第十四話 叙勲式
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「あなた、起きて」
胡桃さんに起こされるよりも早く、カトリエルに揺り起こされる。
いつまで自分は夢を見ているんだ、という焦燥感が日に日に薄れてきている気がする。
寧ろ、愛犬と言葉を交わすことが出来て、仮初めとは言え美人の婚約者がいる。
もうこれが現実で良いんじゃないだろうかという気持ちも少なからず込み上げてきている。
「ああ、おはよう。カトリエル。まだ少し、早くないかい?」
胡桃さんの頭を持ち上げ、腕枕にしていた左腕を引き抜いて身体を起こす。目覚めは良好だ。
「今日は叙勲式でしょう? 時間に余裕があるならあなたの身嗜みを整えておきたいわ」
「自分には勿体ない程、出来た婚約者で嬉しい限りだよ」
「そう」
照れた様子も無ければ、喜ぶ様子も無い。彼女はいつものように無表情のままだ。
「貴方が食事と入浴を済ませている間に、礼服を洗ってアイロンをかけておくから出して頂戴」
「いつもありがとう」
「別に、構わないわ」
しばしば突き放したような口調で喋る割に彼女は面倒見が良い。
こう無表情のまま面倒を見て貰ってばかりいると彼女を笑わせてみたいという気がしてきた。
――いや、待てよ……
ゴシック調V系バンドの衣装みたいな礼服を彼女に手渡そうとして、ふと思い出す。
礼服のポケットの中にロイドさんから貰ったハート型にカットされた虹色のダイヤが埋め込まれた指輪が入っている。
今まで渡せていなかったが、彼女を笑顔にしてみたいという欲求が込み上げている今の自分なら何の恐れも無く渡せる。
「カトリエル。左手を出してくれないかな」
「何かしら」
彼女は尋ねながらも素直に左手を差し出した。
その透明感のある白い手を取り、薬指に指輪をはめた。
「婚約指輪。仮初めだろうが見せかけだろうが、婚約者に贈らないのは不自然だろう?」
「そう、ありがとう」
そう言って彼女は自分の礼服を手に取り、踵を返した。
――不発か?
そう思ったが、彼女は透き通るような肌をしている。
だから、何かしらの変化は分かり易い形で露わになる。
「よく似合っているよ」
首筋や耳を真っ赤にして逃げるように部屋を出て行こうとする彼女の背中に声を投げかける。
どんな顔をしているのか。無理矢理振り向かせて顔を覗き込んでみたいという欲求を押し殺し、今日の所はこれで満足することにしておく。
――良いものが見れた、な。
胡桃さんを起こしてダイニングに降りる頃には普段の無表情なカトリエルに戻っていた。残念だ。
リディリアさんは何が起こっていたか全く把握していないような様子で「おはようございます。今日はいよいよ叙勲式ですね」と声をかけきた。
『珍しい物が見れるところだったのに勿体ないことをしましたね』と内心で呟いて、彼女に挨拶を返す。
食事と風呂を済ませて、カトリエルから礼服を受け取る。
このデザインには未だに抵抗を感じて仕方が無いが、身体の方は日に日に慣れていく。
袖を通していて『何だかんだで着心地は良いかも』と思ってしまった。
「鍛冶職人組合に寄るのよね?」
「ああ、龍殺しに相応しい業物を用意してくれているらしいからね」
自分達の力に絶対の自信を持っているドワーフの職人がどんな武器を用意してくれたのかは知らないが、それは叙勲式に参加する貴族達も唸らせるような相当な業物の筈だ。
そう思うと鍛冶職人組合に行くのが楽しみになってきた。
支度を済ませ、工房の前で待つこと五分。
青いワンピースドレスの上に黒いレースのケープを羽織り、身体に赤いリボンを巻き付けたカトリエルが現れた。
ただでさえ作り物みたいな現実味の無い雰囲気を漂わせていると言うのに、巻き付けられたリボンのせいで身体のラインが露わになり、幻想的な非現実さが更に強調される。
彼女の前ではスーパーモデルでさえも普通の人だ。実に眼福である。
「リディリア、暫くの間頼むわね」
「ええ、任せてください!」
「胡桃さん、お留守番お願い。良い子にしているんだよ」
「はーい!」
胡桃さんとリディリアさんに留守を任せ、彼女と共に鍛冶職人組合へ向かうが、ロイドさんには会えなかった。
彼の徒弟が「燃焼石を受け取ってからずっと作業場に籠りっきりで……」と申し訳無さそうに何度も頭を下げながら、何度もカトリエルを覗き込んだ。
――本当に申し訳ないと思っているのか、お前は。気持ちはよく分かるが。
式が始まる前には龍殺しに相応しい業物とやらを届けてくれるらしいので、先に式典会場へと向かうことにした。
「護身用のつもりで作った物が貴方を龍殺しにするなんて、世の中何が起こるか分からないものね」
「全くだ」
確かに何が起こるか分からないものだ。
この夢だか現実だかよく分からない世界にいるのもそうだし、胡桃さんが人の姿になって会話が出来るようになったのも、何もかもが分かりゃしない。
「これからどうする?」
これで自分は名実共に龍殺しの冒険者だ。行動選択の幅、人脈の幅も大きく広げることが出来る。
だが、クラビス・ヴァスカイルや、魔人に繋がる最善手とは何だ?
