第279話 職人たちの朝
職人たちの朝……いや、夕暮れは早い。
のそりと身を起こしたのは一頭のリザードマンで、眠そうな目をしょぼしょぼと擦り、それから大きなあくびをひとつした。
彼らは本来、夜行性であり日中は日向ぼっこをしたり砂に潜ったりして過ごす。ずっとずっと昔、魔導竜に付き従うことを決め、長いこと迷宮暮らしを続けていても根っこの部分は変わらない。
歴史を振り返ると祖父の祖父の、そのまた祖父も迷宮で暮らしていたらしい。だが誰一匹としてそんな時代のことなど覚えていない。
――なんか作りたいなぁ。
目覚めた彼は、ぱちんと瞬きをしながらそう思う。
祖先や歴史のことなんて知らないが、このところ建物や小道の整備、温泉や畑の管理などで活躍することが多かった。石ノミや木工道具が恋しくなるし、すごいものをこしらえたなぁと主人や人間たちから褒められたい。
作っているときは夢中になって、まったく他のことを考えない。もっと立派に、もっと使いやすく……などと試行錯誤をしていたら、仲間から寝る時間だよと声をかけられることもしばしばだ。
もうひとつ。自分たちが作ったもので人々が楽しく過ごしてくれる光景はどうにも忘れがたい。尻尾の先からビビッと震えが走って、じんわりと温かい熱を感じるのだ。それが何なのかはぜんぜん分からない。
しばし口を開けていたリザードマンは、ぱちっぱちっと瞬きを繰り返す。そしてなぜか全身に活力をみなぎらせて立ち上がる。
よし、やるか。そう口に出さずとも仲間たちも同じ思いだったらしい。すっくと立ち上がったのは一匹だけでなく、ざざざと黒い草原に数えきれぬ魔物らが現れる。
なんかすごいのを作ろうぜ。
そう下位竜語で鳴くと、賛同の意の鳴き声が広間に響き渡った。
これは手つかずの第三階層広間を、暇つぶしで開拓してゆく職人たちの物語である。
光あれ、という有名な言葉が聖書にある。
そのような一節など露ほども知らぬ者たちではあるが、ぼうと浮かびあがった真ん丸のお月様を見て、リザードマンらは一斉に万歳をした。
森から出てきたことがバレたら怒られるかもしれないので、全員ほっかむりを被っているのは少しだけシュールかもしれない。
バチバチとささやかな拍手が送られる先には、我らが女神候補、シャーリー様がおわせられる。ちなみに流されやすい彼女もほっかむりをしていて、彼らとの親密度、もとい一致団結感は増している。
えいえいおーと彼女が右手をつき上げると、それが開拓の合図となった。
とはいえやることは地味である。
第三層の広間は中央に大きな塔があり、それが第二層とを繋げる役目を担っている。この遅い時刻では、夜目の効く彼ら以外だと足を滑らせかねないだろう。いや、何匹かは足を滑らせていたので何とも言えないか。
その塔を中心に彼らは円形となり、うずくまった姿勢で真っ黒い草をブチブチと抜いてゆく。
端も見えない途方も無い広さではあるが幸いなことに彼らは愚鈍である。あの野菜美味しかったねー、俺は煮なくても食えるぜ、とか何とか話しながら作業は着々と進んでゆく。
リザードマンは愚鈍であり、忍耐力に長けている。それは嘘では無いのだが、早々に飽きて別のことを始める一団もちらほらと現れ始めた。
彼らは上層から運んできた木材をギコギコとのこで切り、とんかちで釘を打ちつけてゆく。
出来上がったのは十人くらい腰かけられそうなテーブルであり、ここを開拓本部とすることに決めたらしい。
彼らから手を引かれて現れたのは、もちろん監督役のシャーリーだ。飾りのたくさんついた偉そうな席を勧められ、わあと唇を開きながら腰かける。すこし嬉しくなった彼女は、ほっかむり姿で「えへん」と偉ぶった。
さて、監督としてこれから何をすれば良いだろう。てきぱきと指示を出して皆を満足させてやりたいけれど、その方法は分からない。
そう思っているらしい彼女がきょろりと周囲を見渡すと、数匹のリザードマンらが駆けてきた。
見ればそれぞれ異なるものを手にしており、べちゃっとテーブルに乗せられたのは粘土だった。続けて鉄鉱石、見たこともない部品、欠けた魔石らしきもの等々、何の意図があるのか彼らはせっせと運び続ける。
山と積まれたものを見て、ようやく彼女は気づく。魔物たちはこの広間で得られる資源を教えてくれているのだと。
続いてテーブルに置かれたのは紙だった。
それはペンを使って精緻に書き込まれており、なにやら区画分けと思わしき案が全部で22枚、アイデアに使えそうな建物案は数え切れぬほどの量であり、たらっと汗が流れてゆくのをシャーリーは感じた。
――思っていたよりもしっかりしている!
