第十九話 エルサ・ケブリス
円筒状の空間で真っ逆さまになって自由落下する蒼一郎が眉間に皺を寄せる。
既に吐き気は消えた。そんな物は溜まりに溜まった殺意を乗せた咆哮と共に身体の外に追い出した。
「――カトリエル」
流れていく視界の中に、ある種の執念深さを思わせるヴィジョンが蒼一郎の瞳に、脳裏に映り込んだ。
金髪のおかっぱをした小さな女の子が泣いている姿が何度も過ぎった。
父親、母親、大切な人が突然いなくなり、寂しくて悲しくて止めどなく涙が溢れてくる。
そんなイメージを孕むヴィジョンだった。
泣いている少女は感情の起伏が非常に激しく、表情も恐ろしく分かり易い。
美人になる将来を約束されている以外に何の変哲もない、普通の子供だ。
尤も露わになっている感情は専らマイナス方面のものだけだが。
金髪ということ以外に彼女の特徴を示す物は何も無いが、泣いている少女のヴィジョンはカトリエルだと蒼一郎は確信する。
次に過ぎったのは、親しい人が次から次へと姿を消して最期には誰もいなくなり、孤独と寂莫からくる少女が抱いた心細さだった。
「それにこれは……俺の死のイメージか?」
斬殺――、呪殺――、撲殺――、轢殺――、焼殺――、圧殺――、絞殺――、射殺――、銃殺――、毒殺――、爆殺――、封殺――、薬殺――、必殺――、虐殺――、滅殺――、瞬殺――、倉澤蒼一郎が完全に抹殺されるイメージが次から次へと脳裏に叩き付けられる。
その光景はどれも具体的で生々しいが、真に迫るものでは無かった。
この男にしてみれば『殺し合いをしているんだ。こういう殺され方をすることもあるだろう』と鼻で嗤える程度の物だった。
それ故に、脅迫する意図で見せ付けられているイメージでは無いと考えた。
――恐らく、このヴィジョンは俺に、侵入者に向けて放たれたものでは無い。苛つくな……!
蒼一郎の穏やかな印象を受ける整った顔立ちが、心の内に隠し持った本性――、暴力を孕む直情径行、憤怒が表層に顕れ、凶相に歪む。
この空間は他者に侵入されることを前提としていない。
仮腹の儀で保全された邪神は母体の絶望を餌にするという。
――この空間は、カトリエルの精神を苛む絶望。邪神の餌……!
クラビス・ヴァスカイルで再開した際に感じた蒼一郎の死が、強烈な印象として残り、それがイメージとしていつまでも焼き付いている。
それは色褪せること無く、鮮明に、そして過剰なまでに増幅しつつある。
蒼一郎が見せ付けられたイメージはこれまでにカトリエルが味わった絶望だ。
邪神が己の飢えを満たす為に、受けた絶望を色褪せさせること無く保ち、時には絶望を増幅するなどして彼女の心を蝕み続けていた。
そういった意味では、カトリエルが蒼一郎に甘え、蒼一郎に甘えられることを求めたのも、邪神からの浸食を我が身と心を守るための本能的な自己防衛であったことが考えられる。
――俺が護らなくてはならない。
――俺が殺さなくてはならない。
二つの使命感が心の中で混ざり合う頃、蒼一郎の五感に違和感が過ぎる。
ベルカンタンプ鉱山やソウブルー地下迷宮で感じた邪神の、極めて不快な気配だ。
