卒業⑤
ガサ… ガサガサ……ザク。
ほとんど寝ていないはずなのに、身体は軽かった。
興奮が後悔を塗りつぶして、自分勝手な夢を見ていた。
美琴を抱いた――
その事実だけが、頭から離れない。
彼女に触れた。彼女を手に入れた。
かつて俺が軽蔑していた連中と同じ事をしたのに、
彼等よりも“上”に立って、彼女が自分を好きだと思い込んでいた。
くだらない嫉妬や歪んだ欲望。
集荷場で顔を合わせる男の醜悪な嫉妬さえも、心地よく響いてきた。
「先輩…次は俺ですよ」「そうか。そうなったらいいな」
「……マトモな女、アイツの周りにいないんですかね。
紹介してくれたら何でも奢りますよ?」
「聞いてやろうか、失恋くん? かわいそうだからさ」
自分で笑ってるつもりでも、声の奥には毒が混じっていた。
「あんなにケバくて、ブサイクな女……俺は臭くて無理でした。
病気、大丈夫ですか? 俺、先輩のことを心配しているんですよ?」
「バカ言え。俺がそんな危ないことするわけないだろ。お前と違ってさ」
最低だった。こいつも、全部、全部――
でも俺は、それより何より――
自分自身の醜さと幼稚さを、忘れていたかったんだろう。
出荷が終わって、畑の手入れも片付き、
やることがなくなった午後――
俺は当たり前のように、スマホを取り出した。
美琴。今日も、俺が相手をしてやるよ。
そう思って開いた画面に、出たのは――
《この番号は着信拒否されています》
《メッセージはブロックされました》
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
でも、手が震えている。脳が、現実を否定しようとしていた。
彼女に繋がる、たったひとつの接点が――切れたと、やっと気付いた。
思い出す。そうだ、俺は――
3年間も、ずっと無視されていた。
あの時の空白が、今になってやっと“重さ”を持ってくる。
震える手で車の鍵を握りしめて、無我夢中で彼女の実家へ向かう。
家からは彼女の祖母が出てきた。その奥には不機嫌そうな祖父。
「拓海君。どうしたの?」
「す、すみません。美琴さん、いらっしゃいますか…?」
祖母の顔に浮かんだ、目が笑っていないどこか怒っているような笑顔。
気のせいかと思ったけれど、次の言葉で確信に変わった。
「美琴なら、帰ったわよ。……聞いていないの?」
――帰った?
「ごめんねえ。初恋の相手って、美琴に言っていないよね?
毎年言われてたの。“口にするな”って。……
でも、君が迎えに行ってたから、てっきり…」
祖母はため息をつき、申し訳なさそうに続けた。
「……はぁ。もう、忘れてあげて…」
ガラガララ……ガシャン。
それが、答えだった。
扉の向こうで、祖父がこちらを一瞥していた顔には、
明確な憎しみや拒絶があった。
何も言えなかった。
行き先を聞く空気じゃなかったし、
美琴に何を言えばいいかも分からなかった。
ただ車に乗って、走り出し、他に何も考えられない俺は美琴を追った。
駅に着く。だが、彼女はいない。
時刻表をスマホで確認するが、
すでに都会へ向かう特急の発車時刻は過ぎていた。
……間に合うはずがなかった。
こんなボロい軽トラで、彼女を追える。横に乗ってもらえるわけがない。
特急料金。宿泊費。交通費。
頭の中には、現実的な数字と、自分の現実ばかりが浮かんでくる。
だけど、ようやく――
ようやく俺は、彼女のことを思い出していた。
あの夜。お祭りの日に、泣き叫んでいたあの。子供。
スマホの中で、少し照れたように笑って、俺を応援してくれた。みこ。
俺の背中を必死に押してくれた。美琴。
彼女は、変わっていない、
俺だけが、勝手に妄想の中で彼女を歪めていた。
足が、ハンドルが、もう勝手に動いていた。
彼女に――絶望して泣いているキミに、もう一度……
卒業⑤




