第94話 エルフと竜の和風庭園デート
吐息が首筋をくすぐり、いつものように僕はマンションで目を覚ます。背後から伸びる腕は、久しぶりの来客、魔導竜ウリドラのものだ。伸びをしたいらしく強めに抱きすくめ、そして彼女はブルルと震えた。
困ったことにウリドラは眠るとき服を着ないと決めている。そのせいか、素肌の腕を見るだけで僕の頬は熱くなる。
いや、どちらにしろ押し当てられる身体は艶かしいか。などと背中の感触を意識しないよう努めていたとき、目の前にある白い頭はモゾリと身じろぎした。
ゆっくり布団から顔を出したのはエルフの少女だ。
花が咲くよう開かれる薄紫色の瞳は、こちらを見上げて数回まばたきをする。どうやら可愛らしさを堪能することは許されないらしく、ペタリと少女の手によって視界を塞がれてしまった。
これは背後にいる艶かしい美女を見ないための配慮だと思う。当の本人は裸体を見られたくらいで気にしないだろうけど。
再び暗闇に包まれたせいで、2人から温められた布団、そして柔らかくも落ち着ける感触に、また眠りについてしまいそうだ。
ようやくウリドラはムクリと起き上がり、たまらなそうに伸びをした。
「んーーっ、久しぶりの日本じゃあ。相変わらずの空模様であるが……どれ、空気を味わうとするかのう」
「ほらほら、はやく着るものを着てちょうだい。朝の支度が出来ないでしょう」
分かった分かったとウリドラはおざなりな返事をし、それからようやく僕の視界は解放される。どうやら黒のホットパンツ、それにぴちっとしたTシャツを彼女は選んだらしい。
すらりとした足の長さを伝えてくる格好も、豊かな身体つきも、だいぶ魅力的だと彼女らに気づいて欲しいところだ。
そして紫水晶の瞳をしたエルフは覗きこんでくる。
二度寝しかけている僕の身体をゆさゆさと揺すり、それがまた揺りかごのようで心地よい。
ああ、これは僕の癖かもしれない。眠りにつこうとするとき、少女を抱きすくめてしまうのは。
「あら、寝ぼけているのかしら。会社に遅刻してしまいますよー」
寝起きの温かくも柔らかい身体、そして耳元へぽそぽそ囁かれると少女の可愛らしさにやられそうになる。
……とはいえ、残念ながら本日は平日だ。とても悲しい。
観念して起き上がると、黒髪の美女はベッド脇の窓を見上げていた。いつものようにどんよりとした雲模様であり、ネズミ色の梅雨空だ。
「凄いでしょ、日本の梅雨は」
「うーむ、雲が停滞しておるのう。とはいえ週末には回復するやもしれぬぞ。わしの勘じゃがな」
ほう、魔導竜の勘であれば、そこらの天気予報よりも信用できそうだ。となると今のうちレジャー施設のレストランを予約しておこうか。ひょっとしたら梅雨の切れ間のおかげで客足も鈍ってくれる……かもしれない。
ふむふむと一人で納得しながらキッチンへ向かう。いつものようにお米は炊けており、冷蔵庫で解凍していた食材を取り出しながら声をかける。
「ふたりとも、今日は何をして過ごす予定なのかな?」
「ええ、読書でも良いけれど、ウリドラは外に出たいでしょう。散歩でもしようかなと思っているわ」
「そうじゃなあ、雨とはいえのんびり歩いてみたい。どこか良いところを知っておらぬか?」
ふむ、とお米をしゃもじで混ぜ、蒸らしながら考える。ああ、そういえば一条さんから幾つか散歩コースを聞いているな。
「近所に清澄庭園という場所があってね、純和風の風景を楽しめると思うよ」
うん、このあたりの説明はスマホで見てもらいながらのほうが早いか。おいでおいでと招き寄せ、テーブルを囲んで3人で覗きこむ。
「わあ、緑色の池。松が見事に映えるわねぇ。日本の緑はスッキリして色鮮やかだわ」
「んーーっ、渋いのう。わしは派手なものばかりに目を向けておったが、最近は分かってきたぞ。空間を静に満たしてこそ動を楽しめる……要はそれっぽくて格好良いという事がのう」
あらら、最後の一言で台無しだ。
朝食を並べているときも2人は楽しそうにスマホを操作し、そして食事を始めても変わらない。お行儀わるく皆でスマホを覗き込みながら箸を手にするのも賑やかでいいね。
「今日は納豆はどうするかい、マリー?」
「ううん、やめておくわ。私は卵のほうが好きみたい。醤油をかけて、そしてふりかけも乗せてしまうのよ」
「ふむ、わしもそっちにしよう。むうっ、この写真に写っておる服は、キモノという奴じゃなあ。知っておるぞ、てれびで見たことがある」
見れば画面には色鮮やかな桜色をした着物が写っていた。となると僕としては実際に着るよう提案すべきだろう。
「へえ、綺麗だね。ウリドラの力で再現できたりするのかい?」
「お、そうじゃったな、もちろんわしならば出来るぞ。どれ、食事のあとに着せてやろう」
