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第292話 竜の眷属①

 金属製の鎧が床に散らばっている。

 装飾を見れば高価なものだと一目で分かるのに、強引に剥ぎ取ってそのまま投げ捨てたような乱雑さだった。


 それらは暖炉に灯された炎を反射しており、点々と散ったものを目で追ってゆくと壁に立てかける一振りの剣に辿り着く。


 曲がってしまったのか美しい細工をした剣は半ばまでしか鞘に収まらず、また幾つかの刃こぼれを見せていた。光り輝くようなこの刀身は、まさか導電率の高い純銀を使っているとでもいうのだろうか。


 アリライ国の文字で刻まれた刻印には「ただ純粋にジャストピュアただ真っすぐにジャストストレート」という意味がある。

 そして純粋すぎるその刀身は、ソファーに身を横たわらせる主人――雷光の騎士ライトニングナイトを映し出す。


 血色の乏しい肌は死人のようで、あの剣のような銀色の髪を伸ばしていた。

 眉間に皺を寄せて、ウッと彼は呻く。ここではない戦場のことをきっと夢で見ているのだろう。


 彼は王族の懐刀と呼ばれる存在である。電撃を操る術に長けており、ひとたび剣を抜けば百を超える敵が瞬時に倒れ伏すという。

 しかし今は顔を青白くさせており呼吸もまた弱々しい。押し寄せる濁流のような魔物を前に、精魂尽き果てるまで戦ったのだ。


 ふっと男は目を開く。

 すぐに戸惑いの表情を見せたのは、目の前のランプに腰掛ける光の妖精がいたからだろう。霞む視界をまばたきさせても、その光精霊は消え去りなどしなかった。

 それから頭痛をこらえつつ室内を見回す。


「ここは……?」


 初めて立ち寄る彼は知らなかったが、たくさんの本を積んでいるこの部屋は、書庫ができるまでのあいだ薫子の頼みで保管している場所だ。

 どうも彼女には精霊や亜種族が寄ってくる。幼い外見なものの驚くほど落ち着いており、分け隔てないどころか好奇心いっぱいで話を聞きたがる。だから心地よいのだろう。


 もうひとつ、寄りつく理由には美味しいお茶と菓子がある。

 窓から注ぐ陽だまりに包まれて、言語を学ぶという名目でおしゃべりをし、異国の菓子と茶を楽しむ。本の香りには落ち着く作用があるのか、文字に慣れていなくても客人たちは雰囲気を楽しめるらしい。


 いつの間に置かれていたのだろう。

 目の前の木製テーブルにあったのも、彼女の保管するお茶を勝手に煎れたものだった。


 異国から取り寄せた本、ふんだんに使われた木材と、アリライ国とはまるで異なる文化を感じ取れる。辺りに漂う茶の香りもまた嗅ぎ慣れず、しかしどこか肩の力が抜けてゆく安心する香りだった。


