第十二話 ユニコーンの角笛
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アーベルトを乗せて走る黒鹿毛に、新たな客が加わった。
氷の都の跡地で救出した女だ。
これから向かう先がトレスドア地方であることを加味すると若い女を連れ歩くのは不適切ではあったが、恰好や所持品、僅かに漏れる高密度の魔力からしてこの女は魔術師だ。多少の危険は自力でも退けられるだろうと考えた。
グールの住処で手足を縛られていたことを思えば退けられないかも知れないが――、いずれにせよ放置することや普通の若い女を連れ回すことに比べればアーベルトの胃を苛む痛みもいくらかはマシになる。
「聞かないの?」
「何を聞いて欲しいんだ」
素っ気ない返事に女はアーベルトの背で膨れっ面を浮かべる。
ティナ・ハルモンドと名乗って以降、まともな会話もできずに今現在に至るからだ。
ソウブルー地方に所属し管轄が違うとは言え、主要要塞の衛兵団団長ならば簡素でも事情聴取の一つや二つくらいするのが普通だ。
だが、事務的な聴取も無ければ、好奇心に従順な下世話な質問もアーベルトの口から何かが語られることは無かった。
ティナが問いかければ反応は示すが、壁を感じるどころか面倒臭がっているようにも思えた。
反応があるだけ彼女の両親にも比べれば、天と地程の差のある親しみやすさが、心当たりと見覚えのある態度が彼女に不満を抱かせた。
アーベルトにしてみれば空気に徹さずにはいられなかった。
まず帝国で姓を持つ者は極々一部の例外を除いて全員が貴族だ。そして、この男には姓が無い。
強いて言うなら帝国衛兵団ソウブルー地方統括軍団長という役職や、ソウブルーの偉大なる指導者バーグリフの右腕という二つ名が姓に当たる。
武働きで今の地位に在り、その権力は大貴族のラーフェン家やトリエンナ家にも比肩し得る程だ。
しかし、権威は一切無い。
生まれは農民の三男坊だ。
才能を見出してくれた主君に振り回された結果が今の立場で、必要とあらばアドルフ・ラーフェンさえも威圧、脅迫することさえやってみせるが、それを求められていない場面においては普通の庶民同様に、貴族に対する苦手意識は矢張り拭えないものがあった。
そして、この男はその立場柄、帝国全土に点在する有力な貴族や、それらと親交の深い貴族や商家の家名を全て記憶している。
生憎とハルモンド家はその中に該当しなかったが聞き覚えはあった。
貴族だったか、大商だったかは定かでは無い。
敢えて言うなら彼の主君にも似た面倒臭さが印象として残っていることだけは確実だ。
ティナが抱いた面倒臭がられているという印象は大正解である。更に興味を持たれたくないも付け加えておく。
更に言えばティナの格好にも問題がある。
恐らくティナは氷の都の者では無い。
ムンセイス地方の住人にしてはあまりにも健康的で、服装が豪奢過ぎる。
決め細やかな肌が白磁の如きか、病的なまでに青白いかは評価の別れるところだが、太陽の光に反射して煌めく銀髪は多くの女が羨む程の宝石の如き髪質だ。
アンバーブラウンの大きな瞳は学者や研究者もかくやという知性の光を宿しておきながら、無邪気な子供を思わせる溌剌とした生気に満ちている。
その極端なギャップはその手の性癖の持ち主には垂涎の的だろう。
馬上で棚引くアウター兼用のローブは新品同然で、何よりも目を引いたのが彼女の胸元だった。
嫌味の無い手の平サイズの丁度良い具合のバスト――では無く、胸元を締めるトッグルが成人男性の親指大の竜種の乳歯で出来ている。
幼竜が人前に現れるなど成竜以上のレアケースで、乳歯一つでレーンベルグの一等地に大豪邸が建つ程の値が付く。
住人総乞食のようなムンセイス地方には決して出回らないし、その価値を理解出来る者などまず居ない。
ムンセイス地方の人間で無いのは確実だが、それだけの財力を持つ者なら、顔は知らずとも名前くらいは耳に入って来る筈だ。
しかし、どんなに記憶の奥底にアクセスし続けてもらハルモンドという姓が何であったか、どうしても思い出すことが出来なかった。
――貴族の家出娘か。いや、この歳でか?
