第2章 オレンジのカーテン
両親が離婚したあと、半年ほど父と2人で暮らした。
あの半年だけ記憶に色がある
小さなアパートだった。
夕方になるとカーテンがオレンジ色に透けた。
父は仕事が休みになると部屋の真ん中にテーブルをたてて、紙ひこうきの陣取りみたいな遊びをした。
私は保育所に持っていくお弁当に塩辛を入れて!といって父を困らせた。
保育所のお迎えはいつも最後だった。みんなが迎えに来て帰っていく。先生と2人で窓の外を見ている時間が長かった。それでも寂しくはなかった。父が必ず迎えにきてくれたから。
保育所ではみんな父親を「ぱぱ」と呼んでいた。私も真似をして一度だけ「ぱぱ」と呼んだことがある。父は思い切り苦い顔をした。それ以来また「お父さん」に戻った。
父はタクシーの運転手だった。
保育所が休みでも仕事が休めない日は助手席に乗せてもらった。私は窓の外を見ながら父の仕事が終わるのを待っていた。
ラジオの音や無線の音を覚えてる。お客さんが乗ってくるときだけ父は少しよそ行きの声になった。
夜ごはんがインスタントラーメンの時もあった。父が精肉店で買ってきた鶏ガラをストーブの上でぐつぐつ煮て骨についていた肉を塩を付けて食べた。
美味しかった
今思うとあれは節約だったのかもしれない。でも、私はあの時間が好きだった。
寝る前は本を読んでくれた。絵本ではなかった。「ロビンソンクルーソー」や「白い牙」だった
布団の中で父の声を聴いていた。内容はあまり覚えてないけれど、ページをめくる音だけは今も少し覚えてる。
休みの日はずっと父の後ろをついて歩いていた。
父は年に1.2回10日から2週間くらい山へいった。その度に私は祖父母の家に預けられた。
「なんで山に行くの?」
「山が呼んでるから」
意味は分からなかった。けれどその言葉だけは今も記憶に残っている。
祖父母の家の大きな松の木にブランコを作ってくれたこともある。
食べ物の好き嫌いをすると、父はその木に私を縛り付けた。
泣きながら家の明かりを見ていた気がする。今思うとひどい話だけれど不思議とその記憶には少し笑ってしまうところもある。
ピーマンが嫌いだった。
お腹がすいた!と父に言ったら
「少し待ってなさい。美味しいおやつ作ってるから」
しばらくして出てきたのが大皿いっぱいのピーマンのバター炒めだった。お腹が空いて限界の私はバターの匂いにつられて食べた。驚くほど美味しかった。それ以来ピーマンは好物になった。




