第169話 魔装カルティナ⑧
やあ、ビリビリ来るねぇ。
魔石ルンに乗って広間を飛んでいるけれど、進むたび大気ごと震えるような殺気が伝わってくる。相手はもちろん、あの魔装カルティナなる存在だ。
黒い鎧を身につけているけれど、こうして見るとやはり女性なのかもしれない。2メートルほどの巨体ながら、骨格はどこか女性的だと思える。
溢れる殺気は、まるで凍てついた氷原だ。
たかが百メートルに満たない距離というのに、ルンの飛翔は遅い。きっと上位の魔物というものへ怯えているのだろう。
にも関わらず、ぶるりと武者震いが襲う。
いや、半分足らずは恐怖によるものかな。この世界、夢の世界で久しく思える感情へ、そっと静かに息を吐く。
彼女の足元、オウガより大きな存在は、もともとこの広間のボスだったのだろう。しかし、今は無残に上半身を朽ちさせていた。
魔装カルティナに喰われ、残りも間もなく消えるだろう。
じっと観察していると、魔石ルンからの警告は響く。
――ルン、ルン。
「うん、気づかれているね。どれくらいの距離で襲ってくるのかな……っと!!」
ぐらりと足元は揺れ、周囲の景色は回りだす。
螺旋状に進むジェットコースターのような景色に、慌てて横を見ればルンの片翼はごっそりと失せていることに気づく。
そして視界を戻せば――先ほどの魔装カルティナは忽然と消えていた。
「えっ!? もう襲われていたの!? うわ、なんて速度だ」
このまま魔石を砕け散らせてしまうには忍びない。
きり揉みしつつも両足をルンに乗せ、転移した瞬間に「戻れ」と僕は命じる。すると10メートルほど下にあったはずの石畳は、すぐ目前へと迫った。
とはいえ危機を脱したわけではない。
きり揉みの力学はそのまま身体に残っているのだし、全身をバネにして落下の衝撃を消し、そしてごろごろ転がって立ち上がる。
おっとっと、魔石を落としたら大変だ。
寄ってくるオウガの頭を切り落とし、返す刀で2体目を撫で切りにしつつ、パシンと水色の宝石を受け取った。
「あー、やっぱりヒビ割れてるな。あとでミュイのところへ持っていかないと」
魔石のことでお困りなら、猫族のミュイが一番だ。
そして、ごそりと胸元へしまう時には、もう背後にアレがいる。そう、アレだ。人とは思えない黒い色をした何か。
この僕でさえ振り返れないのは、あまりのプレッシャーによるものだ。
どくどく鳴る心臓がとても騒がしい。
だが比較的、この瞬間を僕は好きだと思う。
「例えるなら、校舎裏へ呼び出されたかのようだね。どうなのかな、魔装カルティナ。君はどんな思いをしている?」
やあ、振り返らなければ良かったね。
胸から広がるヒビは身体を縦に引き裂くよう傷を広げており、左右に分かれた表情は狂気という言葉がふさわしい。
背の高さは2メートルほどと、魔物のなかでは普通だろう。
しかし全身の装甲は黒水晶のように鋭く光り、二対のまっすぐな羽を生やし、睨み付けてくる様子には鈍感な僕でさえ「恐ろしい」と素直に思う。
それがいま、残像を数体ほど左右へ散らし、我ながら惚れ惚れとするほどの速度で抜き放った星くずの刃へと火花を散らす。
――ああ、まだ遅い。
舌打ちをしたいけど、きりもみ状に吹き飛ばされては難しい。
上腕の筋はメキッと嫌な音を立て、それでいて運良く地面を踏んだ瞬間に転移をしなければ、きっとそのまま死んでいただろう。
ずぼおッ!というおかしな音は耳へ迫り、その瞬間に刃の届かぬ場所へと僕は消える。
辿り着く先は、必ず僕の見た場所でなければならない。
壁面へと着地をし、そして遠くのカルティナは、ゆっくりとこちらを向いた。瞳の色はわずかに充血し、ロロロと妙な声で奴は鳴く。
ふわりと壁面から自然落下してゆき、その間も彼女を目から離さない。
