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第171話 魔装カルティナ⑩

 

 半面を砕いた兜のなかで、白黒を反転させた魔族の瞳がまばたきをする。大きいと感じるのは、少しだけ頬が痩せているせいか。


 べったりと汗で張り付いた髪の毛は、魔装の影響もあるのか露にされたところは茶色、奥は黒く染まっている。

 その涙に濡れた魔族の瞳は、どこか遠くを見ているようだ。


「もうっ、私しか、いない……っ! なぜだ、なぜこんな事に、隊長っ、返事をください……っ!」


 絶句するしかない。

 思い描いていた敵の姿はそこになく、ただ泣き続ける女性がいたのだ。


「そうか、逆賊たちは魔物に変えられていた。つまり君が最後の……」

「だから逆賊などではないッ! 私は、私たちは命がけで、アリライ国を食い止めるという使命を――ああああッ!」


 瞬時に加速したカルティナだが、僕らは既に彼女の対処法を知っている。

 ひょいと後方へ移動するだけで大量の氷精霊が現れて、それを必死に避けながら追撃を行うハメになる。


 ただちょっと――これは可哀想だ。

 届かない攻撃を泣きながら繰り返し、全身へ傷を生んでゆく様子を見るのは忍びない。


 砕けた破片で頬を切り、再び瞳を開いた時には――氷精霊がカルティナの目前に迫っていた。


「……っ!」


 だから、彼女へ触れようとしていたクラゲを、ひょいと僕はつかむ。氷のように冷たくて、いやいやをするように氷精霊はわずかに暴れた。


 それをどかすと、そばかすの残る女性、そして茶色い髪が待っている。

 氷まみれとなり関節を封じられた魔装は、すでに機能を失いつつあるようだ。すぐ目の前、息さえ届くような距離で囁きかける。


「カルティナ。僕はアリライの者じゃない。だから詳しいことを知らないんだ」

「ふざけるな貴様、古代迷宮を犯すゴミめ。祖先からの恨みに呪われ続けろ」


 涙さえ蒸発させるほどの怒りがそこにある。

 鍛え上げられた軍人のような迫力ではあるものの、子供ひとりも倒せないのなら怖くは無いかな。


「っ!!」


 なぜかそのとき、魔装はビクン!と震えた。

 僕だけでなくカルティナも疑問に思ったらしく、きょろきょろと己の身体を見下ろす様子だ。

 彼女の意思ではなく、魔装は後方へと蠢いているのは……。


 逃げたがっている。

 そのように僕らの目に映る。


 そして、ようやく背後からシャーリーが歩いて来る事に気がついた。

 とはいえ殺気を放っているわけでもなく、のんびりと歩いているような雰囲気だ。それにしては指先を伸ばしただけというのに、魔装はビグン!と怯えるよう反射的に立ち上がる。


 必死の形相で、カルティナは叫ぶ。

 僕らにではなく、魔装に対してだ。


「にっ、逃げるな! だめだ、だめだ、駄目だと言っているッ! 私の身体を好き勝手に弄っておいて、今さら逃げるのかよ手前テメエはあああッ!!」


 ああ、まるで綱引きだ。

 四肢で地面へと喰いついて、負けじと鎧は一歩でも遠くへシャーリーから離れようとする。ぶちぶちという音と、剥がれ落ちてゆく様子には驚くほか無い。


 ゴムのように魔装は伸び、彼女の鍛え上げられた軍人らしい上半身は露になりつつある。しかし、カルティナは許さない。この場から逃げるようなものなど絶対に許さぬ、という構えをとる。


「ふぅっ、ふぅぅぅーーっ! 私からッ、逃げるなッ。ふざけるなよ、ひざ枕して遊んでたようなガキから逃げるとか、ふざっけんなよ! 魔装オオオッ!!」


 魂の慟哭どうこくではあるものの、きょとりとシャーリーと見つめ合ってしまった。

 いや、そう見えたかもしれないけれど、あれは治療のためだから。

 ねえシャーリー、と視線を投げかけたけれど、ぷいと顔を逸らされるのは……あれっ、それはどういう意味なんだい?


