第168話 魔装カルティナ⑦
ドゥーラは暗く狭い廊下を、カツカツと大またで歩んでいた。
炎のように赤い髪をなびかせ、その迫力に休憩をしていた者らは慌てて立ち上がり道を譲る。
マリアーベルの生み出した立体陣地は、3層にも及ぶ大規模なものとなった。とはいえ50名弱の人員を収容し、かつ迎撃のため弓や魔法を放っているのだから辺りはひどく騒々しい。
それでもドゥーラは彼らをねぎらう事もせず、まるで視界に入っていないよう険しい顔で歩み続けた。交代で休息をしている者たちは、その迫力に思わず視線を吸い寄せられる。
極めて犠牲者の少ない戦いというのに、一体なぜ?と、彼らは思う。
そう、今回の戦い、ひいては第三層の攻略は記録的に被害が少ない。
4隊を統合した協力戦線は強力だが、その最も賞賛されるべき点は「犠牲者の少なさ」だろう。
理由のひとつに、ドゥーラ率いるアンダルサイト隊の変化がある。
過去、彼女らは壊滅しかけたことがある。その経験を元に、より強固に魔物へ対抗できるよう聖なる力への修練を重ねたのだ。
多重障壁により部隊を守り、癒しの力で犠牲者をグンと減らす。
部隊をより効率的に動かすための座学を欠かさず、その手ごたえを第三層攻略で感じ始めていた。
――その矢先の出来事だった。
少しだけ広めの部屋へとたどり着き、その光景へドゥーラの怒気はぐぅっと高まる。赤い髪はわずかに逆立ち、見開いた瞳は部屋をぐるりと見渡した。
なんだ、これは……と思わず息を呑む。
5名ほどの負傷者は床に寝かされ、隊員らが必死の癒しをしているにも関わらず苦悶の声が辺りへ満ちている。
傷口からは黒い血が流れ、いまも侵食されているのか血管まで黒く浮き出させている様子へ彼女は絶句した。
「隊長っ! 駄目です、まるで傷がふさげなくて……!」
危篤な者はバタバタと手足を暴れさせており、絶命は近いと一目でわかる。いや、犠牲者は一人だけで済まない可能性もあった。
仲間へ声をかけていた大男、ゼラは「こっちへ来い」と招いてくる。
「……見ろ、瞳にまで黒いのが上って来ている。ひょっとしたら魔物に変えられるかもしれん」
「っ!? 手足を押さえていて、私の生命力を送りこんで抵抗させるわ」
強力な毒……いや、それ以上だ。
原因として思いつくのは、先ほどの衝突の際、黒い槍から刺されたことか。見た目から嫌な感じはしていたが、まさかこのような危険な武器だったとは。
内心で歯軋りをしつつ、よく鍛えられた隊員の胸へと触れる。その手首を、血の気の失せた隊員の手は握ってきた。
「だ、だめです、いけません。も、もう私は無理です、過度な癒しは……後の戦いに響きます」
「黙って寝てなさい、ロキ。あなたを魔物にさせるなんて私が許さない」
「……ならば、その剣で私の首を……お願い、します」
ぐうっとドゥーラの怒気は膨れ上がる。
死病にかかった彼の言うことは正しい。未知の病に対し、極めて弱いのが聖者というものだ。恐らく癒す間もなく最悪な絶命をするだろう。
しかし戦士の魂を穢されている状況へ、魂は「抗え」と燃え上がる。
だからこそ、戸口へ現れた者に気づいて、いつになくドゥーラは怒りをぶつけてしまった。
「下がってなさい、マリアーベル、シャーリー! 伝染の可能性もあるのよ!」
びくりとエルフの少女は震え、ついかたわらの女性の手を握る。狭い場所のせいで声は響き、それがとても怖かったのだろう。
シャーリーは困ったよう汗をかき、当の二人を眺める。そしてゆっくりと少女の耳元へ唇をよせ、こそこそと何かを囁いた。
怯えを見せつつも、少女は気丈に薄紫色の瞳をドゥーラへと向ける。
「この病は魔素というものが身体に入っているらしいわ。人体への癒しは、魔素にも影響をしてその侵食を早めてしまうの」
「っ!? みんな、癒しの手を止めて! ……どういうこと、あなた達は何故それを知っているの?」
その問いかけへ困ったよう2人は顔を見合わせ――やがて、こくりとエルフは頷いた。まるで秘密を打ち明けても構わないと言うように。
そして、シャーリーはゆっくりと歩き出す。
彼女は古代から存在する者であり、また魔を知るものでもある。
