第十五話 一番弟子
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「おい、お前知ってるか?」
「何が?」
「狩りってのは伝統的で高貴な趣味らしい」
「へぇ、そんで?」
「俺達が今やっていることは、そんなに高貴なことなのかね?」
そうやって言葉を交わすのはバードマンと呼ばれる有翼の獣人で、氷の団の空軍の一部だ。
彼等が氷の団に入る以前、人々に対して何かしらの害を成したことは無い。
ただ空を自由に飛ぶことが出来るからというだけの理由で、常人よりも多くの労働を強いられた。
そして、獣人だからというだけの理由で、常人よりも少ない対価しか得られなかった。
理由を問うと激しく罵倒され、時には暴力を振るわれたりもした。
だが、彼等は決して人間を恨んでいたわけでは無かった。
獣人や亜人が、人間達に粗末に扱われるのは何処にでもよくある事だ。
彼等もまたそういう扱いを受けるは常識だと思っていた。
不満や恨みがあったわけでは無い。ただ疑問があった。それだけだ。
そんな折に、氷の団から誘われた。
帝国も、氷の団も頂点に居るのは矢張り、人間だった。
それでも、氷の団の人間は彼等に多くの労働を強いることは無かった。
給金も約束通り、時には約束以上の額が支払われた。
彼等に疑問を呈しても、罵倒されることも暴力を振るわれることも無かった。
だが、それだけだ。矢張り、答えが返って来ることは無かった。
別に不満は無かった。
氷の団の空軍兵士である今も、人間達の奴隷扱いされていた過去も、不満は無かった。
強いて言えば、暴力は振るわれるよりも振るう方が良い。
それは彼が人間に教えられたことで、人間に気付かされたことだ。
暴力は愉しい。人間のことがよく分からないが、この一点に関しては数少ない共有出来る価値観だと思った。
人間に虐げられる側だったのが、言われるがままにしている内に人間を虐げる側に回っていた。
この手で振るった攻撃が人間に血と涙を流させ、臓物を撒き散らし、恨みと嘆きを漏らして、命を落とす。
この際、その対象は人間で無くても良かった。
エルフやドワーフも似たようなものだ。亜人の癖に人間面して支配者であるかのように振舞う連中だ。
この世界は人間の物だと主張する帝国に対し、早い者勝ちで真っ先に傅いただけの誇り無き種族だ。
暴力は愉しい。その矛先を同族に向けても構わなかったが、どうせなら理由があった方が良い。
だが、今の立場を与えたのも、また人間だった。
地上を走る人間の子ども達に槍のように巨大な矢を放ち、バードマン達は得も知れぬ感情に支配された。
――一体、俺は何をしているのだろう。
そんな疑問がバードマン達の脳裏を過ぎる。
――これはこれで楽しいから、まあ良いか。
過ぎったところで出て来る結論はいつも通りだった。
「高貴な人間が高貴って言えば、野蛮なことでも高貴になるのさ。俺達が人間に弓を向けて、矢を放てば、それは蛮行になる」
「そういうもんかね」
「そういうもんさ。だって、今やっていることが高貴なこと思えるかい?」
「いいや、全然。さっぱりだ。これが高貴な行いに思えるなんて、人間とは分かり合えそうにもない。ま、これが仕事だからな。仕事だから撃つさ。それに愉快だからな。ヤバくなったら逃げて良いと言われている。ヤバくなったら逃げよう。それが無理なら俺達が殺される側に回るだけさ」
自嘲するように言葉を吐き捨て、突撃槍のような巨大な矢を番えて弦を引く。
眼下を走る馬車。御者は人間で、幌の付いた荷台の中には人間が三人とドワーフが一人。
既に何を命令されていたか、よく覚えていない。
要塞に隠れて決起の日とやらを待っていたら、ソウブルーから巨大な鉄塊を叩き込まれた。
決起の日の訪れと共に一方的に攻撃するつもりが、日を待たずして一方的に攻撃されていた。
三万から成る大兵力による電撃戦という目論見はバーグリフの気紛れで叩き潰された。
