請も済ませちゃったから」

「な!? お前、学校にまでついてくるつもりか!?」

「あったりまえでしょ? 常にこーま君の状況から目を離さないようにしなくちゃだし、それにヘンタイもまたいつ襲ってくるかわからないしね」

「そうだ。あのガチムチの変態野郎は一体なんなんだ? なんで俺を殺そうとしてるんだよ?」

「ああ、そうだったね。あいつ、ヘンタイは『バランサー』って団体の一人」

「バランサー?」

「そ。立場的にはこーま君達と同じ星の人間。で、しかも『マテル』の存在について知っているごく限られた人間。なんでもこの世界でどういう目的かわからないけど、『マテル』を生み出す人間を消そうとしてる団体があるんだって。それが『バランサー』。何故かはわからないけど、私達が生成者をこの星で拉致しようとすると、それをいつも邪魔して生成者を殺そうとするの。だからあのヘンタイとは顔なじみってわけ」

「じゃあ今までに何度かあのヘンタイやろうに罪もない人達が殺されてるっていうのか?」

「……そう、だね。罪もない人達が、ね……」

 一瞬、それまで饒舌に話していたフロートの表情に陰りが見えた。何か、触れてはいけない内容だったのだろうかと降真は少し引け目を感じる。

 短い沈黙のあと、フロートは突然立ち上がり、降真の部屋をあとにしようと背を向けた。

「あ、それと」

 降真に背を向け、扉の取手を掴んだままフロートは口を開いた。

「キミの近くに居た女の子は私が無事、家に送り届けたから。あの時の記憶も消して、ね。それじゃ」

 それだけ言うと、フロートは降真の部屋を出て行った。

 依然、まだよくわからない事はいくつもある。ただ、自分は生成者というやつで、あの少女はそんな自分を守る為にいるという。

 謎の悪者が突如やってきて、謎の正義の味方が自分を守ってくれる。しかも美少女というおまけつきだ。降真は今更ながら、これはまだ夢の中なんじゃないかと頬をつねってみた。

 ……痛かった。





「あらぁ、ピッタリね、フロートちゃん!」

 神薙舞子は、まるで子供のようにはしゃぎながらきゃっきゃと喜び、手のひらを合わせてニッコリと微笑んだ。

「ほんとピッタリ。それによく似合うよフロートさん」

 神薙涼風もまた、続けて同じ事を言った。

「ありがとうございます。舞子さん、涼風さん。わざわざこんな物まで用意してもらっちゃって」

 フロートはやたらと慎ましくそう答えた。

「もう、そんな舞子さんだなんて他人行儀な事言わないの! お母さんかママって言ってちょうだい! フロートちゃんは家族の一員みたいなもんなんだから」

「うんうん、そうだよフロートさん。私の事もすずかーって呼び捨てでいいからね」

「あ、はい。ママ。すずか」

 フロートが降真の家にホームステイ(という名目)で住み始めてから三日目。

 先日の国民の休日から引き続き、土日を挟んだおかげで三日というやや大型の連休の最終日、降真の母、神薙舞子はフロートがこれから通う降真達の学校の制服を用意していた。その着付けを降真の母、神薙舞子と、妹の神薙涼風と行っていた。

「いやぁ、よかったわぁ。お隣さんの娘さんがちょうど降真と同じ高校を卒業したのを覚えてたから試しに制服を頂けないかってねだってみて! それにしてもよく似合うわ!」

 フロートも満更ではないのか、かなり嬉しそうにしながらその制服を着た自分の姿で腕を上げたり、くるりと回ってみたりとして楽しんでいる。

「それにしてもこの制服、ほんとにかわいいですね」

「うんうん。よかったわ、フロートちゃんも気に入ってくれて。降真の通う高校って男子の制服はいまいちだけど、女子の制服は可愛いって評判だったから、可愛い子に着てみてもらいたかったのよねぇ! まだ涼風は中学だし、それにこの子は楼栄高校には行かないって言うからガッカリしてたんだけど、フロートちゃんが来てくれたから念願かなっちゃったわ」

「うーん。私もその制服着たいなぁ……。でもお兄ちゃんと同じ高校って格好悪いしなぁ」

 そんな、制服の話で盛り上がる女性陣を横目に、降真と降真の父、神薙源太(かんなぎげんた)は居間のソファーで寝転がりテレビを見ながら寛いでいた。

 そこへ、父、神薙源太がそっと降真の耳元に顔を近づけ言った。

「おい、降真。お前いつの間にあんな可愛らしいお嬢さんと仲良くなったんだ? いつもクールぶってるお前だったが、やる時はやるんだな」

「だーかーらー、違うって言ってんだろ。あいつはただの友達!」

「何を言ってるんだ。フロートちゃんはガールフレンドだって言ってたじゃないか」

「オヤジ……よく考えろ! ガールフレンドってのは直訳でつまり女友達。全くもってただの友達だよ!」

「降真よ。お前はまだ若いからそういうのが照れくさいのかもしれんが、英雄色を好むと言ってだな、男は女が好きでいいんだぞ? なんら恥じる事などない。堂々と、はべらかせばいいんだ! そ、それでお前、フロートちゃんとはどこまで……」

「こんの……クソオヤジ!」

 ボゴっ! という強烈な降真の拳が神薙源太の顔面に突き刺さった。

 神薙源太は、その妙に嬉しそうな(いやらしそうな)顔つきのまま、ソファーの後ろへとひっくり帰って倒れてしまった。

「ったく。息子になんつー事を聞くんだ、この変態オヤジめ……」

 謎の少女フロートと共に生活する事になって、すでに三日目。

 あれから特に大きな変化も見られず、事態は何も変化を見せていなかった。

 ただフロートが言うには、今までとは正反対に今も降真は微量に少しずつ『マテル』を自動吸収しているらしい。

 それについてフロートは先日引き起こしたバックファイア現象の残り香だと思うと言っていた。生成者が稀に引き起こす現象なのだそうだが、詳しくはフロートにもよくわからないらしい。しかしそれならば、もはや自分を拉致する意味などないのでは、と思った降真がその事について尋ねると、

「それでもこーま君は生成者としての素質を持った人間だから、私達の世界で住んでもらう事に意味はあるの、ってボスが言ってた」

 という事らしい。

 つまりはフロート達の住む星『ガイア』でそのDNAを受け継がせた子孫を反映してほしいという意味らしいのだが、当然降真にはそこまでの事は決めかねていた。

 どのみちフロートの『マテル』が溜まるまではゲートを開く事が出来ない為、すぐに決断が迫られているわけではないのだが。

しかしそんな状態である降真の傍に居て、フロートが『マテル』を貯められるのかどうかを後になって疑問に思った降真はフロートに尋ねてみた。

 なんでも、あのバックファイア発生直後は、一時的にものすごく強烈な吸引力で一気に『マテル』を吸い取られた為、フロートの内なる『マテル』も無くなってしまったが、今現在の微弱な吸引力程度なら、フロートが体内に留めておく『マテル』までは吸い取られる事はないそうだ。

 加えてヘンタイがこの数日間に襲ってくる気配を見せない理由。それは、当事者であったヘンタイも自身に溜め込んでいた大規模な『マテル』を失い、現在回復している為と思われる。とも、フロートは言っていた。