瞳を覆う刺繍入りの目隠しを外し、そして死を悟る兵士はわずかに目を見開く。
すこしだけ、シャーリーは存在を変えていたのだ。わずかに身体の輪郭はおぼろげとなり、長いまつげに縁どられた青空色の瞳が露となる。
その気配に思わずドゥーラは道を開け、かわりに白くきれいな指先が傷口へと触れた。
――生と死の循環。
そのような役割をした女性なのだと、どこかでマリアーベルも聞いたことがある。
しかし、意味を理解したのはまさにこの瞬間だった。淡く色づいた唇を、黒く穢れた傷口へと押し当てる様子へ目を見開いた。
どく、どく、と血が流れてもシャーリーは気にする素振りも無い。
やがて穢れた血、その根源たる魔素は浄化されるようにして、彼女の喉へと流れ込む。ごくりと白い喉を鳴らすと――そこには赤い傷口だけが残されていた。
「これは……! まさか神のお力も借りずに……!?」
その言葉は、少し的外れかもしれない。
いまの彼女は、いわば神の見習いに近しい。縛り付けていた迷宮から解き放たれ、それと同時に魔という存在から反転した存在だと言える。
どこか非現実的な光景へ、ドゥーラのみならず他の面々も瞳を見開いてしまう。
しかしそれは癒された男こそ強烈なものであり、胸の奥から込み上げてくる激情を、まるで理解できぬうちに頬を濡らしてゆく。
これは一体なんだろうか。
この後から後から沸いてくる感情はなんだろう。
穢れを気にせず胸の奥へと触れ、清らかな唇を押し当てられた感触は、恐らくずっと忘れられないものだ。太陽のように暖かく、黄金色の生命を流し込まれるこの感覚。
まるで、そう……木漏れ日のなか、アリライの空を見上げるような清々しさだ。この青空色の瞳がそう思わせるのだろうか。
胸の奥へと入り込み、誰しもが諦めた穢れを吸い込み、「おだいじに」と唇を動かす女性は何者なのだろう。
彼女を知りたい。近づきたい。もしも願いが適うならば、王へ忠誠を誓うように――かしずきたい。
「シャーリー……様っ」
んん?とシャーリーの眉間へ可愛らしい皺は浮かんだけれど、他にも重病者はたくさんいる。手へキスをしようとした兵士は、ゴツンとドゥーラから殴られた。
この日、5名もの命は救われた。
それと同時に、親衛隊なるおかしな風習を始めるのだが……それはまた後日のことだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
おお、と思わず声が出る。
マリーのこしらえた陣地は時間をかけただけあり、いつもより大掛かりなものだった。広間の角にはL字型の立体的な陣地ができており、中に入ればすぐに石階段が見える。
なるほど、一階部分は単なる壁なのか。
城壁もそうだけど、高い位置から防衛をしたほうが効率的だ。たぶん敵の大きさや特性を理解した上で、マリーは構造を決めたのだろう。
天井は低く、他の隊員とやりすごすときは互いに避けあわないといけないほど狭い。とはいえこれは居住性を求めるものでなく、強度を保つための造りだ。
「これが3階分あるのかあ。うーん、うちのエルフさんは日に日に上達していくな」
「よくこれだけの規模を、たった一人で造れますわねぇ。彼女の魔力がどうなっているのか、うちの魔術師も首をひねっております」
などと兜を外しながらプセリは振り返る。
ぞろりと宵闇色の髪が垂れ、少しだけ汗の水滴で輝く。それを手で払うと微かな笑みを向けてきた。
とはいえ、息を吸うだけで魔力を生むという魔導竜の助けを借りているとは、さすがに教えられないね。ただ、マリーの良いところは、魔力に溺れることなく頭を使って効率性を求めるところかな。
「ですが、敵陣で休憩できるのは魅力です。ダイヤモンド隊は何人でも魔術師を歓迎いたしますわ」
おっと、まだ勧誘は続いていたのか。
気軽に遊びたい僕としては、隊に加わるつもりはさほど無い。それに、まずはアリライ国へ移住をする必要があるだろう。
しかし、考えてみると移住というものに以前は抵抗があったのだが、最近はそうでもない事に気づく。
石階段を上りながら、その理由を考える。
