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第十六話 師の背

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved. 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 時は氷の団の簡易要塞に魔導砲が打ち込まれた直後に遡る。

 蒼一郎はメアリと共に密林を駆け抜け、氷の団の要塞を目指していた。


「んふふふ。愉しみねぇ。魔人と殺し合うのは初めてなのよねぇ」


 道中で鉢合わせた氷の団の亜人や獣人たちを鎧袖一触に屠り、メアリは返り血を浴びながら愉快そうに嗤う。


 撃ち込まれた魔導砲をそっくりそのまま投げ返す能力の持ち主。

 最低でも投擲術を得意とする魔人、ヴァルバラである可能性が高い。

 しかも、魔人が氷の団と共同でソウブルーを攻め込もうとしている。

 メアリにとっては愉快痛快極まりない話だった。


 蒼一郎にしてみれば胃痛心労極まりない話だが。


「全く……、君の価値観は理解出来ないが、今日ばかりは羨ましく思いますよ」


 知った相手が敵に回り、それと殺し合うことに気分の悪さを感じた蒼一郎はため息交じりに呟いた。


――知らない相手なら何の躊躇いも無く、始末することが出来るのに。


 蒼一郎はメアリとは対象的に、身体を逸らし、首を捻って、斬り伏せた亜人の返り血を躱す。

 この世界に迷い込んで随分と多くを殺したが、返り血を浴びて愉悦に浸れる程、拗らせてはいなかった。


「委員長さんは細かいことを考え過ぎ……って言うか、人間はもっと理性的な生き物だって妄信し過ぎよねぇ。別に良いじゃない。この手を縦横無尽に振るえば、この手に触れたもの、触れなかったものに関わらず、殺せる。弾け飛び散る鮮血を浴びるのが楽しい。苦悶の声と悲痛の声が愉快でたまらない。それで良いじゃない、ねぇ?」


 血の華を背に、メアリは妖艶な笑みを浮かべて同意を求めるが、蒼一郎はあからさまに溜息を吐いて首を横に振る。


「平穏を乱す敵は皆殺しにする。異論はりませんけど、それは平穏を得る手段であって、目的ではありません。それに、自分の故郷の価値観では殺しは異端の中の異端だ。殺しを楽しむなんて異常者の発想ですよ」


「じゃ、故郷が向いて無かったんじゃない?」


「え?」


「委員長さん、敵を殺す時すっごい顔してるじゃない? 私寄りの顔よねぇ」


「む……ぐ……っ……!」


 お前達みたいな社会不適合者のサイコパスなんかと一緒にするな――!!


