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第七話 刻印装甲

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved. 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 崩壊する光(ボルガダイトザイン)――、戦術級魔術光の大洪水(ヴァーザイン)の原型となった魔人トリスガストの能力である。

 熱量も質量も無く、奔流する光が能力者の意思に従って動き、対象を消滅させる。

 光速で拡散し、膨張する光の大爆発を回避するには未来予知にも等しい予測能力が要求され、防御するには事前に強固な防御結界を展開するか、素で堅固な魔術耐性が不可欠だ。

 さも無くば灰も影も残すこと無く、この世界に別れを告げることになる。


 倉澤蒼一郎のように。


 純粋種である倉澤蒼一郎はこの世界の人間――、オウラノ種とは比較にならない程の魔術耐性が備わっている。

 加えて、半神として神性を得、龍装甲(ハールダロルヴェ)とレーベインベルグによる能力増幅により、世界最高峰の魔術耐性を宿していると言っても過言ではない。


 但し、それは人間(オウラノ)基準の最高峰で、結論から言えば、そんな物は何の役にも立たなかった。


 まず最初にトレードマークの一つ、ヴィジュアル系バンドの衣装にも似た黒い礼服が消失した。

 次に龍装甲(ハールダロルヴェ)が負荷に耐え切れず消滅し、蒼一郎の皮膚が逆剥けしながら剥がれて消えた。

 防御結界の消失と共に、臓器と骨が剥き出しになった蒼一郎がこの世界から無意味に、何の意義も無く消滅した。


 後に残ったのは墓標のように屹立するレーベインベルグが後に残るだけで、無意味に消滅した。その筈だった。


 蒼一郎はトリスガストの崩壊する光(ボルガダイトザイン)に飲み込まれ、四秒耐えて死んだ。

 それは他でも無いトリスガストの眼がそれを捉えていた。八千年以上も使い続けて来た能力だ。視覚に頼らずとも自らの能力で何を、何秒で消滅させたかなどは機械のような、いや機械を遥かに凌駕する正確さで把握出来る。

 だから、倉澤蒼一郎は死んだ。消えた。間違いなく殺した。


「貴様……!! 何故……!?」


 口角から鮮血を流すトリスガストが呻き、痙攣したように吠える。

 血を流しているのは口腔からだけでは無い。

 宝石のように眩い輝きを放つ鉄塊がトリスガストの胸部を貫き、背部から押し出された臓器が破裂し、爆炎の如くその背を紅く染める。

 とは言え、トリスガストは魔人だ。

 特に上位の魔人ともなれば身体を粉々に、分子分解された程度なら即座に再生出来る。

 しかし、その出来て当たり前のことが出来ない。

 その事実にトリスガストは驚愕に打ち震えた。


 何よりも――。


 トリスガストが口にした何故、という言葉には二つの意味が含まれていた。


 一つは自己再生を妨げる原因となっている物――それは人の形をした鉄塊だった。

 白銀の全身装甲に、猛禽類の嘴を思わせる鋭角な頭部、背面からは有機的な白い翼と鉛色の尾が生えている。

 トリスガストの胸部を貫いた左腕の、鉄塊にも似た巨大な鉤爪は、血に濡れて尚ダイヤの如き透明感と輝きを失うことなく、煌々と鋭い閃光を放っていた。


「刻印……装甲だと……!! あの時、全て破壊した筈だ……!! 再建造……いや、資源は残っていない!! そもそも、ティアメスの遺産がヒトモドキに再現出来るなど……有り得るものか!!」


 刻印装甲。トリスガストがそう呼ぶ全身鎧は、その名の通り、全身に魔術式が刻印されている。

 魔術兵装が中心核に埋め込まれた宝石に魔術式を刻印することで術式の効力を発揮するとしたら、刻印装甲は全身が魔術兵装の中心核のみで構成されており、構成術式のフリーハンド化を実現している。

 刻印可能な術式なら世界に存在するありとあらゆる全ての魔術を、魔人の能力さえも自在に操ることが出来る。


「倉澤蒼一郎……!! 貴様……!!」


 もう一つの何故。それは突如として転移してきたかのように崩壊する光(ボルガダイトザイン)の中に現れ、亜光速の踏み込みで光を切り裂き、トリスガストを貫いた刻印装甲の装着者だ。

