第174話 一泊二日の伊豆旅行ですよ③
日も高くなり、東伊豆街道もだいぶ渋滞してきた
しかし僕らは気にもせず、停車したまま動かない。それもそのはず、横向きに停めた駐車場からは太平洋が一望でき、お昼を食べるには絶好のロケーションだからだ。
窓には背の低い生垣が見える程度。車の進行方向には切り立った崖が弧を描いており、窓を開けてエンジンを切れば波の音まで聞こえてくる。
こんな場所でどうだろうと振り返ると、3人そろって頷いてくれた。
「ばっちりね! 明るくて綺麗だし、太陽は真上だから日差しも気にならないわ」
ぱたぱた足を揺すりながらエルフさんも喜んでくれる。すこし風はあるけれど、海を体感しながら食事をしたほうが美味しいんじゃないかな。
「んーー、良い眺めじゃあ。タイヘーヨーを一望しての弁当とは贅沢じゃな」
「うん、ぴったりの場所が空いてて良かったね。そっちのカバンにお弁当があるから取ってくれるかな。3つしか無いから、シャーリーは僕と一緒の食事でも構わないかい?」
ああ、分かりづらいけれど「一緒の食事」というのは彼女に憑依してもらい、そのまま一緒に食べようという意味だ。
物珍しげにお弁当箱を眺めていた彼女は、ぱっと顔をあげると頷いてくれる。明るい表情を見るに、憑依することを別に嫌とは感じていないらしい。
そしてゆっくりと幽霊のような半透明へと変わってゆくのは、憑依のための準備なのだろうか。僕の肩をつかみ、「失礼します」という声が聞こえた気がしたときに「するんっ」と入り込む感触は伝わってくる。
トクトクという心音は、海景色による高揚感か、はたまたお弁当を楽しみにしているせいかは分からない。
「それじゃあ、これがマリーのお弁当箱で、ウリドラはこっちの大きいほうね」
彼女らにお弁当を差し出すと「ありがとう」と笑みを向けてくれる。エルフは白い髪を、竜は黒髪を風に遊ばせており、背後に海が広がっていると……感動してしまうというのは言いすぎかな。
いやはや、夢かと思うくらい綺麗なものだ。まあ、実際のところ夢の世界から来てもらっているわけだけど。
時刻はちょうどお昼どきで、東側の太陽はもうすぐ真上になる。
海からの反射もあるおかげで車内は明るく、助手席に座るエルフの少女は「待ってました」と喜色を浮かべて青空色の包みを解いてゆく。
「もうおなかペコペコ。きっと吊り橋で怖い思いをしたせいね」
「ほんのちょっとしか渡っておらぬでは無いか。そのくせ、やっと言葉を発したと思えば『帰りたぃ』と蚊の鳴くような声とはのう」
「んもっ! そんな事を言うなら、私たちの合作お弁当を食べさせてあげないわ! 残念でしたわね、手間ヒマをかけた最高傑作というのに」
ぷんすかとマリーは眉間へ皺を寄せると、ウリドラは「返さぬぞ!」とお弁当を抱きかかえてしまった。
そうそう、手間をかけたというのは本当で、これには2時間近くの労力を注いでいる。たぶん……いや間違いなく僕の人生のなかで最大の調理時間をかけたお弁当だ。
なぜそんなに時間をかけたかというと……。
いそいそと包みを解き、お弁当の箱を開く。
するとそこには、可愛らしいキャラクターが「ニッ!」と笑みを浮かべているという賑々(にぎにぎ)しい光景が待っている。
ウリドラは何度かまばたきをし、それから大きく口を開いた。
「んがーーっはっは! 似てるぅッ!!」
「やあん、可愛いーーっ!!」
笑い転げるのも、身悶えるのも僕には分かるかな。
これはキャラ弁というもので、そのままだけれどキャラクターを模したお弁当という日本文化だ。
楕円型のおにぎりには海苔で飾った目や口がついており、両手バンザイをしてお出迎えしてくれる。元のモチーフは子供から大人にまで人気のあるもので、来日したエルフさんがアニメにどっぷりハマったほどの影響力を誇っている。
愛嬌たっぷりの顔立ちと、そしてミートボールやうずらの卵などにも丸い目玉がついており賑やかだ。周囲を飾るレタスといい、玉子焼き、ミニトマトなどの色合いも加わると、それはもうエルフさんの頬を緩ませる。でれでれという表現が合うくらいに。
