第六話 魔人零
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この世界には太陽の光が届かない都市が存在する。
太陽の光は無くとも、空高くそびえる金属質の建造物が自ら眩い輝きを放っている。
倉澤蒼一郎の言葉を借りるなら「田舎で一番栄えている駅前」のような雰囲気だ。
ビル群から少し離れるだけで現代的、近未来的な雰囲気は鳴りを潜め、魔力光の淡い輝きを放つ岩石が点在するだけの何も無い大地が広がっている点が、特に田舎の駅前らしさが表れている。
そして、それ以上に全くと言って良い程、人の気配というものが存在しない。
それもその筈、この都市の総人口は僅か十九人しかおらず、その僅かな住人が勢揃いするどころか一人すらいないこともある程。最早、死した都市だ。
そんな死都に珍しく人の気配が現れた。
都市の中心、セントラルタワーのオフィスフロアの頂上、三百十八階の大会議室。
十九席の円卓に六つの人影があった。
「ヴィヴィアナさんのお呼び出しに集まってくれる律儀な人が五人もいるなんてびっくりだねぇ」
ルカビアンの十九魔人の一人、ヴィヴィアナ・デルニエールは出席者を見回し、口振りとは裏腹に特に驚いた様子も無く、くすくす笑う。
「それが仲間と言うものだろう? それに私からも皆に報告したい事があった」
円卓の上座に座る男――、ルカビアンの十九魔人の一人、トゥーダス・アザリンがにこやかに友好的な笑みを浮かべて言った。
「こそばゆい言い方だねぇ。相変わらずで安心したよ、トゥーダス。久しぶりだね。三百年ぶりくらいかな?」
魔人達の実質的な長たるトゥーダスの仲間に対する人懐こさは五千年前に出会った時から変わらない。
帝国民にしてみれば単独で都市一つを滅ぼす悪夢のような存在だが、魔人達にしてみればトゥーダス・アザリンという男は仲間想いで正義感の強い男という評価になる。
強いて欠点をあげるとしたら、少しばかり潔癖症で夢想家のきらいがあることくらいだろうか。
復活早々、彼がジエネルを滅ぼしたのも、その潔癖症によるものだ。
寝起き早々、目に付いたジエネルの住民達が蛆虫が蠢いているように見え、行き過ぎた生理的嫌悪が、寝起きのトゥーダスを凶行に走らせたのだ。
尤も、彼等にしてみればトゥーダスにも可愛らしい欠点があるのだなという笑い話にしかならない。
塵芥が何億匹死んだかなど知った事では無いし、興味も無かった。
「もうちょっと早目に招集かけてればライゼファーとも会えたかも知れないんだけどねぇ。あの子、例によって一週間持たなかったんだよね。ちょっとしたレアキャラだよね?私、あの子ともう二千年くらい会えて無いや」
「ライゼファーなら元気そうにしていた……。復活させてあげたら早速、ハーティアを探しに行ったけど……」
ヴィヴィアナが寂しそうにぼやいていると、陣羽織に刀を差したポニーテールの女、魔人メラーナが「彼はシスコンだから」と肩を竦めた。
「旧交を温めるのは後でも良いだろう。それよりもヴィヴィアナのメールにあった新種の人工生命体についてだが」
グレーのスーツを着込んだ禿頭の巨漢、魔人ベネディクトが咳払いと共にヴィヴィアナに本題を促す。
「ごめんごめん」
「こういう時くらい昔のようにしても良いさ。どれだけ望み、願おうともライゼファーとは顔を突き合わせる事も、話す事も出来なくなったのだから」
ヴィヴィアナの気安い態度にトゥーダスは特に気分を害した様子も無く、しかし重々しく口を開いた。
偶に魔人が集まると、彼は平和的で穏やかな時間を楽しもうとするきらいがある。
それ自体はいつもの事だが、彼が口にした言葉に不審な物を感じた魔人達はトゥーダスに視線を集中させる。
