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secondary damage~令嬢スイーツ刑事の真実探求は、私に沼る乙男上司といつだってビターdeスイートですのよ!~  作者: 琴音七色


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第8章『現場』2.七色の光を放つ山岳救助犬

【前回までのあらすじ】

バディを組んだ初日に、先輩刑事・谷原が刺傷・拉致されるという最悪の事態に直面した愛美。現場に残された血痕とわずかな目撃情報を頼りに、彼女は本部の制止を振り切り、猛吹雪の磐梯山へと突き進む。山頂の小屋で谷原を発見したのも束の間、そこには冷酷な被疑者の影が潜んでいた。退路を断たれ、モービルも破壊された絶望的な状況下で、愛美は負傷したバディを救い出し、生きて下山することができるのか? そして、絶望の雪山に灯る「七色の光」の正体とは――。

挿絵(By みてみん)


【認知時刻:14:54 / 捜査員襲撃事案・初動捜査開始】

【現場臨場員:二階堂 愛美 巡査部長 / 谷原 凌 警部補】



本庁のシステムにその冷徹なタイムスタンプが刻まれ、

警告音が鳴り響いたのは、谷原の襲撃疑惑が発覚して、

愛美が本部の指示を無視して現場へと駆け出した、

まさにその瞬間のことであった。

佳祐の指示に従えなかったのも分からなくはない。

谷原を待っている間に、彼女は

館内放送から流れてくるアナウンスを耳にしていたからであった。



「館内およびゲレンデの皆さまに、非常に重要なお知らせです。

 天候の大荒れが予想されるため、

 本日の営業はすべて終了とさせていただきます。

 麓の初心者ゲレンデ、および幼児・お子様用の

 『そりエリア・キッズスペース』を含め、

 屋外のすべての施設をただちに閉鎖いたします。


 建物の目の前であっても、吹雪により

 一瞬で視界がなくなるホワイトアウトの恐れがあり、大変危険です。

 お子様連れのお客様は、今すぐお子様の手を引き、

 宿泊施設へお入りください。


 なお、本日予定しておりました『夜間の滑走』についても、

 安全確保のため完全に中止といたします。


 これより全エリアの安全確認を行いますので、

 どなた様も屋外には出ず、暖かい館内にて

 安全にお過ごしください。繰り返します――」




このアナウンスもあり、11月の山は日没が早いことと

吹雪によるホワイトアウトの脅威を知っていたのだ。


また、このスキー場の常連客でもあり、

この雪山を把握している彼女だからこそ、

このままでは谷原の捜索に支障をきたすと想定ができた。


一刻を争う事態への最善の選択であることは言うまでもない。


本部の指示や地元警察の応援を待っていては

谷原の命に関わると直感に従った結果であった。



15:20、

愛美は猛ダッシュで再度ゲレンデに戻り、

スキー場の客が順々に滑り降りてくる中、

声をかけて聞き込みを開始した。



「恐れ入ります! 突然失礼いたします、 警察の者です!」



少しずつ雪が顔を吹き付ける勢いが増していく中、

愛美は下山してきたスキーヤーたちを必死に引き止めた。


令嬢としてのおしとやかな振る舞いをかなぐり捨て、

その表情は真剣そのものだった。

 

「この男性を 探しているのですが、見かけませんでしたか?

 あと、このバラクラバの男性も。

 あと、スノーモービルが走り去るのを見ませんでしたか?」


挿絵(By みてみん)


スマホの画面に示された谷原の写真を、

若い男性グループが覗き込む。


挿絵(By みてみん)


「あっ、 スノーモービルなら……

 さっき利用停止中の上級コースに向かって

 上がっていくのを見ましたよ」


スノーボーダーの一人が、不思議そうな顔で首を傾げた。


「こんな吹雪なのに中止のアナウンスを無視して登っていくから、

 変だなと思って。2人乗りだったから、てっきり

 パトロールの救助か何かだと思ったんですけど……違うんですか?」



「……!」



2人乗り。

その言葉を聞いた瞬間、愛美は

体の軸をギュッと締め付けられるような感覚に襲われた。


そして、

血痕が見つかった出入口の死角にあったスノーモービルの

真新しい“キャタピラー痕”が頭をよぎった。



〈谷先輩はまだ、あのスノーモービルの上にいる〉



今度はゲレンデから再びフロントへ猛ダッシュで戻り、

預けていたリュックの回収と一緒に

ゴーグルやダウンジャケットを借りた。


挿絵(By みてみん)


「すみません、リュックを受け取りに来ました。

 あと、ゴーグルとダウンをレンタルしたいのですが」


「誠に申し訳ございません。あいにくの天候でして、

 これから夜間にかけての滑走は危険ですので、

 中止とさせていただきます」


「(警察手帳を見せて)けが人が利用停止の上級コースに

 連れていかれたという目撃情報がありまして。

 事件に巻き込まれている可能性もあり、

 一刻も早く現場に駆け付けたいのです。 責任は私が取りますので。

 あの、スノーモービルもお借りしたいです」


「はっ、はい。あっ、二階堂様ですよね?」


「あ、そうです。ご無沙汰しております」


「では、スノーモービルの説明も不要ですね!

 ダウンジャケットのサイズはどういたしましょう?」


「私より高めで男性用を一着お願いいたします」


「承知致しました。

 ゴーグル等は二階堂様のサイズでよろしいですね。

 では、こちらをどうぞ。

 今、スノーモービルのガレージまでご案内致します。

 救助用でよろしいですか?」


「はい、ありがとうございます。助かります!」



愛美は気づいた。



「あっ、(主任との通話)かけ直すの忘れてた……」



その頃、本部の佳祐や中下はというと、

愛美の社用端末が切られたまま連絡も途絶えたままであったが、

今朝一番で中下に頼みに来た愛美が装備していった

ピアス型カメラが起動中だったため、そちらで現状把握していた。



「みのさん、俺、現場行きます」


「承知しました」



次の瞬間、中下のデスクの上で、

システムとは明らかに違う、鋭い電子音の着信音が鳴り響いた。


画面に表示されているのは、

名前ではなく暗号化された臨時の通信番号。


中下はキーボードから手を離すと、

いつもの気のいいデジおじの表情を一瞬で消し去り、

その端末を耳に当てた。



「……中下です」


事態を知った愛美の父親の慶一からの連絡であった。


挿絵(By みてみん)