 とはいえ思い出したこともある。


 確か彼女は、倒した魔物を図鑑へ載せることができると言っていた。ならば魔装とやらは本能的にシャーリーから逃げたがっているのかもしれない。

 つまりこれは、互いの存在をかけた戦いなのだ。


 やがて戦いに終止符は打たれる。


 キューーン、と音を立て、観念したように魔装は元の位置へと戻ってゆくのだ。まるで、主人から命じられて従う犬のように。


 かしゃ、かしゃ、と汗だくの肌をボロの鎧は覆ってゆき、それと同時に遠くから声をかけられた。


「ほう、無理やりに魔装を従えたか。ならば道はあるやもしれぬぞ」

「あれウリドラ、こっちに来たのかい?」


 壁面から黒い染みを浮かせ、黒髪の美女は姿を現す。そして背後へ手を差し伸べて、よいしょとエルフの少女を抱き寄せる。

 振り返ってみれば……ああ、向こうのオウガも完全に片付いたか。とはいえ、マリーがその気になればいつでも倒せただろうけど。


 かつりとウリドラは歩む。

 開かれた唇からは、先ほどの言葉の続きが漏れた。


「魔に飲み込まれた者がどうなるか、その隊長とやらは教えたか?」


 体力を全て使いきり、息も絶え絶えの様子のカルティナは、四つんばいになったまま怪訝に見上げてくる。やがて諦めたように、首を左右に振ってきた。


 それを見て、ふう、とウリドラは重苦しい息を吐き出す。


「おぬしは死なぬ。いや、可哀想なことに()()()。砕けた身体はまた集まり、何か他のものとなって侵入者を襲い続けることになる。ほれ、再出現リポップというものがあるじゃろう。つまりはあれになる」


 え、とカルティナは息を呑む。


 その言葉に希望と絶望、どちらを感じて良いのか分からないという表情だ。

 しかし残念なことに、この場合は後者を指してしまう。


「生体の部分はほとんど死に、意識は極めて不鮮明なままじゃがな。それの状態で、永遠に迷宮へ囚われる物へなりたいか?」


 覗き込む黒い瞳は、真実しか語っていない。

 それが分かるほどに、ウリドラらしからぬ真摯な瞳を見せていた。


 そして、がくがくとカルティナは震えだす。

 ようやく理解をしたのだろう。永遠に生き続け、古代迷宮に囚われるという運命を。死の間際にあるせいで、きっと鮮明に感じたことだろう。


「……しかし、本当におぬしは運が良い。わしでさえ諦めていたというのに」


 そう言い、ぺたりとカルティナの頬へと魔導竜は触れる。

 敵同士とは思えない、とても優しい触り方だ。


 ああそうか、と思う部分もある。

 彼女は古代から生き、魔に通じる者たちを多く見てきた。だから友人を相手にするように、優しく触れることもできるのか。


 涙を流しすぎて腫れた瞳へ、ウリドラはひとつ頷く。


「んん、しっかりと魔装を従えておる。ここにいるシャーリーこそ、生と死を循環させる者じゃ。ならば望むままに成れるぞ。死ぬことも、来世へ向かうことも、そして迷宮から解放されて現世にしばらく残ることも」


 ただの言葉なら、きっとカルティナも納得しなかったろう。

 しかし、ぎゅっと首を抱かれたら、人肌の温かさを知ってしまったら、ぼろりと大粒の涙は流れてしまう。

 たった一人きりで戦うには、この迷宮は冷たすぎる。


「ば、馬鹿っ! なんだよもうっ、敵じゃないなら最初っから言えば良かったのにっ!」


 そして大きく口をあけ、魔装カルティナは泣いた。




 不思議な光景だったよ、カルティナが受け入れた姿というのは。


 手を組み、まるで神へ祈るようにして黒い色素を失ってゆくのは、なぜか清純なものを覚えるほどだった。


 炎を上げる第三階層広間に、魔物の残骸ともいえる塵が舞う。

 それでさえ白く雪のように変えてしまう光景に、エルフと手を繋ぎながら息を呑んだ。


 魔装撃破の報告に、どおっと砦は歓声をあげる。

 そして砦から出てくると、今度は雪景色のような広間へ見とれた。


 それは勝利への祝福のようであり、実際のところは数千年ものあいだ働き続けてきた魔物たちを解放するという意味がある。


 だから自我を取り戻したカルティナは、意思を持ったまま世界へ残ることもできる。


 それは僕らの知らぬ中央管理室も同様で、戦い抜いた男はわずかに瞳を開き、救いの光をただ見上げる。

 やがて粒子状に溶けてゆき、すまないと唇を動かしてから消えてしまった。



 シャーリーは、たぶんこの迷宮において異質な存在だ。

 魔の循環を断ち切り、新たな道を示す者でもある。


 それにしては、魔物図鑑を開いて見せてくれる様子は、どこか子供のような表情だと思えるけれど。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 さて、ようやくマンションに戻ると、すでにお昼を回っていた。

