想い
『拳銃やべえよ!』
俺は、黒い男達が持っている物騒な物を見た瞬間、逃げるようにして走り出していた。
『どうする、どうする俺!』
おそらく拳銃を持っていることを知っているのは俺だけだ。何か自分にできることはないだろうか。
俺は確実に危ないことが起こるだろうと予想していた。
『先生に知らせるのが賢明か、それとも混乱を避けるために内緒で警察を呼ぶのが賢明なのか』
動揺し、あれこれ考える俺に、何者かがぶつかった。そして、重い金属が落ちる音が鳴り響いた。
『拳銃……』
ぶつかってきたのは黒い男だった。落ちたのは拳銃で、それを見た俺は心の底から震え上がった。
「ああ、ごめん」
黒い男はごく自然な動作で、落とした物を拾い上げた。その時、震えている俺に気がついた。
「……これ? これはね、護身用というか……昔、今捜している人がさらわれたことがあってね、それ以来持つようになったんだ」
俺は返事をすることができなかった。
「もし単なる家出だったとしても、俺達は事故や殺人、誘拐とかの可能性を考えて捜し続けるのさ。……そうは言っても、もう一年も捜し続けてるんだけどね……あいつは結構美人だから、さらわれても気持ちは分かるような気がするし……おっと、俺達に時間はないんだ。こうしている間にも苦しんでいるかもしれない。じゃあな!」
男がそう言って走り出そうとしたその瞬間、俺はとっさに質問した。
「何で一年も行方不明の人を捜し続けるんですか?」
男は一瞬止まってその問いに答えた。
「実は二週間前に一度見つかってるんだ。だから生きていることが分かったのさ」
俺は唖然とした。
『もしかしたら、本当に怪しいやつじゃないかもしれない』
俺は立ち上がった。そして、特に急ぐわけでもなく、のんびり歩いて教室に戻った。
キーン コーン カーン コーン
教室に入った瞬間、一時間目開始を知らせるベルが鳴り、俺は焦って席に着くのだった。
「じゃあ、買い物行ってくるね。この前冷蔵庫の中すっからかんになっちゃったから。留守番よろしくね、由梨ちゃん」
「うん、行ってらっしゃい」
お姉ちゃんが仕事に出かけ、家内では私が一人になった。
『特にやることもないしなー。暇だなー。電話する人もいないし……そうだ! テレビを観よう』
しばらく悩んだ末に、そう思い立った私は、リモコンを手にし、電源と書かれたスイッチを押した。
「未だ逃亡中の、親を殺害した高橋裕也容疑者が……」
テレビに映ったのは、ちょうど私が観たいと思っていたニュースの番組だった。外に出ないので、こうすることでしか情報を得ることができない。
決してそのために点けたわけではないけど、特にバラエティやドラマなどを観る気分ではなかったため、私はチャンネルをそのままにし、リモコンを置いた。
「……を盗まれたコンビニは、犯行場所からおよそ百六十キロ離れた地点にあり……」
『お姉ちゃんと羚弥君が話してた殺人事件ってこれのことか。本当に物騒だなぁ』
ピーンポーン
私が感慨に浸っている時、突然チャイムが鳴った。
私は、一応部外者のため、遠矢家の親族や友人、知人に知られると面倒なことになると考え、よほどのことがない限りは居留守を使おうと思った。
そこで、程度を確かめるために誰が来たのかを確認することにした。
「あ!」
インターホンという便利な物は設置されていないため、窓からこっそり玄関の方を覗いた私は思わず口を抑えた。
『まずいな……声……聞こえちゃったかな……』
私は即座にテレビを消し、物音を立てないように歩いて自分の部屋に行くと、息を殺して寝具の中に潜り込んだ。
『一週間もいられないかも……』
私はため息をつき、まぶたを閉じた。
一時間目が終わった。俺たちがいる一年一組には、昨日来ていた新聞部の真理が顔を出し、再び俺たちと話していた。
「ねえ、黒い男のことを調査したらいい記事になるんじゃない?」
「ああ、確かにな。でも直接訊くのは危ないな。まずは生徒達に片っ端から訊いて、以前そいつらのこと見たことあるか確かめることが先決だな」
「そうだね。……多分いないけどね」
「お前ならやれる!」
「うん、頑張る」
「おい、羚弥。また女に手を出してんのか」