最初はバーグリフも氷の団の目論見に、気付いていることを気付かせないように振舞っていた。
万全の状態となったオライオンがどう攻めるか見て見たかったからだ。
だが、その動きはあまりにも鈍過ぎた。
――気付いていない振りをして見ていればこんなものか。
しかし、それ以上にバーグリフを呆れさせたのはアーベルト以外、氷の団の動きを察知していなかったことだ。
ソウブルーの衛兵団も、騎士団も、誰一人として気付いていなかったのだ。
莫迦な敵を愛でているつもりが、家臣も敵に負けず劣らず莫迦揃いで、バーグリフは甚く腹を立てた。
そこで氷の団の策を台無しにすると同時に、自軍への罰を、自分が一番笑える形で与えることにした。
それが何の脈絡も無く、何の告知も無く、唐突に起動させた魔導砲だ。
通常ならこの混乱に乗じて一気に殲滅するところだが、ソウブルー軍も氷の団が迫っていることに気付いていなかったのだ。
ソウブルー軍にしてみれば突如として、目の前に敵が現れたようなものだ。
藪を突かれた氷の団は『ソウブルーは此方を殲滅する手立てが既に整っているのでは』と焦りと恐れから混乱状態に陥ったが、それはソウブルー軍も同じだった。
この光景を目の当たりにしたバーグリフは外聞も無く、声をあげて嗤い、アーベルトは何とも言えぬ表情を浮かべていたという。
――想定した通りの戦術行動を取るのは不可能だ。
そう判断したオライオンは、部隊を展開、指揮を放棄し、乱戦にてソウブルーの攻略に乗り出す。
戦力の逐次投入を強いられ、合戦での決着は不可能と判断したオライオンは、オライオン四天王、零、魔人ヴァルバラ、その他幹部による少数精鋭部隊を編成。
ソウブルーの偉大なる指導者バーグリフ。
偉大なる指導者の右腕ことアーベルト。
そして、零の提案で、偉大なる指導者の懐刀こと倉澤蒼一郎。
これ等の、ソウブルー要塞の主力を急襲に方針転換を強いられる形となる。
その時点で戦術的な敗北を叩き付けられたも同然だった。
バーグリフの仕置きが無ければ――、だが。
前回の襲撃でオライオン四天王の半数はバーグリフと、アーベルトに討ち取られ戦力は半減している。
補充戦力として、零、洗脳の術式によって手に入れた魔人ヴァルバラが新たに加わった。
だが、その一方で魔人グァルプ、魔人ライゼファーを完殺した今代の龍殺し、倉澤蒼一郎がSSランクの冒険者メアリを引き連れ、遊撃要因として戦場を自由気ままに動き回っている。
だが、卑劣の王オライオンは知らない。
突如として現れた新戦力の零は一人でオライオン四天王に勝るとも劣らない力を持っていることを。
グァルプを単騎で討伐せしめた倉澤蒼一郎の勝因は、幾つもの封印指定魔術兵装を駆使したことであることを。
倉澤蒼一郎と魔人ヴァルバラの間に親交があることを。
そして何より、苦し紛れに放った戦力の逐次投入よる乱戦はソウブルー軍に対してある程度、効果的な結果を出せていることを。
そういった意味では、相も変わらず、オライオンはバーグリフの掌で踊らされているに過ぎなかった。
しかし、それらの事実は今のヴィルスト達に、何ら利することでは無かった。
「クソ……! ああも飛び回る相手には当たらないか!」
ヴィルストは必死の形相で精霊弓から魔力弾を放ちながら、矢玉の絨毯爆撃を潜り抜ける。
「それで? この難局をどうやって切り抜けるつもりですか? 倉澤蒼一郎殿の一番弟子殿は」
ヴィルストの後方三メートルの位置からブリジット・ヴァラスが問いかける。
破邪の龍殺し、倉澤蒼一郎の徒である自覚と誇りが、ヴィルストに思考を張り巡らさせる。
――こういう時、倉澤先生ならどうするだろうか……。
内心で呟き、蒼一郎の行動を想像し、空想する。
ヴィルストの想像を遥かに越える知恵と力で、痛快にバードマン達を蹴散らす姿を思い浮かべて、笑みを浮かべる。
――今の僕には倉澤先生を真似ようったって出来やしない。考えるべきは……、そうだ。倉澤先生なら何と仰るだろうか?