 ここはどこだろうと、戸惑いつつ眺めていたときに記憶が戻ってきた。

 濁流を浴びたように破壊されてゆく自陣と、全力を振り絞れと王子から命じられた言葉を。

 ギンと抜き身の刃のような鋭い目を浮かべたとき、何者かの声が響く。


「ああ、君、もう戦いは終わっているから。大人しく、そのままで」


 そう落ち着いた声に諭されて、立ち上がりかけた姿勢で彼は動きを止める。

 解かれた髪は銀色で、目はより濃い色をしている。よく磨いた鉄みたいだな、と椅子に腰掛ける治癒者ヒーラーは思ったらしい。


「……あなたは?」

「ドゥーラ隊長率いるアンダルサイト隊の者だよ。今夜は怪我人が多い。こうして空いている部屋で対応しているのだし、君のあとも控えている。治ったらすぐ出ていくように」


 笑うと口元の皺がより深まる。かすかな迫力を身に纏っているが、しかし悪い男ではないらしく、先ほどの光妖精が白髪まじりの頭にぴょんと乗る。


「? 最近、なにかがいる気がすんな」


 そう言って頭を払うが、妖精は縄跳びをするように飛び、遊んでいた。どうやら男には精霊を見る素質が無いらしい。

 幾たびか頭を払い、諦めた顔をしてからまた顔を向けてきた。頭に光妖精を乗せながら。


「ん、見たところゼラさんと同じ感じかな。外傷は無いのに死にかけているというのは」

「そのようだネー」


 唐突に響いた声にぎょっとする。

 まったく気づけなかったが、背後にもう一人いたらしい。足音どころか気配さえ消しており、直感系の技能スキルを磨きぬいているはずが気づけなかった。


 すん、すんすんと間近で匂いを嗅がれて、振り返ると大きい猫のような瞳があった。耳をピンと立てているのも動物的で、戦争のあおりで交流を禁じられた亜人族だと分かる。


「……なぜ亜人族がここにいる」

「分かるだろう? そういう顔をされるから、いままでずっと身を隠していたんだ。命の恩人に対して、それはないと思うがな」


 その治癒者の言葉により、戦場での記憶が一瞬だけ呼び起こされる。それはダイヤモンド隊から離脱して、まだ魔物が荒れ狂うなか救援に駆けつけてくる隊員らの姿だ。

 ニャッと、という可愛らしい声に似合わず、重装備の己を小脇に抱えられたのは夢かと思える光景だった。


 あれから彼女は着替えたらしく上質な布のメイド服に変わっており、背後でまっすぐの尻尾を揺らしている。


「そうだったか、すまない……」

「センセ、あたし専門じゃニャいから知らないけど、たぶんゼラと同じ感じだと思うナー」


 詫びの言葉を聞いていなかったらしく彼女はそう答え、治癒者もまた「やっぱりそうかー」と漏らす。

 騎士を相手に無礼ではあるが、世話になっている身として彼は文句を飲み込む。

 しばらく考え込むように顎に手を当ててから、くるんと彼女の瞳は治癒者に向けられた。


「ご飯とお風呂でいいんじゃニャい?」

「ン、ついでに気を入れとくか。このままじゃあ湯船で沈みかねん」


 どれ、と言いながら男は歩み寄り、己の胸に手を当ててくる。きっと死にかけの弱々しい心音が彼に伝わったことだろう。


「待て、正規兵の魔術師でもこの身体を癒すのは無理だった。無用な力を与えたところで……」


 むん、という気合の声を響かせて、同時に熱いと感じた。気のせいなどではない。たらたらと全身が汗を流し始めて、先ほどまで震えていた指先まで活力を取り戻す。

 震えがぴたりと収まった指先を眺めて「なんだこれは」と思わず呻く。


 ふぃー、と疲れた息を吐いてから治癒者は椅子に再び腰かけた。つい先ほどより疲れて見えるのは気のせいではないだろう。


「魔術師には求められない技だろう。ここではさ、変わったことばっかりしてんだ。ルビー隊のガストンさんから気の鍛錬を教わったりな」

「……アリライ国でも技能スキルを教われるだろう」

「いや、ぜんぜん違うよ。あいつらはみんな適当だったし」


 アリライ国での訓練は、はっきり言って手を抜いている。教官が己の収入を確保するためだ。

 ほら、覚えの悪い生徒だらけのほうが、技能スキルを教える期間が延びて儲かるだろう? と言って、治癒者はからからと笑った。まだ頭に光精霊を乗せながら。


「でもこっちだと違う。なにしろ恐ろしい古代迷宮に住んでいる。手を抜いたら死んじまう。だから教えるのを渋るような馬鹿はいないし、もしそんな奴がいたらドゥーラ隊長がすぐに勘づいて頭をブン殴る」