 フルフェイスヘルムで顔は確認出来ないが、内包する魔力がつい先ほど消滅させた倉澤蒼一郎のものであることを、他でも無いトリスガスト自身の探知能力が証明していた。


「生きていた……だと!? 違う!! 殺した筈だ!! 生き返ったとでも言うのか!? 純粋種とは言え、中途半端な生き物如きが!!」


「言った筈だ。殺し合いで俺に勝てる奴は滅多にいるものでは無い。そして、その滅多の中にお前如きは含まれない」


 漸く口を開いた蒼一郎の声がヘルムの中で反響し、周囲を浮遊する石が小さな魔力光を漏らして砕け散った。


「死霊の石、だと……!?」


 以前、メアリが蒼一郎と殺し合いをする為に贈った、所持者の死を一度だけ無かったことにする魔術兵装だ。

 頭の中に浮かぶ何故の答えを知り、トリスガストは驚愕で顔を歪める。


「俺は貴様達を侮らない。絶対にだ。たった一人で上位の魔人に立ち向かうなら最低でも一度は死ぬ。それは覚悟でも何でも無く当然の前提条件だ」


「貴様……! 意図的に……! クラビス・ヴァスカイルに渡るために故意に死んだ……私に殺されたのでは無く、殺させたと言うのか!? 死後の世界に渡り、失われた刻印装甲を手に入れるために……!!」


 胸部を貫く腕を引き抜かれ、トリスガストは逆流する鮮血に言葉を遮られる。


「死を踏破するのは、何も貴様達だけの専売特許ではない。そういうことだ」


「貴様……!!」


「魔人は驚異だ。普通の勝負なら絶対に勝てない。しかし殺し合いで俺に勝てると思った貴様が愚かなんだよ、阿呆が」 


 完全に見下した蒼一郎の物言いに返答する間も無く、頭蓋にレーベインベルグを叩き落され、トリスガストの思考と視界は紅蓮の炎に染まった。


「完全に殺すとまた面倒なことになる。核だけは残しておいてやる」


 完殺に拘らずとも一度命を落とした魔人が復活するまで二、三百年程の時間はかかる。

 奴等が恨みを抱き、復讐心と共に復活を果たしたところで蒼一郎はとっくに墓の下だ。


――勝手に恨んでろ盆暗が。


「それよりも帰ろう。一刻も早く」


 蒼一郎の表情に上位の魔人を撃退したことに対する喜びや達成感は無い。

 額には脂汗が浮かび、頬から冷や汗が流れ落ちる。あからさまな焦りが表情に張り付いていた。

 それは蒼一郎が死んでいた間の、死した英雄達の世界、クラビス・ヴァスカイルでの出来事に起因する。

 現世では死霊の石が発動するまでの、ほんの一瞬の、刹那の刻にも満たない一瞬の出来事だったが、蒼一郎がクラビス・ヴァスカイルで過ごした時間は決して短いものではなかった。


――世界が何を判断基準にして、死者をクラビス・ヴァスカイルに喚び寄せるかまでは確信していなかったけど、賭けには勝った。


 半神という体質、異世界から神に召喚されたという境遇、魔人や邪神の撃破。

 英雄と言っても過言ではない筈だとトリスガストに殺された。

 別にトリスガストである必要は無かった。


――死霊の石を手に入れた時から上位の魔人と遭遇し、交戦が避けられないと判断した時点で命を代償にすることを前提にしていた。ある意味、予定通りだ。


 一度死ぬことで力を得て現世に戻る。

 神話時代の英雄のエピソードにもありそうな話だと思っていたこともあり、口ではどうとでも言えるが、内心死ぬことに抵抗を感じていなかった。

 結論から言えば蒼一郎が刻印装甲を持ち帰ったことからも分かるように賭け()()勝った。


 崩壊する光(ボルガダイトザイン)に飲み込まれ、眩すぎる閃光に反射的に眼を庇った。

 光が納まったと思った頃、蒼一郎は一人で森の中にいた。

 空を見上げると大きな月が、青い光で眩く輝いている。

 青く照らされた森の中は明るく、色鮮やかな蝶や木花が蛍のような淡い光を放ち、幻想的な光景を描いていた。

 空気は冷たいが、凍えるような寒さは感じられない。

 寧ろ心地の良い冷たさで、何と無く寝転がって微睡んでいたくなるような欲求に襲われる程だった。


 レーベインベルグ、精霊兵器の指輪、龍装甲(ハールダロルヴェ)、いずれも健在でトリスガストとの戦いで受けた損傷など、まるで無かったかのように新品同然の煌きを宿しており、自らで斬り落とした筈の右腕も当たり前のように繋がっていた。