アーベルトは背後を振り返ると不服そうなティナと目が合った。彼女の種族が人間ならば年の頃は二十歳前後だろうか。
アーベルトの無関心そうな態度が気に障ったのかも知れないが、矢張り主と通じる面倒臭いこと極まりないオーラを感じ、特に言葉をかけるでも無く正面に向き直った。
――トレスドア要塞でレーンベルグ軍と合流出来れば彼等に押し付けた方が良いだろう。この付近に魔術師ギルドがあれば其処でも良いのだがな。
大豪邸を三軒も身に付けた女を長々と連れ回したり、懐かれても後々面倒臭いことにしかならない。
そんな確信にも似た想像を張り巡らせての考えだった。
「男が聞いても良いことなら聞こう。馬上なら私以外に聞く者も居ないだろうからな」
だが、何となく構ってしまうのは、主と似た雰囲気の持ち主だからか。
――まさかバーグリフ様の隠し子……、いや、それこそまさかだな)
平和的だが極めて最悪な己の想像に辟易しながら溜息を吐く。
「女心が分からない人なんだね」
「だから未だに嫁の当てもない」
皮肉に対する回答はあまりにも素早い。
事前に用意しておいた幾つかの台詞をテンプレート通りに発言したかのようだった。
ティナは不服そうに頬を膨らませて、アーベルトの腰に回す両手に力を込める。
圧迫されギリギリと腰骨が軋む音を立てる。
魔術師とは言え、女とは思えない出鱈目な膂力だが、それに何かを示すことは無く、魔術師なら筋力強化系の術式でも使っているのだろうとアーベルトの態度は矢張り無関心なままだった。
しかし、アーベルトの背でティナは口の端を吊り上げ、とっておきの悪戯を思い付いた悪童のような笑みを浮かべる。
「私がアー君のお嫁さんになってあげようか?」
「いつ命を落とすかも分からんような男など止めておけ」
アー君というふざけた呼び方と小悪魔的な口振りに反応を示す事無く、矢張り反射的に言葉を返す。
何処と無く馴染んだ感じが、この男が普段から言い慣れている言葉なのだろうと嫌でも察することが出来、女を蔑ろにするような態度がティナの心を更に不機嫌なものにさせた。
「からかい甲斐が無い! 結構、モテる方なんだけどなー?」
「血色の良い女の方が好みだ」
ばっさりと切り捨てられ女が絶句する。
口を半開きにして固まっている気配を感じ、背後を振り返ると案の定、ティナが口を半開きにしていた。
銀色の髪と全身から僅かに漏れ出す魔力と相まって神秘的な雰囲気が漂っている。
白と青の真新しいローブは魔術師特有の辛気臭さや胡散臭さは一切無く、ドレスにも似た美麗さがあった。
長い睫毛が彼女の魅力を際立たせ、それでいながら飾り気の無い子供のような態度が、少女のような無邪気さと相反する魅力を兼ね備えた美女然とした佇まいを演出していた。
そんな女に対する言葉は――、
「間抜け面、だな」
更なる口撃であった。
だが、それまで膨れっ面をしていた女が急に表情を緩ませる。
密着させた身体から漏れ出す両者の魔力が結び付いていく、結局の所、魔力とは精神エネルギーの一種だ。
高位の魔術師にとってそれは万の雄弁な言葉よりも、明確に意思や感情を誤解無く認識することが出来る。
――お前がしがみ付いているのは人では無く、壁だ。人に言えないことでも壁に向かってなら何でも言える筈だ。壁には醜態を写す目が付いていないから無様を晒しても嗤う者も咎める者もいない。壁には口が無いからその醜態や無様さを誰かに漏らすことはしない。壁には耳が無いから何を言われても嫌悪したりはしない。
それはティナの全てを受け入れる体勢を示すが故の無関心だった。
好きな女の子の興味を引くために幼稚なちょっかいを出して困らせようとする。
そんな幼い少年にも似た不器用さが彼女の表情を緩ませ、笑みを溢させた。
「ぶっきらぼうでお堅い人だと思ってたけど優しいんだね」
それまで男の腰骨を粉砕するかのような勢いで回していた両腕から力が抜け、代わりに恋人を抱擁するかのような手つきで上半身に手を這わせて改めて身体を密着させた。
そして――、
――少しばかり胸が小さいな。
男は微量に漏れる魔力に最悪な思念を乗せて放った。
魔力から思念を読み取られたことを理解したが故の暴挙だった。
思考、感情、本質の隠蔽する為の方便のようなもので、実際にこの男が女性の胸の大きさに拘りがあるかどうかは定かでは無いが、何の誤解も曲解も偏見も無く、その思念を正確に読み取り、理解した女は再び出鱈目な膂力を発揮し、男は涼しい顔をしたまま肋骨の幾つかに亀裂を走らせた。
そうこうしている内に空が夕焼けに染まり、陽が沈み始めた。
アーベルト自身は疲労らしい疲労は感じていなかったが、黒鹿毛を丸二日走らせ続けた。
矢鱈と馬鹿力な暫定一般人の同行者もいる。
今の所、手がかりらしい手がかりも発見出来ていない。
動く指針も無く、悠長にしていられる理由は無いが、急ぐ手立てが無い。
男は水辺を見つけ出すと馬の足を止め、キャンプの準備を始める。
「器用だね」
女は感心したように声を漏らす。