 そう言おうとして、蒼一郎は呻く。


 最初は夢だと思っていたから殺せた。

 この世界が現実と認識した時には、忌避感を持つことなど今更だと思った。


 そして、今は――。


「別に楽しんでいない」


「え?」


「別に殺すことを楽しんではいない。俺は――ッ!!」


 大声で息を巻く蒼一郎だったが、木々が大きく揺れ動き出し、言葉を切って警戒心を露わにする。

 メアリも同様に表情に剣呑な笑みを浮かべて、構える。


「自己主張の激しい存在感をしているくせに殺気はゼロ……? この歪な気配の正体は魔人かしらねぇ?」


 メアリは楽しげに呟いた。

 確かに魔人なら人類を攻撃するのに奇襲など仕掛けることは考え難い。

 そして、魔人の基本性能なら殺気など無くとも、人間を殺せてしまう。


 そして、眼前の木々が激しく揺れ動き――、


「ますたああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 枝葉の中から飛び出したのは胡桃だった。


「く、胡桃さん!?」


「やっとおいついたー! ますたー、足早いねぇー」


 蒼一郎に抱き止められて、胡桃はふにゃりと笑う。


「だ、ダメじゃないか、胡桃さん。良い子にお留守番してて言っただろ!? 此処は危ないから、今すぐにカトリエル達の所に戻るんだ。良いね?」


「やだ!!」


「え、ええ……」


 声色と顔色、そのどちらもが焦燥に満ち、それに加えてその横顔には汗が浮かんでいるのをメアリは見た。

 わざとらしく、何かの罠じゃないのかと疑いを覚える程、この男が分かり易く焦り、困っている。


「委員長さんでも、そんな顔をすることがあるのね。ねぇ、お嬢ちゃん。なんで帰りたくないの?」


「勘弁してくださいよ。危険人物が近付いたらウチの子が怖がるじゃないですか」


 胡桃を抱きあげ、メアリから遠ざけようとすると――、


「ますたーが来ないとみんなが死んじゃう!!」


 胡桃が吠えるように言った。


「ふぅん?」


「みんなが……死ぬ?」


「だからはやく来て!!」


 抱き上げられた胡桃は蒼一郎を蹴って地面に飛び降りると、蒼一郎の手を引っ張る。

 胡桃が蒼一郎を導こうとする方向は、彼等が当初に予定していた進行方向から大きく横に逸れる。


「メアリ」


「なぁに?」


「先に行って、ちょっとオライオンの首を刎ねておいてもらえますか?」


「あら? 譲ってくれるの?」


「自分は身内を守るために不慣れな殺しをやっているのです。身内に危機が迫っていると知って、それを放り出すわけにはいきません。自分にとってオライオンの首は塵以下の価値しかありませんよ。身内の命とは比較にすらなりやしない」


 メアリは小指で自らの唇をなぞって逡巡する。


「委員長さんに着いて行った方が楽しそうなんだけど……そっちの方角にいるのは草ばかりね。面白い気配は要塞に集中しているみたいだし、お言葉に甘えさせてもらいましょうか」