 確証は得られないが直感的に此処がクラビス・ヴァスカイルなのだと、一度は斬り落とした右腕の調子を確かめながら実感を覚えていた。


「やあ、また会ったね。倉澤蒼一郎」


 声のする方に目を向けると、銀髪に紅い眼をしたタキシードに身を包んだ青年がいた。

 蒼一郎にとって初対面の相手では無かった。

 親しい間柄などでは無く、たった一度だけ殺し合っただけの関係だったが早々忘れられそうにもない顔だった。


「ライゼファー」


 ルカビアンの十九魔人の一人、序列十八位に位置する下位の魔人だ。

 殺せそうだから殺し、二度と復活出来ないように核を破壊して完殺した。蒼一郎が一番最初に殺した魔人だ。


「核を破壊し、完全に殺した筈の貴様が俺の目の前にいる……。矢張り、此処が死したる英雄の世界、クラビス・ヴァスカイルか」


 独り言混じりの問いかけにライゼファーは穏やかに頷いた。

 疑わしい程に敵意や恨みを感じとることは出来なかった。

 遥か遠い過去のことなど、とうに水に流したと言わんばかりの態度だった。


「思ったよりも早い再開になったね。それとも遅い再開と言い直した方が良いかな? ま、確実に再会することになるだろうとは思っていたけどね」


「俺が此処に来ることを予期していたような物言いだな」


 敵意や殺意が無いのは蒼一郎も同じだった。

 皮肉めいた物言いこそするものの、レーベインベルグに手を伸ばすことも無く、脱力した様子で肩を竦めて見せた。

 今の蒼一郎の能力と装備ならば、一対一で戦っても比較的余裕を持ってライゼファーを殺せる。

 死後の世界で殺しが出来るのかという問題はさて置き、蒼一郎は目の前にいる魔人の脅威度が低いと見たからこそ警戒心を解いて会話に応じたであった。

 これで目の前に現れたのがグァルプだったら有無を言わさずに原初(フォルメス)の火を叩き込んでいるところだ。

 それを知ってか知らずか、ライゼファーは蒼一郎の問いに得意気な様子で破顔した。

 いつぞやのような人間を見下したような態度とは打って変わって、人当りの良い無邪気そうな面構えだ。

 以前、ヴァルバラが言っていた『妹のハーティアと動物好きの優しい子』というイメージ通りの雰囲気で、彼は微笑みを浮かべたまま口を開いた。


「この僕を、ほぼ単独と言っても良い状態で、しかも完全に殺し切ったんだ。人々は君に救済を求めて戦いに駆り立て、魔人は仲間を奪った君を恨み殺そうとするだろう。人と魔人から完全に遠ざかることをしない限り、君は戦いから遠ざかれない。君がこの世界に魂を引かれたのも、魔人との戦いが原因じゃないのかい?」


「生憎、大衆に求められて魔人と戦ったことは無いが、概ね貴様の予想通りだ。俺はトリスガストに殺された。貴様を殺したことの恨みよりも、単独で魔人を殺せることに警戒している様子だったがな」


 相手は死人だ。別に変な意地を張る必要も無い。正直に死因を口にすると、ライゼファーは驚いたような表情で口笛を吹いた。

 ライゼファーの態度に白々しい物を感じたが、彼にしてみれば友人同士でする会話と同じように冗談めかしてみせたに過ぎない。


「上位の魔人と殺し合うようになっていたなんて、僕が死んでいる間に君は随分と力を手にしたようだ。僕が君に殺されてから、この日が来るまで君の身に、そして世界に、何があったのかを聞かせてくれないかい?」


 蒼一郎はライゼファーの提案に逡巡する。

 敵意を感じないとは言え、かつては殺し合った間柄だ。


――この男と和気藹々と雑談なんかしていても良いのだろうか。


 その一方で、奴の恩師や級友と通じている時点で、こんな懸念を抱くのは今更なのかも知れないとも考えた。


「既に気付いていると思うけど僕は君に殺されたことは、あまり恨んでいない。現世に復活出来ず、ハーティアと会えないのは困りものだけど、此処は此処で心穏やかに過ごせているしね」