「どういう事だ」
俯いて声を絞り出すトゥーダスの様子にただならぬ気配を感じ取り、ベネディクトは固い声で問いかける。
「ライゼファーが核を破壊された。ライゼファーは二度と復活する事は無い。彼は、もう二度と我々の前に現れない。完全な死だ」
トゥーダスの発言に誰もが絶句する。
国や都市を遊び半分で滅ぼし、徒に命を奪う魔人達が、たった一人の魔人が完全に消滅した事に激しい衝撃を受けていた。
いち早く、そのショックから立ち直ったヴィヴィアナが口を開いた。
「今回、みんなに集まってもらったのはねぇ、ライゼファーを殺したヒトモドキ、倉澤蒼一郎を見かけたからだよ」
「見かけただと!? 何故、ライゼファーの仇を殺さなかった!!」
黒髪を逆立てた長身の男、魔人ガラベルが円卓に拳を振り落として、忌々しげに声を荒げる。
ガラベルだけでは無い。この場にいる魔人でライゼファーの死を悼んでいない者は一人もいない。
誰もが怒りと嘆き、悲しみに苛まれている。ヴィヴィアナとて、それは同じだ。
ライゼファーが倉澤蒼一郎に破れたことは知っていた。
しかし、核を破壊され、完全に殺されていた事までは把握していなかった。
知っていれば、エルベダ要塞で倉澤蒼一郎を自らの手で縊り殺していたところだ。
「殺さなかった理由は二つ。一つは接触した時点でライゼファーを完全に殺した事を知らなかったから。そして、もう一つ、倉澤蒼一郎は私達に、ルカビアンに近い気配を纏っていたから」
「ルカビアンに近い、気配だと?馬鹿な。ルカビアンは我々十九……いや、今は十八人か。我々、十八人しかいないはずだ」
有り得ないことだとベネディクトは首を横に振り、ヴィヴィアナは頷いてみせる。
「私が寝てる間に同好の士でも現れてシンギュラリティでも起こしたのかなーって思ったんだよねぇ。そうだとしたら、みんなの作品を勝手に壊したり、解剖するのもまずいでしょお?」
「そんな悪趣味をして喜ぶのはお前だけだろうが!」
「この趣味の先輩はガラベルじゃんか。子供のとき、プラモデルに自作のAIとエンジン積んでロボットアニメごっこして、ネットにアップしたり、昆虫採集で捕まえてきた虫の遺伝子を掛け合わせて悪魔合体~って遊んでたじゃんかぁ。私の趣味はガラベルに教えてもらった遊びの延長だもん」
「いつの話だ。ガキの頃の遊びを今でもやってると思ってんじゃねぇよ」
「いつまでも子供の頃の遊びが好きで悪うございましたぁ。男のくせに無邪気な少年の心を、一体どこに落としてきたんだか」
ヴィヴィアナは不機嫌そうにガラベルに舌を出す。
七千年前は、まだ可愛げもあったのにとお互い内心でぼやくが、御覧の通りお互い様である。
「それは兎も角、あのヒトモドキを壊す前に確認しておきたかったんだよ。魔人を、ルカビアンを殺せる人工生命体を身内が作ったんじゃないかってね。身内を疑うのは嫌だけど、ガエルがグァルプに殺されたでしょ? 私が寝てる間に皆の心が変わってしまったんじゃないか。もう一人くらい裏切り者がいるんじゃないかってね」
「それは……」
有り得ないことだとトゥーダスが立ち上がる。
しかし、少なくとも一人、グァルプが裏切り者である事は事実なのだ。
残り僅かとなった仲間を疑う事が非常に心苦しくあったが、ヴィヴィアナは仲間たちに疑いの眼を向けている。
倉澤蒼一郎を作ったのはだぁれ――、と。
「そのヒトモドキを作った奴が誰か知らんがよ、グァルプにどう落とし前を付けるつもりなんだ? 俺としては完全に消滅させてしまいたいんだがな。ヒトモドキの野郎も気が気が利かねぇ。殺すならセミじゃなくて、グァルプの糞野郎を完全に殺しちまえば良かったんだ!」
