破壊③
ピコピコ…ピコピコ…
夏祭りの太鼓が遠くで鳴り始めても、部屋の中はひどく静かだった。
畑仕事も終わり、何の予定もなく、ただ家にいるだけなのに、
身体の芯が抜けたみたいに、何もする気が起きない。
スマホの通知は、美琴からの着信で埋め尽くされているけど、
指先が画面に触れることはなかった。
理由は、わかっている。
あの男――美琴の“叔父”を見た瞬間から、全部が変わっていた。
美琴が家に入る前に、彼女は男の腕の中にいた。
その姿は、ただのハグじゃない。
恋人同士みたいに顔を寄せ合い、 彼の手は彼女の腰を引き寄せ、
腰から降ろすとお尻を撫でるように触れていた。
「まさか、な……」
否定の言葉が喉の奥で絡まり、息が止まる。
――いや、違う。違うはずだ。
孫ほど年の離れた子に、そんなこと……ありえない。
なのに、なぜあんなふうに、強く抱きしめる?
胸の奥に芽生えた小さな違和感は、無数の記憶を呼び寄せた。
あのときの、美琴の顔。何かを必死に隠していたような、あの笑顔。
無理に明るく言っていた。「泊まる」って、あの家に。
――助けを、求めていたんじゃないのか?
なのに俺は、それを見逃していた。
「言ってくれなきゃわからない」
なんて、彼女から勝手に逃げて、自分を守っていた。
……それなのに。
「……使っていた、のか?」
美琴が助手席に忘れていったトートバッグの口が開いたままで、
興味本位で覗くと、避妊具の包装が破かれて蓋も開いた形跡があった。
使われたのも一度や二度なんかじゃない。
潰れた箱の口は折れ曲がって、もう閉まらなくなっていた。
頭が真っ白になった。 ――美琴が。何度も。誰かと。
美琴が忘れた荷物を届けに行く間も、現実がぐらぐらと歪んで見えた。
家から出てきたのは、やっぱり、あの男だった。
「送ってくれてありがとう、拓海くん。
迎えに行くって言ったのに、断られちゃってさ。
『ゆっくり歩いて街を感じたい』
なんて、大人ぶって断われたんだよ」
「……美琴さんは?」
「シャワー浴びてるよ。外が暑くって、汗かいたってさ」
……さっきまで車の中で、寒いって言ってただろ。
わからない。もう、何が本当かわからない。
「じゃあ、これ……お願いします」
「うん、任せて。美琴のことは、俺が一番わかっているから」
――何が、「わかってる」だ。
血が繋がってるからって、そんな言葉を当然みたいに吐けるのか?
俺が車に戻る背中を、あいつはいつまでも見送っていた。
シャワー、避妊具、あの笑み、「俺が一番わかっている」……
全部が繋がってしまった気がして、吐き気すら込み上げた。
今更だけど、
あのトートバッグは、美琴が「救って」と叫んでいた気がした。
けど、俺は――気づいてたのに、無視して、あいつに渡していた。
セフレ? パパ活? ずっと前から? 叔父さんも?
腰のマッサージに行くって言っていた日の美琴は、
座れば見えそうなほどのスカートを、ためらいもなく履いていた。
整骨院で、そんな姿で?
昔からあった。あの整骨院、
若い女の子だけ予約なしで診てもらえるって噂。
男は何ヶ月も待たされるのに。もしかして、昔から美琴は――
そして、あの朝の若い男。
昨日の集荷場で、
帰郷している女の子と結婚したいって、オバサンに相談してた奴。
「あの子とどうなったの?今日、一緒に祭りに行くの?」
「ああ、あの女? 誰にでもお金で抱かれるって噂が、あるらしいよ」
「ほんとに……?」
その声が聞こえるたび、世界が歪んだ。
整骨院のあと、深夜に飲んでた時にかかってきた電話。
一生懸命、彼女を口説いてたあの男と同じ声だ。
――この男も、そうだったのか。
耳の奥が、キィィィと軋む。
「この前さ、酔ったふりをして、実はもう彼女とヤっていたんだ。
アイツ、いいカラダしてたし、よく喘ぐし、何度も欲しがってさ~
みんなとエッチしていたけど、俺のことが一番好きかと思ってたのに、
本当に、あの顔と身体に騙されたよ。
都会の女って怖いわ~。お金で誰とでも寝る女って。そんなの無理だわ」
名前なんて出されなくても、誰のことかはわかった。
あいつの、美琴を思い出して嘲笑している顔が――忘れられない。
胸が潰れるほど苦しいのに、
怒る資格すらないと思ってしまう自分が、一番嫌いだった。
「すみません、ちょっと用事が……。確認は明日で……」
「わかりました」
背中を向けた俺に、男が遠くから笑って叫ぶ。
「そうだ、先輩!その女、紹介しましょうか? 見た目はいい女ですよ!」
聞こえないふりをした。
認めたくなかった。すべてを、聞きたくなかった。
そして――それを全て信じて、
何も行動できない自分が、何よりも許せなかった。
破壊③