中下は受話器の向こうから聞こえる慶一の声を

二言、三言、無言で聞いた。


すると、こちらの会話が向こうへ漏れないよう、

スマホの送話口を手のひらで強く塞いだ。


そして、いつもの気のいいデジおじの表情に、

ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべ、

隣の主任に私物スマホを突き出した。



「愛美の御父上からです、御覚悟を……」


「はっ。では、私の介錯をお願いします」


「御意!」


「はい、捜査一課、神谷です」


「私だ。中下から手短に状況は聞いている。

 娘が吹雪の雪山へ入ったな」


「はい、私も今から郡山へ急行します」


「うん、ただ 新幹線では間に合わん。

 今すぐ身一つで庁舎の屋上ヘリポートへ向かえ。

 私が手配した民間のシェアヘリを、公安のプロトコルで

 警視庁の屋上にタッチアンドゴーさせる。

 ……神谷主任、娘を頼んだぞ。

 これ以上、はちゃめちゃに動き回らぬよう、

 力ずくでも止めて2人を無事に連れて帰ってこい」


「了解しました……必ず、連れ戻します!」


「うん。一課の係長にも話はつけておいた。

 日没まであと1時間だ、急げ! 中下に替わってくれ」


「はいっ、ありがとうございます。替わります」



佳祐が中下にスマホを返した。中下が再び慶一と話し出した。

既に次の画面を起動させており、鋭い目で主任を見た。



「主任、ヘリのルート承認のログ、今こっちで確認しました。

 屋上の誘導灯、点灯させます。行ってください!」


「すみません、みのさん。後を頼みます!

 あと、俺の端末にもピアス型のカメラ映像送ってもらえますか?」


「了解です!

 主任が現地に着くまでに向こうでサポート出来る者を手配します。

 着陸場所が決まったらご連絡を」


「はい、ありがとうございます!」


「主任! 追加で端末とバッテリーを。あと、これを愛美に……」


「……これは?」


「エネルギー補給です!」


「抜かりないっすね~、了解です! 行ってきます」


「お気を付けて」


挿絵(By みてみん)


愛美が中下に連絡をしてきた。


「みのさん、主任に繋がらなくなりました……」


「うん。今、空だからな!」


「空?」


「ヘリでそっち向かったぞ!」


「そうなんですね。あの、みのさん、

 このピアス型カメラってどれくらい持ちますか?」


「4~5時間だな。あと1時間がリミットだろ?」


「ですね……。

 じゃ、この端末と私用端末、追っててもらえますか?」


「おお。聞き込みの成果は?」


「はい、スキー場のお客さんの目撃情報なんですが、

 利用停止中の上級コースに

 2人乗りのスノーモービルを見かけたそうで、

 1人が谷先輩で間違いなさそうです。

 早くしないと日没と吹雪きで捜索が難航します。

 あの、私……行きます!」


「ん~ん、命最優先だ、いいな!」


「はい、了解です!」



愛美との通信を繋いだままにして、

中下はインカムのスイッチを慣れた手つきで切り替えた。


彼の目はすでに「気のいいデジおじ」のものではない。

先を予測する元公安の冷徹な司令塔だ。


中下は、本庁の別フロアにある

【捜査二課】の直通回線を呼び出した。


呼び出し音が一度鳴っただけで、相手が出た。


「はい、二課の沢口です。……あ、中下先輩?」


「仕事だ、……緊急だぞ、一課の襲撃事案。

 今からスキー場の3Dマップと、ローカルアメダスの気象ログを

 そっちのシステムに流す」



中下は眼鏡のブリッジに指を当てて押し上げ、

リズミカルにキーボードを叩いた。



「え……? 事案発生、確認しました。……っ、二階堂さんが!?」


「おお、二階堂慶一監察官の娘の愛美が吹雪いてる磐梯山に

 パトロール用モービルで一課の谷原の捜索に今から向かう。

 日没まで残り50分だ。

 もし、谷原が負傷していた場合は救助を兼ねての下山になる。

 星空リゾート磐梯山の上級コースからの下山の距離と時間、

 それとルート上の障害物や迂回ルート等を把握してくれ。

 あ~、それから手が空いたところでこっちに来てくれるか?」


「――っ、了解です。

 急ぎでデータをそっちに同期させて、すぐ向かいます!」


「頼む!」



スキー場では、施設の従業員と共に

愛美がパトロール車両のガレージへと向かっていた。



「本当に刑事になられていたんですね!

 さぁ、こちらです。パトロール用の特別仕様なんですが、

 二階堂様がいつもプライベートで乗られているものと同じ

 800㏄のハイパワーモデルです! 癖は分かってますよね?」


「あっ、はい! 同じ型で助かります」


「二階堂様……、これを持っていってください!」



従業員がそう言って愛美の襟もとに

クリップ型LEDライトを挟んでつけてあげた。



「ライト?」


「ハンズフリーですし、

 モービルのハンドルも両手でしっかり握れますので」


「何から何まで、本当にありがとうございます!」


「いえいえ、どうぞお気を付けて!」


「はい、行ってきます!」


 

15:40、

事案発生からわずか40分後。愛美はスノーモービルにまたがり、

従業員から受け取った鍵を刺してエンジンをかけた。


背中には響子に準備してもらったリュックサックを背負い、

ドイツ製のクロシェハットの上からゴーグルを被る。


首から下げたスマホホルダーは、

コートのウエストベルトに深く差し込んで固定した。

GoProほどの強力な手ブレ補正は期待できなくとも、

少しでも中継のブレを抑えたかった。


始まりかけた吹雪が顔を叩く中、彼女はゴーグルを顔まで下げた。


アクセルを握り込むと、

キャタピラーが11月の重い雪をバリバリと引き裂く。

ダイナミックな振動とエンジン音を響かせ、

重力に負けないよう体を前のめりにして、白銀の斜面を駆け上がった。



――先輩、今行きますっ!


