【番外編】日本へようこそ魔導竜さん①
もしもウリドラさんがメインヒロインだったら……というお話です。
数多の魔導を操り、人をはるかに超えた存在。それが竜人ウリドラという女性なのだと思う。
彼女とはとある地下遺跡で出会った……いや、出くわしたと言うべきか。竜の寝床に迷い込んだ僕は、魔導竜の苛烈なる灼熱吐息によって骨も残さず焼き尽くされてしまった。
しかし、死の間際であろうと動じない。
――また死んでしまったか。
そう思える余裕が僕にはある。だってこれは夢だから、死のうが何をしようが必ず日本で目を覚ますものだ。そういう遊びをもう二十年くらいしていたせいで、死に怯えるなどという事はとっくに卒業している。
しかし、現の世界へ戻る間際、何者からか掴まれる感触があった。今思うと、それはウリドラの好奇心だったように思う。知らぬ世界を鋭敏に嗅ぎとり、本能的に触れて来たのだろう。
夢から目覚める間際、ざぼりと沼から引き出すよう、女性的な腕が露わになる。透き通るような白い肌、夜のように長く黒い髪。ゆっくりと開かれる瞳は、まるで濡れた黒曜石のよう。
――まさか、これは魔導竜の姿!?
目を覚ます間際の夢。そう思うには少しばかり彼女の容姿は幻想的過ぎた。
やがてベッドで目覚めた僕は「今のは変わった夢だった」などとつぶやく。しかし、先ほどの夢なんかよりもずっと驚くことが待っていた。布団の膨らみから、くありと欠伸を漏らす黒髪美女が現れたのだ。
「なんやあ、この清々しい朝は。くあー、たまらんのう」
思い切り伸びをした彼女。自然と布団は滑り落ちる。その誇張された胸は……いや、しゅるりと鱗付きの尻尾を揺らす様子は、眠気を吹き飛ばすには十分過ぎる驚きに満ちていた。
唖然としつつ、素っ頓狂な声を僕はあげた。
「ちょ、ちょっと、服、服っ!」
「服ぅ? ふうむ、それだけでなく技能やレベルもごそっと消えておるのう」
己の身体を見下ろし、恥ずかしがる事もなくからからと笑う。その奔放さにまた唖然とし、とても直視などできない僕は顔を背ける。
「もしやと思うたら、これがまた大当りじゃ! いやあ、でかしたでかした!」
そうバンバンと背中を叩かれたけど、竜らしい怪力のせいで痛いのなんの。思わず目を白黒させてしまったよ。
これが僕とウリドラとの出会いだった。
夢が夢ではなくなる瞬間であり、そしてまたこの出会いは生涯忘れられないだろうという予感もあった。
額には飾りのような角があり、おまけに竜のものらしき尻尾まで生えている。まるでここが日本である事を忘れているようだ。しかし問題なのはそれでは無く、彼女が羞恥心を持ち合わせていない点だと思う。
「くふーー、あちこち変わった物ばかりじゃあ! 何じゃこの高い建物は、どの家も垂直に建っておるぞ!」
「待って待って、裸で窓に張り付かないで! ああっ、そのまま歩き回らないで!」
大変だ。夢の世界から出てきた女性が、都会へはしゃぐ田舎っ子のようにテンションを高めている。その言語は爬虫類族の使うものに近しいが、どこか古臭いなまりを感じていた。ひょっとしたら上位に属する言語かもしれない。
毛布を持って追いかけるけど、制止の声を聞きもしない。軽い足取りであちこち歩き、冷蔵庫や棚を開けては覗き込む。
形の良いお尻を向けられた僕はもう降参だ。出社時間の事よりも、回れ右をして視界へ入れないように努めないといけない。
いやもう会社どころじゃ無いぞ。なんだコレ、どういう事だ、という疑問が頭をグルグルと回る。
混乱するのも仕方ない。目が覚めたら夢で見た女性が現れ、今も裸で歩き回っているのだ。機嫌良さそうに尻尾を揺らしながら。
しかし聞きたいことは沢山ある。呼吸をどうにか整えてから背後の女性へ話しかけた。
「その、たぶん貴女は魔導竜ですよね。どうして僕の部屋にいるのですか?」
「うむ? 逆に尋ねると何故おぬしはこの世界におる。何故どちらの世界にもおる。決して混ざらぬはずの世界に何が起きておる。それに答えられるか?」
しばし言葉を失う。
寝起きから難しい質問を投げかけられ、思考が空回りするのを僕は感じる。手がかりも何もない、ただ結果だけある推理をさせられている気分だ。
ぽんと肩を叩かれ、振り返ると綺麗な鎖骨を見せつける女性がいた。やや切れ長の大きな瞳は、何かを大発見したような輝きに満ちている。
「先程おぬしが問うたのは、それと同じ事じゃ。今のわしにも答えは出せぬ。しかし異なる問いならばおぬしも答えられるじゃろう」
彼女の言う「異なる問い」とは何だろうか。
そう怪訝に思いながら見ると、魔導竜の手には牛乳パックがあった。
「これは何じゃ? 紙の箱に白い液体が入っておる。飲んで良いものならば試してみたいぞ」