「んーー、信じられないわっ! こんなに可愛いお弁当が世界にあるだなんて! そうそう、写真っ写真っ、わたしと一緒に撮ってちょうだい!」
うわ、ハイテンションだなぁ。
あれだけの時間をかけて作ったのだし、レジャー地に来て、とても大好きな物を目にしたのだから仕方ないか。そう考えてスマホを取り出すと、お弁当を手に満面の笑みをする彼女へと向ける。
そしてウリドラも顔を寄せると、ニッ!っとキャラクターそっくりな歯並びを見せてくれ、軽快にシャッター音は鳴る。
うーん、これはベストショットだ。永久保存をしなくちゃ。
「よおし、そろそろいただくかのう。んーー、実に美味そうでたまらぬわ!」
「…………」
しかし、ぴたりと少女の動きは止まる。
お箸を手にし、キャラクターを覗き込み、そして僕らへ何度か視線を送ったあとに……みるみると眉尻を落としてしまう。このまま放っておけば、涙を落としてしまうのでは、と思うほどに。
おかしいな、あれだけの笑顔が一気に崩れてしまったぞ。
ウリドラと一緒に、ちらりと少女へを視線を向けた。
「こ、子供じゃないのよ。べつに食べれないわけじゃ……ないわ……」
まるで僕らへ言い訳をしているようだ。半ば予想をしていたけれど、たっぷり愛着のあるキャラクターに感情移入してしまったらしい。
そしてウリドラと目を合わせる。
どうやらこういう時は僕の出番らしく、彼女は形の良い眉を片方だけ持ち上げる。これは「がんばれ」あるいは「任せた」という意味がある――と思う。
とはいえ、僕の口から説得する必要は無いんじゃないかな。とても好きなキャラクターなのだとしたら、彼の声を聞かせてあげれば良い。
「マリー、可愛らしさを愛でて、楽しく食べるのがキャラ弁だよ。でないと彼は悲しんでしまうかもしれない」
お箸を手に、キャラクターの黒目を少しだけ上へずらす。
すると彼はまるで「食べないの?」と言うようにマリーを上目使いで見上げてくれる。じーっとエルフと彼は見つめあい、そして薄紫色の瞳に輝きは灯った。
「彼は何て言っているかな?」
「……美味しいのに食べないの?って言っているわ。もう、可愛いのに食べて欲しいだなんてずるいわ。私の気も知らないで」
むすりと唇をとがらせて、そしてお箸を少女はにぎる。それから彼の表情につられてしまい、にこりと白い歯を見せてくれた。
「それじゃあ、いただきましょう」
やるではないか、というウリドラの視線を受けつつも、こうして「いただきます」の声は車内に響いた。
さて、太平洋を眺めながらのお食事は始まった。
一番の魅力は、この風格ある体格をしたキャラクターだろう。おにぎりのように海苔で飾られており、お箸で開くとなかなか楽しいものが出てくるようだ。
「むう、ツナマヨじゃ! わしの好物を知っておるとは、やりおるのう貴様!」
「ええ、あなたの好きなものをこっそり入れたのよ。わたしのは一廣に作ってもらったから知らないけれど……あらっ、チーズハンバーグ!」
そう、彼には大事な役割がある。それは好物をいくつも身体に入れることで、皆の舌を楽しませ、笑顔にさせるというものだ。
ぱあっと二人は目を輝かせ、可愛らしいキャラクターを食してゆく。
けれどもシャーリーに憑依されている僕自身はというと、味覚を奪われているので味わえない。
ただ、無味無臭ではあるものの、彼女から「美味しいっ、美味しいっ!」という感情が伝わってくるので、実はとっても楽しめている。
見えないとはいえ可愛い子がひとくちごとに身もだえ、眉へ皺を刻んでいるだろう様子は、この年になると自分ごとよりも嬉しい。だから料理を張り切ってしまうところもあるんだけど。
「んーーっ、美味しいっ! 眺めも素敵だし、いつもより美味しく感じるわねぇ」
青空に青い海。水平線には伊豆大島が浮いており、そして幻想世界の皆様とアニメキャラの鉢合わせという、とても賑やかな昼食だ。