挿絵(By みてみん)


社用端末の向こうで、

二課の沢口が愛美の登坂ルートのトラッキングを開始した。



「中下さん……出せました。風向・風速データから割り出す

 モービルの『風の死角ルート』、

 それから、神谷主任のヘリの着陸ポイントも併せて、

 そちらのそちらのメインモニターに 同期させます!」


「助かる。頼んだぞ」


挿絵(By みてみん)


沢口が画面を凝視する横で、中下は

防犯カメラの映像を限界まで巻き戻し、

谷原が襲撃された瞬間のタイムスタンプを睨みつけていた。


愛美からの通報の、わずか数分前。

刺された箇所は太ももの外側――急所の大腿動脈は外れている。


(止血さえできれば、谷原の命は持つ。だが、この吹雪だ。

 山頂の寒さで出血が止まっても、次は低体温症でショック死する)


そこからの中下の動きは、元公安の恐ろしさを物語っていた。

彼は愛美との通信回線を維持したまま、手元の私用端末で、

地元の福島県警、さらには災害医療センターへ同時に

超法規的な割り込み連絡を入れ始める。


「一課の中下です。星空リゾート磐梯山の上級コース山頂で、

 刃物による刺傷事案および拉致事件が発生。

 要救助者は一課の捜査員。神谷主任が降りる麓のヘリポートに、

 ドクターカーを16:10ジャストに待機させてください。

 ……それから、地元自治体が持っているキャタピラー式の

 密閉型特殊救助車を、今すぐスキー場へ 緊急発車させてください。

 徴用令状は後で私が書きます」


さらに中下は、パソコンの画面に磐梯山の広域マップを叩き出す。


「沢口くん、犯人がスノーモービルを使ったのは、

 山頂の『向こう側』の林道へ抜けて逃げる気だからだ。

 山の裏側の登山口、今すぐ地元のパトカーで完全封鎖させてくれ」


「了解です」


 

15:55、

佳祐の乗るヘリが道の駅猪苗代のヘリポートに到着。


挿絵(By みてみん)


操縦士に礼を伝えてドアを開けて飛び降り、

吹き付ける雪を遮りながら、

待機している郡山署の4WD警察車両へと猛ダッシュした。


「一課の神谷主任ですね? こちらです、後部座席へ」


「あ、どうも」


「郡山署の八木です。助手席は部下の佐々木です。

 中下さんから全てお聞きしております!

 そこに防寒着など一式揃えてありますので、先ずはお着替えを」


「はい、色々とありがとうございます」


「いえ。現場へは通常15分の距離ですが、

(鳴らして行きますので)約10分で着きます!」


「お願いします!」


 

佳祐が用意されていた防寒着へと着替えを始めた。

助手席の佐々木が、

ダッシュボードの通信機から中下の声をスピーカーに切り替えた。



「主任、着替えながら聞いてください!

 愛美の現在地を沢口がトラッキング中。

 今、愛美は山頂に向かって走行中!」



後部座席の佳祐は、

シートベルトを外してスーツを脱ぎ捨てながら聞き返した。



「谷原の状況は!?」


「まだ分かりません。ここから主任の端末と愛美の端末繋ぎます」


「お願いします!」



佐々木が、

中下から転送されてくる愛美のライブ映像(激しく揺れる吹雪の画面)

の端末を後部座席にいる佳祐へと向けた。


雪しぶきを上げて

愛美のスノーモービルが山頂の白銀の雪上に滑り込んだ。


挿絵(By みてみん)


そこには、

雪に埋もれかけた“もう一台のモービル”がライトを消して佇んでいた。



「……まだ(被疑者が)いるのかも? みのさん、どうしますか?」



小屋から一旦離れて指示を仰いだ愛美の声が、

車内のスピーカーから響いた。


佳祐は

支給された黒いタクティカルウェアのジッパーを力強く引き上げながら、

手元の端末を睨みつけた。

画面には、猛吹雪の中に佇む山小屋と、

被疑者のスノーモービルが映っている。


挿絵(By みてみん)


実は佳祐は、あの退屈だったヘリの機内からずっと、

ひとつの強烈な違和感に囚われていた。


(たかがスキー場の出店オーナーが、警察官を襲撃して、

 わざわざスノーモービルまで出して、

 山頂へ拉致するなんて大それた真似をするか?

 動機も、手際も、あまりにプロすぎる。

 ……この事件の裏には、何か別の巨大な組織がいるんじゃないか?)


挿絵(By みてみん)


その直感が、佳祐の胸を締め付けていた。

もし裏にプロの犯罪組織がいるなら、

山小屋に向かった愛美の身に何が起こるか分からない。


本音を言えば、今すぐにでも「そこを動くな」と怒鳴りつけ、

自分の手で彼女を安全な場所へ連れ戻したかった。


いつの間にか自分の中で、

二階堂愛美という存在が、

単なる部下以上の特別なものになっていることに気づいていたからだ。


だが、目の前には、命の危険がある谷原の危機がある。

私情で捜査を止めることなど、一課の刑事として絶対に許されない。


佳祐は、歯をくいしばって耐え、胸の葛藤を無理やり抑え込むと、

愛美に向かって声を絞り出した。



――ザザッ……ピピッ!



『愛美、俺だっ!』


『はっ、主任……!?  繋がったんですね!?』


挿絵(By みてみん)


「うん。今、スキー場に向かってる車内だ。……愛美、

 被疑者がまだ潜んでいるかもしれない。警棒持ってるか?」


「はいっ! あります」


「うん。本来なら俺が着くまで待機させたいが、谷原が一刻を争う。

 (ふーっと息を吐いて)愛美の能力を信じる。

 警察官として、谷さんを救い出してくれ」


「了解しました」


「ただし、絶対に無理はするなよ。

 被疑者は……ただのラーメン屋じゃない、

 おそらく頭の切れるプロだ。

 愛美が突入するのを死角で待っている可能性もある。

 まずは小屋の裏手を確認して、背後を警戒しながら慎重に。

 絶対に無茶な交戦はするなよ!