怒鳴り声をあげたのは全身黒づくめの男だった。名を魔人バエル。ガエルの実兄である。
因みにセミ、というのはライゼファーに付けられた仇名だ。
ライゼファーという男は異世界から龍を召喚し、龍という種族であれば神に並ぶ存在であったとしても使役する力を持っている。
本来ならば下位の魔人の中でも更に下層に位置する能力の持ち主では無い。
その筈なのだが兎にも角にも、そそっかしく、運が悪く、間が悪い。
負ける要素の無い戦いで何故か敗北を喫する。
数百年ぶりに復活したかと思えば、七日と経たずに死んでいたりする。
そうやって名付けられた仇名がセミである。
人間からもあまり脅威に思われておらず、序列は十九人中、十八位とほぼ最下層に位置付けされている。
「トゥーダス、グァルプの野郎についてどう落とし前を付ける気だ」
魔人は死しても数百年の時を経て復活する事が出来る。
ガエルはライゼファーとは違い、核を破壊されておらず、遅くとも三百年で復活し、再会出来る。
だが、だからと言ってこの重大な裏切りを、ましてや実弟を手にかけられた事は決して看過出来るものでは無かった。
そして、ヴィヴィアナがルカビアンの中に裏切り者がいると言った根拠がグァルプの裏切りだ。
場合によってはルカビアン同士の殺し合いにも発展しかねない。
個人的な恨みを抜きにしても、グァルプを生かしておく理由が無かった。
「私から皆に伝えたかったことはそれだ。グァルプの処遇についてだ。罪状は裏切り」
トゥーダスが指を鳴らすと円卓の中心に、小さな鳥かごのような檻が降って来る。
その中にはグァルプの姿があった。鳩尾から下は焼け落ち、極僅かに残った上半身も両腕を失っている。
頭部の損傷も激しく、側頭部は鋭利な刃物で斬り落とされ、破裂した右眼の残骸が垂れ下がっている。
しかし、蒼一郎が放った決死の一撃は、グァルプを死に至らしめることは出来なかった。
半死半生の体で、グァルプは小さくかすれた声で――、
「死にたくない……死にたくない……許してくれ……」
――と、うわ言の様に呟いていた。
「殺すべき……」
それまで静観していたメラーナがぽつりと呟いた。
グァルプの痛々しい姿を目の当たりにしても感情の揺らぎは些かも無い。
「この期に及んで記憶と心を封じて肝心な事を隠し通そうとしている。私はこの男を、もう仲間とは思えない」
魔人達は自らの記憶や知識や意識を共有する事が出来る。
場合によっては、それを強要する事も可能だ。上位の魔人メラーナには下位の魔人グァルプに記憶や意識を開示させるだけの力がある。
――何を思って仲間を裏切ったのか。
――ガエルをどうやって殺したのか。
――何故サマーダム大学を襲撃したのか。
――倉澤蒼一郎をソウブルーにおびき寄せた理由は。
――ソウブルーの内乱に介入した理由は。
強制的に共有しても、まるで虫食いのような記憶と意識だった。
上位の魔人の強制力さえ阻む強固な精神防壁を展開している。
この必死な命乞いも建て前。心の底では翻意が渦巻いているであろうことは想像に易い。
「ライゼファーに続いてグァルプまで失う事になれば、仲間は、ルカビアンは十七人だけになってしまう。それでも殺すか?」
「言ったはず……、私はこの男を仲間とは認めない……。ルカビアンだからというだけの理由で私は、無条件に仲間意識を持つつもりは、無い」
トゥーダスの懇願するような声に、メラーナは動じる事無く、ただ静かに切り捨てた。
「グァルプの処断にまず一票。他の者は?」
トゥーダスが無念そうに俯き、意見を募る。
だが誰一人としてグァルプの助命を求める声をあげることは無かった。
