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第1話 北の森へ薬草を摘みに

 狩りのシーンがあり、流血表現を含みます。

 ただ、人間がけがをする描写はありません。

 はぎとり描写がグロい……かも?

 広大な大陸の西部を占めるコーニア公国は、四季折々の豊かな情景を持つ美しい国だ。

 大地の恵みを一身に受けた平野部では、なだらかな大地に見渡すかぎり麦の海が広がっている。国民はその麦を食べ、売り買いし、豊かな生活を送る。麦の販路として拓かれた街道が、北へ南へとわだちを刻み、麦の海に波を立てる。

 そんな情緒溢れるコーニア公国の片隅に、ナーヴという街がある。複数の街道が重なり合う宿場町で、長く交通の要所として賑わってきた。公国の首都が14万人、ナーヴとその近郊で7万人住んでいると言えば、その盛況ぶりが伝わるだろうか。

 そんなナーヴの名所といえば、なんと言っても市街地の中央に立った時計塔だろう。

 小川のすぐそばに建てられた時計塔は古く、農村の延長とでも言うような小さな宿場町だった頃から、ナーヴの歴史を見守っている。

 さて、時計塔の足元を走るメインストリートを一本はずれ、西区B8ブロックを北側の通りから入ると、いかにも年季の入った赤レンガの壁が目に入る。

 純朴な雰囲気の壁には白い枠の出窓がはまり、やねには黒く塗装された軽鋼瓦がまるで年季の入ったレンガ瓦のような顔をして並んでいる。モルタルで固められた軒下にはプランターに咲いた薄紫の花が飾られ、落ち着いた色合いの家全体を、ほのかに明るくしていた。

 モスグリーンに塗られた木のドアには、小さく看板が掲げられている。

 魔法の薬屋・スリーピングシープ、と。


 この世界には広く、魔法と言うものが普及している。一定の手順とそこそこの初期投資さえ行えば、誰でも簡単に、どこでも、すぐさま魔法を使うことができる。たとえば火をおこす時、ぱっと呪文を唱えれば、実力に左右されるとはいえ十分な火種を確保できる。魔法の普及は生活を便利にし、その便利な生活がさらに魔法を普及させた。

 当然のように、魔法とはどこから来たのか? という疑問が生まれる。これは長年にわたって議論されているが、明確な答えはいまだ見付かっていない。ただ、今は失われた古代の文明では、現代で一般に使われている魔法よりも、さらに便利で強力な魔法が日常的に使われていたことが、数多くの魔術的遺構から見て取れる。

 そう、この世界では、新しい魔法は古代遺跡からやってくるのだ。ある時は専門の発掘チームが、ある時は遺跡荒らしが、ある時は冒険者が、世界に新鮮な魔法を届けている。

 しかし一方で、掘り起こされたものの、意図的あるいは結果的に隠蔽される魔法というのが、少なからず存在する。そんな魔法の1つに、薬草魔法とでも言うべき、植物に関する知識がある。薬屋スリーピングシープの店主は、そういった知識を隠匿・独占し、魔法薬という形で世に送り出しているのだった。



 土いじりをしていた手を止め、うんと丸めていた腰をのばす。あいたた……。

 ぼんやりと頭の上にある太陽を見上げ、そろそろ店を開ける時間になっていることを確認する。

 私がちょっとズルイ手段で作った魔法薬店は、遠方の客をメインターゲットにしている。自然と午前中は暇をもてあますようになり、最近では昼に開けて夜中に閉めている。おかげで生活が夜型になって仕方ない。

 畑の中でたくましく茂っているハーブたちを軽く摘み取り、腰カゴに入れて店へ向かう。

 郊外にある自宅兼栽培エリアから歩くこと10分。わが城砦スリーピングシープは今日もいい感じだ。

 裏口から倉庫を通り抜けると、レジカウンターの真後ろに出る。店内を掃き清め、目隠しのスクロールを上げれば、お客様を迎える準備は万端。

 倉庫の片隅にあるキッチンであり合わせのお昼ご飯を作って腹ごなし。よし、臨戦態勢。

 店の前に営業中の立て看板を出し、本日の営業を開始する。とはいえ、お昼時ということもあって、すぐに人が来たりはしない。こういうとき、一緒におしゃべりをしたり、奥で作業をさせてくれるような従業員がほしいかも。そして割安で働いてくれるとなおいい。