「でも、ヘンタイの仲間達が来るんじゃないのか?」

 降真は当然の疑問をぶつけてみた。

「それはないよ。彼らは絶対ターゲット一人に対して一人でしか行動しないから。そういうプライドが高いのかな?」

 と、答えた。

 それについては、何故かはフロートもよくわからないと言っていたが、この数日間で何も起きないあたり、間違いはないのだろうと思われた。

 しかし、そんな事より問題は明日からだ。

 クラスメイトや友達に、フロートについてなんと説明しようか、と悩んでいた。

 当然というか、フロートは俄然ガールフレンドで話を通すつもりでいるらしいが、降真にとっては迷惑極まりない。

 父親を殴り倒して、自身の部屋に戻った降真は一人、ベッドで寝転がりながら考えていた。

「あーあ……めんどくせぇ事が増えたなぁ」

 そう呟く降真を他所に、階下からはまだ女性陣の会話が花咲いていた。





 楼栄高校は降真達の住む雨季輪町のみならず、近隣にある市町村の中でかなり偏差値レベルの高い普通共学校だ。また、創業も五十周年をほこる、由緒正しき伝統のある高校であり、雨季輪町に住む中学生達からすればこの高校へ入る事だけでひとつのステータスであった。

 幼少時代から、飛べない事によるコンプレックスを抱えていた降真は、他で出来る可能な限りの努力を決して怠らなかった。そして中学時代、自分を馬鹿にし続けてきたやつらを見返す為にもかなりの苦労をしてこの高校に受かったのだ。

 そして、当然中学時代の二の舞無きよう、高校生になってからも勤勉を疎かにはしなかった。おかげでついこの前の小テストでもクラス内順位一位になれた。当然それを知った生徒達は勉強や授業でわからない事があれば、大抵降真の所に集まり質問攻めだった。

 それが――

「……って、訳されるから、そこのtoは独立不定詞として前後の文脈から意味を考えるべきかな」

「ふむふむ……。ありがとフロートちゃん!」

「あ、ねぇねぇフロートさん、こっちのこの文章問題さ……」

「ああ、それは難しく考えないで普通にここで連立方程式を用いた方が簡単に解けるよ」

「あぁ、そっかぁ!」

 たったの数日で、いまやその立場はフロートのものになっていた。

 どうやったのかは知らないが転入手続きは異常にあっさりと済んでおり、それだけではなくフロートは外国のエリートハイスクール出身という肩書きを添えていたものだから、転入初日の日からクラス内での話題はフロートの事でもちきりだった。そしてそれだけではない。

「皆さん初めまして。この度、この学校でしばらくお世話になるフロー・シャムネ・トゥルーパと申します。以前よりネットで知り合ってから仲良くお付き合いをさせてもらっている神薙降真君の家にホームステイしています。どうぞよろしくお願いします」

 という、やたらと丁寧に、しかも余計な説明口調での挨拶だったものだから、その初日の日は当然降真にも火の粉が飛んだ。

フロートのその口ぶりから多くの生徒が、神薙降真の彼女なのか? という嫉妬と羨望の眼差しでもちきりだったが、降真がそれを強く否定し一旦はその件も沈静した、ように見えた。しかし、当のフロートは「降真君とはガールフレンドですよ」と答えるものだから、クラス内で男子からの差すような視線が降真には痛かった。というか、やはりというか、それにキレた。

 荒れ狂う降真があまりにも恐ろしかった為、おかげでそれ以来降真とフロートの仲を詮索するような生徒達はいなくなった。(あくまで表面上は)

 そんな転入初日の日よりすでに四日程過ぎた昼休みの今。

 いつものやたらとはっちゃけているフロートとは打って変わり、異常なほどにおしとやかで頭脳明晰、それに加え敵を作らないような容姿とその態度のフロートは、すでにクラス内で富山散華と二極を分ける程の大人気となっていた。

 おまけに散華派とフロート派というくだらない派閥まで出来始めていた事も聞いた降真は正直呆れ返った。

「しっかし降真、お前いつの間にあんな子を彼女に……」

 と、そこまで古親つとむは言いかけて口を紡いだ。

 降真の目つきが鋭くなった事に気づいたからだ。

「――じゃなくって、知り合いになってたんだよ? 俺、そんな話一度も聞いた事ないぜ?」

 言葉を変えてそう降真に尋ねる古親つとむに対し、はぁっと小さく溜め息をつきながらも降真は渋々と答える。

「あー、まぁ、なんていうか別にわざわざ人に言う程の事でもないと思っただけだ」

「おぅおぅ降真くぅん! 親友の俺にまで秘密ごとはないないにしようぜぇ? そんなの悲しすぎるぜ! そうだろ、心の友よ!」

「ツトム、ひとついいことを教えてやる。心の友よって言うやつは、普段は友達扱いしてないやつが言うセリフなんだぜ」

「まーたまた、そんなツレない事を。いつだって俺はお前の心の友じゃないかぁ!」

「ああ、そうだな。いつだってお前は俺の心の友だ。昔、俺の事を飛べないって散々バカにしてたしなぁ?」

「あ、あはは。そうだったっけ? そんな昔の事は忘れてしまったぜ。あ、そ、そうだ俺先生に呼ばれてたんだ。じゃあな!」

 若干ばつが悪くなったのか、古親つとむはその場から逃げるように去ってしまった。

 全くもって面倒な事になったと降真は再び机の上で頬杖をつき、そして溜め息もまたひとつつく。

 実に平和であった。





「しかしこの時間割りにはいささか問題があるとは思わないかね、ワトスン降真くん」

「誰がワトスンだ。けどまぁ、ツトムの言う通り、たしかにどうしてこの学校は昼メシの後に体育があるんだろうな」

 この曜日だけであったが、なぜかそうなっていた。

 お腹がいっぱいの、動くのが億劫な状態での体育に不満を言う者はあとを絶たない。誰かがそれについて教員に抗議したところ、昼食後の授業は眠くなりがちなので、わざとこういう時間割りにした、と答えたとか。

「正直バカだろ。腸ねん転引き起こすっつーの」

 古親つとむは呆れるように言い捨てた。

 その上今日の内容は、体力測定。

 短距離走に、走り幅跳び。懸垂に走り高跳びと、どれも面白くなく、かつ疲れる内容だから余計に愚痴をこぼす者達ばかりであった。

「まぁ降真はいいよな、お前運動神経いいし。俺は短距離走と懸垂はマジでダメ」

 地面に体育座りの姿勢でそう愚痴をこぼす古親つとむとは相反し、降真はハハっと軽く笑っただけだった。

 内心、降真はこういう体力測定系の体育が大好きだ。

 古親つとむの言う通り運動神経がいいのもあったが、なによりこの誰かと比べて優位に立てるという事自体が好きだからだ。

「ぉ、降真、あれ見てみ。富山さんが走るぞ」

 不意に降真の服を引っ張り古親つとむはそう言った。

「それがどうかしたかよ?」

 なぜそんな事をわざわざ伝えたのか、その真意が降真にはわからなかった。

「ヘイ! あのメロンを見て何も思わないのか。さては病気か。お前は病気だ、降真」

 と言いながら、古親つとむはクラウチングスタート体勢の富山散華を親指で指差す。

「はぁ? メロン?」

「いえすメロン。幼さを残す表情とは裏腹に、素晴らしく発達した二つのメロン畑が今、大きな地震に見舞われようとしているんだぜ? これを注視しないで何を楽しめと言うんだ」

