第254話 ふたりの時間②
湖畔沿いの小道には、あちこち灯りが置かれており、その脇を小さな花が飾っている。おかげで足元に不自由はしないし、手を繋いだエルフさんも危なげなく歩いていた。
その彼女はくるりと後ろを振り向く。悪戯っぽい瞳を輝かせたのは、きっと祝勝会の輪からコソコソと抜け出しているからだろう。
優等生で良い子のマリーは、秘密を楽しむように頬を染めていた。そして薄紫色の瞳が、今度はちらりとこちらを向く。
「ふふ、落ち着いた良い空気ね。散歩も気持ち良いし、夜なのに過ごしやすいわ」
「うん、のんびりできるのは嬉しいね。ほら、最近はどうも慌ただしかったから」
ちょっと前まで、僕らは敵の大軍だけでなく、古代竜や階層主を相手に戦っていたからね。それだけ頑張ったのだから、皆が浮かれるのも仕方ないなと僕は思う。
戦いも嫌いじゃないけれど、どちらかというと僕は冒険が好きなんだ。新しいものを発見したり、知らない土地に訪れたりとかね。
「そういえば、ずっと聞いていなかったわね。どうしてあなたは旅が好きなのかしら。雨風もあって過酷でしょう? そんなものに行きたくないって言う人も、きっとたくさんいるはずよ」
そう隣から不思議そうな声が投げかけられる。そこには小道の明かりを反射して、きらきらと瞬く瞳が待っていた。
「うん、なんでかな。そこでしか味わえない空気が好きなんだと思う。どこかの地域を思い浮かべると、その土地だけが持つ匂いを思い出したりしない?」
「悔しいけれどちょっとだけ分かってしまうわ。潮の香りだったり、土の香りだったり、そういうものね」
そうそうと僕は頷く。こういう時間はなんとなく好きだなと思う。暗い夜道で感じるのは互いの声だけで、ぽんぽんと心地よく言葉を響かせ合う。
いつもより距離が近いと思えるし、会話だけを純粋に楽しめるのも良いのだろう。
湖へとかかる桟橋が視界に入り、少し休んで行くかい?と指をさす。こっくりと頷かれたので、早々に僕らは脇道を楽しむことにした。
ここは主に釣りを楽しむための場で、かつ語らいの場でもある。雨風を避ける程度の作りをし、ソファーが1つ、椅子が2つある。もし釣りをしたいならもう少しだけ歩けば良い。
そっとソファーに腰かけてもらうと、やや硬めのクッションがマリーのお尻に挟まれる。
小さなテーブルにはランプがあって、こちらは精霊使いである彼女の出番だ。ふっと息を吹きかけると光精霊がガラス瓶のなかに生まれ、落ち着いた明るさで照らしてくれる。
この辺りの小道具は、主にウリドラの手腕が発揮されている。休憩場にあるような小さな物ほど、ちゃんとお金をかけるべき、などと力説されたものだ。そうすることで、より実りある時間を過ごせるのだとか何とか。
クスクスとマリーは笑い、ランプを指先でつつく。
「まったくあの人ったら、竜のくせに商売っ気ばかり上達をして。いったいどこで人間族の娯楽を覚えてしまったのかしら」
「うん、ひょっとしたらエルフ族から学んだかもしれない。ウリドラと一緒にお出かけをして、とても可愛らしくはしゃいでくれる子を、僕は見かけた気がするんだ」
あら、そんな子なんていたかしら、とマリーはとぼけ、それから互いにくつくつと笑う。何てことはない。僕ら皆で遊んだ結果、この娯楽地は出来上がったのだ。
のし、のし、と桟橋を歩いてくるリザードマンまで着飾っているのは、きっとそのうちのひとつだろう。こんな姿をされては、とてもじゃないけど「魔物だ」と悲鳴をあげるわけにもいかない。
ひとつ彼は瞬きをすると、ワニのように大きな口をがぽっと開いた。
「こんばんは、カズヒホさん、マリーさん。デートにぴったりのお飲み物はいりませんか?」
「ありがとう、オゾ。ここで少し休むだけだから、お構いなく」
相手が僕だったので爬虫類族語を話していたが、簡単な共通語くらいなら学びつつある。それは魔物語について学ぶ座学による成果であり、互いに同じくらいの速度で言葉は浸透しつつあった。
こちらの返事に彼は考えるそぶりを見せ、そして思いついたものがあったのか、後ろ手にしていたものを見せてくれる。
それは鉱泉を混ぜた果実ジュースであり、綺麗なガラスに入れられていた。大きな図体には似合わない仕草でテーブルへ置き、そしてグッと口角の辺りをあげてくる。これは笑みの意味であり、ありがとうとマリーも同じだけの笑みを返した。
ゆらりと尻尾を揺すり、戻ってゆく姿もシュールであり、日本とまるで異なる光景だと思う。そこのガラス瓶の中で踊る光妖精も含めてね。
