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第17話 大図書館 後編

 先生の足が、ひとつの扉の前で止まる。上方のプレートには、アードラーゼミ、の文字。

「ちょいと失礼」

 全然失礼ともなんとも思っていない調子で、先生が引き戸を開けた。

 部屋の中はどこも紙の束が山積みになった机だらけで、床にぶちまけられた資料はそのまま踏み均されてカーペットになっている。

「エルは居るかね」

 先生の呼びかけに、部屋の奥に詰まれた紙山から、誰かが身をのぞかせる。


 まず真っ先に、ペリドットのような鮮やかなライムグリーンの瞳と目が合う。

 たっぷりとした睫毛が縁どるそこから目をはなすと、やまなりに整えられた眉と同色の、けぶるような金褐色のショートヘアがあって。

 たまご型の繊細なフェイスラインの中には、造形美の髄を凝らしたパーツが完璧なバランスで並んでいる。

 体つきは細くしなやかなのに手足が長く、男性的な落ち着きと、女性的な儚さを兼ね備えている。

 つまるところ、背中に羽が生えていないのが不思議なくらいの人外美人だ。


「……ディア、メーディア。しっかりしな」

 先生に脇をつつかれてやっと我に返る。

「な、なんでこんな美人が研究職なんですか?」

「知らないよ。どうでもいいし。ほら、なにしに来たか忘れたんじゃないだろうね」

 ヒソヒソ話をしている間に、さっきのペリドットの人が近付いてくる。


「ミュゼ? 君が僕のところに来るなんて珍しいね。何のご用? あ、今日は知らない人も一緒だね。かわいい小鹿(バンビ)ちゃん。お名前をお聞きしても?」

 にっこりと微笑みかけられて、危く卒倒しそうになる。なるほど、先生が覚悟したほうがいいと言ったのはこれか。

「助手のメーディアだよ」

「ど、どうも……」

「はじめまして。僕はエル=クラージュ。ミュゼとは同期の仲で、主に魔力と精霊について研究しているんだ。君は精霊って信じる?」

「え、っと……」

「エル」

 先生の低く抑えた声が、エルさんのマシンガントークをさえぎる。

「その話は今度、ゆっくり聞かせてもらうよ」

「うーん、ミュゼのいう今度って信用ならないんだよね。一週間前にも同じ事いわれたけど、結局あれもまだ話してないよね」

「あんたの長話聞くのに、1週間のインターバルじゃ短すぎるね」

「ひどいなぁ。僕なんかこんなところに引きこもっちゃって、おしゃべりだけが楽しみでさぁ。もちろん学閥討論に参加したりもするけど、あそこって好き勝手喋らせてもらえないから逆にストレスになっちゃうんだよね。そこへ行くとディトっていいやつだよね、僕の話をさえぎらずに最後まで聞いてくれるんだから」

「あいつに話しかけたって、ほとんど壁みたいなもんだと思うけどねぇ」

「壁なんかとは比べ物にならないよ。まあ、欠点はなかなかコーベニアに居ないってことかな。この間どことも知れない片田舎に里帰りしてて僕、しばらくヒマだったんだよね」


「……あの、ディトってひょっとして」

「ユーディット=コリンズだよ」

「やっぱり」

 あの男が大人しく長話に付き合うのか。想像できない。


「ところでエル、あんた今、本館から本を借りてるだろ?」

「うん。この間通算100万冊を超えて殿堂入りしちゃったよ。今まで殿堂入りした人は50人くらい居るんだけど、僕が最年少記録なんだって。ここおじいさんばっかりだから当然といえば当然かな。久しぶりに自分がまだ20代だってこと思い出したよ」

 その聞き捨てなら無い一言に、思わず視線が釘付けになる。

 この世のものとは思えない、大理石でできた彫像のような貌で、まさかのアラサー……?

「そんなこたぁ聞いてないんだよ。あんたは今、5冊ばかり貸し出し期間を延滞してて、司書の若いのが困ってんの。わかる?」

「あれ、延滞してる? 今日って何日だっけ」

 先生が深く溜息をつく。頭が痛そうだ。

「勝手に家探しさせてもらうよ。メーディア、ちょっとこいつの話し相手になってやんな」

「え、ちょ」

 私をほったらかして奥へ行ってしまった。なんて無責任なんだろう。

「ねえ、メーディアちゃん。ミュゼは今度精霊に関する論文でも書くの?」

「ええ、そう、です」

「だよね、そうじゃなかったら僕が何の本を借りっぱなしでも気にならないよね。たぶん延滞してる本って、全部精霊の本なんだ。ほら、僕ってば精霊と魔力が永遠のテーマだから」

「はぁ……」


「メーディアちゃんは、精霊って知ってる?」

「えっと、魔法の八属性をそれぞれ司る、神様みたいな存在ですよね」

「そうそう。名前は知ってるかな」

「火のサラマンダー、水のセイレーン、風のシエル、土のテール、雷のライデン、光のメサイア、闇のタナトス。あと……えーっと」

「無属性のストークだよ」

「あ、そうでした」

「ストークはちょっと影が薄いよね。無属性って概念がちょっと特殊だし、使えないなら使えないで特に不便ないし」

 実は私が常日頃使っている拡張魔術は無属性を主体に組まれている。それでいて精霊の名前は覚えていないのだから、いかに精霊全体の影が薄いかが知れようというものだ。

「個人的には、よくお世話になってますけど」

「ふぅん、そう」

 話の長いエルさんが、それだけ言って黙り込んでしまう。どうやらストークに良くない思い出でもあるようだ。


「それで、あの、精霊と魔力って関係があるんですか?」

「もちろん。もとより魔法ってものは、内部魔力と精霊エネルギーをくっつけて使うものだからね。この両方を総称して魔力と言う場合もあって、僕がテーマにしてる魔力がこの意味だよ。精霊エネルギー自体にもたくさん名前があって、滞って澱めば魔素だし、明るいところで降りそそぐとエーテル、あるかなしかの濃度だとマナってかんじに変化するよ。君はいくつ知ってるかな」