夏らしい日差しはあるけれど、車内を抜けてゆく風のおかげで過ごしやすい。
「おっと、お茶を出そうか。ウバ茶は少しだけアリライの茶葉に似ていると思うんだ」
こっそりと呼び出してもらったクラゲ君こと氷精霊は、差し出した紙コップへ氷を入れてくれる。そしてポットから注ぐ茶葉からは、ふわんと花のような甘い匂いが溢れてきた。
味わいだけでなく香りまで楽しめるのはウバ茶の持つ魅力だろう。
「あ、匂いはかなりアリライのものに近いわね! ……ん! 冷たいせいかしら。味わいが爽やかで美味しいわ」
「まったく、ついにわしまで茶を好むようになったではないか。嗜好品を好む竜とは、なにやら堕落したような気になるのう」
そう言いつつも、ひくひく鼻を動かす2人は遠く離れた地、アリライを考えているようにも見える。なんだかんだ、あの地で楽しい思いをしているせいで、2人も愛着を持ちつつあるようだ。
「それで、この後はついにバナナワニ園なのかしら?」
「もちろん。だいぶ近いしあっという間じゃないかな。緑や動物も多いから、きっとシャーリーもたくさん楽しめると思う」
どくんっと胸は高鳴る。これは僕のものでは無く、憑依された彼女から伝わるものだ。子供のように興奮する様子はくすぐったく、わずかに身をよじらせてしまう。
そんな調子で食事中の2人をたびたび撮影し、良い笑顔とピースサインをフィルムへ収めているうち、瞬く間にお弁当は空になる。
ごちそうさまでしたの挨拶をし、それから僕らの車はゆるゆる進み始めることになった。
うーん、僕はまったく味わえなかったけれど贅沢な昼食だったねぇ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
海岸沿いから裏道に入ると、車通りもだいぶ落ち着いてくれる。
すぐに周囲は山景色となり、海が見えなくなったせいか少しだけ寂れた雰囲気へ変わったように思える。
ゆるやかな坂道を上っていると、窓をあけて眺めていたマリーは「あっ!」と声をあげた。ドーム状の植物園らしきものが、突然沸いて出てきたよう見えたからだ。
そのままウィンカーを出し、駐車場へと車は吸い込まれてゆく。
しかし日本の観光地というのは変わっているなと思うよ。
入口である建物は公民館のように地味なもので、少しだけ「ここで大丈夫かな?」と不安に思わせるからね。
駐車場もそこまで変わったところは無いし、ほんの少し南国の植物が生えているくらいだから、そのように考えても仕方ない。
などとボヤきつつ車を降りると、マリーは人差し指をこちらへ向けてきた。
「あなた、25年も日本に住んでいてまだ分かっていないのかしら?」
「ん、日本のことを?」
その問いかけを不思議に思いつつ、彼女の隣へと並び立つ。すると、薄紫色の瞳は得意げに見上げてきた。
「日本の観光地は、まず外観で騙してくるものなの。油断していたら中身とのギャップにやられて、パクッですからね」
がお!と手で食べてくるような仕草をしてきたけれど、いつの間にやらエルフさんも日本のことをだいぶ覚えてしまったな、と驚かされる思いだよ。
そして少女の手は何かを求め、宙でゆらゆらと揺れる。
つい先ほど「いつ手を握ったか覚えていないわ」と彼女は言っていたけれど、本当に無意識で僕を求めているらしい。
当たり前のように手を重ねると、その細くて女の子をした指から握られる。やはり気づいていないらしく、僕の顔を見て「何かしら」と小首を傾げてくる様子だ。
「いやいや、良いんだよ。僕としては大歓迎だからね」
「一体何のことを言っているの? それよりもほら、混んでしまったら大変よ。早くなかに入りましょう」
そのような賑やかさで、熱川バナナワニ園という看板のついた建物へと歩き始める。
いやー、やっぱり地味だなぁ。この安っぽい建物は。
などと思いながらも、何か楽しいことが待っているだろう予感に僕の胸は高鳴った。