 あなたはどこのエロオヤジですか、と突っ込もうとした降真より先に、おおっ! とどよめく歓声が響き渡った。

 富山散華が走り始めたのだ。

 短距離走は四人一斉に行われていたが、富山散華は走り始めてからあっという間に他の三人と距離を離され、気づけば最下位を一生懸命に走っている。

 だが、歓声は当然、そんな意味合いで巻き起こっているわけではない。

「な、なんという大地震だ。あれはマグニーチュード六を軽く超越しているぞ降真くん!」

「はぁ、さいですか……」

 呆れる降真以外他男子生徒は、古親つとむ同様にそのマグニーチュード六に見舞われているメロンに釘付けであった。

 そんな下心で凝視している男子生徒達をよそに、富山散華は一生懸命走り切った。

 富山散華は持病の喘息持ちではあったが、決して体育を休もうなどとはしなかった。無理をして臨む事まではなかったが、どんなに遅れを取ろうと失敗しようと、絶対に休まない。そういう健気さがまた男子生徒のみならず女子生徒からも人気を博しているのだろう。

 富山散華はやはり最下位のままゴールインしたが、女子達は皆そんな富山散華を気遣うように話し掛け、また男子達も褒め称えた。

 富山散華のグループが測定を終え、降真達と同じように所定の場所へ戻ろうとした時、ちょうど降真の横を通りすぎようとした。

「よ、富山。いい走りだったぜ」

 降真の後ろで体育座りをしている古親つとむがなんの気もなく、普通にただそう言った。

 富山散華はそう話しかけてきた古親つとむには、軽く頷くだけで特に返事はしなかった。むしろ降真の方を見て、声を出さずに口パクをしていた。

「……わ・す・れ・な・い・で・ね、か」

 面倒な一件がもうひとつあった事を、降真はそれで思い出す。

「はぁ……」

 正直なところ特に何もその件については考えていなかったので、思い出すとまた憂鬱にさせられ溜め息がこぼれた。

そんな矢先。

「うおおぉぉ!」

「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!?」

 という、先ほどの富山散華の走りを更に上回る大歓声が、二段階踏んで響き渡った。

 降真はその歓声に耳を引かれ、ハっと顔を上げる。

 いやーな、予感がした。

「な、なぁ降真。俺は夢でも見てるんだろうか?」

 降真の後ろで大人しく体育座りをしていたはずの古親つとむはいつの間にか立ち上がってそう呟いた。

 よくよく周りを見てみると、古親つとむだけではない。他の生徒達が皆、それぞれ驚きのあまり立ち上がっているようだった。

「あ、あのバカ……っ」

 原因から言うと、フロートだ。

 まず最初の大歓声はフロートの走り始め。長く流麗に伸ばされた淡いブルーの髪の毛が風になびかれる様子は実に綺麗だった。

 が、その数秒後。

 ありえない程の速さであっという間に短距離の百メートルを走り去ってしまっていた。まるで一人だけ、背中にブースターでもついているかの如く。

 それから残りの三人がゴールインしたのはフロートより数秒もだいぶ遅れてからだ。

「ご、五秒台!?」

 測定係りの体育教師は眉を歪ませて硬直していた。

 よーし、オーケー。あのやろう。ばかやろう。と、降真は激しく心で罵った。

 若干の危惧はしていた。だが、まさかここまで人間離れした運動能力(もとい、別の能力かもしれないが)を持っているとは思わなかった。いや、例え持っていたとしても、フロートは今日、他の生徒の走りを見てわかっているはずだと思っていた。この世界の運動能力がどのくらいのものか。当然、それを考慮してやるだろうと思っていた。

「ってのは、俺自身への言い訳か。ごめん、正直なんも考えていませんでした」

 自分へ突っ込みを入れずにはいられなかった。

 とにかく、とにかく、やってしまった。やってしまってはいけない事を。しかしもうどうにも言い訳など出来ない。本当の事を言うか? いや、そもそも本当の事とはなんだ。だいたい自分だってフロートの事など何もわかっていな――

 一人狼狽する降真を他所に、他生徒達は一斉にフロートの下へと駆け寄っていた。

「すっごーい! フロートちゃん!」

「フロート、お前やるなぁ!」

「五秒ってオリンピック出られるんじゃない!?」

 クラスメイト達はフロートを囲みこんで単純にフロートのすごさを称えていた。

 その状況に我慢が出来なくなった降真は強引にその人だかりを割って入り、フロートの前へと立ちはだかる。

「あ、こーま君。私の走り見てくれた? えへへ、結構速いでしょ私……って、あれ、なになに? どしたの? どこ連れてくの?」

 楽観的に笑うフロートを他所に、降真はがっちりとその腕を掴むと、無言のままフロートを人気の少ない裏庭のトイレまですたすたと連れて行く。

 周囲に人気がないのを確認し、降真はフロートに背を向けたまま、肩を震わした。

「皆の前でこんな所に強引に連れ込むなんて……こーま君って結構ダイタンッ」

 そして振り返り、

「ダイタンッ。じゃねぇええええええええこの大バカヤロォォオオオオオ!」

 と、叫んだ。

「え? え? なになに? もしかしてこーま君怒ってる?」

「当たり前だこの馬鹿ちんが! どこの世界の高校生に百メートルを五秒台で走るやつがいる!? 世界最速って言われてるオリンピック選手のナットだって九秒台をやっと叩き出したってのに、お前はどこぞのチーターか!?」

「それってよくお酒のつまみに出る、くさーい卵でしょ? 私アレ苦手」

「バカだなぁ、あの匂いと味がまたいいんじゃないか……って、そりゃピータンだろうが! ぜんっぜん違うわボケ! チーターだチーター!」

「あ、アレか。確かにチーターは良くないね。私は真面目にやってるって言うのにズルはいけないよズルは。私もズルは嫌いだもん」

「いや、チーターなんかよりもボットの方がもっと厄介……って全然違いますぅぅ! それはゲームをチートプレイしてる人の事! チーターには間違いないけど!」

「やっぱり運営がもっとしっかりしてくれないと……」

「まぁそうだな。最近のネトゲの治安崩壊ぶりは見かねるものが……って、そんなのはどうでもいいんだぁぁぁああ! うわぁぁぁぁぁぁぁ! 流されるなぁ俺ぇぇえええ!」

「あはは! また出た、こーま君の面白い顔。泣きながら怒ってる顔!」

「お前のせいだあぁ! それより、なんであんなに速く走ったんだよ!? あれじゃお前が普通じゃないってバレバレだろうが!」

「私のモットーは、物事を常に全身全霊掛けて臨む事です!」

「バカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 降真はそこでようやく息が切れ、その場へと力なく座り込んだ。