まいったな、ここから先はまばたき一つしただけで死ぬかもしれないぞ。
とたんに全身を駆け巡るものがある。
死の間際ともなると、消えてたまるかと僕の身体はあがきだすらしい。
たとえ夢であろうとも――いや、ここが異なる世界だとしても――身体はしっかりと分かっている。ここで生き、そして戦うべき時は今なのだと。
だからこそ、カッと目を見開き、着地する間際の一撃を勘だけで奇跡的に回避してみせる。もちろん加速は全開で、それでもブレて見えるほどに奴は早い。
――奴の尖った爪を、この瞬間を、脳内で繰り返せ。
覚えろ、覚えろ。
この軌跡、この威力、速度、筋肉の動き、あらゆる物を可能な限りに覚えろ。キイイと脳が悲鳴をあげるほどに集中し、ひとつ目の定義は埋まりゆく。
僕のもつ技能、五重定義の過負荷は5つもの並行処理を行える。かつては愚直という名だったが、道を越えてと融合することで進化をしている。
これを活用することで……。
バヒヒヒッ!という身の毛もよだつような音が周囲へ響く。
上体を柳のように逸らし、5つの剣とさえ思える爪先は、頬から鮮血を飛び散らせるまでに留めた。
背中の壁面は豆腐のように刻まれてゆくけれど、それに気を取られてはいけない。
まずは彼女の攻撃を覚えなければならない。
でなければ前進など出来はしない。
どずん!と腹へめり込んだ蹴りもそう。
衝撃の瞬間に加速をし、速度や威力を2つめの領域に叩き込む。
後方へ飛んだことで威力を落としたけれど、それでも僕の生命力を大きく削る一撃だ。
吹き飛びながら両足で地面を踏み、ズザーーと数メートルほどの後退を余儀なくされる。それでいて魔物は「何かが変だ」と思うように追撃を選択しなかった。
あれ、気がついたのかい。
僕ならば気持ちの悪さを覚えるかもしれないよ。眠そうな目から、じぃっと観察をされているというのは。しかも、ゆっくりと攻撃へ順応しつつあるからね。
「やあ、聞こえているのかな、カルティナ。だったら少しだけ話をしない? でないと僕は、あと数分で死んでしまうよ」
あ、これだと命乞いに聞こえちゃうか。
まいったなあ。もしも彼女が無理やりに魔物へと変えられていたのなら、救いの道は無いのか尋ねかったのに。
「こう見えてね、僕のレベルは77なんだ。君は幾つだい?」
「…………」
つれないな。二対の羽を後方へと向け、より早く切りかかろうとしているなんて。
とはいえ、こちらの声を聞いている節もある。ならば話しかけ続けることで進展するだろうか。
なんて悠長に考えている暇は無かったよ。
それはそれは、目にもとまらぬ速さとはこの事だ。
なにしろ、消えたと思えばドン!と音速突破の音を響かせ、僕の上半身は消滅したのだから。
ここまで来ると、もう僕の五重定義の過負荷でも覚えきれない。だって見えないんだから。
「……ッ!??」
とはいえ驚愕するのは彼女の方だ。
下半身さえも消えてしまう光景へ、ぎょっとカルティナは二度見をしてしまう。
その場へ自身の幻影を残す技能、夢幻の如しによる回避は、どうやら有効らしいと胸を撫で下ろす。
彼女の背後から、そんな様子を伺わせていただいたよ。
「とまあ、こんな見た目とレベルでもさ、僕もそれなりに力を付けているんだよ」
様子見がてら一刀を脇腹へと叩き込んでみたが、超反射神経というべきか、軽々と爪により食い止められる。
しかし、その程度でクヨクヨする僕では無いよ。
黒剣は流星を思わせる輝きを描き、唸りをあげて飛来する。
瞬時に構えを変えたカルティナは、ぎゅうと猫背になり手甲でわずかに軌道を逸らすという芸当をしてのけた。
確かに魔装なるものは恐ろしく早い。
しかし超接近戦ともなると勝手は変わるんじゃないかな。
――バッ、ギギンッ! ギギンッ!
