四章 隣の禍福
いつぞやに母の手伝いをして以来か。千歳は草取りに勤しんでいた。
「いい天気……」
曇り行く空は、東から徐徐に赤らんでいくのが辛うじて認められる程度の、曇天である。
千歳の眼には、青天にしか見えていなかった――。
断崖の下まで下りるのに数時間。衣替が忙しい空を始とヒバリは崖脇の林から仰いだ。
「時間が掛かったな」
「急いでも却って危険でしたよ。なんといっても崖ですからね」
落差約三〇〇メートルの断崖。二人はこれを、できる限り安全な――道なき――道を這うように下りてきて今に至る。たまにある足場を休憩に利用できたため、下りることができたが、ツルッツルの断崖だったら、こうはいかなかっただろう。
「さて、どうしたもんかなっ」
と、転落の緊張から解き放たれた始は興奮ぎみに周囲を見回した。
枯れ木に刺さった布の切れ端を追って来たのはいいが、視界には見当たらない。また、ここに来るまでに崖の足場に引っかかっている可能性を考慮して捜してみたが発見できなかった。
「枯れ木は、崖の岩と一緒に落ちていきましたからね。ボク達が通ってきた崖にぶつかって、落下軌道が遠くに逸れたのかも知れません」
始が観ていた分には枯れ木が根差した崖が足場にぶつかった様子はなかった。ただ、空中で布の切れ端が抜け落ちた可能性を否定できない。
ヒバリが、広がる林の奥を見据えた。
「あちらに落下したなら厄介ですね。もうすぐ夜ですし、燈もありませんから」
「魔導でなんとかしてくれよ」
「魔法といわないだけ成長してくれたのはいいんですが、残念ながら、魔導は万能ではありません。魔法もそうでしょうけどね」
「なんだそれは。それじゃあ、魔導師っていってもなんにも使えないオレと変わらないじゃないか」
文句を言って、始は呆れ笑った。
「ボク達は少ない魔力を糧に、この魔導具を起動し、」
ヒバリが籠手を示した。「自然界に満ちた魔力を集めて魔法の力にしているに過ぎません。それが魔導具の力であり、それを操るのが魔導師なのですよ」
「要するに、お前の場合はその籠手がないと無能ってことかよ」
ヒバリご自慢の白銀の籠手を始は指でつっついてやる。
「強いていうとそういうことです」
と、否定しないヒバリ。
……ときどき思うが、こいつは詰られることに慣れてないか。
なんて、始が思うのも仕方がない。ヒバリがやはりというのか、無能と言われてもなお微笑のままだ。
「だからこそ『魔術師』は凄いんですよ。ボク達魔導師と違って魔導具なしに魔法の力を揮うことができるんですからね」
「そういわれても、いまいちピンと来ないな。魔法じゃないにしても、お前のあの力はさすがに驚いた」
と、始は希しく褒めてやった。
「光栄です」
ヒバリが満面の笑み。微笑以外の「笑顔」というのは、これが初めてのような気がしたのは始の思い做し、でもなく、
「ボクは褒められる立場にないですからね。少し、嬉しかったですよ」
と、いうことらしい。
褒めておいてなんだが、改まって嬉しがられて始は逆に照れそうになる。が、相手がヒバリなので引き攣った笑みで取り繕う。
「ま、まぁ、たまには、褒めてやるから、頑張ってくれよ」
「ええ。でき得る手段で尽力しますよ」
互いにうなづく。
二人で周囲を確認し、落下してきたであろう岩石の欠片を見つけ出していく。断面を調べれば、新しく崩落したものか否か、ヒバリにはある程度の判断がつくという。新しく崩落したと判断できる岩石片が集中する場所の付近を調べれば、自然と枯れ木の在り処に近づくことにもなるだろう。
目差すは枯れ木に突き刺さった布の切れ端。タイムリミットまでそう長くない。日没一時間前という頃合であった。
二人は車両事故の現場を訪れた警察官張りに岩石片を洗い出し、日没を迎えた。
広大な林はどっぷりと夜闇に沈み、ほぼ視界がなくなってしまった。明るいうちに火種となる木片と火打ち石を手に入れたので、松明もどきを得られたが、問題は、燈の有無ではなかった。
「ダメだったか……」
枯れ木が見つからなかったのだ。崩落から間もない岩石片が集中した地帯はあったが、それが一箇所ではなく、広範囲に点在していたために、時間を費やしたにも拘らず成果を得なかった。
