催眠
やっぱり自分でもバラの種の姿形は把握しておいたほうがいいかな、と検索したときの第一印象は「ポップコーンになりそこねたコーンみたい」だった。容器の一番下にたまっているアレ。小麦色の小さな粒。だからその時は美味しそうだな、なんて呑気なことを考えていた。
だが実際に見たそれは透の口というありえない場所から出てきたこともあって、本能的な恐怖と警戒心が呼び起される。相変わらず私にすがっている透は種を吐く苦しみからか、さらに力を込めて私の腕をつかんできた。そして喉からヒューヒューという嫌な音をさせながらもようやく嘔吐が終わり、自分から出てきた種を見て、透はさらなる混乱へと突き落とされる。再び叫んでこの悪夢から覚めようとするが、最悪なことに溢れる涙は妖精の女王と同じく、地面に落ちた瞬間から青バラを咲かせ、悪夢を助長させた。
私はまた鼓膜が破れそうな不快感を味わいながら、効果がないと分かっていても透に声をかけようとする。すると突然、支えている透の体重がふっと軽くなった。それまで空気のように佇むだけだった蓮太郎がいつの間にかこちらへ来ていて、いつかのように透を私から引きはがしてくれたらしい。
「…………大丈夫だ、こっちを見ろ」
蓮太郎は透の腕を押さえ込みながら、彼の顎を乱暴に持ち視線を無理やり合わさせた。透は気道が少し塞がれたのか、声のボリュームが小さくなりながらも「いやだ! いやだ!」と叫び続ける。蓮太郎は構わず、わずか数センチというところまで顔を近づけ、その赤く光る瞳で透の瞳を覗き込んだ。いつもは眠たげな目が、獲物を見定めた獣のように見開かれている。
「………大丈夫だ、害はない。それはお前の命を救ってくれるものだ」
「いやだ――――――――――――」
「シー、何も喋るな、大丈夫。見る必要はない。目を閉じて」
常時反応も話す速度も遅い蓮太郎が、だんだん饒舌になっていく。そして驚くことに、それに反比例して透の動作は鈍くなっていった。暴れるのを止め、叫ぶのを止め、あれほど死の絶望を感じさせた声が今は何を言っているのかも聞き取れないほどの囁きに変わる。涙の乾いた瞳は支えることが難しいほど重くなったのか、徐々に上下し始めた。
「そう、いい子だ。怖いことは何もない。安心して眠れる。俺が起きろと言うまでは夢の中だ。夢から覚めたら、お前の中の妖精を受け入れられる」
そうしてもう一度、蓮太郎が「目を閉じて」と言うと透は完全に目蓋を下ろし、同時にガクッと体から力を抜く。蓮太郎は崩れる体を衝撃のないようにゆっくり横たえた。耳を澄ますと、透から健やかな寝息が聞こえる。胸の光は透が眠ったと同時に消えて、妖精も見えなくなっていた。
「なにしたの?」
私が疑問をそのまま出すと、蓮太郎は途端にいつもの調子に戻って口を閉ざす。その顔には明らかに「面倒だ」と書いてあった。その態度を不満に思った私はそのまま無言で見つめて先を促す。しかしその様子を見た雪那が先に答えを教えてくれた。
「たぶん催眠術だろ。吸血鬼はそれで人間の意識を朦朧とさせてから血を吸う………だったよな?」
最後の問いかけは蓮太郎に対するもので、蓮太郎はそれに頷いて答える。
「へぇ、そんなの使えたんだ」
私は答えてくれなかった腹いせに、なんてことないようなリアクションを返したが、内心はとても驚いていた。やっぱり種族が違うと特性とか能力とか違うものなんだね。そう言えば透の両親も催眠術のようなものにかけたと言っていたし、普段から使っていた力なのかもしれない。私は正直、自分はただ身体能力が桁違いであることしか秀でているものはないと思っているから、そういう魔物っぽい不思議な力が備わっているのはちょっと羨ましい。
急に静かになったことで徐々に緊張感が解れていくのを感じながら、そんなことを考えていると雪那が透に近づいて顔を覗き込む。