 戸惑いの色を滲ませる蒼一郎にライゼファーは見透かしたように微笑みを崩さずに言った。

 蒼一郎にはその真意を読み取ることが出来なかったが、ライゼファーの本心から出た言葉だ。

 彼の言葉に嘘は無い。だから蒼一郎の心に迷いが生まれる。

 迷いを自覚した蒼一郎は思考をシンプルにする。


――問題が起こればその時に殺せば良い。


 行動と言動こそは物騒極まりないが、蒼一郎のルカビアンに対する最も強い感情は【恐怖】だ。

 殺害可能という抑止力抜きで対面するのは困難を極める。

 蒼一郎はライゼファーを殺した後に起こった出来事、特にルカビアンとの関わりを中心に語って聞かせた。


「異世界から現れた半人半神の肉体を持つ純粋種――、いや、随分と色々設定を盛ったね」


 話を聞き終えたライゼファーが一番最初に口にした感想がそれだった。


「ファンタジーだか、SFだか分からないこの世界とお前達には負ける」


 蒼一郎は一瞬だけ憮然とした表情を浮かべ、それはお互い様だと肩を竦めて返す。


「ところで他の魔人は? グァルプは?」


 ライゼファーが居るなら他の魔人もクラビス・ヴァスカイルに呼ばれている筈だ。

 それに稼働していない上位の魔人の状況を確認しておく必要があった。

 尤も、それらはただの言い訳に過ぎず、グァルプが確実に死んだかどうかの確証を得ておきたかっただけだ。


「倉澤蒼一郎」


 ライゼファーは警戒心を顔に滲ませ、蒼一郎はそれにつられたように表情から笑みを消す。


「僕がこの世界にいるのは、核を破壊されたから。君が僕に完全な死を与えたからだよ。ルカビアンの仮初めの死ではクラビス・ヴァスカイルに辿り着けない。僕がこの世界に来たのも今回が初めてのことなんだ。この世界に僕以外のルカビアンは存在しない。断言する。魔人グァルプ改め、魔人零は死んでいない」


「そういう気配はしていた」


 そう口にする蒼一郎は殺戮者の貌を浮かべていた。


「さっきも言ったが、トゥーダス・アザリンはガエルを殺して能力を奪ったことは重大な裏切りとしてグァルプの処刑を決定した。奴はギエルに核を破壊され、完全に死んだ筈だった。だが、その死はフェイクで奴は能力と記憶を引き換えにしてオウラノの身体に逃げ込むことで一命を取り留めた。そして、俺は第二次オライオン抗争である程度の力を取り戻した奴と再会し、その時に原初(フォルメス)の火で焼き殺した……。だが、今になって考えたらルカビアンの眼を欺くことが出来るだけの芸当が出来るということは、俺の眼を誤魔化すのは容易いということだ。あの糞野郎が」


「死者がクラビス・ヴァスカイルに辿り着く時、生前の縁が道標となる。君とは敵対し、殺し合うだけの関係だったけど、その縁があったから僕らはこの地で再開した。そして、僕らには、それぞれにグァルプと強い縁がある」


「だったら、この場にグァルプがいなければ不自然だと言うことか。生きているなら他のルカビアンを取り込もうと、未だにその機会を虎視眈々と狙っているに違いない」


 自ら口にして、蒼一郎は背筋に冷や汗が浮かぶのを感じていた。

 魔人零を名乗るようになったグァルプは、ルカビアンの十九魔人に劣るどころか、一般的なオウラノよりも優れている程度だ。

 単純な戦闘能力だけなら蒼一郎に、やや劣るかといったところだで直接戦闘に限定すれば脅威度は低い。

 だが、零は洗脳(ベレス)の術式を会得したオライオンを殺し、その能力ごと肉体を奪い取った。

 洗脳(ベレス)に対抗出来ないルカビアンが何人いるか、蒼一郎には知る由も無いが、あの執念にまみれた男が再び魔人の力を取り戻した時、単純な序列だけでは測れない脅威となる。