「貴女なら万が一も無いとは思いますが、出来るだけ早めに合流します」


「了解。それじゃあ一足先に愉しんでくるわねぇ。」


 意味深な物言いをしてメアリは蒼一郎達に背を向けて歩き出す。


「よし……。胡桃さん、みんなの所に連れて行ってくれる?」


「うん! こっち!」


 肩の関節が外れそうになる程の力に引っ張られ、蒼一郎は走り出す。


「胡桃さん、皆っていうのは具体的に誰のことを言っているの?」


「いっぱい! ますたーの匂いを付けた人たちがいっぱい!」


「いっぱいって……下手したら大惨事じゃないか」


 最高速度を維持したまま蒼一郎は愕然と項垂れ、頭を振るう。

 絶望などしている暇は無い。胡桃の直感に対する疑いは微塵も無かった。


「胡桃さん、俺は人が欠けるのが嫌だ。だから、胡桃さん。俺に力を貸してくれる?」


「うん! ますたーは、みんなを助けてあげて?」


「ああ、任せろ」


 倉澤主従が大地が歪む程の脚力で森林から抜け出し、草原へと駆け抜けた。


※    ※    ※


 空気が冷たい。


 心も身体もすっかり冷え切っていた。


 じくじくと血が流れ出ていく。


 もっと力があれば、あの人と並び立つことが出来たのだろうか。


「蒼一郎様……」


 かすれた呟きが風に流され消えていく。

 想い人と並び立つ自分の姿を夢想して、都合の良い考えに縋り付く自分を否定する。

 そんな有り得もしないことを考えたせいだろうか、致命的な状況で造り出してしまった致命的な隙。


 それが彼女の心身と命運を狂わせる。


「あ……」


 まずいと思った時には既に遅く、一撃が放たれていた。

 咄嗟に繰り出した死霊術で生み出した骨の盾を展開して防ぐも、防御の上から宙に投げ出される。

 体勢を崩し、落下しながらでは次の一撃は防げない。


 既に行動を共にしていた仲間は行動不能、戦闘不能。そして、死亡。既に全滅している。

 手助けは期待できそうにも無く、せめて相討ちに持ち込むために暗器を構える。


「さようなら、蒼一郎様」


 生還は不可能だ。


 この世の全てに別れを告げる覚悟を決め――


「命の価値は平等じゃない。身内の命は世界より重く、他人の命は塵より軽い。塵芥にすら満たない無価値な他人が、俺の身内に軽々しく触れるな……、殺すぞ豚が!!」


 裂帛の罵倒と共に繰り出された斬撃が四方八方へと放たれる。

 重く圧し掛かるような重い剣圧から生じる衝撃が、轟音となって空間に伝搬する。

 次の瞬間、氷の団の亜人達の身体に幾つもの赤い線が刻まれ、輪切り、微塵切りとなって崩れ、そして爆ぜた。


 その場にいた誰もが、時が止まったかのように狂相を浮かべた蒼一郎を凝視した。

 あまりにも都合の良過ぎる光景に彼女――、エーヴィアは絶句したまま、ただ呆然と見ているだけだった。


「蒼一郎様!」


 我に返り、言葉を発せたのは頭から落下する身体が、蒼一郎の胸の中に抱き止められてからのことだった。


「エーヴィア、無事で良かった……!」


「はい……。蒼一郎様のお蔭で私は無事です」


 喉の底から声を絞り出し、安堵の表情を浮かべる蒼一郎に抱きしめられ、エーヴィアは泣きそうになりながらも言葉を返す。


「ますたー、はやく!」


 胡桃の声に余韻をばっさりと切り捨てられる。

 苦笑を浮かべるのも一瞬。蒼一郎はハッと表情を切り替える。


「分かった。次の場所に連れて行ってくれ! エーヴィア、君は一度、ギルドに戻って体勢を立て直すんだ!」


 胡桃は危機に陥っている身内は『いっぱい!』と言った。

 エーヴィアの救出に成功したからといって、これで終わりでは無い。

 まだ安堵するには早過ぎることに気付いた。


 蒼一郎は胡桃に手を引かれて走り出し、エーヴィアが顔を見上げる頃、二人の姿は既に豆粒のように小さくなっていた。


「蒼一郎様と並ぶには、もっと強くならないと……」


 エーヴィアは決意に満ちた表情で蒼一郎達の背を見送った。


 そして、蒼一郎達は走り、何人かの知人を救った。


 ソウブルーに避難中だった卵要塞の店主ドライセン。


 ベルカンタンプ鉱山へ移動する際、贔屓にしている御者。


 八雷神教会のコルネッタ。


 そして――、


「倉澤の旦那様!!」


「倉澤蒼一郎殿!!」


「ネフェルトさん、それにトーマ・カナリウム! 二人ともこっちに来ていたのですか!?」


 再会出来たのは嬉しいが、今は時が悪過ぎる。

 しかし、この状況にも関わらず、二人の無事な姿に蒼一郎は喜びと安堵を表情に滲ませる。


「積もる話はありますが、今はお聞きください! 我々は倉澤蒼一郎殿の弟子、ヴィルスト殿に窮地を救ってもらったのです!」


「ヴィルストが……! あの子は自慢の教え子ですから――」


 蒼一郎が得意気に笑おうとして硬直する。


――俺は、まだあの子に対人戦の心得だとか、何も手解きしていない。精々剣道の真似事くらいしか……!


「相手は!? ヴィルストが戦っている敵は!?」


 トーマ・カナリウムの逼迫した表情と合わせて、まだ気の抜けない状況が続いているのだと思い至る。

 蒼一郎は彼の両肩を掴んで、悲鳴のような声をあげる。


突撃槍(ランス)のような巨大な矢を携えた、バードマンの弓兵部隊……」


――今のヴィルストに対応出来る相手じゃない!!


