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魔物たちの勇者撲滅記録  作者: 葛城獅朗
バラ園に残した愛
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戻らない日常

 なんか雪那がぎゃんぎゃん言っている、と思いながら玄関のドアを開けると、リビングからバーン! という爆発音と、次いでガシャーン! という破壊音がした。広間を通って焦げた臭いが漂ってくる。明らかな異常事態だが、私はこの現象の原因が分かっていたので、冷静にリビングまで歩いて行った。厄介な案件で忙しくなる前は週1回のペースで爆発していたのだ。今さら驚いたりしない。

 扉を開けると案の定、雪那が毛を逆立てそうな勢いで蓮太郎を睨んでおり、高級そうな布を使ったソファとカーテンが燃えていた。今は小さな火がちろちろ動いているだけだが、その周辺は真っ黒に焦げているので、そうとう強い火で炙られたのだろう。さらにマグカップも割れて床に散らばっていた。カップの破片が散っていると危ないので、私はドアを開けた位置で足を止める。縁が足元からするりと抜けていこうとしたので、「危ないよ」と言ってひょいと持ち上げた。「踏まねぇよぉ」と抗議されたが、そのまま腕に抱える。滅多に帰ってこない大黒さんはあまりこの光景を見たことがないのか、私の後ろから覗き込んで「わぁ」と半分楽しそうな声をあげた。

「どうしたの」

 私は呆れながら平坦な声で問いかける。雪那は鼻息荒く蓮太郎を睨み続けていたが、私に問いかけられてプイとそっぽを向いた。怒りの矛先には散々文句を言っているのだろうけど、部外者にそれを告げ口することはない。これもいつものことだった。ケンカしている場面はよく見るのに、私たちはケンカの発端に立ち会わないとその理由は分からないのだ。

 だが、大体は蓮太郎が余計な一言を言ったせいで雪那が怒っているので、今回も何を考えているか分からない顔で雪那を見ている蓮太郎が悪いのだろう。私は2人を見比べて「謝ったら?」と蓮太郎に言ってみたが、蓮太郎もふいっとそっぽを向いた。どちらも頑固なところは似ている。だから余計に2人の会話は平行線を辿って、結果ぶつかり合うのだ。

 しかし、そうしてしばらく無言になった雪那はむくれながらも燃えた家具と割れたマグカップを直し始める。パチンと指を鳴らすと原型を崩されたそれらが逆再生のように復活し、シミひとつない状態になった。カップはふよふよ浮いてきちんとテーブルに並ぶ。床に落ちているときは気づかなかったが、それは雪那と蓮太郎、2人のカップだった。直前まで2人でお茶を飲んでいたのに、なぜケンカしたのか。この2人は仲が良いのか悪いのかよく分からない。

 とはいえ、この二人がケンカをするのは日常が戻ってきた証のようで嬉しくもあった。ここのところ大人たちは、難しい顔をして何か考えていることが多かったから、感情のままに行動している様子を見ると安心する。

 そうして片付いたリビングに改めて入ると、いつから後ろにいたのか純子もするりと後に続いて、「皆さん、お茶飲みますか?」とにっこり笑った。その手にはすでに中身がなくなり、先ほど修復された雪那と蓮太郎のマグカップもある。純子は全員がお茶を希望しているのを確認して、再び音もなく歩いて行った。

 私はいまだにむすっとしている雪那には近づきたくなかったので、彼とは別のソファに腰を下ろしたのだが、大黒さんは好奇心を隠そうともせず雪那の隣に座り「ケンカの原因はなんだったんですか?」とズバリ切り込む。雪那はますます口をとんがらせて「別に大したことじゃないよ」と返した。質問の回答になっていない言葉でも、大黒さんは「そうですか」と楽しそうに笑みを深めて、ソファに座りなおす。

「こいつらは年中こうだからなぁ。気にしてたらキリねぇぜ」

 私の腕から抜け出た縁がわざとらしく呆れた風を装いながら、大黒さんの横に飛び移ってちょこんと座った。兄の言葉を受けた大黒さんは、おかしそうに笑う。

「ははは、それはアレじゃないですか。ケンカするほど仲が良いっていう」

「違う!」

 からかわれた雪那は怒りに顔を赤くして抗議したが、兄弟は楽しそうに笑うばかりだ。可愛い顔をふくれさせた雪那は再びそっぽを向いた。一方の蓮太郎といえば、一人離れてダイニングテーブルにぼーっと座り、自分たちのケンカが話のネタにされているのも意に介していない。そういうところが雪那は嫌いなんだろうなと、ふと悟ってしまった。

