第158話 いざ、流れるプールへ③
むにゃりと目を開くと、そこは真っ暗闇だった。
月に似た明かりのおかげで、大型テントの中らしき光景はぼんやり見えるが……。
「あ、参ったな。マリーがいたら明かりをつけてくれたのに」
頭をぼりぼり掻きながらテントの外へ出てみると、明かりの心配は不要だということに気づく。川を挟んだ向こう側、森のなかでぼんやりと光る空間が見えたのだ。
「あれっ、僕らの家の方角か。するとこの時間に作業でもしてるのかな」
とりあえずカバンなどは放置し、そちらへ向けて歩き出すことにした。
真っ暗な世界を歩くことはあまり無い。夢の世界との時差は半日ほどあり、大抵は朝から夕方までを主な活動時間にしているからだ。
しかし今みたいに日本で昼寝をした場合、こちらの世界は真夜中になる。そのせいで暗闇対策として、松明などの道具を僕は持ち合わせる癖が無い。
これからプールに行くので迎えに来たけれど、ウリドラはあそこにいるのかなぁ。
気になっているのは、車のなかで黒猫が不機嫌そうだったことか。何か気に障ることでもしたのかな、などと思いながら橋代わりの丸太から、ひょいと僕は降りた。
ほう、ほう、とフクロウらしき声の響くなか、小道をゆっくり歩く。
夜の匂い、木の匂い、しっとりと落ち着いた夜気を覚えながら進んでいると、造りかけの庭園が見えてくる。
「うん、この数日で、なんとなく庭園らしくなってきたなぁ」
ぽつぽつと群生する木々は、どこか身を寄せ合っている友人たちのようだ。
今はまだ寂しい景色だけど、生と死をつかさどるシャーリーが管理しているのだから近いうち賑やかになるだろう。
ぼんやりとした明かりの先に、石造りの椅子へ腰掛ける2人が待っていた。広いテーブルには家の図面を並べており、周囲には調理道具を置いている。いわば建築のための秘密基地といった所か。
さて、当のウリドラはというと……ぶすっとした瞳を、こちらへ向けてきた。
「おうおう、来おったぞ。見てみい、シャーリーよ。あれが買い物に付き合わせておきながら、わしの水着のことなど、これっぽっちも考えない男の顔じゃあ」
あらまあ、と半透明なシャーリーは口元を手で覆い、本当です?と小首を傾げてくる。
その無垢な瞳に……どっと背中へ汗が流れてきた。
いやいや、誤解ですよ? ウリドラは自分で水着を作れるのだし、そもそも身体のサイズも分からないのだし。
などという言い訳を口から出す前に、魔導竜はあぐらをかいて僕を指差してくる。
「おまけにマリーの水着を見て、でれぇーっと鼻の下を伸ばしておってのう。これがその時の、見られてラッキー!と考えておる男のスケベ顔じゃあ」
「わーっ、だめだめ! 映像化魔法を使わないでっ!」
いやもう、これは流石に慌てるね!
まさか自分の「かわええー」というほっこりした顔を、テレビくらいのサイズで見せられるとは思わなかったよ。
シャーリーもおずおずと近づいて、青空色の瞳で真剣そうに眺めているし……ごめんなさい、恥ずかしくて死にそうです。
ぐったり力無くテーブルへ崩れ落ちていると、逆にウリドラのほうが元気になってしまう。
「ふうむ、どこの誰じゃったかなー、エルフと乳繰り合うためにわしの使い魔をなかなか起こさなかったのは」
「!? まさか、知ってたの!?」
ああ、失敗だったらしい。
誘導尋問だと気づいたのは、彼女がにやーっと底意地の悪い笑みを浮かべたからだ。
「ふうむ、ふうむ、どのように乳繰り合っておったのじゃ? なに、わしも2人のプライベートは守るべきじゃろう? ならば知っておかねば邪魔をするかもしれぬじゃろう?」
あらあら、まあまあ、とシャーリーも興味津々に近づいて来られると……もう降参です。というかシャーリーは恥ずかしげに頬を染めているのに、どうして瞳をキラキラさせているの?