あ、そうか、この数ヶ月で知り合いがだいぶ増えたからだ。
20年近く一人旅ばかりしていたというのに、マリーと出会ってから生活は大きく変化しているように思える。
んー、夢のなかでばかり仲の良い人が増えてゆくな。もう少し会社でも交流を図っても良いのかもしれない。
とはいえ、この状況なのだから真面目に考えるのはまた今度だね。
そのうち考えますと答えると、プセリとイブは手を振って立ち去ってゆく。そして隊員が帰還に気づき、「お姉様!」「お美しい突進でした!」と抱きつく娘たちが目に映る。
やあ、一時期はだいぶ心配だったけれど、いつの間にやら彼女たちも仲良くなっていたのか。ほんのすこしだけ安堵する思いだねぇ。
さて、もう一階層分の石階段が待っているけれど、そこから一歩ずつ降りてくる少女がいた。ローブの裾をつまみ、ゆっくりと姿を見せてくるのは……。
「か、ず、ひ、ろ、さん」
可愛らしい声の正体は、ペットボトルを手にしたマリアーベル、そしてシャーリーだ。
ぴょんと最後にジャンプをすると、お人形のように可愛らしいエルフが視界いっぱいに広がった。
思わず反射的に飲み物を受け取ると、そのひんやりとした冷たさ、そしてふわふわ浮かぶクラゲに気づく。
「こっちでも氷精霊は大活躍だ。いや、我が家のエルフさんのほうが大活躍かもしれないぞ」
「そうかしら。あなたたちが働いているあいだ、こっちでポツンと待っていたのよ。あのまま敵を倒してしまって、この拠点が使われず終わるんじゃないかってドキドキしたわ」
あ、それは僕も心配したなあ。もしそうなったら、マリーのぶすっと頬を膨らませる姿を楽しめただろうけど。
蓋を外し、その透明な液体を流し込む。ふんわりと桃の香りが漂い、ほどよい甘さへ目を細める。
短い戦闘だったけれど握力は少し弱まっているようで、ここで休憩タイムを入れられるのはありがたい。
「ふーー、冷たくて美味しい。とはいえ、僕も少し体力を付けないといけないな」
「うン? なんだ、いまごろ気づいたのか?」
しゃがれた声に視線を送ると、白髪の老人が廊下を歩いてきた。
マリーは振り返り、それから僕の後ろにそっと隠れる。戦闘したばかりなので全身から殺気が溢れているせいだ。
こうして近くで見ると、ゼラに近しいほど長身で、もう少し細身な体格をしている。多少は額も広がっているけれど、まだまだ現役という雰囲気だ。
そのガストンは、片眉をゆがめると僕を覗きこんでくる。
「おまえは体力もそうだが気の使い方もヒドい。そのクセ無鉄砲に飛び出すから、俺のほうがハラハラしちまう。そのうちくたばるんじゃないか、ってな」
ああいや、しょっちゅう死んでます……とは言えないか。
返事のない僕へ怪訝な顔をし、ついてこい、と階段に上りながら手で招いてくる。
きょとりとマリーらと顔を合わせ、とりあえず老人ガストンからの誘いを受けて上階へ上ることにした。
通路は狭く、あちこちで弓矢や魔法で迎撃しているため暑苦しい。とはいえ僕らには頼もしいクラゲ君がいるのでそれほどでもない。ほわん、ほわんと先導するよう宙を舞い、冷たい空気を気に入ったのか老人も指でつついた。
「んで、だ。その気があるなら俺が鍛えてやってもいいぞ。あのプセリとかもそうだが、俺より早くくたばりそうで見てられんわ」
「僕から見たらガストンさんこそ無鉄砲に……あ、なんでもありません!」
ぎろりと睨まれ、思わず発言を引っ込める。
しかし妙に迫力のある老人だな、この人は。とはいえ心配してくれるような人間味のある人なのか、と不思議な思いをさせられる。
ぺたりと石壁に手を置き、老人は振り返る。
「お前だろ、ザリーシュを倒したのは」
「んっ……」
ちょっとね、息が詰まったよ。
とはいえその反応でもう見透かされてしまったらしく、小気味良さそうに老人は「へっ」と笑った。目尻の皺は深まり、気の良さそうな表情をこちらへ向ける。
「あいつ、城に捕まってンだってな。とうとう尻尾を出しやがったと、最初は俺も喜んだもんさ。だが……どうにも腑に落ちない。自分から告白するようなタマじゃないからな」
「ええ、まあ、そうですねぇ」
適当に相槌を打ちながら、ゆっくりと階段を上る。