カトリエルの躰に巣食う邪神が展開する神域に入り込んだことに、否が応でも殺意が鋭く引き締まっていく。
眼下に二岳の山が雷雲を貫いているのが見えた。奇怪なことに氷山と火山が隣り合っていた。
霊的な空間だからそういう物なのかも知れない。
空に海が広がっていたとしても不思議では無いのだろう。
そんなことを思いながら雷雲を突き抜けると眼前に地面が視界に映った。
すぐさま足裏から魔力を逆噴射し着地の衝撃の緩和を試みるが、その必要性は全くないようで着地の反動は皆無だった。
場所が場所なだけに人間としての肉体は現世に残ったままで、精神と己の身体の半分を占める神の肉だけでこの場に立っているのかも知れない。
「邪神と、ハーティアは何処だ?」
前後、上下左右、何処に視線を移しても何も無い場所だった。
雷雲を貫き、連なるように聳える火山と氷山以外に何も無い。
天も、地も、果ても、世界の全てが気の狂いそうな白で構成されている。
流石のこの男でも、身の内から湧き上がる殺意と使命感の混合物が無ければ、正気を失っていたかも知れない程だ。
だから、蒼一郎にしてみれば、この空間が人間の正気を奪うような物だという認識は無い。
自身の将来に支障をきたす障害を排す為、己が殺すべき敵が何処にいるのか探る様に視線を走らせる。
「お待ちしておりました。倉澤蒼一郎殿」
女の声が耳に飛び込んで来た。
聞き心地の良い可憐な声だった。
声だけでは無い。振り返ると不快な白の中に、素晴らしき白と称すべき女がいた。
実体を持った殺意が擬人化したとも言うべき存在たる、倉澤蒼一郎でさえも、その美貌に目を眩ませ、研ぎ澄ませた虐殺衝動を霧散させかける。
腰まで届く銀色の長い髪に、真っ赤な瞳。
瞳の色に合わせた小さな紅い王冠に、レッドダイヤモンドのイヤリング。
色素の薄い蠱惑的な首筋を隠す真っ白なチョーカーには大きなルビーがあしらわれている。
純白のドレスは所々が霞みがかった魔力の残滓が尾を引いて幽玄な雰囲気が漂っている。彼女の容貌と合わせて儚げな印象を受ける。
尤も、こう見えてこの男は俗物だ。
それ以上に何よりも、大きく露出した胸元から今にも零れ落ちそうな谷間に目を奪われていた。
怒りは冷静さや正気を失わせると言うのが定説だが、この男に限って言えば、殺意が無ければ冷静さを保てず、憤怒が無ければ思考を加速させることが出来ない。
今はそれどころではないと、殺意と憤怒が理性を叩き起こし、目の前でたわわに実った魅惑的な果実から無理矢理視線を引き剥がした。
「此方の状況は理解していると見ても良いですね?」
素晴らしく魅力的な女だったが、身に覚えの無い女だった。
それにも関わらず、己の名を知っているということは、そういうことなのだろうと、蒼一郎の断定的な口調に女は真剣な表情で頷いた。
「今まで、あの娘の眼を通して全てを見ていました。初めまして倉澤蒼一郎殿、私はルカビアンの十九魔人が一人ハーティア。魔人ライゼファーの妹、そして貴方の妻カトリエルの養母です」
折り目正しく頭を垂れる女に、蒼一郎は言葉を失う。
この男が今、心の中で放った言葉は――、
カトリエルの養母――――って、なんじゃそりゃああああああああああああ!?
