第118話 黒薔薇の咲く館で①
若干のホラー要素を含みます。
苦手な方はご注意ください。
アリライ国、ザリーシュ邸、夕刻17時――――。
雨季らしく厚い雲に空は覆われていた。
どろり、と雷鳴轟くこの屋敷は、勇者候補とさえ呼ばれているザリーシュのものだ。
この世界では、武力で貢献することにより高い見返りを国は与える。そのような意味で、統主の誰よりも広い敷地を有していた。
彼は広い廊下を一人で歩いており、どこかその歩調は苛立たしげに見える。眉間へ皺を一本刻み、苛立たしげな感情を滲ませて歩む。雰囲気に押されてか美しい女性たち――宝石と呼ばれる美女らはあまり近寄ろうとしない。
彼は昨夜、狙いをつけていた2人の女性へと接触した。相手は世にも珍しい竜人、そして稀有な才能を持つ半妖精エルフだ。
邪魔をする少年を、そして古い宝石であるダークエルフをこの手で処分し、望んだものを手中に収める……はずだった。
「くそ、なんだったんだアレは……!」
どずんと壁を苛立たしげに殴りつける。
壁への亀裂はクモの巣のように一面へ広がり、ひぃと遠くから女性の悲鳴は響く。
昨夜、意気揚々と手を差し伸べたというのに、あの竜人は愚かな人間を哂うように笑みを浮かべ、そしてザリーシュの背後を指し示した。振り返れば少年とダークエルフの遺体、そして飛び散っていた血さえも陽炎のように消えており、そのおかしな光景に凍り付いてしまった。
気がつけば標的の2人さえも消え、後には静かな夜、そして顔を青白くした彼の部下だけ残される。後で聞いたところ、彼女らはその目で見たらしい。ふうっ、と冗談のように消えてゆく少年とダークエルフの姿を。
あれ以来、少年もダークエルフも見ていない。
ただ雨季特有のじっとりとした湿気に屋敷は包まれている。
華やかだったはずの屋敷は、どこか暗い雰囲気をそこかしこに残していた。
廊下の途中、物思いにふけっていたザリーシュはその足を止める。
屋敷の管理をする者たちが、小さな声で話をしていたのだ。廊下からそっと薄暗い小部屋を覗き込むと、使用人の服を着た宝石たちがいた。
「気持ちの悪いカラスが庭にいて……」
「いやだわ、呪いのようで。私も昨日の一件からずっと……何かに見られているようだわ」
馬鹿らしい、と彼は思う。
呪いや視線など、死者を数え切れぬほど葬ってきた精鋭集団だというのに、いったい何を恐れるというのか。
ふと廊下の窓へ目を向けると、パチパチと砂混じりの雨粒は降り始めた。
いつもならば恵みの雨と喜ぶところだが、肌をベタつかせる不快感に思わず首を手で拭ってしまう。
この雨季はしばらく続くだろう。
ざあ、ざああ、と窓には幾筋もの雨粒は流れ、手紙を書いていた彼はそれを見上げた。
このガラスを多く使った部屋は、本来ならば明るい日差しを楽しむことが出来る。窓辺には樹木を植えており、木漏れ日のなか快適な時間を過ごせるはずだった。しかし今は湿度の高さに辟易としている。
――コンコン。
と、執務室には硬質なノックの音は響き、男は鷹揚に入るよう促す。
現れたのはメイド服に身を包んだ一人の女性だった。
「ザリーシュ様の読み通り、反逆者への尋問は難航しているようです」
「ふん、もし自白すれば己と周囲へ呪いを撒き散らす呪術をかけているからな。そうなれば捕虜を厄介払いできるが……まあ、あの爺が気づかないはずがない」
とはいえ、捕虜となった反逆者たちは大した情報も持ち合わせていない。
捕らえられたのは全体の半数にも満たず、単に報酬目当て、ないしは復讐のために呼び寄せた者たちだ。魔の地と呼ばれた隣国、ゲドヴァー国は迷宮探索を阻害するべく次の手を準備している。
先ほど彼の言った「あの爺」とは、魔導士アジャのことだ。ザリーシュは彼の出資を受け、ここまで成長するに至った。しかしこの国で得るものはもう無い。