「正直、あのまま正気を失うかと思ったよ。お前いろいろコイツに言ってたけど、起きたらもうアレ見ても大丈夫なのか?」
「…………おそらく」
「おそらく?」
「………催眠術は解こうと思えば簡単に解ける。それに、あれは人間に使うものだ。魔物なら完全には効いていなかもしれない」
「ああ、なるほど」
雪那と蓮太郎の会話を聞いていた私は全容をつかみかねて「何がなるほどなの?」と素直に質問した。今度もぽんぽん会話をしてくれる雪那が答えてくれる。
「さっき縁が言ってただろ、もう人間じゃないって。蓮太郎の催眠術は人間に使うものだから、もしコイツが魔物だったら、人間と同じような効果は100%出ないかもしれないってことだよ」
ああ、それは前にも同じようなことを聞いたような気がする。純子と蓮太郎は人間に効果がある力ばかり持ってるから、魔物とも戦えるように武器を作ってもらったと。ただ今の会話で、それよりも大事なことを思い出した。
「ねぇ、なんでもう人間じゃないの?」
妖精が胸にいたり口からバラの種を吐いたり、涙でバラを咲かせたりと、人間とはかけ離れた所業を散々見たわけだが、私はお座りして様子を窺っている縁に一応聞いてみる。
「そもそも妖精を体ん中に入れて、妖精の命で生きてたんなら妖精化しちまってもおかしくないしなぁ。極めつけに、きっちり働いてたウチの結界も通れたってんなら、そりゃもう魔物だろうさ」
縁も会話は苦にしないのできちんと話してくれた。しかし私には引っかかることがあって、それもついでに質問してみる。
「でもさ、高橋くんからは人間の匂いしかしなかったよ。私の鼻が悪かったのかな」
「おめぇの鼻は天下一品さぁ。自信もてぇ」
「えへへ」
「今も人間の匂いするかぁ?」
そう言われて改めて鼻を動かすと、衝撃が走った。上品なバラの匂い。だがそれは明らかに人外のそれだった。
「…………しません」
「だろうなぁ。俺も予想外だったんだが、なぁんか今ので覚醒しちまった気がすんだよなぁ」
「今までは人間だったけど、魔物になった?」
「うんにゃ、なんてぇか、半分妖精で自覚無しだったのが、自覚して妖精側に振れちまったってぇ感じかなぁ。ほら、ウチに初めて来たとき、アイツちぃっとボケーっとしてただろ。アレ、自分の中の妖精が勝ってる状態だったんじゃねぇか? でもあくまでそれは中身で起こってたことで、本当は魔物だったのに普段は『中に妖精がいる人間』になってたっつぅ」
「よく分かりません」
「………おめぇの読んでるマンガでも、ただの女の子が前世の記憶の封印が解けて女神の力に目覚めたっつぅキャラクターいただろぉ。あれだ」
「よく分かったけど待って。縁、私のマンガ読んでるの? 恥ずかしいからやめて」
「結界は本質を見て、おめぇはそん時の状態を感じてたってぇところだろうなぁ」
「ねぇ待って、聞いて。よりにもよってあんな中二病みたいなマンガ読まないで」
私は透が錯乱した時よりも焦っていたが、必死の訴えはなぜか縁の耳をスルーしてしまうようだ。恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら、帰ったら目につかない本棚の一番上に移動させようと決める。
その時、会話をしていた縁のさらに向こう側から、さく、と草を踏む音がした。顔を上げると、青い顔をさらに青くさせた女王が、東屋から出てゆっくりとこちらへ歩いてきている。守れと言われた透のそばには蓮太郎がついているので、私は縁に並ぶ位置になるまで少し進み出た。女王のことを悪く思っているわけではないが、念のためだ。立ち上がって近づいてくると女王は本当に大きい。それを改めて認識し、いつでも後ろをかばえるようにと、気づかれない程度に体に力を入れた。
「透は………」