子供達にとって蒼一郎は優しい教師だった。ともすれば甘いと感じることもある。
だが、一見するとその優しさや甘さも、冷静になって振り返ってみると「身の程を弁えろ」という言葉に集約される。
ヴィルストを筆頭に蒼一郎の生徒は、少なくない英雄願望があるからだ。
だから、蒼一郎は子供達が英雄的行為を望む度、いつも優しく、時に甘く、それはしなくても良いと言う。
きっと子供の自分達に無理をさせたくないという思いから出ていると思っていたが、それは違っていた。
それを踏まえた上で、改めて考える。
『受けた依頼には手を抜くこと無く、全身全霊で全うしなさい』
普段から言われていることだ。
ヴィルストが受けた依頼は交戦では無く、氷の団に襲われている人たちの避難だ。
彼等の避難を全うするために自分が出来ることに全霊をかけなくてはならない。
それを阻むのは眼前の強敵。
空を自由に飛び回り、こちらの有効射程距離の外から一方的に攻撃を仕掛けてくる。
移動速度も相手の方が上で、距離を詰めるのも、離すのも難儀する。
『勝てないと判断したのなら、即逃げなさい』
迫り来るバードマンの部隊を殲滅して、ソウブルーに凱旋するなんて思考自体が英雄願望のそれだ。
殲滅どころか渡り合うことすら不可能。師に曰く、此処は逃げるべき局面だ。
――今の僕に出来る最大限は……。
眼前に飛来する矢を斬り払い、ヴィルストは決断を下す。
「先に撤退した三人の内、二人は非戦闘員だ。絶対に戦いの巻き添えにしてはいけない。だから、今は翼人種の攻撃、そして意識の全てを僕に引き付けるんだ」
「意識を?」
問い返すブリジットの言葉に、ヴィルストはバードマンとにらみ合ったまま頷く。
「先に避難した三人を追われるのも不味いけど、避難している他の人達が狙われるのもダメだ。敵にとって僕らは敵じゃなくて獲物で、その思考には余裕と遊びがある。それを利用する」
「どうやって?」
「簡単さ。ただ撃ち続ければ良い!」
飛翔する矢を精霊弓で撃ち落とし、バードマン達に魔力弾を放つ。
狙いは正確だが、被弾するまで後僅かというところで魔力の結合が解け、残骸となって大気に溶けた。
「倉澤先生は仰っていた。心が弱い者程、強い嗜虐心で弱い心を守ろうとする! そういった手合いを引き付けたければ、馬鹿にされる程度に無意味な反撃を適度に繰り返せば良いと!」
かつて魔人ヴィヴィアナは倉澤蒼一郎を基本に忠実なだけだと評した。
だが、その基本は超越種たるルカビアンにとっても基本足り得る程のものだった。
その戦術的思考能力についても同様のことが言える。
蒼一郎とて潜り抜けた修羅場の数が、決して多いわけではない。
しかし、修羅場の質と密度は決して小さなものでは無く、ルカビアンをして基本と通用する領域に到達している。
その蒼一郎の薫陶を受けたヴィルストなら、十把一絡げの獣人程度、容易く手玉に取ることが出来る。
「へぇ」
その意図を理解したリリネットは感心したように呟いた。
事実、バードマン達の攻撃には遊びがあった。
ヴィルストは己に向けて放たれた矢を一太刀で斬り落とし、魔力弾を撃ち返す。
次に放たれた矢は二本。それに対して、全く同じ対応をする。
そして、三本、四本と数を増やしていき――、
「ッ!!」
矢を同時に五本撃ち込まれるとヴィルストは反撃する余裕を無くす。
体勢も整わぬ内から六本同時に矢を撃ち込まれ、辛うじて全て切り払うも足を滑らせる。
「思わせぶりに出てきておいて、その様か? 仲間を一人やられたんだ。精々、その死に様で俺達を笑わせてみろ」
バードマンの一人がヴィルスト達に聞こえるように言って、七人のバードマンが同時に矢を放つ。
――此処までは思惑通りだ。
問題は今のヴィルストの技量では同時に撃ち込まれた七本の矢に対応出来ないということだ。
しかし、そこをリリネットがカバーに入り、ヴィルストの窮地を救う。
「このままだとジリ貧だねぇ。引き付けるのは上手くいったみたいだけど、ここからどうやって巻き返すつもりだい?」
「巻き返しは……しません!」
リリネットに作ってもらった余裕を用いて、ここぞとばかりに魔力弾を撃ち返すヴィルスト。