あとは時が満ちるのを待つばかり……なのだが、どうにも胸の奥にべったりと黒いものが広がっている。
「どうされました、ザリーシュ様?」
「何でもないさ。そら、こちらへ来い」
丁寧な一礼をし、使用人であり宝石である彼女はゆっくりと彼の腕へ抱かれる。豊満な身体は抱き心地がよく、ねとりと舌と舌は絡み合う。
無理やりにこじあけられるのが好きらしい。思い切り口を開かされ、だらしのない顔をさせられると……カッと彼女の身体は熱くなる。羞恥によるものだろう。
雨季らしく湿度は高く、肌へねっとりとまとわりつくようだ。
しかし美女を相手にするならば湿気さえ楽しめる。そのように、ひくひく震える身体を抱きしめながら思う。
1年前、彼女は大量の金で手に入れた。
立派な屋敷を維持できず、貴族としてのプライドだけで生にしがみつくような家だった。
かつては鮮やかな庭先を、そして武力を誇っていたというのに。
ああ、違うか。
その武力を失わせたのはザリーシュであり、黒薔薇の騎士なる娘もこの通り、いまは震える子羊のように可愛らしい。
そう、彼は世界でただ一人の勇者候補。
手に入れられないものは無く、誰よりも素晴らしい時を歩み続ける存在だ。
そのとき、2人の抱擁は少しだけ力を弱める。
熱を持ち始めていた彼らだが、互いに窓へと顔を向け、パタパタと揺れるカーテンを見つめていた。
「あら、窓が……。雨が入りますから閉じておきますね」
「開けた記憶は無いんだが……」
いや、おかしいと思わないか。
どこの誰が雨の降っている最中に窓を開ける?などと彼は思う。
――おぬしはついに手を出してしまったのじゃ。あの幻影にのう。
甘い情事のさなかというのに、彼はふと昨夜の言葉を思い出す。
それは黒髪をした竜人からの言葉だ。
あれ以来……、じぃとこちらを見る少年の瞳を幾度となく思い出してしまう。
考えてみれば変な奴だった。息絶えようとしていても死に怯えることはなく、生気のない瞳はこちらを観察していた風にも今となれば思える。
あまり見たことの無い表情だったせいで、妙に胸へ残っているのか。
それとも残るべき死体が忽然と消えたせい?
「ザリーシュ様?」
いつの間にか窓は閉められており、メイドであり宝石である彼女は不思議そうに見上げていた。瞳は「先ほどの続きはしないのですか」と訴えているようだ。
呪いなど無い。あるわけが無い。
しかし彼はじっと見てしまう。閉じた窓から転々と、濡れた足跡を残している床を。
「……何かが変だ。屋敷中を探知してくれ」
「え? あ、はい、では星占の民、ハクアを呼んで参りますね」
彼女は少し驚きつつも一礼をし、部屋を後にする。
主人である彼の言葉は絶対であり、異論を挟めるような間柄ではない。彼女は駒、そして彼は操り手なのだ。
そんなことよりも、なぜ窓は開いていた?
いや、誰かが中へ入ってきたのか?
どうにも肌の内側へ異物がはいってきたような気持ち悪さを覚える。鍵を開けようとすれば、音を出すじゃないか。
などと思いながら、試しに窓の鍵をギィと動かす。
この邸宅は4年前に購入した。
黒薔薇の騎士の称号を持つ娘を手に入れるため、一族へ罠にかけて葬った。そのことに気づいたのは、黒薔薇の騎士――先ほどの彼女きりだ。
指輪には主人への忠誠を誓わせる効果がある。それだけでなくレベルの一部さえ奪うという、恐ろしいファーストスキル【お前は俺のもの】だった。
彼の手に入れたスキルは指輪へ具現化するという、きわめて稀有なものだ。
それにより、ここまで彼はのし上がることを許された。
ちゃり、と指輪へ触れる。
これを付けている限り、彼は敗れることはない。何者からも、あらゆる者からも。
グアーーーッ!
けたたましい声に、はっと我に返った。
窓辺の向こう側へと舞い降りた黒いものは、クックッと顔を左右へ揺すり、そしてビー玉のような瞳をこちらへとまた向ける。
アア゛ーーーーッ!