 それどころか周りの連中がどんどん強くなるものだから、マズい、置いていかれないようにしなければと焦るほどだと治癒者は笑う。


 ドゥーラ……あの赤毛の女か、と騎士は内心で思う。

 最初に見かけたとき、彼女からはさほど脅威を感じなかった。これは直感だが、剣の才には恵まれていないだろう。


 だが、この古代迷宮においては違った。剣の腕とは違う才覚を発揮したのだ。つまりは類まれなる観察眼、そして最適な戦略戦術を練り上げる知性。

 そんなことを思っていると、ぎしっと椅子にもたれかかりながら治癒者は天井を見あげた。


「なんだかんだ、あの人は優しい。だから皆は隊長を好きなんだ。俺の場合は命を救われたからな。ずっと隣で戦っていたいって願うのさ」


 かつて第一階層において、真っ先に壊滅の憂き目にあった隊があると聞く。それがドゥーラ率いるアンダルサイト隊だ。すると彼はその際の生き残りなのだろう。


「お代は取らないタチだが……安売りは良くないと言われている。ま、そこはあんたの好意でいいよ。あっと、もちろん風呂と飯は違うからな。値段はウリドラさん次第だぞ」

「ウリドラ……あの女のことか」


 あの女、と蔑みに近しい口調をした瞬間、治癒者の顔から笑みが消えた。


「ン? おい、ちゃんと礼儀ってもんを覚えたほうがいいんじゃないか?」

「礼儀とは? あの女は異国から訪れた爵位もない者だと聞く。先の戦いでも目立った戦果をあげていない。確かに助けられた身だが、お前たちこそ私の身分を理解しているのか?」


 あえて怒りを誘う言葉を騎士は選んだ。

 穏便に済ませるより、そうしたほうが第二層で暮らす者たちの真意を計れると思ったからだ。なぜなら怒りは理性を壊し、胸の奥に抱えているものをそのまま吐き出してくれるからだ。


