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第159話 いざ、流れるプールへ④

 

 うーん、懐かしいな。水着というものを前に履いたのはいつだったか。

 肌の白さも少々気になるので、膝まで丈のある水着を選ばせていただいた。


 更衣室の前で待ち合わせており、周囲は植物園のようにガラスで囲まれているせいで、わんわんと声が反響して騒がしい。


 過度な湿気、それにガラス越しの太陽光で汗は勝手に流れてゆく。それに一役買っているのは、しゅこ、しゅこ、と膨らませ続けているイルカ型の浮き袋のせいだ。

 これは先ほど購入したもので、エルフさんに楽しく泳ぎを覚えてもらうためのアイテムでもある。


 そのように汗を流しながら辺りを眺める。

 区営のプールということで、周囲は子供と親御さんが大半だ。とはいえ幻想世界からやってきた2人にとっては始めてのプールなのだし、これくらいのほうが安心できるかもしれない。ほら、ナンパして来そうな人は居ないだろうし。


 そう考えていたときに、2人は更衣室から現れた。


 いやー、しかし……流石に目立つな。

 露出の控えめなワンピース型とはいえ、元から妖精じみた少女だ。ぎりぎりまで見える太ももは眩しく、鮮やかな花が咲いたよう周囲は静まり返る。

 白い長い髪を横へまとめ、形を気にしているのは長耳が見えてしまわないかと注意しているのだろう。


 そしてウリドラはというと、黒のビキニというシンプルながらも、身体の方はまるでシンプルではない。悩殺的なカーブを描き、狭い布地に押し込められて苦しそうだ。

 ゴムをくわえながら後ろ手に髪を結んでおり、その切れ長の瞳をこちらへ向けてくる。幻想世界の彼女らは、ひらひらと手を振りながらやってきた。


「わ、わ、膨らんでる! なあにこれ、可愛いーーっ!」

「そっか、海に行ったこと無いならイルカも知らないよね。じゃあこれは、水着の似合う可愛いエルフさんにプレゼント」


 むぎゅりと栓を閉じ、それから少女にイルカの浮き輪を手渡す。


「ひゃっ!」


 大きさに驚き、そしてがしりと抱きついてから今度は軽さへ瞳を丸くする。そのとき少女の布がひらりと浮き、水色の水着が見えてしまったけれど……なんだろう、この新鮮な感覚は。


 ただの水着、ただの水着、とドキドキしながら自分を落ち着かせていると、目の前にはウリドラの手が現れる。はて、その待ちきれないような笑顔は一体どうしたのかな?


「ふ、ふ、わしの浮き袋はどこじゃ?」

「えっ、これひとつしか無いよ。だってほら、ウリドラは背が高いから必要無いと思って」


 笑顔でドスンと脇腹にパンチをいただきました。

 しかしこれが地味に強烈で、地面に片ひざを突いてしまうほどだった。そのくせマリーは気にもせずイルカちゃんと遊んでいるのだから、この娘もウリドラに慣れてきたなぁーと痛感させられる。

 しかもなんだ、この肝臓を打ち抜くようなパンチは。威力はともかく、当て場所が的確すぎるぞ。


「仕方ないのう、交代して遊ぶしか無いようじゃな」

「ええっ、嫌よ。だってこれは私のイルカちゃんなの。あっ、ちょっと、やあだ!」


 ぎゅむりとビニールの伸びる音がするけれど……ああー、イルカちゃんが不機嫌そうな人相に変わっちゃった。がんばれイルカちゃん、腹を押さえて動けない僕より長生きするんだぞ。


