第十話 失態
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魔人グァルプ――、いや絶無の零は考える。
大見得を切ったは良いが、打つ手が一切無いのが実情だ。
洗脳。
魔人ドルガーノへの変質。
絶無軍の連携による戦術級魔術。
ルーフリードに致命的な効果を与えることを可能とする手札は三つ。
これだけ恵まれた手札を自らの意志で封じておきながら、打つ手が無いなどと言うのは贅沢以外の何物でも無い。
だが、最強を謳って過言でない手札を敢えて、それを用いることなく、ルーフリードに戦いを挑む。
可能ならば勝利したい。そんな我儘を押し通してみたくなったのだ。
ルーフリードを討伐してしまえば後に残るのは上位の魔人か、その庇護を受けた下位の魔人だけだ。
続く戦いは瞬殺するか、瞬殺されるか。二つに一つであることが決定付けられているようなものだった。
そこで脳裏を過るのが倉澤蒼一郎という男だ。
――あの男は、まともな準備や対策を講じる間も無く、魔人との戦いに放り出されている。それでありながら、ただの一度も敗北していない。そんな男と真正面からやり合って勝てるのか?
洗脳――。
――あの男の側にはヴィヴィアナの姿があった。既に対策済みの筈だ。確実に通用しないと断定しても良い。
取り込んだ魔人への変質――。
――いい勝負をするだろうが下位の魔人では決定打にはならない。但し、上位の魔人であれば確実性は増す。
戦術級魔術――。
――倉澤蒼一郎に繰り出した拘束雷電陣は然程、効果が無かった。
本来ならば効果範囲内に存在する攻撃対象を細胞の一片も残さず瞬時にして炭化させる程の威力を持つ。
実際には、あの男の身体の内外を軽く焦がし、眼球を潰す程度にしか通用せず、それらのダメージも容易く、しかも瞬く間に再生されてしまった。
倉澤蒼一郎本来の魔術耐性と再生能力によるものか、それとも装備によるものか、はたまた両方なのかは定かで無いが戦術級魔術も過信は出来ない。
今の零はある意味では魔人グァルプの力を超えているとも言える。
だが、彼我の戦力差を考察すれば考察する程、力の差は埋まるどころか更に広がっているように思えてならなかった。
零が殺した者達の能力を奪う権能と同様、強者を殺せば殺す程、倉澤蒼一郎の身体にも世の理とは異なる理屈で力に何かしらの変革が起こっている。
そんな似て異なる能力が宿っているのでは――そう思わずにはいられなかった。
だからこそ零は思う。
――奴と奴に敗北した者の差。それは単純な魔力や戦闘能力では測ることの出来ない、死線を踏破する力では無いのか?
そういった意味ではルーフリードは良い試金石となる。
ルーフリードにとって致命的なカードを二枚も保険にしておきながら死線を踏破するも何も無いが、今の零にとって必要なのは死線を越える力を得ることでは無い。
その準備段階、死線を乗り越える力の有無を自覚することだ。
「神をも支配するか。ルカビアンの世において老害共さえいなければ、お前は一角の人物となっていただろうな。だがな、老害が支配する世界が滅び、真なる自由を手にして思うこともある。ある意味で老害共の世は間違えていなかった」
大言壮語を吠える零に、ルーフリードの反応は涼やかななものだった。
対する零の表情は、ルーフリードが想像した物とは大きく性質を異にするものだった。
零の表情、零が放つ気迫、そのいずれもが静かな嫌悪に満ちていた。
それはルーフリードの錯覚ではない。
事実、零は死線を越える為、力を制限すると決めたことを忘れかけるほどの衝動に襲われていた。
全ての切り札を切って蹂躙してやろうとする短絡的な衝動を、理性を総動員してどうにか押し殺す程の嫌悪を覚えていた。
「ルーフリード。お前は我のモルモットだ。モルモットはモルモットらしく役目を果たせ」
「逆上せあがるなよ、グァルプ。まずは身の程を弁えてもらおうか」
――囀るな。
奇しくも憎悪を多分に含んだ両者の言葉が重なり、上から見守るイオナ達の視界から零の姿が消えた。
彼女達の認識能力を超越した機動力で死角に回った零の刺突が、半身を翻すルーフリードの掌に受け止められる。
その姿を漸く追えたと思ったと同時に、零が踏み込んだ大地が爆ぜるように抉れ、両者の激突によってもたらされた衝撃と轟音が今頃になって気付いたかのように鳴り響き、衝撃が突風となってイオナの前髪を土煙と共に撫で上げる。