魔力弾は後僅かという距離で、バードマン達の眼前で当然のように霧散していく。
「どういうことですか? このまま敵の良い様にされると?」
情けないことを堂々と言い放つヴィルストに、ブリジットは問う。
その口調には険が含まれ、問い詰めているようにも聞こえた。
「奴等の矢は魔力を伴わない物質的な物。だから、その携帯数には限りがある。しかも、通常の物よりも巨大だから通常の弓兵よりも弾切れが早い」
「成る程。その時こそが反撃の機会と――」
口元を綻ばせるブリジットだったが、ヴィルストはバードマン達を睨み付けたまま首を横に振る。
「いや、巻き返しはしない。出来ないし、する機会も与えられない。氷の団は帝国の支配体制に不満を持つ者が集まった組織だけど、その度合いにはかなりの温度差がある」
「温度差?」
結局、貴方は何をしたいのですか――と、短気を起こしそうになっているブリジットに変わってリリネットが尋ねた。
「あいつ等が使っている巨大な矢だってそうです。こんな矢を使わなくったって人間は殺せる」
その歪さに気付いたブリジットは頭の中を一旦リセットする。
――確かにバードマン達の矢は対個人戦で使うにしては攻撃力が過剰過ぎる。
突撃槍のような巨大な矢。
あの大質量を向けるべき対象は、重装歩兵の大部隊等の物理的な防御力に長けたもの。
更に突っ込んで言えば――、
「本来の用途は施設破壊を目的とした攻城兵器?」
バードマン達の本来の役割を察したブリジットに、ヴィルストは頷いた。
「だと思う。それを帝国兵でも無い子供に向かって何発も無駄弾を使っている。氷の団の団員一人一人がソウブルーを攻略するという意識が共有出来ているなら、こんなことはしない。もっと適切な武器で効率的に僕らを殺すなり、無視してソウブルー要塞の防壁の破壊に回っているはず」
「それをしないということは……」
「少なくともコイツ等にそこまでの目的意識はない。騒動のどさくさに紛れて人間で遊ぶのが目的なんだ。矢が尽きたら撤退して、何食わぬ顔で『自分は最前線で帝国と戦って来たんだ』なんて言って空になった矢筒を見せて自慢するんじゃないかな」
「その意志を利用するってことは、奴等に撃ち込ませるだけ撃ち込ませて撤退させると」
ヴィルストの目的を察したリリネットが得心がいったかのように頷いた。
「あいつ等の目的は適当に戦うふりをして遊ぶこと。僕らの目的は安全圏まで撤退すること。この調子なら反撃できなくてもあいつ等を撤退させることが出来る」
敵に嗤われる程度に反撃しながら、敵が飽きるまで一方的に釣瓶打ちにされることで目的を達成する。
情けなさと口惜しさに叫びたくなるが、それがヴィルストに出来る最大限の手段だった。
結論から言えば、ヴィルストが講じた苦し紛れの手段は最大限の実を結んだ。
「チッ……弾切れだ! 補給に戻るぞ! オイ、ガキ共まだ遊び足りなけりゃそこで待ってろよ?」
バードマン達が反転していく背を見送るヴィルスト達。
「本当に退いた……」
ブリジットが茫然と呟きながら、地面にへたり込んだ。
「流石は倉澤の旦那の弟子。やるじゃん。ちょーっと、カッコ付かなかったけどね」
だが――、
「ま、俺達以外にも遊びたがっている連中はいるだろうがな」
バードマンの一人が呟いた。
その悪意に満ちた声は風にかき消され、彼等の耳に届くことは無かった。
「!!」
「ッ!?」
ぞわり――と、蟲に集られるような、嫌な物が這い上がって来る感覚を覚え、彼等は反射的に飛び出した。
真っ先に気付き、動いたのは最も戦闘経験が豊富なリリネットだった。
次に気付いたのは濃密な修羅場に叩き落されたことのあるブリジットだった。
最後に気付き、動くことが出来たのはまだまだ未熟なヴィルストだった。
とは言え、四方八方に意識を向け、命を刈り取ろうとする可能性の全てに集中していた。
だからこそ、足元からの奇襲にも勘付くことが出来た。
『敵は此方の気が緩む瞬間を虎視眈々と狙っている。帰るまでが依頼ですよ』
かつて蒼一郎から受けた薫陶だ。
その言葉を蔑ろにしたらどうなるのか、身を以て思い知らされていたから心構えは出来ていた。
だが、その初動に遅れた者が一人。