「だからー、お前みたいに変態じゃないんだって」
「こ……の……や……ろ……う」
「ハハッ」
キーン コーン カーン コーン
二時間目が始まり、俺たちは焦って席に戻っていった。
珍しく授業中は起きて過ごし、いつしか昼休みとなっていた。
俺は昼食を取り出し、学と共に食べることにした。そこに、真理が調査報告をしにきた。
「ねえ、かなり有力な情報が掴めたわよ」
「え!? あの黒い男の?」
「そうそう。ちょっと隣に来て」
「ああ。分かった」
俺たちは隣の一年二組へ向かった。
真理は窓側の席にうつむいて座っていた女子に声をかけた。
「陽菜、話してくれる?」
「あ、うん。でも、何でこの人達にも話さなきゃいけないの?」
「あ、ああ、それはいいから」
「まあ、いいけど」
陽菜という人物が話し出し、俺たちは心を引き締めた。
「あの黒い男の人達はね、ある家庭のボディーガード兼執事みたいなもので、本当はここにいるような人達じゃないの。多分、その家庭の娘が家出して必死に捜してるんだと思う」
話した内容を一つ一つメモにまとめながら、真理は質問をした。
「その娘って知り合い?」
「うん。元同級生。その子は優奈っていうんだ。ものすごくお金持ちでね、優しい人だったんだけど、いじめられててね……」
「いじめ?」
俺はその単語、行為が大嫌いだった。
「うん。優奈は他の人に合わせようとして、同じゲームを買ったり、流行りの物を身につけたりしてたらしいんだけど、金持ちはいいよなって妬まれて避けられるようになったんだ」
「ひでえ話だ……」
学は顔をしかめた。
「それで、いじめられたら転校をひたすら繰り返して、三年生になりたての頃かな、私がいる中学校にも転校してきたの。それでね、私と仲良くなったのと同時にまたいじめられることになって、お互い支え合ってたんだけど、ちょうど一年前くらいの暑い時期に、私に『もういいから』って言い残して姿を消しちゃったんだ……」
陽菜は今にも泣き出しそうな顔を浮かべていた。
「私ね、一生懸命捜したんだよ? でも……どこにもいなかった。一時期自殺したんじゃないかってことで黒い男の人たちも捜索をやめたんだけど、また再開してるってことは……どこかで優奈を見かけてんじゃないかな」
「……なあ、その優奈っていう女の子、俺も捜していいか?」
「え?」
陽菜は俺を見つめた。
「そもそもそいつは俺たちと同じ年なんだろ? だったら高校生じゃん。中学校とは違うんだ。ここに入れば俺たちがいじめなんかさせない。なあ、学」
「当たり前だろ」
陽菜は一粒涙をこぼし、微笑んだ。
「ありがとう」
「礼は見つけてからだ。真理、お前も捜すよな?」
「当たり前よ。新聞部だし、情報集めは誰よりも得意なつもりよ」
「よし、授業はいいや。学、行くぞ!」
「おう!」
俺たちは学校を飛び出していった。
移りゆく景色を眺めながら、この時が永遠に続けばいいなと思っていた。
何も気にしなくていい、何も辛くない、そんなこの時がいつまでも、ずっと。
「着いたわ」
そのお母さんの一言で、素早く執事が車を降り、お母さんがいる助手席のドアと、私がいる後部座席のドアを開けてくれた。
「ここが新しい我が家よ」
三階建てで、広い庭付きの家を見ながらお母さんが微笑んでいる。
これで何度目の引越しだろうか。全く私を理解してくれていない。
「優奈、見て。いい家でしょ?」
「はい、お母様」
本当は全く良い家だと思わない。もっと質素な家でいいのに。でも、反抗なんかできない。あくまでも、私はお嬢様なのだ。
「それでは入りましょう」
「はい」
中に入ると、センサー内臓のライトがついて、大理石の玄関、広い廊下、大きなエレベーターが映し出された。
もう、最悪だ。何もかも、全部。
「やっぱり良いわね、ここ。でも優奈はゆっくり見てる暇はないわよ。早く着替えて、学校に行きなさい」
「はい」
「今度はいじめられないように注意してね」
いじめ、と聞いて心が重くなった。あと少しでそれが始まってしまう。引越しの理由だって、私がいじめられるからだ。いじめられる原因はお金持ちだからだというのに、お母さんは何も知らない。いや、理解しようとしない。