 掴めない。この少女の考えている事が。今更ながらにそう思わされた。

「ごめん、こーま君。ふざけすぎたね。でも、理由があったのは本当」

 急にしおらしく、フロートは声のトーンを落として言った。

 そんなフロートの声を聞いた事がなかったので、思わず降真はフロートの顔へと見上げた。

「理由って、なんだよ?」

「こーま君、私を心配してくれたんだよね。皆に変な風に思われないように。ありがとう。私もね、本当はわかってた。本気出したらきっと皆を驚かしちゃうだろうなって」

「だったらどうして……」

 と、降真の言葉はそこで遮られた。

 ――ゾクン。

うまく言葉で言い表せない、奇妙な感覚。

 不可解な、でもたしかに何か悪寒のような寒気に突如襲われたからだ。

 体全身が震える。心臓の鼓動が異常に高まる。

「な、んだ? なんかおかしいぞ?」

「……ヘンタイだ。フィールドを展開してる!」

 降真が異常を訴える中、同時にフロートも何かを感じ取ったのか、そう言い残すとすぐさま神妙な面持ちでトイレの外へと駆け出し走っていた。

 五感で感じられるものに大きな変化はない。しかし、間違いなく降真はえもいわれぬ不可思議な第六感を感じ取っていた。

 そしてそれが、自分の内なる何かを大きく震わせ共鳴させていた。

「なんだコレ……なんなんだ!? 体がなんかよくわかんねぇけど、おかしい!」

 吐き気、目眩、頭痛、胸焼け。

 それらが織り交ざったような、よくわからない嫌悪感。

 降真は一人、そのトイレの中で奇妙な感覚を怖れ、震えて縮こまっていた。





 先ほどまで体育の授業中で賑わっていた校庭には、すでに人の気配はなかった。

 周囲から聞こえる木々のざわめき以外、その校庭は静寂を保っている。

 そんな中、フロートはその校庭の中央あたりまで辿り着くと、そこで立ち止まり辺りを見回した。

「おかしい……」

 フロートは呟いた。

 彼女が感じた感覚は降真のそれと同じ。そしてそれは今までの経験上、間違いなくヘンタイから発せられるものだった。

 しかし、それがこんな日の高い内から訪れる事など今までに一度もなかった。

 実のところフロートは、ヘンタイ達属する『バランサー』について、あまりよくわかっていない。ただ、そういう存在がこの星には居るから注意しろとボスや仲間から忠告は受けており、実際何度も衝突しあってきた。

 その経緯から、彼ら『バランサー』は日の光りが照っている内には現れない事はわかった。

 それが、今日は、初めて違う。

 ヘンタイから発せられる特有のフィールドがこの学校の校庭を包んでいる事はわかる。それにこの『マテル』の使い方はフロート達もよく使う、『人払い』法に間違いはなかった。

「なんでこんな昼間から……。っ!」

 訝しげに周囲を見渡すフロートは途端、瞳を見開く。

 背後から近づく膨大で混沌とした『マテル』を察知したからだ。

 それと同時に振り返りつつ素早く二メートル程、その背後から近づく者に対し距離を取ろうとバックステップした。

 その正体は、降真だった。

「な、なんだよそんなおっかねぇ顔して。ってか皆どこに行っちまったんだ?」

「こーま……くん?」

 フロートは眉をひそめながら言った。

 降真の異変に、ようやく気づき始めたのだ。

 降真はまるで極寒の中で寒さに凍える子供のように、両腕で体を囲んで震えている。

「なんか、すっげぇ気持ちわりぃ……。俺、どうしちまったんだ……?」

 それに答えたのは、上空から聞こえる声だった。

「本格的に覚醒し始めたのだ。ボーイ」

 声の方向に対し、フロートと降真は同時に顔を上げた。

 それは間違いなくヘンタイであった。

 その表情は今までのものとは打って変わり、深刻そうな面持ちで両腕を組み、やや悲しそうであると降真には初めて感じられた。

「覚醒? なんなんだそりゃ。そういやこの前もそんな事言ってたが……」

「ボーイよ、貴様は今まで空を飛べなかったのだろう?」

 ヘンタイは表情を変える事なく、腕を組んだ格好のまま、ゆっくりと降真達が立つ大地へと降り立ち、そして言った。

「それが、可能になったのだ」

「……っ!!」

 降真は自分の耳を疑った。

 それは、今までの自分が抱えてきた多大なコンプレックスである元凶、原因を吹き飛ばしてしまう、とても魅惑で甘美で、待ち焦がれていた神からの言葉だったから。

「こーま君っ!」

 そんなヘンタイの言葉に一瞬我を失っていたが、フロートが呼び叫ぶ自分の名に意識は若干の冷静さを取り戻した。と、同時に今の状況がひどく絶望的である事に気がつかされた。

「終いだ、ボーイ」

 すでに視界は暗闇であった。

 正確には、ヘンタイが降真の眼前に広げた大きな手のひらだったのだが、あまりにも近すぎるそれが、降真には手のひらだと理解するに及ばなかった。

 ――つぶサレル。

 降真がそう直感した刹那。ドウっ! っという轟音と共に突如訪れる突風。圧力。

 そしてガシャンと激しく背中を打つ衝撃音と痛みを覚え、ようやく降真は完全に目が覚めた。

「何してるの! 死にたいの!?」

 フロートはおよそ二十メートルも離れている校庭端のフェンスに背もたれた降真に向かってそう叫んだ。

「……っは。……っは! ……っは!!」

 心臓の鼓動が嫌に高らかに、大きく、そして激しく波打つ。

 間一髪、フロートによって自分は助けられたのだと降真はわかった。

 後ほんのコンマゼロ数秒、フロートが『マテル』を駆使したなんらかの技を降真が受けていなかったら、間違いなくヘンタイに頭をつぶされていた。それを背中の痛みと共にまざまざと感じさせられていた。

「あくまで邪魔するのだな、フロートちゃんよ」

 ヘンタイは今までに見せた事もないような冷酷で残忍さをおびたひどく冷たい視線でフロートを睨み、言った。

「あたりまえだよ! こーま君は殺させない。あの時のような目には絶対合わせない!」

「ユーの、今の状態でそれが可能かな?」

 二人の会話はそこで終わり、次に降真がフロート達を確認したのは地表より高くに飛翔した上空で、だった。

 降真は今更ながら、恐怖という魔物に心を蝕まれていた。

 生というものの臨界点。その間際までに及びようやく死が怖いと感じたのだ。

 化け物。

 すでにヘンタイの襲撃はこれで三度目であったが、今回直接自分に被害が及びかけて、ようやく降真はそれを認識した。

 体中の震えが、先ほどよりも強くなっていくのが自身でわかった。





 校庭より上空およそ十数メートルと言ったところだろうか。そこでフロートとヘンタイは互いに距離を取りつつ、警戒しあっていた。

 どちらも次に仕掛ける一手を伺いあっているのだ。

「……」

「……」

 フロートは地表で震える降真を庇うように、彼を背後に位置する場所でヘンタイよりやや低めに浮遊し睨み、対してヘンタイはそんなフロートに、腕を組んだまま見下すように同じく睨んでいた。