地面にへたり込んでいたブリジット・ヴァラスだ。
ブリジットが逃げ遅れていることに真っ先に気付いたのは、幸か不幸か、ヴィルストだった。
一度は奇襲を仕掛けた襲撃者の攻撃範囲から離脱したヴィルストだったが、再度危険域へと踏み込む。
そして、ブリジットを抱え込むと飛ぶが如く、安全域へと跳んだ。
それと同時にヴィルスト等の足元が砕け散り、彼等の背後に巨大な何かが舐め取る様にして襲いかかった。
「クソッ!」
叩き付けられるような衝撃が走り、ヴィルストは苦悶に表情を歪めて、ブリジットを突き飛ばす。
咄嗟のことに受け身を取れず、地面に叩き付けられたブリジットはすぐさま立ち上がろうとして、目の前の光景に中腰のまま硬直する。
それは宛ら、翼のようだった。
背中から、まるで翼が羽ばたくかのような赤い鮮血を噴き出して、ヴィルストが力なく地面に倒れ込んだ。
その背後には全身を岩のような鱗で覆われた岩トロールが嗜虐的な笑みを浮かべていた。
岩トロールの右腕には鮮血に濡れたヴィルストの衣服の切れ端が絡み付いている。
露わになったヴィルストの背中の皮膚はずたずたに引き裂かれ、筋肉が剥き出しになり、白い物が露出していた。
「ヴィルスト殿!!」
ブリジットの悲鳴混じりの絶叫が響き渡り――
「大丈夫、です!」
ヴィルストは地面に拳を叩き付け、さも当然であるかのように立ち上がった。
激痛と絶叫を無理矢理耐えているのか、その声は裏返り、かすれている。
――寝ていられない。泣いていられない。そんな暇は無い。僅かでも悠長にしていたら死ぬことになる!
「もう一頑張り、倉澤の旦那の弟子なら出来るね?」
「はい!」
リリネットにも気遣ってやれる余裕は無く、心が折れないように奮起させてやることしか出来なかった。
岩トロールは、岩石の代わりに投石器で撃ち飛ばし、敵拠点の破壊すると同時に潜入を可能とする程、頑強だ。
生半可な攻撃力では岩トロールの鱗を貫くことは困難を極める。
半面、魔力に対する耐性は紙同然で、魔術師や兵装使いにとっては鴨と言っても良い。
尤も、最大戦力とも言うべきリリネットはドワーフであるが故に、魔力の適正が非常に低く、魔術的な攻撃手段を持ち合わせていない。
「魔術師、残ったか」
岩トロールが重々しく口を開いた。知能の低いトロール種とは言え、天敵を見逃す手は無い。
ましてや、サマーダム大学の制服に身を包んでいるのなら見間違えようもない。
「アンタの相手はあたいだよ。デカブツ」
ヴィルストと岩トロールを遮るようにして現れたリリネットが、袈裟懸けに斧を振り落とす。
子どものような体躯から繰り出されたとは思えぬ、圧倒的な膂力から繰り出される一撃に巨体が揺れる。
岩トロールが物理的な攻撃に凄まじい耐性を持つとは言え、まともにこの攻撃を受け続ければ死は免れない。
だが、岩トロールは攻撃対象の優先順位からリリネットを劣後に置いた。
最優先で殺すべきは、一撃で岩トロールを殺すことが出来る魔術師、ブリジットだ。
次いで、魔力弾を放つ精霊弓を扱う人間、ヴィルストを殺す。
魔術的な攻撃手段を持たないドワーフなど後回しにしても問題は無い。
そして、魔術師の脆弱な物理的な防御力では岩トロールの一撃には耐えられない。
防御術式を展開されては厄介だが――。
ブリジットの意識はヴィルストの背中の生々しい傷口に向けられている。
今は亡き学友のフィリウス・アレクセン、オラツィオ。
彼等は魔人ガエルに扮した魔人グァルプの触手に貫かれ、背中に拳大の貫通痕が刻まれた亡骸を晒した。
トラウマを想起させるヴィルストの傷を目にして、術式がまともに使える精神状態では無くなっている。
そんな出来事があったことを岩トロールが知る由も無い。
ただ、「魔術が使える一般人で、武人では無いのだろう」と判断した。
それでも魔術師である以上、指先一つで岩トロールを殺すことが可能であるという事実は覆らない。
敵対の意志、反発の意志がほんの僅かであっても、存在するなら、脅威と認め殺す理由になる。
幸い、次の脅威となるヴィルストも立っているのが奇跡と言っても良い程に弱っている。
どちらも一撃で殺せる――、岩トロールは確信し、その意識からリリネットを除外する。