ただ懇談か何かで私がいじめられていることを知り、原因を知らず、転校すればいいという手段に走っている。
お母さんには逆らえない。自分が正しいと強く思い込んでいるから。だから、私がいくら「いじめられるから質素に暮らしてよ」と言っても、「何でそうなるのよ。他に原因があるのよ」と返されて終わってしまう。引越し、いじめられる、引越しのスパイラルなのだ。
私は憂鬱な気持ちになりながら階段を登っていった。そして、「YUNA」と木彫りされたドアを開け、新しくなった制服を着た後、髪を縛って学校へ向かった。
思い返せば友達なんかいたことがなかった。周りにいるのは嫌がらせをしてくる怪物達で、学校は地獄のような存在だった。
今、また地獄へ来ている。耐えなきゃ。地獄なんて、あと数年の辛抱だ。
「紹介します。咲森優奈さんです」
「よろしくお願いします」
このクラスの担任と思わせる教師から紹介を受け、私は軽く礼をした。そして、適当に空いている席に座り、鞄を置いた。
すると、今まで経験したことがなかった出来事が起こった。
「優奈ちゃん、私ね、古川陽菜って言うの。よろしくね」
話しかけられたことなんかなかった。私はドギマギして、顔を合わせることができなかった。
「よろしく……ね」
陽菜と名乗った隣の女子を見てみると、私と印象が正反対の人だった。
長年いじめられていた私は、心から笑えない、人に話しかけられないなどの一つ一つの行動が積み重なって、明らかに近寄るなというオーラが流れているのに、陽菜は自然な笑顔で初対面の私に話しかけられるほどの人物で、本来私が関わりさえ持てないような存在だ。
そんな彼女だったから、私はがっかりした。
今までの経験上、そのような人はクラスの中心にいるような人で、いずれ陰に目を向けなくなる。だから、いじめに関しては高みの見物か、中心に入るかのいずれかになるのだ。
いじめから助けてくれる人は、経験者か、ごく稀にいる偽善者くらい。私が友達になれる存在と言えば、同じ境遇にいる人くらいだ。
……私は、この人と友達になれない。
キーン コーン カーン コーン
授業が始まった。
私はいつもこの時間になると、暇潰しになることを始める。
今までお母さんに散々勉強しろと言われたせいか、成績には困らないのだ。だから、いつもは板書と合わせて絵を描いたり、知っている単語を書き出してみたりする。ただ、一番最初はどこの範囲を学んでいるのか把握しなければいけないと思ったから、今は真剣に先生の話を聞くつもりだった。
「裁判は、刑事裁判、民事裁判に分かれ……」
そう教師が言い出した時、陽菜が話しかけてきた。
「ねえねえ、引っ越ししてきたんでしょ? どこに住んでたの?」
どうせ友達になれないのに、答える必要があるのだろうか、と思いながらも一応返答することにした。
「静岡だよ。その前は沖縄で、更にその前は鳥取で……引越ししすぎて全部は忘れちゃった」
「そんなに引っ越したの!? 何で?」
いじめられたから、とは言えないよね……
「お父さんの仕事の都合」
「ふーん、大変だね」
「うん」
陽菜はずいぶん積極的だった。板書もせずに、ずっと話しかけてきた。だから、お互いに相手の特徴のほとんどを知り尽くしてしまった。もちろん、隠す部分はあったけど。それは陽菜も同じみたいだった。
キーン コーン カーン コーン
チャイムが鳴り、授業が終わると、なぜか陽菜が震え出した。今までの笑顔が一瞬で消えて。
「陽菜、トイレ行こう?」
陽菜は黙って頷いた。今まで見たことが……いや、経験したことがある光景だった。この後、陽菜がされることはおそらく……いじめだ。
誰かが止めなければ、陽菜は連れていかれて何か嫌なことをされてしまう。
でも、今までの経験からすると、止めた人は一緒になっていじめられてしまう。
今まで私はずっといじめられてきた。もう二度と、そんな経験はしたくない。でも……
「やめなよ!」
私の口は偽善者だった。身体のあちこちがガクガク震えているのに、口だけが達者だった。
「んー? 面倒なやつが転校してきたね。うちら側につけば何ともないのに、わざわざそっちにつくんだー」
分かってる。分かってるけど……やっぱりいじめは最低だし、一緒になってやるなんて、あり得ない!