「……インポッシブル。今のユーでは我輩に勝つ事は万にひとつも無理だ」

「なっ、何でよ? そんなのやってみないとわかんないでしょ!?」

「『マテル』の現在量が違いすぎる」

 図星であった。

先日の降真によるバックファイアの影響である。

あれより数日過ぎているが、その間に蓄えた『マテル』は正直たかが知れていた。『マテル』は通常、一度に大きな量を取り込む事が出来ない。日々少しずつ蓄えてゆくものだ。

だがしかしそれは、ヘンタイにとっても同様であったはずだった。昼間という油断もあったが、それだからこそフロートはしばらくの間ヘンタイからの襲撃はありえないとたかをくくっていたのだ。

 しかし現在目の前にいるヘンタイの『マテル』量は先日同様程度、つまりほぼフルに回復しきっているとフロートにはわかった。

 理由はわからない。しかしそれが現在絶望的なまでの差である事だけはわかっていた。

『マテル』を使うもの同士の戦いは、肉体的なパラメータよりも『マテル』の扱い方と『マテル』の現在量によるものが大きい。

 フロートもヘンタイも互いにその差がひどく開いている事がわかりきっていた。

 現在のフロートが保有している『マテル』量を十としたならば、ヘンタイは優に千を超えているといっても過言ではないほどに、その差は絶望的であった。

「そんなの……やってみないとわかんないって言ってるでしょ!」

 強がりであるのはわかっていたが、弱音を吐くことは出来ない。降真の命はフロートが支えきっているようなものだったから。

 その叫びと同時に先手を仕掛けたのはフロートだった。

 両手のひらをヘンタイに向け大きく開き、『マテル』による衝撃風(しょうげきふう)を放つ。先ほど降真をヘンタイから救った時に使用した技と同類のものだ。もちろんその威力は比ではないが。

 大気摩擦による轟音と熱波がヘンタイを大きく包み、そして吹き飛ばす。

 しかしやはり予想通り、それはヘンタイに直撃する事はなかった。

「フロートちゃんよ。衝撃風は無駄に使うものではない。『マテル』を著しく失うぞ」

 ヘンタイは自身の周囲に一瞬だけ、『マテル』によるアトモスフィア(超高気圧の大気)を生み出しフロートより放たれた衝撃風を弾いていた。

「……あんた、ほんとにあのヘンタイ?」

 フロートには目の前に浮かぶ男が以前までと同一人物にはとても思えなかった。

 フロートの放った衝撃風は、実はほとんど今のフロートにとって取っておきの一撃であった。残り少ない『マテル』をちまちま消費するよりも一気に片をつけてしまおうと考えたのだ。

 しかしそれは赤子の手を捻るかの如く、あっさりと回避されてしまった。

 フロートとヘンタイの争いは、もちろんこれが初めてなどではない。しかし、このように高度で知的な『マテル』コントロールが出来る男ではないとフロートは思っていた。

「勘違いしているようだが、これが本来の我輩だ」

 今度はヘンタイがフロートに仕掛ける。

 しかしその動作は実に小さなものだった。

 ヘンタイはゆっくりと右手の人差し指をフロートへと向け、指差すような格好をしただけだった。

 それがフロートにはこれから何かしらの攻撃を仕掛ける準備動作であると勘違いしてしまった。だからほんの少しそれを凝視していた。そしてそれが決定的だった。

「ぁあっ!?」

 ヘンタイより発せられた目視不可の何かが、フロートの右足のふとももをすでに貫いていた。

 そこには瞬間、風穴が開き、直後血が噴出す。

 それと同時に『マテル』による浮遊コントロールがうまくいかなくなりフロートは落下した。

 激しい痛みが右足を襲う中、フロートはなんとか落下によるダメージだけでも抑えようと地面激突間際で自身を一瞬浮かせて衝撃をやわらげ、校庭の地面へと着地する。

「ぅう……くっ」

 右足を襲う激痛に耐えつつ、フロートは再び上空を見上げ、次に降真の方を振り返った。

 ヘンタイはまだ上空で漂っており、降真は先ほど同様フェンスに背もたれた状態のままだった。

 それに多少安堵する。

 しかしこの状況をどう打破するかと思考を巡らすが、一向に妙案は浮かばない。

 ヘンタイはゆっくりと高度を下げ、フロートの近くまで降下すると少し悲しげに言った。

「フロートちゃんよ。我輩はユーの事を嫌いではない。だから出来れば殺したくはないのだ。今の一撃でわかってもらえるとよいのだが……」

 フロートは、それについてはわかっていた。

 今までも何度かこのヘンタイと衝突してきたが、一度でもフロートの命まで脅かそうとした事はなかったからだ。

 ヘンタイはあくまでターゲットの生成者だけを狙い、その任務を遂行してきていた。

 しかし今回だけは違う。

 先ほどの一撃は忠告ではない。警告なのだ。フロートに死にたくなければ退けと言っているのだ。

「わかんないよ! 今までもそう。なんで罪もない人達(生成者)を……こーま君を殺そうとするの!?」

 フロートは足の痛みよりも、ヘンタイの言う言葉を強く不愉快に感じそう叫ぶ。

「罪もない、だと? フロートちゃん。貴様は本気でそう思っているのかね?」

「あたりまえでしょ! 何言ってるの!?」

「戯言を。罪がない、だと? はーっはっはっはっは! これは面白い事を! どこまでおめでたいやつらなのだ!」

「どういう事!?」

「シット! 馬鹿者が! このボーイのような生成者こそ、貴様ら『ガイア』の民を滅ぼす者だとまだわからんとは、おかしくてばかばかしくなるわ!」

 それは衝撃的な言葉だった。

 ヘンタイがフロート達の星『ガイア』について知っている事についてもそうだが、なによりその内容について。

「あ、あんた何を……? どういう事なの!?」

 フロート達のしている行為は全て、枯渇する『マテル』を回復させ『ガイア』を助けるべき行動だと思っていた。それをこのヘンタイは間逆の事だと言っている。

 疑問と不安と憤りがフロートの中を駆け巡り、言葉をはじけさせた。

「……たしかあのボーイの名、神薙降真と言ったな。っくっくっく。まさしく名に恥じぬその役目。その通り、あのボーイは神を薙ぎいて魔を降ろす。悪魔のような男よ!」

 ヘンタイは浮遊を止め、地上に降り立ちフロートの前へと立ちはだかり更に言葉を続けた。

「フロートちゃん、覚醒が何を意味しているのか知っているのか?」

「かく……せい?」

「なんと……それすらも知らぬとは。生成者がバックファイアという最終段階予兆を向かえ、生成者は覚醒する。覚醒した生成者は、本来の役目とは逆転し、『マテル』をじわじわ吸引しだす。しかし問題なのは、その異常なまでの保有量。『マテル』をコントロール出来る普通の人間でも少しずつ蓄え、ある一定量でフルになるのだが、覚醒者はその吸引速度も保有量も桁違いなのだ」

「だから、それがなんなの?」

「それが『ガイア』を蝕んでいる原因である」

 フロートにとって覚醒という言葉自体は初めて聞いたが、生成者がバックファイアを得てじわじわと自動的に『マテル』を吸収する現象がある事は知っていた。

 それをフロートは、バックファイアの残り香に過ぎないと教え込まれてきた為、今までもそういった生成者が発生しても特に何も気にしたことなどなかった。

 以前、フロートのターゲットだった生成者の一人が、ちょうど今回の降真のように『マテル』を自動的に吸収している現象を引き起こしていたが、その事を彼女の上司であるボスに尋ねても、