「処断に五票ねぇ。一応、トゥーダス、貴方の意見も聞いておこうかなぁ? 何故、処断に否定的なのかなぁ?」
「決まっているだろう。私も処断に一票を投じていたからだ」
トゥーダスは深々と溜息を吐き出し、言葉を続けた。
「グァルプのやった事は決して許されない事だ。だが、それでも仲間だった。もしかしたら、助命を申し出る者がいるかも知れない。それで意見が別れる事があれば、ガエルの復活を待ち彼に沙汰を委ねられると思った。その目論見が思い通りにならず嘆いているだけだ」
裏切りは許せないが、自らの手を汚す事も嫌だという身勝手な言動だ。
だが、それを咎め、嫌悪する者はいない。
寧ろ、トゥーダスにそんな思いをさせたグァルプの方に批難の視線がが集中する。
「これが今生の別れだ。グァルプ、最後に言いたいことがあるなら言ってくれ」
裁決は下った。何を喚こうともグァルプの意見が反映される事は決してない。
だから、グァルプはそれまでのわざとらしい命乞いとうめき声を止めて皮肉げに嗤った。
「あの倉澤蒼一郎という男を殺すなら早目にする事だ。あの男に戦いに備える暇を与えてはならない。さも無くば、お前達があの男に殺され消失する事となるだろう。次に消滅するのはトゥーダス。存外にお前かも知れんぞ?」
「随分と持ち上げるんだな。お前を倒したヒトモドキのことを。我々の中でも、ヒトモドキを一際嫌悪していたお前が」
ルカビアンたるグァルプが、下等生物を認めるような物言いにトゥーダスが不快感を露わにする。
「ヴィヴィアナの感性は正しい。アレはヒトモドキでは無い。極めて、我等に近い存在。純然たる人間だ」
「どうやら、ルカビアンにも痴呆というものが存在するらしい。耄碌したんじゃないのか、グァルプ」
「ヒトモドキ達は我等を真似て文明を築き、世に秩序と理を敷きいた。そして今、信仰を得て奇跡を通じて、進化と進歩の先に未来を得た。やがてルカビアンとヒトモドキの立場は逆転する事になる。そんな予言が出来る程には耄碌したかも知れないなぁ」
「それをお前が言うのか、グァルプ」
妄言を吐くグァルプをトゥーダスはせせら笑う。
「もう良いだろう、トゥーダス。ガエルの仇を取らせてくれ」
怒り心頭のバエルがいきり立つ。
これ以上、グァルプの命を長引かせるのは不可能だと知り、トゥーダスは寂し気に頷いた。
「裏切り行為、しかも実弟の仇……。バエルに任せる」
メラーナは腰に差した刀を鞘走らせて、内心で「魔人を斬るチャンスだったのに……」と愚痴をこぼした。
「ケッ……一万年近く、この面子でそれなりに上手くやってきただろうがよ。今更、裏切るような真似しやがるから、こんな所で死ぬ羽目になるんだ。馬鹿野郎が」
ガラベルはグァルプから眼を背けた。裏切り者であっても、腐っても仲間だ。
惨めに殺される姿を見続ける気にはなれなかった。
「我々はありとあらゆる意味で、一蓮托生だというのに愚かなことだ」
最早、ベネディクトの意識の中にグァルプという男は存在していない。
睥睨するその眼は汚物――、彼等でいうところのヒトモドキを見るかの如くであった。
「じゃあね、裏切り者。アンタなんか死ぬ程嫌いだぁ」
軽い口調で拒絶を示すヴィヴィアナ。
「……………………」
そして、トゥーダスが無言で俯いたのを皮切りに、バエルがグァルプを封じる小さな檻に手を伸ばした。
「さらばだ。我が友よ」
バエルにとってグァルプは実弟の仇であると同時に昔馴染みだった。
出来ることなら罪を償わせるだけに留めたかった。
しかし、お互いに引き返せないところまで来てしまった。
彼等にとっての不文律である裏切りを犯してしまった。
仮にグァルプが殺したのが実弟のガエルでは無く、別の魔人であったとしても、矢張りバエルはグァルプを殺していただろう。
