サイラス: 不要品リストの筆頭
第二巻の構想がやってくる前に、なろう運営様より「連載投稿チャレンジ」がやってきたので、閑話を投稿いたします。
チャレンジ期間中、多少ズレることもありますが、だいたい週に一話、色々なキャラクターの閑話を投稿する予定です。
崩れ落ちた壁の修繕よりも、もっと優先すべき「掃除」があった。
サイラスがウォルターを連れ、仮住まいの客室に近づくにつれ、屋敷の修繕音すらかき消すような金切り声が聞こえてきた。
「どういうことですの! お湯がぬるいわ! それにこの菓子、昨日の残り物でしょう!?」
「やだやだ! こんな狭い部屋、息が詰まっちゃう! 僕の部屋を直してよお!」
ベアトリスとノエルだ。
サイラスは眉間を指で揉みほぐし、一度だけ深く息を吐き出すと、ノックもせずに扉を開け放った。
部屋の中は散乱していた。脱ぎ捨てられたドレス、食べかけの菓子、転がったクッション。その中心で、ヒステリックに叫ぶ義母と、床に寝転がって地団駄を踏む義弟がいる。
サイラスの姿を認めるや否や、ベアトリスが扇子を振り回して詰め寄ってきた。
「あら、サイラス! やっと来ましたのね。見てちょうだい、この惨状を! わたくしたちをこのような豚小屋に押し込めて、あなたは何をしていますの!」
「使用人たちは皆、屋敷の修繕に駆り出されています。人手が足りないのですよ」
「だったらもっと雇えばいいじゃありませんか! 宰相家でしょう!」
サイラスは表情を凍らせたまま、部屋の中央へと進み出た。
「雇う金などありませんよ」
冷ややかな声が、熱り立った空気を切り裂く。
ベアトリスがぽかんと口を開けた。
「……何を、言っていますの?」
「今回の騒動で、今年の我が家の予算の大半が、情報統制と修繕費に消えました。これ以上の浪費は不可能です。よって、お二人の生活環境を見直すことにいたしました」
サイラスは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、ベアトリスの目の前に突きつけた。
「北の領地にある別荘へ移動していただきます。空気も良く、静かな場所だ。父上の許可もいただいております」
紙面には、確かにギデオンの署名があった。ベアトリスの顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。
「別荘ですって……? あそこは、何もないただの田舎屋敷ではありませんか! 社交界はどうなりますの! ノエルの教育は!」
「僕はいやだ! 絶対に行かないぞ!」
ノエルがクッションをサイラスに投げつけた。サイラスはそれを片手で軽く払い落とし、氷のような眼差しで義弟を見下ろした。
「お前の教育環境については、特に憂慮している。ここには、お前を甘やかす悪友も、機嫌を取るだけの教師もいない。向こうで一から叩き直すといい」
「父上に言いつけてやる! 父上なら、僕の言うことを聞いてくれるもん!」
「残念だが、父上は現在、絶対安静だ。お前たちのその声が父上の神経を逆撫でするのだと判断されたからこそ、この移動命令が出たのだよ」
嘘ではない。ギデオンは今、誰の言葉も聞きたくない状態なのだから。
「嘘よ! わたくしを追い出すつもりね! 絶対に動きませんことよ!」
ベアトリスがベッドの柱にしがみついた。見苦しいことこの上ない。
サイラスは短く溜息をつき、最後通告を突きつけた。
「動かないのであれば、それでも構いません。ただし、この屋敷に留まる場合、使用人の数をさらに減らし、ドレスの新調も禁止、夜会への出席も認めません。今の状況では、無駄な者を置いておく余裕などないのですから」
「なっ……」
「別荘へ行けば、元の生活水準に近いものは保証しましょう。豊かな自然の中で、慎ましくも平穏な日々が送れるはずです。どちらを選びますか」
選択肢を与えているようで、実質的な強制だ。今の彼女たちに、質素な生活など耐えられるはずがない。
ベアトリスは唇を震わせ、ノエルを見、そしてサイラスの絶対零度の瞳を見た。
彼女は悟ったのだろう。目の前の義息子はギデオンと同じ、切り捨てるときは容赦のない男だということを。
「……支度を、させなさい」
屈辱にまみれた声で、彼女はそう呟いた。
数時間後。屋敷の玄関前には、山のような荷物が積み上げられていた。
色とりどりのドレスが入ったトランク、宝石箱、ノエルの大量の玩具。これらを全て運ぶには、馬車が三台あっても足りないだろう。
「奥様、申し上げにくいのですが」
ウォルターが慇懃に、しかし体全体で馬車の扉を塞ぐようにして立ちはだかった。
「この馬車の積載量には限界がございます。安全な運行のため、お荷物はトランク二つまでに制限させていただきます」
「なんですって!? これらは全て必要なものですのよ! このドレスがないと、向こうでの夜会に……」
「北の別荘周辺に、夜会を開くような貴族は住んでおりません」
サイラスが背後から冷たく告げた。
「熊や鹿にドレスを見せびらかしても意味がありますまい。貴金属類も置いていきなさい。これからの屋敷の修繕費に充てさせていただきます」
「泥棒! 人でなし! 悪魔!」
ベアトリスの罵倒を無視し、サイラスは目配せをした。待機していた屈強な使用人たちが、手際よく二人を馬車へと押し込んでいく。
「離せ! バカ! ボクは次期当主だぞ!」
「あいにくだがノエル、次期当主は初めから私だ。お前がその小さな頭で少しでも賢くなるまで、戻ってくることはないと思え」
抵抗する二人が座席に押し込められると、ウォルターが重厚な扉を閉めた。カチリ、と錠が下りる音が、妙に小気味よく響いた。
窓越しに何やら叫んでいるが、防音仕様のおかげで何も聞こえない。まるで無声劇を見ているようだ。
御者が鞭を振るう。
馬車は石畳を蹴り、砂埃を上げて走り出した。
遠ざかっていく馬車の車輪の音は、サイラスにとってどんな音楽よりも心地よい旋律だった。
屋敷の前には、置き去りにされた派手なドレスや玩具の山だけが残されている。これらも早々に処分し、金に換えねばならない。
不意に、風が吹き抜けた。
埃っぽさは変わらないが、どこか清涼な空気が混じっている気がした。
ベアトリスの香水のきつい匂いも、ノエルの耳障りな金切り声も、もうここにはない。
静寂が、ようやくこの家に帰ってきたのだ。
瓦礫の山となった屋敷を見上げ、サイラスは初めて口元をわずかに緩めた。
「ウォルター」
「はい、若様」
「茶を淹れてくれ。とびきり濃いものを」
「畏まりました」
老執事が一礼して下がる。
サイラスは一つ大きく伸びをし、そしてすぐに真顔に戻って執務室へと足を向けた。
騒音は消えたが、屋敷の修繕も、妖精憑きの譲渡も、ルーカスへの仕送りも、まだやることは山積みだ。
「……さて、次は本当の仕事にかかるとしよう」