「本当に心臓に悪いったらありゃしない! 零のニーサンの遊びにもほとほと困ったもんだ! 頼むから大怪我しないウチにさっさと決めてしまって欲しいもんだよ!」
嵐のように吹き荒れる土煙から眼と口を庇いながら悪態を吐くイオナの心配を余所に、零は龍牙剣を巧みに操り、幾つもの剣閃を走らせる。
振るわれる度に斬撃が加速していく。
一振りが二条の閃光を放ち、更に繰り出された一振りが三条の閃光となって煌き、一振りが四条、五条、六条――、衝突する斬撃と打撃が爆炎と爆音を轟かせ、雷を走らせた。
「カハ……、ハハハハハハハハハハハハハ!! ンフハハハハハハハハハッ!!」
人間同士の戦いなら疾うに決着が付いている。
だが、彼等の攻撃は互いに決定打にはなっていない。
尤も、オウラノの許容限界を遥かに越える攻撃の行使は、自滅に導く程の膨大な反動となって零の肉体を蝕んだ。
一太刀で振るわれる斬撃の軌跡は今や八条。
皮膚が裂け、肉が爆ぜ、骨が砕け、それと同時に新たな肉体の構築と変質、同化を瞬時に済ませるが、自らの流す鮮血は零の全身をじっとりと濡らしていく。
全身が赤黒く染まった零は、血反吐を吐きながらも、哄笑を止めることはしなかった。
「最高だ、ルーフリード! お前は最高のモルモットだ!」
零の言動にルーフリードの双眸が不審に歪む。
「信仰の主軸から外れ、得られる信心は微量でありながら、顕現し、信徒に加護を宿す権能も健在。要は神としての格は下の下。神としての体裁を辛うじて残すだけの存在! 成る程。それならば貴様の力でも十分にその立場を簒奪することも不可能では無かろうよ。そして、エンドルが得る筈だった信仰を力に変えた今の貴様はドルガーノの力を凌駕した! 全くもって都合の良い奴だよ、貴様は!!」
肉体をドラゴニアンベースに、オライオンの魔術知識と適性をベーシックに変質。
魔力は零が奪った者達の魂を触媒にして増幅。
装備はオライオンが殺したサーペントドラゴン製を展開。
機動技術を得るために盗賊ギルドのエージェントの力を顕現させた。
攻守速魔、あらゆる面で最高峰といって良い力を得たと言える。
その上で自らの体内で魔力を膨張させ、その際に発生する爆発力をエネルギーに変換し、肉体の限界を凌駕させる。
この時点でグァルプと初交戦時の、倉澤蒼一郎の実力を確実に上回っている。
サマーダム大学での戦いを思い起こしながら零はそれを確信する。
だと言うのに零の放った攻撃の全てを、ルーフリードは完全に捌き切っている。
ルーフリードが奪い取った信仰が武神や軍神の類なら納得もいくが、戦闘に無関係の、それも零落寸前の商業神如きの加護でだ。
唯でさえ圧倒的な力を持つ魔人に更なる防御力、機動力、魔力耐性を与えていた。
「劣勢に立たされて尚負け惜しみ出来る神経だけは褒めておいてやる」
「老害共に支配されて負け惜しみすら言えなかった貴様には、この程度のことさえも評価の対象となるのか? 嗤わせるな!!」
刃に暴言を乗せ、術式に嘲笑を組み込み、罵倒と共に相殺する。
手も、足も、思考も、口も、何もかもを止めること無く目まぐるしく立ち位置を変えながら零は思う。
――十中八九、私が敗北するな。
だが、この事実は零に何ら悲嘆を与えるものでは無かった。
――逆に言えば十やれば、一か二は勝てると言うことだ。
信仰による力を得た魔人と対峙してこの戦力差は絶望的では無い。
寧ろ魔人の癖に、十中八九程度の勝率しか弾き出せないルーフリードを嘲笑すべきだ。
そうで無ければ、此処までの力を得た己を誇るべきだと、確かな手応えを感じた零は満足気に口の端を吊り上げる。
とは言え――。
「身の程を弁えない大口はもう終わりか?」
交戦を開始してどれだけの時間が経過しただろうか。
幾度目かになる激突の最中、突如として糸が切れたように零が崩れ落ちた。
ルーフリードは無傷だった。
零も自ら流した血に塗れているが、それらは全て自らの行動、攻撃の反動によってもたらされたものだ。
ルーフリードから受けた傷は一つも無い。
肉体の再構築、失った血液の生成、奪い取った魂の変質、龍牙剣と龍尾剣の実体化。
単純な術による攻撃と防御に限らず、あらゆる行動面で魔力を練り上げ、膨張し、爆発させ、そして消耗し続けた。