「魔物の落下の衝撃は、断崖のところどころに影響していたようですね。致し方ありません」
諦めているわけではないだろうが、それに等しい言葉がヒバリの口から漏れていた。
だからというわけではない。始はあのとき断崖で見た布の切れ端を思い出し、脳裏に思い描く。過去に見たことがあった気がするソレを、なんとか記憶の淵から拾おうとした。だがどんなに大きな意識の網でも、深海の小さい貝殻のような記憶を拾い上げることはできなかった。
そうして松明もどきの火が木片を焼き尽くすまで、始とヒバリは崖の近辺で布の切れ端を捜したが、成果を得なかった。
松明の燈がなくなると、ぼんやりとした赤い視界すらなくなり、途端に真暗闇に包まれた。林が運ぶ、夏の夜特有の冷たい草の香りが身震いを促した。
「おい、どうする。このままここにいたところで何も進展しなさそうだ」業を煮やす
と、業を煮やして始は言った。
「同感ですが……、夜、林の中を無闇に歩き回るのは危険です。ご存じでしょうが、魔物は夜行性が多いんです。眼も、明るい昼より暗がりの夜に適した構造になっているんですよ」
ヒバリのご尤もな意見を一蹴したいわけでもないが始はここで大人しく朝を迎える気がさらさらない。
「千歳に会うのはマズイんだろうけど様子が気になる。オレは遠回りでも崖を回り込んで山道へ戻る」
言うより先に足が動くのは、始が始であるために必要な無鉄砲さだった。
「待ってください」
と、ヒバリが始の横に並び、歩いた。
「それならボクも一緒のほうがいいでしょう。君は魔物とは戦えません」
「ああ。そこは任せるよ。情けないが、オレには魔力はないし、魔導使いでもないからな」
できないことはヒバリに任せる。ヒバリに出会ってから日は浅いが、そのくらいのことを察する程度には、始も成長できたということ。あるいは、ヒバリと連携が取れてきた証拠であろう。
「しかし妙ですね」
「またか……。今度は何が妙だ」
聳り立つ断崖にぶつからないよう手探りで歩く始。並んで、暗中をスタスタと歩くヒバリ。
「魔物が見当たらないんですよ」
始からは彼の表情を確認できないが、随分と怪しんでいるのが伝わる声だった。
「断崖を取り巻くこの林は、この地方で最も魔物の生息数が多いと聞いています。が、これまで、一度も魔物と遭遇していません」
「たまたまだろ」
と、始は楽観的に意見を述べた。
一方、仕事柄、注意深いヒバリの意見はこうだ。
「意図されたものでないと断ずるのは、早計ではありませんか」
「某の仕業だとでも」
「ボクはそう思っています」
「どうしてそうなる。某がオレ達を邪魔に思ってんなら、逆に襲わせればいい話じゃないか」
「ええ、その通りです。ただ、先刻承知、この一帯の魔物は低ランクで、一体ずつでは役に立ちません。だったら数を集めるのが正攻法ですよ」
「嫌なこというなよ」
微笑で告げられ、始は背筋がぞわっとした。
某が一斉攻撃を仕掛けるために、どこかに魔物を集結させているとすれば、崖を下りてから今まで、魔物と遭遇せずに済んでいた不可解に説明がつく。
「もし一斉攻撃を受けたら、ちゃんと守ってくれよ」
と、始は男として情けないへっぴり腰で要請した。ただし、これは非力な人間の態度としては一般的である。
「勿論ですよ」
と、ヒバリがうなづいたのは、見た目はヒョロリとしているのに自信に見合う実力を備えている。
「君は飽くまで一般人ですから、ボクは組織の人間として保護する責任があります」
「じゃあ、頼んだぞ」
と、どこまでも情けない要請しかできない始であった。
よい期待は、悪い予想によって間もなく裏切られた。
昼にも増して雲が厚みを増し、今にも雨が降り注ぎそうな夜の帳。その奥に、真赤に輝く不気味な双眼が無数現れたのに気づき、始とヒバリは歩を止めた。
「どうやら、本当にボク達を排除する気のようですね」
「殺されるってことか……。やれるのか」
岩の壁を背にして、逃げ場はない。
「やらなければ、やられるだけです」
ヒバリが籠手を調整するように、カタカタと左右に捩らせた。
「君はボクの後ろで動かないようにしていてください」
そうヒバリが言った直後、林の奥から、夜闇よりも深い闇色の影がいくつも飛び出した。
……なんて数だ!
