07_北へ
西に大きく傾いた太陽の光が、その支配領域を少しずつ東の暗闇に奪われ始めている。カオルが言った通り、もうじき日が暮れるようだ。そんな夕暮れの中、カズトの目の前に広がる朽ち果てた秋葉原の町は、まるで肉や内臓を失った屍のように、骨組みだらけの身を惨めに晒していた。
(これが、現実?)
ダイチの言っていることが正しければそうなる。でも、カズトにはどうしても信じることができなかった。信じたくなかった。25年後の秋葉原の町が廃墟だなんて。おかしい。おかしすぎる。やっぱりこれは――
ピピ、ピピ。
その時、カズトの視界の端にあるゴーグルの地図に赤い点が二つ表示される。同時に、
「ヘルハウンド2体、ラミアとケルベロス、万世橋付近に出現、距離およそ250」
サクラが南の方角を眺めながら、極めて冷静に報告した。
「!?」
カズトはその声にびっくりして彼女の視線の先を追う。すると、カズトのゴーグルにもすぐさま2つの物体が補足され、それらのデータが瞬時に表示された。
『ラミア ヘルハウンドの一種
生命力:62 攻撃力:69 防御力:44 俊敏性:42 命中率:45
武器 ヘルハウンドの長槍(攻撃力:+62 俊敏性:-20)』
『ケルベロス ヘルハウンドの一種
生命力:80 攻撃力:92 防御力:53 俊敏性:89 命中率:57』
どうやらまたモンスターのようなものが現れたようだ。少し離れているらしく目視では確認しづらいが、ゴーグルの表示はそれらの輪郭を赤い線でくっきりと縁取っていた。
「……あれも現実」
カズトはさっき見た蛇女のことを思い浮かべて身震いする思いだった。
(あいつは俺を本気で殺そうとしていた。それも現実というのなら、俺はあの時リアルに死んでいたかもしれないということか)
カズトは今までの人生の中で自分の死について意識したことなど一度もない。ましてや、誰かに、何かに殺されるかもしれない状況に陥るなんて考えたことすらなかった。だから、もしあの時ダイチ達に助けてもらえなかったらと考えると、背筋が凍りつくほどにぞっとする。
ただ、カズト以外の三人は至って冷静で、カオルは二つの物体を確認した後、
「まだこちらに気付いていないようだな。見つかる前に徒歩で離脱しよう。私が先頭を、ダイチは殿を頼む。サクラはカズトをサポートしてやってくれ」
と、短い指示を出し、さっそく薄暗くなり始めた大通りを北に向かって歩き出した。
「いこ、カズト君」
続いて、サクラも歩き出そうとする。カズトの手を引き、やさしく声をかけながら。
「えっ、あ、……はい」
彼女にいきなり手を握られ、緊急事態にもかかわらずカズトははっとしてしまった。正直な話、彼にとって女の子と手をつないだ記憶といったら、保育園のお遊戯の頃まで遡らなければならないからだ。基本的にオタクはオクテでもある。ただ、そんな記憶でさえ、もしかしたら与えられたデータなのかもしれないと考えると、自分というモノの輪郭がどんどん曖昧なっていくような、そんな気がしてならなかった。
さらに彼を混乱させるのは、
「カズト、これも持って行け。お前のものなんだからな」
そう言ってダイチがカズトに差し出した日本刀だ。
「…………」
さっきVRゲームマシンの脇にあったあの朱塗りの鞘の日本刀だが、「お前のもの」と言われても、それについて彼には全く覚えがなかった。そもそも彼にとって日本刀なんて物は、漫画かゲームの中のアイテムとして存在しているものに過ぎない。本物を持ったことなど勿論ない。なのになぜかそれが自分の所有物だという。そんなことあろうはずはないのだが、自分自身の存在を明確に肯定できない今、お前のだから持てと言われれば、持たざるを得ないだろう。
カズトはダイチから日本刀を受け取り、サクラに促されてトボトボと歩き出した。
カオルは秋葉原の大通りを北に進んでいく。町は死んだように静かで、自分達の立てる足音だけが寂しげなBGMのように辺りに響いていた。ここが喧騒に満ちた秋葉原だなんて到底思えない。それも25年も未来の……。
ただ、だからこそ、カズトは右手の中に納まっているサクラの手のリアルさが無性に怖かった。彼女の手は小さくて、やわらかくて、若々しくて、何ともいえない触り心地。しかも、カズトとずっと繋いでいるせいか、かすかに汗ばんでいる。それら全てが「これは現実だ」とカズトに無言で訴えかけてくるからだ。
さらに、左手に持った日本刀の重さもリアルだった。それほど大きくないのにずっしりくる。普段の生活ではなかなか味わえない鋼の密度。やはりこれも本物なのか。
進むにつれ、辺りは急速に闇に包まれ始めた。瓦礫の山で確認はできないが、恐らく日が沈んでしまったのだろう。もしここがカズトの知る秋葉原なら、昼夜関係なく電灯が煌々と灯り、薄暮の闇を感じる暇など与えられないはずだが、この秋葉原は違う。あちこちの暗闇が黒い空気を大量に吐き出している。たぶん、じきに真っ暗闇になってしまうだろう。そのせいか、前を歩くカオルの足も若干速くなっている。
そのまま大通りを歩き続け、電気街を抜けた。御徒町のエリアに入ったのだ。が、町並みはまったく変わらない。今までと同様、崩れかけたビルだけが並んでいる。
(どこまでこの状況なんだ?)