この世界の地理、歴史、政治、文化、風習、まだまだ分からないことばかりだ。
何をすれば良いのか、その明確な判断基準は未だ持ち合わせていない。
「そうね……権力者の顔繋ぎ、と言いたいところなのだけど」
カトリエルが自分の顔をじっと見て言葉を続けた。
「貴方、帝国人では無いわよね? 出身国は? 故郷での地位は? 貴方が外国の貴族なら火種になるような人種とは会わない方が良いと思うのだけれど」
「あ、あー……そう言えば、何も言っていなかったか……」
「ええ、会場に行くまでの間、ゆっくり聞かせてもらいましょうか」
この世界は自分が見ている夢の世界で、自分は現実の世界からやってきた……意味不明だな。
カトリエルくらいには正直に話しておきたいが、一応、この世界向きの設定を作っておいた方が良いかも知れない。
「自分の出身地は帝国よりもずっと東だ。東の果てとか極東なんて言い方をすることもあるな」
「東の果て……? つまり、貴方はあの霊峰を越えて帝国まで来たの?」
あの無表情な彼女が信じられないという表情と口振りで言った。
東の果てから人間が現れるという設定は無理がありそうなことだけはよく分かった。
船で渡って来たことにしたかったが、地理を知らない状態で適当なことを言うものではない。
初めて聞かせた相手がカトリエルで良かったかも知れない。
多分、叙勲式でそんなことを口走ったら余計に面倒ごとが起きていたところだ。
「その霊峰のことは分からないけど……まあ東から来たのは事実だね」
「そう……貴方の故郷では貴方の社会的地位や家の地位は?」
彼女は釈然としない様子だったが、疑問は一度棚上げすることにしたようだ。
「家は……一応、旧い家系だけど実権も無ければ財産も無い。名前も忘れ去られて親の代には市井の中に埋もれたよ」
一応、母の家系は源平の時代まで遡ることが出来るらしいが、祖父の急逝と共に没落したそうだ。
元は大富豪だったらしいが、祖父が遺した財産も使い尽して自分が産まれる頃には一般庶民の仲間入り。
それどころか生活レベルを落とすことが困難だったらしく、一時は生活に困窮するところまで追い込まれたこともあるらしい。
自分も生まれるタイミング次第では御曹司だったかも知れないが、自分はその恩恵に一斉関わっておらず、全くもって普通の人である。
「実家は没落貴族ってことになるかも知れないけど、自分が貴族なんて意識は無いし十把一絡げの一般人だと思っている」
「家を再興したいとは思わないの?」
「生まれた時にはこうだったし、家族も貴族らしい感じは全く無いからね。それに明日の生活に困っているわけでも無いからなぁ……今より少しでも良くなれば良いとは思うけどね。でも、それは自分のためであって、家の再興とは違うかな」
「上向きになれば良いというのは、ただの向上心。そういうことかしら?」
「人間、向上心失ったら終わりだからね」
「それは同感ね。それじゃあ貴方のことは帝国の外から移民してきた庶民という扱いで良いのかしら? けど、貴方には倉澤の姓があるし、庶民だと思う人はいないでしょうけど。その時々の都合で貴族と庶民の立場を使い分けた方が良いかも知れないわね」