 基本的に魔人は人間を見下している。

 それ故に滅多なことでは本気を出さず、死力を振り絞ることも無い。

 そんな見っとも無い真似をするくらいなら二、三百年程寝ていた方がマシとさえ考えている。

 ルカビアンの永すぎる寿命では、何もかもが失われた非文明的な世界は牢獄も同然で、ムキになるのも馬鹿らしいからだ。

 その傲慢さこそが唯一にして最大の弱点と言い換えることも出来る。


 だが、グァルプは零となり、己が脆弱な愚者であることを自覚し、ルカビアンの価値観を完全に捨て去った。

 敵を侮らず、決して手を抜くことなく死力を尽くす。

 力を得る為なら何処までも貪欲になり、それを振りかざす先が明瞭になっている。

 零が力を手に入れる前に殺さなくてはならない。

 さもなくば、上位の魔人以上の脅威となる可能性が高いと警戒心を露にする。


「けど、君に嫌悪感が湧かない理由が、ヴァリーと友達になれた理由がよく分かった」


「俺が人工生命体では無いから、か?」


 蒼一郎のからかい混じりの口調にライゼファーは躊躇うこと無く頷いた。

 その選民思想じみた価値観に蒼一郎は若干の苛立ちを覚えたが、鼻を鳴らして平静を保ってライゼファーの言葉を待った。


「オウラノ原種の設計思想は君が知っての通りだ。自らの意志でルカビアンに隷属し、奉仕する為に設計された。オウラノは人間(ルカビアン)に服従することが当然の価値観で、忠実で無くてはならず、またルカビアンを傷付けてはならないという絶対隷属の因子が組み込まれている。圧倒的小数となったルカビアンがオウラノと対等の関係性を結ぼうとしても、その因子が手を取り合うことを邪魔をするんだ」


 そもそも若年層のルカビアンの不満を封じる為に作られた忠実な人形なのだから、それが当然なのだ。

 ルカビアンの激しい世代間対立は、ルカビアンに忠実な初期のオウラノに対する嫌悪にも繋がる。

 忠実なオウラノを認めることは『下の世代が生まれるまで人形遊びでもしていろ馬鹿餓鬼共が』という高齢世代の思惑に乗るみたいで気分が悪くて仕方が無いのだ。


「そもそも、貴様等にそんな殊勝な考えがあったこと自体が驚きだがな」


「ルカビアンの永い一生涯を終えるまで、話せる相手がたったの十八人しかいないんじゃ寂しくもなるんだよ。そう言った意味では、このクラビス・ヴァスカイルは居心地が良い。世代交代と八雷神の加護が組み合わさって因子が完全に消失した英雄(オウラノ)しかいないからね」


 ルカビアンに敵意を抱き、全身全霊で戦いを挑むことの出来るオウラノはヒトモドキでは無く、人間であり、英雄だ。

 何より安全装置の外れたオウラノはある意味で失敗作だ。

 高齢世代の失策によって人工物が人に生まれ変わったと思えば実に痛快で、可愛げもある。

 ライゼファーは腹の内で抱えているものをおくびにも出さず暗い笑みを無邪気に浮かべた。


 それに気付ける程、ライゼファーに対する興味関心の無い蒼一郎だったが、クラビス・ヴァスカイルに迎えられる英雄とは隷属種としての機能を失い純粋種に近付いた失敗作(人間)のことを示すのだろうという考えくらいは持つことが出来た。同時に疑問が浮かぶ。


「力を持つ純粋種が英雄としてこの地に呼ばれるのだとしたら、他のルカビアンも此処に居るのか?」


「クラビス・ヴァスカイルを作り出したのは八雷神だ。つまり、地殻変動でルカビアンの文明が崩壊した後になって造られたものなんだ。そして、それ以降に命を失った僕以外のルカビアンの死因は自殺だ。強力な身体性能と優れた知能があっても絶望を乗り越えらず逃亡した者に英雄たる資格は無い。皮肉なものだよね。八雷神にとってルカビアンの魂は意図して劣等的に作った隷属種の魂に劣るんだからさ」