友であるが故に自らの手で処するしかない。悲痛な面持ちでグァルプにトドメを刺そうとした瞬間のことだった。
――――グァルプは無言で嗤った。
絶命し、核を破壊され、消滅するその瞬間までグァルプは嗤って逝った。
「グァルプは死んだ。俺が、この手で殺した」
バエルは仲間たちに見せ付けるように掌を掲げた。
処刑すると見せかけて、グァルプの核を隠し持つような事はしていないと、潔白を証明するかのように。
「これでルカビアンは残り十七人。これ以上、減らないでいてくれと願いたいものだが……」
「後一人。裏切り者が、倉澤蒼一郎の製作者が十七人の中に、もっと言えば此処にいない十一人の中にいる」
渋面に満ちたトゥーダスに、ヴィヴィアナが追い打ちをかけるように言った。
「神の手で独自に進化、誕生した生命体だと思いたいところだがな」
トゥーダスは現実逃避するかのようにぼやいた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふ……フヘ……ハハ、ハハハハハハ! バァァァカ! バァァァァァァァカ! ブアァァァァァァァァァァカッ!!」
帝国領北東部、通称『氷の都』で見すぼらしい物乞いの男が、狂ったように哄笑をあげた。
卑劣の王オライオンが治める氷の都に、この程度の狂人は掃いて捨てる程いる。
よくある、見慣れた光景だ。咎める者も、顔をしかめる者もいない。
そんな事よりも食い物が落ちていないか。
金が落ちていないか。
金目の物を持った死体が持ちていないか。
寒々しく吹雪く氷の都を出歩く浮浪者達の意識は地面に集中し、誰もが下を向いて歩いている。
貧者も、平民も、衛兵も、富豪も、オライオンも、狂ったように嗤う浮浪者になど意に介さない。
「死んでない! 死んでないぞ! 俺は生きているぞ! トゥウウウウウウウウウウダァァァァァァァァァァァスッ!」
この日、世界にとって不幸があったとしたら、この乱心した気狂いが、かのルカビアンの十九魔人の一人、グァルプである事に誰も気付かなかった事だ。
そして、この日に限って、遊び半分で浮浪者を殺して回る悪漢や無頼の類が出歩いていなかった事だ。
「私に殺された者は、私に魂を奪われ、私はその魂を元に生前と同じ、完全なる複製を産むことが出来る! ならば? ならばならばならばぁぁぁぁぁ!? 私は私を殺すことで、私は私の魂を得ることが出来る! そしてぇ! 私の魂を複製し、複製した魂を本体に宿らせることで、私は完全なる私の複製を作ることが出来る!」
トゥーダスに捕縛され、バエルに処刑されたグァルプは彼本来の肉体だ。
更に複製した魂は本物同然で、ライゼファーやガエルのような魂に関わる能力を持つ魔人でなければ、気付きようが無い。
加えて、複製の記憶や意識に一部の改竄を加えることで精神防壁を展開しているように見せかける。
翻意を明らかにして敵意を引き出させ、疑いをかけられる前に処刑させる。死ねば沙汰も終わる。
こうしてグァルプは絶体絶命の窮地から脱出する事に成功したのである。
「ふふはははははは!! 何もかも失ってしまった!! 魂も!! 核も!! 全て!! 全て!! 何もかも!!」
この浮浪者の魂は、グァルプのコレクションの中でも最も脆弱で、最も愚かで、最も存在規模の小さな魂だった。
蒼一郎に敗北した直後、グァルプはトゥーダスの接近を察知し、ガエルを手にかけた事が露見し、捕縛のために現れたことを確信する。
その末路が自らの手を汚すこと無く、他者の手で処断させるであろうことも容易に想像出来た。
そこでグァルプは賭けに出た。
そもそも、彼はルカビアンの魂の複製の可否を知らなかった。