――――である。
カトリエルの眼を通して、ハーティアは全てを見ていたと言う。
今までのアレやら、コレやらをだ。ついさっきのアレもだ。
その上、蒼一郎は実兄ライゼファーの仇ときている。
義母との遭遇が初っ端から気まずく、殺意の維持が出来ずに戸惑っていると、それに気付いているのか、気付いていないのか、ハーティアは垂れた頭を再び持ち上げ、言葉を続ける。
その表情は悲しげだったが、実兄を失ったことに対するものでは無く、蒼一郎の眼には自罰的なものに見えた。
「あの娘の両親と出会ったのは二十五年前、復活したばかりで弱っていた私を、魔人であると知りながら保護し、とても良くしてもらいました。それにも関わらず私の不注意であの二人の命を守ることも出来ないばかりか、あの娘を攫われるなどという失態を犯してしまいました」
「攫われた? では、カトリエルはその時に?」
「はい。あの娘は生まれながらにしてルカビアンにも匹敵する程の魔力を宿し、赤ん坊の時分から魔術師ギルドから引き抜きの話が出る程で、目立つ娘でした」
初めてハーティアに笑みが浮かんだ。
何処と無く誇らしげで、彼女がカトリエルに対して並々ならぬ想いを抱いていることを蒼一郎に感じさせた。
だが、その笑顔もすぐに曇り、視線は足元を貫く。
忸怩たる想いを秘めた瞳がはらりと崩れた銀髪に隠れ、ハーティアはドレスの裾をくしゃりと握り潰した。
「それではハーティア。貴女が肉体を捨て、仮腹の儀に干渉したのは……」
「雷霆を統べる邪神、エルサ・ケブリスの復活を阻止するためです。あの邪神の復活は周囲の環境に大きな悪影響を及ぼす。復活の反動であの娘は霊魂に大きく影響を及ぼす形で確実に死ぬ。霊魂の損傷が死後、どのような悪影響を及ぼすか想像も付かない。ルカビアンの蘇生法でも魂その物に残る後遺症を癒せない可能性が高い」
無念と慚愧、それから悲壮だろうか。
彼女は涙を噛み殺すように声を絞り出した。
そして、髪を振り乱し、頬を流れる涙を迸らせ、深々と頭を下げた。
「私は好きな人達をむざむざと殺された愚かな女です! ですが、あの人達の大切な宝はまだ生きて輝きを放っている! あの娘が生きるためなら! 幸せのためなら私は何でもする! それがせめてもの恩返しと罪滅ぼしなのです! だからお願いします! 力を貸して!!」
彼女にとって蒼一郎は実兄を殺した憎き仇の筈だ。
養女のカトリエルとの関係も切欠は偽装結婚で、真っ当な恋愛も結婚生活もしておらず、何と無くの心変わりがあって漸く本気で結婚しようという気になった。
その程度の男に頭を下げるのは、如何ほどの想いだろうか。
養母とは言え、彼女の母としての自覚が当然の行為としてさせているのだろうか。
蒼一郎にはその全てを理解することは出来なかったが――。
「今まで妻を見守ってくださり、本当にありがとうございました。心から感謝します」
この男がまず最初にしたことは、彼女の前に跪いて頭を垂れることだった。
「後のことは自分にお任せを、義母上殿」
「え……?」
予想だにしない呼び方に、彼女は反射的に顔を上げる。
呆気に取られた曖昧な瞳と、使命感に満ちた力強い瞳が絡み合う。
「妻を助けるのは夫の義務です。ご安心ください」
夫としての義務を、使命を果たす為に来た。
おあつらえ向きに、殺せば八方丸く収まる都合の良い敵もいる。
そして殺し合いならば邪神や魔人にも負けないと豪語するこの男にとって、大切な人を守る上でこれ程都合の良い状況は無い。
カトリエルを守りたい。それはこの男と彼女が共有出来る唯一の、違えることの無い意思だ。
意思の篭もる瞳に中てられたハーティアは力強く頷く。
それは、ただ同意するだけのものでは無く、『お願いします』と娘の無事をただ祈る母親の情動が込められていた。
――やってやる。殺してやる。
心の内で決意と殺意を圧縮させていると意味不明に連なる火山と氷山が動き出した。
何も無い空間に不自然に屹立する山には四つの脚があった。
山の狭間からは、土塊で出来た鱗に包まれた大蛇が生えた。