後ろからがっしりと肩へ抱きつかれ、力づくで起こされると僕としてはかなり困る。真っ赤な顔をしているだろうに、正面には鼻をふんふん興奮ぎみに鳴らすシャーリーがいて、生き地獄とはこのことかと思い知らされるのだ。
「さあて、言うのじゃあ。どのような悪さをしておったー?」
そして耳元で囁いてくる底意地の悪い声よ。いやしかし、こんなに楽しそうなウリドラの顔はなかなか見れないぞ。
というかシャーリーの顔が近いっ! どれだけエルフさんとの出来事に興味を持ってるの!?
仕方ない、伝家の宝刀を持ち出すとするか。
そう考えて、ふんと鼻息をひとつ吐くとウリドラへ瞳を向ける。
「……そっか、ウリドラはラーメンに興味無かったのか。仕方ない、マリーと食べて帰ろうかなぁ」
「まっ、待つのじゃあ! い、いまのは軽いスキンシップじゃろう? 水着なんぞわしの能力、魔生誕でぱぱっと生めるし、まるで問題は無いのじゃぞ!」
ようやくヘッドロックを外されて、僕は自由になったよ。やはり持つべきものはラーメン情報だねぇ。
なぜかシャーリーも残念そうだったけど、僕も限界だと分かって欲しいな。
さて、そういうわけで先ほどの寝床であるテントへと向かう。
お見送りをするシャーリーは、空気へ浮くよう軽い足取りでついてくる。と、指先で何かを伝えるようなジェスチャーをしてきた。
「ん? 僕の肩につかまりたいの? もちろん良いけど、触れるのかな?」
にこりと彼女は笑みを浮かべ、それから僕の肩をそっとつかむ。すると、ほんの少し温かい指先を感じ、ふわりとシャーリーはー宙へ浮いた。
なるほど、しばらく日本で同化していたせいか、僕の魂に掴まるという技を身につけたのかもしれない。
水中のように薄手のドレスをたなびかせ、しばし彼女へ取り憑かれることになった。
「それで、良ければシャーリーも来るかい? 水のなかを泳ぐ、プールという場所なんだけど?」
しかしその誘いへ、ふるふると彼女は首を振る。
どうやら森の管理というのも必要らしい。僕らと迷宮で一緒に活動しているぶん、それ以外の時間は森の管理へ当てているそうだ。
迷宮にいるときは生身の女性のようだけど、今はいつものような半透明だ。それもきっと森の管理をするために力を注いでいるのだろう。
テントへ戻り、毛布を敷きながら彼女の生活事情を教えてもらった。
「だったら遊びに来たいときは、その日は迷宮をお休みしても良いかもね。近いうち伊豆旅行に行くから、興味があったらどうかな?」
ふわりと毛布をかけてくれ、彼女はにこりと微笑む。どうやら興味はあるらしい。
それから寝かしつける意味なのか、シャーリーの持つ図鑑を見せてくれた。
「やあ、これは第三階層の魔物たちかな? 色鉛筆みたいな可愛いイラストだね」
「ふ、ふ、それをただの図鑑と思うてはいかんぞ」
そう囁きながら、毛布をどかして隣へウリドラは身を滑らせる。ぐいと腕を引かれ、そこを枕にすると長い黒髪を彼女はどかす。
「まあ、たまには正面から抱き合うマリーの気持ちを、わしも味わうとするかのう」
「もちろん構わないけど、あまり強く抱かないでね」
露な肩を月明かりに照らし、彼女はもう少し身を寄せる。
いつの間にやら服を脱いでいたらしく、布団のなかで太ももから乗られてしまう。それにしても気になるのは「ただの図鑑ではない」というシャーリーの本だ。
もう一度見てみると、数ページほど図鑑は埋まっているらしい。
すると、トカゲのようなものは丸々1ページを埋め、それ以外のものは小さく収められていることへ気づく。
「まあ、それはいずれ気づくじゃろう。生と死をつかさどる存在、シャーリーはまた冒険者とは異なる特性を持っておる……のじゃ」
そう言い、くありと彼女は欠伸をもらす。
体温で布団のなかは温かくなり、ゆっくりと身体は眠りへ向けて体温調整をしてくれる。すべすべの背中へ触れ、彼女も同じように身を預けてくると、温かさはさらに高まってゆく。