「ええと、向こうの世界でも牛を飼育する地域がありますよね。それの乳です」
春とはいえ、まだまだ朝は冷える。
そのまま飲むよりも温めてからのほうが美味しいだろう。そう思った僕は、牛乳パックを受け取りながらこう伝える。
「その前に服を着てください。僕ので良ければ貸しますから」
「人間の用意する服などたかが知れておるからな。ガサガサのボロボロで、肌がかゆくなるような代物――おっ、これは! いや待て、これは良いぞ! 身体にフィットするしグングン伸びる! なんじゃあこの衣服は!?」
シャツとジャージですよ魔導竜様。
おやめください、伸縮性を見せつけるようにジャージの腰を伸ばすのは。こちらからだとお尻が丸見えなんです。
驚いたけど、すごく子供っぽい人なのかもしれない。
好奇心の高さは子猫のようで、何でもかんでも質問してくるし触れてくる。蜂蜜入りのホットミルクもお気に召したらしく、がっしり掴んで手放さない。
テーブルに座り、春の暖かな朝日を受けながら僕は小さく息を吐いた。平穏で退屈なはずの日常が、この時を境に変わってしまうのではという予感めいたものを覚えたのだ。
魔導竜というのは、気に入ったものを掴まえて離さない性格をしているかもしれない。
そう思ったのはご近所を散歩している時だった。シャツの裾を彼女から握られ、あっちにこっちに引き回されるものだから、いつもずるずるに伸びている。
「ウリドラ、あんまり裾を引かれると困るよ」
「仕方あるまい。あちこち眺めているうち、おぬしが遠くへ行っておるのだ。ならばこうしたほうが楽じゃろう」
悪びれもせずにんまりと笑われたけど、まるで僕を犬か何かのように言うだなんて。もちろん心外であり、彼女のほうこそ目を離した隙にどこかへ消えてしまうというのが正解なんだよ。
互いの背丈はさほど変わらないが、やはりというべきか脚の長さでは負けている。それも仕方ない、モデルと一緒に歩いているようなものだ。
そうそう、困っていた洋服だけど、彼女はこの世界でも魔術を操れるらしく衣服を作れるという特技を持っていた。黒のホットパンツと長ブーツ、それに軽い上着を羽織っており「かっこいい」という言葉が良く似合う。
「ふ、ふ、心配せずとも外出のときは角と尻尾をちゃあんと隠しておるからな」
「酔っ払うと出てくるから気をつけるんだよ。ウリドラはただでさえそそっかしいから」
ぴくりと形の良い片眉を持ち上げ、それから肩に抱きつかれた。敬語の消えた会話もそうだけど、彼女との距離感まで埋まりつつあるように思う。けれど背中への感触や、よく整った顔がすぐ近くにあるのは気恥ずかしいからやめて欲しい。
「阿呆、わしほど知的な者などそうはおらぬ。世界に存在する魔術だけでは物足りず、独自の魔道を生み出したほどの――うん、なんじゃあれは?」
怪訝そうに彼女の黒い瞳は横へ流れる。それを追うと、母と息子らしき姿が目に入った。
どうやら玩具を欲しがっているらしく、しゃがみこんで駄々をこねている。しかし買い与える気は無いらしく、ずるずると母の手に引かれてしまう。それを見て、ウリドラは何かを思ったらしい。
「この世界の躾は、随分と軽いように思えるのう。普通ならば鞭打ちなどでキチンと躾けるものじゃろう」
「それは体罰って言うんだよ。ただ向こうの人達は逞しいから、それくらいでちょうど良いかもしれないね」
いま言った「向こうの」というのは夢の世界のことだ。
剣と魔法、戦争と迷宮攻略をする世界において、彼らは実に逞しい。
彼女も他の人の教育について口を出す気は無いらしく「みっともない」だの「生ぬるい教育」などと文句を言っていた。
しかし、ふわんと漂う香ばしい匂いにウリドラの瞳は大きくなる。よく整った鼻をクンクンさせ、それからたまらなそうな息を吐いた。
「ンはーー、良い香りじゃのう。春の陽気を楽しむなら、あのような菓子を手に歩くべきじゃろうな」
「無駄遣いはダメだよ。帰ったらご飯を作るから、もう少し我慢できるよね?」
彼女の視線の先にはタイヤキの店があり、そこから小麦粉の焼ける甘い匂いが届いてくる。彼女の言う通り春ならではの陽気に包まれており、あのような物を食しながら歩いたら確かに楽しいだろう。
しかし、ちょっとした予感が僕にはある。
先ほどの子供ではないが、今のうちに躾をしておかないと大変な事になるだろうという予感が。
ガンと何かから殴られたような顔をウリドラは浮かべ、それを取り繕うように凛々しい表情をする。
「ふ、ふん、たしかに節約は美徳じゃ。しかし季節を楽しむのも人としての美徳で……」
「帰るよ、ウリドラ」
「やじゃあーーーー! わしは食べるのじゃ、あの馳走を食べたいのじゃあ!」
おっとおーー!