「特に大きな問題はない。生成者のDNAが我々にとって必要不可欠なのだ」

 と、言われた為、さほど気にするほどの事でもないと思い込んでいた。

 加えてそういった現象を引き起こした生成者の多くは、それによって『マテル』の扱い方がわかったところでせいぜいこの地球に住む者達同様、低い高度の浮遊してみたり、些細な『マテル』による技術を行う程度であり、これまでに害がある事などなかった。

「フロートちゃん、貴様達小規模の団体が『ガイア』を救おうとする企みで生成者の拉致を始めたのはまだこの数年くらいからだろう?」

「……そうだよ」

「それも我輩達同胞の邪魔によるおかげでたった数人程度であろう。それではまだわかるはずもない。現在『ガイア』が猛烈な『マテル』不足に陥っている真の原因にはな」

「真の原因ってまさか……」

「イエス、そのまさかだ。『ガイア』に現存する生成者達の覚醒によるものだ。『ガイア』に住む覚醒者達が密かに、決して怪しまれぬように『マテル』を根こそぎ吸収している為だ。理由は簡単、数少ない覚醒者の誰も、自分こそが世界の王になろうと目論んでいるからだ」

『マテル』を制す者は世界を制す。

 それはあながち間違いではなかった。

 保有量の多い者ほど、『マテル』による高度な技術、技法が可能であるからだ。

「つまり、安易に生成者を増やせば、それだけ覚醒者が発生するリスクも高まる。生成者を野放しにする事自体が危険なのだ」

 とても安易には信じがたい話であった。

 フロートは昔から正義感が強い娘であった。そんなフロートが自分の住む世界の危機を知りそしてそれを救えるかもしれないという手段を知った時、進んでこの仕事を立候補した。

 今まで自分の使命を誇らしく思い、責任を持って遂行してきた。自分とはあまりにもかけ離れた生命の住む場所、地球という見知らぬ場所で『バランサー』という謎の敵と戦い続けながら。

 そして数少ないとはいえ生成者の拉致に成功し、ボスや仲間に栄誉をもらえる事で自分は少しでも世界を救っているのだと、常に自信を持ち思い続けていた。

 それが今、初めて揺らごうとしている。

「そん……な。それじゃあ私が……私達がしている事って……」

「そうだ。自ら破滅の道を歩もうとしているのだ」

 全身の力が、魂が抜けていくような感覚であった。

 フロート達がしていた事は、単なる自滅行為に過ぎなかったのだと。思えば思うほどフロートは自分が情けなく、そして悲しくなりその場へと崩れ落ちる。

 フロートは目の前が真っ白になっていた。

「これで納得してもらえたかな?」

「そ、そんなの嘘だよ! 信じられない!」

「信じようと信じまいと、我輩達のするべき事に変わりはない。だがこれだけは信じてほしい。我輩達は害のない者まで手に掛けたくはないのだ。フロートちゃん、ユーのようになにも知らない人間には特に、な」

 違う、これは罠だ。彼を殺させまいと邪魔する自分を陥れる為の罠に違いない。フロートは根拠も理由もなく、無理やりにそう思い込もうと必死だった。

 しかし、しかしそれを言葉に発して言う事が出来ない。あまりの衝撃的な言葉に何が真実かわからなくなり始めていたからだ。

「とにかく、覚醒が始まったあのボーイはこのままにはしておけん」

 愕然とし落ち込むフロートから視線を外し、ヘンタイはいまだフェンスにせもたれている降真へと視線を移し手のひらをそちらへと向け、そしてそれを空へと掲げた。

 と同時に降真の体は空高くに上昇していった。

「う、わっ!」

 突然、抵抗する術もなく自分の体を空へと浮かべられ、降真は思わず悲鳴を上げる。

 ヘンタイは『マテル』を操り、降真周辺の重力を反転させ、降真を上昇させていた。

「な、何をするの!?」

 その様子を見てフロートは右足の激痛を忘れ再び立ち上がる。

「愚問よ。まだあのボーイは覚醒し始めたばかりで『マテル』の扱いもわからない状態にある。あの高さから落とせばあっけなく死んでくれよう」

 気づけば降真の体はみるみるうちに地表から目視するのが困難な程にまで、空高くに上昇させられていた。

「や、やめて! やめなさい! お願いだからやめてぇ!」

 右足のダメージに加え、残存する『マテル』がほぼ皆無の状態である自分には何も出来ないとわかっているフロートには、そう叫ぶ事しか出来なかった。

「ソーリー。すまないな、フロートちゃん。わかってくれとは言わん。せめてこれ以上傷を深めぬよう彼の死に様だけでも見ないようにするのだな」

「やめて……お願い……もう、私の前で誰も死なせないでよぉ!」

「声は届かぬだろうが……さよならだボーイ。グッバイ」

「やめてぇぇぇぇええええええ!」

 フロートの絶叫を無視するように、ヘンタイは降真の方へと掲げていた手のひらをスッと降ろす。

 降真が現在いる場所は、高度数百メートルはあるだろうか。その上空から突如、自分に働き出した引力を感じ同時に圧力と風を受けた。

 しかし降真は死へのダイブをさせられながらも、不思議と恐怖を感じていなかった。

 ついさきほど、ヘンタイに殺されかけた時には恐ろしかった。

 なのに、なぜか今は。

 ヘンタイが言っていた通り、たしかにまだ降真には『マテル』をどう扱っていいのかなどまるでわからない。しかし、今はなぜかこの高さに、落下に恐怖をまるで覚えないのだ。

 それを降真は諦めがついているのだと思い込んでいた。

落ちながらもいまだ、

「さすがに今度は助からないだろうな、俺……」

などと呟いているくらいだ。そのくらい冷静だった。

刻一刻と迫る大地に到達し、自分が果てるまで後何秒あるのだろうか、などとも考えていたりするほどに。

 気づけばもう大地はわずか数十メートルもなかった。

「一回くらい、空、飛んでみたかったなぁ……」

 そして覚悟を決めようとしたその時。

 落下するその先。降真の瞳に映っていたのは、校庭の砂ではなく人の姿。

 フロートだった。

「なっ……!?」

 降真は眉をひそめる。

 フロートは腕を大きく広げ、降真の真下に立ちはだかっていた。

 それは間違いなく降真を救おうと、抱きとめようとしている格好に他ならなかった。

「ど、どけえぇぇぇぇぇぇぇぇぇフロートォォオオオオ!」

 腹の底から降真は叫んだ。

 しかしフロートの表情は、その決意は、かたくななものであった。

 もうなにか手立てを考える時間など、ない。

 地表は、フロートは、すぐ近くにまで迫っていたからだ。

 当然、降真の現在スピードでこのままフロートとぶつかれば両方とも無事ではすまないどころではない。致命傷は間違いなかった。

 諦めを意に決していた降真は先ほどとは打って変わって途端、体中が芯から熱く燃え上がっていく感情が巻き起こる。

 フロートは現在ほとんど『マテル』を残していない。よって『マテル』による何か特別な行為は出来ない。

 つまりあれは、捨て身で降真を助けようとしているのだ。

 そうだと降真にもわかった。

 だからこそ、先ほどまで冷静すぎた感情が反転、一気に燃え上がる。

「ぅ、ぉ、っ」

 神様など、信じられない。

 そもそも神など所詮、降真の作ったぶつけようのないストレスの捌け口に過ぎなかった。

 そう思っていた。そして今も思っている。

 だからこの瞬間も決して神になど祈らなかった。

 降真は自分自身に祈ったのだ。

「ぉ、っぉ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 浮け、と。

 そしてついにそれは、はじける。

「ぬぅ!?」

「きゃあ!?」

 降真の体が地表まで、フロートと激突するまで残り数メートルというところで、突如まるでハリケーンのような豪風が巻き起こり、大地で立っていたフロートとヘンタイの体はその風圧で吹き飛ばされた。