ゆらゆらと周囲の影も揺れ、そして視線を戻すと一面の湖だ。水面には月の明かりが降りそそぎ、どこか贅沢だと感じる時間を与えてくれる。困ったことに、いつの間にやら魔道竜の思惑どおりにされているらしい。
こつんと肩に触れたのは、マリアーベルの頭だった。月明かりは髪の毛を輝かしく染め、そして機嫌良さそうにぶらぶらと足を揺らし始める。きっとこの時間を楽しんでいるのだろう。
「さあ、相談よ。ふたりっきりで何をするのか。これはそうそう無いチャンスで、普段なら出来ないことまで出来てしまうの」
「うん、どうしたらエルフさんを楽しませて、頬が赤くなるまで遊んでもらうか、という大事な相談だね」
その言い方が可笑しかったのか、ぷふっ、と彼女は吹き出す。それからいかにも楽し気に、ぐりぐりと頭をこすりつけてきた。
「やだもう、あなたは私を堕落させようとしていて、長耳がぽとりと落ちるまで人間臭くさせる気なのよ」
「堕落といえば、エルフ族はダークエルフになるんだっけ。すると遊びまわっていたら日焼けをしたマリーが出来上がるのかな」
ぽんと思い浮かべたダークエルフ族のマリーは、それはそれで可愛らしいから困ってしまう。ついつい堕落をさせても構わないのでは、などと思う。
ぺちんとおでこを叩かれて、思惑は阻止されてしまった。
「だめよ。もしそんな事になったらお父様が気絶してしまうもの。それに必ずしもダークエルフは邪悪などでは無いわ。一説によると、太古のころとは環境が変わったからだそうよ」
ふうん、と今度はこちらが興味を引かれる番だ。
空いた時間ができると、彼女はこの古代迷宮にある書物を読むようにしている。すっきりした味わいの果実ジュースを口に含むと、聡明な彼女はゆっくりと歴史の紐を解き始めてくれた。
太古の時代、闇の時代、そして夜の時代。世界には魔が満ち溢れていた。きっとこの世界に残された魔物たちにとって、最も輝かしい頃だったろう。
「戦争を始めているゲドヴァー国は、確かほとんどが魔族なんだっけ。彼らにとってはおとぎ話として残されているのかな」
「そうかもしれないわ。もうずっとずっと昔のことで、紙さえも朽ちているでしょうけど。この古代迷宮のものを除いて」
さて本題だ。当時のダークエルフはというと、魔によってそそのかされたエルフ族だと言われているらしい。しかし人の時代に成り代わった今は、魔という存在自体が薄れてしまった。
「だからあそこで遊んでいるイブも、当時のダークエルフとまるで違うの。今ではどうやって成れるのかさえ、謎に包まれているくらいよ」
「うん、面白い話だ。近いうち本人に聞いてみたいところだね」
どうやらマリーは教えるのも好きらしい。得意げな顔つきで身振りを交えて説明をしてくれる。これはあまり知られていない情報なのよ、などともったいぶって話す様子も可愛らしい。
そしてこちらが満足をするのも嬉しかったらしく、気取った顔をしながらも、ふるるとその長耳を揺らしていた。
「いつか私は魔術師ギルドに戻って、魔導士の職につきたいの。ここに眠った謎を突き止めて、そして皆に発表をしたいわ」
「そうしたらお偉いさんになってしまうね、マリアーベル様。できれば身分違いの恋を許してくれると嬉しいな」
くすくすと彼女は笑い、それから鼻先を首にこすりつけてくる。それがくすぐったくもあり、また嬉しい思いも感じている。
なるほどね、こうなるのかと僕は思う。ふたりっきりの時間というのは、どこまでも互いの距離が近くなる。恥ずかしさや遠慮などといった垣根が消えてゆくのを感じていた。
その影響もあったのだろうか。
白のワンピースをひらめかせ、彼女の太ももが持ち上がる。そして正面から宝石じみた瞳、紫水晶色から覗き込まれ、僕ははっきりと魅了をされるのを自覚した。呼吸が少し早まるほどに。
ぎしっとソファーは音を立て、正面からマリアーベルに座られた。驚くほど軽く、白銀の糸のように髪をはためかせ、そして冴え冴えとした月を背後に笑みを向けてくる。
それはもう、ずっと忘れられなそうだと思うほど美しく、両肩をそっと握られたのも夢を見ているかのようだ。
「ふたりっきりでどこに出かけようか考えていたけれど、私、こうしているだけで特別みたい」
触れるか触れないかという距離で、そう囁かれる。
たったそれだけで、僕の頭はジンと痺れてしまう。心地よい声のせいか、それとも甘い吐息を嗅いだせい?