 カランカラン。ドアベルが来客を告げる。入ってきたのは20代半ばから後半くらいに見える男性で、すらりと背が高くなかなか見目がよい。

「いらっしゃいませ」

「どうもこんにちは」

 背の高い男性客は、陳列棚には目もくれず一直線にカウンターにやってくる。一見さんのはずだが……はて。

「私はバーンズ男爵の使いの者で、マティアスと申します。以後、お見知りおきを」

「ああ、バーンズ男爵の」

 この前薬を注文していった男爵の、まぶしい頭頂部を思い出す。注文は育毛剤だ。

「ご注文の品出来ております。少々お待ちください」

「恐れ入ります」

 倉庫から中ビン3本を持ち出してくると、マティアスと名乗った客がしげしげと店内を観察していた。すらりと背が高く涼しげな面立ちをしているので、ただ物憂げな顔で立っているだけでさまになる。

「何か気になるものでもありましたか?」

「ああ、いえ……失礼ですが、こちらはお1人で? ずいぶんと色々な商品を取り扱っておられるのですね」

 思わず苦笑いがもれる。ここに並んでいる品は、材料さえあればどれも手間無く作れてしまうものばかりなのだ。

「私のような商売は、何でも秘密にしていないといけませんから」

「大変ではありませんか?」

「もちろん人並みには。でも私、この職業好きですから」

 どれぐらい好きなの? 愛してるの? と詰め寄ってくる友人の影を頭の隅に追い払う。お引き取りください。

「ご注文の品3点、ご確認ください」

 ひきだしから受注書を出し、マティアスさんへ渡す。同時にマティアスさんから注文書を受け取って、完了欄にサインする。うちの店は受注生産の場合、全額前払い制だ。薬の調合の為に服用者の情報を本人から色々聞くので、その際にまとめて受け取っている。

 サインをもらった受注書と並べ、書類に不備が無いか確認する。

「はい、毎度ありがとうございました。用法容量はこちらにまとめておきましたので、ご確認ください」

 ひと仕事終えた顔で一礼する。こういう貴族相手の商いは割がいい。

 と、しばらく待ってもマティアスさんが店を出る気配が無い……と言うか、なぜかまじまじと見つめられている。いやだな、美形に見つめられて恥かしくない容姿はしてないんだけど。

「あの……何か?」

「……いえ、失礼しました。もうしばらくここでのんびりさせていただいても? もちろん、お邪魔しないようにしますから」

「ええそれは、どうぞ」

 挙動不審なマティアスさんに思わず首をかしげながら、ひとまずカウンターの筆記具をしまう。


 そのあと3人の客をさばいた後も、彼はのんびり陳列棚の前に陣取っていた。たまにこちらを見たかと思うと、またおもむろに視線を逸らす。一体なんなのだろう。

 客が途切れてしまい、どうにも沈黙が気まずような錯覚がする。かまってやる必要性はないのだが、なんとなく。

 しかしはて、何故彼はさっさと帰らないのだろうか。渡した育毛剤は常温保存で、かつ毎日の洗髪剤の変わりに使ってもらうタイプなので、すぐに持って帰ることもないのだが……というか、それ以上に今は仕事中ではないのか。

 もしかして……私に何か言いたいことでもあるのだろうか。たとえばそう……恋愛小説のような、一目見て恋に落ちた、的な。あるいは推理小説のように、今追いかけている事件の関係者と繋がりを探っている、的な。

 ダメだ、どちらも現実味が無い。一体何の因果で男爵の小間使いが探偵役をするというのだろう。

 つらつら非生産的な考え事に没頭していると、乾いたドアベルが仕事を告げる。

「いらっしゃいませ」

 マティアスさんと同年代と思われる、それでいて老人のように真っ白な髪が特徴的な男性だった。顔は面長で目つきは鋭く、全体的に鋭く攻撃的な見た目をしているのに、ベリーショートの白髪が、その雰囲気を落ち着いて老成したものに変えている。ご用命は白髪染めですか?