パチクリと瞬きをするマリーは、自分も着れると思っていなかったらしい。元から洋服に興味のある子だ。みるみる頬を紅潮させ、期待に胸を膨らませてゆく。
そんな少女へ僕は声をかけてみよう。とびきり今日という日を楽しめるように。
「なら2人のデートプランは決まったかな? 純和風の庭園で、竜とエルフは着物を着て散歩をする……というのもファンタジーで素敵かもしれないよ」
「行くっ、行く行くっ! ウリドラ、一緒に遊びに行きましょう?」
彼女へ呼びかけると、竜はもちろんだと言いたげに瞳を細め「にゃあ」と黒猫のように鳴く。くすぐったそうに笑う表情を見て、きっとウリドラも僕と同じように少女の反応を見て楽しんでいるだろうと分かる。
保護者のようだけど、可愛い子がこういう顔をするだけで、僕ら大人はほっこりとした気持ちになるものだ。
がろりと戸を開き、脱衣所から2人は姿を表した。
ちょんと袖を摘まみ、恥ずかしそうな顔をして我が家のエルフさんは着物姿披露する。白地に落ち着いた紫の柄を入れ、瞳の色をより引き立てる色合いをしていた。
「似合ってないと、思うの……なんだか浮いている気がしてしまうの」
「そんなことは無いよ、マリー。ほら、こっちに来てごらん」
ちらりと時計を見れば、出社時間までもう少しある。
確かに彼女の言う通り、服と合っていないように僕も思う。それは和の世界から飛び抜けた顔立ちをしているからだと思う。
とはいえ彼女の髪も瞳も品があるのだし、もう少しだけ和風側に歩み寄れば問題は消えてくれるに違いない。
うつむきがちな少女の手を取り、そして洗面所で髪へブラシを当ててゆく。髪留めとしていつもの耳かざりをつけると、しゅわりと音を立てて花を模したものが咲いてくれる。
綺麗なうなじが見えるよう少し高めのポニーテールにし、そして品よく横髪を垂らすと……。
「ほら、どうかなマリー。見違えたと僕は思うけれど」
そうっと横を見ると、少しだけマリーは恥ずかしそうな顔をしてコクンと頷いた。化粧もしていないのにエルフは色鮮やかであり、つい魅了されるほど綺麗だと思える。
「う、あ、ありがと。すごく……嬉しいわ」
「どういたしまして。ウリドラもとても似合っているね。やっぱり黒い髪と瞳をしているせいかな」
「……なんともおざなりな褒め言葉じゃのう。そこをのけい。わしもマリーと同じ髪型にするとしよう」
あれ、おかしいな。しっかり褒めたつもりだったのに。
邪魔だと言わんばかりに、美女からシッシッと手で払われてしまったよ。
さて、2人は僕の出社と一緒に外へ出て、そのままバスに乗って駅前まで来てくれた。あとは半蔵門線に乗り換えれば数駅で清澄庭園までたどり着ける。
朝の通勤とは思えぬ華やかな光景に、周囲の人達は距離をすごく開けていたけれど、さすがにもう慣れたよ。
「清澄庭園はこの清澄白河で降りるからね。文字はもう覚えたかな?」
「ええ、漢字は難しいけれど、清澄の文字はいま覚えたわ。それにしても残念ね、あなたも一緒じゃないなんて」
錦糸町駅のホームには、出勤する人たちで溢れている。そこへ妖精のように美しい2人がおり、着物を着ているとなると当然目立つ。
もじもじと身体を揺らし、寂しそうにしているマリーへと僕は笑いかけた。
「まあ僕としてはね、マリーが楽しく遊んでくれることが嬉しいんだよ。あとでたくさんお土産話を聞かせてくれるかな」
「ええ、もちろん。だからあなたもお仕事がんばって。行ってらっしゃい」
ん、2人から改札口でバイバイと手を振られるのは何だか不思議だね。
日本人らしくまともに有休を使えていないけれど、いつかドーンと取得してみたいものだ。などと考えながら、いつものように僕は満員電車に飲み込まれていった。
さて、それから2人は僕の助言通り喫茶店で時間をつぶし、それから通勤ラッシュを避けて清澄庭園に無事辿り着いた。
そわそわと心配していたけれどマリーはとてもしっかりしているし、ウリドラもいるなら問題も起こさないだろう。まあ心配だけども。
しとしとと雨の降る庭園は、都立だけあって入園料はリーズナブルだ。そのぶん気軽に何度も訪れることができ、四季の変化を楽しめる。
「見て見て、年間パスポートが600円ですって。安くて面白いわねぇ」
「むうう、150円を払って入園するか悩むレベルじゃのう……」
などと向こうの世界では金銭のことなど考えないくせに、竜は眉間に皺を寄せて悩む。それもこれもお小遣い制であり、自由に動かせるお金に限度があるせいだ。
散々悩んだあげく、お試しということで2人は150円を支払って入園することにしたらしい。
「あれ、日本語を話せるんですか。いや、驚きました」
受付の白髪混じりの老人も面食らい、くすくすと2人から笑われてしまう。人の良さそうな照れた笑みを浮かべ、そのお礼にという風にアドバイスをくれる。