カズトはどんどん不安になってくる。さっきカオルは上野に戻ろうと言った。ということは、とりあえず上野まで歩けばこの憂鬱な瓦礫の世界からは抜け出せるだろうし、もしかしたら秋葉原だけが異常で、それ以外の場所は何の代り映えもない平凡な世界が広がっているかもしれないとカズトは密かな希望を抱いていたが、この景色を見る限り、そんな事はまったくなさそうだ。
「っ……………………」
カズトはその不安を解消すべく、寄り添うようにしてすぐ隣を歩くサクラに何度も話しかけようとした。が、しかし、前を歩くカオルの背中に漂う厳しげな雰囲気に気後れしてしまい、結局、声をかけることはできなかった。
それからさらに進み、とうとう上野のエリアに入った。が、景色はやはりあいかわらずの状態。
(ここに何かあるのか?)
カズトは周りを見渡してみたが、特に変わったところはない。人っ子一人いない廃墟の町だ。が、よくよく目を凝らすと道の先に何やら黒い影が横たわっている。
(なんだ?)
近付くと、それは潰れた車や瓦礫であることがわかった。それらが5メートルほどの高さで道を塞ぐように積まれており、通行できないようになっている。
(……バリケードか)
この世界には蛇女などのモンスターがいる。何故いるかはわからないが、あんなものが町を徘徊していれば、ゆっくり休むこともできないだろう。そう考えると、この壁がそれらのモンスターを防ぐためのものであろうことは、比較的容易に推測できる。とすると、この向こう側は安全地帯だろうか? カズトは期待をこめてその壁を眺めた。
その壁の目前まで近付くと、前方を歩いていたカオルが壁の左端にあった車のボンネットと思しき鉄板をどかし始めた。
すると、その先に小さな通路が現れる。大人一人がやっと通れそうな小さな穴だ。恐らく出入り口だろう。
カオルはそこをささっと通り抜け、続いてサクラが、さらにカズトもサクラに手を引かれながらその通路を通り抜けた。最後のダイチは、後ろの様子を注意深く確認した後、カオルがどかした鉄板を元に戻し、大きな体をできるだけ小さく丸めて通り抜けた。
(ん?)
壁の向こうにあったもの、それは壁だった。今ぐくった壁と同じように車や瓦礫で造られている。壁の向こうは安全地帯だと期待していたカズトは少し残念だった。ただ、今度の壁は道を完全に塞いでいるのではなく、右端の3メートルほどは空けてあるようだ。
先を歩くカオルは、その空いたスペースに向けて淡々と進んでいく。サクラも然り。恐らく彼女達にとってはよく知っている場所なのだろう。
その空いたスペースから壁を通り過ぎると、さらに向こう側には壁が。ただ、この壁も完全に道を塞いでいるのではなく、今度は左側に空いたスペースが設けられていた。
そのような感じでその後も壁がいくつか設置されており、カズト達は左右の空いたスペースに向かって道をジグザグに進む形になった。
どこまで続くのだろう? たぶんモンスターを足止めするためのものだろうが、自分達まで足止めされているような気がしてカズトは若干うんざりしかけた。が、もうすぐ上野駅という所まで来た時、新たに現れた壁を見て、
「!?」
そのうんざり感は吹っ飛んでしまった。彼の目の前に現れたのは、今までの粗末な壁とは違い、重厚なコンクリートでできた高さ5、6メートルほどの巨大な壁。上部には胸壁のようなものまで設けられており、何人かの人影も見える。まるで中世ヨーロッパの城壁のようだ。それが、上野公園と道路の境に築かれていた。
「な、なんだこれ?」
カズトは驚きのあまり思わず声に出してしまった。秋葉原にしても、今まで歩いてきた所にしても、ビルや道は朽ち果ててはいたが、何となく見覚えのある感じはした。ここが仮に25年後の未来だとしても、その過程で大規模開発でも行われない限り、町並みが大きく変わることはないだろうから。けれども、目の前の上野公園はまったく違っていた。そんなに何度も来たことはないが、確か都会では珍しく、穏やかな雰囲気の漂う閑静な公園だったはずだ。なのにこれは……。
そんな驚いているカズトに、サクラが優しく教えてくれた。
「覚えてないかもしれないけど、ここが私達の家『上野要塞』よ」