「マティアスさん。何をしていらっしゃるのですか?」

 ちょうどカウンターの反対側のかどにいたマティアスさんが、驚いた様子で男性客を見る。

「ジェイ。どうかしたのかい?」

 ふむ、白髪の彼はジェイというのか。

「あなたの帰りが遅いので、迎えに行って来いと。何をしていらっしゃったのですか?」

「ん、いや、休憩をかねて少し見物をだね……というか、君が直々に来るような用事じゃないだろう」

「ちょうど手すきでしたので。休憩はもう十分でしょう、主が注文の品をお待ちです」

「やれやれ……人使いの荒い話だ」

 ひとつ頭を振ると、ボーっとやり取りを眺めていた私に、人好きのする笑顔を向ける。

「それでは、また来ます」

「あ、はい。お待ちしております」

 そうして、バーンズ男爵の使者は帰って行った。



 と、言うのが先週の頭にあった出来事で、今は水曜日で……ざっと1週間強、ぐらいの時間が流れた。

「リストラされた?」

 まるで何年来の常連のような気さくさでやって来たマティアスさんが、隣のジェイさんを指してうなずく。

「男爵の浪費癖のおかげで、わが屋敷はいつもカツカツ……先日ついに、仕事にやや余裕のある部署にいたジェイが、何の咎も無くリストラされてしまったのです」

「へー。そんな事ってあるんですね」

 不当解雇とは……。訴えられても勝てる自信が無ければ出来ない芸当だ。いや、そもそも爵位持ちを平民が起訴なんて出来ないのだったか。

「大人しく勤勉な性格が災いして、穏便に追い出されてしまったのです。しかも本人は、言うに事欠いて自分が悪いのだと落ち込む始末……さらに都合の悪いことに、住んでいた部屋まで追い出されて今晩の宿も無いのです」

「……俺は、マティアスさんの部屋に泊めてほしいと言っているのですが」

「そういう場当たり的な行動はよくない。宿が無いならいっそ、今日のうちに仕事と寝床を確保するぐらいのガッツを出すんだ」

「はあ……」

 無駄に力説するマティアスさんに、呆れ気味の視線が送られる。

「そういう事情があるのですが、スリーピングシープに力仕事のできる小間使いは必要ありませんか?」

「やぁ、間に合ってますねぇ。というか、もっと条件のいい求人はいくらでもあるでしょう?」

「何しろコミュニケーションに障りのある奴でして。私としてもまったく知らない場所に放り込むのは忍びなく」

 そう。話だけ聞いていればちゃんとした社会人に見えるのだが、私が視線を向けるとぷいっと顔を逸らしてしまうのだ。こういうのを何と言うのだっけ。

「極度の人見知りなのです」

「ああ、なるほど。よく今まで仕事できましたね」

「所属していたセクションがごく少人数で回っていましたから。ジェイが抜けたので今1人です」

「どういう部署なんですかそれ」

 少し前のめりになって上目遣いに聞いてみても、にっこり笑うばかりで答えてもらえない。

「うーん……ここの2階がまるっと空いてるので、住んでもらうのに支障ないとは思いますけど……問題はうちで何してくれるかですね。あと、お給料あんまり出せませんよ?」

「まあ、いざとなったら野生動物で飢えをしのぐぐらいの実力はありますから」

 へえ、狩人スキルつきか。羨ましい。

「野生動物……魔物とか倒せます?」

「そうですね、騎士団の手に負える相手なら大体は」

 騎士団とは、この国を守る国防軍全体を指す言葉で、魔物の脅威から国民を守る部署も存在する。騎士団が相手に出来ない魔物といえば、伝説的魔物である竜とか、そうでなければ解毒薬の存在しない、猛毒のヒュドラくらいのものだ。たった1人で騎士団クラスとは……マジか。

「明日、腕前見せてもらっていいですか? ちょっと採取に付き合ってほしいんですけど」

「……だそうですが」

 こっくりうなずくジェイさんに、思わずテンションが上がる。今日はもう閉店して明日の準備に取り掛かろうそうしよう。

「掃除道具ここなんで、2階の好きな部屋片付けちゃってください。私ちょっと自宅帰ります」

「え、ちょっと?」

「すみませんが1分1秒が惜しいです。うちの在庫チェックして遠出に使う薬とカバン準備して……すみませんけど掃除まかせます」

 裏に回る時間も惜しくて、店の正面から飛び出して営業中の看板を裏にぽいと放り出す。あとで心の余裕ができたらちゃんと片付けよう。



 とちゅう店の方に置いてある薬草と薬のストックを確認した以外のほとんどの時間を家の調合部屋で過ごし、あっという間に朝になってしまう。徹夜でちょっとだるい体を、私だってまだまだ若いんだと実年齢を持ち出して奮い立つ。多分先月で22になったはず。ほらほら、すっごく若い。まだ無理をしても許される年齢。うん。

