善意
休むにはまだ早い……。それはそうだろう。
子供ではないのだ。まだ二十時になったぐらいの時間なのに、寝るなんておかしい。酔っているわけでもないのに。具合が悪いわけでもないのに。
こうなると、素直に現状を打ち明けるしかない。
「目が……覚めました」
「それはきっと、わたしのせいだと思う。申し訳ないな。……お詫びに、ホットチョコレートをご馳走しよう」
「ホットチョコレート?」
なんでも新大陸との交易が盛んなリントン王国から入手した、カカオを使った甘い飲み物が、この宿では飲めるのだという。ただ、とても高額なもので、貴族しかオーダーしないものだというのだ。
「そんな高価なものを、ご馳走いただくわけにはいきません」
「驚かせ、またからかったのは、わたしだから。騎士の名誉を汚さないためにも、この善意を受け取ってほしい」
なんだか尤もらしく言っているけれど、名誉とか、関係ないような……。
とはいえ、ここで押し問答をしても仕方ないと思え、善意として受け取ることにした。
「では行こうか」
もうこの暗さに慣れているマイクが、スマートに手を差し出した。
騎士らしくエスコートしてくれるのだと分かり、その手に自分の手をのせる。
触れたその手は、とても温かく感じた。適度な潤いもあり、とても触り心地がいい。
なんだか心臓がこれまでとは違う意味で、キュンと反応してしまう。
キィッと音を立て、マイクが扉を開けると、廊下の照明に目が眩む。
廊下自体、そこまで明るいわけではない。
ただ部屋が真っ暗だったので、その反動で廊下の明かりを強く感じていた。
思わず、エスコートしてくれているマイクの手を、強く握ってしまう。
するとマイクは、そのままその手をエスコートではなく、手をつないでいる状態にして、歩き出した。
一気にマイクの手に触れる面積が増え、ドキドキしてしまう。
改めて自分が男性に免疫がないのだと実感する。
占い屋に来る客は、何も女性ばかりというわけではなかった。男性客もいた。だが、それはあくまでお客様。異性……という見方はしていない。
「目は慣れたか」
「! は、はい」
するとマイクは手を、エスコート状態に戻した。
どうやら目が慣れていない私が、軽く手が触れているぐらいでは歩きにくいだろうと考え、手をつないでくれたようだ。
細やかな気遣いに、感動する。
だがその気遣いは、その後も続く。
食堂は、お酒の入った宿泊客達で、大賑わいだった。
マイクは、喧騒から離れるように、奥まった席へ私を案内する。そのまま座らせると、カウンターにいるマスターに、ホットチョコレートを注文した。まさか今日、その注文が入るとは思っていなかったのだろう。マスターは驚きながらも、マイクからお金を受け取り、慌てて調理を始めている。
席に戻ったマイクと改めて向き合い、しばらくはダンスについて話をしていた。そこにホットチョコレートが到着し、その甘い香りに驚く。さらに、高級な砂糖が添えられていることに気がついた。緊張しながらカップに砂糖を入れ、かき混ぜる。色は……正直、泥水みたいだが、香りはとてもいい。ドキドキしながら口に運ぶ。
「……あ、甘いっ!」と驚嘆してしまう。
そんな私を見て、マイクがその目を細め、笑顔になる。
素敵な表情だった。
マイクの笑顔とホットチョコレートの甘さに、気持ちが落ち着き、完全にリラックスしていた。
「……わたしが今回、護衛に名乗りをあげた理由は、話した通りだ。ミーシャ嬢はなぜ、踊り子に? 話したくなければ、話せなくてもいいが」
マイクの声は低く穏やか。すんなりと頭に入ってくる。それに自分自身がリラックスしていることもあり、自然と答えていた。