第134話 ちょっと空旅のお買物を
「はいどうぞ、アプライの花茶です」
「ありがとうございます。やあ、良い匂いですね」
露店から杯を受け取ると、むせるような花の香りに包まれる。
砂国の茶は強い香りが特徴的で、僕とマリーは休息の時にしばしば楽しむ。
両手に杯を持ち、振り返ると荷物番をしていたマリーと目が合った。小さく手を振られ、こぼさないよう人を避けながら近づく。
そのまま野菜売りのお店の脇、軒下の影へ2人で座り込んだ。
「ありがとう。んんん、いい匂い。この香りだけは日本であまり見かけないわね」
「たぶん日本人は強い香りが苦手なんだよ。ほら、食事に合いづらいし馴染みが薄いからね」
たびたび日本で紅茶葉を変えており、それで分かったことはマリーは強い香りのものを好むという事だ。
ぬるい茶を一口すすると、花の香りが鼻腔を抜けてゆく。その香りのおかげで、すこしだけ暑さは遠ざかる。
と、ふわんと空中へ半透明のクラゲが現れた。
それはマリーの指へ甘えるよう吸い付き、それから陶器製の杯へ寄ってくる。
「やあ、氷の精霊だね。いつもお世話になっているよ」
指に触れてみると、ひんやりした感触が待っていた。日本の真夏日でも大活躍をする彼(彼女?)は、ぺたりと杯に触れ、冷たく冷やしてくれる。
いつの間にやら、僕らも砂国の過ごし方というものを覚えつつあるらしい。
さて、僕らはこの繁華街で買物を終えたばかりで、革紐や馬に取り付ける鞍、そして編かごなどを道端へ並べている。
先ほど貰ったばかりの魔石ルンへこれらを取り付け、問題無ければそのまま古代迷宮まで飛んでみようと考えているところだ。
「あーー、お買物楽しいーー」
うーんと伸びをし、その白い腕へ目を吸い寄せられる。
数件の店を回り、雑貨を選んでいるときのマリーは楽しそうで、今は満足げな表情を浮かべていた。
「そういえばマリーは買物が好きなんだっけ。エルフなのに変わってるなぁ」
「あら、それは偏見というものね。エルフでも同じような人はいるし、それに私は物選びが好きなだけ。浪費癖があるわけじゃないもの」
どすんと肩から押され、なぜかそのまま頭を預けてくる。ころんと乗せられた頭はわずかに汗ばんでおり、ふわっと香り立つのは花茶ではなくマリー自身の甘い匂いだ。
「んふふ、でも楽しいわ。お買物もそうだし、このあとルンちゃんに乗って砂漠デートでしょう? んー、わくわくしちゃう」
ぽわぽわと花が飛んでいそうな表情に、僕も頬を緩めてしまう。
いやぁー、可愛い。分かってる、元からマリーはお人形のように可愛い。
しかし、基本的に真面目な性格をしているので、こうして浮かれ、甘える素振りをされると僕はめっぽう弱い。
しかし、残念ながら少女の表情はすぐに曇り、不機嫌そうなものへ変わってしまった。なぜかというと……。
「おーー、奇遇だな。おい見ろよドゥーラ、俺たちもあれくらいベタベタしよ……うごうっ!」
「ほんっと馬鹿、目も当てられない馬鹿。近くに馬はいないようだから、私が蹴り殺してあげるわ、ねっ!」
どずんと腹へ膝蹴りをし、吐きそうな顔をアップで見せられたら、そりゃあもう甘い空気なんて簡単に消えてしまうさ。
ああ、すーっとマリーから感情が消えてしまうのが僕にも分かるぞ。
「ドゥーラさん、それにゼラさんも……奇遇ですね」
「あれっ、カズヒホ君、見たこと無い表情になってるぞ。ぐはは、邪魔する気は無かったんだけどなぁ」
そんなふざけた事を言う長身の男は、かつて地下迷宮で救い出し、それ以来何度となく協力をしあっている関係だ。名家でありながら気さくな人で、ときどき「気さく過ぎる」言動をするのが玉に傷だ。
と、ゼラは僕らの買物品に気が付いて、ちょんと編みかごに触れた。
「なんだ、この荷物。ああ、ついに2人とも同棲するのか。どこに家を買ったんだ?」
「違いますよ、これを乗り物に取り付けようと思いまして」
まあ、とっくに日本で同棲はしているから違いはしないけど。当然のことエルフさんは慌てることもなく「やっぱり馬鹿ね」「そうね」とドゥーラと目配せをしていた。
そんな2人のやりとりを気にすることなく、ゼラはしゃがみこんでくる。
「へえ、もし家を買うなら俺に言ってくれ。こう見えてサウザンド家は名が知れているから、良い物件を紹介できると思うぞ」
その言葉に、思わずマリーと見つめあう。
よく考えればお金はある程度溜まっているし、こだわらなければ家を買えそうな気がする。一時滞在の国と思っていたけれど、屋敷の世話になるのも心苦しいと感じていたところだ。
といっても決定的な問題があるんだよね。
「あ、駄目か。そういやお前たちは外の国から来てるんだったな」
「そうなんです、だから借家がせいぜいですね」
アリライ国へ属していないなら、土地の所有権なんて得られるわけもない。ただ、家を持たないぶん気軽に他の国へ遊びに行けるけどね。
「まあ、うちは気兼ねせず泊まりに来ていいけどな。なんだったら俺の隊に入っちまえよ」
「ちょっと、駄目よ! それなら私の隊に入りなさい、でないと君の脳まで筋肉にされてしまうわ」
あれ、どういう状況なのかな?