細身で俊敏、狼のような獣が十数頭。なんでも噛みちぎってしまいそうな鋭い牙を剝き出しにして、ヒバリに襲いかかった。ヒバリは、それを器用に、両手の籠手で次次打ちのめして後退させるが、魔物の数は減らず、むしろ増える。
「倒しつつ、先へ移動します」
と、ヒバリが指示を出した。「二〇〇メートルも行けば、旅館の前の通りに出ます」
「解った。先に行くぞ」
「サポートします。前だけ見て走ってください」
合図を出された始は、闇に慣らした眼で辛うじて見える物体の影を頼りに、旅館を目指して駆け出す。
魔物は、それを見逃さない。ヒバリを攻撃する魔物達とは別行動を執り、始の追跡に回る魔物が現れた。だが、そんな魔物の身を、闇にきらめく真青な線が両断し、光の粒子にして消滅させる。始を追おうとした魔物は一頭残らず消滅していった。言うまでもない。真青な線は圧縮した水であり、ヒバリの籠手が発した魔導の力である。
「通してあげませんよ」
多数の魔物に囲まれながらも、ヒバリは、平素の微笑を崩すことはなかった。
ヒバリと別れて、独り暗闇を直走る。恟恟として足が震えそうな戦闘を耳で感じ、そこから早く離れようと尚一層に疾走する。
そんな始の前に、ユラリと影が現れる。そこには、今の今まで誰もいなかったのに、文字通り、湧いて出たように突然現れたのである。無論、始は足を止め、距離を取って様子を窺う。
……逆光で見えない。
街灯か、それとも魔導や魔法の類か。その影の後ろから強烈な光が発せられ、影の顔は闇に塗り潰されている。
……人型なだけ安心したいところだけど、そうもいかないだろうな。
崖の裏手の、林の中だ。魔物もいた。そんなところに地域住民が入ってくるはずがない。
警戒心をアクセル全開に踏み込んで、始は問う。
「あんた、誰だ!」
応答はない。
が、影が掲げた手には、逆光をぎらつかせて躍る布の切れ端が握られている。
「それは……!」
始達が捜していた布の切れ端。逆光と相反する闇が色の判別を妨げているが、このタイミングで目の前に出されたら、それだとしか思えなかった。
「なんでお前が、――っ!」
口走って、ようやく気づいた。
――某。
今まで、一度として姿を見せなかった、千歳宅を魔法で風化させた張本人。
……オレをっ……殺しに、来た!
そう思ったら、恐怖でケタケタと膝が笑う。今にも折れてしまいそうだ。
……と、どうする!
どうしようもない。
ヒバリがいないのだ。魔法どころか、魔導すら使えない始には、魔術師を相手にする力はない。
戦う選択肢は最初からない。
ならば逃げるしかないのだが、それすら許してくれる気配がない。
相手は一歩も動かず佇立しているだけなのに、始の足を石膏やコンクリートで固めたかのように微微とて動かせない。そんな異様なまでの威圧感と圧迫感、それから、恐らくとしか言えない初めての「殺意」を、始は正面から浴びせられている。
……クソッ!動けッ!