慣れた手付きで素早くキャンプの設営を終えると、さっさと火を起こすと一人で森の中へと入り込み、陽が沈み切るよりも先に山菜や果物をかき集めて戻って来た。
「果物と山菜だけ? 魚はー?」と女が不満を口にするが、セイレーンの丸焼きを目の当たりにしたこともあり魚を口に入れたい気分では無かった。
食おうと思えば食えるが、今は非常時では無く他に食う物がある。
「釣り竿くらいなら用意してやる」とだけ言って、調達の意思が無いことを示す。
女は憮然としたまま焚火の前に座り込んだ。
魚を釣ったことが無いのか、そもそも面倒臭いだけなのかは定かでは無い。
とは言え、先ほどからアーベルト一人に働かせてばかりで何も出来ず、何をして良いかも分からずいるのも、どうにも決まりが悪い。
尤も、女が手伝いを申し出るべきかどうか迷っている間に食事の支度も終わっており、ただでさえ気まずいものを更に強く感じてしまう。
女は思う。
――もっと愛想の良くすれば、こっちだってそれに合わせて愛想を振り撒くのに。
とは言え、感謝自体はしているのだ。
この男の態度が釈然とせず、素直に賞賛すると負けた気がしてならなかったが、従者でも無い男に対して『よきに計らえ』と言うのも違う気がして「本当に器用だよね」と中途半端な賛辞を口にしていた。
「帝国が目指す兵の在り方とは一騎当千だからな。武器や魔術の扱いは基本として暗殺、潜入、諜報、兵站くらいは一人で出来て当然。料理などの生活、芸術などの文化も同様だ」
男は鍋に火をかけながら勝ち誇るでもなく、心の底から出来るのが当たり前であるかのように言って退ける。
ここで言う一騎当千とは一人で千人の敵を倒すという意味では無い。一人で千役をこなすという意味だ。(並の兵の千人程度なら同時に相手取れるのもまた事実だが)
尤も、一人で千役をこなせるようにするというのは帝国兵のコンセプトと言うよりは願望にも似た目標で、アーベルトとて千役の半分さえもこなせない。
寧ろ千人を斬り殺す方がずっと楽だし、それ以上を斬る。
事実だが増長にも似た言葉を女子供に聞かせる気にもならず、食料探しの最中に斬り倒して持ってきた竹に刃を入れて食器を幾つかでっち上げる。
「料理も一騎当千?」
「だと良いがな。だが食えない味なら人に食わせようなどとは思わない」
言葉とは裏腹に、それなりに自信のありそうな態度で男は竹を切って作った鍋から山菜のシチューを注いで女に渡す。
味付け自体は要塞お抱えの料理人が作った固形調味料に依るところが大きい。
この場に倉澤蒼一郎がいれば「固形のカレールウみたいですね」と口にしていたかも知れない。
「歌は? 踊りとか楽器とか」
「苦手意識を持たない程度にはな」
「じゃあ、これ吹ける?」
シチューと引き換えにする形で女に手渡された笛に視線を落として、男は驚き半分、呆れ半分といった様子で女に視線を移す。
「珍しいな。ユニコーンの角笛か」
竜種を素材とした物品に比べたらある程度は値が落ちるが、それでも尋常では無い値が付くことには変わりが無い。
それを無造作に差し出そうとする無頓着さに呆れた様子で受け取る。
指摘することは諦めた。恐らくユニコーンの角笛『程度』という認識なのだろうと。
「何かリクエストがあるなら応えるが」
「アー君のことを称える詩ってないの?」
「あるわけが無いだろう。あったとしても演るつもりもないが。ソウブルーで流行っているのは帝国を称える詩、我が主バーグリフを称える詩、我が――」
同僚と呼ぶか、友と呼ぶか、一瞬の逡巡を挟み、「友の倉澤蒼一郎くらいのものだ」
そう言って、アーベルトは女の感情がどのようにして動くかを観察する。
世間一般では氷の団の統率者、卑劣の王オライオンを殺したのは倉澤蒼一郎ということになっている。
第二次オライオン抗争の終結からそれ程時間も経っておらず、氷の団の関係者や支持者で、あの男の名を耳にして平静でいられる者はそうはいない筈だ。
「じゃあ、私がアー君を称える詩を唄ってあげるからそれに合わせて吹いて?」
氷の団とは全く関係が無いどころか、世間から外れたところで生活していたことが決定した瞬間である。
アーベルトは自分で思うのも癪だが――と、内心で前置きした上で思う。
――あの男は稀代の大英雄だ。倉澤蒼一郎の名を耳にしても興味を持たないだと?
反応を伺う為に、あの男のことを態々友と評したにも関わらずだ。
倉澤蒼一郎の活躍の最新情報が駆け巡る度に大きな敵を討ち滅ぼし、次に情報が出回る頃には何を仕出かし、今現在は何と戦っているのかと期待せずにはいられないのが、今の帝国のトレンドとも言えた。
世間知らずの箱入り娘という印象が新たに加わり、更なる面倒臭さを感じた。
それはそうとしてユニコーンの角笛という珍しい楽器に触れる貴重な「間接キスだね」雑音を無視して、貴重な機会を楽しむ――――本当にアーベルトを称える詩を唄い始めたので「先に飯を済ませろ」と今度こそ黙らせて貴重な機会を楽しむことにした。
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