「自分がやられたらどんな気持ちになるのか考えなよ!」
どうせ負けてしまう。だけど、やるしかない。
「あーあー、いるよね、そういうやつ」
「だいたい、いじめられる原因なんて、育った環境とか、自分の容姿のせいなんだし、生まれた時からいじめられるか、いじめられないかは決まってるんだよね。今更さ、自分がやられたらなんて考えるわけないよね」
私は言い返せなかった。
「テレビではさ、正義が勝つとか当たり前だけど、現実はそんなことはないってこと、自覚した方がいいよ。素直にうちらにつけばいいんだ。どうする? もうチャンスはないよ」
いじめる側に正論を言われるなんて、考えてもいなかった。本当にその通りだ。ほとんど現行犯でしか捕まらない盗撮を一度成功させて、二度とやらなければ捕まることはないし、現に私だって救われたことは一度もない。現実は決して正義が勝つわけではないのだ。
でもやっぱり、私は悪者になりたくなかった。
「私は最低なことはできない」
「あっそう。じゃあ一緒にトイレ行こうよ」
「やめて!」
私の手が無理やり引っ張られた。
「二人になるとやりがいが出るねー」
「今日は何しようか?」
「トイレに閉じ込めておいてもいいんじゃない? スカート脱がせて男子に晒すってのもいいしー」
「どうせ先生も黙認してるしね」
奇声とも思える笑い声が教室に響き渡った。いかれてる。絶対にいかれてる!
「じゃ、行こっか!」
陽菜は諦めているのか、やり慣れているのか、全く抵抗しようとしていない。もう、顔がやつれていた。
私も同じだった。抵抗しても何も変わらないし、余計に酷くなる可能性もある。素直に受けた方がよっぽどいい。
「まあ、こいつは最初だからね。軽くやろうよ」
「そうだね」
こうして、私達はしばらくトイレに閉じ込められた。
閉じ込められたいた時、私と陽菜は少し話をした。きっかけは陽菜が謝ってきたことだった。
「ごめんね……私さ、友達が欲しかったんだ。でも、こんな私が欲しがったらダメだよね……」
気持ちはよく分かった。私も同じ気持ちを何年も味わってきたから。
「実はね、私がここに転校してきた理由、いじめられてたからなんだ」
彼女になら何でも話せる。
「私ね、自慢じゃないんだけど、家には沢山のお金があって、何不自由ない生活してるの。服も鞄もペンも、何もかもが高価な物で、周りからすごく妬まれたんだ。私はね、別に欲しい物なんか無かった。ただ、一つだけ欲しかったのは友達だった。それはお金で買えなくて、妬まれているままじゃ、何も変わらなかった。だから質素な生活がしたかったんだ。だけど、その気持ちはお母さんに分かってもらえなくて、今のように転校を繰り返すようになった。どこの学校でも同じように妬まれてて、疲れたんだよね、私」
陽菜は黙って聞いてくれていた。
「ずっとずっと、今も、私はいじめの運命から逃れられないんだって思ってる。今回のいじめのきっかけはお金に関することじゃなかったけど、これで良かったんだって思ってるよ。だってさ、もしかしたら初めての友達ができて、その人の支えになることができるかもしれないから」
最初は陽菜が遠い存在だと思ってた。多分、最初に私に見せた笑顔が本当の顔で、今の辛そうな顔は学校用の顔だ。いつでも笑顔でいてほしい。私がそのきっかけになれたら……
「友達になろう?」
私は陽菜に手を差し出した。彼女は一瞬目を見開き、私の手を一度見ると、あの時の顔で笑った。そして、私の手を握った。
「うん!」
それからはお互いに隠すことなんかなかった。辛かったこと、悲しかったこと、今までの自分の努力。全てを打ち明け、共感し合った。
不思議なことに、話をしているだけなのに、背中の重荷が取れたような気分になった。
自分の理解者ができるってことが、こんなにも気を軽くするなんて思ってもみなかった。
陽菜は私と違って、中二のクラス替えの時からいじめられていたようだった。きっかけは、頭にハエがとまったこと。臭くもないのに汚物扱いされて、相当酷い目に遭ったようだった。
「小学生の初期からいじめられてたなんて……辛すぎるじゃん」
「だいぶ慣れたから、そうでもないよ」
用務員さんが助け出してくれたのは、それから間も無くのことだ。
それから二ヶ月が経った。陽菜のお母さんが学校側にいじめを訴えたらしく、そのおかげで異例のクラス替えが行われることになった。
