伝統
そばにいるサチが、ローブを受け取ってくれた。その瞬間。全身に視線を感じる。
それはそうだろう。上半身は、ほぼブラトップのみなのだから。
でもここで恥ずかしがってはいけない。
これから披露するのは、サハリア国の伝統的なダンス。
母親が懸命に指導してくれたダンスなのだ。
背筋をピンと伸ばし、顎を上げ、視線を上に。
腹筋に神経を向け、顔は笑顔に。
音楽の開始と共に、広間の中心へと歩いて行くと、拍手が起きる。
この反応を見ると、サハリア国の伝統的なダンスを知っている人もいると分かった。
曲が始まるのと同時に。
ここにいる観客を全員、虜にするつもりで、踊りをスタートさせた。
サハリア国の伝統的なダンスは、ハーレムという婚姻制度の枠組みの中で、時間を持て余した側妻により誕生したと言われる。女性の体型をいかした踊りであり、衣装の露出も多い。これ、すなわち、夫の心を掴むために発展したダンスということだ。
腰をくねらせ、胸をゆらせ、足首でステップを踏むが、基本の動作は円を描くような動き。柔らかさとしなやかさを表現し、夫の目を自分に向けようとする。
腰やお腹の動きも多いが、手の動きも重要。
両腕を持ち上げ、顔の前で交互に動かすことで、観客たちからは「おーっ」と歓声が上がる。
あとは目力も物を言う。サハリア国の伝統的なダンスは、ハーレム文化に根付く。
――旦那様。今宵は私の寝所へ来てください。
そんな誘うような目をしながら、悠然と微笑むのだ。目が合う令息の顔はぽーっとなり、令嬢は頬を赤らめている。観客は大歓声で盛り上がるというより――目が踊りに釘付けになっている状態だ。
最後に、決めのポーズでフィニッシュすると。
想像以上の拍手喝采。そしてなぜかアンコールがかかる。元々、三曲披露するつもりだったので、この反応には驚きつつも、次の曲の演奏を待つ。次の曲は、よりエキゾチックさを感じさせるリズミカルな楽曲だ。踊り子にとっても運動量が多いので、何気に息が上がる。でもこの息が上がる様子までもが、ダンスのスパイスになっていた。拍手喝采は鳴りやまない。
こうして私は無事、三曲のダンスを披露し、最後は四人の踊り子たちで挨拶をして終了だった。もう余興として、大成功だったと思う。
広間のはじへと移動すると、今度は通常通りの舞踏会の曲、ワルツが流れる。だが招待客達は、物足りない表情をしていた。それはそうだろう。四人の踊り子が披露した、一味違うダンスを見たら、ワルツが可愛く思えてしまうはずだ。
ローブに袖を通し、控え室に戻ろうとすると……。
「あの、レディ」と声をかけられる。
顔をそちらへ向けると、癖毛のブロンドにそばかす、ヘーゼル色の瞳の令息がいた。黒のテールコートを着て、その頬は上気している。
「レディ、よかったらこの後、少しお話しませんか」
「あの、我が家にも余興で来てくださりませんか」
「できればこの後、一緒にお酒でもどうですか」
一人目の令息以外にも、次々と男性が集まってきて、あっという間に囲まれてしまう。
チラリとドナ達の方を見ると、そちらもそれぞれ声をかけられており、駆け寄った従者や傭兵により、なんとか廊下の方へと向かっている。
「とても素敵な衣装でしたよね。ローブを着るなんて、勿体ない! もっと見せてください!」とローブを掴まれ、「それは困ります」と声をあげた時。
「失礼。彼女は着替えがありますので、申し訳ございません。興行については、あちらのテーブルにチラシがあります。それをご覧になってください」
さりげなくマイクが私の背に腕を回し、そして手をとると、エスコートしながら歩き出す。取り囲んでいた令息達の「えっ……」という戸惑いの声が聞こえるが、追ってくることはない。と思ったら、マイクの後ろに数名の騎士らしき人がついて来ていて、彼らが周囲の令息を牽制している……ように思えた。
「あ、あの、マイク様」
「はい」
「後ろの騎士の方は、お知り合いですか?」
「知りません」
素っ気ない返事を返され、思わずドキッとしてしまう。
なんだか……機嫌が悪い?ようだ。
チラッと見ると、顔はまっすぐ前を見つつ、その瞳は周囲を隙なく捉えている様子が伝わってくる。
廊下で話しかけようと待ち受けていたのだろうか? 何人かの令息が私を見るが、隣のマイクを見て、開けようとした口を閉じていることが見てとれる。
マイクは一見、キリッとした顔で周囲を警戒しているように見えた。でも実際は違う……。