「胡桃さん!! ヴィルストの匂いを追って!!」


 蒼一郎の返事を待たず、胡桃が駆け出す。

 今までの腕を引っ張る力とは比べ物にならない力、今までとは比べ物にならない速さで胡桃が疾駆する。

 此処まで胡桃の勘を頼りに知人の救出に成功して来た。全て間一髪で。


 だが、今までとは胡桃の反応が違った。

 足をもつれさせながら一秒でも早く、一歩でも先に走る胡桃の後ろ姿を一言で表すなら――。


 必死だった――。


 甘えた声を出す事無く、遅れずに蒼一郎が着いてきているか振り返ることも無い。


 胡桃はただただ必死に、一心不乱に走った。


 そんな胡桃の後ろ姿に、蒼一郎は強烈なまでの不安を抱かずにはいられなかった。


「あ」


 そうして、疾走していると、蒼一郎と胡桃の耳朶に呆然とした呟きが流れ込んで来た。


「ますたー!」


 胡桃が足を止めずに前方を指差し、その先には両の足で立つヴィルストの姿があった。

 但し、その背中から夥しい量の鮮血が流れ、更にその眼前には巨大な岩トロールが巌のような拳を振り上げていた。


「ッ!! 俺の教え子に何していやがる!!」


 あの巨大に秘められた膂力から繰り出される一撃は、人間の身体を容易に粉砕する。

 そして、ヴィルストの身体は岩トロールの攻撃を防ぐことも、受け流すことさえも困難な程に傷付いていた。

 傷付き、立っているだけで精一杯のヴィルストでは、どうする事も出来ず、蒼一郎がどうにかしなければ、どうにか出来なければ、ヴィルストは死ぬ。


「今すぐ離れるか、死ぬかしやがれ!!」


 焦りを滲ませた声色で罵倒し、赤熱化したレーベインベルグを投擲。

 轟と唸り声にも似た風切り音を立てて岩トロールの心臓に刃が食らい付く。


 岩トロールの右腕は既に振り抜かれており、ヴィルストが膝から崩れ落ち地面に倒れ伏す。


 だが――、


 その右腕は既に灰と化し、ヴィルストに灰を浴びせる以上の傷を与えることは出来なかった。

 更に切断面からは炎が浸食するように岩トロールの身体を包み込み、追撃することも逃げることさえも許さない。

 勢いを増して激しく燃焼する炎に、心臓を破壊されて尚、即死しなかった岩トロールが絶叫と共にヴィルストから一歩、また一歩離れていき、ついには灰の山へと姿を変えた。


「ヴィルスト!!」


 岩トロールを一蹴したとて、所詮は有象無象の軽い命だ。蒼一郎に勝ち誇る余裕などある筈も無い。

 倒れたまま動かないヴィルストを抱き上げ、悲鳴をあげるかのように教え子の名を、何度も何度も呼び続けた。

 彼が意識を失っていたのは、ほんの数秒程度だった。


「く、倉澤先生……、か、彼女達は……」


 それが意識を取り戻したヴィルストが一番最初に口にした言葉だった。


「無事です。道すがら、ネフェルトと、トーマ・カナリウムに会い、無事な姿を確認しました。そして、ブリジット・ヴァラスと、リリネットなら……」


 蒼一郎の視線の先を追うと、其処には心配げにヴィルストの顔を覗き込むブリジット・ヴァラスと、リリネットの姿があた。

 どちらも無傷では無いにしても、命に関わる傷は負っていないように見えた。


「君が最後まで諦めずに頑張ったから、無事に助かりました」


 蒼一郎の言葉が確信となり、ヴィルストは安堵の溜息を吐いた。


「よ、よかった……、倉澤先生。僕も少しは倉澤先生のような……、立派な冒険者に近づけたでしょうか……?」


「まだまだですよ」


 蒼一郎はびしゃりと切り捨てる。その表情はいつになく厳しい。


「君には無限の可能性がある。怪我が治ったら、一から徹底的に鍛え直しです。だから、こんなことで満足して死んではなりません」


「だ、大丈夫です。死にません。死にませんから」


 息も絶え絶えだったが、ヴィルストは慌てて蒼一郎の懸念を否定する。

 この功績に満足し切って、ぽっくりと逝ってしまいそうな気配がしていただけに蒼一郎は安堵する。


「それに、む、無限の可能性、かぁ……。楽しみだな……」


「今すぐにカトリエルの所へ連れて行きます。こんな傷、三日と経たずに治りますよ。傷が治ったら、普段の稽古に加えて俺との組手を五十セット。これを日課にします」


「は、ははは……、倉澤先生……、流石にそれはきついですよ……」


「無理をするな。危ないと思ったら逃げろと普段から、しつこいくらい注意しているのに死にかけるからです。目を離した隙に無理をするなら、無理をしても生還できるように、徹底的に鍛えるしかないでしょう?」