魔人グァルプにとっては微細な消費量だが、オウラノの零と化した今の彼にとって、自らの魂を磨り潰していくも同然だった。
――失態だ。己の消耗を自覚出来ず、限界を理解出来ず、それを踏破することすら出来んとは。
魔人相手に単一戦力で、これ程健闘出来る者は、零が知るだけでも倉澤蒼一郎くらいのものだ。
だが、あの男のことを言うなら、健闘という言葉は不正確だ。
圧倒的な力量差がある筈の魔人を捻じ伏せたあの男は――。
「は―――――、ははははは、ハハッハハハハハッハハッハハッハッ!! 莫迦か貴様は? この程度で満足出来るものかよ! あの男なら、倉澤蒼一郎ならばこの程度で止まることなど絶対に有り得んぞ!? 貴様程度に善戦して満足? 有り得んな! あの男に我が脅威であると認識させるならばァ!! 貴様如き踏破せずして何とする!?」
零が振り子仕掛けの玩具のように倒れた時と同じ勢いで立ち上がった。
不自然な挙動に不気味な物に対する嫌厭を隠すこと無くルーフリードは眉根を顰めて零を睨み付ける。
己の攻撃は一切通用していない。
それは事実だが、零とてルカビアンと対等に戦おうと無理を押した結果が、死に瀕する程の反動による肉体の損傷だ。
力を使えば使う程、損壊していく零の身体にルーフリードは無感情に鼻を鳴らす。
「如何に大口を叩こうともお前は所詮、此処までだ」
「いいや。此処からだ。そして、これからも続いていく」
当初の予定では追い込まれた時点で絶無軍を動かす筈だった。
零は十分過ぎる程に追い込まれている。先程から感じるイオナの焦燥混じりの視線。
命じられる瞬間を今か今かと待ち焦がれているようだったが、零はそれを無視した。
――此処からが本番だからだ。恐らく死線はこの先にある……!
赤と白が明滅する視界の中で漠然とした予感があった。
恐らく、あの男はこれを乗り越えたのだろうと。
――信仰の象徴を奪われた神は信仰を得られなくなる。だが、聖堂を破壊されても奴には、八雷神の加護とエンドルの信仰、二つの奇跡が備わったままだ。八雷神がエンドルの信仰を守っていると言うことか? しかし、二柱に圧倒的な神格の差があるとは言え、商業神信仰の奇跡が八雷神の加護よりも優れている程度とは解せぬな。
八柱にして一柱の権能を持つ世界の主神たる八雷神。
彼等がその身に受ける信仰は、全ての神の信仰をかき集めても比較にすら値しない。
そう言っても過言では無い程、篤く、深い。
とは言え、八雷神の加護は人間だけに限らず、魔人、魔獣、アンデッド、動物、植物、神、この世界を構成する全ての存在に与えられる。
世界その物を傅かせ、旧神達に加護する世界を誤っていると言わしめる程の絶対的な唯一神。
信仰の力を増幅させ、世界その物に還元しているとは言え、一人一人、一つ一つに宿る加護の力は決して大きいとは言えない。
だからこそ、加護の取り分が多い土着の神や邪神の信仰が未だ残っている。
ルーフリードは何かしらの手段で商業神エンドルの神域を侵し、聖堂に集まる信仰を簒奪することで自らの力とした。
オウラノとなってしまった零では、神の力を正確に認識することは出来なくなってしまった。
とは言え、その力が極小か極大かくらいの区別はまだ付けられるのだ。
八雷神の加護が一だとしたら、商業神エンドルの奇跡は精々百程度。
百倍の差と聞けば圧倒的のようにも感じるかも知れないが、八雷神の加護という点では百倍という数字は誤差の範囲に留まる。
零の肉体の本来の持ち主に宿った加護が一だとしたら、歴代の皇帝、帝国主要都市の支配者、アーベルトのような一騎当千の猛者、オライオンのような帝国の歴史を揺るがす反逆者、洗脳を生み出した三千年前の英雄、メアリをはじめとするSSランクの冒険者、サマーダム大学の歴代学長、こういった手合いが百や百以上の加護を受けている。
そういった意味では、ルーフリードに備わった奇跡は、精々が天才や英雄の才。
確かに素晴らしい力だと言えるが、神の信仰を横取りして力を蓄え、神に並ぶ存在になったにしてはあまりにも弱過ぎる。
――違うな。トゥーダスがジエネルを滅ぼし、ホライムーン地方の商業神信仰に皹が入ったからルーフリードはその信仰を横取りすることが出来た。ならば、ルーフリードが宿す奇跡の弱さは私が聖堂を破壊したからでは無いのか?
