第253話 ふたりの時間①
困ったことに、宿り木か何かと間違えられたらしい。僕の腕には一羽の鳥がとまり、うつらうつらと船を漕ぎ始めていた。
まさかねぇ。こんな事もあるんだねぇ、と感心しきりだ。
小鳥に野性味が足りないのか、僕が眠そうなせいなのか、はたまた両方なのかは分からない。
だけどこういう時にまるで動けなくなるのは、きっと人としての性だろう。猫にしろ犬にしろ、こちらから起こすのは気がひける。
そうしてじっとしていると、景色へ溶け込んで行くように思い始める。しっかと掴む鳥の足だけが感覚として残され、そして耳にはどこからともなく弦楽器の音が聞こえてくる。
しっとりとした音色は、皆の心を安らぎに包もうと考えているのだろうか。あるいは祝勝会のお開きを、こうして静かに迎えたかったのかもしれない。
空はだんだんと暗くなり、夜風を感じ始める時刻。見あげれば真上には星が瞬いて、吸い込む空気もどこか清々しい。うん、いいね、と僕はすっかりと幻想世界の趣を楽しんでいた。
がやがやと響く声もまた良い。
湖畔沿いの通りには提灯とよく似た物が並び、人々がそこを行き交う。それは僕にとって物珍しい光景で、なぜか楽しく感じるものだった。
そう、初めてこの広間を歩いたとき、こんな景色になるとは夢にも思わなかった。
死神と呼ばれたシャーリーから手を引かれ、暗くても寂しくても彼女にとってお気に入りの場所だと教えてくれたのを思い出す。
よくよく考えてみれば、あれからたったの半年程度なのだから、よくぞ様変わりをしたものだと感心をする。
「いや、ここまでの変化から察するに、主人であるシャーリーが望んでいたのかもしれないぞ」
そう一人ごちる。
もう少しだけ考えてみると、神様の見習いになったというのは、この地の変化にも影響を受けていたかもしれない。
それらは憶測混じりで何の根拠も無いけれど、何となく当たっていそうな予感もあった。
と、そんなことを半ば眠りながら考えていたとき、目の前にお皿が現れた。
これは磯焼きだろうか。しゅううと白い煙混じりには塩の香りがし、大きく開いた貝が中身を見せている。もう少し横へ視線を移すと、そこには半妖精エルフ族のマリーがおり、はいどうぞと箸を勧め……かけたところで小鳥の先客に気がついた。
ぱちくりと薄紫色の瞳を瞬かせ、それから何故か「らしいわね」と言う風にクスリと笑う。
「やあ、美味しそうだね。いままで考えていたものが綺麗に消えてしまいそうだ」
「あら、どんなことを考えていたのかしら。ぼんやりしすぎて気配まで無くなっていたのよ。私でなければきっと見逃していたわ」
そんな大げさな、と僕も笑う。ただし切り株の隣へ腰掛ける彼女は「信じていないのね?」と呆れ顔を見せている。
ぽすんと当てられた小さなお尻が、少しだけ可愛らしく感じられた。
「そのままじっとしていて頂戴。はい、あーん」
小鳥を起こさない配慮なんだろう。くすぐったさを覚えるほど静かな声で、そう話しかけてくる。箸に挟まれた焼き立ての海の幸は、ぱくんと僕の口に吸い込まれた。
鼻を抜けてゆく磯の香り、そしてたっぷりの旨味。出汁として古くから愛用されている食材だ。きっと焼くだけでも美味いだろう。
熱を与えると身はきゅっと引き締まり、その味わいをさらに強める。ぱくっと貝を広げたら、そこへ加える調味料はほんの少しで良い。理由は後ですぐに分かる。
出汁を加えるとすぐに沸騰をし始め、磯の香りがぷうんと辺りに立ち込める。これだけでもうたまらないはずだ。
本来、貝類は旨味が強いのだ。熱を加えると身を引き締め、さらに味わいを増してゆく。好みでバターや塩を加え、そして煙をあげているほど焼き立てのうち、ぱくっと食す。これが一番だ。
なぜなら出汁たっぷりの液体がとろりと口内に流れ、噛めば磯の味が溢れてくる。後味としてちょっとした甘味を感じさせるのがポイントか。