 その瞬間、何が起こったのか、把握できたものは誰一人としていなかった。

 ただただ、フロートもヘンタイも予測不能の出来事に困惑していただけだった。

 そしてそれに加え、呆然として宙を舞う者がただ一人いた。降真だ。

「俺……生きてる。ってか飛んでる……これが宙を舞う感触……」

 体のあちこちを見回しながら、降真は不思議な感触に戸惑いつつも、悦に浸っていた。

 今まで望んでやまなかった、皆と同じ楽しみ、喜び。

 それをついに得た。神に頼らなかった最後の瞬間に得る事が出来た。

 先ほどまでの荒々しい感情は瞬時に冷めていた。そして、

「は……はは」

 零れだしたのは笑み。

「なんだこれ……すげぇ」

 気づいたのはその力強さ。

「これが空を舞うって事なんだ……」

 改めて実感するその超能力。

「すげぇ……すげぇよ! 俺、飛んでる! 宙を舞ってるよ!」

 そしてついに感情は溢れ出し、それをそのまま言葉にして誰へ言うでもなく、ひとり舞い上がっていた。

「こーま君……」

「ボーイ……」

 それを驚きつつも、安堵して見つめていたのはフロート。

 しかし驚きつつも、忌々しげに見つめていたのはヘンタイ。

「ワットハップン……ありえん……。なぜ覚醒し始めたばかりのボーイが『マテル』のコントロールを……」

 その不思議な現象を理解する事は出来なかった。しかしヘンタイは自分のなすべき事をすぐに思い出す。

「まぁ、ミラクルという事もある。どのみち今のように少量の『マテル』をコントロール出来たくらいで我輩の攻撃をいなす事など不可能。今度は小細工なしで直接この手で葬ってやろう、ボーイ!」