 でも結局はずっと一緒にいるのだから不思議だ。それは雪那と蓮太郎に限ったことではなく、猫と悪魔とという不思議な兄弟にしてもそう。見えない絆があるのを確かに感じる。それが私の家族であるのがなんとなく嬉しくて、私は3人と1匹をじっと見つめた。

「はい皆さん、お茶が入りましたよ」

 純子が良い紅茶の香りとともに声をかけたことで我に返る。純子は大きなお盆の上にティーセットを乗せているが、回収した雪那と蓮太郎のマグカップはそこになく、豪華な洋館に似合いな揃いのティーカップが積み重なって準備されていた。

「桜、キッチンにクッキーがあるので取ってきてくれますか」

 純子がテーブルにお盆を下ろしながら告げた言葉に、私はテンションが上がって「はーい!」と元気な返事をする。すぐさま立ち上がってキッチンへ向かうと、作業スペースに4種類くらいのクッキーが綺麗に一列ずつ配置されたお皿があった。小麦粉やココア、アーモンドなどの幸せな匂いを吸い込みながら、落とさないようにそっとお皿を持って運ぶ。再びリビングに戻ると、純子が並べたカップに丁寧に紅茶を注いでいた。通りすがりに蓮太郎に向かって「なんか取る?」とクッキーの皿を差し出してみたが、甘いものがそこまで好きではない蓮太郎は首を横に振る。私もすぐにお皿を引っ込めて、純子がお茶を配っているテーブルにそっとクッキーを下ろした。

「ありがとう、桜」

 にっこり笑って礼を言われた私は、えへへと笑う。

「このクッキー、美味しそうだね。なんかいつもより大きいし」

「ええ、それ、市販のクッキーなんです。美味しいと評判のお店があったので買ってきました」

「へぇ、珍しいね。いつも作るのに」

 私は受け取ったお茶を飲みながら、不思議に思って首を傾げた。純子は私がこの家に来た時から、ほぼ毎日かかさず手作りのおやつを用意してくれている。市販のお菓子が並ぶのは私がねだって買ってもらった時くらいだ。

「ん~………少しイライラして、衝動買いしてしまったんですよね」

 そう苦笑いしながら答える純子に、私は雷に打たれたような衝撃を受ける。純子から『イライラする』なんて言葉、今まで聞いたことない。だって彼女はいつも仏のように穏やかなのだ。怒ると鬼にふさわしい恐ろしさを発揮するけれど、それはきちんと怒らなければいけない場面での出来事だし、イライラとは少し違うベクトルの感情だろう。大体、怒ったところも数えるほどしか見たことがない。

 その純子がイライラしただなんて、きっとよっぽどのことが起きたのだ。私は恐ろしさと好奇心を感じながら、おそるおそる尋ねてみる。

「え、何にイライラしたの……?」

 純子は自分の分のお茶を持って、空いているソファに座った。これまた珍しく笑みを消して、困ったように眉をハの字にしている。

「勇者のことでちょっと……」

 そう言うと、純子はすっと視線を大黒さんに移した。大黒さんも勇者の言葉を聞いた瞬間に真面目な顔になって、純子を見つめ返している。

「すみません、肝心なことを聞き出せませんでした」

 しょんぼりしている純子がそう告げると、大黒さんも残念そうに「そうですか……」と残念そうな顔をした。しかし、それは一瞬でいつもの笑みに戻る。

「仕方ありません。次の手を考えましょう」

 大黒さんの言葉に、純子も微笑んで「はい」と返したが、その二人だけで会話が完結しては私が理解できない。ここで話が打ち切られないように、私はすぐ口を出した。

「勇者って、あの捕まえた勇者?」

 純子は私の言葉に頷いて説明してくれる。

「ええ、私の中に取り込んでいた勇者です。お話を伺いたかったので取り出したんですけど、聞きたいこと全ては教えてくれなくて………」

 勇者を完全に物扱いしながら、純子はふぅとため息をついた。『勇者はムカつくから取り出したくない』と言っていた純子にとっては、勇者と話をするだけでも嫌だったのだろう。だが、あの勇者は気になる発言をいくつかしていたため、そのままにしておくわけにもいかない。おそらく大黒さんに言われて取り出したのだろうが、先ほどの発言と純子のしょぼんとした態度で上手くいかなかったのはわかった。

