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鬼ごっこと闇の中

 男は、日が沈む方角に一本道を歩いていた。

 その道を西に向かうと、右手には低い山があり、左手には田園が広がっている。

 世界の果てに日が沈み、夜になる前の時間……たそがれの時。

「ここは何処だったけ? なんとなく見覚えがあるんだけどな」

 首をかしげながら一人つぶやく。空を見上げ星を一つ見つけると語りかける様にまたぶつやいた。

「誰に会ったんだろうね……別れが惜しかった気がするけど。理不尽な別れだった……? 理不尽? 思い出せない」

 ただ続く長い道を歩きながら、目を強く瞑り口角を上げた表情を作ると、右手を空に向かって差し出した。

 その手は空で一番輝いている星に向けられた。

「届くわけはないか……」

 次に細い月に向けられた。

「届かない……彼女にまた会えるだろうか?」

 月に延ばした自分の手を、今度は自分に向けるとそれを見る目に困惑が浮かぶ。

「彼女? 彼女って……誰だ?」

 月にもう一度その手を向けようとした時、後ろから近づく足音に気付いた。

 目を細めて自分との距離を音から把握する。

 距離はまだ大分離れているが、その音は男との距離を急速に縮めていた。

「なんだ? ずいぶん急いでるみたいだけど」

 男は振り返り足音の主を見た……。

 ソレは走っていた。地面を踏みしめる力は強く、地を揺らすような音を立てていた。

「え? なんだよあれ! ヤバイだろあれは!!」

 足音の主を形容する言葉は鬼だった。遠目から見えるその鬼は、赤い肌をしていて身の丈は三メートルを越えていた。裸の上半身は筋骨逞しく、そこに宿る力は容易に人を引きちぎる。