「んーー、ぬしの体温は眠くなるのう。むにゃ、ラーメン……」
こてんと竜はあっさり眠った。
身体はより弛緩し、そして裸体のやわらかな心地よさへ、僕まで眠気に襲われてしまう。
ただその前に、寝かしつけてくれるシャーリーへ挨拶をしなければ。
「おやすみ、シャーリー。一緒に日本へ来たいときは、いつでも憑依してくれて構わないからね」
月明かりを背に、にこりと彼女は微笑む。
それへ安心させられるのは、孤独を恐れていた面影はもう消えて無くなったおかげかもしれない。
今は子供を見守る母性を帯び、どこかお日様のような良い匂いをさせている。
不安の無い表情は、とても好きなものだ。
髪の毛を撫でられながら、ゆっくりと意識は曖昧になってゆく。
いつか見た母の面影は、いつも不安そうだったことを覚えている。
だからだろう、心から安堵できるのは。
ほう、と最後にふくろうが鳴いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最初、きゃあきゃあという大きな声が聞こえてきた。
ぼやあっと目を覚まし、それから僕は意識を取り戻してゆく。
視界に入るのはカーテンに囲まれた車内の風景、それに明るい日差しだ。
いやいや、それよりも真昼間の車内で、裸体の黒髪美女から抱きつかれているのが……大問題だ。
「んわっ!!」
大声をあげたのだが、抱きついている黒髪美女は、ぽてっとした唇を鎖骨へ乗せており、気持ちよさそうな寝息を立てている。よほど快適な思いをしているのか、身を起こそうとした僕へしがみつき、後部座席へ組み敷かれてしまった。
「きゃあ、ウリドラ! お尻を丸見えにさせて……!」
「うむむぅー、あと5分で構わぬー」
しかし寝起きとはいえ竜の怪力にはまるで敵わず、ごしりと頭をこすりつけられると……ごめんなさい、もう目を開けられないし自力では無理です。
「マリー、お願い!」
「まったくもう、だから裸で眠る癖を直しなさいって言ったのに……。覚悟なさい、ウリドラ!」
そのとき、ぱちーーん!という音が車内に響いた。
びくりと魔導竜は身を震わせるが、柔らかいものへ顔を覆われている僕は目を開くことも出来ない。
「さあ、寝ぼすけのウリドラさん、もう一度お尻を叩かれたいのかしらー?」
「分かった分かった、起きる起きる! まったく、とんでもないエルフっ娘じゃのう。まさか竜の尻を叩くとは……」
くありと最後に欠伸をし、柔らかな身体は離れてゆく。おかげでようやく、ほおっと安堵の息を吐くことが出来たよ。
このようなウリドラの目覚めも慣れているので、僕は瞳を開かずじっと待つことにする。
「ふうむ、ついでに水着とやらを着ておくかのう」
うーん、これは絶対に目を開けられないぞ。僕の上へまたがったまま、ゆっくりと水着に身を包んでゆく光景が広がっているはずだ。
ただ、もう少しウリドラには恥じらいというものを学んで欲しいかな。裸で外に出ても、たぶん本人だけは気にしないだろうし。
「あら、私とおそろいにしてくれるのかしら? 色違いで素敵ねぇ」
「ふむん、マリーが白と青じゃろう? ならばわしはピンクと白かのう。いや、黒も捨てがたいんじゃがなあ」
あれぇ、いつの間にやらマリーも慣れてきていないかな?
眠そうな顔をしていても一応、僕は男なんだよ?
「こうして首には刺繍入りチョーカーをして、黒のブラと組み合わせても……」
「わ、わ、そのほうが格好良いわ! 私にも色違いのものを着けてちょうだい!」
うーん、できれば僕の上で水着ファッションショーをするのは止めて欲しいかなぁ。
なぜか悶々とした思いをしつつ、眠りそうな時間を過ごすことになった。
さて、ドタバタしたけど、そろそろプールに行きましょうか。
駐車場から外へ出ると、植物園に似たガラス張りの建物、そして楽しげな歓声がここまで聞こえてきた。