 まあ、そんなこんなで賑やかにプールへ向かうことになった。




「あっつーーい! んーー、日本の夏って感じ!」


 戸をくぐり、外へ出ると強い日差しが待っている。その代わりに風があるので湿度の面では過ごしやすい。

 館内の施設も年中通して遊べるのは利点だけど、どうせ夏ならお日様の下で楽しんだほうが良いだろう。


 いやしかし、懐かしいなあー、この感じは。

 ざらざらとした地面を素足で歩くと、妙にムズ痒い思いをさせられる。

 どことなく漂う塩素の香り、それと水溜りを踏むとお風呂みたいに熱いのも久方ぶりに味わうものだ。

 遠くから響くセミの声、それに入道雲のある青空は、いかにもな夏休み光景だね。


 とはいえ幻想世界の住人らにとっては、僕よりもよっぽど楽しめているらしい。

 浮き袋をかついだウリドラへ少女はしがみつき、足の裏がくすぐったいとか、人がたくさん遊んでる、とか楽しそうに話している。

 そして大量の水が流れている青色のプールは、恐らく幻想世界には無い光景だろう。きらきらと好奇心たっぷりの瞳をこちらへ向けてきた。


「ねえねえ、どこからプールに入るのかしら?」

「好きな所からで構わないよ。その前に、少しだけ水に慣れないといけないね」


 はやくはやくと手を引いてくるのは、たぶんイルカの浮き袋で遊びたいのだろう。綺麗な青色をしたビニール袋なのだから、そわそわしてしまうのは仕方ない。


「じゃあ、こうして足まで水に浸かってごらん」


 プールへ近づくと、まず手本として腰を下ろし、それから足まで水に浸ける。おいでおいでと手を振ると、2人も同じように膝まで水に浸けた。

 とぽんと素足が水へ入り込み、少女の眉間へ皺が浮く。


「んーっ、けっこー冷たいっ! それにしても透明な水ねぇ。見てちょうだいウリドラ、ぐるーっと一周しているわ」

「おお、本当じゃのう。どうやって回り続けておるのやら……。まるで騙し絵のようでもあるな」


 ちょうど浮き輪をつけた女の子が目の前を流れゆき、ばいばいとエルフさんは手を小さく振り合う。ただ少し、監視員さんが2人を凝視し過ぎているような気がするなぁ……。まあ、気にしないようにしよう。


「こうやって、今度は身体にかけて水へ慣れるんだよ」

「ひゃあーーっ、つめたーーい!」


 ばしゃばしゃと水を身体につけたら入水準備は完了だ。

 先にプールへ入り、両手を差し出すとマリーは僕の手を掴む。そして少しだけ眉を逆立ててから、ざぶりと一息にプールへ飛び込んだ。


 つるんと足を滑らせたのか、頭まで水に沈んでしまい慌てて手を引く。すると、おでこへ髪の毛を張り付かせたマリーが現れた。


「ぷあっ! ああ、びっくりしたわ。ウリドラ、はやくこっちにイルカちゃんを頂戴」

「ふ、ふ、しっかり捕まえるんじゃぞ」


 ぽいと放られ、少女はわたわた手を伸ばす。

 空気のたくさん詰まった浮き袋を捕まえて、それが嬉しかったのかマリーは綺麗な笑顔を見せてくれた。


「泳ぎの前に、浮き袋の遊び方を教えようか。すこし手を開いてごらん」

「ええと、こうかしら?」


 開いた両脇を手でつかみ、浮き袋の上へ乗せてやる。

 水中なので身体はとても軽く、少女はイルカへ上半身を預ける形になる。そして背びれをガシリと掴み、反射的に尾びれを脚で挟むと……。


「わ、わ! 乗れちゃった! ぷかぷか浮いて気持ちいいわ!」


 そう言ってこちらへ天真爛漫な顔を向けてくるけれど、水色ビキニのお尻が目の前で……ちょっと困るな、このアングルは。ぺったり張り付くと、お尻の線まで見えてしまう。

 そして薄手のワンピースは、水に浸かると目にも鮮やかなビキニを浮かび上がらせ、少々僕の頭をのぼせさせてしまう。


「どれ、わしも乗せてもらうかのうー」

「やっ、やっ、だめだめ! いま揺れたら落ちっ……にゃあっ!」


 ざんぶとイルカちゃんはひっくり返り、慌てて救出作業をすることになった。

 水に揺れる華奢な手を掴み、そして引き寄せる。水を分けて白い髪が現われると、両手を僕の首に巻きつけてきた。


「もうっ、ウリドラっ! あら、ありがとう、一廣かずひろさん」


 そうお礼を言ってくれたけれど、僕としては困っている最中でもある。

 なにしろ水に濡れた素肌から抱きしめられ、こちらは華奢な腰を支えているところだ。すると柔らかく弾むような胸の感触を、いつもより身近に感じられてしまう。


 ちゃぷちゃぷ揺れる水面もそうだ。

 水は鎖骨へ流れてゆき、水滴に濡れた胸元は眩しいとさえ思う。そんな僕の事情も知らず、少女は顎先をこちらの肩へ乗せてくる。


「んー、あったかい。ねえ、はやくウリドラを追いましょう。同じように後ろからひっくり返してあげたいの」

「うん、そうしようか。じゃあゆっくり泳ぎながら追いかけよう」


 マリーから頷かれ、ようやく開放されたけれど……ほっとしたような残念なような不思議な思いだ。ともあれ少女の両手をつかむと、ゆっくり泳ぎの練習は始まった。




 きゃあきゃあという子供たちの笑い声が絶え間ない。

 いや、そのなかにはエルフと竜も混じっているようだ。


 イルカをめぐった攻防は尚も続き、揺らしたり水をかけたりと妨害工作はより複雑になってゆく。けれど2人して眩しい笑みを浮かべている事へ、なぜか僕は嬉しくなる。


 日に日に2人の笑顔は増えてゆく。

 それはきっと、いま第二階層で森の管理をしているシャーリーもそうだろう。考えてみれば、みんなから僕は殺されているというのに、こうして一緒に遊んでいるのはおかしな感じだ。