 声を合わせて笑い声をあげてヴィルストを抱きかかえる。

 和やかに立ち去ろうとする蒼一郎の足元に突撃槍(ランス)が突き刺さる。


突撃槍(ランス)のような巨大な矢を携えた、バードマンの弓兵部隊』


「あ゛?」


 トーマ・カナリウムの言葉を思い出し、底冷えする程、剣呑な声が蒼一郎の口から洩れた。


「ヒハッ! おいおい、本当に待っていたのかよ。しかも、今度は保護者付きかぁ!?」


「そう言えば聞いたな。蠅にたかられているって」


「蠅……? 翼すら持たない人間が俺達を蠅と言ったか!?」


「蠅じゃ不満か? だったら羽虫っていうのはどうだ? 塵蟲、糞蟲、害虫、好きなように自称してろ。屑が」


 隠す気の無い蒼一郎の殺気が周囲一帯を埋め尽くす。

 敵対者を本気で殺そうと、殺しにかかる蒼一郎の姿を見たことがある者はこの場にはいない。

 そもそも、この男が生涯において自らの意志で相手を殺そうと行動を起こしたのは三回だけだ。


 ソウブルーを襲撃し、胡桃にブレスを放ったキャスタードラゴン。


 エーヴィア親子に隷属を強いたソウブルーの諜報員。


 カトリエルを半殺しにして、エーヴィアの命を奪う後一歩まで迫った魔人グァルプ。


 いずれも身内と認識した者に危害を加えた者にのみ強過ぎる殺意を抱く。

 強力な魔術兵装や、八雷神の加護とは何の関係も無い。

 ある意味でこの男が唯一持ち合わせていた才能と言っても過言では無い。


 結果的に殺すのでは無く、殺すために殺す。


 ドラゴン等の幻想種、魔人等の超越種さえも畏怖させる蒼一郎の殺意を受け、一組織の一歯車でしか無く、歴史に名を刻むこと無く、何処にでもいる雑兵と同じ扱いで消えていくバードマン達がどうなるか?


「あ……あ、遊びは抜きだ!! 殺せ!! 相手は羽無しだ!! 奴の射程距離外から射殺せ!!」


 恐慌である。


 闇雲に攻撃を仕掛けるのでは無く、安全圏から攻撃するという理性は残っていた。


 だが――。


「リリネットさん、ヴィルストを頼みます」


「う、うん。どうするつもりだい、蒼一郎の旦那」


「ヴィルスト、眼は見えていますね」


「は、はい……。先生」


「では、よく見ていなさい。こういった手合いを始末する手段の一つを見せておきます。特に我々を一方的に殺せると思い上がっている盆暗共の不意を突く手段、そして心構えの一つです」


 バードマン達に理性が完全に残っていたとは言い難い。

 何故なら、この場における最も賢い選択しとは――、仲間を見捨ててでも一目散に逃げ出すことだからだ。


 弓兵達が一斉に弓を構える。蒼一郎は精霊剣を召喚した。レーベインベルグには手を伸ばす素振りすら見せない。これからする事に大仰な武器など不要だと言わんばかりの態度だ。

 バードマンが弓を放ったのを見てから蒼一郎が駆け出す。

 そして、豪雨の如く降り注ぐ、突撃槍の如き矢の上に飛び乗った。


「これだけ巨大で、重量もあるなら足場には申し分が無い。足場になるのなら、術式を使わずとも距離を詰めるのは容易い……!!」


 其処から先は一方的だった。

 驚愕の声を漏らす暇すら無く、ただただ一方的な蹂躙でしか無かった。

 空で縦横無尽に剣閃が走り抜け、バードマンの首が次から次へと飛び、首を失った者から順に地面へと叩き付けられていく。


「さ、散開! 散開……」


 恐慌状態から一足先に立ち直った者が、生き延びるために声を張り上げる。

 この場にいる者全てに届けられた声は当然、この男にも届いていた。


「遅い。空を飛ぶ以外に能が無い、屑共が」


 散開を命じたバードマンの背後から声が聞こえた。

 つい今し方、眼前で殺戮を繰り広げていた筈の倉澤蒼一郎が、音も無く背に飛び乗り、殺意の篭もった声を届けていた。

 巨大な矢という階段を足場に空まで駆け上がった蒼一郎は、バードマンという床を足場にして空を真っ直ぐに走った。

 足場にされたバードマンはその背骨を踏み抜かれると同時に、ただ一人の例外も無く首を刎ねられた。

 降服を宣言する間も無く、許しを請う暇すら無く、踏み込まれたことを自覚したと同時に命を落としていた。

 最後の一人となったバードマンも大した抵抗も、何かの言葉を伝えることも、矜持を見せること無く、一方的に殺され、絶命したまま滑空し、蒼一郎を大地に送り届ける役割を果たすだけに終わった。