「んで、さっきのお前の戦いぶりを見て考えた。これならザリーシュと戦えるんじゃないか?ってな」
たらりと冷や汗が垂れてゆく。
やはり年の功というべきか、老人の目は鋭いようだ。
「驚きました、ガストンさん。勘が鋭いのですね」
「カカッ、というよりもさ、敵だったはずのイブと仲良くしてりゃあ誰でも思いつくだろう」
にかりと笑いかけ、老人は種明かしをしてくれた。
とはいえザリーシュを倒したことは、これでバレてしまったわけだ。別に言いふらしはしないだろうし構わないけれど……なんとなくクセのある老人だと思わせるよ。
さて、上階にたどり着くと、兵士らの姿が目に入る。
小さな窓から弓や魔法を放っているらしく、ひょいと覗き込めば……ああ、大盾で壁を作って前進しているのかぁ。
オウガらは黒く変色している者たちが多く、円形に集まり前進を図る。しかし上空から射かけられており、しかもL字をした建物のせいで進めば進むほど左右からの攻撃が増して大変そうだ。
「そのくせこっちは交代で休んでるんだからなぁ。まあ、これでオウガの対処は万全だね」
いざとなれば、またマリーが地雷のように精霊魔術を使えば良い。どちらかというと今はノーリスクで経験値を稼げる場に変わっているわけだ。
となると後は、あのボスをどうにかするだけで済むのか。
今は巨人の生命力を吸っている様子だけど、いつまた動き出すかは分からない。ならば早めに手を打ちたいところでもある。
「魔装カルティナと言ったかな。それでどうして傷ついてるんだい? やっぱりウリドラがやったのかな?」
「ええ、忙しくてあまり見られなかったけれど、ボコボコの殴り合いをしていたわ。後で教えてあげてちょうだい。盾役はそういう物じゃないって」
え、まさかボスを一方的に殴ったの?
などと目を見開くと、シャーリーはしゅっしゅっとパンチの仕草を見せてくれる。どうやら文字通りの殴り合いをしたようで、くらりと僕の視界は揺れた。
まいったな、彼女まで日本の悪影響を受けているなんて。とはいえ宣言通りにマリーをしっかりと守ってくれたのだから、たしなめるつもりも無い。
当の彼女は、先ほど「悪趣味な真似をしでかした奴の元へ向かう」と言っていたけれど、まだ戻っていないようだ。その代わりにシャーリーが守ってくれるのでエルフさんも安全だと思える。
「ふうん、なら仕掛けてみようかなあー。強敵は久しぶりだから楽しみだなあー」
「もう、こういう時ってあなたは本当にだめな人になるわね。行っても構わないけれど……」
周囲の兵士らに気づいたエルフは、こそりと耳元へ囁いてくる。
すべすべの唇から綺麗な声が流れてきて、それがとてもくすぐったい。
「こっちで死んだら人に見られて面倒よ。だから傷だらけになっても面倒くさがらずに戻って来ること。きっとシャーリーとドゥーラが治してくれるわ。」
「はい、分かりました」
へえ、シャーリーも癒しを使えるのか。
とはいえ生と死を循環させる役割なのだから、出来てもおかしくないかと思い直す。
「それと、お盆休みは今日からでしょう? 帰ったらお祝いをするし、お弁当も作らないといけないわ。まずスーパーへお買い物に行きましょう」
「そうだね、分かった」
むむむとマリーは眉間へ皺を浮かばせ、なおも囁きかけてくる。
「大事なことだけど、台風がまた来ているらしいの。伊豆のバナナワニ園は雨でも平気かしら。雨に濡れたらワニは家に帰ってしまわないかしら」
「たぶん平気じゃない? ウリドラも大丈夫だって言ってたし」
絶対に?と問いかけられたので、絶対に、と瞳で答える。
るんるんと上機嫌になってくれたので、どうやら魔装カルティナとの戦いも許してもらえたようだ。
というわけで懐から水色の魔石を取り出すと、それを窓の外へと放る。
ぎゅおりと生み出された物は、翼を広げたルンという魔物だ。
「これで飛べば魔軍は無視できるなぁ。じゃあ、行ってくるねー」
「行ってらっしゃいーー」
そのようにとても軽いノリで、僕は広間へと再び飛び出した。
そしてすぐに古代の残した呪われた魔具というものを、まざまざと知ることになる。