 しこたま魔力を使ったせいか、はたまた集中し過ぎていたせいか、エルフさんはベッドへ両手両足を広げて横になったままだ。


「大丈夫、マリー?」

「疲れたの。言っておきますけれど、あんなに大量の精霊を駆使するなんて、普通ではありえないの。私にしか出来ないのだと分かっておいてちょうだい」


 むっす、と唇をとんがらせる様子の、なんと可愛らしいことか。

 おいでおいでと手を振れば、「だっこ」と言うように手を伸ばしてくる。

 仕方なく――いやいや、だいぶ嬉しいんだけど――背中とひざの裏へ腕を入れると、そのままお姫様だっこをすることになった。


 うーん、軽い。

 そのくせ柔らかくて、ぎゅっと抱きついてくるものだから、僕としては良いお盆休みが始まったなー、という思いだよ。


 振り返ると、呆れ顔をしてテーブルに座るウリドラがいた。どうやら眼鏡に新聞という組み合わせを気に入ったらしく、ばさりと広げて真夏の日差しへ紙面を輝かす。


「それで、結局カルティナは消滅しなかったんだね」

「うむ、しばらくはシャーリーへ仕えることにしたらしい。消え去るのは、あの古代迷宮と自国がどうなるか見届けてからが良いそうじゃ」


 ふむ、確かに彼女にとっては気になることか。

 敵国の貴重な情報源とはいえ、さすがにそれを聞き出すのは可哀想だ。無理やりに魔装を着けさせられたそうだし、しばらくはゆっくり休ませるべきだね。


「あら、良い匂い。何を焼いているのかしら?」

「ホットケーキだよ。出かける前に、きちんと腹ごしらえをしておかないと」


 バターと蜂蜜たっぷりのホットケーキは、エルフも竜も大好物だ。うきうきとマリーは宙で足を揺らし、そして調理中の女性へと声をかける。


「ありがとう、シャーリー。あなたはとても料理上手なのね」


 振り返る彼女も、どうやら日本に慣れてきたらしい。ぐっと親指を立てる仕草は、とてもじゃないけど元階層主には見えないな。

 ただ、一部だけ封印を解いたおかげか、その気になれば半透明で無くなれるのは幸いだね。


 ……気をぬくとボヤけるみたいだから心臓に良くないけど。


「明日には出発するから、それの準備もしないと。日本にはキャラ弁というものがあってね、好きなキャラクターを絵のようにするお弁当文化もあるんだよ」


 ぴくーん、とエルフの長耳は揺れる。

 真っ先に思い浮かべるものがあったかもしれない。薄紫色の瞳を輝かせ、そしてこちらを見上げてくる。


「でも、それって子供向けじゃないかしら? 私はあなたよりずっと大人だという事を知っておいて欲しいわね」

「まさかまさか、これは大人の文化だよ。子供はお弁当作りなんて出来ないからね」


 キャラ弁もいつの間にやら海外に浸透し始めているし、その食を楽しむという文化には不思議な思いをさせられる。

 というよりも、お姫様だっこのほうが子供っぽい気もするけれど。


「あらそう……。ふうん、ふうん、なら仕方ないわね」


 それで、何が希望かな?と瞳で尋ねると、こしょりとエルフさんは耳元に囁いてくれた。

 くすぐったいやら何やらだけど、教えてくれたキャラクターを思い浮かべて、もう少しだけ愉快な気持ちにさせられる。


 まあ、初めて見たアニメというのは忘れられないものだからね。

 ニッと元気に笑うキャラクターの顔を思い浮かべ、それと同時にホットケーキは出来上がる。


 後はもう、テーブルの上の魔物図鑑をどかすくらいで……。


 ん、魔物図鑑を、どかす……?


 まさかこれって、日本でも効果を発揮したりはしない、よねぇ。

 大量の魔物が封じられているけれど、まさかねぇ。そんなわけが無いよねぇ。


 しかもこれ、よく見てみたら魔装カルティナがオウガの盾と槍を構えているように見えるんだけど……組み合わせ……。


 気のせいだな、気のせい。

 ぽんと本を閉じると、皿に乗せられたホットケーキはやってくる。


 エルフを椅子に座らせて、どうぞとシャーリーを案内し、そして僕は男らしく立ち食いだ。これは本格的に椅子を買い足したほうが良いみたいだ、などと真夏の空を見上げながら他人事のように思う。



 まあ、そのようにして僕らのお盆休み、そして伊豆旅行は始まるわけだ。


最長の戦闘でした。

次回より伊豆編です。

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