 私も戦闘中に勇者が言っていた『ここは絶対落として来いと言われている』という言葉はずっと引っかかっている。誰に? なんのために? と考え始めるとキリがなかった。私は前のめりになって「わかったことはあったの?」と純子に尋ねる。

「ええ。まず、お名前はジョン・スミスさん」

「え、外国の人? めちゃくちゃ日本語喋ってたけど」

「お顔もアジア系でしたけどね。お話ししてると咄嗟に英語もでてきてましたよ」

 私と純子が首を傾げながら話していると、雪那が眉間にしわを作って割り込んでくる。

「ていうか、それ偽名だろ」

「え、なんでわかんの?」

「ジョン・スミスって、日本でいう山田太郎みたいなものなんだよ」

 私は初めて知った情報に「へー!」と素直に驚いたが、純子が「まあ、私もそれは嘘だと思ってました」と言ったので、知らなかったのは私だけかと少し恥ずかしくなった。

 そんな私をよそに、大黒さんは腕を組んで考え込む。

「うーん、本名は言わないかもしれませんね。でもアジア系の顔で日本語ペラペラなら、偽名でも日本名にしておけばいいのに、咄嗟にジョン・スミスって出たってことは英語圏の人なのかもしれませんね」

 これには純子も頷いて後を続けた。

「ええ、実際に勇者の組織も英語圏に多いイメージありますし。そちらの所属の方かもしれませんね」

「じゃあ、わざわざ海外から来たってこと?」

 私が首をかしげて聞くと、純子が首を横に振る。

「いえ、もともと日本にいたらしいです。もしかしたら大きい組織の日本支部の方かなと思ったんですけど、そこまでは聞けなかったです」

 そこまで言って、純子はまたしょぼんとしてしまう。「日本支部」なんてあるほど大きな勇者の組織があるのが驚きだったが、それよりもまた純子を落ち込ませてしまったと慌てて違う話を振った。

「で、でも他にも聞き出せたことあったんだよね?」

「ええ、といってもこれが最後ですが………」

 これだけしか聞き出せなかった、という純子の心の声が聞こえた気がして、私はまた質問を間違えたと思ったが、純子はきちんと顔を上げて報告を始める。

「あの勇者が死ぬと、組織に連絡がいくそうです。そう言い残して自ら命を絶ちました」

 私は音を出さずにひゅっと息を飲んだ。その言葉が本当なら、勇者の組織に何かしらの連絡がもう行っているということだ。思わず勇者が大群となって押し寄せる光景をイメージしてしまう。

「その前に、また私の中に取り込んでしまおうとしたのですが……どうにもその告白自体が自死のトリガーになっていたみたいで、次の瞬間には事切れていました」

 純子がその目に厳しい光を宿し、言い終えると、私も想像したことを大黒さんが言葉にした。

「ということは、これからも来るでしょうね、勇者。自分たちより強い、ましてや仲間を捕らえた魔物なんて見逃さないでしょう」

 そう言って、大黒さんはおもむろに立ち上がる。

「純子さん、有益な情報を聞き出してくださってありがとうございます。今はこれで十分ですよ。私はこの家の結界を強化してから出かけますね」

 そうして大黒さんはドアへと向かって歩き出した。いつも出ていく時と変わらない、余裕と笑顔を持ったまま。今のを聞いて何かわかったのか、それとも何か対策を思いついたのか。つかめない笑みの中に考えを見出すことはできないけれど、きっと次に取るべき行動はすでにその頭の中にあるのだろう。そのシャンと伸びた背に、縁が声をかける。

「おぉい、なんか俺たちでやっとくこと、あるかぁ?」

 兄の申し出に、大黒さんはドアノブを回しながら考えるそぶりを見せた。

「うぅん、そうですね。周りの方にも勇者に警戒するように言ってください。あとは……」

 そして大黒さんは良い笑顔で振り向く。

「皆さん、今まで以上に強くなってください」

 予想外のことを言われて、私がきょとんとしているうちに、大黒さんは爽やかさを残して出て行った。




 その後すぐ、土や葉っぱにまみれ、息を切らせながら走ることになるとは、夢にも思わなかった。

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