大蛇の額からは顎髭を蓄え、縮れた黒髪をねじり鉢巻きでまとめた男の上半身があった。
男の右手には世界の果てから果てまでを貫き通す長槍、左手には黒い悪魔を模し、山を綺麗に覆い隠す程の巨大な盾が携えられていた。
「気に食わない神気だ。混じり物風情が」
雷霆を統べる邪神、エルサ・ケブリスの蔑みの声は轟雷にも似た響きがあった。
腹の中まで響き渡るような声に晒された蒼一郎は、凶相に歪んだ左眼を綺麗な輪形に歪ませる。
宛ら、見る者を狂わせる魔力を宿す満月のようで、不吉さを感じさせる眼球だった。
「跪け、神如きが人間を見下すとは身の程を弁えるんだな」
この男に信仰心は無い。
神も信仰も、人間の都合によって産み出されたものであり、そうであるのならば、所詮、神など人間の奴隷でしかない。
神が実在する世界であっても、その考えが揺らぐことはない。
寧ろ、それはより強固になった。
「人間に与えられた役割がそんなにご満悦か? だったら人間たるこの俺が貴様に新たな役割をくれてやる。既に貴様は用済みだ。空気を読んで死に腐れ豚が」
手刀で首を掻き斬るポーズをしてから親指を下に向ける。
誰からも恨まれず、誰も悲しまない。死ねば誰もが幸せになる。
そんなご都合主義的の塊と言っても過言では無い存在に、この男の戦意が漲らないはずが無い。
しかも、この場は霊子空間。邪神とは言え、神に唾を吐いても帝国の価値観による咎を受けることもなく、何処までも殺意を剥き出しにしたとしても阻まれることも無い。
コンディションとしては最高の状態である。
レーベインベルグが魂に定着しているのはクラビス・ヴァスカイルで実証済みで、刻印装甲は元から魂に癒着させている。
脳裏で刻印装甲の起動を命じると、白銀の装甲が全身を包み込み、鉛色の尾と翼、そして左手首からレーベインベルグが生え、蒼一郎の魔力が爆発的な高まりを見せた。
「空気が読めなくても殺すがな」
躊躇う事無く、ありのまま、あるがまま、それが当然であるかのようにゆらりと抜刀する。
そして、剥き身になった双頭の刃を構えたまま、蒼一郎が消えた。
姿だけでは無い。気配、音、熱、魔力、その全てが消滅した。
魔人の知覚能力を以ってしても、邪神のために構築された神域にある邪神の権能を以ってしても、蒼一郎の姿が消滅したとしか、ハーティアにもエルサ・ケブリスにも認識出来なかった。
一瞬前まで蒼一郎が立っていた場所が轟音と共に陥没する。
神域化した霊的空間を砕く程の膂力で踏み込んだことを証明し、ハーティアの長い髪を巻き上げる突風が蒼一郎の飛翔を示していた。
二つの山を背負う巨大な邪神。そのスケールの違い過ぎる巨体さに何処を斬り殺し、何を焼き殺せば良いかなど検討も付く筈も無かったが、それで戸惑い足を止める男では無い。
細胞の一片も余すこと無く灰燼に帰すと決意してこの神域に侵入を果たしたのだ。
「手当たり次第に殺し尽くすッ!!」
些かも揺らぐことの無い殺意を咆哮に乗せ、蛇の額から生える上半身だけの男に斬りかかる。
カウンター気味に放たれた盾が眼前に迫る。
山二つを覆い隠す程のそれは盾と言うよりも極大な壁だ。
邪神の権能によって放たれた一撃は、単純な物理的な衝撃のみならず、刻印装甲に亀裂を走らせた上に、再構築を阻害する。
術式を切断する効力が働いているのだと予測していると、空いた間合いを埋めるようにエルサ・ケブリスの右手から槍の一撃が繰り出される。
世界の果てから果てを貫き通す槍は、彼我の距離に関わらず神域内の標的を捉える能力を持ち、間合いなど初めから存在しない。
真っ直ぐに突き出された刺突は蒼一郎の四方八方を囲むような曲芸染みた連撃となって蒼一郎の残影を貫いた。
「――ッ!?」
咄嗟に反撃に移ろうとするが、蒼一郎は身体が動かないことに戸惑い、反射的に視線を己の身に落とす。
刻印装甲が凍結し、関節部が干渉を起こしたかのように軋む音を立てて可動を阻害している。
――エルサ・ケブリスが背負う氷山から冷気が放出されている……!?