東の果てからやってきたという設定は霊峰の存在により破綻してしまったが、そういうことに決まった。
其処からは特に会話をすることも無く緩やかな坂道を進む。
何と無く沈黙が心地いい。自分と彼女、相性が良いのかも知れない――と思うのは思い上がりだろうか。
ギルド地区を通り抜け、貴族の居住地区を更に進み、ソウブルーの主バーグリフの居城ソウブルー要塞へと辿り着く。
――良い景色、だなぁ。
切り立った丘の上から突き出たようにそびえる都市ソウブルーの最上層に建設されているだけあって、要塞入り口前の階段を振り返ると、ソウブルーの街並みを一望することが出来る。
「コイツは……」
数日前に自分が殺したスケイルドラゴンだろうか。
桟橋のかかった湖にはそうと思しき巨大な骸骨が浮かんでいる。
改めてその巨体さに自分の短絡さ加減に眩暈がした。
いくら怒り任せであったとは言え、こんなにも巨大な生き物に立ち向かうなど正気の沙汰じゃない。
「勘違いしているようだけど、あの骸は五年前に先代の龍殺しが仕留めたサーペントドラゴンよ。貴方が倒したスケイルドラゴンと違って魔術的な防御は無いけれど体格は二倍くらい違うわね」
――頭がおかしい。
そう思わずにはいられなかった。龍殺しの称号は一人でドラゴンを殺すことで得られる称号だ。
つまり、先代の龍殺しは自分が戦った個体よりも遥かに巨大なドラゴンを一人で殺したということになる。
立ち向かったこともさることながら、勝利したことも含めてどうかしている。
「先代の龍殺し、か。何とかして顔繫ぎだけでもしておきたいな。魔人を殲滅するにはそういう人の力が要る」
昨日、リリネットというドワーフの少女と戦って改めて思い知らされた。
――自分は弱いからな。
スケイルドラゴンに勝てたのも運と偶然、後は相性が良かったからだ。
元から戦いを生業としているような相手だと子供にすら勝てやしない。
情報もそうだが、ある程度自由に戦力を動かせるだけのパイプが要る。
「それは無理だな」
そう言って声をかけてきたのは抜き身の剣を持った女の騎士だった。
ヘッドギアの様な鉄兜から覗く瞳は嫌悪感に滲んでいた。
敵意を向けられる謂われは無い、はずだ。
「理由をお尋ねしても? お亡くなりになられたから、とか?」
カトリエルを庇える位置に移りながら尋ねると、女騎士は抜いた剣を納刀して溜息を吐いて、こちらに向けていた敵意を霧散させた。
「何も知らないようだな。先代の龍殺しとは口にするのも忌々しいが、卑劣の王オライオンだ」
「それは失礼しました」
口ではそう返しておくが、別に自分は帝国派では無い。反帝国派じゃないというだけだ。
この世界に来た当初、トーヴァーさんから卑劣の王オライオンが先帝ハルロンティ・アーリーバードを討ったという話は聞いている。
奴の本拠地、氷の都にどれ程の戦力があるのかは知らないが、出鱈目なことをする奴だという印象だけは未だに変わっていない。
力を借りれないにしても魔人との戦いに巻き込むことくらいは出来るんじゃないだろうか?
