胸の中
苦しんで生き、死んでいった男の話を、女王は無表情のまま語り終えた。愛する者を失い続けた期間を思えば、否応なく当時の感情をなぞるように心が大きく揺れ動く。それをあえて感じないように、感情を封印しながら喋っていた印象だ。
私は祖父が死ぬまでの苦悩を聞いた透を、横目でちらりと伺う。驚きと困惑と恐怖、それらが入り混じった複雑な絶望の色を、歪んだ顔に浮かべていた。加えて服にしわが寄るほど自らの胸を強くつかんでおり、その手がわずかに震えている。きっと無残に開けられ、妖精によって塞がれた穴の上。私の鋭敏な耳は、透の苦しそうな息遣いも拾っていた。
「透の中には妖精がいるから、きっとあなたたちのもとへ行けたのでしょう」
女王はずっと俯けていた顔を上げて、私たちを視界に映す。
「妖精のエネルギーで生きてきたから、妖精と認識されたのかもしれないわ。私たちは仲間の気配を感じられるけれど、透はずいぶん私たちと気配が似ているの」
女王の言葉を受けて、私はすん、と鼻を利かせた。透は洋館に来た時と同じ、人間の匂いしかしない。女王が言った気配とやらも、人間と外れているとは感じなかった。洋館が魔物だと判断したのなら私でも察知できると思ったが、本当に身内しか分からないものなのか、大家の大黒さん手製の結界がよほど優秀なのか。五感と身体能力を駆使して人間退治を行う私としては、透の中の妖精に気付けなかったことが少し悔しかった。
当の透は妖精と気配が似ていると言われて、ますます胸を掴む力を強める。得体の知れないものを体の中に入れ、得体の知れないものに似ているとあっては、心穏やかではいられないだろう。自分の体に病魔が巣食い、末端まで犯されて手遅れだと申告されたことと同じだ。彼の顔は青白く、汗が浮いている。さすがに倒れるんじゃないかと心配になり、声をかけようとしたその時。
「はぁーん、なるほどなぁ。確かにウチに来れたってんなら、そういうことだよなぁ」
縁の陽気とすら思える声が、悲しみと緊張に包まれた私たちの中で異質に響いた。その瞬間に私たちの周りではしゃぐ妖精たちの声が意識の中に戻ってきて、ああそういえばここは妖精たちが夜のお茶会をしている場だったなと思い出す。張りつめている私たちのほうが、この場では異質だ。しかし、縁の声はお茶とお菓子を楽しむ妖精たちのほうに寄っていながらも、何かを確信した重さを持つ言葉を発している。顔はいつもと同じ、笑っているような口角の上がり方をしているのに、瞳は鋭い光を放っていた。
「そこの坊やは妖精の命で生きてきて、女王様んとこの妖精と似てる。なおかつウチの結界が壊れてなかったってぇことは、魔物しか通さないまんまだ」
毎晩気にかけて様子を窺ってくれた縁に、透は戸惑いの表情を浮かべる。優しい存在から突如怖いことを告げられる気配を感じているのだろう。だが私は、縁が純粋な魔物だということを知っている。基本的に気配り上手で親切だが、彼は何百年も化け猫をやってきた男で、人間を尊重する考えは一切ない。「優しくしない理由がない」と言って親身になりながらも、「遠慮する必要もない」と心をえぐる言葉を平気で負わせる、そんな頼りがいがあって恐ろしい猫ちゃんだ。
そうして縁は透をひたと見据え、彼の正体を暴いた。
「するってぇとお前さん、もう人間じゃねぇな?」
その数瞬後に響いた叫びは死の間際にある生き物が発するような生々しさを持って、私の鼓膜を震わせる。守るように言われていたため、ぴったりと近くに待機していた透の声だ。あまりの絶叫に私は顔を盛大に歪め、思わず耳を塞ぐ。
「あああああぁぁぁああああぁぁああああああああああぁぁぁぁぁああああああああああ!!!」
母音しか発さなくなった透は、さっきまで握っていた胸を今度はガシガシと掻き毟っていた。きっとひどいミミズ腫れが残るだろう力強さでそうする理由は、すぐに私にも知れる。
透の穴が開いたであろう胸は青く怪しく光っていた。そして円形の光の中には、胎児の様に体を丸めて眠る妖精たち。同じように青くなった彼女たちは、生前自由に空を駆けていたことが想像できないほど、荷物の様に隙間なく、ぎゅうぎゅうに詰められていた。私は生理的な吐き気がこみ上げてくるのを感じる。なぜか本来あるはずの服や皮膚を通りぬけて透けている体の中で、力を無くした生き物が押し込められている様は衝撃的だった。横で見ている私がそうなら、自分の体の中でそれが起こっている透の混乱は相当なものだろう。限界まで見開いた目からボロボロと涙を流し、なんとか妖精たちを体から出そうと爪を行き来させている。
「とってぇ、とってよぉおおおおおぉぉおおお」
やがて自分の力で取れないと理解すると、透は一番近くにいた私に縋り付いてきた。私と同じように吐き気がするのか、口の端から唾液がこぼれているが気づく様子もない。私は耳に当てていた手を外して透を支えた。
「高橋くん、大丈夫だから」
話を聞いている限り、その妖精たちは透が3歳のころから体の中にいたものだ。害はないし、むしろ今もなお消えかけた透の命をつないでいるのだろう。それに私はきっと彼女たちを体から取り出すことはできない。だからとにかく透の混乱を治めなくてはと声をかけたが、透には届いていないようで叫び続けた。
「いやだぁぁあああああああとってぇえええええええぇぇぇ」
近くで断末魔のような声を聞くのは苦痛で、耳がビリビリ痺れるような感覚がする。しかし、再び顔を歪めたタイミングで急に透の叫び声が濁ったものとなり、下を向いて「おぇ」とえずきはじめた。やっぱり吐き気がしていたのだろうか、と反射的に身を引いて透の様子を窺う。そして私は、詰められた妖精を見た時と同じような悪寒が再び這い上がるのを感じた。吐いたのは胃の内容物ではない。彼と一緒に探していたもの。後日きちんとネットで画像検索したから見間違いではないだろう。
透の口からは、バラの種が何個も零れ落ちていた。