 ライゼファーは自嘲気味に嗤っているが、其処に自罰や自虐は無かった。

 寧ろ、ルカビアンという種族全体に対する嫌悪感が僅かに滲み出ていた。

 一しきり笑い終えたライゼファーが蒼一郎に向き直り、口を開く。


「さて、倉澤蒼一郎。嫌悪の対象で無くなったのは君も同じだ。今の君になら協力するのも吝かでは無いよ」


 ルカビアンとしては若年の魔人の中でも一際歳若く、超文明の恩恵を得られていた時期よりも文明崩壊後の生涯の方が圧倒的に長い。

 世代間の確執と合わさって、若者を搾取して好き勝手に生きた挙句、行き詰った後は自殺して逃げ出す始末。

 ライゼファーにとって旧世代のルカビアンとは、ヒトモドキを大きく上回る程の嫌悪の対象でしか無かった。

 そういった意味では自身を殺した相手の方がまだ遥かに共感し理解し合える。だからこその申し出であった。


「俺に、協力?」


 蒼一郎にしてみれば何故そんなに懐かれているのか分からず怪訝そうな表情を浮かべる。

 これが現世なら、意味が分からなさ過ぎてライゼファーを殺していたところだ。


「確かに君は、トリスガストに殺され、死んだ。けれど、クラビス・ヴァスカイルには意図して訪れたように見える。違うかい?」


 彼は己の発言に絶対的な確信を持った様子で口にする。

 蒼一郎も隠し事をする必要も無いと頷いて見せる。


「前に殺し合った時、お前は言ったな。ルカビアンの十九魔人は人間に全滅させられた。それも一度や二度では無いと」


「うん。言ったね。覚えているよ。君もよく覚えていたね」


「当然だ」


 その言葉があったから蒼一郎にとって魔人は不可避の死を象徴する化け物から、殺せる化け物に成り下がった。

 そういった意味では、はじまりの言葉で、忘れようにも忘れられない言葉だった。

 ライゼファーにしてみれば自分の言葉を聞き入れ、覚えていたという喜びしか無く、嬉しそうに笑みを浮かべた。


――コイツが余計なことを言わなければ、魔人を殺す手段を模索するだけに留めて直接戦うまではやらなかった。ある意味でコイツは魔人にとってのA級戦犯だな。


 それをライゼファーに聞かせる意味は無い。蒼一郎は咳払いをして口を開く。


「こう言うと増長しているように見えるが、一部の例外を除いてオウラノ能力はあまりにも低過ぎる。ルカビアン視点どころか俺を基準にしてもそうだ。お前の口ぶりからして限りなく純粋種に近いオウラノの例外が登場したのは最近になってからのことだ。だが、歴史を学んだ限りではルカビアンを全滅させたのは特殊な個体が出現するよりも遥か過去。だったらある筈だ。劣等種たるオウラノでもルカビアンを全滅させることが出来るだけの知識と技術が」


「気付かない筈が無いよね。その結論に至って当然だ。君は帝国史上でも五本の指に入る絶対的強者だ。けど、普通に戦ったら上位の魔人の誰にも太刀打ち出来ない。なのに束になっても君に勝てない連中が何故、ルカビアンを全滅させることが出来たのか。答えを得る為にクラビス・ヴァスカイルを目指すのは当然だね。そして、おめでとう。倉澤蒼一郎。この世界には君が意図した通りの物が確かに存在する」


「矢張りか」 


 我が意を得たりと蒼一郎は口の端を吊り上げる。


「だけど、この世界は英雄の世界だ。そして帝国は武を尊び、力を尊ぶ。君が望む物を得るには……」


「戦って勝ち取れ、ということか? その切り札を持っている人物は何処に居る?」


「ああ、彼なら……」


「それには及ばない。我が名はヴァヨヴ。帝国歴三千年代にこの刻印装甲で魔人と戦った帝国兵だ。お前達の話は聞いていた。魔人と戦う為にこの刻印装甲を必要とする一方で、お前は魔人と交流している。お前の真意は何だ? お前にとって魔人は敵か、味方か」


「答え次第では刻印装甲を譲っても良い、もしくは譲らない、ですか?」


「――――――――――――――」


 蒼一郎の質問には答えるつもりが無いらしく、ヴァヨヴは沈黙を保った。 


「何か勘違いをしているようですが、此方に危害を加えてくるなら殺すだけのこと。ルカビアンだろうがオウラノだろうが、自分にとっては人種なんてものは些細なことですよ。取り敢えず、トリスガスト、メラーナ、トゥーダス・アザリン、グァルプとの敵対は決定的だ。よって殺す」