 言うと同時にヘンタイは降真が浮かんでいるすぐ近くへと急浮上した。

 悦に浸っていた降真の眼前に、ものすごい速度でヘンタイが現れた為、降真は全身を硬直させ警戒した。

「ヘンタイやろう……どうしても俺を殺そうってのか?」

 ぎりっと、歯ぎしりをしつつ降真は鋭く睨む。

「ユーの存在は危険極まりない。当然だ」

「俺には世界をどうこうするつもりなんざねぇ」

「そんなのはわからん。気変わりするかもしれん」

「興味ないね」

「今は、な。だがこの先ユーの膨大な力がユーを狂わす可能性が大いにある」

「だから、世界をなんとかしようとか、そんな事しねぇっての!」

「……もういい、これ以上の会話は無意味だ」

 ヘンタイは降真の頭へと右手の人差し指、その先端を向けた。

 さきほど、フロートの足を貫いた何かしらの技であると直感した降真は思わず体を硬直させ、警戒する。

「これで痛みを感じる暇もなく、安らかに眠らせてやろう。さらばだボーイ」

 不味い、あれは非常に不味い。

 しかし降真にはあれをどう凌ぐかなどと、考える暇はなかった。

 ただ、体中が熱く、燃え滾る感情が巻き起こっていた。

 さきほど、フロートは自身の行ってきた事を全否定されていた。それはつまり、降真を助ける事の無意味さを指している。

 それが虚か真実かはまだわからない様子ではあったが、完全に戦意喪失している事は見て感じ取れた。なのに。

 それなのにフロートは自身の命を投げ打ってでも降真を助けようとした。

 そんなフロートに、幾度も拾ってもらったこの命をこんな所で易々と、わけもわからないうちに終わりにしたくない。

 しかし、やはりヘンタイからの攻撃は止むことはなかった。

 ピシュっと、何か小気味の良い風を切る音が一瞬。

 しかし、見えない。

 見えない何かが発せられた事だけがかろうじてわかった。が、それと同時に死も覚悟した。

 思わずまぶたを伏せる。

「……っ」

 数秒の間。

「うん……?」

 と呟きつつ瞳をそっと開いてみる。

 いまだヘンタイは指先をこちらへと向けた格好のまま、固まっている。

 それから数秒は経ったと思われる今も、なぜかまだ自分は生きている。

「何が、どうなって……?」

 そう言うと同時に、白色の何かが細く、降真の頭、ひたいへと向かって伸びている事に気がつく。

 それはヘンタイの指先の直線上、つまりヘンタイから発せられている何かであるとわかった。それが至極ゆっくりと降真に向けて進んでいる事が見て取れる。

「な、なんだぁ?」

 現状の理解には及ばなかったが、この体勢では間違いなく被弾する。ひとまず降真は頭を左へとずらし、その伸びてくる何かをかわそうとする。

 そして次の瞬間、その白色で伸びる何かは突然見えなくなった。

 ただ、顔の横を何かが通り過ぎる風圧を微かに感じる。

「ワット!? かわした……だと?」

 降真にも理解し難い状況であった。

 ただ知り得たのは、ヘンタイの仕掛けた何かは非常に速度の遅いものであり、それをかわすのは造作もないという事だけ。

「は、はは。なんだそりゃ? そんな遅い攻撃、ハエが止まるぜ」

 完全に強がりである。

 しかしこの降真の発言がかなりの警戒心をヘンタイに与えたのは間違いなかった。

「ば、ばかな。我輩の超高圧、超高速の衝撃風をかわせるものなどそうはいない……」

「ふ、ふふん。でも、ここに今いるぜ?」

 親指を自身へと向けて、降真は不敵に笑って見せる。

「笑止! まぐれは二度続かぬ!」

 ヘンタイのプライドが傷つけられたのか、すぐさま第二段を打ち始めようと再び指先を降真の頭目掛ける。

 やばい、やばい、正直やばい。降真は思った。

 さっきのはあなたの言う通り、全くもってまぐれです。だからもう止めてくれぇ。と叫びたいのをなんとか堪え、指先に再び意識を集中してみる。

 先ほどと同じくピシュっという風を切る音が一瞬響く。

 しかし今度は白く伸びる何かが見えない。

 駄目だ、やっぱりマジでまぐれだった、ゲームオーバーだ。先ほど同様瞳を閉じて死を覚悟する。

 と、思いきやその音が響いてからまた数秒もの時間、何事もなかった。

 降真は再びそっと瞳を開いてみる。

「ぉお!」

 先ほど同様、奇跡は起きてくれた。

 またも白く伸びる、ゆっくりとした何かは降真を避けさせるのに十分な時間を与えてくれていた。

 というか、まだその白く伸びる何かが降真のもとへ届くまでかなりの距離がある。今のうちにどこかへ移動して身をくらませておけないだろうか。

 そう考えた降真は、ゆっくりと宙で歩を進めてみる。

 歩けた。

「よしっ!」

 っと、一歩踏み出した瞬間。

 ヒュンっという再び何かが通り過ぎる音が聞こえ肩をすくめた。

「あ、あら?」

「な、なんと……またかわした、だと?」

 気づけば白く伸びていた何かはすでに視界からは消え失せ、ヘンタイも普通に動きだす。

「な、なんなのだボーイ!? ユーは一体何をしているのだ!?」

 それはこっちも聞きたいです。と言う状況だったが、そんな気持ちとは裏腹に、再び強がってみせる。

「こ、これが神薙流『マテル』コントロール、えっとえっと」

 降真は以前プレイしていたゲームの必殺技名を思い出し、適当に名づけた。

「て、テレポー……てーしょんだ!」

 若干、声が裏返ってしまい妙な発音で、いかにもっぽく答えてみる。

「ワット!? なんだそのテッテレポションとは!? 若干卑猥ではないか!?」

「ふ、ふふ。さっき覚醒した時に閃いたのさ。俺には一瞬でどこでも好きな所へ移動できるのだ!」

 もちろん、嘘である。

 しかしヘンタイには十分にその嘘が通用していた。

「さぁどうするヘンタイやろう! まだやるか? こっちはいつでもあんたの背後に回り込めるんだぜ?」

 頼むから、これで退いてくれ! と降真は強く願った。

「ふぅむ……。やはり覚醒させてしまったのは不味かったか。加えて、もはやタイムもあまり残されていない。仕方ない、今日のところは退こうではないか」

 やった! と思わずガッツポーズを決めそうになる。

「しかし、ユーをこのままいつまでも放っておくわけにもいかぬ。近いうちに再びあいまみえよう。さらばだ!」

 ヘンタイはフィールドを解くと、途端に急上昇し、あっという間に降真の視界から消え去って行った。

 完全にヘンタイがいなくなった事を確認し、ようやく降真は胸をなでおろす。

「ぶっはぁ! あぶねぇ! マジあぶなかった!」

 そしてようやく、本音を漏らす。

 降真にはなぜあのような現象が怒ったのか、理解は出来なかった。しかしこの場をやり過ごす事に成功しただけでもとりあえず良しとした。

「しっかし、どうすりゃいいんだ……?」

 それよりももうひとつの問題。

 降真はどうやって地表に降りるのか、わからなかった。

 今現在、こうやって宙を舞っている事すらよくわからずに行っている。

 とりあえず、歩き回ってみた。

「うーん、なんか普通に地面を歩く感覚と一緒だな……」

 どうやって降りようかと考えながらしばらく宙を歩き回っていると、途端にガクン、という衝撃を受ける。

「ぬおっ!?」

 降真の体は突然、浮遊力を失い地表へと向かって一直線に落下し始めた。

「うぉおおおお、まじかよー!?」

 そして、ボフっという音と共に、落下は終わりを告げた。





「おい、大丈夫か? フロート」

 落下した先に偶然、体操部用の大きなマットがあり、事なきを得て着地に成功した降真はフロートのもとへと駆け寄る。

 フロートは足には大きなダメージを負っているものの、他に外傷は特になく慌てふためいている様子もなかった。

 校庭の地べたに座りこんだまま、フロートは降真を見上げ不思議そうに言った。

「こーま君、一体どうやってヘンタイを追い返したの……?」

「ああ、ちょっとな。とりあえず今日のところは大丈夫だ。それよりお前、足大丈夫か?」

「痛いけど、このくらいならすぐ治せるから平気」

「そうか。とりあえずどうしたらいい? 保健室にでも運んだ方がいいか?」

 その降真の問いにフロートは顔を横に振った。

「大騒ぎになるから駄目。このままこーま君の家に連れて行ってくれると嬉しいかな」

 降真はわかった、とだけ言うとフロートに肩を貸し、二人とも制服のまま校門をあとにした。

 自宅に向かうまで、降真はヘンタイとの一戦について簡単に説明する。

「よくわかんねぇけど、あいつの攻撃が見えたんだよな。んで、それをかわしてたらアイツが勝手に時間がないとかなんとか言って、帰っていったんだよ」

 そう言う降真の言葉にフロートは表情を険しくする。

「攻撃が、見えた……? あの攻撃が……」

 フロートは考え込んで黙する。

「俺には考えてもわかんねぇ。いまだにどうやって空飛んでたのかもよくわかんねぇしな。けどな、俺、お前にすげぇ感謝してる」

 降真はフロートを担ぎ歩きながら、空を見上げ清々しくそう言った。

 しかしそんな降真とは対照的にフロートは顔を俯き、悲痛な声を絞りだす。

「……私ね、さっきまで、もうどうでもよくなってた」

 今までの行為全てが無意味だと告げられたフロートは、その心情を漏らす。

「ほんとは……命を懸けるくらいに頑張ればまだ戦えた。でも、心が折れちゃってた。こーま君を、見捨てかけてた」

 しかし降真はそのフロートの言葉を否定するように首を横に振る。

「さっきも言ったが俺はお前にすげぇ感謝してるんだぜ」

「え?」

 降真は薄く笑った。

「俺な、皆みたいに空を自由に飛べない事がすごいコンプレックスだったんだ。今まで何度も思って、願ってた。神様どうか俺も空を飛べるようにして下さいってな。困った時も毎回そう願ってた。けど、一度だってその願いを叶えちゃくれなかった」

 だから降真は、架空の神様を恨むようになっていった。

 当然そんな事など知らないフロートはその話の意図がいまだ読めず、不思議そうな顔をしていた。

「けど、フロート。あんたのおかげでついに俺は空を飛ぶ事が出来た」

「私のおかげなんかじゃない。こーま君は覚醒したから、飛べるようになるのは当たり前だし……」

「違う。あんたを殺したくないって本気で思ったからだ。きっとあんたがあそこで俺を受け止めようとしてくれなけりゃ、俺はあのままわけもわからず死んでた。ただの一度も空を飛ぶ体験も出来ずに」

 だから降真は、フロートが自分にとっての、女神なのではないかと思い始めていた。

 もちろんそんな事は恥ずかしくて言えない。

 しかし降真は感謝していた。だからそれは必然に発せられた言葉。

「ありがとう、フロート」

 笑みと共に降真はフロートを見た。

 フロートはそんな降真を直視することが、何故か異様に憚られた。

 赤面して、無言でフロートは顔を伏せるだけだった。

「あいつの言った事なんか、気にすんなよ」

 それはフロート達の住む星についての事。

「お前は自分の信じる道を歩んできたわけだろ。だったらそれを貫き通せ。気になる事があるなら直接お前のボスにでも聞けばいい。だからあんなやつの言う事に惑わされんな」

「こーま君……」

「だから前にも言った通り、俺は協力してやる。お前と一緒に『ガイア』に行ってその真実とやらを尋ねようじゃないか」

「うん……。うん、そうだね!」

 ようやくフロートは笑みを浮かべた。

 そんな彼女を見て、自分は守ってもらう立場にいながら、なぜかこの少女を守ってやりたいと降真は強く思った。



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