 現場に俺ももう直ぐ着く、……気を付けろよ」


「はい。では、小屋の前に戻ります」



そして、佳祐は社用スマホのトークアプリで

中下にメッセージを送った。



――みのさん、出店届の店主データと

現行の口座・登記簿を再照合してください。

防カメの歩容データと手口の割り出しも急ぎで。何かがおかしい――


愛美が小屋の周辺確認を始める。


挿絵(By みてみん)


緊張に震える彼女の声を聞いて、

佳祐は険しい顔で手元の端末を見つめながら、

彼女が警察学校を首席で卒業し、

過酷な訓練を耐え抜いてきた『黒帯の持ち主』であることを

頭の中で復唱した。


今、現場で谷原を救えるのは愛美だけなのだ。


「二階堂、これより小屋周辺の確認に回ります」


愛美の凛とした声が、

猛吹雪のノイズに混じって通信回線へ吹き込まれた。


すかさず、東京の本庁から二課の沢口の鋭い声が重なる。


「位置情報、完全に捕捉!

 これよりナビゲートを開始します。

 ――二階堂さん、トラッキング画面はロックしています!

 遮蔽物の死角に気をつけて!」


「はいっ……」



車内の佳祐が画面を凝視して、声を掛ける。


「愛美、背後を突かれるなよ」


「はい!」


挿絵(By みてみん)


脇から小屋の奥へと回った愛美だが、

被疑者の姿は確認できなかった。

視界を遮るものは、激しく吹き付ける白銀の壁だけ。

ひっそりと佇む山小屋の周囲には、

人影も、息遣いすらも存在しないように見えた。

被疑者はすでに、この場所を立ち去ったのだろうか。


――だとしたら、谷原先輩はまだ、この小屋の中に。


愛美は一瞬だけ安堵し、

そして張り詰める焦燥感を胸に、山小屋の入口へと向かった。


その時……


――ガシャン! ガシャン! ガシャン!

  バリバリバリバリッ……!!!


突如として猛吹雪の白闇を切り裂いたのは、

爆発的な金属音と、雪を猛烈に弾き飛ばす駆動音。

それは、スノーモービルのエンジン音だった。



「はっ……!(モービルの音?)」


 

愛美は気づいた。姿が見えなかったのではない。

あの男は、最初からここにいたのだ。


息を殺して愛美の動きを盗み見ていた被疑者が、

彼女が裏手へ向かった一瞬の隙を突いて、

スノーモービルへと飛び乗った。


しかも、愛美が乗ってきたスノーモービルへと飛び乗ったのだ。

自分が乗ってきた方のスノーモービルは、

愛美たちが追って来られないように

エンジン部分を破壊して、足止めまでしていた。


「主任、モービルの音です。見に行きます」


「気を付けろ……」


挿絵(By みてみん)


小刻みの浅い呼吸をしながら、

愛美は裏手の入口から全力で小屋の表へと急いだ。


すると、そこには被疑者を乗せて猛吹雪の斜面を滑り降りていく

愛美のモービルの遠いテールランプと、

エンジン部分を無残に壊されて残された、

被疑者のスノーモービルだけがあった。


「壊された……(私たちの足がなくなった……)」


挿絵(By みてみん)


激しい絶望が愛美を襲った、まさにその瞬間。

スキー場から数百キロ離れた東京・霞が関

――【警察庁】の重厚な会議室の大型スクリーンにも、

まったく同じ、吹雪の中に佇む壊れた

スノーモービルの映像が映し出されていた。


部屋の明かりを落とし、画面を睨みつけているのは、

スーツを完璧に着こなした数人の国家公務員エリートたち。

その中心で、二階堂慶一は微動だにせず、

デスクの上で右手を左手で包み、強く握りしめていた。


中下が本庁から極秘にバイパス(回線共有)して送り続けている、

娘の命がけのライブ映像だ。



「おい、愛美! 立ち止まって絶望してる暇はないぞ!」



スピーカーから、走行中の車内から叫ぶ佳祐の怒号が響く。



「足がなけりゃ、谷を背負ってでも歩いて下りるんだ!

 愛美が今すべきなのは、目の前のドアを開けて、

 バディの谷の無事を確認することだろ!」


「はっ、はい!」


佳祐のいつにない感情的な声掛けで、

愛美は取り乱した様子から一転して、我を取り戻した。

その様子を見ていた警察庁の会議室の幹部が、ぽつりと呟いた。


「……一課の神谷主任ですか。大事な一人娘をこんな目に遭わせて。

 二階堂さん、今すぐ作戦を中止させて特殊部隊を――」


「いや、待て」


慶一が低く、威厳のある声でそれを遮った。

その目は、娘のガッツと、彼女の背中を支える佳祐の言葉を、

プロの警察官として信じようとしていた。


(……神谷の言う通りだ。愛美、目の前の任務に集中しろ)


挿絵(By みてみん)


覚悟を決めた愛美の声とともに、

画面の映像は小屋のドアの前へと近づいていく様子を映し出した。


「二階堂です、小屋内へ入りますっ!」


挿絵(By みてみん)


15:58、

愛美が息を整えながら小屋内への突入を伝えた。


「油断するな!」


「はい。中に入りました、進みます!

 ん? 血痕だ……。手前、異常無し。奥へ進みます」


微かな物音、いや、

微かなうめき声にもとれる声がする方へ一歩ずつ、愛美は進んだ。


挿絵(By みてみん)


――その時、ライトの光が、部屋の奥の惨状を白く浮かび上がらせた。


挿絵(By みてみん)


「はっ、先輩! 大丈夫ですか? ……今、手錠外しますね」


すると、そこには

……暖炉のバーに手錠で繋がれ、ぐったりと横たわる谷原の姿があった。


挿絵(By みてみん)


「――主任、みのさん! 谷先輩を発見しました!

 生きてます、意識あります!

 でも、太ももを激しく負傷していて……っ。

 今から手錠を外して、救護に当たります!」


挿絵(By みてみん)


愛美の必死の報告が、通信回線を突き抜けた。


本庁の作戦室では、中下が「よしっっ!」とデスクを激しく叩き、

隣の沢口と顔を見合わせる。


走行中の車内で画面を睨みつけていた佳祐も、

深く、大きな安堵の息を吐き出した。


挿絵(By みてみん)


同時刻、東京・霞が関の【警察庁】会議室。

大型モニターを見つめていた数人の幹部たちが

「おお……」と歓声をあげる中、

中心に立つ二階堂慶一は、腕組みをしたまま、

愛おしそうに薄っすらと笑みをこぼして静かに頷いた。

娘の警察官としてのガッツを、父親として、

そして上層部として完全に認めた瞬間だった。



――しかし、誰もまだ気づいていなかった。



画面の向こう、山小屋の奥で愛美が谷原の手錠を外し、

借りてきた男性用ダウンジャケットを着せて止血を終えた、

まさにその瞬間のことである。



ブォォォォォンッ……!!!