商業神エンドルは零落間近。
神やルカビアンのような超越種の感覚では無く、人間の、定命種の感覚で間も無くなのだ。
――そうだとすれば、後一手追い詰められる。何故なら聖堂を破壊された事実を知る者が少ないからだ。
零は鼻を鳴らす。
自らの全身を苛む無数の傷のことなど眼中に無いかのように僅かに残った体内の魔力を膨張させる。
指先の毛細血管が爆ぜ、これで幾度目になるか分からない返り血を浴びる。
指先から滴り落ちる鮮血は零の足元に鮮血の泉を作り出す。
「しかし、オウラノの肉体を得てから何度も思うことだが己の愚かさには、ほとほと呆れる。当初に考えていたことを間も置かずして忘却するくらいは可愛いもので、記憶に残っていても異なる行いをすることもある。問題に直面した際、解決案を思い付くまでに長い時間を要する。もう少しまともな思考回路があれば余計な手間を取られずに済むのだが、な」
ただの負け惜しみだ――、ルーフリードはそうは思わなかった。
グァルプは裏切り者としてギエルに処刑された。
本体とも言うべき核を破壊し、蘇生法が発動しないように完全な死を与えられたということも聞いている。
その場に魔人の中核、トゥーダス・アザリンや魔術や生命に関する造詣が深いヴィヴィアナやガラベルもいた。
誤魔化すことは不可能に近い。
だが、ルカビアンとしての力の大半を失い、オウラノの身体に魂を宿しながらも、グァルプは生きていた。
グァルプはルーフリードを知らなかったが、ルーフリードは地殻変動以前からグァルプの存在を知っていた。
世代、地位、知識、力、家柄、個人の価値を決める大半の要素を無視するかのように、釣り合わない何かを常に持ち続けていたような男だった。
その得体の知れなさは、未だに印象深く残っている。
今までの苦戦がオウラノの低性能な身体に振り回されていただけに過ぎない。
此処からが本番なのだと警戒するに値する敵だ。
ルーフリードとの戦いは、本来、ルカビアンとはどのような存在であったか、今一度、零に想起させていた。
彼が己のことを警戒していることに零は気付いた。
――ジエネルを破壊された時点で商業神エンドルは神格を大幅に落とした。自然神とは違い信仰を象徴する偶像を物理的に破壊するのではなく、人の精神に訴えかけることで偶像を破壊しなくてはならない。
それにも関わらず、零の脳裏には己を警戒するルーフリードの存在を脇に追いやっていた。
「つまり――」
自らの血でぬかるんだ地面を零は右足で抑え付け、波紋を地面を揺らす。
次の瞬間、赤黒く染まった大地が爆ぜた。
零の肉片がはじけ飛んだかのように錯覚する程生々しくグロテスクな様相だった。
イオナ達が纏う空気からそれを感じ取った零は、彼女達では認識出来ないスピードの世界を飛び回りながら我が意を得たりと笑みを浮かべる。
「水葬発破!!」
クレーター状に穿たれたエンドルの聖堂跡地を完全に水没させんと、紅い大津波が、うねりをあげて怪訝そうに表情を歪めるルーフリードに襲いかかる。
大津波の中に混ざる紅は零の血であろうことは察することが出来た。
血液を媒介に魔術の威力を高めるという手法は古今に枚挙に暇がない。
だが、零が放った水葬発破は大津波にただ赤く色を付けただけだった。
威力もオウラノ個人の魔力相応のもので、戦術級魔術と比較にならない程脆弱で、ルカビアンが無意識的に自動展開している結界に阻まれ、ルーフリードの四方五メートル程で渦を巻くだけに留まっている。
――グァルプがこれで私を殺せるなどと思っている筈が無い。何を狙っている?