 などと考えていると、少女から手を握られた。


「ひどいわウリドラったら。こっそり魔法で水流を作って転ばせたのよ。こうなったら2人でイルカちゃんを奪還しましょう!」

「ええー、あんまりやり過ぎると浮き輪に穴が開くんじゃない?」


 とはいえ、遠くからウリドラが大きなお尻をペシペシ叩いているのは、もっと構って欲しいという合図だね。くすりと少女と笑い、それからイルカちゃん奪還作戦会議は始まった。


「よし、やるからには本気でやろう。うるさい監視員に怒られないよう、静かに正確にイルカを奪還しないといけないよ」

「そうこなくっちゃ。いいかしら、ここは日本だから意思疎通チャットは出来ないわ。だから事前の打ち合わせで、全ての作戦を決める必要があるの」


 わあわあと作戦に時間をかけたものの、結局やることは力づくなんだけどね。

 少女の胴を手で掴み、イルカへ寝そべるウリドラの上に座らせる。さらに脇腹をくすぐると、たまらなそうに彼女は笑い転げた。


「ぐわーーははは! 散々作戦を練っておいて、まさかこれとはのう。んぐうーーっふっふ!」

「さあ、そのしがみついた手を離しなさい! でないと一日中、笑い転げることになるわ!」


 うん、それはどういう脅しなのかな。

 しかし意外に効いているらしく、ウリドラは愉快そうに笑ってバランスを失ってゆく。しかし敵もさるもの。落ちる間際にマリーを掴み、ざぼりと2人して落ちてしまった。


 取り残されたイルカちゃんと僕。

 ぷうっと、遠くで2人が顔を浮かせたのを見て――ふと欲望に駆られてしまった。いやまあ、この場合は漁夫の利といったところかな。


「あーーっ、待ちなさい一廣かずひろっ! 抜け駆けはだめっ!」

「ふふふ、僕の裏切りを読めなかったマリーの負けだね。えーと、よっこいしょ」


 あ、これ気持ちいいなあ。

 ぷかぷか浮いて、おまけにお日様が背中に当たって温かい。なるほど、これを2人は楽しんでいたのだな。


 などと悠長に考えていたけれど、僕のターンはあっという間に終わるようだ。ウリドラは少女の脇を支え、上から乗ろうとするのは先ほどと同じ作戦だと分かる。

 ならばと自分からぐるんと回り、マリーと共にプールへ落ちる。


「にゃあっ、逃げるなんてズルいっ! 待ちなさいっ、こちょこちょしてあげるから!」


 いやほんと、元気なエルフさんだね。

 屈託無く笑うし、遊んでいるうち自然と泳ぎも上達している。わざと脚をゆるめて追いつかれれば「つかまえたーー」と、おんぶのように抱きついてきた。


「どうかな、プールは楽しいかい、マリー?」

「ええ、すごく楽しいーーっ!」


 ぺたりと頬をくっつけて、嬉しそうな声を少女は放つ。

 いやこれは、僕までちょっと嬉しくなれるな。日本の場合はとてもプールが混雑するので実は心配だったんだ。ほら、マリーは人ごみが苦手だから。

 とはいえ、遊び始めればいつものように楽しんでくれたことへ安堵するよ。


「ふーん、あなたって抱き心地が良いのねぇ。イルカちゃんの代わりにぴったりだわ」

「え? まさか僕が代わりに泳ぐのかな? 泳ぎの練習はどうしたの?」

「いいの。さあ、ウリドラに追いついてちょうだい」


 のしりと本格的に背中へ乗られ、太ももで挟まれると何やら亀か何かになったようだ。水中なので重くは無いけれど、この感触は……損をしているのか得をしているのか僕には分からないな。

 すいすいと平泳ぎをし、ゆっくり進むと本当に亀になった気になるね。


「んーー、楽ちんで良いわねぇ。ほら、シャーリーもよくあなたの肩を掴んでいるでしょう? その理由を理解した気がするわ」

「えっ、そういう理由だったのかな。まあ確かに、本人も楽そうな顔をしていたか」


 こうしてイルカちゃんを巡る戦いには終止符が打たれ、残念ながら勝者はウリドラに決まったようだ。夏休みの休日を堪能すべく、のんびりと日に焼かれ、流れるプールへ僕らは身を任せ続ける。


 まあ、たまにはこうして子供のように遊ぶのも悪くないね。

 インドア派だったせいでプールにはまるで興味を持てなかったけど、いざ来てみれば楽しめるものだ。


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