「メラーナと敵対するなら師のヴァレイグラルフ、トゥーダス・アザリンと敵対するならベネディクトも敵に回るね」


 ライゼファーの指摘に蒼一郎は「じゃあ、その二人も殺す」と返答する。


「まだだ。まだ真意が読めぬ。これ以上は剣で語れ!!」


 其処から先の話は早かった。

 剣で語るどころか語った言葉を理解させる間も無く、ヴァヨブを秒殺で圧倒し、首尾よく刻印装甲を半ば強奪に近い形で手に入れた。問題はその後に起こった。


 蒼一郎の目の前に突如としてカトリエルが現れたのだ。


 広大過ぎる死者の世界で新たな住人は生前の縁者に引っ張られる傾向にある。

 そういった意味ではクラビス・ヴァスカイルに辿り着いたカトリエルが蒼一郎の前に現れるのは当然だ。

 だが、此処は死者の世界だ。彼女がこの世界に現れたということは彼女が死んだことを意味する。


「カトリエル!? 何故、君が此処にいる!? まさか君()殺されたのか!?」


 慌てて詰め寄る蒼一郎を余所にカトリエルは双眸から涙を零し、膝から崩れ落ちる。


「カトリエル……? どうした? 何故泣く? 何があった!?」


「貴方という家族が出来て、ようやくクラビス・ヴァスカイルに至る道を手に入れたと言うのに……」


 カトリエルの肩を抱いて支え矢継ぎ早に問い詰める蒼一郎に、カトリエルは茫然とうわ言のように呟いた。


「あ」


 そして今更になって蒼一郎は気付く。

 カトリエルが生者のままクラビス・ヴァスカイルに至るという本懐を成し遂げたということに。

 そもそも、蒼一郎とカトリエルの本来の目的がそれだ。


 血液さえも蒸発する程の熱と怒りが一瞬で冷却され、――――やらかした――――あらゆる体液が凍結する勢いで冷えきっていく。


 死霊の石を手に入れたことは伝えていない。

 上位の魔人と遭遇したら死ぬことを前提にしていたことに至っては口が裂けても言ってはならないことだと理解していた。

 だからカトリエルにしてみれば念願叶ってクラビス・ヴァスカイルに辿り着いたと思ったら、命を落とした夫の姿を発見するという天国から地獄に叩き落されたようなものだった。


「生まれたと同時に仮腹の儀で魔人を体内に封じられ、家族も無く、まともに人間扱いされずただ独りで生き続けて来た私にもやっと人並みの幸せが手に入ると思っていたのに……、今更、貴方以外の誰かを愛することなんて私には出来ない……」

 

 カトリエルの呪詛にも似た述懐に、蒼一郎は縋るような目で背後を振り返るが面倒な物を感じ取ったらしく、ライゼファーとヴァヨブは仲良く姿を消していた。


――あのボケカス共……!!