どうしようもなく忍び寄る恐怖心が、次第に、足だけでなく、腰まで引かせる。じきに、肩が竦んで、強張って、全身が凝り固まったように停止する。崩れ落ちないだけまだマシ、とは、とても、ほざいていられない危険な状況だ。
ソロッ……。
影が、右足を一歩、前へ出す。
「……ッ!」
始の緊張感は一気に最高値を上回り、体感的には、頭が真白になって、何も考えられなくなっていた。最早逃げることも忘れたのか、縄で固く縛ったように始の体は動かなくなった。
影の歩調が、おもむろに速まる。
……マズい、マジで、マズいって!
距離が一〇メートルほどあった。それが、縮まっていく。額から冷汗が流れ落ちるのを、意識的に止めるのは不可能であった。
……殺される、こんなところで!そんなバカな話があるか!
始は心の中で絶叫し、眉唾ほどの冷静に帰す。
……そうだ。冥土の土産でも、なんでもいい……某に、訊きたいことがある!
そう思えば、口に出すのは早かった。
「なんで、あんなことをした」
声が少し震えたのは、この際、ツッコまないでほしい。恐ろしくてたまらない心情は、なんら変りないのだ。
始の土壇場の問掛けに、某が足を止める、と、いう反応を見せた。
「(しめた……!)答えろ!お前がやったんだろう!」
ここぞとばかりに声を張り上げると、虚勢が自信をくれたのか、始の足に力が戻る。まやかしだとしても、今の状況ではありがたい。
始は、自分の足にさらなる力を戻すために、また、千歳宅を取り巻く事件の真相を知るべく、今一度、声を張った。
「答えろッ!」
虚勢の大声が、某の足を後退させる。
……なんだ。自分が某だって知れてないとでも思ってたのか。
始の問掛けに後退するくらいなので、何か動ずるような事を言われた心地なのは間違いない。
……なんだ、何に動じてんだ。
始が生き残る術は、それに掛かっているのかも知れない。必死に思考を巡らせ、ハッタリでもいいと割りきり、数秒の沈黙を破って、始は再び問いかける。
「お前……、オレが恐いのか」
突拍子のない問掛けと言われれば、申し開きようがない。
だが、――某がさらに後退した。
……冗談だろ。
まさかそんなはずはない。思いながらも始は、自ら某に向かって歩を進める。
すると、案の定、某も後退した。
「(……なんでか知らないが、こいつはオレを恐れてる。それに間違いはないみたいだ。それならまだやりようがある。)……おい、逃げるなよ」
始はさらに歩を進める。危険性はゼロではないが、うまくいけば逃走に追いやれると踏んだ博打だった。
結果はすぐに出た。
某が身を翻して後方の光へと駆け出す。その際、長い髪が靡くさまを始ははっきりと見た。それは、単に髪が長かったからだけではなく、挙措も女のものだと認められた。
……某は、女なのか!