 正直ちんぷんかんぷんです。

「精霊エネルギーは世界中どこにでもあるけど、属性によって偏ったり、極端に濃淡が激しかったりするね。基本的に標高が高いほど薄く、生産者である植物を底辺にした生態ピラミッドが大きい地域ほど濃くなるよ。これは生き物が魔法を呼吸することで魔力の底が深くなることに起因するみたいだね。もっとも、現代人としては精霊エネルギーの多い少ないは問題じゃないかな。なにしろ光銀と増幅石を併用することで魔力全体の省エネルギー化を図っている時点で、環境に依存しない魔法性能を保証したようなものだし。そういえば、ピアス穴をたくさん開けている魔法使いって多いけど、実はあれってそんなに効率は良くないんだ。一見魔力の間口が広くなっているように感じるかもしれないけど、実のところ光銀は一個貫通していればそれでいいからね。5個も6個もつけていたって、結局耳の気門に装備する増幅石の量が増えるぐらいの意味しかないんだよ」


 エルさんの話を右から左に流しながら、先生やユーリのオタク語りってそんなに迷惑でもなかったな、と思いなおす。今度からはもっと寛大な心で聞いてあげよう、うん。


「終わったよ。メーディア、こっちは本館に返しておいておくれ」

「はい」

「ミュゼ、どんな論文を書くの? 僕の知識が役に立つんじゃないかな」

 ニコニコと目も眩むような微笑みを浮かべるエルさんに、先生の鋭い眼光が突きつけられる。

「……エル、レレントの北東に、精霊の棲み処があるね?」

「正確には、精霊の棲み処とよばれる場所があるね。それが?」


「水晶の塔に精霊は住んでいるのかね」


 エルさんの笑みが、いっそう深まった。

「今の学会に、証明する手立ては無いね」

「そうかい」




 その後、3日ほど先生の部屋に泊まって論文の手伝いをしたが、いまだに結論は出せていなかった。

 3泊目の寝支度を整えていると、家主に呼び止められる。

「メーディア、もう手伝いはいいよ」

「え?」

 先生からの意外な通達に、耳を疑う。

「昨日からずっとカレンダーばっかり気にしてるじゃないか。どうせ、店が気がかりなんだろ?」

「でも、論文が……」

「こんだけ手伝ってもらったらもうなんとかなるって。だからほら、今度は自分の世話をしてやんな」

 仕事を溜める性質の先生を1人にするのは気が引けるが、日付が気になっていたのも事実だ。

 締め切り自体はまだ2週間先なのだし、そのころ改めて手伝いに来よう。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「うんうん。こういう気遣いをするのが大人の役目だからね」

「大人っていうか、先生の場合は……」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」

 つい余計な一言を言ってしまった。疲れているのだろうか。


「あ、そうだ。土産を持たせてやろう」

「土産?」

 一瞬みやげという言葉の意味が出てこなくて、頭をひねる。いや、土産は土産だろう、普通に。

 私が立ち尽くしている隙に、リビングの物が雑多に置かれている一角から、小さな箱を掘り出してくる。

「じゃん」

 手のひらに納まるほど小さな木箱の中には、薄緑色の石がついた指輪がおさまっていた。

 透明で緑色なのだから、エメラルドかペリドットか、もっとマイナーな石だろうか。増幅器にするのに十分な大きさはあるが、指に着けるのでは上がり幅は高が知れている。

「これはいったい……」

「プリセットだよ」

「プリセット?」

 そんな宝石は聞いたことが無いが。あるいはこの指輪の銘だろうか。

「マクロなんて呼び方するやつもいるけどね、あたしはプリセットのほうが好きだね」

「はぁ……それで、なんなんですか?」


「プリセットっていうのは、ひとつにつき1種類、魔法をこめることができる増幅器のことだよ」

「魔法をかける、ではなく、こめる、ですか?」

「つまり……」

 先生がプリセットの上に手をかざすと、石の底面を起点に術式が展開する。真っ白な魔術回路は、仄かに黄緑色の光を放っている。

「ここに術式を書き込んでおくと、好きなときに展開してすぐに使えるのさ。便利だろう?」

「へぇ。すごいんですね」

 古代では家電といって、すでに魔術が組み込まれた製品がたくさん出回っていたらしいが、現代でその技術は完全に失われている。いや、それももう過去の話か。


「もう何年も前に特許公開になった技術でね、都市部でじわじわ取扱店が増えてるよ。で、こいつはその内のひとつから依頼された量産型試作品……の、試作品だよ。まだ一応動く、ぐらいの完成度でね。メーディアにテスターになってもらおうと思って」

「ああ、なるほど。それで、どうすればいいんですか?」

「ここに普段良く使う魔法をずっと入れておいて、暴発しないかどうかとか、発動する時のラグなんかを調べて、暇なときにでもアタシに教えとくれよ」

「暇なときでいいんですか?」

「あんたのほかにもテストは頼んであるからね。1人くらい期限無しだっていいだろ?」

 ぱちんとウインクする先生に、なんだか自然と顔がほころぶ。

「先生は、大雑把な人ですからね」

「そうだろ?」



「あの、ところで」

「ん?」

「あのエルって人……」

「ああ。男だよ」

「……」

「歳は27だってさ」

「…………」

「なんで黙るんだい」

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