開きっぱなしのドアの向こう、猛吹雪の白闇から、

一度は去っていったはずの、あの重低音が再び轟いた。


山頂へと引き返してくる、スノーモービルの爆音。


「――んっ、……!?」


愛美がハッとして振り返り、冷たい風が吹き込む入口を見つめた。

その瞬間、スマホのスピーカーから、

鼓膜を破らんばかりの佳祐の怒号が飛び出してきた。


八木にサイレンを消させ、

車内で愛美の音声を限界まで大きくして凝視していた佳祐は、

その駆動音の『異変』を瞬時に見抜いていたのだ。


「愛美! 構えろ、やつだ! 逃げたと見せかけて、

 お前たちが油断して背を向けた瞬間を狙って戻ってきたんだ!!

 武器を構えろ!!」


「え……っ!?」


挿絵(By みてみん)


佳祐の血を吐くような絶叫が、山小屋に響いた次の瞬間、

東京・霞が関の【警察庁】会議室の空気は一変した。

さきほどまで薄っすらと笑みをこぼしていた上層部たちの顔から

一瞬で血の気が引き、

会議室は凍りついたような静寂と、剥き出しのパニックに包まれた。


二階堂慶一は腕を組んだまま、目を見開いて大型スクリーンを凝視し、

机を拳で激しく叩きつけた。


ライトの光の先、雪煙の向こうから、

黒づくめの目出し帽を被った男が、

不気味な足音を立てて再び小屋の中へと歩を進めてくる。

男の手には、愛美を仕留めるためのナイフが握られていた。


「あっ、主任、画面が――っ!」


愛美の腹の端末が颯爽と現れた被疑者を捉えた。

運転する八木が、再びサイレンを響かせながら叫ぶ。


「前方に一般車! 避けます!」


助手席の佐々木が間髪入れずに拡声器のマイクを掴んだ。


「前方の白いワゴン車、左に寄ってください!

 緊急車両が通過します!」


スノーブーツの紐をキツく締め上げながら、

佳祐は佐々木が掲げる画面を睨みつける。

画面の向こうでは、死角から現れた犯人が愛美に襲いかかり、

金属音が激しく鳴り響いた。


「クソっ……! 1秒でも早くスキー場へ……」


佳祐は祈るように拳を固く握りしめ「頼むから無事でいてくれ」と

心の中で激しく叫びながら、その映像を凝視し続けた。


挿絵(By みてみん)


愛美が警棒を構えたところに隙をついて

被疑者が脇に放置されていた灯油缶を投げつけてきた。


挿絵(By みてみん)


それを払いのけようとした時、

なんと、2個目の灯油缶をすかさず放り投げてきた。

愛美は思わず手が緩み、握っていたはずの警棒が

スルッと右手からすり抜けていった。


「あっ!!」


挿絵(By みてみん)


——チャンスだ!


と睨んだ被疑者が愛美の前へと踏み込んできたその時だった。



——ザァァァァーーッッ!!!!



負傷して力尽きていたと思われた谷原が

冷えた暖炉の中の灰を掴んで被疑者の目に向かって撒いた。

そして、腰に携帯していた自分の警棒を

最大にして愛美に差し出した。



「行け、黒帯っ! まだ戦える」



「はいっ! ——フッ!」


挿絵(By みてみん)


愛美のスマホカメラが、

激しく火花を散らす警棒のぶつかり合いを映し出す。

画面を睨みつけていた本庁の中下が、男の無駄のない関節のキメ方と、

愛美の突きを紙一重でかわすステップを見て、驚愕の声をあげた。

 


「主任、まずい! こいつの身のこなし……

 完全に軍人並みのプロだ!

 谷原を庇いながら 戦える相手じゃない!

 愛美、深追いするな! 距離を取れっ」


挿絵(By みてみん)


その警告を聞いた瞬間、

車内の佳祐が何かに弾かれたように怒号を上げ始めた。


(軍人のプロ相手に、

 これ以上愛美を戦わせたら確実に殺される……!)


佳祐はマイクをひったくり、犯人の耳に届く大音量で、

腹からありったけの声を張り上げた。


「神谷だ! 地元県警、全方位封鎖だ、全方位封鎖! 今直ぐだっ!

 郡山のみならず福島全域の主要道路を完全封鎖しろ!

 ネズミ一匹県外へ出すな!」


さらに佳祐の怒号は止まらない。


「さっき山頂へ向かった、

 最精鋭のレスキュービークルの山頂到着はまだか!?

 あと3分で突入させろ!

 抵抗する被疑者はその場で制圧だっ!!」


挿絵(By みてみん)


小屋の中に佳祐の凄まじい大声が響き渡った。

本庁の作戦室で、中下と沢口は

一瞬だけお互いに顔を見合わせ、心の中で同時にツッコんだ。

 

((いや、そんな特殊車両、

 今手配して3分で山頂に着くわけねぇだろ……!))


だが、この必死の嘘(ハッタリ)は、

頭の切れる被疑者に見事な精神的プレッシャーを与えた。

警察の包囲網がそこまで迫っているなら、

ここで時間をロスするのは命取りだ、と。

男はチッと舌打ちすると、愛美を強く突き飛ばし、

猛吹雪の闇の中へと撤退していった。


——被疑者、完全逃亡。


静まり返った山小屋の中で、愛美と谷原の荒い呼吸だけが響く。

ひとまず二人の安全が確保されたことを画面越しに確認した瞬間、

本庁の中下がインカム越しに、

呆れたような、でもどこか優しい声でポツリと言った。


「……主任。全域封鎖はともかく、

 あの『あと3分でレスキュービークルが突入する』って大ボラ、

 よくあの緊迫感の中で 噛まずに言えましたね。

 ちょっと感心しちゃいましたよ」


走行中の車内で、

冷や汗を拭いながら佳祐がバツの悪そうな声を出す。


「……イチかバチかの賭けでした。

 あの状況、ああでも言わなきゃアイツ引かなかったと思うんで」


「フフ……っ」



張り詰めていた空気の中で、

スマホから聞こえる男たちのそんな掛け合いに、

愛美の唇から思わず小さな笑みがこぼれた。


挿絵(By みてみん)


16:08、

佳祐を乗せた郡山署の警察車両がスキー場に到着した。

が、既に視界が悪く、この状況で自分たちが救助に向かうことは

“二次災害”を招く危険性があるとのことで、

佳祐は麓に留まるしかなかった。


「愛美、谷、聞こえるか?」


「はい」


「残念なお知らせがあります……」


佳祐の苦渋に満ちた声がスピーカーから響いてきた。


「レスキュービークル……向かってませんっ!