「自分は姓を倉澤、名を蒼一郎と言います。彼女は婚約者のカトリエル。貴女は?」
「ソウブルーの偉大なる支配者バーグリフ様の側近にしてハイエルフのイサドナだ」
自分自身か、それともバーグリフか。自らの立場を誇示するような得意げな態度だった。
抜き身の剣を持って此方に近付いてきたことを考えると余程神経質で、多少の醜聞くらいならもみ消す力があるのだろう。
癇に障る態度だが態々怒らせる必要も無い。
「これはご丁寧にどうも」と一礼をしておく。
「カトリエル。様々な男がお前を娶ろうと現れても梨の礫だったのにお前から龍殺しを求めたそうじゃないか? 男に興味は無く、女貴族と寝るのが趣味と噂されていた程の女が一体、どんな心境の変化だ?」
自分を無視してカトリエルに問いかける彼女の表情は嫌悪に満ちていた。
一方のカトリエルは取るに足らないといった様子で自分の腕を取り、しな垂れかかった。
「そうね。私と生涯を共に隣り合う人は彼が良い。彼以外考えられない。彼以上はいない。そう思っただけよ」
「何……ッ!?」
自分を置いてけぼりにして火花を散らす両者。
いや、イサドナと名乗った女が一方的にカトリエルを敵視しているだけのように見える。
彼女の態度はいつも通りの無表情、無感情だが、何処と無く面倒臭く感じているような気がした。
今の彼女の言動に怒る要素などありはしない。
だと言うのに、イサドナは瞬間湯沸かし器のように怒りを露わにしている。
――怒りのスイッチが何処にあるのか分からないような奴なんて面倒この上無い。
「旧交を求めている所、申し訳ないのですが、式典が始まるまで我々は何処で待機していれば宜しいのでしょうか?」
「チッ……! 衛兵!! 龍殺しを控室に案内しろッ!!」
おい。この女、今、舌打ちしやがったぞ。
――なんだって言うんだ。
リディリアさんに曰く、ソウブルーは帝国の首都レーンベルグと肩を並べる程の発展を遂げている。
それ程まで大きく経済が動いているにも関わらず、支配者のバーグリフの手腕により牧歌的な雰囲気を持ち、夜道に女子供が一人で出歩いても安全という極めて稀有な都市なのだそうだ。
物流や交通の要衝という分かり易い特徴に隠れがちだが、一番の特徴は治安だ。
で、一番の売り文句が治安の都市の主の側近が自分達の目の前で鼻息荒くして憤っているのが、コレだ。
そりゃあ、殺人事件も起こるわ。
――そういや、司祭殺しの犯人もイサドナと同じくエルフだったな。
まあ変に噛み付いてもろくな事にならん。放っておこう。
相手は野盗じゃなくてソウブルーの支配者の側近だ。
勢い余って殺したって、その瞬間の気分が晴れるだけで監獄送りにされてしまう。
勝てるかどうかも分からないし割に合わん。
「それじゃあ行こうか、カトリエル」
「ええ、あなた」
しな垂れかかるカトリエルをエスコートするように衛兵の後に続く。
背中に突き刺さるイサドナの視線が鬱陶しく、落ち着かないが、この役得を満喫した方が兆倍有意義だ。
「ごめんなさい。個人的な問題に貴方を巻き込んでしまったわね」
控室に通され、二人きりになるなり彼女が謝罪を口にした。
「別に構わないさ」
何があったかは大体想像がつく。
「それよりもハイエルフというのは? 殺人事件を起こしたエルフとは別の種族なのかい?」
「エルフの中の貴族、それがハイエルフよ。魔力に長けたエルフの中でも一際高い魔力を持つのが特徴ね。自然霊の降霊に長けたウッドエルフに、人間とエルフの長所を兼ね備えたハーフエルフ。全てのエルフの祖、ダークエルフ。殺人事件を起こしたエルフは普通のエルフね」
「成る程ね」
大方、あのハイエルフの身内がカトリエルを娶ろうとして、素気無くフラれたといったところだろう。