ただ、陽菜はいじめグループから離れることができたけど、私はそうならなかった。
だから、陽菜のいじめは終わり、私だけが目標となった。
いじめは次第にエスカレートしていった。給食にカメムシを入れられたり、朝登校すると机が唾の白い泡だらけになっていたりした。
もう辛くて、こんな日々がずっと続くんだと思うと胸が苦しくて、私はある決意をした。
お母さんに話しても転校、何も変わらない。だから、家出しよう。そう誓った。
私はある日、陽菜を呼び出してこのことを伝えた。
「私ね、家出することにした。陽菜にだけは伝えておきたくて……」
「え……」
「もう私のことは忘れて? 捜さなくていいからさ。もう、いいから」
それから、私は全速力で走り出した。決して後ろを振り向かずに走り続けた。もし振り向いたら戻りたくなりそうだったから……絶対に振り向かなかった。
それから、私は孤独になった。
「由梨ちゃんいる?」
中三の頃を思い出していた私は、帰ってきたお姉ちゃんの声に反応した。
「いるよー」
「なんか買い物から帰ってくる途中、黒いスーツの人たちが話しかけてきて、聞いてみたら由梨ちゃんを捜してるみたいなんだけど……」
しばらく何も言えなかった。ついにここまで追っ手が来てしまった。
「き、気のせいだよ……」
「でも写真見たら由梨ちゃんだったよ?」
「人違いだと思う!」
「分かったー」
私の中には既に焦りしか残っていなかった。
もうこの家も出ていかなきゃ……こんなに優しい人たちに迷惑はかけられないから……
私はこっそり玄関に向かって靴を履いた。
「ありがとう」
そして小さくそう言うと、そっと扉を閉めて走り出した。
「優奈ってやつはどういうやつなんだ? 何か特徴とかないのか?」
俺は走りながら陽菜にそう訊いた。それを知らなければがむしゃらに走ってもまるで意味がない。
「うーん、結構いなくなってから日にちが経ってるから、髪の長さとかはよく分からないけど、結構幼い顔立ちで、可愛い」
幼い、何かが引っかかる。
「そんなのいくらでもいるだろ! 他には!」
学も俺と同じで手がかりを掴もうとしているようだった。
「うーん……頭が良くて、運動神経も良くて、いじめられてたせいか人を慎重に見る癖があって、努力家で……」
「そんなこと言われても捜す情報にはならん。容姿を言ってくれないと。いや、待て……やっぱり何かが引っかかる」
俺は必死にそれが何か突き止めようとして、容姿だけでなく、何でもいいから情報をくれと要求した。
「咲森優奈、身長は小柄な方で……」
「咲森……あ!」
引っかかったものが身近すぎて自分でも拍子抜けした。
確かに咲森という苗字で、幼い顔立ちをしていて、家がないと言っていた。由梨、お前なのか。名前だけ偽って俺たちと一緒にいたのか。
「どうしたの?」
「母さんに連絡する!」
俺は素早く携帯を取り出し、スピーカーを耳に当てた。
プルルルルルルル
電話の呼び出し音が長く聞こえる。
プルルルルルルル
早く出てくれ、母さん!
「もしもし?」
出た!
「母さん! 由梨は?」
「え? なになに、どうしたの?」
「急用! 早く呼んで!」
「う、うん。ゆりー? いる?」
母さんは何度も由梨の名前を呼んだ。しかし、反応はないようだった。
「皆、一応、俺の家の周辺を捜してくれ。学、俺の家までの道案内を頼む」
「任せろ」
学たちが走っていって間も無く、母さんから由梨の靴がないことを知らされた。
それを聞いて、俺も学たちの後を追っていった。
由梨を捜し始めて数時間が経った。辺りは暗くなり始め、捜査は困難を極めた。
黒い男たちがいる場所を捜すのは得策ではないと感じ、できるだけいない方へと捜査の幅を広げていたが、手がかりさえ見つけることはできなかった。
「由梨、本当にどこに行ったんだ」
がむしゃらに走るのはやはりダメだったか。少しは考えないとな。そう思って由梨が行きそうな場所を考えてみた。
逃げるなら、黒い男たちがうろついている道を通るのは良い方法ではない。道を通らないのであれば、道ではないところを行くはず。となると、人家の庭を通って移動するのだろうか。それなら俺たちが走っても見つかるはずはない。
隠れるならどこだろうか。もしかして、まだ家の中にいるのだろうか。それなら、靴を持って隠れていることになる。頭のいい由梨のことだから、フェイクとして靴を隠したことも考えられなくはない。