 もっと言うと……向かうことはありません」


「えっ? ……どうしてですか?」


「たった今、地元警察より

 『豪雪による大規模な玉突き事故発生』の連絡が入りました。

 特殊救助車両の全てが そちらへ救命に出払っています。

 よって……2人は自力で下山必須です」


「でも……、私が乗ってきたモービル乗っていかれて……

 残りのモービルも壊されてしまって」


愛美の声が絶望で震え出した。

その弱り出した愛美の声を聞いてもなお、佳祐は話し続けた。


「それでも、歩いてでも降りるんだ!

 いいか、谷は出血から数十分経ってる。

 吹雪が止むのを待つ猶予はない。谷の命がかかってる。

 今この状況でバディを守れるのは愛美だけなんだ!

 ……頑張れるか?」


「こっ、この猛吹雪の中を? 私が?

 先輩を抱えて……そんなことっ」


寒さと恐怖で愛美の顔が蒼白になる。

その時、緊迫した通信回線に、

やり取りを聞いていた沢口が物凄い早口で会話に割り込んできた。


「二階堂さん、僕が職質で入手した極秘情報です!

 虎ノ門ヒルズに今度オープンするカフェがあります。

 プレオープンが今月末で、

 売りにするスイーツの“天使のパンケーキ”には

 苺がゴロゴロ乗っていて、

 ブルーベリーやラズベリーも程よく添えられていて、

 パンケーキの生地は米粉100%で

 卵も平飼い有精卵でストレスフリー。

 ホイップも豆乳ホイップを使っていてヘルシーです!

 キャラメルソースとチョコレートソースも

 無料トッピングサービスがあります。

 これ1つでお腹いっぱいになるボリューム満点のスイーツ。

 無事に降りてきてくれたら、僕おごります!」



「いけます! 頑張ります!」



挿絵(By みてみん)


愛美の返答は、沢口の言葉の最後の

『おごります』を言い切る0.2秒前に発せられていた。


「グッジョブ!」


やり取りを見守っていた中下が沢口の肩を軽く叩いた。

沢口が愛美のスイーツ好きを

ここまで正確に把握していたのには、

警視庁内である「伝説」になっていた理由がある。


少し前の捜査で、愛美は重要参考人との待ち合わせに、

わざわざ話題のパフェ店を指定した。

その際、中下から

新型ウェアラブルカメラのテストを兼ねて合流した谷原に、

愛美は時系列の捜査メモを渡した……はずだった。

だが、彼女が手渡したのは、

捜査メモではなく『個人的なパフェ堪能感想メモ』。

悪ノリした谷原が、その感想メモを

わざわざカメラに大写しにして本部に送信したため、

警視庁の大型スクリーンに愛美のパフェ愛が

堂々と晒される羽目になったのだ。

以来、庁内で“スイーツ大好き娘”

“ミス・ストロベリー2026・霞が関代表”のあだ名で

有名人化していた愛美のデータを、

同じスイーツ男子の沢口が見逃すはずがなかった。


狙い通りに愛美の生存本能を叩き起こした沢口は、

眼鏡のブリッジを押し上げ、してやったりと不敵に微笑んだ。


中下が谷原を無事に麓へ降ろすために愛美に指示を出した。


「愛美、表にブルーシートあっただろ。急いで持って来い」


「はいっ!」


「それから、持ってる荷物を全部見せてみろ!」


「はい」



吹雪いてる中、

懸命にブルーシートを引きはがして谷原のもとへ戻った愛美は、

背負ってきたリュックサックの中身をぶちまけた。


——大量のホッカイロ・救急セット・乾電池・チョコレートボンボン・

一口羊羹・ペットボトルの水・ロープ・養生テープ・タオル数枚・

二階堂家の愛犬の土産に購入した首輪・一課の土産に購入したお菓子——


「よし、でかした!

 カイロをタオルで包んで谷原の脇や首に当てるんだ。

 中心の太い血管を温めて低体温症を防ぐ。

 そして、救急セットのエマージェンシーシートで谷原を包め。

 それが済んだらブルーシートを重ねて、

 外側から養生テープでぐるぐる巻きにして固定するんだ。

 ブルーシートの頭側はロープを通して、

 お前が引っ張るための『手持ち(ソリ)』を作る。

 分かったな!」


「はい!」


挿絵(By みてみん)


愛美は、

ロープで作ったシートの『手持ち』を両手に深く食い込ませ、

谷原を小屋の入口まで運び出した。


挿絵(By みてみん)


「愛美、ボンボンを谷原の口に放り込め!」


「はい。谷先輩、食べられますか?」


「……(ハァーっという呼吸と震える様子)」


「ボンボン、放りますっ!」


「むぐっ……!?」


挿絵(By みてみん)


愛美は言い切ると同時に、

谷原の唇の間にボンボンをなかば強引にねじ込んだ。


濃厚なカカオの甘みと、カッと喉を焼く芳醇な洋酒の熱さが、

谷原の冷えた胃袋から全身へと染み渡っていく。


「……っ、ハァー……!」


谷原は大きく息を吐き出すと、

ガチガチと鳴っていた歯の震えがピタリと止まった。

洋酒のアルコールが瞬時に血流を呼び覚まし、

チョコレートの糖分が

死にかけていた脳細胞にエネルギーを注ぎ込んだのだ。

かすんでいた谷原の目に、カチッと力強い生気が戻る。


「……ふっ、ありがとう。生き返る……。

 おかげで頭がハッキリしてきた」

 

「はぁ~、良かったです! その調子でお願いします!