彼らの熱意にシャーリーは仰け反り、ごくんと唾を飲みこんだ。
よくよく考えてみれば、あの第二階層の大半を彼らは築いたのだ。並々ならぬ実力がなければ成し遂げられない。
彼らは愚鈍なのは間違いない。魔物として持って生まれた性なのだからそこに間違いは無いのだ。
しかし、魔導竜ウリドラの眷属ともなれば普通であるわけもない。ただのリザードマンではないのだとようやくにして気づいた。
「精が出るようですね、シャーリー様」
唐突に背後から声をかけられて、慌てて振り返ると執事服を着た男性が立っていた。お茶の道具を手にしており、反対側にはぐっすりと眠った子供を抱いて笑いかけてくる。
「見事な夜空です。これは本当にあなたが生み出したのですか?」
テーブルにお茶の道具を並べながらの問いかけに、こくんとぎこちなく少女は頷く。
ウリドラと関係のある男、ラヴォスも納得したように頷き返して再び夜空を見上げた。
ぽっかりと丸いお月様がひとつ。冴え冴えとした明かりを地表に届け、ざざあと周囲の草原が音を鳴らす。
だれも聞いていないだろうし、歌を歌ってみようかな。そう思える雰囲気があり、どこか胸躍る景色でもある。
カップに茶を注いで湯気をあげさせている男性は、かつて上位種として生きていた。きっと誰も知らない古代の景色を眺めていただろう。そうと分かる目が再び少女に向けられる。
「空を見れば分かります。あなたも夜の時代を知っているから、この景色を、皆が安らげる夜を生み出せるのです。だれもがぐっすりと安心して眠れる夜を」
どうぞと手渡されたカップを受け取ると、温かくて少しだけ砂糖が多めのお茶だった。
そして、ひとくち飲んだシャーリーに向けて腕に抱いた娘を近づける。眠っていたはずがいつの間にやらピンク色の宝石みたいな瞳を開けており、じっと夜空を見上げていた。
「この時代に生まれた子にも、あの空を見せられて良かった。シャーリー様、すぐに帰るつもりでしたが、しばらく辺りを散歩しても構いませんか?」
もちろんですと頷くと、彼はにっこりと笑って背を向ける。そして伝え忘れたことがあったように振り返った。
「そうそう、彼らはああ見えて優秀な者たちです。祖先にはウリドラの血を与えられておりますので。だからあなたはただ、こんな景色が見たいと願うだけで良いのです。あとのことはお人好しなリザードマンたちが、あの手この手であなたを喜ばせようとしてくれますよ」
私の見たい景色……。
竜からのアドバイスを受けた少女は、先ほどとは異なる瞳をした。うずうずしている様子のリザードマンたちを眺め、そして情景に想いを馳せてゆく。
ちゃんと見てみたいもの。
そこで暮らしたくなる景色。
憧れていた世界はとても簡単に、あっさりと脳裏に浮かぶ。でも今は憧れだけであり、建物や景色のことなどまるで分からない。現地に行って、自分の足で歩かないと作ることなんて出来ない。
こんなとき頼りになるのはただ一人だ。
整地と小屋作りを任せると、皆に手を振ってから彼女はふわりと宙に飛びたつ。
目指す先には第二階層で眠りにつこうとする青年、北瀬がいた。