 幸いなことに距離は、まだ大分離れている。

「この距離でここまで届く足音……追い着かれたら終わりだな」

 まだまだ距離があるので冷静になって状況を分析すると、適切な行動に出た。

 鬼を背にし、日の沈んだ西に向かって走り始めた。

「あれ、鬼だよなぁ……ふぁ、はぁ、はぁ」

 走りながら振り返り、足音の主を確認する。巨体に似合わぬ速さで走る鬼は確実に距離を縮める。

「このペースだと……はぁ、追い着かれるな……はぁ、はぁ、でも、これ以上のペースだと長く走れない」

 確実に距離を縮められながらも、逃げ切る手段を考える。しかし、この道は何処までも続いていて終わらない。

 終わりを目指して走る男の目に赤い鳥居が映る。

「鳥居? 今まで何も無かったのに……はぁ、はぁ、あそこから山に逃げ込めるか?」

 走る速さを上げて鬼との距離を少し稼ぐ。鳥居をくぐる時、方向を変えるために速度が落ちるからだ。

「誰かいる?」

 鳥居の向こうの石段に座る人影に気付くと更に速度を上げて走る。

 鬼は変わらぬペースで走っている。ひょっとしたら、ただマラソンしているだけなのかもしれない。

 男は鳥居までたどり着いたが、止まりきれずに地面の土を滑りながら削った。

 そんな男を見て、石段に座っている人影は楽しそうな声を響かせた。

「あは! どうしたんですかそんなに急いで? おっと、そうそう……たそがれ時に誰ですかあなたは?」

 のんびりとした表情で手を打つと、彼女は”いつもの”問いかけをした。

 男はその何か期待するような目を見て一瞬の間、状況を忘れた。

「君は……」

 しかし、近づく足音に気付くと。すぐさま座る彼女の左手を右手で掴み、山へと続く石段を駆け上がる。

「わ、わ! そんなに急いだら転んじゃいます!」

「鬼が来るんだ! 逃げないと!」

「鬼は怖いね」

 鬼がもうすぐ鳥居までたどり着く。

 男は鬼がそのまま走り過ぎてしまうことを期待した。しかし、鬼は鳥居の前で止まり、駆け上がる二人を見上げた。

「なぁ、この上に何があるんだ? 隠れる場所はあるか?」

「古いお社があるだけだよ。隠れる場所は……ないなぁ」

 こんな時なのに彼女はニコニコ楽しそうな表情をしている。

 鳥居を前にした鬼はしばらく佇んでいた。

「あの鬼、ひょっとして鳥居をくぐれないのか?」

 淡い期待を込めて言葉にする。

「あの鳥居は誰も拒まないよ?」

「……そうか」

 期待をやんわり砕かれて再び逃げ延びる手段を考えながら、残り十段もない石段を彼女の手を引いて駆ける。

 鬼は二人の姿が見えなくなってから鳥居をくぐり、石段を上り始めた。


 変わり映えのしない道を歩いてきた男には、そこはとても見晴らしがよく感じた。しかし、何処までも続く田園と道は変わらないように映った。

 彼らが登ってきた石段の方から、重量感のある足音が聞こえてくる。

「やっぱり上ってくるか」

 焦りを含ませる声と共に社と周りの木々に、せわしなく視線を向ける。

「手を繋ぐのいいよね! このまま何処までも行きたいな!」

「そんな場合じゃないだろ」

 彼女の手前、息が上がっているのを隠しつつ社まで歩く。

「あ! ねぇ……」

「なんだ?」

「私のこと覚えてる?」

 その問いを受け、改めて彼女の顔を見る。

「……見覚えはある気がする。君は俺を知っているんだな」

「さぁ、どうでしょう?」

「知ってるから聞いたんだろ?」

「えへへ、そうだね!」

 ニコニコ笑う彼女を見ていると鬼に追われている状況が遊びに見えてくる。

 男は社の戸を開けると奥へ進んだ。そこには棚があり弓が一つと矢が一つあった。

「こんな物であの鬼を倒せるだろうか?」

 男が手を伸ばして取ろうとすると、先に彼女があいている左手で弓を取った。

「私が射るよ」

 先ほどまでとは違う凛とした声だった。

「そうか……任せる」

 意外な声質に驚き自然にそう言っていた。

 繋いだ手を離し、慣れた手つきで右手に矢を取る。

 男はその変わりようを言葉無く見つめていた。

 外に出ると石段の方角に向かって彼女は弓を引く。その姿は、彼女の容姿に似合わぬ威厳を纏っていた。武具を構えているのに殺気は全くない。しかし、彼女が放つ矢は確実に相手を仕留めるだろう。

 足音はもうそこまで来ていて、鬼の頭の先が見えた。

「来た……」

 男は彼女を信じつつも、不安だった。矢は一本しかないのだ。「あは! 外れちゃった!」と言う”いつもの”彼女が頭に浮かんだ。

 鬼は石段を一段上るごとにその姿を現してくる。

 そしてついに鬼は石段を上りきり、ゆっくり二人のほうへ近づき始める。自分に対して弓を引く彼女に恐れることなく……。

「ごめんね……」

 彼女が小さくその言葉を漏らすと、矢は彼女の右手から逃れ、弦の力で放たれた。

 矢は空気を穿ち鬼に迫る。矢の向かう先は鬼の心臓……一瞬の後に、矢は空の向こうへ飛び去った。しかし、貫いたようには見えなかった。矢が鬼の体に届くと、水面を矢が射抜いたように揺らぎ、波紋となって広がったのだ。

「やったのか?」

「うん……」

 彼女は浮かない顔で答えた。

 鬼はゆっくり膝をつくと、霧が晴れるようにその姿を消した。

「あの鬼は幻だったのか?」

「どうでしょうね……でも、あの鬼は確かにいましたよ」

 彼女は浮かない顔に哀しそうな微笑を浮かべていた。

「どうしてそんな顔をする?」

「さぁ?」

「あの鬼は死んだのか?」

「……消えましたね」

「……死んだってことか?」

「かえっただけですよ…………それより私のこと思い出せた?」

 いったん目を瞑って下を向き、上げた顔は弓を手に取る前の表情に戻っていた。それを見て男も表情を和らげた。

「すまないな……思い出せない」

 男は正直に答えた。しかし、記憶のどこかに確かに彼女の存在はある。

「じゃあ、自分の名前は覚えてる?」

「……俺は誰だ? あ! 前に同じこと聞かなかったか?」

 その問いに嬉しそうに首を縦に振る。

「今までに何度も…………ああ残念、今回も時間切れみたい」

 男の耳に砂の擦れるような音が届いた。そして世界が落ちて行くが目に入る。

「この光景……見たことがある!」

 そういい終わった時には世界の中心にそれは及び、彼女を残し世界は男と共に暗い闇へと落ちて行く。

「また会いましょう!」

 男は何も言わず彼女の目を見つめ続けながら暗い闇へと消えた。

 世界のすべては暗い闇へと落ちていく。

 光さえも遠ざかり、彼女の姿も闇に塗りつぶされた。


 私はいる……私は孤独です。

 孤独になるのではなく、私が孤独です。

 人は孤独にはなれません、私がいる限りそんなことはありえないのです。

 あなたが一人でいても、私という孤独はいつも側にいます。

 私はあなたを決して孤独にはさせません。

 孤独は私だけで十分です。

 願わくば、どうか私の存在を許してください。

 人はよく……私の存在を感じると逃げてしまいます。

 私はただ……あなたの力になりたいだけなのです。

 必要が無ければ邪魔にならないように消えていますので……。

 でも、もし私を見つけたなら優しい微笑みをください。

 どうか私をお救いください。

 あなたの孤独を救えるのは、あなただけです。

 次に会うとき、あなたは私を思い出せるだろうか?

 私を理解してくださるあなたの優しい微笑みが欲しいのです。

 また、あなたに問おう。”たそがれ時に誰ですかあなたは?”と。

 さて、またあなたと会う夢が訪れるのを待とう。

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