現に零はルーフリードを視覚に捉えたまま、津波と津波の僅かな隙間を、水の無い空間を電光石火もかくやというスピードで飛び回っている。
術が通じていないことには何の感慨も無さそうな態度だった。
「灼爆熱波!!」
クレーターを飛び出し中空を浮かび、天を掲げる零の両手から黒い炎が渦を巻く。
直径百メートル程の黒い太陽と見紛わんばかりの火球をクレーターの中に叩き付けた。
自ら放った水葬発破を瞬間的に沸騰、蒸発させ赤煙を立ち昇らせる。
「氷結結界!! これで下準備は済んだ……後は真正面からいかせてもらうぞ!! ルーフリード!!」
空気中の水分を全て凍てつかせ、凍った赤い霧を突き破って、零が加速する。
クレーター内の温度変化は六千度を超えるが、零の魔力によって引き出された魔術的な現象だ。
強固な魔術防御力を持つルカビアンにとってそれ程大きな影響を及ぼすものでは無い。
反面、オウラノの肉体を持つ零に取って、クレーター内の環境は命の危機に関わる。
自殺行為と言っても良い行動の意図が読めないまま、ルーフリードは真正面から零を迎撃する。
尋常ならざる速度と力によって衝突する斬撃と打撃が、大気を圧縮させ、竜巻となってクレーターの中を更に深くえぐり取る。
空高く舞い上がる霧から轟音が轟いた。
「水蒸気……雷雲だと? 人工的に雷を作り、それで私を殺す気か。嗤わせる」
「人工雷で貴様を殺す? その程度で死んでくれるのなら楽で良いのだがな。殺すのは別のものだ」
荒れ狂う竜巻の中で嘲笑に嘲笑で返した瞬間、八十九本の稲妻が轟音と共に空を走った。
それからも断続的に雷鳴が轟き、彼等の足元を削った。
「もう少し派手にしても良かったが……、こんな所か」
貴様、何を企んでいる――、ルーフリードが口にしようとした瞬間、拮抗が崩れた。
それもルーフリードが力で押し負けるという形でだ。
「駄目押しだ。もう一手打たせてもらう」
オライオン、ドラゴニアン、戦士ギルド員の融合体に肉体を変質させ、力任せに斬撃を繰り出す。
生まれながらにして、他種族の戦士とも優位に渡り合える力と技術を持つドラゴニアン。
単純な身体能力と戦闘力で、三大ギルドの戦力に肩を並べる戦士ギルド。
この二つの力を、神の気紛れで圧倒的な力を得たオライオンの力の相乗効果で更なる力が現出する。
新たなる力によって放たれた斬撃によって圧縮された空気は、その逃げ場を地面に、空に求め、衝撃波となって大地ごと両者を叩いた。
足場が崩れては斬り合い、殴り合い、それを何度なく繰り返す。
エクスコアで穿たれた深度五十メートルのクレーターは、既にその深度を百メートルに届かせようとしていた。
ルーフリードの研究施設は完全にその姿を露出させるどころか、度重なる地面の破壊によって斜めに傾き、衝撃波に煽られ、シーソーのように左端と右端を交互に持ち上げ、災害映像さながらの不吉さを醸し出していた。
「全く……、オウラノの身体は不便だ。此処までやって漸く一手だ」
ルーフリードが繰り出した神速の打撃に向かって、渾身の力を込めた斬撃を叩き付ける。
両者の反発によって生み出された圧倒的なパワーが大地を隆起させた。
急激な上昇気流のような力が土塊を跳ね上げ、渦を巻いて巻き上げていく。
彼等の頭頂部を貫かんとする雷の軌道を無理矢理捻じ曲げる理不尽な力が、遂にはルーフリードの研究施設さえも巻き上げた。
狙った通りの成果を得られたことに零は含み笑いを浮かべたまま膝から崩れ落ちた。
零の両腕は龍牙剣もろとも砕け散った。
当然だ。ルカビアンの膂力と真正面からぶつかったのだ。
寧ろ両腕の損壊程度なら軽傷、寧ろ無傷と言っても良い程の代償と言っても良い。
対するルーフリードの相貌には驚愕が浮かんでいた。