待てよ……他の人の家の中に入るには、女だけの、男にだけ通用する、俺と由梨が出会った当初彼女がやっていた方法があるじゃないか。もしそうだったら……最悪だ。その手段を使えば人の家に入ることなんか容易いだろう。容易いからこそ、危険なんだ。自分から強姦してくださいって言ってるようなものだから。
その考えを思いついた瞬間、危機感が何倍にも膨れ上がった。もしかしたら、既に手遅れかもしれない。もし、その最悪の手段をやった場合、由梨はただ男を捜せばいい。俺たちが一人の人間を捜すのに対し、彼女のターゲットはいくらでもいる。
俺の足は無意識に初めて出会ったあの公園へ向かっていた。その最悪のパターンでないことを願って。
「ハァ……ハァ……」
あの公園にたどり着いた時には、既に体力の限界が来ていた。
日は完全に落ち、もはや街灯の明かりだけが頼りとなっている。
「由梨、いるか……」
疲れで語尾が小さくなる。息切れが激しい。
「由梨……」
やっぱりいないのだろうか。手遅れだったのだろうか。そう思いながら、思い出のブランコに近づいていく。
その時、か細い声が聞こえてきた。
「羚弥……君?」
「由梨?」
俺はその声が聞こえた方を見た。
そこは、あの時と同じ、ブランコの後ろの木の影だった。そして、あの時と同じく、由梨は裸だった。
「ばかやろう……もしかしてと思ったら……」
膝に手をついて息を必死に整えながら、俺は由梨を少し睨みつけた。
「だって、こうするしかなかったんだもん……生きるためだから……」
由梨はまた涙声だった。
「そんなわけないだろ」
俺は由梨にあと二、三歩で届く距離まで近づいて、彼女の潤んだ瞳を真っ直ぐ見つめた。
「お前の気持ちが正直じゃねえか。怖いんだろ? 多分、俺も含めて男全員のことが。別に俺は怖がられようが嫌われようがどうだっていいんだ。でもな、お前のために泣いてくれる友達がいるということを頭の中に入れておけ」
由梨は一瞬目を丸くした。
「陽菜……」
「由梨、いや、優奈。話してくれないか? 今までのこと、辛かったこと。きっと話せば楽になると思うし、俺にできることがあったら手伝うこともできる」
由梨は小さく頷いた。
それから、皆と同じになれなくて辛かったこと、母親が自分を理解してくれないこと、いつまで経っても同じ状態から変わらないから家出したんだということを、彼女は話してくれた。
それを聞いて、俺は彼女が一番何に苦しんでいるかが分かった。
「お前さ、正直言うと、いじめられる原因は自分の母さんにあると思ってるだろ?」
由梨は黙って少し首を下に向けた。
「俺もそう思うんだ。俺が由梨……間違った、優奈の立場なら、母さんがお金に頼りすぎる生き方、考え方をしなければこうならなかったって絶対思うしな。ほら、金持ちだってバレるのも、きっと学校に身につけていく小さな物でさえあからさまに高いからだろ? いじめられたらすぐ転校するのもそうだ。普通、転校なんか金がかかりすぎてやるものじゃないのに、金があるからこそそういう逃げ方を思いついて、実行してしまうんだ。金がある人間っていうのはな、性格が変わってしまうんだ。自分の欲望が叶ってしまうから、自分中心の生き方になる。子供の意見なんか聞くわけがないんだよ」
「うぅ……」
顔は見えないが、涙が落ちたのが見えた。
「でもな! 今は違うぞ。こんだけ大捜索してるんだ。お前の母さんが心配してないはずがない。きっと、なぜ家出したのか理由を訊いてくるはずだ。気持ちを伝えるチャンスじゃないか。俺も一緒に行ってやるから。お前が母さんの前で怖気づいても、俺がきちんと説明してやるから」
由梨は泣き顔を俺に向けた。
「羚弥君……」
「大丈夫、行こうぜ」
俺は笑顔を見せた。
「さあ、早く脱ぎ捨てたワンピースを着るんだ! そこらへんにあるんだろ?」
由梨は急に恥ずかしがって、「あっち向いて!」と自分の後ろにあったワンピースで身体を隠した。
「分かった分かった」
笑ってそう言い、後ろを向いた俺は、ふと空を見上げた。そこには、綺麗な満月があった。
「月、綺麗だな」
「うん」
由梨が着替え終わるまで、俺はじっとそれを見続けた。
由梨が服を着て間も無く、俺は学たちに見つかったと連絡を入れた。
ただ、やることがあるからお前たちは家に帰ってくれと言い、彼らをこの場に呼ぶことはしなかった。