「敵の有効射程距離外から攻撃を仕掛ける手段があり、しかも、その数は敵の十倍以上。普通ならば、敗北は有り得ません。しかし、それだけで増長している程度の雑魚なら、少し不意を突けば脆いものです」


「流石です。倉澤先生。だけど、空を飛ぶ方法が僕にはありません」


「この程度の小細工、慣れたら簡単ですよ」


 と言っても、足場を作って空を飛ぶのは、トルトーネ街を襲ったキャスタードラゴン戦以来の二回目だったが。


「さあ――……」


「ますたー!!」


 さあ、帰ろうか――と出かかった蒼一郎の言葉が胡桃の鋭い声に遮られる。

 それが危機を知らせる警告であることを直感的に理解し、その直感が間違っていないことを視界の奥に現れた存在が証明していた。


「時間をかけ過ぎたか……? どうせ死ぬことに変わりないなら、メアリの方に行けば良いものを!」


 蒼一郎や胡桃の速力に勝るとも劣らない脚力で迫り来る人狼。その数三百。

 更に後方からは百のドラゴニアンがあきらかに此方の存在を認識し、目指していた。


 ドラゴニアン――。


 人類種としては最強の存在だ。

 その起源は今から六千年前。地殻変動により滅びたこの星が八雷神等、神の御業によって復興を遂げ、ルカビアンが復活した直後だ。

 ライゼファーによって召喚されたドラゴンを、魂のエキスパートたるガエルとライゼファー、生物学者のヴィヴィアナとヴァルバラの手によりドラゴンの遺伝子と魂を人間(オウラノ)の中に封入し、剣聖ヴァレイグラフルと、最強と目される魔人オズヴェルドの手により徹底的に鍛え込まれ、最後まで生き残ることが出来た者を繁殖させ、鍛えては間引き、淘汰の末に生き残った人型の龍。その()()()である。


 とは言え、超越種のルカビアンにとってはそうであっても、人類種の中では圧倒的な存在であることに変わりは無い。

 重傷者を担いで人狼の足から逃れるのは困難を極める。三百ともなれば不可能と言っても良い。

 如何に蒼一郎とて、敗北は無いにしても、鎧袖一触に屠れる相手では無い。


「胡桃さん」


「ん? なーに、ますたー」


「あいつ等に追い付かれる前にソウブルーに戻って、カトリエルを呼んできてくれる?」


「うん、まかせてー!」


 ヴィルストを治療するために逃げることも、突破することも不可能なら、治療出来る手段を持つ者を呼べば良い。

 胡桃一人だけなら、人狼に包囲される前にこの場を離脱出来る。

 蒼一郎達が人狼に包囲され、ドラゴニアンの攻撃に晒されていたとしても、カトリエルなら外から包囲をこじ開けることが出来る。


「リリネット、ブリジット・ヴァラス。ヴィルストを頼みます」


 本当なら二人もこの場から逃してしまいたかったが、この場にカトリエルが現れるまでの間、蒼一郎一人ではヴィルストを守り切れない。

 この二人なら、特にリリネットには自衛どころでは無い程の戦闘能力がある。巻き込むしか無かった。


「倉澤、先生……」


『自分の安全を最優先で確保しろ』


 普段から蒼一郎に聞かされていた言葉の真意をヴィルストは理解して、不安げに言葉を漏らす。


「傷が癒えたら、君を褒めるべきか、それとも叱るべきかをずっと悩んでいました。ですが、その調子なら説教の必要は無さそうですね。痛みと苦しみに我慢して、もう暫く待っていなさい」


「ま、倉澤の旦那が戦う姿を見るのも修行の内ってね」


 背を向ける蒼一郎の代わりに、リリネットがヴィルストの身体を支える。

 冗談めかして言うが、その表情は何処か憂いを帯びていた。


「ちょっと前まで互角くらい……あたいの方がちょっと上くらいだったのに、すっかり差を明けられちゃったからね。あたいも勉強させてもらうよ。お代はお弟子さんの護衛ってことで」


「では、少しは師匠らしいことをしましょうか」


 岩トロールの亡骸に突き立つレーベインベルグを引き抜き、蒼一郎は人狼三百、ドラゴニアン百の軍勢に正面から突撃する。

 ヴィルストは自らが重症を負っていることも忘れ、瞬きする時間すら惜しいと言わんばかりにその背を見送った。

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