悪の魔術師と言うからには極めて胡散臭い恰好をした人相の悪い中年男だと、始は先入観を持っていた。それゆえに、相手が女だと分ると追いかけるのを忘れて立ち尽くしてしまった。
やがて女は、飛び込んだ光ともども消え失せた。
始の前に、もとの夜闇が戻る。逆光のせいで闇に不慣れな眼になり、しばらくは動こうにも動けなくなった。
眼が慣れた頃、ヒバリが駆けつけた。
「無事でしたか」
「ああ、なんとかな」
始は、ヒバリの顔を闇越しに見て安心するとその風貌から嫌な汗も再発した。
「どうかしましたか」
と、ヒバリが訊いたのは、始の様子がおかしかったのを洞察したからだろう。
「いやな、今、某らしきヤローと出会したんだよ」
「えっ!?」
目を見開いて、大層に驚いた様子だ。
「よく無事でしたね……」
と、次には感心して微笑む。
対する始はうんざりとして、半目を呈してやった。
「こんなのはコリゴリだ。お前のその長い髪を見てると、嫌な気分になるぞ」
「もしかして、某も長髪だったんですか」
「そのもしかして、だよ。ついでに、女みたいに見えた」
「闇の中ですからね……。ハッキリは見えなかったんでしょう」
「ああ。ただ、なんとなく振る舞いが女って風だった」
細かく説明ができるほどの国語力を始は持ち合せていないので、どうしても漠然とした表現になってしまう。だが、ヒバリは理解した上で信じてもくれたようだ。
「女性ですか……。意外といえばそうですが、じつのところ、現存する魔術師の過半数が女性だというデータがありますからね」
「そうなのか」
「ただ、最初は某が男性だと思っていたのは否めません。千歳さんを拉致する力任せな行動は男性的と考えるのが自然ですからね」
「なるほど、そうだな」
始も、最初はそういう理由で男だと先入観を持ったのだろうが、経緯などスッカリ忘れていた。それに、途中で千歳が無事だと判ったあと、某が男か女かという議論を煮つめたわけではなかったので、先入観を正す機会がなかった。
「何にしても、君のお蔭で某が長髪であり、女性であろう可能性が見出せました。感謝しますよ」
と、ヒバリが会釈した。
「役に立ったなら、即刻それらしい怪しい女を見つけて捕まえてくれ」
「ええ。そのつもりです」
と、片腕に力こぶを作るマネをして、ヒバリが自信ありげに笑む。
ふと、始は思い出す。
「そういえば、某が、オレ達の捜してた布切れを見せてきたぞ。今にして思えば、『証拠はこれしかない』って、いいたかったのか……」
「そうですか……、証拠品を先取りされたとすると非常に不利ですね。某を追う手懸りが失くなったも同然です」
ヒバリが顎に手を添え、考え込む。
始は、思い出したことを口にする。
「もう一つ、気になることがある。某は、どうやらオレが恐いらしい」
「はて、どういうことですか」
と、首を傾げる。
先達て述べた通り、始は国語力を欠いているので、ヒバリに伝えるのはそれなりに時間を要した。
旅館へ向かいつつ、なんとか話を伝えた始に、ヒバリがうなづき返した。
「――なるほど。確かに気になる点ですね。魔導師であり、警察組織のボクを警戒するならまだしも、一般人である君を恐れるとなると、力関係でない面において、某が不利なのでしょう」
「魔術師の某が不利。例えばどんな不利だ」
「記憶、ではないでしょうか」
と、ヒバリが推測した。
「記憶。オレが某の素性を知ってる、とかか」
「その可能性もありますね。ただ、それだけではなく、某に取って都合の悪い何かを、知らず知らず、君が握っているとも考えられます」
「そのお蔭でオレは助かったのか……」
命を取り留めた理由となった、何かだ。気になる。
でも、始は思い当たる節がない。
「オレが魔術師だったら解るようなことか、それともオレだから解るようなことか……、どっちなんだろうな」
始の疑問にヒバリも明答できないようだが、こうは言った。
「一つ確かなのは、君が某を追いつめるための何かを握っているということですね」
「やっぱり、そうなるんだろうな」