 日が上りきる前に店に入り、ジェイさんと合流する。目指すはナーヴの北、原生密林、通称帰らずの森だ。

「そういえば自己紹介まだでしたっけ。あらためまして、スリーピングシープのメーディアです」

「ジェイソン=マッケンジー。ジェイでいい」

「今日はとりあえず、北の森全域を一通り探索して、薬草や木の実なんかを探します。ジェイさんは基本山歩きの護衛と、欲を言えば何か食べられる動物を獲ってほしいです」

「安全な範囲で努力する」

「よろしくお願いしますよ」


 北の森は、宝の山だった。

「ほら見てくださいよこれ、アカイワシウミダケって言うんですけど。現存技術で精製したって高く売れるレアアイテムで、この大きさなら小瓶に分けて10……いや、15は行きますよ。魔術精製で効能飛躍させちゃえばもっと高値つけたって怒られないし、うわすごいこれ1個でいくら稼げるの!?」

 思わず目がお金マークになってしまう。

 優秀な人材を指して“金のなる木”なんて比喩表現があるけど、この森はどこもかしこも、少しの手間さえ惜しまなければいくらでも金を生み出す植物ばかり。楽園はここにあった。

 ……まあ、こんな人里近くにレアアイテムがどっさりある原生林が残っているのには、それはそれは深いわけがあるんだけど。

 夢中になって高級キノコを乱獲していると(生態系を壊すので、乱獲、ダメ、絶対)背後の茂みがガサガサっと不吉な感じに揺れる。ついにお出ましか……。

 おそるおそる振り向くと、いつの間にか隣から消えていたジェイさんが。あれ?

「囲まれ始めてる」

 言いつつ放り出されたのは、この森とその周辺を根城にしている赤食狼(せきしょくろう)だった。獰猛な性格で頭もよく、群れに囲まれると熟練の狩人さえ手を焼くという。

 すでに事切れたらしい銀色の狼は、その特徴的な赤い唇をひくひくとケーレンさせて白目をむいている。やだ怖い。

「見ていてくれ、すぐ戻る」

「あ、はい」

 生まれてこの方、ちょっと小動物をさばいたことがある以外、狩猟なんてやったこともない。ので、大人しく見守る。

 近くの下草が激しく揺れ、遠くでこずえが大きくたわむ。かと思えば風鳴りといななきが交錯し……と、もう何がなにやら。

 1匹仕留めては戻ってきて、屍を積み重ねること4回。周囲から何の物音もしなくなった。

「えっと、もっと大きな群れで狩りをするはずでは?」

「逃げ出した。狩りきれない獲物には手を出さない」

「なるほど」

 4匹の赤食狼を、しげしげと眺める。一般的な大型犬より明らかに大きいが、肉は硬く臭みがあって食用には適さない。その美しい毛並みは冒険者に箔を付けるので、主に装飾品として用いられる。この4匹から毛皮を剥いで持って帰れば、けっこうな値段で売れるだろう。デカイし。

 赤食狼の生態でもっとも注目すべきは、前足に組み込まれた魔術機構だろうか。成体の前足には紅い紋様が浮かんでおり、この紋様に自らの内部魔力を送り込むことで、1種類だけ魔法を使うことができるのだ。

 彼らが使う魔法は赤食、あるいは赤食術と呼ばれ、狩りや威嚇の際、前足から地面を這う炎を打ち出すことができる。もっとも、狼1匹の体内魔力なんて高が知れているので、1対1なら問題ない、囲まれなければ余裕、と言ってのける猛者も存在するらしい。

「これ、前足を剥製にして魔道師協会に持ち込んだら喜ばれるかも。ああ、それより実験用にここの皮膚片だけピンポイントに欲しい。わぁ、この前足すっごい硬い。へぇ、こんな手触りなんだ」