無論、自らの魂を複製する事が可能かどうかも知る筈が無かった。
そして、仮に魂の複製が成功したとしても、その事実からトゥーダスの眼を欺かなくてはならなかった。
結果、トゥーダスはグァルプの策謀に欺かれたが、事の全てはグァルプにとって都合良く進んだわけでは無い。
トゥーダスに存在規模の変動を悟られぬよう、七千年の間に奪い蓄積した魂は全て本体に残したままだ。
バエルの手によって核を破壊されてしまったことで本体は消失した。
これにより本体と、本体に内包されていた魂を復元することも不可能になった。
グァルプの身に備わっていた叡智、術式、戦闘技術は全て簒奪した魂を抽出して得たものばかりだ。
今のグァルプにあるのは、この肉体の本来の持ち主、浮浪者の無知、無能、無力の三つだけである。
核が失われたことで従来の不死性も消失している。
極端な話、この肉体が氷の都の寒空に耐え切れず、あるいは飢えに耐え切れず、死ぬ可能性も決して少なくない。戦う以前の問題である。
だが、グァルプの瞳に絶望は無い。生への渇望で爛々と輝きを放っていた。
この肉体の持ち主が無知蒙昧な愚物だからではない。
「愉しい! 嗚呼、愉しいな! 生者と死者の区別無く全てを蹂躙する力は無く! 子供の細首一つさえも満足に圧し折ることが出来ない!」
かつての絶大な力は見る影も無い。だからこそ愉しくて仕方が無い。
「これが! これこそが渇望! 力が欲しい! 知恵が欲しい! 久しく忘れていた感覚だ! レベル一から……! いや、レベル零からの再挑戦! 今この時より私は! いや我は! グァルプを捨て、零となった!」
身体の内から込み上げて来る抑え切れない程の情動と、凄まじい欲望に興奮を隠し切れず、大仰に身を震わせる。
魂魄の簒奪者、魔人零が誕生した瞬間であった。
「また会おう! トゥーダス・アザリン! そして、倉澤蒼一郎! 私は再起する! 必ずだ!」
喉が擦り切れ、口の端から鮮血を溢れさせる。満足に叫ぶことすらできない脆弱極まる肉体。
それでも尚、グァルプは、零は叫び続けた。
そして、その熱気に浮かされた浮浪者達が雄叫びを上げながら暴れ出した。
この日、氷の都では浮浪者による放火、強盗、殺人、暴行、強姦等の犯罪が一斉に大量発生した。
ソウブルー攻めに失敗したオライオンはこれを奇貨とし、捕縛した浮浪者達に帝国兵の格好をさせて処刑した。
「我々は人間、亜人、獣人の区別無く、隣人と手を取り合い営む、変わらない日常を求めただけだ。我々は土地、人、物、金、贅、そういった物を一度でも要求したことがあるだろうか。否。断じて否である。そんなことは一度もしなかった。だが、奴等は人間以外の人類を認めず、我を卑怯者だと罵った。しかし、これを見よ。奴等は恥知らずにも我等の家に忍び込み、火を付け、物を盗み、女を犯し、人を殺した。これが奴等の言う正義だ。こんな物が正義だと言うのなら我は卑怯者で構わない。我は戦う。帝国の正義に涙を流し、命を落とした者達のために。我は戦う。帝国の正義に辛酸苦難を受けて尚、生き抜く者達のために。八雷神の名に懸けて!!」
この声名に対し、帝国は事実無根である事を明確にし、よくある妄言、暴言の類だと切って捨てた。
しかし、オライオンの宣言は、亜人、獣人を中心に帝国に反旗を志す者達を動かし、多くの者達が氷の都に集結した。
これにより、ソウブルーの支配者バーグリフ、並びにソウブルー衛兵団長アーベルトによって壊滅的な被害を受けたオライオンの軍は急速にその戦力を回復させることに成功させるのであった。
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