 絶対に眠っちゃダメですよ!」


谷原の意識がしっかりしたのを確認し、

愛美はロープで作った手持ちを

黒帯で鍛えた両肩に深く食い込ませた。


「——響子さん。何があってもいいように、

 リュックにボンボンを忍ばせておいてくれたんだ。

 ……絶対に下山して東京に帰って、

 頼まれてたバームクーヘン買って帰るから!」


なぜ響子がこんなサバイバルに完璧な荷物を持たせてくれたのか、

今の愛美には知る由もない。

だが、その温かいリュックの重みを背中に感じ、

彼女から恐怖は完全に消え去った。


挿絵(By みてみん)


「二階堂、これより……下山開始します!」


 

16:10、

愛美は谷原を乗せたシートを力強く引きずり、

すべてを白く覆い隠す白銀の地獄へと一歩を踏み出した。


すると、谷原が愛美に頼みごとをしてきた。


「苺娘……、何か歌ってください」


「えっ、こんな時に?」


挿絵(By みてみん)


「寂しいから。あ、出来れば

 フルコーラスでちゃんと歌える曲を」


「えぇ~? ん~ん、……すみません、不謹慎ですが

 ……フランダースの犬……なら……」


「(痛みに耐えながら苦笑して)……ハハハ、

 よりによってネロたちが雪山で昇天する歌ですか。

 ……でも、それでいいです。最後まで歌えるなら何でもいい。

 ——行け、パトラッシュ! 僕を引っ張れ!」


「はいっ!!! それでは、行きますよ!!

 LALALA LALALA ZINGEN ZINGEN KLEINE VLINDERS♪

 LALALA LALALA ZINGEN VLINDERS LALA♪

 ……みるく色の夜明け〜♪ 見えてくる真っ直ぐな道♪

 忘れないよ この道を

 パトラッシュと歩いた~ 空に続く道を~♪」


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


その頃、麓で佳祐が地元警察とともに

山頂からいずれ降りてくるであろう2人のために

ライトを照らしたり、搬送のため、

救急隊員に待機させたりと大忙しであった。


一方で本部の中下が谷原の歌の要求の異様さに気付き、

沢口に調べ物を要求してきた。


「分かったぞ! 谷が愛美に歌を歌わせたのは……

 時間の経過を知らせるためだ。沢口、この曲の長さは?」


「なるほど……、えぇ~っと、出ました。2:38です。

 前奏間奏無しなら2分ちょいですね。体内時計か……」


「おお、10回歌えば中間地点だろ。谷のやつ……」 




「……空に続く道を~♪」


  


10回目の『フランダースの犬』を歌い終えた瞬間、

愛美の足がピタリと止まった。

猛烈なホワイトアウトが、

襟元のLEDライトの光すら白一色の壁に跳ね返す。


「……っ、みのさん、主任! 何も見えないです……!

 真っ直ぐ歩けているのかすら分からない……っ」


挿絵(By みてみん)


焦燥に震える愛美の声。

だが、本庁のスピーカーから響いた中下の声は、驚くほど冷静だった。



「焦るな、愛美。お前は今、ちゃんと進んでる。

 沢口の計算通り、10回歌い終えておよそ26分が経過した。

 その歩幅なら、コースのちょうど半分に到達しているはずだぞ」


 沢口の鋭いナビが重なる。


「二階堂さん、その位置なら

 右側に大きな迂回ルートの斜面があります。

 風を避けるために、そこからやや右寄りに降りてください!」


「右寄り……? 分かりました。

 …………パトラッシュ、疲れたろう……僕も疲れたんだ……、

 ハァ~っ……」


そのセリフを聞いた瞬間、東京の本部も、車内の佳祐も、

そして警察庁の会議室の全員が凍りついたように焦った。


一見、アニメの有名なセリフを口にする余裕があるように思えるが、

現実は全く逆だ。

極限の寒さと疲労で脳の体温が下がると、人間は幻覚を見たり、

脈絡のない記憶が混濁し始めたりする。

愛美がネロの『最期の言葉』を呟いたのは、

彼女の意識がすでに限界を越え、

死の領域へ足を踏み入れかけている危険極まるサインだった。


「おい、愛美!

 麓で神谷主任が、お前の大好きなショコラ・ノワールを

 ポケットに入れて待ってるぞ!

 半分以上超えて迂回ルートに入ったんだ。

 ゴールは直ぐだっ、直ぐ!!

 いいか、絶対にくじけるな、諦めるんじゃないぞ!!」


「……しょ? ……降ります! 絶対に。

 ……♪僕が 見つめる 景色のその中に

 君が入ってから 変わり果てた世界は……」


挿絵(By みてみん)


中下が全力で愛美を励ます。

そして、沢口が再び曲の分数を弾き出した。


「髭男ですね! 4分強……2~3回歌ってる間に姿が見えるのでは?」


「……♪いつも そつなく こなした日々の真ん中

 不思議な引力に 逆らえず崩れてく……

 I love...なん……言い……やめ…………

 ザァーザァー……(端末の通信が途絶える)」


「二階堂さん? 二階堂さん!!

 ダメだ! 中下さん、……途絶えました」


 

愛美のお腹のカイロは朝に開封したため、

保温効果が薄れて端末が機能しなくなった。


それに気づかず、彼女は凍える手でお腹のスマホをそっと触れた。

その通信の向こうには、麓の冷たい闇の中で、

自分たちを照らす光の壁を作って

待っている佳祐がいてくれてると信じた。

愛美が次に口ずさんだのは……、


Official髭男dismの『I LOVE...』だった。


――それは、先日のパフェ堪能事件の後。

捜査の成果を初めてのおつかいを成し遂げた

我が子のように喜んで労ってくれた佳祐との食事の後、

レインボーブリッジの上を愛車でドライブした、

深夜のお台場からの帰り道。

あの夜に車内で流れていた大切な思い出の曲。

佳祐がチョイスしたそのラブソングは、

彼が愛美に対して抱き始めた、

言葉にできない恋心の裏返しでもあった。

歌詞の中に登場する『イレギュラー』というフレーズを、

どちらが先に口ずさむかで子どものように争奪戦をして、

笑い合ったあの温かい時間。


(――主任に、逢いたい)

 