「今は花菖蒲の時期でしょう。10時からガイドが案内してますんで、興味あったら参加してみてください。お金はかかりませんので」
きょとりと竜とエルフは顔を見合わせる。お金も無しにガイドをするなんて、怪しい集団だったらどうしよう……という考えは一瞬で消えた。ここは日本であり、お人好したちの住む国なのだ。
にっと2人は笑みを浮かべ、そして年配の係員へと頭を下げた。
「ありがとうございます、参加して日本庭園を堪能させていただきます」
「驚くほど日本語が堪能ですね。ぜひぜひ楽しんでいってください」
にこにことした係員の笑みは、どこか印象的だった。
同居している彼と似た雰囲気をしており、庭園広場へ向かう間も頭から離れない。ぴんっと2人同時にある言葉が浮かび、顔を見合わせて口を開く。
「おじいちゃんっぽいんだ、一廣は」
ころころと2人は笑い、梅雨模様とは思えぬ華やかな気配を辺りへ発していた。まあ、ちょうどそのとき僕はクシャミをしていたけれど、まさかそんな事を言われていたとはね。
「わああ、綺麗な紫色!」
花壇に群生する花菖蒲に、エルフは感嘆の声を漏らし、そして周囲の老人たちはつい笑みを浮かべる。風変わりな来訪者ではあるが、日本の光景というものを愛していると伝わったらしく、まるで孫を見るように微笑ましい表情だ。
「ええ、あなたの瞳のように綺麗な色ですね。この時期、アジサイと並んで親しまれている花ですが、このような園にしているのは200箇所程度なんですよ」
すらすらとガイドは説明し、2人は感心して女性の声に耳を傾ける。花のように品がある人であり、スッと通る聴きやすい声をしている。いくら年を重ねても美しくある女性に、どこか惹かれたのかもしれない。
そのようにアヤメ科の見分け方などの説明を受け、小雨のなかでもゆったりとした時間を過ごした。
雨に濡れた岩というのは不思議と魅力がある。
緑色の池へ浮いた岩は独特の色合いをしており、先ほどのガイドによると「雨のときのほうが色鮮やかですよ」という言葉の通り、ただ歩いているだけでも楽しめる。
「はあ、花を愛でるだなんて貴族のすることだと思っていたわ」
「こちらも元はそうじゃろう。それが市民へと解放されたように見える。要は国としての器が異なるということであるな」
などとビニール傘で雨を防ぎ、色鮮やかなアジサイを覗きこむ。どうにもこの花には不思議な魅力があり、マリーは頻繁に見つめてしまう。
「この時期だけの花らしいわ。梅雨にならないと咲かないの」
「ふむ、そう聞くと価値を感じるのう。今しか見れないとなると、この時間を妙に贅沢に感じられるものじゃ」
うんうんと同時に頷いた。
アジサイの向こうにある緑色の池には、ぽつぽつと細かい雨が降りしきる。池に浮いた和風の建物といい、どこを見ても緑と花を楽しむことができ、心の洗われるような思いをしてしまう。
と、そのときぽちゃりと水の跳ねる音が響く。そちらを向くと、池から何者かが姿を表していた。
「あら、何かしらこの生き物は」
「水辺に住む物の怪かのう。しかし、なんとも生意気な顔をしておるのう」
そう言うウリドラの声も、いつもよりのんびりとしているものだ。岩にしがみつく亀は、そんな竜とエルフをじっと見つめ、ふすふすと鼻を動かしている。
なんとも愛嬌のある顔つきに、くつくつと2人は笑う。
「ああ、お風呂に入ったみたいにスッキリするー。なにかしら、この新感覚な場所は」
「和風恐るべしじゃな。ここに長居していては、きっと一廣のように眠そうな顔に変わってしまうじゃろう」
まさか、と言いかけたマリーはぴたりと止まる。受付もガイドも周囲の人々さえ、どこかのんびりとした雰囲気をしており「あながち嘘じゃないかも」などと思ったらしい。
やれやれと言うように亀はとぽんと池へ沈み、気持ち良さそうにスイスイ泳いで行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うん、うん、そう、ゆっくり楽しめたなら良かったよ。え、眠そうな顔になりそう? 何を言っているの、花を見ても顔つきは変わらないよ?」
などと不思議な会話をしてしまった。どうやら2人は無事に庭園を楽しみ、僕らの家へ戻ったらしい。ほっと安堵をし、そして向こうにいる少女へ話しかける。
「そうだね、今度は一緒に行こうか。ただし僕は着物を着ないからね」
おっと、日本人たるもの……などと説教をされてしまった。
まさかエルフさんから日本人のあり方について怒られるなんてねぇ。
通話を切り、スマホをしまうと雲から降りしきる雨はずいぶんと勢いを弱めていた。このまま週末には止んでくれると嬉しいな。などと思い、僕は伸びをしてから職場へ戻った。
ああ、働かないで済むなら日本は天国なのにね。
などと内心で文句を言いつつも、僕の足取りはとても軽いものだったよ。