 この古代迷宮は攻略を開始してから実に8カ月に迫ろうとしている。さらには万を超えるゲドヴァー国からの侵攻もあった。常識で考えれば百回壊滅していてもおかしくない。


 そのはずが、のほほんと遊びながら暮らしている。

 誰にだって分かる。これは異常だと。きっとまだ口にしていない秘密があるのだろうと騎士は密かに考えていた。


 しかし、治癒者の反応は想定していないものだった。

 まるで出来の悪い生徒を相手にするように苦笑されたし、どう言えば伝わるのかとウンウン唸ってもいる。


「あんたは人に謝れる騎士だ。きっといい人なのだろう。礼儀には礼儀で応えるという常識も分かっていると思う」

「センセ、次の患者さんがいるから早く追い出そ?」

「んー、そうだなぁ。こいつみたいに口の悪い連中も多いが、みなきちんと考えている。なにをしたらいいのか、どうしたらいいのかを」


 そう言いながら治癒者は部屋を歩き、壁にかけていた剣を手に取る。歪んでいる剣は鞘から抜くこともできず、それを騎士に見せてきた。


「器用な隊員がいる。明日これを直してあんたの基地に送り届けさせよう。手ぶらは嫌かもしれんが、しばらく療養して過ごせば第二階層のことを……」


 唐突に治癒者の言葉は途絶えた。

 どうしたのかと怪訝に思い、眉をひそめると傍らの亜種族もビンッと尻尾の毛を膨らませていることに気づく。


 気のせいか部屋の気温が下がった気がする。

 光精霊さえも姿をふっと消してしまうと、なんだか周囲が色あせたようにも感じられた。


 そんな嫌ぁーな空気に包まれて、真っ先に口を開いたのは治癒者だった。


「なんかおかしい。変な感じがする。キャッセ、おまえはどうだ?」


 ぶぶぶとキャッセなる者は勢いよく首を横に振る。尻尾の毛もまだ逆立たせており、すぐに泣き出してしまいそうな顔をしていた。


「なんかコワイ! はやく部屋に帰りたぁい!」

「だよな……おいあんた、今夜は店じまいだ。悪いがとっとと帰ってくれ」

「ま、待て、何が起きているんだ! ちゃんと私に説明をしろ!」


 しかし聞く耳を持ってもらえず、着の身着のまま背中を押されて建物から追い出されてしまった。

 外はすっかりと暗く、一寸先も見えない墨で塗りつぶしたような闇夜だ。これには彼らも「おっかねえ」「こっわ」と背後で漏らし、ばたんと戸を閉じられてしまう。


 ただ一人、放り出された騎士は、心細さにより思わず己の身体を抱きしめた。

 そよとも風はそよがず、冷気がじわじわと身体を冷やしてくる。幾日か過ごしてきた土地だが、このような……恐ろしいと感じるのは初めてだった。


「大した情報を得られなかったが、これが第二階層の真実の姿だとしたら――王子の元に急ごう」


 しばらく足踏みをしていると、目はだんだん闇夜に慣れてくる。かすかに見える草木を眺めてから、最も嫌な感じのする方向――森に向けて歩み始めた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 敵も味方も、魔物も死者も。

 誰も誰もいなくなった第四階層の通路。


 そこは夜戦を完全に終えており、戦場の熱もいまはもうない。

 天井から舞い落ちる粉雪は、流れた血さえも覆い尽くす。

 燃えさかっていた火は消えて、あれだけ厚く積もった塵も魔物図鑑なる本に回収されている。


 熱が消え、冷気が残る。

 辺りに漂うのは冷たい冷たい風だ。身体をいくら震わせても凍える思いをするだろう。吐き出した息でさえ、きっとすぐに凍りついてキラキラと輝くに違いない。


 そこに武装したまま立つ者がいる。ウリドラだ。

 すぐ隣に並び立つのはシャーリーで、わずかにも冷気を感じていないのか魔導竜とは真逆な軽装である。惜しげもなく手足を見せつけており、そして青空色の瞳を向けている先は、虚空にのばされたウリドラの手だった。


 静まり返った巨大通路だが、魔導竜の耳にしか聞こえない音がある。ざり、じゃり、と響く金属質な音。それはまるで鎖を引くような音だった。

 愛らしい眷属、リザードマンを引きずる音であり、それを感知できるウリドラは無表情で虚空に手を伸ばしたまま呟く。


目覚めるがいいドールヴ・ネッカー


 響く竜語には力があった。

 脈動のように大気が揺れて、それを感じ取れる隣の女性は上層を仰ぎ見る。

 そこには彼女の管理する第三層、第二層があり、訪れた変化を目の当たりにしていた。


 ふむ、と漏らすように彼女は頷くと、蜂蜜色の髪を揺らしながら大きな本を開く。ぱららと風も無いのにめくれてゆき、彼女もまた愛する者たちへ干渉することにした。


 ――あなたたちの寝床に戻り、ぐっすりと朝まで眠りなさい。


 素肌を露わにした手を虚空に差し伸べて、ぷっくりとした唇をつむいでそのような意思を確かに伝える。


 元階層主であり、女神候補であり、いまは世界の在り方というものをひとつずつ身をもって学んでいる女性だ。幼いながらも女神の力の片鱗を感じさせる輝きが、キラキラと粒子のように彼女の身体を包み込む。


