第112話 夢と魔法の国へ行きましょう⑥
当たり前だけど、レストランを予約する事なんてほとんど無い。
高級料理は独身サラリーマンにとってハードルが高く、高いお金を払うより自分で美味しく作れるようになれた方がお得と思えるからだ。
しかしいま、僕らは綺麗なレストランの前にいる。
その店はどこか海を思わせる作りをしており、洋風で上品な店構えへマリーは腕にしがみつきながら見回していた。壁の装飾や趣のあるランプなど、童話を好む少女にとってたまらないだろう。
もちろんお財布だってたまらない。このような場なのだからと涼しい顔をしているけれど、今にもぺったんこになってしまいそうだ。
ただでさえ入場券はお高めであり、思わぬゲスト参加もあって出費はかさんでいる。
――おじいさん、ありがたくお小遣いを使わせていただきます。
などと青森の祖父へ、僕は心の中で深く感謝をした。
いやほんと、こういう施設はお金がかかるね。流石だなと思えるのは、支払った以上に楽しめていると思えることかな。
などと考えていると、目の前へスッとお店のメニューを差し出された。顔を上げると黒髪の店員さんがおり、にこりと柔らかく微笑みかけてくる。
「北瀬様のご予約を確認いたしました。どうぞメニューをお選びください」
「ありがとう。――みんな、好きなものを選んでくれるかな」
そう伝えると皆は一斉にメニューを覗き込む。
目立つ外見の彼女らであり、しかもエルフ語で話しているせいか少しだけ店員さんは驚いているようだ。しかし接客に慣れているらしく柔らかな笑みを崩さないのは流石と思える。
うーん、やはりプロは違う。
まあ今回はイブも一緒なので、エルフ語を使わざるを得ないかなぁ。その彼女は、ウェーブがかった金髪を押さえながら唇を開かせる。
「ニホンゴなんて読めないけど、えー、なにこれ、幾つ料理が出てくるわけ?」
「もちろん書いてあるだけ出てくるわ。これはコースと言って、西洋の高級料理としては一般的なのよ」
などとマリアーベルは嬉しそうにアレコレと教えているようだ。以前にも彼女とは高級レストランを利用したこともあり、おそらく幻想世界の住人のなかで最も日本に詳しいだろう。
「むう、このローストビーフなるものは興味あるのう。決めた、わしはこのスペシャルメニューじゃ」
「美味しそうじゃん。いいよ、あたしもそれー」
うんうん、この時期にしか出ないメニューだね。内容は充実しており、そしてお値段も大充実だということを僕は知っているよ。
ワイワイ盛り上がる皆を眺めていると、店員さんはこそりと話しかけてきた。
「それで北瀬様、ご予約は3名様だったようですが……」
「ああ、急な飛び入り参加があったからね。もちろん僕は辞退するから、外国から遊びに来た彼女たちへ日本のおもてなしを見せてあげてくれないかな」
などと話していると、グイと腕を引かれてしまう。見下ろすとマリーは目を見開いており、ほんの少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「そんなの駄目よ、あなただけ外にいるなんて。可哀想で食事を楽しめないもの」
「いやいや、僕としては皆に楽しんでもらえる事が何より嬉しいんだよ。そのことはマリーならきっと分かるんじゃないかな」
う、ん、と少女から困ったよう頷かれる。
「……でも、隣にいて欲しいの。だって好きなのでしょう、私たちの楽しんでいる姿を見るのは」
眉尻をみるみる落としてゆく表情は、どこか胸を締め付けるものがある。
と、コースメニューを見ていたはずのイブは、いつの間にやら僕らのそのような光景を眺めていたらしい。何かを言いかけ、しかし言葉にはならず胸へ留まらせる。青い瞳は様々な感情に揺れているようだけれど、僕はまだ気づけない。
「わかりました、こちらで少々お待ちください」
そう明るい声で言ったのは店員さんだった。
一礼をすると店の奥へと歩いてゆき、思わずマリーと瞬きしてしまう。彼女はわずか数分で戻ってくると、改めてぺこりと頭を下げる。
「1名様分、追加のお席を用意させていただきました。では、皆様どうぞこちらへ」
おっと、さっそく日本のおもてなしを見せてもらえるとは。いやいや、それはこのテーマパーク全てに言えるかもしれない。誰しもがお客を喜ばせることを大事にしており、それが伝わってくるからこそ心地よい雰囲気に包まれていると思える。
おかげでマリーは明るい表情を取り戻し、ぎゅうと腕へ抱きついてくれた。
お財布へのダメージは高まることになったけれど、このような笑顔を向けられると……うん、やっぱり嬉しいね。