「んぅ、美味いっ。これでお酒があれば尚良しだ」
「ふふっ、駄目よ。それは夢から目覚めてからのお楽しみにしましょ」
ひょっとしたらこれはマリーが焼いたのかもしれない。そうと思えるほど嬉しそうな顔をしており、にこーっと天使のような笑みを見せていた。
暗い場所でもマリーの持つ幻想的な空気というのは、そう変わらない。それは明るい肌と宝石のような瞳、たんぽぽの綿毛のように白い髪がきっとそう思わせるのだろう。
彼女の視線に気づき、反対側を眺めると小鳥は眠そうに欠伸をしていた。よっぽど疲れたのか、とまったまま飛び立ちもしない小鳥を眺め、互いにクスリと笑う。
「それで、いつもよりお寝坊をしていると一体いつになったら気づくのかしら。そろそろ準備を始めないと、会社に遅刻をしてしまうかもしれないのよ?」
体感時間として今はたぶん7時を回ったころか。
普段であれば真っすぐに寝床へと向かい、現実の日本で目覚めなければならない時間だ。でもたまには、こんなに楽しい時間を過ごせるのなら、お寝坊くらいは許されるように思う。
「というよりも、明日は有休を取ったんだ。溜めっぱなしだったし、人事から取得するよう勧められていたからね。だからたまにはのんびり過ごそうかなって思うんだけど、どう思う?」
そう伝えると、少女の瞳は真ん丸になった。
有休という制度については彼女も良く知っている。なにを隠そう、マリアーベルを日本へ招待したその日に取得していたくらいだからね。
ふうんと少女は小さく声を漏らし、何やら思案の表情を見せる。
「あら、それはつまり2人っきり、ということかしら?」
なぜかきょろりと周囲を見渡しながら、マリーはそう尋ねてくる。もちろん誰も聞き耳を立ててなんかいないし、もしいるとしたらこの小鳥くらいだ。
「ん? うん、そうなるね。考えてみるとそういう機会は少なかったかもしれない。いつもこうやって賑やかにしていたし、黒猫のウリドラも含めて誰かと一緒にいることがほとんどだったかも」
ふうん、と少女はまた同じように声を漏らす。その響きは先ほどよりも何かを楽しみにしていると分かる響きで、またマリーの機嫌を上向かせるものだったらしい。
もうひとつの貝を箸で挟むと、ご褒美というように口元に運んでくれる。まるでエルフ族から餌付けをされている気分だけど、美味しいから気にしない。
「そういうときって、どうやって過ごすのが普通なのかしら。ほら、私たちはお付き合いをしているでしょう?」
「うーん、それはなかなか難しい質問だ。ほら、僕らは互いに初めての恋人を迎えているからね。初めてづくしということで、一緒に相談をしながら決めようか」
こくんっと少女は頷いた。
先ほどよりもずっと楽しそうで、弾むような仕草だ。もしもこれで落胆させたら大変な事になるぞ、などという心配をするほどに。
「じゃあ誰かに見つかる前に急ぎましょう。いちばん目ざといのはウリドラよ。あの人はすぐに面白そうなものに飛びついてしまうの。まるで黒猫のように」
しゃっと指先の爪を見せながら、マリーは切り株から腰を浮かす。
そんな大げさなと笑いかけたけど……これまでの出来事を思い出し、ありうるな僕は口を引きつらせる。
さて、本日のゲストである小鳥君もちゃんとした宿り木に戻る時間だ。運が良かったねと思うのは、僕の持つスキルのおかげで起こさずに済むことか。
ほどなくして瞳を開いた小鳥は、そこが樹木の枝であることに気づき、不思議そうに小首を傾げた。
厚い葉によって風から守られているし、きっと朝まで心地よく眠れるだろう。おまけに枝の近くには、パンくずまで置かれているという至れり尽くせりさだ。
なんだか得をしたような思いをし、それから小鳥は再び欠伸をすると、両目をきゅっと閉じることにした。