凍てつく白銀の地獄の中で、佳祐への想いが、

愛美の冷え切った身体に熱を持たせていく。

彼女の切なくも闘志を燃やす炎のような想いを乗せた端末の電波は、

無残にも極寒の気温によって、いとも簡単に断たれてしまった。


本庁の作戦室に「ザァァァ……」という無慈悲な砂嵐の音が響き渡り、

沢口が絶望に顔を歪めた、その時。


——ピピッ。


システムのコントロールパネルに、全く別の『極秘臨時番号』からの

強制割り込み着信がポップアップした。


 

「……っ、中下さん! 谷原先輩の私用端末です!」


中下が弾かれたように受話器を掴む。

だが、スピーカーから聞こえてきたのは、

激しい風の音と、シートの布地に擦れる

ガサゴソという雑音、

そして——谷原の、苦渋に満ちた掠れ声だった。


「……みのさん、谷原です。

 耳に当てられないので、一方的に喋ります。

 聴こえてる保障はないけど、

 回線はこのまま繋ぎっぱなしにしておきます……」


谷原は、愛美が着せてくれたダウンジャケットの内ポケットで

奇跡的に凍結を免れていたスマホを、

縛られたシートの隙間から死に物狂いで操作していたのだ。


挿絵(By みてみん)


「苺娘の端末が死にましたね。

 ……彼女は、今、髭男の『I LOVE...』を歌いきって、

 今度はバックナンバーの『クリスマスソング』に移りました……っ」



スピーカーの奥から、ゴーゴーと吹き荒れる嵐の音に混じって、

かすかに、本当に微かに、泣き出しそうな愛美の歌声が響いてくる。


挿絵(By みてみん)


「歌声が震えてる。彼女の体力の限界が近いです。

 ……でも、足は止まってない。

 一歩ずつ、僕を引きずって進んでます!」


「谷……っ!」


中下は拳を握りしめ、

直ぐにその音声を麓の佳祐の端末へと転送した。

愛美は佳祐を想う歌声を吹雪に響かせ、

谷原のシートを握り直して、再び力強く雪を蹴り出した。


谷原から送られてきた、

その切ないまでの歌声が電波を通じて響き渡った瞬間。

東京の警察庁の会議室では、奇妙な静寂に包まれていた。

モニターを見つめる上層部のエリート幹部たちは、

誰一人として言葉を発しない。

ただ、ある者はハンカチでそっと目頭を押さえ、

ある者は天井を見上げて必死に涙をこらえていた。

国家の治安を担う冷徹な官僚たちが、今や一人の年頃の娘の、

あまりに健気で気高い生存への執念に、激しく心を揺さぶられていた。

その中心で、二階堂慶一は腕を組んだまま、目元を強く拭った。


挿絵(By みてみん)


一方、その歌声を、

麓のゲレンデハウスで直に聴いている佳祐は——。


赤色灯が激しく回転するパトカーのボンネットに、

佳祐が両手を突き、深く頭を垂れていた。

吹き付ける猛吹雪の冷気が容赦なく顔を叩く。

暗黒の雪山の中、命の灯火を絶やさぬよう、

彼女は自分に逢うためだけにその歌を歌い、

一歩一歩こちらへ向かってきている。


佳祐は、溢れそうになる涙をグッとこらえて気持ちを立て直した。


「主任、中下です。

 おそらく、スキー場のフロントから北北西の方向に向けて、

 愛美の姿がもう直ぐ見えてくるはずですが……」


「みのさん、了解! おい、ライトっ!!!

 車両のヘッドライトも、ナイターの照明も、全部

 上級コースの真ん中に集中させてくれ!

 2人に俺たちの光を届けるんだ!」


「は、はいっっ!!」


佳祐が中下からの報告を受けてパッと顔を上げ、

周囲に突っ立っている地元警察やレスキュー隊に向けて、

地鳴りのような声を張り上げた。

佳祐の、涙を堪えた凄まじい怒号に弾かれ、

現場の男たちが一斉に動き出す。


そして、谷原が新たに状況を伝え出した。



「苺娘が立ち止まりました。ん?」


「先輩っ! ……」


「むぐっ……!? 2個目のボンボンです……

 あと……点灯のライト 増やして身につけてます!

 見つけてください、僕たちを……フフフ」


挿絵(By みてみん)


この過酷な戦いも終盤だと分かった愛美が最後の力を振り絞って、

谷原の口に再びボンボンを放り込んだ。


そして、少しでも早く

自分たちの位置を分かってもらいたい一心で

リュックサックの中にあった残りのアイテムを装備して、

『どうか私達を見つけて!』と独り言を言いながら、

力の限り歩き出した。


と、その時……。


視界を覆い尽す白銀の闇の中から、微かに鮮やかな光が見えた。

佳祐が前方を指さしながら叫んだ。


「光だっ! ライト! 照らして!!!」



少しずつ少しずつ、

その鮮やかな光をまとった

黒い雪だるまのような物体が近づいている。


挿絵(By みてみん)


そして、ゆっくりとライトに映し出されたそのシルエットは、

大きな荷物を必死に曳く人間の姿へと変わっていった。


挿絵(By みてみん)


麓の警察たちが当てるライトにも負けぬ眩い光が

雪だるまの正体を明らかにする。


 

——17:12、七色の光を放つ愛美の姿を、

  佳祐の目がしっかりと捉えた!!



「おい、レスキューチーム、あの光まで登るぞ!」



佳祐たちは、二次災害にならぬよう、

慎重かつ急いで、光の下へと駆け寄っていった。



To be continued… case:8‐3

雪山を溶かす嫉妬の炎と、世界一スイートな口溶けショコラ

To be continued… case:8‐3

さて、次回は……。 バディ初日の惨劇、そして極限の雪山からの生還。 愛美の執念が谷原の命を繋ぎ止めたが、事件の裏には巨大な組織の影が潜んでいた。 一方、救助中に愛美が漏らした「ショコラ」への本音を聞き逃さなかった佳祐は、安堵と共に、谷原との絆に対する複雑な「嫉妬」を抱き始める。 氷点下の戦場から一転、二人が過ごすのは甘く熱いスイートルームの一夜。「嫉妬の炎」で雪は解け、二人の距離はかつてないほどに溶け合っていく――。 物語は事件の核心へ、そして二人の関係は新たな局面へ! 次回もどうぞお楽しみに ♥

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