エルフの中でも最も優れたハイエルフのプライドを酷く傷つけてしまい、逆恨みされたとか。
だが、あのハイエルフの口ぶりからするとカトリエルは、その手の話は数多くあり、そのことごとくを断って来た。
「断られたのは自分達だけじゃない。皆断られている」という安心材料を見つけると、カトリエルに対して「嫌味な女」「行き遅れの石女」「同性愛者」とせせら笑うことで自分や、家のプライドを保っていたのだろう。
だから、今まで何のトラブルにもならず、カトリエルの中でも既に終わった話になっていた。
――ところが、だ。
カトリエルが龍殺しに自分から婚約を申し込んだ。この事実があのハイエルフの怒りを再燃させてしまった。
元々、彼女と仮初めの婚約者になることを同意したのは、あの手の些末な権力者を遮断するためだ。
一人、ああいう手合いが現れたということは次は本人、或いは他家の貴族も現れる可能性がある。
そして、自分にも輿入れの話が数多く舞い込み、対応を誤るとイサドナのような女や家に付きまとわれる羽目になる。
「エルフのことはよく分かった。さっきの女は……心構えが出来たと思っておこう」
「ありがとう。でも、彼女のことを見誤ってしまったわ」
「見誤った?」
問いかけると彼女は自分の隣に座って身を寄せる。
叙勲式用に調合したカリドラムの香水の爽やかな香りが鼻腔を擽る。
「こうして貴方に甘えている姿を見せ付けてやれば、所詮は市井の女か、なんて呆れるなり莫迦にするなりしてくるかと思ったのだけれど……火に油を注いでしまったわね」
あの性格だ。行き遅れているに違いない。
だから、幸せそうな姿を見てカッとなったんだろう。多分。
「ま、精々、仲の良い所を見せ付けてやれば良いさ。余計な茶々を入れてくる馬鹿共もその内消えるだろ」
カトリエルを抱き寄せると同時に控室の扉が開いた。扉を開けたのはイサドナだった。
ノックも無しとはハイエルフの矜持が草場の影で泣いていることだろう。
「邪魔したかね?」
イサドナと一緒に入って来たのは年齢不詳の男性だった。
枯れ木のような今にも折れそうな手足をしているが、その爛々と輝く眼光は衰えを全く感じさせず、生命力に満ち溢れている。
歳は三十代後半から七十代くらい。この範囲内なら何歳でも納得出来そうな風貌だ。
更に特徴的なのは額の王冠に埋められた拳大の宝石三つだ。
胡桃さんのレッドダイヤよりも巨大な宝石が三つ。どれ程の魔術が刻印されているのやら。
――傷入りの宝石……?
見掛け倒しや、財力や権力を誇示する類のものでは無い。敵と相対する為に身に付けられた武具だ。
しかも、相当に使い込まれている。そういった物品特有の味が出ていた。細い身体にも関わらず隙も見えない。
そして相当の使い手だと直感が囁く。
イサナドの気配を感じてカトリエルを抱き寄せ、思いっ切り皮肉ってやろうと思っていたことを忘れる程だ。
「いえ、貴方は?」
自分の問いかけにイサドナがいきり立ち、床を大きく踏み鳴らす。可愛げのない兎か貴様は。
「無知蒙昧な浅学の愚物め! この御方こそソウブルーの偉大なる支配者バーグリフ様にあらせられるぞ!」
「貴方がバーグリフ?」
「無礼者が! 呼び捨てにするな! ソウブルーの偉大なる支配者バーグリフ様だ!」
「はあ、それは失礼しました。ソウブルーの偉大なる支配者バーグリフ様」
「畏怖と敬意が感じられない!! 貴様、ソウブルーの偉大なる支配者バーグリフ様を侮っているのか!?」
敬意は兎も角、畏怖って何だ。畏怖って。そして、こういう手合いは現実でもよく見かける。