矢継ぎ早に星くずの刃を繰り出せば、鱗粉のごとく青い火花は舞う。
こちらも小さいものだから、流石に高レベルな魔物でも窮屈そうに見える。ブレるように小刻みな転移と幻影を混ぜ始めると、見る間に迎撃速度は緩む。
とはいえねぇ、無傷とはいかないかなぁ。
額を狙う爪は避けたものの、カウンターを狙った一刀は余計だったよ。駒のように魔装は回りだし、側頭部へと蹴りを受ける結果になってしまった。
うーん、手を急いでしまうなど、まだまだ修行が足りない。急いては事を仕損じる、という奴か。
宙で真横へ一回転してゆく僕へ、黒水晶の足はめり込む。
とっさに腹を剣でかばったけれど、衝撃は余すことなく全身へと伝わり、ものの見事に吹き飛ぶことになった。
「ぐあっ!」
どかん!と柱を割り、呼吸は乱れに乱れる。
自由落下を始める寸前、目の前へ魔装が迫ると……ああ、やぁっばい!
これは駄目なパターンだ。壁へ縫い付けるような猛攻が始まり、地面に降りることさえ許されない。
両足を地面につけないと転移できないという、僕の弱点を見抜いた攻撃にも見える。
剣で逸らし、壁に埋まりながらも回避しているけれど、あまり長くはもたないだろう。
どずん、どずん、と奴の攻撃は重く、決して息切れなどしない様子へ希望の光はみるみる消えてしまう。
ドオオオオオッ!!
うわ、すごい音になってきたなー。
砕けた破片は全身へと食い込み、もう避けれているのか当たっているのかも分からない。
あまりの轟音に聴覚は麻痺してゆき、それでも必死に抗うが……。
薄暗い視界のなか、ジャキリ!と奴の手は、握りこぶしから手刀へと変える。どうやらとどめを刺す気らしい。
ごめんねマリー、決して死なないという約束を破って。
やられてしまうけど、どうにか皆の目を引き付けてくれると嬉しいな。そうしたら二度寝をして、また戻ってくるから。
などと思っていたけれど……まさかねえ、地面から現れた盾が、僕を救うなんて思わなんだよ。
ゴキン!という音が響き、刃は数センチ手前で静止する。半ばまで貫通したものの、とどめには至らなかったようだ。
「っ!!?」
いやいや、違うから。僕の技能なんかじゃないよ。
見慣れぬものへ驚き――いや、とどめを邪魔されたせいかな――魔装は怒り狂い、卵のように真っ白い盾へと殴りつける。
それだけでなく、盾は後から後から沸いてくる。そのまま魔装カルティナを押し戻してゆく様子へ、僕はぽかんとしてしまった。
「これは……?」
ずる、べしゃ、とようやく地面に落ちたけれど、もう転移する気力も無い。
そして僕は、そっと後ろから肩を掴んでくる存在へと気づく。あれっ、これはもしかして……。
「ひょっとして、シャーリー?」
額を切ったらしく、視界は血の色に染まっている。
身体も満足に動かせないけれど、どうやら正解だったようだ。ずるずる身体を落としてゆくと、ちょうど膝枕をしてもらう体勢になる。
そして、目の前には青空色の瞳が待っていた。
ふわりと明るい髪は舞い、彼女の清らかな表情は逆さとなって現れる。
唇はかすかに動いて「大丈夫?」と尋ねてくるけれど、あまり大丈夫では無いかな。今もガツガツと盾は削られているのに、力尽きているせいで逃げることも難しい。
困りましたね、と小首を傾げられたけれど、僕としても「困ったね」としか答えられないよ。
じっとしてて下さい、という意味なのかな。
華奢な指先から唇を触れられ――そして、ずぶりと太ももへ重なった。
何が起きたのかよく分からなかったけれど、彼女のなかへと半ば埋まり、そして「ふうう」という暖かい息を当てられる。
途端に、どっと黄金とさえ思える輝かしい生命が流れ込むのを感じた。
あれと似ている、バカンスに。
世間のことを完全に忘れ、ただ遊んでいるだけで良い時間に。
青空の下、稲穂へ触れたような清涼感。
その潤沢な恵みは、うっとりと瞳を閉じてしまうほどだ。
そしてふと目を開くと……たったのそれだけで、驚くことに身体の傷はふさがっていた。がばりと身を起こしかけたけれど「あともう少し」という意味なのか、たおやかな腕に包まれて、また膝枕をされてしまった。
なんだろうね、戦場の真っ只中で甘やかされるだなんて。