氷結の権能により熱量を無視して刻印装甲を凍結させているのだと蒼一郎は察する。
だが、遅い。当然のように音速を越え、物理法則を無視する邪神との戦いにおいてコンマ単位の遅れは、常人同士の戦いで数秒の隙を晒していることに等しい。
火山から炎で構成された蛇の首が伸び、蒼一郎の身体を呑み込んだ。
蛇の腹の中は炎の牢獄もかくやと言わん有様で、蒼一郎の手足を縛り付け、鈍器のように収束した炎が蒼一郎の頭部を何度も殴り付け、焼き殺し、殴り殺そうとする。
「糞豚が舐めるなッ!!」
神が発現させた炎が蒼一郎の全身を苛む。
しかし、火虐神ヴァルカンが携える神剣を模したレーベインベルグを魂に定着させている身体に炎は脅威にはならない。
それが神の炎であろうともだ。ましてや隷属の儀式に囚われたエルサ・ケブリスの神格ならば尚更だ。
猛禽類を思わせる鉤爪で拘束する炎を引き千切り、飛翔する剣閃が炎の蛇を腹の中から微塵に斬り飛ばす。
解放されると同時に、鉄槌の如く振り落とされた雷撃が蒼一郎の頭蓋を貫いた。
全身から鮮血を放出しながら大地に、ハーティアの足元に叩き落とされる。
追撃とばかりに迫り来る刺突の嵐の前にハーティアが飛び出すが、彼女が何かをするまでも無く、長槍の乱舞が全て弾かれた。
「AAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
刻印装甲の隙間から紅い鮮血を漏らす蒼一郎が吼える。
最早、口から出て来る言葉に意味は無い。獣の如き咆哮だ。
嘴状のフルフェイスヘルムから漏れる流血が特に酷く、蒼一郎が装甲の下で血達磨になっていることが容易に察せた。
その後ろ姿を見つめるハーティアの表情に不安は無かった。
カトリエルの眼を通して見てきたのだ。
スケイルドラゴンとの戦い、邪神バエルとの戦い、魔人ライゼファーとの戦い、魔人グァルプとの戦いを。
そして、日増しに力を身に付けていく様を。
全方位から機関銃で撃たれているような勢いで放たれる邪神の刺突の全てを斬り払い、再び己の間合いにエルサ・ケブリスを捉える。
迫り来る岸壁の如き盾を前にして蒼一郎の脳裏に浮かび上がったのは、邪神マルコバクドロスに追い詰められ、生殺与奪を握られた時のことだった。
その直後に顕れた剣聖の二つ名を持つ魔人、メラーナ。
彼女は刃を一閃させるだけで壁ごと邪神マルコバクドロスを断裂し、斬殺した。
蒼一郎は、恐らくだが得物の性能にそれ程大きな差は無い。寧ろ、勝っていると本能的にそう考えていた。
――技術的な面ではどうだろうか?
高校時代の選択授業で選んだ週に一回の剣道を三年やっただけなのに対し、メラーナは数千年の時を生き、剣聖の二つ名を持つに至ったのだ。比較する事が無意味だ。
――彼女がしたように間合いから遠く離れた壁を、剣圧のみで斬ることは可能か?
刻印装甲を持つ今なら可能だ。
――その剣で邪神を両断したとして、神は死に至るのだろうか?
断じてNOだ。神は生き物では無い。肉を失ったとしても精神体のみで活動出来る。
物理的に断裂した程度で死ぬ存在では無い。
――では何故メラーナはマルコバクドロスの斬殺を可能とした?
蒼一郎は認識を切り替える。
原初の火は魔人や邪神の心身、術式、攻撃その物を焼き殺す。
――何故、それが可能なのか?
神話によって全てを焼く概念上の燃焼であると認識されているからだ。
だとすればメラーナは神を斬り殺すことが出来る存在であると認識し、実際に斬って殺したということになる。
認識によって神を斬り殺せるのなら、倉澤蒼一郎が神を斬り殺すためにはどう認識すれば良い?
知識、技術、経験、能力、魔力、魔術では霞を斬るようなものだ。
だが、一つだけ、神に干渉出来る性質が備わっている。神性を持つ半人半神という特性が。
神とは何か?