嫌な予感を覚えたリリネットは、全身を使って頭蓋に投擲斧を振り落とす。
敢えてその剛撃を真面に受け、その反動で硬直したリリネットの細い胴を握り潰すように鷲掴みにする。
「ッ! 何処触ってんだい、変態が!」
細く見えてもドワーフの筋肉、骨の密度や頑強さは人間とは比較にもならない。
岩トロールの握力を以ってしても、握り潰すのは現実的では無い。
「倉澤の旦那以外の男があたいに触ってんじゃないよ!」
それを証明するかのようにリリネットは息苦しさを感じることなく、元気に喚き散らかす。
これ以上、喚かれても敵わない。その強肩を生かしてボールのように投げ飛ばして距離を稼ぐ。
リリネットが戻って来るまでにヴィルストと、ブリジットを殺すのは容易い。
岩トロールは巨体と質量を活かして彼等目がけて突進する。後は果実のように弾けて死ぬだけだ。
「まだ、だ!」
身長差は倍以上、体重差は十倍以上。剣で立ち向かえる相手では無く、盾で防げる攻撃でも無い。
精霊剣と精霊盾を岩トロールの目に向けて投げ付ける。
岩トロールは右の掌を盾のように広げて、反射的に己の顔面を庇い、剣と盾を弾き返す。
――動きが鈍った。
自らの腕とは言え、視界を防がれたままでは全力で走ることも速度も維持することを出来なかった。
その致命的な隙は、ヴィルストに精霊弓を構え、魔力を収束させる時間を与えていた。
「僕の……勝ちだ!!」
ヴィルストが放った魔力光が岩トロールの右膝を刺し貫く。
「ぬ、がああああああああああッ!! まだだ!! この程度で!!」
岩トロールが吼え、更に一歩踏み込んだ。
確かにヴィルストの魔力弾は岩トロールの膝を貫いた。
だが、負傷面積が小さく、無理を押せば戦闘続行は可能な傷だった。
基本的に亜人は人間よりも頑丈で痛みへの耐性も強い。
無理を押せば動ける傷は――、軽傷と同義だ。
「貫け……!!」
更に左膝を貫き、鈍い機動力を更に封じる。
ヴィルストが魔力を収束する度、その背中の傷口から夥しい鮮血が飛び散るように溢れ出す。
――目の前が霞む。
敵は巨大だ。狙わずとも当てることは出来る。
リリネットが猛スピードで走って来る音が聞こえた。
「その頑丈な鱗を剥がしてしまえば……!」
――ここで死ぬことになったとしても、後は物理的な攻撃でも対応出来る。二人は助かる。
それがヴィルストの最低限の勝利条件だ。
此処で倒れることになったとしても、機動力を奪った時点で勝利は決定した。
魔力弾を拡散させて岩トロールを乱れ撃ちにする。
その効力を確認する前にヴィルストの視界が回転した。
「――――!! ――――――――!!」
棒立ちでいることすら出来なくなったのだと気付いた。
縋り付くブリジットの声すら聞こえなくなっていた。
――立たなきゃ……。
全身を貫かれ、夥しい血を流す岩トロールが遂に眼前にまで辿り着いた。
倒せなかった。リリネットが戻って来るまで後数秒はかかる。
ブリジットを守り切ることが出来ねば、依頼を完遂したとは言えない。
――先生の知り合いなら尚更、護らないと……。
最早、言葉すら出せなくなった朦朧とした頭で無理矢理身体を起こして、立ち上がる。
「――――――――――――」
岩トロールの口が動いている。ヴィルストには何を言っているか聞こえなかった。
精霊弓を構えようとして、その手には何も残っていないことに気付いた。
――失敗した。
岩トロールはその表情に失望を滲ませ、その腕を振り被った。
――何を失望している。いつからお前は僕に何かを期待する立場になったんだ。
ほんの僅かでも時間が稼げれば良い。
一歩、ほんの一歩だけヴィルストは前に進んだ。
そして――、
「あ」
岩トロールの剛腕が薙ぎ払われ、ヴィルストはただ一言だけ言葉を漏らすことしか出来なかった。
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Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved.
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