その両目は微細に震える自らの右手を捉えて離さなかった。
「まずは信仰の奇跡、断たせてもらったぞ」
「な、に――?」
商業神エンドルの聖堂が襲撃され、破壊された。
その事実は、追い出した信徒達の口によって、ホライムーン要塞の住人達にも伝達が始まる頃合いだ。
そこに黒い太陽と見紛う灼爆熱波を発動させる。
地元の者なら間違いなく此処にエンドルの聖堂がある地だと気付く筈だ。
更にその地から不吉としか言いようのない血のような赤い濃霧を産み出し、氷結結界で局地的な温度変化を発生させて氷結した水蒸気を衝撃波で空に巻き上げた。
人工的に産み出された雷雲は聖堂付近にのみ雷を落とした。
そして、挙句の果てにルーフリードの研究施設さえも吹き飛ばす。
その研究施設も、戦闘の衝撃によって生み出された気圧の風に乗り、今頃はホライムーン要塞の中、もしくは壁の中に突っ込んでいるだろう。
「オウラノの脳に設定されたルカビアンに対する安全装置の影響は、ルカビアンが作った創造物にも影響を及ぼす。それは畏怖や崇拝に、状況的に言えば貴様の施設は商業神エンドルの家置き換えられる。エンドルの神域で起こる奇跡とは言い難い。神は死んだと言い出す者も現れるだろうな」
それこそが、ルーフリードが右手に感じている痺れの正体だ。
商業神エンドルに捧げられる筈の信仰が加速度的に減少し、ルーフリードの力を削ぎ落としていっているのだ。
一手打つまでに随分と時間をかけさせられたが、それなりに満足のいく結果を得、零は満足気に立ち上がりながら両手を生やす。
「今頃、ホライムーン要塞には私の血液で固まった土塊の雨が降り注いでいる頃だ。要塞に住むオウラノはエンドルでは無く、八雷神に祈りを捧げ救済を求めている頃だ。ルーフリードよ、気分はどうだ? それが力を失うということだ。尤も、私が味わった絶望に比べれば貴様のそれは序の口にすらならんがな」
再構築した龍牙剣を突き付け、零は顔に達成感と緊張感が綯交ぜになった感情を浮かべる。
この一手は、あくまでルーフリードがエンドルから横取りした信仰を削ぎ落としただけに過ぎない。
此処からがルーフリードが持つ本来の力との戦いだ。彼には未だルカビアンの力が備わったままだ。
絶望的な力の差から、圧倒的な力の差に縮まりはしたが、相変わらず劣勢であることには変わりは無いのだ。
「この強かさ、この周到さ、不可解さ、矢張り貴様は零などでは無い。貴様はルカビアンの生き残り、グァルプだ!」
「それは光栄だ」
肩を竦めつつも、剣を構える姿勢に些かの揺らぎも無い。
神の力を得て油断があったが故に絶望的な力の差があって尚、一手講じることが出来たのだ。
一割か二割程度しか無い勝率を、漸く三割から四割程度までに押し上げた。まだまだその程度。
何より、ルーフリードが警戒心を露わにしていても、彼の存在や在り様を横に置く事が出来たのも、ルカビアンの習い性を消すことが出来なかった。
警戒するだけで、何の対策も講じず、何か新たな行動を実行しなかった。
それは高齢世代によって植え付けられた負け犬根性の顕れだ。
ルーフリードにはそれを乗り越えられないと零は確信していた。
事実その通りになったが、ある意味で零はルーフリードを追い詰め過ぎてしまった。
勝敗の行方は未だ、ルーフリードに傾いている。
しかし、彼は恐怖した。零の一手は命に手をかける程の物では無かったが、ルーフリードを確実に脅かす有効な一手であった。
それ故に、ルーフリードは己の敵が零では無く、グァルプと認識を改めた。
目に見える力は大きく減退したが、ルーフリードの脅威度は逆に上昇したとさえも考えられる。
次の瞬間、ルーフリードの頭部に閃光が走った。
それは常人の眼と脳で認識出来る筈の無い光だった。
(通信機の電波……?)