 だが、悪態を吐く余裕など蒼一郎には与えられなかった。

 仮腹の儀によって封じられたハーティアの復活条件は二つ。


 一つは性交によって受精卵を作ること。

 もう一つは術にかけられたカトリエルが絶望することだ。


 蒼一郎の死はカトリエルを深い絶望に叩き落し、その思念はハーティア復活の糧となるには十分過ぎた。

 更に、カトリエルはもうどうにでもなれと言わんばかりに、これまで抑え込んできた儀式の制御を手放してしまった。


「ちょ、ちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


 カトリエルの下腹部から不吉な魔力の奔流が沸き上がるのを感知した蒼一郎は絶叫する。

 程無くして魔人ハーティアがカトリエルの胎を食い破って復活することになる。

 それは知識でも予感でも無い。

 そういう風にカトリエルの身体を循環する魔力が変貌していくのをつぶさに感じ取ることが出来た。理解させられた。


 蒼一郎の手元には死霊の石があり、この死は意図的な死だ。 

 どうとでもなる死に絶望されては堪ったものではない。

 堪ったものでは無いが、カトリエルにかけた言葉が悪すぎたのも否定しようの無い事実だ。

 カトリエルの意識は完全に殻の中に閉じこもってしまい、蒼一郎の声も届いていない。


 だが、緊急事態だからこそだろう。

 蒼一郎はこの状況を打開する策を思い付いた。

 冷静では無かった。ただの思い付きと衝動だけだったが奇跡的にもそれが大正解となっていた。


「カトリエル、落ち着け!!」


 そう言って蒼一郎はヤケクソ気味に、カトリエルに口付けして彼女の口腔に舌を侵入させた。


「おお、大胆」


 何処からとも無く、姿の無いライゼファーの茶化すような声が響いたが、相手にしていられる程の余裕は無い。

 欲情したわけでも、自暴自棄になったわけでも無い。

 お姫様にかけられた呪いを王子様のキスで解くなどと伝統的な手法に頼ったわけでも無い。

 蒼一郎はただただ必死に知恵を絞った。それだけに過ぎない。

 必死に舌と唾液を絡み合わせ、接触させた粘膜を触媒に魔力の経路を構築し、無駄に膨大な魔力をカトリエルの胎内に流し込む。

 外部からカトリエルの魔力を制御するにはこれしか思いつかなかった。

 ただ必死に、ただ只管に舌を這わせて解けかかったハーティアの封印を再び拘束する。

 毛細血管の中に糸を通すような精密作業を光の早さで片付けることを要求されるようなものだった。


「ぷはっ……」


 ハーティアの再封印が完了する頃には、カトリエルは蒼一郎にしがみ付くように両手を回していた。


――別にラブシーンってわけじゃないんだが……、ま、落ち着いたみたいだし別に良いか。


 蒼一郎にしてみれば人工呼吸、医療行為でしかない。

 困難な手術を終えた新人ドクターのような疲労感と達成感が顔に滲み出ていた。


「俺は真剣に君のことを愛している。子どもだって欲しいと思っている。平穏な日々を手に入れる為に東奔西走しているってのに何の結果も残すこと無く、この俺が君一人を残して死ぬわけが無いだろう?」


 そう言って蒼一郎は死霊の石を見せる。

 その場凌ぎの嘘では無く、本当に生き返るための手段があるのだと。


「それよりもこれだけは確認させてくれ。君は誰かに害されたり、殺されたりしてこの世界に来たのでは無いんだよな?」


「ええ、この身体は私の、生身の肉体よ。貴方がトリエンナ家から持ち出した資料の中にそのヒントがあった」


 言いながらカトリエルは蒼一郎を慈しむように抱き締め、視線が重なるとこつりと額を当てた。


「蘇生する手段はある。上位の魔人にも太刀打ち出来るだけの力も得た。仮腹の儀も何とか出来そうだ。後は現世に戻ったついでにトリスガストを潰す。それが済んだらすぐに戻る。君の工房に、俺たちの家に」


「すぐに戻って来なさい。今度は霊体の貴方では無く、生身の肉体の貴方と同じことをしましょう」


「それは魅力的な提案だ。面倒を片付けてすぐに戻る」


「だからすぐに戻って来なさい。すぐに戻って来なかったら絶対に許さないから」


 そう言ってカトリエルはもう一度蒼一郎に口付けすると漸く身体を離した。

 そして、蒼一郎は刻印装甲を魂に結合させて現世へ帰還を果たした。


 世界は精霊兵器の召喚術式が刻印された指輪、レーベインベルグ、龍装甲、黒い礼服を英雄倉澤蒼一郎の象徴と定義し魂に癒着させた。

 それ故に全身を粉砕された蒼一郎は完全装備状態でクラビス・ヴァスカイルから帰還することが出来た。

 肉体の消滅による死。死霊の石は魂を設計図にして肉体を復元することで蒼一郎の死を無効化する。

 その性質を応用し、霊体化し剥き出しになった魂を加工し、刻印装甲を植え付けることで現世への持ち込みを成功させた。


 そして、トリスガストは死んだ。だが、そんな事よりもだ。


「此処は何処だ……!?」


 魂と癒着した刻印装甲を体内に送還させ、礼服姿に戻った蒼一郎は呻くように声を漏らす。

 この地が何処なのか全く心当たりが無かった。

 ヴィヴィアナに半ば拉致同然に連れられ、埋められたこの地が何処なのかが異世界人の蒼一郎には分からない。

 生活の大半はソウブルーで完結し、仕事もソウブルー周辺で済むがソウブルー地方全土を踏破したわけではない。

 土地勘の無い蒼一郎には何処へ向かえば良いのかが分からない。


「すぐに戻って来なかったら許さないって言われているってのに……昼までに戻れたら良いんですがねぇ……」


 当てもなく歩き出すのも、ヴィヴィアナを待つのも賭けだ。

 途方にくれた蒼一郎は、上位の魔人トリスガストを単独で撃破した稀代の大英勇の足取りとは思えない程、頼り無い表情でとぼとぼと歩き出す。

 この方角へ向かう先が帰るべき場所で、カトリエルが待つ家があることを信じて只管歩いた。

 必ず、戻らなくてはならないのだ。例え方角が誤っていようとも歩む先の末には彼女が仏頂面をして待っているのだ。

 気付けば頼りない足取りは力強くなっていた。


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