買物に来たつもりが、彼らの隊へ連れ去られようとしているぞ。というよりも、2人は結婚予定だから同じ隊へ統合されるんじゃないのかな?
大量のクエスチョンマークを浮かべている僕へ、こそりとマリーは囁きかけてくる。
「ねえ、あの特別任務の件、2人にも伝えたらどうかしら。これでも一応頼りになるでしょう?」
ああ、そういえば今回の任務について、他の隊へ協力を求めて良いと言われていたか。
2人の状況も気になるし、そのまま近くの休憩場へ向かうことにした。
休憩場はあちこちの道端にあり、露店で買った物をそのまま食べられるようになっている。安い料金を払うと路上へ厚い絨毯を敷かれ、あぐらをかいて料理を楽しめるという設計だ。
木陰などの場所はやや高いけれど、今回はゼラさんが払ってくれるらしい。
先ほどの荷物には「カズヒホ様」という間抜けな札がつけられ、黒猫は小さな皿に乗った食事をかつかつと食していた。
「へえ、特別任務! 少数精鋭で迷宮攻略とは……んー、何かキナくさいな」
てっきり興味を持つかと思いきや、ゼラは鶏肉へかぶりつきながら眉間へ皺を寄せる。その隣に座ったドゥーラも、指についた油を舐めながら彼を見た。
「どうキナ臭いの? ゼラの勘でいいから、そのまま言って」
「そうだな……、精鋭というなら親父の隊は屈指のレベルだ。ザリーシュが抜けているなら、ダイヤモンド隊をも上回る。なのに声をかけていないのは変だろう」
へえ、と僕とマリーは感心する。
彼は言動こそ子供のようだけれど、戦闘への勘は鋭い。短い黒髪の下にある瞳は、ほんの少しだけ鈍く輝いた。
「少数精鋭ってのは響きがいい。だが、まとまりが無ければ意味が無い。おまえたちはダイヤモンド隊と組んだことも皆無だろ?」
「ええ、もちろん。彼らの戦う姿さえ見たことありませんし」
この間の一件以降、仲良くはしているけれど戦闘に関しては彼の言う通りだ。
となるとマリーの言っていた「少数精鋭といっても数を絞り過ぎている」という指摘は正しかったかもしれない。
となると、どういう意図があるだろう。
ごく一部の隊だけで迷宮攻略をさせたら、アジャ様達にとってどのような利点があるか……。
もぐもぐツナマヨおにぎりを食べていると、ゼラは口を開いた。
「そういえば親父は、最近よく外出してるな。うーん、何か関係してるかもしれんが、婚約してからあまり話をしてないからなぁ」
「あれっ、婚約されたのですか? おめでとうございます!」
祝いの言葉を伝えると、真面目そうなドゥーラさんの頬は少しだけ染まる。炎のように赤い髪を後ろへ結わいており、恥ずかしげに逸らした鋼色の瞳は、どこか女性らしい素振りだと思う。
「……っ! ば、馬鹿ね、ゼラの家へ嫁ぐのはまだ先のことよ」
「ん? まだ先だっつっても、一緒に暮らしてんだから……」
「あーーっ! 言わないでよ、私だって……恥ずかしい時はあるんだから」
ぼっと赤くなってしまったけれど、えーと、どういう事なのかな。僕とマリーだって一緒に暮らしているし、恥ずかしいことなんて何も……。
ふと脳裏へ浮かぶのは、はだけたバスタオル姿のマリー、そして何度も交わした唇の感触だ。
「うっ……! こっち、見ちゃダメっ」
「あ、ごめん……」
ぱっと互いに顔を逸らしてしまったけれど、ドゥーラさんの反応した意味を分かってしまった気がするぞ。
離れていたところで見ていた黒猫は、いつの間にやらこちらへお尻を向け、食事を摂っていたらしい。かつっかつっと荒々しく皿を叩く音が、しばらくその場へ響くことになった。
もわーっと漂う黒いオーラといい、たぶんこれは後で嫌がらせをされるぞ……。
さて、食事を済ませると、2人はそのまま川原までついてきた。
飛行タイプの魔石に興味があり、実際に見てみたいそうだ。まあ、もし僕が同じような立場なら、見たくて見たくて仕方ないと思うしね。
なので魔石からルンを生み出し、乾いた砂色の姿を披露すると、2人は興味深々の様子で近づいてきた。
「うっお、これが俺の手渡した魔石かぁ。かっけーなぁ、おい」