他のルカビアンに助けを呼ぶのかと考えたがそうでは無い。
ルーフリードが電波を受信する動きだった。
そして、ルーフリードが零に向き直り、拳を構えた。
「この時代は、今までとは随分と毛色が違うようだ。倉澤蒼一郎という異世界の純粋種がクラビス・ヴァスカイルで刻印装甲を手に入れ、トリスガストを殺したそうだ。核は破壊されなかったらしいがな」
「奴め、更に力を手に入れたか。ならば、予定変更だ」
「何?」
零が武装を解除し、変質させた肉体を襤褸切れを纏った乞食の身体に戻す。
その意図が読めず、ルーフリードは怪訝そうに眉根を顰めた。
「単純な力だけなら追い付いたと思っていたのだがな、また大きく差を付けられてしまった」
構えたままのルーフリードに無防備なままの零が歩み寄る。
装備は無く、魔術兵装の類も無い。魔力の奔流も無く、完全な無防備のままだ。
しかし、何とも言い難く、抗い難い不気味さがそこにはあった。
「もう少し修行をしていたかったが、そういうわけにもいかん。ルーフリード、お前の力も頂いていく。ドルガーノと同様にな」
零の右半身がアメーバ状に解け、ドルガーノの姿が形作られる。
その指先には凶悪と形容するに相応しい魔力の収束があった。
零の爪が弾け飛び、首筋から鮮血が水鉄砲の如く、勢いよく飛び出す。
左眼が爆ぜ、左腕の肘から先が腐れ堕ちた。
「チッ……洗脳とドルガーノへの変質の同時発動は身体が保たんか。だが、奴が刻印装甲を手に入れた以上、泣き言を言っている場合ではないか」
「何……?」
「奴は元からルカビアンの十九魔人と対等に戦えるだけの力を持っていた。そこに刻印装甲の力が加わってみろ? 私が取り込む予定の魔人を先に殺されてしまう。それでは倉澤蒼一郎に勝てぬ。封印されているか、稼働中かは分からんが、ティアメスを取り込み、私も刻印装甲を手に入れる必要性が出て来た。悪いが瞬殺させてもらう」
だが、洗脳によってその動きを完全に封じられてルーフリードは身動き一つ取ることなく、その姿を仰ぎ見ることしか出来なかった。
「この……!! 裏切り者がああああああああああああああああッ!!」
負け犬の遠吠えとしか言いようのない捨て台詞だった。
だが、その言葉に衝撃を受けたのは他の誰でも無い、負け惜しみを吐き捨てたルーフリード自身だった。
零に危害を与えることと、身動きを取ることを封じられているが言葉を紡ぐことは出来る。
そして、通信装置は未だ繋がったままだ。
「グァルプは氷の団の将、絶無の零を名乗り洗脳の力を得、ドルガーノの力を取り込み未だ健在! 私も間も無くグァルプに殺され力を奪われる。零の次に狙いは刻印装甲の知識を持つティアメスだ!」
「貴様……ッ!」
ドルガーノの空間圧殺に呑み込まれながらルーフリードが叫ぶ。
倉澤蒼一郎に大差を付けられたが故に一刻も早くルーフリードを始末して吸収しなくてはならない。
それ故の洗脳とドルガーノだった。
――失態だ。
この場において言えば、ルーフリードに通信が入った時点で粛々と殺すべきだった。
ドルガーノを殺したことは世間が報じ、いずれは倉澤蒼一郎の耳に届くだろうが、ルカビアンはオウラノのニュースに興味は持たないし、耳も傾けない。
しかも、オウラノの世界の情報伝達速度は非常に遅い。
ルカビアンどころか日本人の倉澤蒼一郎にとってもそれは同じだ。
倉澤蒼一郎の耳に届く頃には既に手遅れとなっており、オウラノが発信したニュースを唯一耳にするであろう可能性を持つヴィヴィアナも、倉澤蒼一郎を経由せねばならない。
実際に倉澤蒼一郎達が何処までの情報を得ているか、零にも不明だったが、この通信で現在位置や目的をはじめ零に関わるあらゆる情報が全ルカビアンに通達された。
ヴィヴィアナ経由で倉澤蒼一郎にも伝わる筈だ。
絶体絶命の窮地と言っても過言ではない。
その窮地も陥れられたのでは無く、自ら踏み込んだのだから悔やんでも悔やみきれない。
この状況になって漸く、己がどれ程の思い違いをして、致命的な短慮で大失態を犯したことに気付いたのであった。
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