しかし、私の警戒はすぐに不要だったと分かる。心配そうに眉を下げた女王は適度な距離を保って歩みを止め、奥で力なく横たわる透を窺った。よくよく見てみると、私たちが事の真相を話している間も楽しくお茶会をしていた妖精たちは、今や怯えたように動きを止め、草木の間に隠れながらこちらを見つめている。しん、と静まり返ったお茶会会場は初めてだが、それだけ異常な騒ぎ方をしていたということだろう。
「安心しなぁ、眠ってるだけだ」
縁がいつものニコニコ顔で答えると、女王はほっと胸をなでおろし、表情を幾分か和らげる。周りの妖精たちも女王の様子を見てそろそろと出てきた。そのうちの1匹が私の近くまで静かに飛んでくる。
「透、ちゃんと起きる? 心配だわ」
「起きる……よね、蓮太郎」
私が眠らせたわけじゃないので催眠術をかけた本人に聞くと、頷きが返ってきた。
「………俺が言えばすぐに起きる」
「だって、大丈夫だよ」
「そう、よかったわ」
妖精は眉をハの字にしたまま、曖昧に笑う。それから何かをためらったように俯きながらもじもじしていたので、私が首をかしげて顔を覗き込むと、そろりと視線を合わせて胸の内を語った。
「透の中に仲間がいるなんて知らなかったの。とても驚いたし、彼女たちを思うととても悲しい。でもね、透が私たちのこと、嫌いになったんじゃないかって思うともっと悲しいの。あんなに嫌がるなんて」
どうやら妖精を見て半狂乱になった透の反応に不安を覚えているらしい。私としてはいくら妖精が好きでも、自分の中にみっちり詰まっていたら叫びたくもなると思うのだが。しかし女王も自分たちが拒否されたように思えたのか、妖精の言葉に同調する。
「やっぱり、あの子たちで透を助けたのは、余計なお世話だったのかしら………」
やっと透のパニックから解放されたのに、今度はどよんと沈んだ空気があたりに漂った。
「いや、自分の中に生き物がぎゅうぎゅうに詰まっていたら、誰だって怖いだろ」
私が思っていたことをそのまま妖精たちに伝えたのは雪那だ。
「ましてやコイツはずっと人間として生きてきたんだし、あれが普通の反応だろ。好きとか嫌いとか以前の問題だ」
ずいぶんズケズケと言うな、と私は感じたが、むしろ女王たちはその言葉にほっとしている。契約者に、清志の孫に嫌われるのが怖いのだろう。
「いつかは私たちのこと、受け入れてくれるかしら………」
女王が先ほどより良くなった顔色で尋ねれば、
「それは説得しよう」
と雪那が断言する。妖精たちを受け入れるよう、私たちが透に言い聞かせる方向へ知らないうちに話が決まっていたことに驚き、目を丸くして雪那を見た。真相を聞いた後のことは何も決まっていなかったはずだが。すると雪那は私を含めた仲間にぐるりと視線を寄越した。
「コイツから依頼されたのは『この家で起こっている怪異を解決すること』だ。怪異の正体は妖精たちで、この家と庭を契約者以外の人間から守るために行動していた。前も言ったけど、つまり契約者がこの家を引き継いでしまえば問題ない。しかもコイツはもう人間じゃなかったんだし、人間の世界だけで生きるのはもう無理だろ。だから契約者として生きるように説得することが、この件を解決する最善の策だと思う」
雪那の説明に私は頷く。まあその通りだ。透がそれをよしとするかは分からないけど。同じくそれに同意した縁が横から口を挟む。
「ひとつ確認してぇんだが、勇者のこともあんだろ? なぁ女王様、契約者がここを引き継ぎさえすれば、例の人間は入ってこれねぇようにできんのかい」
「ええ、できるわ。透が来てくれるのなら私の力も元に戻るし、そうしたら敷地内には一歩も入れさせないわ」
「ふむ、ならやっぱし、それが一番だなぁ」
ふさふさの顔でうんうんと頷く縁を見て、雪那が再び口を開いた。
「コイツには俺たちと同じ、魔物として生きる道を選ばせよう」