やはりこのレストランも普通ではなく、案内をされ扉をくぐると真っ暗な空間が待っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ざあ、と手すりの向こうには水辺が広がっており、見上げれば古臭いランプが吊るされている。幹の太い古木は天井を覆い、見た目はどこか恐ろしげだ。そして遠くからはアトラクションを楽しむ人々の声が響いているおかげで、皆はとても驚いてくれた。
「うあっ、まさかここ、アトラクションの中なのかしら!? 見て見て、向こうに海賊船の旗が見えるの!」
「むうう、たまげたのう。人間どもが大砲にさらされて逃げ惑っておるとは」
ダークエルフのイブなども水辺とこちらへ「え? え? え?」と顔を交互に行き交わせるという可愛らしい反応を見せている。吹き出しそうになるけれど我慢だよ、いいね。
テーブルや椅子もしっかりしたもので、係の人はナイフやフォークなどを皆の周りへ並べてゆく。
「そうみたいだね。もちろん僕も初めて来るけれど、これだけじっくり眺めていられるとお得な感じがしないかな」
「するする、とてもするわ。ちょっとだけ怖いけれど、絵本のなかで食事をするような気になれるもの」
どおお、と響く大砲の音、そしてこちらまで届く水の香りに、皆は口元へ笑みを浮かべて頷いてきた。ならば予約をした甲斐もあったかな、などと思う。
「それで、イブも楽しめているかな。日本に来て早々、こんなところへ連れてきてしまったからね」
「んーー、よく分かんない。けど、なんか笑ってばっかりだったから……楽しいのかも」
そう言いながら、彼女はコップの縁を指でなぞる。
楽しいと言った割にはどこか胸につかえているものがあるのか、複雑な表情を浮かべているように見える。
じっと静かに待つと、ようやくイブは顔を上げてくれた。
「……あたし、あんまり笑わないんだ。ここに来て、あたしってこんな笑い声なんだーって思ったくらいだし」
「おかしいのう、笑ってばかりだったではないか。腰まで抜かしたおぬしが何を言う」
「はあっ!? あたしがいつ……あ、ごめん」
マリーから、しぃと人差し指を唇に当てられ、食事中ということもあり素直に詫びる。がたんと席へ座りなおした彼女へ、僕は話しかけた。
「なら楽しめているということだね。夢の世界――ああいや――アリライ国での生活は、あまり楽しくないのかな」
「楽しいとか、そういうのじゃないから。鍛錬、訓練、それに屋敷の管理もあるから、眠る時間を確保するのも難しいわけ」
はあ、と僕らは絶句してしまう。
どちらかというと僕らは真逆の生活をしているからだ。夢の世界は遊びの延長であり、激しい戦いですら「いやあ、遊んだなあ」とさえ感じている。
日本で目覚めたら目覚めたで、本を読んだりお散歩したり、そして美味しいものを食べたりなどと気ままに過ごしているというのに。もちろん僕には会社勤めという義務はあるけれど。
などと伝えると、イブはテーブルへ突っ伏してしまう。
「そんな生活しておいて第二層をクリアしたわけ!? あーー、やる気なくした。というかあたし、向こうでザリーシュ様に殺されてんじゃん。終わりすぎてるし」
「それが分からないのよ。あんな男のどこが良かったのかしら?」
青い瞳は、じっとマリーを見上げる。その瞳はどこかいじけた子供のようで、ぽつりと小さな声で呟いた。
「顔が好き。あ、前の優しかったときのほうが好き」
ああ、メンクイだったのかー……、などと僕らは遠い目を水辺へと向けてしまう。さすがにね、かける言葉を見つけられないかな。
イブは指を広げ、そこにあったはずの失われた指輪を思い浮かべているようだ。
「でも良かった、指輪は無くなってもあたしの気持ちは変わらなくて。外したときどうなるのか怖かったけど、これで安心したかな。他の人はともかく、あたしは偽りじゃないって分かったから」
ふうん、となると彼の指輪には精神操作などの効果を持っているのだろうか。
彼女らとザリーシュは互いに対となる指輪をつけていた記憶がある。それにより他の女性たちを操っているのかもしれない。
などと考えているときに、お待ちかねの料理は運ばれてきたらしい。
前菜から順番にテーブルへ乗せられてゆく様子に、皆は明るい声を漏らす。普段ならば赤ワインなども一緒に楽しむべきだろうけれど、園内は禁酒なので諦めよう。
豊かな色彩をした前菜には、気分を沈ませていたイブも目を丸くする。そして各々にグラスを掲げると、ゲストである彼女へと声をかけた。
「ともかく、せっかく出会ったのだから、イブも日本を満喫して欲しいかな。では、僕らのグリムランドへ」