咆え癖の治らない小型犬みたく無暗矢鱈に咆えまくる下品な配下のせいで、主の権威が貶められ、結果的に侮られることを何故理解しないのだろうか。
――いや、理解しないが故に小者か。
他人の自分が口にした所で通じる手合いじゃないのは、現実幻想、古今東西何処でも同じだ。
自称忠犬の躾は飼い主様に任せれば良い。
「止めないか。この目出度き日に諍いを起こすなど、ましてや彼は味方だぞ? 味方同士で争い合っても喜ぶのはオライオンや魔人だけだ」
「はっ……」
イサドナを背後に控えさせ、バーグリフ様……。いや、バーグリフが頭を下げた。
「すまないな。余の下僕が随分と貴様達を不快にさせてしまったようだ」
「いえ、お気遣いなく」
「叙勲式の前に当代の龍殺しがどんな人物か見てみたかったのだ」
「そうでしたか。御覧の通り、自分は戦う者ではありません。自分にとって都合の良い条件が揃ったが故の、偶然の勝利です。期待外れで申し訳ありませんが……」
興味を持たれないのも良くないが、興味を持たれ過ぎても鬱陶しい。
役立たずでは無いが、思ってたよりも役に立たないくらいに思われるくらいで丁度良い。
だが、バーグリフは此方を見透かしたような顔で口角を吊り上げた。
「貴様は怖い男だな。龍を殺す程の者が驕らず、分を弁えているというのはとても怖い。敵に回すのがおもしろ……ああ、違う。嫌だと思った者と出会うのは本当に久しぶりだ」
すると背後に控えていたイサドナが剣の柄に手を伸ばして立ち上がろうとして、それをバーグリフが制する。
「止めないか、イサドナ」
「私は間違ったことはしていません!」
それが畏怖と敬意を抱いている奴への態度か。突っ込みたくて仕方が無いが放っておこう。
「敵に回すと怖いという事は味方にすると頼もしいという事だ。是非ともソウブルーのため、帝国のために戦ってもらいたい」
――演出家の狸め。
この男がイサドナのような駄犬を連れ回っている理由がよく分かった。
バーグリフがやっていることは「良い警官と悪い警官」だ。
イサドナが咆えて、バーグリフがそれを窘め、フォローに回ることで良い王様を演出しているに過ぎない。
ソウブルーの指導者に称賛されて浮かれているところを、駄犬に吠えられた謝罪も付け加えて器の大きさを見せ付ける。
そうやって自分に忠実な人間を増やす。
簡単に頭を下げて、俺を褒めたのもその一環だ。
「ええ、自分にとって目下の敵は魔人ですから、帝国に害することは誓ってありません」
ああ、害することだけは無い。それは本当だ。
魔人は殲滅する。魔人の復活は阻止する。そこまでは意思を共有することが出来る。
そこまでなら。そこから先は状況次第だ。
だが、早々に共闘する羽目になろうとは思いも寄らなかった。
「ド、ドラゴンだっ!! 昨日の今日だぞ!! どうなっているんだ!!」
式典の開始直前。控室から会場へと移動している最中のことだった。
「一体、帝国はどうなってしまったんだ!! こんなに立て続けにドラゴンが現れるなんて!!」
「怯むな!! 帝国の兵は!! ソウブルーの兵は決して退かない!!」
イサナドが咆えるが、狂犬の出来損ないが吠えて止まるくらいなら最初から混乱なんて起きていない。
「カトリエル。あのドラゴンは?」
「ただのドラゴンね。通常の対龍戦法で倒せる相手よ」
通常の対龍戦法。魔術師の攻撃で鱗を剥がして、鱗の下の柔らかい肉を戦士達の武器で貫いて殺す。
式典会場には多くの戦士や魔術師がいる。十分に対応出来る戦力が揃っている。
――それでも、ドラゴンを殺すまでに多くの人間が命を落とす。
彼等もそれを理解しているらしく動きが鈍い。
例えば、この会場に百人の兵がいるとしてドラゴンを殺すまでに二十人の被害が出るとしたら?