ひと目見ただけで生涯忘れられないという逸話を持つ半妖精エルフ族。その意味を理解するほどの愛らしさで、ふっくらとした唇が頬を撫でてくる。
「えっと……男性らしく、支えてくれると嬉しいわ」
そう囁かれ、操られるように僕は腰を支える。驚くほど華奢な腰つきは、これまで食べてきた食事の栄養が、どこかへ消えてしまったかのようだ。
指先から伝わる肌の柔らかさ、体温、そして鼻をくすぐる少女だけの香り。
いかにもやわらかな唇から、吐息がわずかに届く。
さらりと頬をなでてゆくのは彼女の髪で、カーテンのように視界を覆いつつある。そうして吸い寄せられる先は、わずかに開かれた桜色の唇だった。
つぷり……。
それはぴくっと肩が震えるほど柔らかく、唇の少し内側まで触れてくるものだった。
触れた身体からは彼女の鼓動が届き、そしてようやく唇を離すと互いに肺へ酸素を満たす。
夜の湖畔らしく清々しい空気は美味しく、そして再びもたらされる恵みは果実の甘さを残している。
この熱は、どちらから発せられているのだろう。互いに体温をゆっくり高め合い、吐息さえ熱を含んでゆくのをただ感じる。
離れてゆく感触に、ゆっくりと瞳を開いて見上げる。そこには頬を赤く染めながらも、笑みを向ける少女がいた。
「ね、素敵なデート先を教えて頂戴。きっと無理でしょうけれど、もし私を驚かせたらあなたの勝ち」
「……うん、それは難しいね。僕に言えるデート先なんて高が知れているよ。海を縦に切り割いて、魚の群れを好きなだけ鑑賞できる施設くらいだ」
こちらの言葉が聞こえていなかったようにマリーは瞳をぱちっぱちっと瞬かせ、それからじいっと覗き込んでいる。嘘か苦し紛れの冗談か見極めようとする瞳だった。
ならば僕が伝えるべきは、疑惑を打ち砕くほどの言葉だろう。そこが実在する場所かどうか、その答えを伝えてあげれば良い。
「行きたい? 平日だからきっと人も少ないと思う」
「っ!? 嘘でしょう、そんな場所なんて本当にあるはずが……やっ、やだやだ、行きたいわっ! ね、ね、早く、早く行きましょう!」
先ほどまでの甘い雰囲気はどこへやら。ぴょんっとソファーから飛び降りて、そんな風にせがまれる。どうやら驚かせ過ぎてしまったらしく、後悔先に立たずだねと胸中で思う。
残念そうな顔をしたからだろうか。これで我慢なさいと言うように、僕の頬へと柔らかな唇が触れてきた。
うーん、嬉しい。嬉しいけど……少しばかり心がこもっていなかったかなぁ。ああ、冗談ですよ。
それから互いにコップを持つと、光の精霊にお休みの言葉を伝え、足早に桟橋を渡ってゆく。
お礼と共に食器をリザードマンに返したら、デートについて相談をしながら寝床までのお散歩だ。
リリリと響く虫の音に包まれながら、2人の姿を何やら不思議そうにリザードマンは眺める。あれほどウキウキしながら眠りにつくなんて、エルフ族ってのは変わってんだなあと思ったらしい。
ひょっとして、夢の中でも遊んでいるのかな。半妖精エルフ族ならばあるいは……などとリザードマンはとんちんかんな事を思い、あまりの下らなさに口の端っこをグッと持ち上げた。