「いえーーい!」
おや、どうやらイブも遊ぶコツを覚えたようだ。
がちんと彼女のコップへとぶつけあい、僕らの昼食は始まったわけだ。
さて、季節限定のスペシャルメニューには、家庭料理では決して味わえない趣向を凝らしてある。海賊船をイメージした盛り付け、それに半透明をしたゼリーに包まれたシーフードなど実にカラフルだ。
ぱくりと食せば見た目とは裏腹の甘みが口内へと溢れ、ぷりぷりの食感まで楽しめる。溶けるようにトロリと形を失い、飲み込むその瞬間まで味わいを感じられるだろう。
「ん! なにコレー、変な見た目のクセして美味しいじゃん!」
「変って……食べるのがもったいなくなるほど綺麗じゃないかしら?」
などと、多少は余裕のある皆だけど、メインディッシュであるオマール海老の乗ったローストビーフがやってくれば、豪華さに声をあげてしまう。
ほどよく保温されたローストビーフは、ナイフでスッと切れるほどやわらかく、口へ放り込むと芳醇なグレービーソースの絡んだ肉質を楽しめる。
「やわらかっ! んまっ! 甘くて美味しっ!」
「んーーっ、お肉が甘いーーっ! だから日本のお肉は好きっ!」
悲鳴じみた声をあげ、マリーとウリドラは咀嚼しながら床をパタパタと踏んでしまう。どうやらウリドラは牛肉を好むらしく、眉へ皺を刻ませて喜色を浮かべているようだ。
実際、ピンク色をしたローストビーフは異世界には無い料理であり、臭みのまったくない肉そのものの旨みにやられている。
「あれじゃな、美味しいものを食べれば『また来よう』と思えてしまう心理を見事に突いておるな」
「ああ、そうかもしれないね。青森は田舎で何もない所だったけど、料理恋しさにまた行きたいって思えるだろうし」
異議あり、とマリーは手をあげ、咀嚼を終えてからようやく口を開く。
「青森は私の知っている限りで最高の日本なの。もちろんお爺様の料理は凄かったけど、それ以外だってとても楽しめたわ」
「そうじゃなあー、特にあの温泉は良かったのう。しばらく入っていないせいで、どうにもムズムズさせられる」
確かに、と皆は大きく口を開けて笑い、その様子をイブは不思議そうに眺めていた。
「うん? どうしたんだい、イブ?」
「いや……、なんか凄いなって。何を言っているのか分からないけど、あたしたちと違っていつも楽しそうだから」
「でもさ、楽しくないと勿体無いんじゃないかな。せっかくの人生なんだし」
何気なく言った言葉だけれど、それは意外にもイブの胸へ突き刺さるものだった。エルフという長い寿命を持つ彼女たちにとって、生きることへの意義を見失うときもあるらしい。
ザリーシュという存在へと捧げ続けた時間は、いつの間にやら彼女の楽しみまで奪っていたかもしれない。
目を丸くしていたイブは、息を落ち着かせるためゴクリと水を飲む。それからようやく唇を開かせた。
「……店に入るとき、あんたは席を譲ろうとしてたよね」
そう言いながらイブはパンをちぎり、ぽいと口へ放り込む。あれ美味しい!という可愛い表情を見せたあと、こほんと咳をしてから再び口を開いた。
「あたしって邪魔なんだなーって最初は凄く複雑だったけど……えーと、そうじゃなくて、あんたはそういう人なんでしょ?」
抽象的な言葉に、つい僕は小首をかしげてしまう。
えーとえーと、とイブは一生懸命に言葉を探し、ピンと浮かぶものがあったのか思いついたことを口にしたようだ。
「アメシスト隊のリーダーは素敵だと思う。あんたのそばは落ち着けるし、そういう生き方は羨ましいと思う……なんて、いつかは宝石を盗んでゴメンネ」
ぺろりと舌を覗かせ、出会ったときとはまるで異なる笑みを見せてくれた。
うん、どこか危うさを感じさせる彼女だったけれど、これでようやく僕も安心できたかな。
「なら、これからもよろしく。ちなみに僕の本名はカズヒホじゃなくて一廣だよ」
「ふうん、あたしもイブは愛称だから。長くても良いならイヴリンって呼んで」
やあ、どうやら彼女とはまた一歩仲良くなれたらしい。
それを祝うかのように甘くて美味しいデザートが運ばれてくると、テーブルは先ほどより華やかに盛り上がる。
たまにはね、レジャー施設でダークエルフの友人が出来るというのも素敵かもしれないよ。とはいえここは夢と魔法の国なのだから、さほどおかしく無いかもしれないけれど。
「じゃあ、そろそろアトラクションに向かうかい?」
「ええ、次はどこへ向かうの?」
ナプキンで口元をぬぐうエルフへ、僕は手すりの向こうを指差す。遠くから大砲と歓声を響かせるアトラクションへ、皆の瞳は興奮に輝いた。