誰だって、二十人の中には入りたくはないだろう。それが彼等の動きを鈍らせていた。
それに彼等は自分を楽させてくれるつもりは無いらしく、縋るような目で此方を見てくる。
「ちょっと始末してくる」
「スケイルドラゴンに比べたら弱いけど気を付けて」
ドラゴンの相手など二度とやらない。そう決めていた筈だったのに……しかし人間とは矢張り慣れるものらしい。
数日前に始末したスケイルドラゴンに比べたら幾分か身体も小さく、威圧感も知れている。
――多分、何とかなるんじゃないか。
そんな予感めいた自信に従い、真正面からドラゴンに突っ込んでみる。
ドラゴンと言っても所詮は獣だ。さっさと炎を吐くなり、尻尾で叩き潰すなりすれば良いものを態々身体を大きく見せようとしたり、咆哮を轟かせて威嚇を始める。
「一々、様子見が長い」
斬り裂いてくれと言わんばかりに、龍が鼻っ面を突き付けてきた。殺すには良い機会だ。間髪入れずに鷲掴みにして内部を埋め込むように精霊盾を召喚。内部を引き裂き、すぐ様送還すると口腔の輪切りが出来上がった。
「――――――――――――――――――――――――!!!!」
ドラゴンが身悶えしながら鎌首を持ち上げる。
切断面から降り注ぐように溢る鮮血は避ける。式典前にあの悪臭を放つ体液を浴びるのは御免蒙る。
血だまりと攻撃を躱し、更に前進する。
――殺。
奴が上体を持ち上げたことで臓器が詰まっている腹部が露わになる。
ここで必要なのは、力でも、技でも、魔術でも無い。思い切りの良さだけがあれば良い。
――臓物を引きずり出してやる。
押し潰されてしまうかも知れないという恐怖を打ち払い、奴の下腹部に両手を押し当て、体内に精霊剣を都合三十本召喚。柔軟性と頑強さが備わった腹部が鮮血の色に爆ぜ散る。内蔵を弾くのはこれで二度目だ。
精霊剣の送還と同時に大きく飛び退いたのが功を奏し、肉片の散弾を避ける。
「一方的だな」
顔が半分程になったドラゴンが爆ぜた腹部を抱えて、悲鳴と共に地面に倒れ伏す。
潰される前に後ろ足の間から背面に飛び込み、転倒範囲から逃れるついでに尻尾と右足を刎ね飛ばす。
奴がバランスを崩して横向きに倒れる。
受け身も取れず、叩き付けられるように地面に倒れたドラゴンの背中に回り、二枚羽を根元から切断する。
「これでブレスは吐けない。尻尾による範囲攻撃も出来ない。翼を使って空から逃げることも出来ない」
流石の龍も虫の息だ。 後二匹か三匹も殺ればもう少し効率よく戦えるようになるはずだ。
「今日の主賓は自分じゃなかったのか? 客に戦わせるなよ、あの連中」
「貴方がドラゴンに密着してばかりいるから援護が出来なかったのよ」
ぼやいているといつの間にか自分の傍らにカトリエルが立っていた。
「それじゃあ、トドメ刺すのは彼等に任せようか」
ドラゴンの一番の脅威はその巨大な身体だ。
半死半生の体で苦しんでいるとは言え、あの巨大な身体がもがき回っていては迂闊に近付けない。
戦闘能力の有無に関わらずあの巨体だ。下手に押し潰されでもしたら圧死は免れない。
「放っておいても死ぬとは思うが……」
敵意も殺気も無く、痛みでのた打ち回っている今だからこそ、却って接近が困難になっている。
後始末が面倒なので魔術師たちに任せることにした。
「獲物を甚振るだけ甚振って、仕留めないのは狩猟者の理に反するんじゃないかなぁ?」
式典会場に好青年然とした穏やかな声が響いた。
決して大きな声では無い。
普通に会話する程度の声だ。
それにも関わらず、式典会場全体に声が響き、誰もがその声の主を探している。
「折角、君のために用意してあげたのに」
「ドラゴンの上だ!!」
バーグリフが叫ぶ。声の主と思われる者が足を組んで龍の上に座っている。
ダークレッドとブラックのツートンカラーのタキシードに身を包んだ青年がいた。
おかっぱの銀髪に血のように紅い双眸。病的な程に白い肌。歳は自分より少し若いくらいだろうか
「今、俺のために用意したって言ったな? まるで龍を操っているみたいな言い方だな?」
そんな能力を持つ、出鱈目な奴、俺は一人だけしか知らない。俺だけに限った話ではない。
バーグリフが、イサドナが、衛兵が、魔術師達が、そして、カトリエルが。会場の中にいる者全てが警戒心を露わにする。
「あ、やっぱり分かっちゃう? 僕って有名だからねぇ!」
銀髪の青年は意気揚々と立ち上がり両手を広げた。
「そうさ! 僕がルカビアンの十九魔人の一柱! 魔人ライゼファーだ!」
絶望してる奴等が何人か混ざっているようだが、此方にしてみれば探す手間が省けて何よりだ。
二度と復活出来ないように殺してやる。
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