【番外編】日本へようこそ魔導竜さん②
破天荒とでも呼べば良いのか、
彼女はとても変わっており、魔導竜としての知性、美女らしからぬ豪快な食べっぷり、そしてどこか子供っぽい面もある。
けれどナンパなどで声をかけられると、まるで小石か何かを見るような無表情へ変わる。その時は、数千年を生きているだろう風格を感じさせた。
ふとした時、神々しさに似た何かを見せてくる女性。
変わっているな、という印象は同居を始めて一週間ほど経っても同じだった。だけどそんな相手だろうと、きちんと躾をしなければならない時もある。
なぜならば、ここは僕の部屋だからだ。
くん、と匂いを嗅いでから黒髪美女はこちらを見る。不機嫌そうな表情は、たぶんお気に召さない食事だったのだろう。
食器を遠ざけようとする彼女へ、僕は首を横へ振った。
「駄目だよウリドラ、食わず嫌いをしたら」
「貴様、腐った豆を出しておきながら、のうのうと『食わず嫌い』で済ますとはのう!」
頭からボリボリ食ろうてやろうか、という顔をされたけど僕はまったく動じない。「好き嫌い」ならまだ分かるけど、今の「食わず嫌い」は駄目だと思っているからだ。
「いつもそうだけど、ウリドラは選り好むことが多いんだ。野菜をよく残すし、箸さえつけない物もある。栄養が偏っていそうで気になるんだよ」
「わしは竜じゃぞ。食事の栄養ごときで体調は左右されぬ。ぬしのような脆弱な人間は残してはならぬがな」
「左右されないなら食べれるはずだよね?」
そう言うと、つーんと顔を背けられた。
どうも彼女の食事は偏りがちで、好きなものだけを食べる様子を散見している。なので今日は好き嫌いの分かれやすい「納豆」を食べさせようと僕は企んでいた。
匂いもあるし、トロリとした粘り気もあるので慣れていない人は食欲を失いやすい。このままでは決して食べれないだろうから、その一歩を踏み出せるよう僕は手助けをする。
「騙されたと思って、同じようにしてごらん。そうしたら明日はウリドラの好きな夕飯にしてあげるから」
「ほう、それは誠か! ふ、ふ、今の言葉を忘れてはならぬぞ。すーぱーで見かけたステーキ肉が気になっておったからのう」
クックックと悪者風の笑みを浮かべているようだけど、ステーキくらいなら別に困らないかな。ただ、あんまり美味しいのを覚えさせると後が大変かもしれないけど……。
まあ良い。ともかく納豆を美味しく食べるレクチャーをしよう。といってもする事は簡単で、ぐるぐるとお箸でかき混ぜるだけなんだけど。
「前に聞いたんだけど、匂いが気になるなら百回混ぜると良いんだって。それと外国の有名なシェフの人は二百回混ぜているらしいよ」
「それほどかき混ぜる必要があるとは、実に面倒な食事じゃな。しかし鼻の曲がりそうな匂いをこの程度でどうにか出来るとは思えぬが……」
そう文句を言いつつ、ステーキという餌があるので真面目に混ぜてくれる。
見た目とは裏腹にと言うべきか、竜だから当然と思うべきか、彼女は信じられないくらいよく食べる。当然のようにご飯は大盛りで、手にしているのはウリドラ専用の大きな飯椀だ。
「ふむ、気のせいか白っぽくなってきたのう」
「あ、ハンバーグの種も同じ感じで、混ぜると白っぽくなるんだよ。もう少しだから頑張って」
僕もここまで沢山かき混ぜるのは初めてだ。空気を含み、納豆ご飯はふんわりとした感触に変わったように思う。漂う香りも何となく臭みが消えた気もしてきた。
「ど、どれ……」
恐る恐る、ぱくんと彼女は食す。
臭みは確かにある。けれど、ふんわりしたご飯の食感は、卵をかけただけとはどこか異なる。
臭みがほとんど消えたなら、後にはもう納豆の旨味しか残らない。空気を含んだおかげでクリーミーに、そして甘味と濃厚な風味にウリドラは瞳を丸くした。
「んむぅっ!? ふわふわっとしておるのう。臭みが全てコクに変わったような……」
「良かった。食べれなかったらどうしようかと心配していたんだ」