幸い夏休みだ。お金の問題で長居はできないと始は考えてやってきた。宿泊費用はヒバリが出してくれるようなので中途半端なこの状況を解決してから帰りたいところだ。
「――某との決着がつくまでは、お前に協力してやる。絶対、捕まえるぞ」
「そういってくれると助かりますよ」
友情ではないがある種の同志的動機で、始はヒバリと拳を突き合わせたのだった。
千歳が無事かどうか始は気になったが会いに行くのは却って危険。渋渋帰路につくと、大した事件が起きるでもなく、林間の出来事が夢だったかのような平穏さで、旅館に到着した。客室窓際の籐の椅子に相席して、二人は落ちつく。
始と合流するまでに、ヒバリは魔物を相当数倒したらしい。どれも低級だったとのことで傷一つ負わなかったようだが、彼はそれを怪訝に思ったようだ。
「妙ですよ」
と、何度目かになる疑問句を呟いたのは、そのせいだろう。
「またかよ。で、今度はなんだ」
と、始が訊き返す早さも、かなりのレベルになった。
「魔物を操ることができる魔術師ならば、何も、低級なこの地域の魔物を急拵えで集める必要はないでしょう。ほかの地域からもっと強い魔物を率いれば、ボク達を排除する確実性を得られるはずです。某はそれをしなかった」
「確かに妙っていえば妙だけど……。単に用意ができてなかったとも考えられないか」
と、始は指摘した。
「可能性はあります。しかし低率でしょう」
と、ヒバリがうなづくも、すぐに別の見方を唱えた。
「某は魔法の痕跡を消すために魔法を使ったり、Bランクの魔物を予め用意してボク達を襲わせたり、頭のキレる行動をいくつも見せています」
ヒバリが言いたいことが始にも解った。
「そうか、いざオレ達みたいな連中が探りを入れに来ても大丈夫なように、準備を完璧にしてた可能性が高いのか」
「そうです。崖で使役したBランクの魔物以外に、さらに強い魔物をいくつも使役・召喚できるように万端の備えをしていたと考えてしかるべきです」
と、ヒバリが指を立てて言った。
始は足を組み、背凭れをギシッと軋ませて背中を預けた。
「未だに様子見してるってのか」
「そうは思いたくありませんが、その可能性は十分にありますね」
いつもの微笑だが、さすがのヒバリも某の底知れない実力を警戒・懸念しているようだ。
某がなんの目的で千歳宅で魔法を使い、その痕跡を消すために風化の魔法を使ったのか、まだ判らない。だが、少しずつではあるものの某の素性を垣間見ることはできている。
まず、某は準備万端を整えて事に臨む、計画的な思考を持つ、恐らく女性。
次に――ヒバリによれば外道である――魔物の使役を行う、道を踏み外した魔術師であること。
最後に、何かしらの弱みを始に握られていて、始を恐れており、排除すら躊躇い、逃走せざるを得ない人物だ。
これだけ並べると、某と目される人物の当てが、いくつか浮かび上がりそうなものだが、そう上手くことは運ばない。
「オレの周りにそんな奴がいたことはないぞ」
「君のご両親は、魔法を使えないんですね」
「ああ。親が親なら、子も子だよ。オレは、魔法を使えない。そもそも魔力がないしな」
ヒバリの眼には魔力を持つ者が判る。その眼によれば、始に魔力は微塵もない。
「千歳さんは魔力がありましたね」
と、ヒバリが言った。「それも、立ち上るほどの強いものでした」
「千歳を疑ってんのか。あいつは被害者だ。それにいっとくけど、あいつはオレが見た某とは明らかに違うぞ」
林に現れた某の身長は始とそう変わらないくらいでやや低い程度だった。千歳は歳の割に初等部児童のようななりなので、某との身長の差は明らかである。
「いいえ、ボクは千歳さんを疑ったわけではありません」
弁解したヒバリが意図を説く。「君の周りに魔術師と成り得る人物が何人いるのかを、統計として出してみたいんですよ」
「なんの為にだ。統計なんか、某を突き止める役に立つのかよ」
「個人的なデータ収集でもありますが役立ちますよ」
「個人的って。本当に役に立つのかよ、それ」
「改めて統計を取れば、魔法の素養がある者を洗い出すことにもなりますから」