今、由梨は震えている。夏とはいえ、服を着ないで外にいれば寒くなる。そのせいなのかもしれないが、俺がいるからという可能性も考えられなくはない。だから、まだ学に会わせるわけにはいかないだろう。
「さて、行くか」
「うん」
俺たちは公園を出た。
こうして堂々と歩けるのは一年ぶりかな、としみじみ思う。今までずっと逃げる生活をしてきたから、こんな日が来るなんて思ってもいなかった。
ただ、これからお母さんに会うと思うと、心臓の音が羚弥君に聞こえるんじゃないかってくらい緊張する。成功する保証はどこにもないし、したとしても、私は羚弥君に会えなくなってしまうだろう。
「あ、いた」
羚弥君が私のボディガードの人たちを見つけてそう言った。
ボディガードの人たちも私を見つけたようで、「優奈様!」と駆け寄ってくる。
ふと、このままボディガードの人たちが私を連れて行ったらどうなるのだろうかと思った。
楽しかったカレーパーティー、気楽に話せる家族。普通の生活だけど、私にとっては普通じゃない生活。それらが全てなくなって、楽しいとはほど遠い生活が待っているのだろうか。
そう思うと悲しくなった。
「ねえ、羚弥君、お願いがあるんだけど」
会えなくなるかもしれないから、きっと思い出して楽しかった日々を羨むだろうから。
「何だ?」
そんな日々を与えてくれた羚弥君をもっと近くで感じたい。
「抱きついていい?」
「え、今なんて……」
ボディガードの人たちの視線なんて関係ない。
「聞こえなかった? 抱きついていい?」
「あ、あぁ……」
自分の身体が少し震え出している。身体が冷えてはいるけど、この震えはきっと、過去のトラウマによるものだ。
「ありがと」
それでも私は歩み寄って、力いっぱい彼を抱きしめた。
小刻みに震える身体が、徐々に徐々に止まっていく。冷えた身体も不思議と温まって、心地よいとさえ感じる。
でも、何でだろう。すごく恥ずかしくて、お母さんに会うと思う以上に心臓が激しく踊っている。緊張はしてないのに。こんな感情初めてだ。
「優奈様、その男が何者かは知りませんが、帰りましょう」
「分かってる。もう少しだけ、このままにさせてほしいな」
「分かりました。それでは車を手配しておきますね」
「ありがと」
それから数分で車が来て、私は羚弥君から離れた。
「さあ優奈様、お乗りください」
「うん。ねえ、彼もお母様に会わせたいんだけど、乗せてっていい?」
「いや、しかし……」
「お願い」
「……分かりました。さあ、乗って!」
羚弥君が私に笑顔を見せた。
「さあ、行こうぜ」
「うん」
私たちは車に乗り込んだ。
距離は一年逃げてきただけあって、相当あった。車で夜通し運転し、昼間に到着するのだから、相当なものだろう。
私は緊張で眠れなかったけど、羚弥君は疲れてたせいか、ぐっすり眠っていた。
「お疲れ様」
ボディガードにそう言って、羚弥君を起こして車を降りる。
目の前に広がった光景は、今までに見たことがないものだった。
以前より家が大きくなっていて、私は思わず呆れてしまった。
「でっけえー」
羚弥君が周りを見回して驚きの声を上げる。
「これが……嫌なんだ」
ボディガードに聞こえない程度の声で、そっと囁くと、羚弥君も同じくらいの声量で「分かってる」と笑って言った。
「お母様のところへ連れてってください」
「かしこまりました」
門と呼べるくらい大きな扉を開け、敷地内に侵入する。本当の家までは少し距離があった。
こんなに広くて何の意味があるのだろうか。便利とかそういう問題じゃなくて、周りへの見せつけにしか見えない。
家に入ると、私は更に呆れた。相変わらずのセンサー内蔵の電気がついて、広すぎる玄関と廊下があらわになる。
「お母様の部屋はどこらへんにあるの?」
「五階でございます」
「五階……」
羚弥君も凄いを通り越して呆れているようだ。
設計上、すぐに上の階に行けるよう、エレベーターは近かったけど、お母さんの部屋に行くまでには長すぎる廊下をひたすら歩かなければいけなかった。
床が動くようになっているけど、着くまでに三分もかかった。
目的の部屋に入ると、お母さんが駆け寄ってきた。
「優奈! ずっと心配したのよ……」
「お母様……」
明らかに高そうなネックレス、指輪、服を身につけて……やっぱり何も変わっていない。
「ところでそちらはどなた?」