人間から存在を認識され、人間から承認を受けることで人間の上位者、支配者として初めて存在が許される人間の奴隷。
それが倉澤蒼一郎の神に対する正確な認識だ。
重要なことは認識であり、信仰することも、信仰されることも無用だ。
蒼一郎は自身が半神であることを口にした。
カトリエル、ヴィヴィアナ、ガラベル、ヴァルバラは蒼一郎が半神であると認識している。
後は蒼一郎が己が神であると認識し、受け入れるだけで良い。
そもそも、この神域に侵入出来たのも神と同じステージに立てたという対する認識に拠るものだ。
だとすれば――――――。
「往くぞ。糞ドマイナーな三流神」
加速する斬撃が空間を引き裂き、迫り来る岸壁の如き盾を一太刀で断裂する。
邪神に驚愕があったが、満月のように左眼を見開く蒼一郎には驚愕も達成感も無い。
神同士の戦いに体躯の大小などは関係無い。
やれると思ったからやった。やったら出来た。ただそれだけだ。
この霊子空間は邪神の都合の良い様に作用する神域だ。
しかし、邪神エルサ・ケブリスは主軸から外れ、忘れられ、零落しつつある弱神だ。
その一方で倉澤蒼一郎を神と認識する人間は僅か五人。
その内の四人はルカビアンで彼等の認知は数千数万のオウラノの信仰にも匹敵する。
しかし、信仰の数としては少数。元の神格を含め、所詮は中途半端な半神でしかない。
三下と半人前。神同士としてはあまりにもスケールの小さな戦いである。
だが、戦いと認識のスケールが縮小するにつれ、己は人間であるという意識が根底にある蒼一郎にとってその矮小さは却って都合が良い。
繰り出される槍を切り裂く。
冷気を原初の火で消す。
火山から吐き出される炎は全て呑み尽くし、雷撃は刀身に纏わせ霧散させる。
「半神如きに!!」
「殺すためとは言え、よくも邪神如きがこの俺を神なんてものに格下げさせてくれたな」
上段の構えから振り落とした斬撃が閃光を走らせ、その巨躯に背負われた氷山火山諸共一刀両断に分断し、その切断面から火の手が上がる。
神域の中であっても、寧ろ神域の中であるからこそ、再生と再誕を許さない。
焼かれ崩れ落ちていく身体に邪神が身悶えさせる。
「貴様は殺すぞ」
其処に急降下からの追撃が加わり、蛇の額から生える男の上半身が斬り落とされる。
「義母上殿!!」
蒼一郎が叫ぶ。
その意図を察したハーティアが右腕を掲げる。
肘先まで届く長い手袋が膨れ上がり、龍の顎を形成し、エルサ・ケブリスの首根っこに食らい付く、捕縛され、口腔の中で邪神は龍の舌が鋭く尖っていくのを目の当たりにする。槍だ。
既に身体の九十九パーセント以上を原初の火で焼失し、神域の中であっても存在を維持することだけで精一杯になっていた。
神域の外へ出る事も、復活する事も望めず、エルサ・ケブリスは神である矜持も忘れ、その顔を絶望に歪ませる。
「邪神エルサ・ケブリスは上半身を斬り落とされ、戦乙女が携える龍の槍で額を貫かれて死んだ。神話通りね」
ハーティアは地殻変動前のアイドル時代、神話をモチーフにした舞台に出演したことがあった。
故に彼女はエルサ・ケブリスの存在を神話込みで正しく認識している。
だからこそ二十年以上にも及ぶ歳月を不眠不休で封じ込めることが出来た。
そして、機会さえあれば、それを見落とすこと無く、確実に殺すことが出来る。
その正確さは恐怖に怯えるエルサ・ケブリス自身が態度で証明し、彼女自身がそれを実証した。
神話通りに額を貫かれたエルサ・ケブリスが絶命すると同時に神域が音を立てて砕け散った。