 それをちらりと横目で眺めたのはウリドラで、隣人がそこにいるのを初めて気づいたように瞳をまばたかせていた。

 闇夜を思わせる黒髪を揺らめかせて、紅を引いた唇を彼女は開く。


「この大陸の者はみな信心深い。それは加護を通じて国神という存在を感じ取れるからじゃ。だがあの王族らは特別な力を与えられており、ゆえに少しばかり目が曇っておる」

「…………?」


 互いに虚空に向けて手を伸ばしながら、世間話をするようにウリドラは声を響かせる。しかし相方にとってはピンとこなかったのか、眉間に可愛らしい皺を浮かべていた。


「ふむ、もう少し分かりやすく言うとしよう。そうじゃな、北瀬とマリーはおぬしと遊ぶことしか考えておらぬ。なぜかというと単純に楽しいからじゃ」


 ふむふむと神妙に頷きながらも、シャーリーの唇は勝手に笑みを浮かべている。きっと楽しく遊んだときを思い返しているのだろう。

 それを見て、にんまりと魔導竜も笑みを浮かべた。


「不思議じゃろう。友達というものは。おぬしの場合、もう手離さないように印をつけたようじゃがのう」


 どきゅ、と心臓を撃ち抜かれたように青空色の瞳は真ん丸になる。その印というのは「まどろみの寵愛」なる術であり、かすかに彼とのつながりを保ち続ける効果がある。


 かすかに彼の吐息が聞こえる。

 かすかに彼の匂いを感じられる。

 かすかに北瀬の優しい感情が伝わってくる。


 そのようにほんの小さな力に過ぎないけれど、しかしシャーリーにとってはベッドでなかなか眠りにつけず「ああー、つけて良かった!」と身もだえするくらい嬉しいことで、ぱたぱたとベッドで足を揺らすほどの効果があった。


 なぜか胸が勝手に高鳴るし、これすごいなーと思いながら枕を抱きしめてしまう。ふー、と熱っぽい息をしながら。

 と、笑みを浮かべながら指先を覗き込まれていると気づいて、かっと頬が赤くなる。色白な肌をしているぶん誰にでも分かる変化だった。


「ふ、ふ、可愛らしいのう。幼子たちはそうやって、好きな者に印をつけたがる。おぬしも人も大して変わらないという意味じゃ」


 さすさすと指のつけ根をさすりながら、わずかにシャーリーは唇をとがらせる。あんまりからかわないで下さいと言いたげだ。その仕草は異性のみならず、見た者を身もだえさせるような愛らしさだった。


「くふふ、大事なことを持つのもまた、女神にとって重要じゃぞ。興味のかけらもない世界など、守るに値せぬからな」


 肩が触れ合うほどの距離で「そして」と魔導竜は言葉を続ける。


「北瀬とマリーはおぬしを大事にしておる。じゃが、あの王子もまた同様に大事にしたがっておるぞ。きっとおぬしが感じることは真逆じゃろうがな」


 前者は共に遊ぶことを目的としており、後者はただ女神の力を欲している。そこにシャーリーの性格や個性など関係なく、絶大な力だけを無償で求めているのだ。

 なんとも言えない顔つきをするシャーリーに、ふっとウリドラは正面に視線を戻した。


「そういうことじゃ。王族らは少しばかり力に慣れ過ぎておる。わしが大切にしているものにも気づいてしまう。じゃから、あの男には真実を伝えて、かつ真実から遠ざけてやろう」


 徐々に獰猛な瞳に変えながら、そう彼女は言う。

 やはり魔導竜の言葉は半分ほどしか分からず、シャーリーは再び眉間に可愛らしい皺を浮かべた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ぎゃりり、と金属製の鎖が鳴る。