お母さんが羚弥君を見てそう言った。
「遠矢羚弥です。優奈の友人です。今日はお話があって参りました」
「分かりました。それは食事をしながらゆっくり聞きましょう。さあ、こちらにいらっしゃい」
「ダメ!」
私は思わず大声でそう言った。周りが一斉に目を丸くして私の方を見てくる。
「食事をしながらだったらダメなの。お母様、私の想いを聞いてください」
「……分かった」
私は一度深呼吸をして、羚弥君を一目見た。
彼は大丈夫と言うように頷き、微笑んでくれた。
「私が家出した理由……変わらないって思ったからなんだ。お母さんが……」
お母さんの前で「お母さん」と言ったのは初めてだった。それについてなのか、家出した理由が自分だと知ったからか、お母さんは目を見開いた。
「私がいじめられた理由、お金持ちだからって前に言ったよね? あれね、お母さんは真に受けなかったけど、事実なんだよ? 筆箱やペン、靴もジャンバーも、何もかもが見ただけで高いと判断できるものばかりで、妬まれるのは当然だった。お母さんはそれが『羨ましい』に感じて心地よかったのかもしれないけど、私はそのおかげで辛い思いをしてきた。ずっとずっと変わってほしかったんだよ?」
お母さんを責めるのが辛くて、涙が出てきた。
「私ね、いじめなんか正直どうでもよかった。だから相談もしなかったし、お母さんがそれを知るのは懇談とかでしかなかった。でも、その度に転校転校で、ああ、またかってやるせない気持ちになるの。お願い、変わってほしい。お母さん、お金に頼りすぎる生活はやめてほしい……」
最後の方は泣きすぎて声になったか分からなかった。
「優奈……ごめんなさい。私が間違ってたわ……」
お母さんはそう言うと、指輪もネックレスも外し始めた。
ボディガード達が驚きの表情でお母さんを見る。
「全部、私のせいだったのね……私ね、本当は優奈が辛そうな表情してたの気づいてたんだ。その度に何買ってあげたら喜ぶだろう、何をしてあげたらいいかなって思い続けてきた。でも、そんなことよりも前に、優奈の気持ちを聞くべきだったのね……」
「お母さん……」
すれ違いだったんだ、私の想いと、お母さんの想い。
「ごめんね、優奈。お母さん、変わろうと思う。まずは……この家を売ろうかな……それを資金にして会社でも立ち上げようと思う。そして、ボディガードに執事、いろいろとやってくれた皆さん。これからはそういう仕事はしないでください。私、洗濯も料理も、母親らしいこと一度もしたことないから磨こうと思います。退職金を皆さんにお渡しします。今まで本当にありがとう……」
お母さんにつられてボディガードの中にも泣いている人がいるようだった。そのうちの一人が泣きながら言った。
「私、これまでこの仕事に着いて苦なんか一度も経験したことはございません。いや、むしろお役に立てて嬉しいとさえ感じておりました。よろしければ、これからはその会社の部下として働かせてもらえないでしょうか?」
その意見に次々と賛成意見が飛び交った。
「皆さん……ありがとう、ありがとう……」
お母さんは泣きながら笑った。
「俺、出る幕なくなってしまったな……」
「ううん、まだ」
最後に一つだけ、お願いが残ってる。
「お母さん、もう一つだけお願いがあるんだけど、いい?」
「なに?」
「私、この人と同じ高校に行きたい!」
羚弥君は驚いていた。
「……分かった。多分、転入に必要なテストとかは優奈なら余裕だと思うし、行っていいけど、家売っちゃうし、ここを会社にしたいと思うから、ちょっと遠いかな……」
「家ならあるよ。今までこの人と同居してたから、続けていけばいいから」
「え、それは申し訳ないことを……」
「家なら任せてください」
お母さんは少し迷ったような素振りを見せた。
「……分かりました。優奈、ちょっと耳貸して?」
「え? うん」
お母さんに近づくと、耳元で「好きなの?」と訊かれた。
「そ、そんなんじゃないよ!」
「ふふ、頑張ってね。では、優奈のことよろしくお願いします」
「任せてください」
でも、どうなんだろう。こんな気持ち初めてだから、もしかしたら……
「じゃあ、送り戻します。車の手配よろしくね」
「はい、任せてください!」
「優奈、行ってらっしゃい」
「うん! 行ってきます!」
それから間も無く、私たちはお姉ちゃんの家へ送り届けられた。
心の中は晴れやかだった。