微笑で諭すヒバリに、始は嫌悪感を露にした。
「オレの知り合いばっかり疑う気か。冗談なら今のうちにいえ。許してやる」
「冗談ではありませんよ」
始の威圧的な目線に、真向から意見をぶつけるヒバリの顔からいつもの微笑が消えていた。
……こいつ、本気か。
解っている。ヒバリの意見が的を射ていると、始も半ば認めている。
ただ、それを始が認めれば、よく見知った人人に容疑を掛けるのと同義なのだ。裏切りと言っても、いい。
「オレは……」
ヒバリの真剣な目差に、始は向き合った。
「オレは、疑いたくないよ。警察でもなければ、お前の組織の一員でもないんだ」
「ええ」
ヒバリには、始の気持が分らないのだろう。ただ、うなづくだけ。
「……もどかしいですね」
ヒバリがそう言ったのは、いくらか分針が音を立てたときか。始は窓越しの曇り空を眺めていた。
「ボクは君のように、ひとと深く繋がっていません。ですから、君の気持は解りかねます。ですが……、他人の気持を理解したいと、初めて思っています」
「……そう思ってくれてるなら、詮索しないでくれ」
と、密やかな声で当たるように言ってはみたが、言葉を次がざるを得なかった。始に取っては、この同年代の微笑魔導師も、既に「他人」から「知人」に昇格し、責めるような物言いをしては良心が痛んだのである。
「悪い……、お前は、オレが某を捕まえろなんていったから、その通りにしようと考えてくれてんだよな」
「いいえ、ボクは――、組織の人間ですから、仕事です……」
そう応えたヒバリの表情を覗き見ると、決して愉しげではなく、任務遂行を優先するか、始を気遣うか、迷っている色が滲み出ていた。
……こいつらしくもない。
ヒバリが微笑していないと、どうにも安心できない。勿論、いつも微笑されては気持悪いと考えないわけではないが、彼の微笑が、そこはかと安心づけてくれたことを、始はいまさら思い知った。
「しっかりしろ」
と、始は、自分から笑ってやった。
ヒバリがキョトンと、目を丸くした。
「お前は張りついた微笑でも浮かべてろ。じゃないと調子が狂う」
「君は……」
ヒバリがクスッと笑みを漏らした。
「言葉足らずですね」
「うるせーよ」
突っ撥ねて、始は仏頂面に帰した。
微笑を取り戻したヒバリはそれなりにいい男で、端正な作りの顔も相俟って、以前よりいい顔になったようだった。
「さて、じゃあ、洗い出すか」
と、始は切り出した。
某が始の知人であるなら、これによって一気に事件を解決できるだろう。
そもそもヒバリが始の知人を疑ったのは、某が林で始に近づかれて逃げていったからだ。もし知人でなければ、顔を見られようと始を排除すれば事は済む。そうはせずに逃走したのだ。「もしかしたら知人が某か」と、始が半信半疑になったのもそれが原因だった。
ヒバリが黙って聞く姿勢を取り、始は魔法に関わりのある知人を次次に挙げていった。始には魔力があるか否かを見分ける眼がないので、飽くまで主観だが、それでも一〇人を越える人物が浮かび上がった。
その中でヒバリがピックアップしたのは、始の父の弟の妻、つまり、千歳の母である。身長・性別ともに始が林で遭遇した某に合致しており、組織の情報によると魔法の使用歴もあった。
「ハッキリいうと、ボクが初めに某ではないと考えた人物です」
「そりゃそうだ。母親が娘を拉致するなんて誰も考えない。生き別れてるわけでもないしな」
「……ええ」
ヒバリが腕を組む。「千歳さんは無事、……最初から考えを改める必要がありました」
「ああ」
始はうなづいた。千歳の母親が悪の魔術師とは考えたくないが、一度だけならまだしも、二度も殺されかかっている以上は疑わねばなるまい。また遭遇して、あまりの驚きに足が動かなくなるのは勘弁なのだ。
「お前が疑うくらいだから、身長や性別以外にも、何か疑わしい点があるんだろう」
「はい。先程もいいましたが、千歳さんの母君には、負債となる魔法使用歴があります」
「そうだったな。どんな魔法だ」
「〈延命〉の魔法の失敗です」
と、ヒバリが告げた。
……延命。