 身体から汗を流して兵士たちが力を込めて引く先には、大型の魔物、リザードマンが引きずられていた。


 金属製の杭が全身に打ち込まれており、そこから血が溢れている。だらんとした手足からもう死んでいるのではと思うが、汗を流す兵士らに側近の声が飛ぶ。


「急げ。王子のご命令だぞ。夜明けまでには自陣に戻る」


 ハッ!と彼らは返事をして、また魔物を引きずり始める。

 上層にあがるには長い階段を使う必要がある。だからこれを登り終えるまで馬は使えない。

 深夜帯での長い戦いをしたあとだ。疲れ果てた兵士らは、急速に体力を失いながらも渾身の力で鎖を鳴らしてリザードマンを引きずる。


 この魔物は何なのか。

 無抵抗のまま杭で打たれるという奇妙な相手であり、先ほどは確かに人語を扱っていた。


 不思議なことは他にもたくさんある。


 なぜこれを捕えたのか。

 自陣に連れていって、そこで何をする気なのか。

 上層に向かうにつれて温かくなるはずが、どうして周囲は寒々しい気配で満ちてゆくのか。

 めっきり救援部隊の姿を見なくなったが、彼らはどこに行ったのか。


 ギャ、ギャ、と周囲で響く声もまたそうだ。またあの恐ろしく冷たい第四階層に戻ったような気がしてしまう。

 そんな心細い思いをしながらも「引け!」という言葉に、渾身の力を振り絞る。これが終わったら毛布にくるまり、温かく眠れるに違いないと信じながら。


 少なくとも第二階層に到着したいという願いは叶う。

 力を振り絞り、樹木の生い茂る上層へと辿り着くと、皆は腰から崩れ落ちてゆく。

 ハーヒーと息を整えて、汗が点々と滴り落ちる。そのときに、ぼそりと仲間がこう漏らす。


「こいつ、こんなに大きかったか?」


 その心臓を握られるような不穏な声に、ぎょろりと仲間の白い目が一斉に向く。松明を掲げても暗いと感じる闇夜のせいで目玉だけが妙に目立つ。

 上層で待機していた仲間らが駆けつけてくると、光源はより強まり、魔物の周囲を明るく照らした。


 パキ、ミシ、と魔物の内側から響くようなこの音は、一体なんだろうか。くくりつけた鎖が悲鳴のような音を立て、みちちぃーっと引き延ばされてゆくのはなぜだろう。


 鬱蒼と茂る森のなか。

 そこには幾つもの光る眼があることにも気づく。

 松明の炎を反射して、爛々と輝くあの目は一体なんだ。グロロ、オロロと奴らは鳴いており、こちらをじっと観察している気配があった。

 ごくんと誰かの喉を鳴らす音が響く。


 そのとき後方から荒々しい足音が近づいてきた。そして振り返った兵士らは一斉に安堵の表情を浮かべる。


「お前たち、ここで何をしている! その魔物は何だ!」


 百の魔物を一瞬で屠る雷光の騎士ライトニングナイトの姿がそこにあり、これ以上ない援軍によって彼らの恐怖は和らいだ。

 と、騎士の姿を見てウォルス王子はようやく口を開いてみせる。


「来たか、雷光の騎士ライトニングナイト。傷はまだ癒えきっていないようだな」

「は、先ほどこの階層の者に助けられました。それでウォルス王子、あれは一体何なのです? 第二階層の変化も分かっておられるのですか?」


 引けい、という合図と共に再び引かれる様子に2人は目を向ける。

 あからさまに質量を増したリザードマンだが、ここまで来れば馬を使える。怖気づいた馬を鞭で打つ様子を眺めつつ、にんまりと王子は笑う。


「この階層の真実の姿だ。のうのうと暮らしている連中に教えてやろうと思ってな」


 その真実の姿とは?

 バキンという響きに再び目を向けると、幾本かの鎖がはじけ飛ぶところだった。ぞろりと生えたものは、まさかあれは翼だろうか。


 ゴロロと雷雲を思わせる声で魔物――オゾは鳴いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 不穏な空気だけど、おそらく主人公カップルは関係なくイチャついてそうww 温度差がひどいwww 女神様にさり気なく鎖つけられているのも笑えますww 「逃しません!」 羨ましい!ご褒美ですね!…
[良い点] シャーリー様のぷっくりとした唇! 尊きかな尊きかな いと尊きかな 光の妖精に頭で遊ばれている治癒者は萌えますね! [気になる点] ライトニングなんとかという人は情状酌量の 余地が…
[一言] 不穏な流れの筈だけどシャーリー様が尊かったので、正直どうでもよくなった...!
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