「どうなってるのかしらコレ。マリアーベル、飛ぶ原理は分かってる?」
などと遠慮なく触ったり乗ったりしながら、先ほど購入した道具の取り付けを手伝ってくれた。
「ごめんなさい、まだ私も詳しく分かってません。生物というより魔物に近いですし、これまで飛行虫の研究はそれほど行われていないのです」
「あら、そうなの。魔力を原動力にしているのか、飛行技能を有しているのか……興味深いわね」
女性陣は、あーだこーだと活発な議論を開始してしまったので、僕とゼラは黙々と肉体労働へ従事することになった。
ぎゅっと革紐でくくり、馬に使う鞍などを固定してゆく。当然、釘などは使えないので革などで固定するしかない。
「おーー、面白いな。たまに物作りすると夢中になっちゃうんだよなぁ、俺」
「分かります。出来上がっていくとテンションが上がりますよね」
けっこうな力仕事だと思っていたけど、手伝いのおかげでかなりはかどる。鞍はしっかり固定され、足場や命綱、カバンの置き場所などがセットされてゆく。
ルンは翼を広げた形をしているけれど、透明な羽以外に可動する関節は少ない。なので紐をくくる場所よりも重量を気にする感じだね。
「うっし、こんなもんか。かなり無茶に飛ばなければ、たぶん大丈夫だろ」
「なんとか出来ましたね、本当に助かりました」
ぺこりと頭を下げると、その上から彼の手が乗ってきた。
遠慮なくグリグリと撫でられると、腕力のせいもあり目が回ってしまいそうだ。
「俺はさ、お前を弟みたいに思ってるんだ。特殊任務だってドンと来いだし、もっと気楽に行こうぜぇ。だから敬語も礼儀も俺にはいらねえって」
思わずぱちくりとしてしまう。
たぶん日本での僕と同年代だろうに、彼はさわやかな笑みを向けてくる。一回り離れていても、まるで気にしない態度へ驚かされる。
隣からドゥーラさんがやってくると、彼と同じ種類の笑みを浮かべた。
「そうね、前にも言ったけれど私にも敬語はいらないわ。だから、マリアーベルのことをこれからマリーと呼ぶから。ちなみに寝ぼすけ君は、気に入ってるからこのままね」
う、眠そうなのは顔だけだし、勘弁して欲しいなぁ。
そう嫌そうな顔をすると、ドゥーラはにこりと柔らかく微笑んだ。
「嫌なら幻影って呼ぶわよ?」
「ああっ! いやいや、寝ぼすけ君でお願いします!」
ちょいっとドゥーラから指先を向けられる。どうやら「敬語はやめろ」という意味らしい。仕方なく咳払いをし、そして魔導竜ウリドラの時のように2人へ話しかけることにした。
「それじゃあ、改めてよろしく。まだ特殊任務を受けるか決めてないけれど、そのときは古代迷宮で一緒にがんばろう」
「うっし、その意気だぜ。なんとなく、俺たちなら誰にも出来ないことを達成できる気がするんだ。まあ、ただの勘だけどさ」
マリーもすこし緊張しながら頭を下げる。
「ええと、これからゼラには遠慮なく文句を言うようにするわ。構わないかしら、ドゥーラ?」
「あたりまえよ。この馬鹿を改心させるくらい、ガツンと言ってくれると嬉しいわ」
「おいおい、古代迷宮でがんばろうって流れじゃないのかよ……」
目のあたりを暗くさせ、たらりと脂汗を流すゼラに僕らはつい吹き出してしまった。
さて、出発のときだ。
名残惜しいけれど、そろそろ出発しないと日暮れまでに地下迷宮へたどり着けないかもしれない。もしウリドラが生身でいたなら、空間移動でそのまま直行できるんだけど。
砂漠用ゴーグルをつけ、僕は前へ、マリーとウリドラは後ろへ座ってから振り返る。そこには頼もしい笑みを浮かべる2人がいた。
「じゃあまたなー、何かあったら連絡するんだぞー」
「またね、2人とも。こちらこそ結婚式のときには呼んでくれると嬉しいな」
ぼっと顔を赤くするドゥーラを微笑ましく眺め、それから魔石へと命じる。透明な羽先は小刻みに振動し、水柱を残して飛び立った。
十メートルほど浮き上がると景色は一変し、住み心地のよさそうな砂色の町並み、そしてどこまでも開けた砂地が見えてくる。
ルンっ。
飛べと僕らが命じると、ルンは滑るように空を流れた。