寿命を延ばす魔法を考え、それに失敗したことが叔母の汚点になるとは思えない。
「それが悪の魔術師だとする根拠になるのか。寿命を延ばす研究をしてたってことは、むしろ凄いことだと思うけど」
「そうですね。永遠の命といえば、人類の夢の一つでしょうから、考えとしては素晴らしいんです」
ヒバリが客観的に批評し、「しかし」と、次ぐ。「やり方が、少少荒っぽかったんですよ」
「荒っぽい」
「例えば野良猫がいたとします。『飼猫ではないので誰の所有物でもなく何をしようと誰も困らない』と、捉えたんです」
「おばさんが、野良猫を魔法の実験台にしたってのか」
まさか。
そう思った始に、終始真剣な微笑の目差。
「解った、解った。疑わねぇって」
と、始は慌てて訂正し、続きを促した。
「要するに、千歳さんの母君はそんな自分勝手な考えから野良猫や野良犬、果ては自然保護対象の動物を捕らえて魔法実験をしていたんです」
初耳だった。
始が知る叔母は「千歳の母」で、千歳に甘い子煩悩。家事をしっかりこなして夫に慎ましやかに付き従う古風な妻でもあった。始に対しても息子のように接し、思慮を尽くしてくれた優しい女性。過去に魔法実験を繰り返していたとは感じなかった。叔母はそれにより逮捕されたというがそれすら始は知らなかった。
ショッキングな過去に頭が重く感ぜられたものの、始は疑問が湧いた。
「重要なことを忘れてるぞ」
千歳の両親は、今、始の両親と南の国へ渡航中である。それはヒバリの組織の裏づけもあって、明らかな事実だ。
「そこなんですよ」
と、ヒバリが小テーブルに人差指をトンとおいて、スルスルと滑らせた。
「今ある資料だけではそれが解決できないんです」
「それはおばさんが某じゃないってことだよ。違うか」
と、始は呆れ半分で窺った。無茶は言っていないが、ヒバリは納得がいかない風だ。
「君から某が逃げたのは、顔見知りであり、寡少なりと排除を躊躇う感情があったからだとボクは思います」
「感情論かよ。お前らしくないな」
「ご尤もです。が、君の影響ですよ」
「オレが感情的だから感化されたってか」
と、始が嫌みに細目を向けると、
「ええ、大いに」
と、ヒバリも嫌みっぽく微笑む。「それはそうと話の続きです」と、改まる。
「恐らく、君が意識的に覚えている人物中、某と目せる人物は千歳さんの母君ただ一人です」
「無意識下なら、ほかにも該当者がいるかも知れないんだろ」
と、始は鋭く指摘した。
「ええ、まぁ」
ヒバリが苦笑した。
「でも、無意識だと某の追跡には役立たないんですよ。何せ君が覚えていないので、ボクが君の記憶を辿るのは不可能です」
「うっ……」
反論できぬ。「確かに……今のところ、おばさんが一番怪しいってことになっちまうな」
認めざるを得ない。
「一つ、救いがありますよ」
と、ヒバリがニコリ。「組織の情報で、千歳さんの母君は渡航中だと確定していますから」
それを改めて聞いてホッとした始の前で、ヒバリの持つ携帯端末が電子音を立てた。
「おやおや、定期連絡……もう晩でしたね」
ヒバリが待受の番号を見て苦笑した。「魔導家電や連絡ツールは便利なものですが、ときに束縛的で困りますよ」
文句とも取れる言葉を呟きヒバリが席を立ち部屋を出て、「ヒバリです」と、受電した。
部屋に一人残されると、始は自然と溜息をついていた。
「疲れてんだな……」
慣れない頭を使って話していたせいで、体まで疲労した錯覚を催す。実際、某と遭遇したときは、嫌な緊張感が全身を包み、凝り固まった感覚もあった。汗をかいてもいたので全身に不快感を着つけたようだ。それらを総合すると、疲労感となる。
……困ったもんだ。
仮に某が叔母としたら、始は千歳の母を捕まえようとしているのだ。
……オレは、最低だ。
過去に何をしていたとしても、千歳に取って母は母。敬愛し、尊敬する母なのだ。その母を奪うような行動を、始は積極している。罪悪感を、ジワジワと言わずビシビシと感じている。
予想が予想であってほしい。これまでの出来事が夢であってほしい。と、始は切に願った。
――四章 終――