本性を表したのか、がしりと腕にしがみついて来た。往来の多い商店街で。
そそくさと離れようとしたが、それを察知したようウリドラはしゃがみ込む。そう、まるで先ほど見た子供とまったく同じ姿を魔導竜様はしていた。
「よーし分かった、ひとくち、ひとくちだけで我慢をしよう。それならば良いじゃろう? なっ? なっ?」
「それ絶対にひとくちで済まない流れだよね!? それに駄目だよ、無駄遣いばかりしていたら、だらしのない大人だと思われるから」
いや、だらしないというのは正解か。間違っても品行方正とは言いがたい。
しかし食欲の権化と化したウリドラは、驚いたことに透明の涙をはらはらと流してしまう。目元を赤くしてゆく様子に、僕はぎょっとした。
「こ、こらウリドラ、人前で泣くなんて……!」
「わしは天下の魔導竜じゃあ、泣くわけが無い。阿呆、阿呆!」
いーっと歯を剥かれたが、どう見ても大泣きなのですが?
何となく分かっていたけど、今まで人と接することが少なかったせいで竜人となった時の感情は豊かすぎるようだ。しかしまさか、商店街でそれを披露するだなんて……。
ちゃんと躾をするべきか、そうしないか。
答えはもう決まっている。いつの時代だろうと泣く女の子に勝てる男性はいないのだ。
むふん、と得意げな息を吐いてウリドラは包装紙を開く。
あたりは日当たりの良い公園で、ちょうど空いているベンチに僕らは腰を降ろしていた。
ウリドラの手には2つのタイヤキがある。これは騒ぎを見ていた店員さんからの心優しいサービス品だ。つまり僕と店員さんは、躾を放棄して甘やかしてしまったのだ。
「ああ、微妙な罪悪感があるな……」
「何を言う、わしの手腕で倍に増えたのじゃ。これこそが現代の錬金術じゃぞ」
それは錬金術ではなく人の情けですよ。
しかし文句を言う前に、ぱくんとウリドラは菓子を食す。
春らしいふんわりとした甘さと香ばしさ。サクリとした食感に頬をほころばせる。
美味しそうに美味しそうに食べ、長い足を機嫌良さそうに揺らす。そんな姿を見せられたら、僕の文句なんて風に乗って消えてしまうさ。
「むふふーー、さっくりして美味いのうーー! この黒い粒みたいなのも美味い。実に品のある甘さじゃ」
「それは和菓子でよく使われている餡子だよ。あとこっちは緑茶。喉に詰まらせないようにね」
ぺろりとウリドラはタイ焼きを食し、それから緑茶を煽る。
程よい甘さと清涼感のある茶の風味。そこへ春の木漏れ日がやってきて、にこーーと彼女は満面の笑みを浮かべた。どうやらとても幸せな気分になってくれたらしい。
「むふっふっふ、この地は良いのう。人を楽しませる事をよく理解しておる」
「接客がとても好きな国だからね。気に入ってもらえたなら僕も嬉しいかな」
一瞬、ウリドラはこちらを見ながらぽかんとした。
今の表情は何だったのだろう。そう思い、見つめ返すと彼女は小さく笑みを浮かべる。親指についた餡子を舐め、それから小春日和に誘われたよう欠伸を漏らした。
「ふ、ふ、おぬしは変わり者じゃな。どれ、平和過ぎるこの世界で、今度は昼寝を楽しむかのう」
「昼寝? ウリドラ、家はすぐ近くなんだから……」
うるさいのう、と漏らしながら肩へ頭を乗せてきた。
今日は日差しが暖かく、座っているだけでうとうと眠気がやってくる。止めることも出来たけど、寄りかかる体重と体温を楽しんでいるうち、彼女はすっかりと熟睡していた。
くうくうと気持ちよさそうな寝息を聞きながら、僕はぼんやりと空を見上げる。
たまにはね、竜を寝かしつける時があっても良いかもしれないよ。竜人の肌は温かくて柔らかくて、こちらまで良い思いを出来るようだからね。