「いや、これはかなり美味い。噛めば噛むほど美味くなる。なるほど、ただ腐っているわけでは無かったか」
おかずもあるのに、しばらく竜は納豆御飯を頬張る。
例え美女であろうと、もくもくと頬を膨らませながら咀嚼をする様子は可愛らしい。この旨味はどこからやってくるのかと思い悩んでいたようだけど、しばらくすると瞳を細めてグラスに手を伸ばす。黄金色のビールを楽しんでから、彼女は口を開いた。
「ぷはっ、美味い。陰湿なおぬしの事じゃ。てっきり嫌がらせかと思うておったぞ」
「陰湿って……だけど、これを機に食わず嫌いが無くなれば良いな、という下心はあったよ。美味しかったなら僕も嬉しいかな」
そう言うと、竜は不思議な笑みを浮かべてくる。前にどこかで同じ表情を見たことがあったように思う。公園で昼寝をする時だったか、などと思っていると彼女から瓶ビールを注がれる。
泡まみれの瓶は離れてゆき、その向こうでウリドラは瞳を細めていた。
「ふ、ふ、こういう時に、おぬしは実に良い顔をする。だから変わった雄じゃとわしは思うておる」
え、顔? どんな表情を僕はしていたのかな。
女性が食事をしているのを、じっと眺めているのは失礼だったかもしれない。そう思いながら顎をごしりと撫でる。
「わしとしても嬉しいぞ。好物が増え、明日はステーキが待っており、おぬしの良い顔も見れた。これでは機嫌が良くなって仕方無いではないか」
己のグラスにも酒を注ぎながら、くつくつと竜は愉快げに笑った。
「そこで、じゃ。豊かな晩餐には、豊かな娯楽が必要だと思うじゃろう」
「うん、唐突に始まったね。それで今夜は一体何が待っているのかな?」
彼女の好奇心は強く、出勤している間もあちこちに出かけている。あのタイヤキ事件のあと、僕が導入したのは「お小遣い制」だ。これ以上の無駄遣いは駄目という制限を付けた訳だけど、それ以来、こうしてサプライズのお土産を持ち帰ってくれる。
「では映画とやらを一緒に鑑賞してやろう。ふふん、今夜のはわしがセレクトした作品じゃからな、特別じゃぞ」
言葉と共に示されたのは一枚のDVDで、それを見た途端にげんなりした。タイトルからして、かなりの頭の悪さと大爆発を予想できる。
主人公が無双する様子を思い浮かべながら、僕は引きつった笑みを返した。
「た、楽しみだよ。じゃあ僕が出社したときに見るんだね?」
「今からに決まっておるじゃろうが阿呆! ほれほれ、さっさと椅子の位置を変えぬか。おぬしの横に座らなければ落ち着けぬからな」
強制参加イベントというのは、この現代にもあるらしい。
仕方なく彼女の隣に座れるよう椅子と配膳の位置を変え、それからDVDをセットする。やはりというべきか、溢れる薬莢と大爆発、掌底打ちを使いこなして圧倒的に敵を打ちのめす主人公無双というものに僕は苦しめられた。
驚くほど趣味が合わないなと、食い入るような姿勢のウリドラを見て思う。
落ち着いた物語を好む僕としては、このような作品は苦痛に近しい。思えば彼女の性格も正反対かもしれない。僕とは真逆の行動をし、予想だにしない事件を頻繁に起こす。
けれど何故か食事の好みは合うらしく、美味い美味いと言う竜からは魔物としての気配は感じられなかった。
そういえば、気兼ねしないで済む女性というのは初めてかもしれない。人と話すのは得意でも無いのに、これだけ一緒にいてどうして苦痛に感じないのか。
映画は正直なところ糞だったけど、そんな事を考えているうちに強制イベントは終わっていた。
ただね、これを機に格闘術へ目覚めてしまったのは少しばかり大変だったよ。ほら、夢の世界で魔物相手だろうとブチかましちゃうから。とはいえ魔導竜様なのだから、無双を楽しんでもおかしくはないかと僕は思いなおした。
だけど幽霊を掌底打ちでパカンと叩きのめすのは、流石に如何なものかなと思いますよ。
かちんと電気を落とすと、部屋を染めるのはダウンライトの明かりだけになる。僕が最も愛している瞬間であり、この現代社会から離れる時を迎える時刻だ。