 めったに見られない魔物(の死体)を前に、あれこれいじくり回す。

「……離れよう」

「え?」

「血の臭いをかぎつけて、カラスが集まり始めている」

 はっとして上をふりあおぐ。人を襲う斑大鴉(まだらおおからす)が、何羽も頭上を旋回しているのが見える。

「で、でもまだ剥ぎ取りが……」

 素早くしゃがみこんだジェイさんが、まず1匹の両前足を切り落とし、出血の少ない個体を選んで足と一緒に丸ごと担ぎ上げる。

「行くぞ」

「はい」


 離れた場所で安全を確認し、2本の足から血を抜き、丸ごとの死体から皮を剥ぎ取り、さらに肉をそぎ落として骨と牙を取り出す。

「……さっきの場所に戻れば、もっと綺麗な骨が手に入るぞ」

「いやぁ、そこまでの危険は冒したくないもので」

 内臓と肉を自然に還し、しばらく探索したところで、持って帰れる限界を明らかに超えてしまう。今日はもうお開きだ。


「探索ってこんなに安全なものだったんですね。初めて知りました」

「いや、十分危険だ」

「月給いくらぐらい払えばいいですか? って言うか、これあと20往復ぐらいしたら私達長者ですよ?」

「給料は……まあ。それなりでいい」

「ダメですよ。危険手当として1回狩りに出るごとに儲け山分けましょう。もともと庭の薬草でも女1人食べられますし」

「いや、危険手当だけでいい。儲けも8割持って行ってくれていい」

「何言ってるんですか。投資を惜しめば後に苦しむんですよ? たくさん稼いで、おいしいもの食べたり、体鍛えたりしてください」

 いわゆる自己投資です、と言うと、かなり渋い顔をされた。

「……男爵のところでは、生活するので手一杯だった。あまり金を渡されると、その、どうしていいかわからない」

 意外な言葉に耳を疑う。天下の男爵が使用人に給料の1つも満足に支払っていなかったのか。

「貴族使えなんて、条件のいい職業の1つでしょうに。一体どうしてそんなことが?」

「給料を渡されるとき、急に用意できなくなったと言って払われないことが、4回に3回」

「はぁ? どんだけ無能なんですか男爵。ハゲ隠しなんかしてる場合ないでしょうそれ」

 つまり年3回の受け取りだけで、ずっと暮らしていたのか。なんてブラック職場。

「マティアスさんは俺たちのために、街のパブを経営して、その利益を屋敷の資金にしている」

「いい人なんですね、マティアスさん。リストラされたジェイさんの仕事の面倒まで見て」

「あれは……いや、そうだな。いい人だ」

 とっさに言いかけてやめるという、なんとも気持ち悪い一発芸をかましてくれたジェイさんに、思わず冷たい目を向けてしまう。

「私も今まで、素材集めにパブのクエストシステムにお世話になっていたんです。ずっとマティアスさんに助けられていたんですね」

「あぁ、そうだな……」

 なんだか上の空なジェイさんに一方的に話しかけながら、私は勝利の凱旋を果たした。



 翌々日。3徹目で仕上げた魔法薬たちを店に並べる。眠い。

 赤食狼の足から取れた魔術機構から、大量の残存魔力を掘り当て、魔力回復薬という画期的な発明を軽くしてしまった。自分の才能が恐ろしい。……ウソです。レシピは古代遺跡からロードしました。元手ロハ。荒稼ぎひゃっほう。

 久しぶりに店を開けると、早い時間から気まぐれな開店を待っていた常連客がやってくる。ジェイさんに容赦なく肉体労働を強いることで午後1番の波をしのぐと、おやつ時をまわってその人は現れた。

「おや、少し来ない間に、ずいぶんと品揃えが変わったのですね」

「マティアスさん。いらっしゃいませ」

「どうも」

 ある程度接客の基礎を叩き込んだところ、来客に対して隠れたり背中を向けたりしなくなったジェイさんが、軽く一礼する。……努力はしました。あとは慣れでしょう。

「マティアスさん聞いてください、北の森でジェイさんすごかったんですよ。採取に夢中になってた私の背後の赤食狼を音もなく仕留めて、涼しい顔でこう、ポーンとですね」

「店長、落ち着いてください」

 ジェイさんに仕事口調でいさめられ、ヒートアップしていた声量を絞る。ついでに考えなしのマシンガントークも自重する。そういえば、初めてあった日のマティアスさんとジェイさんもこんな感じだったかも。

「お役に立ったようで何より。どうです? 使えそうですか?」

「願ってもない逸材ですよ。本当にうちで雇っていいんですか? 返しませんよ?」

「本人同士での合意があれば、もう私の口を出す領域ではありませんから。どうぞお好きなようになさってください」

「そうします。これで採取に無茶が大幅に効くようになりますよ」

「効きません。無茶をする必要がありますか?」

 ジェイさんに少し強い口調で言われて、ちょっとひるむ。だって、この人、狼より強いし、ウサギより弱い私には反論できない。

「そういう言い方は卑怯です」

 この3日で学んだことは、彼は言いたいことを我慢するタイプではないこと。無言で怖い顔をしているのは、ボーっとしている時だということ。そして、あんがい口が達者であること。これが一番の誤算だった気がしなくも無い。


 こんな感じで、私とジェイさんの、狩猟採取生活が始まった。

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