なにか嫌だな、と思う。
これほど近くで黒い鳥……砂漠に住むカラスを目にするのは。いつも残飯をあさっている鳥は、怯えることもなく奇声をまたあげた。
「なんだぁ、こいつは。さっさと消えろ」
苛立たしく窓ガラスを叩くと、ドサドサと窓の上から黒いものが落ちてきた。まったく同じ大きさのカラスが二羽だ。
今の光景の不自然さに、ほんの少し肌が泡立つのを覚えてしまう。
この窓ガラスは曇っており、最上級の品質でも向こう側をよく見えない。それでも目をこらすと、庭は黒く変色しているよう見えるのだが……。
「雨とはいえ、こんなに黒い庭だったか……?」
ためらいつつ、鍵をゆっくりと開く。
ついでに気色の悪いカラスを追い払い、周囲の様子を見るとしよう。
部下に屋敷を調べ終えさせたら食事にし、嫌な気配を吹き飛ばすべく派手に食事や酒を楽しみ、そして美女と共にベッドへともぐろう。
女性たちのあげる嬌声を脳裏へ浮かべ、それが良いと彼はひとりごちた。
ひとおもいに鍵を外し、窓を開け放つ。
わっと雨風は入り込み、カーテンはぶわりと膨らんだ。
しかしそれでも、しばしザリーシュは言葉を失う。
窓の下、そして庭先へと黒い塊はたくさんおり、こちらをジッと見つめていたのだ。
グアーーッ! ア゛ーーッ! ア゛ーーッ!
気味の悪さに背筋は震えてしまう。ただの鳥に過ぎないが、生まれて初めて見る光景だ。このように大量のカラスなど。
いや、怯えるのは他の者だけだ。間違っても勇者候補のすることではない。
そう考え、くるりと踵を返すと部屋のなかにある棒を手にすることにした。追い払えばそれで済むと思いなおし、テラスへと続く扉から外へ出る。
なに、何羽か潰せば勝手にどこかへ消えるだろう。
庭をゆっくりと歩き、シッシッと威嚇をして棒を振り回すとカラスたちは逃げてゆく。おかげで少しだけ胸はスッとした。
さて、彼らはちょんちょんと庭を走ってゆく。
降りかかる雨も気にせず後を追い、建物の角を曲がると大きな庭は広がった。
芝生を覆う大量のカラスはやはり気持ち悪い。
しかし彼らの集う中央に、おかしなものがいた。
生気なく立ち尽くし、うなだれ、真っ黒い髪を雨に濡らした存在が。
「お……っ……!」
気がつけば、棒は石畳を打っていた。いつの間にか手放してしまったらしく、カターーン!という甲高い音に肩は震え、嫌な汗は背筋を伝い流れてゆく。
すこしだけ息苦しい。
雨季の湿気、それに己の庭とは思えない鬱蒼とした雰囲気は、まるで廃屋敷のようだ。
その変なものは確かに目の前にいる。だらりと両腕を地面に伸ばし、うなだれた小さな存在は雨をざあざあと受け続けている。
そのとき、ザリーシュはあることに気がついた。あの気味悪く立ち続けている存在……彼はつい最近見たものではないか、と。
「まさか、昨夜のガキか? するとお前の悪戯だな!」
カッと頭に血を上らせ、先ほどの棒を拾ってから少年へと歩み寄る。周囲を黒いカラスどもから囲まれているが、元凶を叩き潰せば勝手にいなくなるだろう。肩と背中を何度も叩いて、まずは足腰立たないようにしてやろう。
などと激しい怒りに肩を揺らしながら芝生を歩む。
ざあざあと振りつける雨は砂混じりで不快だが、あの子供の悲鳴を聞かなければ気はすまない。
うつむく少年はわずかに口元だけを見せており、その唇は皿のような形に歪めていた。
「ハハ、捕まえてやる! 気色悪いクソガキめ!」
手を伸ばし、捕まえる。
いや、捕まえた途端に指のあいだをヌルヌルとした感触が抜けてゆき、うつろな表情を残して空気へと消え…………。
ア゛ーーーッ! ア゛ア゛ーーッ!
アアア゛ーーーーッ!
カラスたちのけたたましい鳴き声に包まれ、一斉に飛び立ってゆく光景に、そして空気へと溶けてしまった存在に、全身から血が抜けてゆくような思いをした。
どろどろと雷鳴は空へと響き、たよりない夕陽さえ今にも沈んでしまいそうだ。
ただ一人、雨のなか立ち尽くしていたザリーシュは、ふっふっと荒い息を吐きながらグイと額をぬぐった。
なにかがおかしい。
いつもと何かが違う気がする。
振り返って屋敷を眺めると、彼の心情を表すように景色はどこか寒々しく見えた。
その理由に彼はまだ気づけない。