普段であれば伸びをひとつし、水を飲み、そして布団に入って眠りにつく。しかし今は同居人がいるので、様子は少しだけ異なる。
もぞりと布団が動いて、まつげの長い大きな瞳がこちらを向く。面倒臭そうに眉を歪ませた「へ」の字の唇から話しかけられた。
「あっちを向かぬか。わしが寝付く時は、この寝相だと昔から決めておるのじゃぞ」
「奇遇だね、僕もなんだ。こう見えて眠るときの姿勢にはこだわりがあるんだよ」
見たまんまじゃろうが!この寝ぼすけ顔!とわめかれても僕は動じない。睡眠というのは人生における癒しであり趣味であり生き甲斐でもある。例え竜が相手だろうと決して折れはしない。
そう断固たる決意で見つめ返すと、呆れるような溜息を吐かれた。
「分かった分かった、おぬしは変な所で頑固じゃな。まったく、照れもあるだろうから、折角このわしが言うたものを」
照れとはどういう意味だろう。
そう不思議に思っていると、ずいと布団の中で身を寄せられた。わずかな隙間は消えてしまい、大きな胸を押し当てられてしばし唖然とする。
「ふ、ふ、動じておるな。小鳥のように胸をトクトクさせておる。残念ながら眠そうな顔はさほど変わらぬようじゃが、いつまで耐えられるか見てやろう」
すぐそばからそう囁かれ、僕の「断固たる決意」は早くも動じた。
顔が近くて思わず仰け反る。しかしその隙間さえ埋めるよう、黒髪美女は顔を近づけてしまう。いかにも柔らかそうな唇から尚も囁かれた。
「こうせねば夢の世界へ戻れぬじゃろう。ぬしという特異な者のそばにおらねばな」
「別にウリドラはこっちに残っていても構わないんだけど」
「なん……じゃと!? この唐変木がーーッ!」
誘いを断った途端、がぶーっと首を噛まれた!
ひいい、なんて女性だ。これだけ綺麗な顔をしているのに、躊躇なく噛みついてくるなんて。
痛い痛いと悲鳴を上げても、彼女はお構いなしに上へ乗ってくる。手に触れてくる素肌へ驚きつつ、就寝時間とは思えないほど布団は乱れてしまう。
「う、嘘です、ちゃんと向こうの世界へ連れて行くよ、ウリドラ!」
「ふん! 分かれば良い。次に阿呆な事を言うたら、今度は本気で噛むからのう」
はあ、と息を吐いた。
就寝時は着衣を嫌がる彼女だ。その為、ただでさえ色気は強いし布団からは良い香りがする。照れ隠しの言葉で、まさか噛まれる事になるとは思わなかったよ。
その彼女は鎖骨を見せつけながら頬杖をつき、楽しげな瞳で覗きこんできた。
「だいぶ世話になった。向こうの世界で、今度はわしが世話をしてやろう。魔導竜から鍛錬を教わる機会など貴重じゃぞ」
さらりと真っすぐの黒髪は垂れ、僕の胸へ乗ってくる。
化粧をせずとも鮮やかな唇を笑みに変え、そして彼女はあくびを漏らした。くありと猫のように目を細め、気持ちよさそうな息はこちらにまで届く。
それから涙の浮いた瞳ごと、ぼすんと僕の胸元へ頭を乗せてきた。
「まあ、良い。わしの機嫌はすこぶる良い。美味しい思いをしたし、楽しい思いもした。おまけにこの体温と――くあっ――眠気には勝てぬわ」
位置を調整するよう頬をごしごしと擦りつけ、むにゃりと最後に息を漏らす。もう眠ったのかなと思った時には、気持ちよさそうな寝息が聞こえてきて少しばかり驚く。
魔導竜にとってはあの程度の運動さえ睡眠の邪魔にはならないらしい。そう思いながら彼女の肩まで布団をかけてあげる。
魔導竜からの教えを受けるかどうか、答える間も無かったな。
そう思いはするけれど、断ったら今度こそ思い切り噛まれてしまいそうだ。
観念して枕へ頭を沈めると、彼女の身体を抱き支える。
背筋のくぼみを指で触れ、それを撫でているうちいつしか僕も眠りへ近づいてゆく。
じわりと届く竜の体温は、実に眠気を誘うものだった。
おやすみなさい、魔導竜さん。
できれば多少なりとも手加減した鍛錬を希望いたしますよ。




